七夕ピラー改修作戦~星彩ミルヒシュトラーセ

作者:月夜野サクラ

「みんな、お疲れさま。今日まで色んなことがあったけど……本当に、終わったんだね」
 珍しく柔らかな微笑みを浮かべて、レーヴィス・アイゼナッハ(蒼雪割のヘリオライダー・en0060)は集まったケルベロス達をねぎらう。
 最後のケルベロス・ウォーは、ケルベロス達の勝利で幕を閉じた――ダモクレスの創造主にして十二創神の一柱、超神機アダム・カドモンを撃破したことにより、主要なデウスエクスの勢力は壊滅した。長い戦いの時を経てようやく、この地球に真の平和が訪れたのである。
「破壊されたゲートも、アダム・カドモンが残した資料のおかげで修復して、ピラーに戻すことができるらしいよ。……って言っても、まあ、タダでってわけには行かないけど」
 素直に喜びを露わにし過ぎていた、と気づいたのか。少し慌てていつもの澄まし顔を作り、青年は続けた。
「ゲートを修復してピラーに戻すためには、特別な季節の魔力が必要になるんだ」
「特別な、季節の魔力?」
 居合わせたケルベロス達が首を傾げると、レーヴィスはちらりと視線を上向けて、言った。
「銀河を越えて、遠く引き離された二つの地点を結びつけ、邂逅させる季節の魔法……って言ったら、分かるでしょ?」
 それは、東アジアの国々に伝わる『七夕』の魔力。ダモクレスの軍勢がこのタイミングで決戦を挑んできたのには、もしかしたら、ゲートの修復を考慮したものであったのかもしれない。
「だから、ね。疲れてるとは思うんだけど、『タナバタ』祭りに行ってきてほしいんだよね。……ドイツまで」
 七夕の祭りが行われるのは、何も日本だけではない。蒼鴉師団の面々の働きかけによって、此度のケルベロス・ウォーの直前には世界各地で「TANABATA」の祭りが開かれている。それは欧州・ドイツ連邦共和国においても例外ではなく、今回のピラー修復作戦にあわせ、7月7日に首都ベルリンの中心地にて七夕の祭りが開かれることになったのだ。
「ジャンダルメン広場の『タナバタ・フェスト』。勿論、目的は世界中から季節の魔力を集めることだけど……まあ、せっかく平和になったことだし?」
 世界平和の立役者であるケルベロス達が少しくらい羽根をのばしても、罰は当たるまい。その先に続く言葉には含みを持たせつつ、レーヴィスは続けた。
「タナバタって名前はついてるけど、要は笹と短冊の飾ってある夏祭りみたいなものだね。出店もあるし、飲み食いするのには困らないと思う」
 お菓子ならばローストアーモンドにリンゴのドーナツ、レープクーヘンに色とりどりのケーキ。
 メインディッシュならお馴染みのソーセージからシュニッツェル、マウルタッシェにアイスバイン。
 大人であれば、ベルリン名物ベルリーナー・ヴァイセに舌鼓を打つのもよいだろう。
「会場は街の真ん中だけど、少し歩けば静かな所へも出られるから、人に酔ったら散策してみるのもいいかもね」
 真夏にはまだ少し早い、六月の欧州。
 爽やかな夜の空気に包まれて、見上げる空はどんな色をしているのだろう。
 来るなら乗って、と促す青年に誘われ、ケルベロス達は蒼銀のヘリオンに乗り込んだ。


■リプレイ


 欧州の夏の日は長い。二十時も半を回って漸く橙に色づき始めた空の下、乾杯の声と共にグラスの重なる音がする。
 ドイツ連邦共和国の首都、ベルリン。様々な出店とハイテーブルが所狭しと並んだタナバタ・フェストの会場は、訪れたケルベロスや地元の人々で賑わっていた。
「ドイツといえばソーセージ! あとあと、シュニッツェルも美味しいの!」
「しゅにっつぇる?」
 首を傾げるオイナスの前に仔牛肉のカツレツが積まれた皿を差し出して、久々の帰郷を果たしたローレライは上機嫌に笑った。
「オイナスさんは初めてだったかしら?」
 こくこくと頷いて、青年は林檎ジュースを口に運ぶ。普段は小食なオイナスだが、今日はなぜだかいつも以上に食べられる気がするから、祭の喧騒というのは不思議なものだ。
「これお酒? お酒なのかな?」
 満ちていくビアグラスをまじまじと見詰めるうずまきの姿に笑みを零して、リーズレットは言った。
「うずまきさん、前からお酒飲んでみたいって言ってたものな」
「そりゃ、ボクももう大人だからねっ」
 冒険も日常も、あらゆる時間を笑顔で分かち合ってきた二人の特別な一杯が、夕陽を受けて一層甘やかに艶めく。クランベリーにも似た赤みの強い麦酒は、まるで――。
「リズ姉とボクの瞳の色みたいだね♪」
 乾杯、と朗らかな声が重なり、グラスの縁が涼しげに鳴った。そして滑らかな泡ごと麦酒を一口含んだ、次の瞬間。
『にっがぁぁぁぁ!』
 見た目を裏切るしっかりとした苦味に、思わず眉間に皺が寄った。けれどそんなやり取りさえも可笑しくて、愛おしくて仕方がない。
「このアイスバイン、とろとろに煮込んであってとっても美味しいですよ」
 フォークに刺した豚肉の煮込みを差し出して、あーんして、とフローネは微笑む。ミチェーリは少々恥ずかしがる素振りを見せたが、それも一瞬。一度含めば口の中でほどけるような肉の柔らかさに、思わず頬が緩んでしまう。
「本当。柔らかくて美味しい!」
 ドイツと言えば肉料理。お返しに、と差し出した本場のブラートヴルストは挟んだパンから飛び出すほど大きく、北国らしい濃い味付けが甘味への欲求を掻き立てる。次はスイーツでも、と見つめるフローネの視線の先には、電飾で可愛らしく彩られたお菓子のワゴンが並んでいる。
「ねえキキ、うれしいね」
 首の周りにリボンを巻いた玩具のロボットをテーブルの上に座らせて、キカは夏空色の瞳を細めた。
 シナモンと粉砂糖をまぶした林檎の輪切りのドーナツ、蜂蜜とスパイスの利いたレープクーヘン――少しずつ、色々なスイーツを集めたプレートの向こう側には、彼女達が護った人々の笑顔が煌めいている。それが鮮やかな橙から深い宵色へと移り行く空に漸う姿を現した星々の下とくれば、お目当ての甘味も一層甘くなるというものだ。
「こうして気軽に海外へ行けるようになったのは有り難いね」
 石畳を敷いた西欧の広場を笹の葉が飾る不思議な光景を見渡して、メイザースが言った。
「いずれ君に、私の故郷を紹介したいと思っているから」
「……そう言えば、どんな所か知らなかった」
 ハイテーブルの向かいで頬杖をつきながら、ロコは応じる。卓上のブラートヴルストと、シナモンの利いたアーモンドはメイザースのセレクションだ。塩気と甘味の無限ループがいい、などという無茶ぶりにもきっちり応えてくれるものだから、全くこの男は頼りになる。
 乾杯、とビールジョッキを打ち合わせて、騙り部は笑った。
「これからもよろしくね、私の止まり木」
「こちらこそ。だけど、世話を怠ると木も枯れるよ?」
 気を付けてと蠱惑の微笑みで、ロコは麦酒を呷った。足早にすれ違う数多の出逢いの中で繋がった縁に想いを寄せ、仰ぐ空には一番星が煌々と瞬いている。


 夜空に伸びる笹の葉に短冊をかけようとして、アンジェリカは広場の賑わいに目を留めた。もはや明日を憂うことのない人々の希望に溢れる笑顔は、彼女達が戦いの果てに掴んだ掛け替えのない報酬の一つだ。
 止まることなく歩み続ければいつか、救われたデウスエクス達ともこんな景色を分かち合うことができるだろうか? そんなことを考えながら、一枚の短冊に願いを懸ける。
「食べるか飾るかどっちかにしなよ……」
「ん?」
 ドーナツを片手に笹の葉に短冊を掛けながら、天音は声のする方を振り返った。見れば通り掛かりのヘリオライダーがこちらを見つめている。
「いや、戦いが終わった……って思うと」
 いっぱい食べたくなってきちゃって、と応えて、天音はドーナツを飲み込んだ。明日を案ずることなく祭の空気を楽しめるのは、戦いが終わったからこそだろうか。
「ドイツで浴衣、ってなんだか不思議だね」
 広場の中心に突き立つ笹を見上げて、頼が言った。慣れない和装で俯きがちに歩くマリアンネの手を引いて歩み寄れば、軽やかな葉擦れの音色が耳を擽る。
「七夕では、願いを書いて笹に飾るんだ」
「願い、ですか?」
 聞き返す声にそうと笑って、頼は懐から短冊を取り出した。マリーに幸せを運べますように、なんて、そこにそんなことが書いてあるとは口に出さぬまま、笹の梢に括りつける。
「マリーも書く?」
 はにかむような笑みと共に手渡された白紙の短冊を唇に押し当て、マリアンネは微笑った。
「ふふ、では、わたくしも」
 この幸せが、ずっと続きますように――星に懸ける想いが二人同じであることは、今日のところは秘密にしておこう。見上げれば揺れる笹と短冊を抱いて、欧州の空が深い宵に滲んでいく。
「願い事なぁ」
 手渡された白紙の短冊をじっと見つめて、アッシュは灰色の髪を掻いた。どうした、と覗き込む瞳李の手には、二人分のビールジョッキが握られている。黒い方の一杯を受け取って、男はふっと口角を上げた。
「わざわざ星に願わなくとも、叶えてくれる奴は傍にいるしなあ」
「……!」
 不意打ちのような一言に、瞳李は硬直した。そして少女のように頬を染め、勿論だと口ごもる。
「アッシュが望むこと全部、私が叶えてあげるって約束したからな」
 家族も、未来も。
 気まずくはないが少し気恥ずかしい、そんな二人の沈黙を破ったのは、馴染のヘリオライダーだった。
「何してるの?」
「よぉ、レーヴィス少年」
 笹の葉を前に何やらもだもだしている二人が気になったものか、声を掛けてきた青年は今年で二十歳の節目を迎えた。なのについそう呼んでしまうのは、偏に付き合いの長さ故だろうか。
「奢ってやるから、好きなもん飲んで食えよ」
「そうそう。成人祝いだと思って、な?」
 別にいいよ、と顔を赤らめる青年の背を押しながら、番の猟犬達は自然と表情が和らぐのを感じていた。戦いは終わり、世界は朝を迎えた――彼らが開いた道を行くのは、次の世代の若者達なのだ。


「えっちゃんが食べれるようになったから、色々挑戦できるな」
「好き嫌いのない良い子だよ。成長したでしょ」
 色違いのヴルストを食べさせ合って、エトヴィンとウーリがにひひと笑う。そんな二人を一歩後ろで眺めて、ヴィルベルは呆れたように吐息した。
「好き嫌いがないなんて味覚の劣化だよ。大体『肉、酒』ってそんな蛮族のお頭みたいな」
「はいベルちゃんも、あーん」
「!? ちょ、アルハラはやめ――あ゛ーん゛!」
 不意打ちに注ぎ込まれる酒にヴィルベルが濁った悲鳴を上げるのを聞きながら、ウーリはくつくつと喉を鳴らした。その手中のグラスには、真っ赤なベルリーナーヴァイセが揺れている。
「甘いもん好きやろ、慈悲やで?」
 木苺のシロップを使った麦酒は、甘いけれどもしっかり酒だ。瞬く間に紅くなったヴィルベルに、エトヴィンは腹を抱えて笑った。
 彼らの繋がりは天上に輝く星と同じだ。こんな軽口もじゃれ合いも、出会ったばかりの頃から何一つ変わらない。星に願うまでもなく、この三人でなら変わらぬ未来を紡いでいけるとそう思った。
「レーヴィス、お疲れ様!」
 会場の片隅に見知った顔を見つけて、アラタは抱えた紙袋から温かい林檎のフリットを差し出した。貰っていいのと訊き返す青年に、勿論と笑う顔が眩い。
「さっき、マウルタッシェを食べてきたんだ。とても美味しかった♪」
「それは何より」
 故郷の味を誉められて悪い気はしないのだろう、青年の口元が微かに緩む。見上げれば風に踊る笹と短冊の向こうには、静かな夜空が広がっている。
「なぁ、良かったらレーヴィスのお薦めグルメを案内してくれないか?」
 瞬く星の数ほどの出逢いの中で、交わった縁に感謝を込めて。背筋を伸ばして笑う少女に釣られるように眉を下げ、レーヴィスは言った。
「じゃあ、とっておきを教えてあげる」
 夏のドイツに欠かせない、アンズタケのスペシャリテを。
 七夕祭の夜は、まだ始まったばかりである。
「オクトーバー・フェストもかくやの賑わいだな」
 会場を取り巻く温もりに相好を崩し、リューディガーとチェレスタは顔を見合わせる。この国に生まれた二人にとって、今宵の祭はいわば凱旋だ。笑顔と平和――彼らが真に護りたかったものが、今確かにここにある。
(この力に目覚めた頃は、まだ十代だったのに)
 戦いの日々の中で大人になり、大好きな人と結ばれて。今の彼女を見たら、家族はなんと言うだろう?
 見上げる空に父母の顔を重ねていると、大きな手が肩を抱いた。
「え?」
「チェレスター! 愛しているぞー!」
「ちょ、そんな大声で」
 空になったビアグラスを掲げる、夫の顔が赤い。それとは違う理由で赤面して、妻は抱き締める腕に顔を埋めた。少し恥ずかしいけれど、それ以上に嬉しいのだ。
「ありがとう、ルーディ」
 私もよ、と囁く声は、祭の喧騒に融けていく。
「懐かしいな、この味! ほら、悠もどうだ」
「シェアかね、よかろう」
 ジャムを包んだクラプフェンは、久方ぶりの故郷の味だ。少年のように瞳を輝かせるハインツに、悠は口角を上げて応じた。お返しにと差し出したカリーヴルストはカレー粉とケチャップに塗れて見た目こそ宜しくないものの、味は折り紙付きのベルリン名物である。
「君は」
 隣を歩く男の長身を愛しげに見上げて、白猫の娘は言った。
「君の目指したヒーローになれたのかい?」
「……どうだろ」
 クラプフェンの残りを口に押し込んで、ハインツは周囲を見渡した。そぞろ歩く祭の会場は人々の笑顔に溢れている。ヒーローに憧れ、研鑽を重ねた二人が戦いの果てに掴み取った平和は、もはや何者にも脅かされることはない。まだ実感は湧かないが、今はその事実だけでも十分だろう。


「異国でも星空見上げるナンてオレららしくてイイね」
 石段に腰掛け空を見上げて、キソラが言った。見慣れぬ街の屋根を背に見覚えのある笹と短冊が揺れる空には、なんとも不思議な心地がする。宇宙へ飛び出した彼らでさえ知らない空が、この星にはまだまだ幾らでもあるようだ。
「オリヒメとヒコボシもドイツ語で愛を語り合っているんだろうか」
 なんだか不思議と、アガサは天に瞬く星の河を仰ぐ。その隣ではティアンもまた、吸い込まれそうなほど真っ直ぐに夜空を見つめている。
「南半球と北半球、とか。場所によって空の星は違うらしい」
 だから、とティアンは言った。
「空団座というのはどうだろう」
 その時、その場所にいる人々で、好きな星を結んで星座にするのだ、と。
 イイなそれ、と笑ってキソラが応じた。
「じゃあオレはその時一番明るい星」
「あたしは、あれにしようかな。小さいけど、キラキラ光ってるやつ」
 二人が指差す先にある輝きを眩しそうに見つめて、ティアンは微かな笑みを浮かべた。この先彼らがどこへ行こうとも、同じ夜空を見上げる限り、一夜の星座は彼らを繋いでくれるのだろう。
「今宵の空なれば、彦星と織姫とやらも無事に出逢えたじゃろうの」
 宝石を鏤めたような空を見上げて、うつほが言った。嬉しそうなその笑顔はいつもより少し幼く見えて、カノンは瞳を細める。
「お主は七夕の願い事など考えておるのかの?」
「願い? ……ふむ」
 教えられた七夕の物語を胸の中で紐解きながら、うつほは首を捻る。そして、暫し考えてから応じた。
「いつまでも睦まじく振る舞う様を見ていたいのう」
「彦星と織姫が?」
 思いがけない答えに、カノンは小さく吹き出した。年に一度の七夕で他人の幸せを願うなんて、いかにも彼女らしい話だ。
「戦いのない空って、綺麗ね」
 広場の中心から少し離れてコンツェルトハウスの石段に腰掛け、エヴァンジェリンは空を仰ぐ。膝の上では先程仕入れたブラートヴルストとドーナツが好い匂いを放っている。
「リアはこれからどうするの?」
「お医者様になるお勉強をするのよ。お母様を治してあげるのが、ずっと目標だったから」
 旬のベリーを煮詰めたローテグリュッツを一匙口に運んで、アゼリアが言った。平和のその先の夢を見据える瞳は、夜空の星のように輝いて見える。
「エヴァ姉様はフランスに帰っちゃうの?」
「……アタシはまだ決めてないの。だから、暫くは日本に居るわ」
「本当!?」
 じゃあ、また一緒に遊べるのね――と、満面の笑顔でアザリアは応じる。釣られるように笑って、エヴァンジェリンは言った。
「ええ。皆へのお土産も考えないとね」
 『次』を誓う約束は、明日を生きるための勇気をくれる。食べる物を食べた後は、雑貨を探しに戻るのもよいのかもしれない。
「すまんな、祭りを楽しみたかったか?」
「いえ、静かに星を見上げるのもまた良いかと」
 そう柔らかく微笑んで、志苑は気づかわしげに蓮の背に手を添えた。祭の熱にあてられて少々参っていた蓮だったが、会場の中心を離れて一息つくうちに、顔色も随分と良くなったようだ。
「蓮さんは何か、願い事はありますか?」
「もう叶っているから、これ以上を望むのは贅沢だろうな。……でも」
 それでも、望まずにはいられない。
 体温の戻った手で志苑の指先を取り、青年は言った。
「ずっと、俺の隣に居てくれ」
 真っ直ぐに見つめる瞳と言葉は余りにも真摯で。瞬きをするのも忘れて、志苑は言った。
「私の心は決まっております」
 嬉しい時も辛い時も、どんな時でも愛しい人のその隣に。
 永遠の誓いを見守るように、青笹は穏やかな葉擦れを奏でている。


「ねえ、シズネは何を願ったの?」
 ドイツ大聖堂の傍ら、揺れる笹に短冊を吊るして、ラウルは隣に立つ人を見やる。
 戦いに赴く時はいつも不安だった。彼を喪ってしまうのではないかと、もしものことを考えると堪らなかった。けれど脅威が去った今、世界を照らす星空はこれまでよりも優しい彩を湛えて見える。
「願うのもいいけどな」
 努めて静かな声色で、シズネは言った。
「オレは自分で叶えることにする」
 笹の葉に伸ばしかけた手を下ろし、隣り合う指をそっと捉える。
 最期の瞬間まで、共に在りたい。
 彼の傍らに立つのは、自分だけでいい。
 そんなどうしようもなく欲張りで、我儘で、なのに宝石のようにきらきらとした想いは、口にこそ出さなくとも伝わっている。
「願い事、叶うといいね」
「きっと叶うさ」
 それも多分、そう遠くない未来に。
 つないだ手の指をしっかりと絡めれば、伝わる温もりが愛おしい。そうして佇む二つの人影のすぐ脇を、大きな影が駆け抜けていく。
「あ~だいじょうぶっすよう」
 困ったように眉を下げ、ベーゼが言った。気の優しいウェアライダーの肩には、一人の幼子が乗せられている。
 事の起こりは数分前、ベーゼが意気揚々とヴルストに齧りついていた時のことだ。ミミックに尻尾を摘ままれ、悲鳴を上げて振り返った先に迷子がいて――放っておけるわけもなく、今に至る。
「タナバタは、オリヒメとヒコボシが逢える日っす。だからキミも家族をちゃあんと見つけられるっすよ!」
 幼子の不安を払うように、優しい熊は笑った。行く道の先は、かのウンター・デン・リンデンへと続いている。
「おぉー、あれがブランデンブルグ門!」
 ジャンダルメン広場を出て、二十分ほど歩いただろうか。満たされた腹も少しこなれてきた頃、ライトアップされたベルリンのシンボルを遠目に見つけ、摩琴は感嘆の声を上げた。隣を行く暁人と二人、更に歩いて河沿いの緑地へ足を踏み入れれば、街の中よりも星の光がよく見える。
「いつまでもこうして、一緒に居られたらいいね」
「そうだね。……俺も同じ気持ち」
 何千年、何億年、変わらずに夜を照らし続ける、あの星空のように。
 繋いだ手を軽く握り返して、暁人は穏やかに笑った。星明りの落ちる道に影を引き、青に沈んだティアガルテンの森に沿ってただ、歩いていく。
「カイザーヴィルヘルム記念教会の塔は、壊れたままにしてあるそうだね。僕らだったら、ヒールで直せちゃうけれど」
 木々の梢を見上げて、ジェミは言った。
「直さない、って言うのも一つの在り方だなって思うよ」
 傷ついたり、壊れたり。そんな歴史の上に今があるということを、形あるものは教えてくれる。思い返せば今日まで色々なことがあったけれど、彼らが紡いだ日々もいつかは歴史になっていくのだろう。
「重いですネ、歴史とハ」
 繋いだ手に力を込めて、エトヴァが微笑った。
「君と共に戦えたこと、そして日常を過ごせること。光栄に想いマス」
 星の降りそうな静寂の小径、見上げる宇宙へ二人で一つの願いを懸けて。歩む道の遥か先には、崩れた尖塔の黒い影が見え始めていた。

作者:月夜野サクラ 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2021年7月14日
難度:易しい
参加:39人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 5/キャラが大事にされていた 3
 あなたが購入した「複数ピンナップ(複数バトルピンナップ)」を、このシナリオの挿絵にして貰うよう、担当マスターに申請できます。
 シナリオの通常参加者は、掲載されている「自分の顔アイコン」を変更できます。