花の下にて眠るは

作者:秋月諒

●薔薇の淑女、或いは七つの——
 甘く、零れた花の香りは薔薇に似ていた。強く吹いた風が夕暮れ時の空の雲を散らしていく。晴れ渡った空が赤く染まっていく姿にローレライ・ウィッシュスター(白羊の盾・e00352)は足を止めた。
「また、明日が来るね」
「♪」
 ぴょん、と跳ねて応じたのはシュテルネだった。ジャンプ一つ、少しばかり大きく跳びすぎたのか風に攫われそうになってわたわたと手を伸ばす。慌てて手を伸ばした先、もこもこの服と一緒に腕に飛び込んできたシュテルネに、ふ、と笑ってローレライは赤く——ただ、夕暮れに染まる空を見た。
「……うん、明日」
 願うように、祈るように、己の全てをかけて戦ってきた。認めてくれたそのひとに、敬意を持って戦って、そうして戻ってきて。
「……」
 ただ、穏やかな気持ちで空を見上げることがこれから先、もっと増えるのか。世界を救った後に見る夕暮れなんて、流石にもう無いのか。意外と、そんなに無いなぁ、と思うのか。
「そろそろ、星が見えるね」
「——えぇ、一番最初に輝く星を見つけたひとに教えてもらおうかしら」
 ふいに甘く、蕩けるような声が響いた。
「——」
 誰だ、と低く問うより先にローレライは息を吸う。気配は無かった。視界にも捉えられてはいない。それなら——目で見た情報よりも、気配を拾う方が強い。通りの木々、その影、違和を拾い上げるようにピンク色の瞳が一点を見据えた。
「貴殿は、何者だ」
 静かに少女は問う。夕暮れを眺め、ほう、と息をついていた娘の姿とはまるで違う。炎剣の騎士の声音は来訪者の笑みを誘った。
「何をそんなに警戒しているの? 私はただ、知りたいだけよ」
 くすくすと笑う声と共に、甘い花の香りが強くなった。通りにあった薔薇園の花が一気に散る。来訪者の歩みか、或いは吹き抜けた風がそれほどの力を持っていたのか。
「痛みというものを」
「痛み……」
 最初に見えたのはほっそりとした女の腕であった。次いで金色の髪が揺れる。純白のドレスに薔薇の鍵を抱いた女の胸元には花畑の如く鮮やかなモザイクが見えた。
「えぇ、痛み」
 ドリームイーターはくすくすと笑い、白いグローブに包まれた指先で薔薇園の一振りに触れた。つぷり、と薬指に棘が刺さったのか、或いは零れ落ちたのはドリームイーターの見せた幻覚の類いか。次の瞬間には、棘そのものがばらばらと地に落ちる。
「私は痛みを感じないのよ。だから教えてもらおうと思ったの」
 この先には人の声がするでしょう、とドリームイーターは告げる。
「か弱い人間は痛いときにどんな悲鳴を聞かせてくれるのかしら」
 ほう、と零れる息は甘く倒錯に似て、来訪者は『こえ』を求める。悲鳴という人の声を。
「泣くかしら、叫ぶのかしら。それとも命乞いするのかしら」
 くすくすと笑い、踊るように身を回し来訪者はローレライに告げた。
「ふふ、ふふふふ。ねぇ、ご存じかしら?」
「……知っていたとして、この地から先に通すと思うか」
 前に、一歩出る。踏み込みは行かせぬと告げる為。痛みを知らず、故に知りたいと告げる女は——封じられた瞳の下で、その気配に笑みを混ぜた。
「それなら、貴方が見せてくれるのかしら。騎士様。あぁ……そう、そうね。貴方の後に、か弱い人間たちに聞くのも良いわ」
 まずは、と来訪者は薔薇の鍵を抱く。周辺の空気が歪み出す。花の——薔薇の香りが強くなる。
「貴方の胸に七つの剣を刺しましょう? 痛みで満たして、そうしてこのドローレスに教えて?」
「……」
 狂気か、狂乱か。或いはそれ以外があるのか。
 ローレライは真っ直ぐに来訪者を見据え、剣に手をかけた。
「痛みを聞かせて、響かせて私に痛みを教えて頂戴!」
 その、こたえを!

●花の下にて喪うは
「皆様、お集まり頂きありがとうございます。急ぎの案件です」
 レイリ・フォルティカロ(天藍のヘリオライダー・en0114)はそう言うと、集まったケルベロス達を見た。
「ローレライ様とがデウスエクスの襲撃を受けることが分かりました。敵はドリームイータです」
 ですが、とレイリは言葉を切った。
「連絡が取れません。恐らく、既にデウスエクスと出会っているものかと思います」
 最早、一刻の猶予も無い。
「どうか皆様、ローレライ様とシュテルネ様が無事なうちに向かってください」
 戦場は薔薇園を持つ大きな公園だ。広場の一角が戦場となっているだろう。
「敵は一体、ドリームイーターです。薔薇の鍵を抱き、花のようなモザイクを胸に持っています」
 ドリームイーター・ドローレスは痛みを感じない、と言う。それ故に、聞きたいというのだ。
「悲鳴を、声と告げて。人間が痛みを感じるときにどんな悲鳴を聞かせてくれるのか、と」
 レイリはそう言って顔を上げた。
「ローレライ様と、ドローレスの間に何があるのかは分かりません。ですが、戦われているかと」
 ドローレスの攻撃は、薔薇の鍵を使っての薙ぎ払い、周囲を満たす薔薇の花びらを用いての爆発、そして召喚された七つの剣を用いての攻撃だ。
「炎の他に、武器封じの力を持ちます。その能力から、ジャマーかと」
 戦場となる広場は巨大な五芒星の形をしている。周りに障害物も無く、問題無く戦うことができるだろう。
「薔薇園にも連絡は済んでいます。一般市民が巻き込まれるようなことはありませんが、念のための避難指示もお任せください」
 だから、何よりも早く合流して欲しい、とレイリはケルベロス達に告げた。
「ローレライ様のこれからの、未来の為にも。迎えに行きましょう」
 皆様に、幸運を。


参加者
セレスティン・ウィンディア(穹天の死霊術師・e00184)
シル・ウィンディア(鳳翼の精霊姫・e00695)
愛柳・ミライ(明日を掴む翼・e02784)
オイナス・リンヌンラータ(歌姫の剣・e04033)
エヴァリーナ・ノーチェ(泡にはならない人魚姫・e20455)
エトヴァ・ヒンメルブラウエ(フェーラーノイズ・e39731)
リリエッタ・スノウ(未来へ踏み出す小さな一歩・e63102)

■リプレイ

●白羊の盾
 甘く、噎せるような花の香りと共に空に光が落ちた。喜悦と共に笑う女の指先が、空に力を集めていく。
「――シュテルネ」
 短く告げたローレライ・ウィッシュスター(白羊の盾・e00352)と共に、テレビウムのシュテルネがぴょん、と一度後ろに跳ぶ。取り直した間合い。迷いなく握った剣を鞘から抜き払う。ゴォオオ、と燃え盛る炎が夕暮れ時の世界にその存在を告げる。
「貴殿に此処は抜かせない」
「ふふ、いつまでそう言っていられるかしら? あぁ、それともこのドローレスに教える為に自ら傷ついてくれるのかしら? それなら――……」
「それなら、傷つけるというのですか」
 ひとつ、届いた声がドローレスの言葉を切った。その声に、ローレライが顔を上げる。足音一つ、黒髪と共にバンダナが夕焼けの差し込む公園に揺れた。
「ロー」
 オイナス・リンヌンラータ(歌姫の剣・e04033)だ。真っ直ぐに敵を見据えた騎兵と共に、プロイネンが身を起こす。唸るように一度、顔を上げたオルトロスの背に影が落ちた。
「これは……、まさか上に?」
「宵闇を切り裂く、流星の煌めきを受けてみてっ!」
 いるよ、と告げる代わりに夕暮れの空を少女は舞う。流星の煌めきを纏い、くる、と空でシル・ウィンディア(鳳翼の精霊姫・e00695)は身を回す。落下の勢いさえ利用するように一気に身を――落とした。
 ガウン、と重い音と共に、一撃がドローレスに落ちた。ぐらり、と魔鍵を抱く相手を視界に、ローレライは仲間の姿を見る。足音高く、訪れを告げるように、共に戦う為に紡がれた力を見る。
「皆……」
「ええ。ここを通す訳には参りませんネ。ローレ殿、参りまショウ」
 涼やかな声ひとつ、 エトヴァ・ヒンメルブラウエ(フェーラーノイズ・e39731)が告げる。銀の瞳は静かに眼前の相手を見据えていた。瞳を眼帯で封じられていても状況は掴めているのだろう。辿りついた自分達の足音に、ドローレスは笑っていた。
「そう、お友達が来たのね。あぁ、それなら誰から私に聞かせてくれるのかしら!」
 滲む喜悦を隠すことなく、ほっそりとした白い腕をドローレスは差し出す。掌にひらりと一枚。薔薇の花びらが現れ、次の瞬間、戦場を満たした。
「炎はいかが?」
「――来るのです!」
 愛柳・ミライ(明日を掴む翼・e02784)が警戒を告げるのと、花びらが炎に変じたのは同時であった。炎の花びらが前衛の立つ一帯を焼き尽くす。
(「これハ……」)
 痛みより強く熱を感じる。肌の焼ける感覚が抜けない。
「大丈夫?」
「えぇ。ですガ、この炎は厄介そうですネ」
 エヴァリーナ・ノーチェ(泡にはならない人魚姫・e20455)の言葉に頷いて、エトヴァは前を見た。最も、相手がジャマーである以上、覚悟はしている。だからこそ、選ぶのはこの戦いを支え、護り固める為の一手。
「星辰の息吹、煌めき燈し、夜に纏わる――」
 澄んだ声が緩やかに紡ぎ上げる。満天に煌めく星々の加護を招く歌声。誘うように願い請うように伸ばされた手が夜へと向かおうとする空から加護の光を齎す。
「悲鳴よりも良いものを聴かせまショウ」
 紡ぎ落とされた癒やしは前衛に。緩やかな風と共に描かれた守護と共に傷が癒えていく。
「……」
 一人では無いのだと、そう思う。自分を呼ぶ皆の声に、一度だけ息を吸って――前に、出た。足先に宿るは星のオーラ。踏み込みは射線を得る為。
(「みんなで掴んだこの平和を貴殿に崩されてたまるものか! そんなに痛みが知りたくば全力でかかって来い!」)
 そして身をもって味わうがいい。
(「ここに集まってくれた仲間と我が相手仕る! 覚悟はいいか!」)
 キィン、と甲高い音を響かせて星型のオーラが走る。光り輝く力と共にシュテルネの一撃がドローレスに届いた。

●痛みの在処
 光が――爆ぜた。衝撃に、僅かにドローレスが蹈鞴を踏む。ぱたぱたと流れた血が、痛みを感じないと告げる女の笑みを誘った。
「ふふ、私を傷つけても意味は無いのよ? 私は痛みを聞かせて欲しいの」
「……痛みを知らなかったら、薔薇の美(よ)さはわからないのです。教えてあげる」
 ううん、とミライは緩く首を振る。
「……大事なことだから、あなたは痛みを絶対に知らなきゃいけない。けれどローレライちゃんを傷つけて知る代償は、大きいですよ……!」
 空に手を掲げ、招くは竜の砲撃。高い命中力と共に狙いを向けたミライにドローレスが顔を上げる。
「あら、貴方が先に悲鳴を聞かせてくれるのかしら?」
 向けられる魔鍵。攻撃の邪魔をするつもりか。だが、その手に影が落ちた。
「むぅ、悲鳴を聞きたいとか……そんな勝手な理由でリリの友達を襲うなんて許さないよ!」
 声は、空から響く。
 リリエッタ・スノウ(未来へ踏み出す小さな一歩・e63102)だ。地を蹴り上げ、流星の煌めきと共に空にあった娘が己が影の下にあるドローレスに告げる。
「ローレもシュテルネも絶対に守って見せるよ!」
 誓いと共に身を――落とす。ガウン、と重く落とされた脚と、ミライの竜砲が重なった。
「――まぁ」
 衝撃は、衝撃として受け止めるのか。軽く身を浮かせたドリームイーターが、モザイクを零す。痛みそのものは本当に感じていないのか。流れた血を己で踏み、魔鍵を手にドローレスは笑う。
「貴方方がどんな悲鳴を聞かせてくれるか、私は知りたいというのに。意地悪な方々ね」
「どんなに他人に痛みを与えて悲鳴を聞いても痛みを知ることは出来ないよ」
 エヴァリーナは静かにそう告げる。癒やし手として立った娘は、戦況をその目に確りと捉えながら癒やしを紡ぐ。
「星の雫を纏いて生命を歌う、風と光に舞う薄羽、小さき友よ。水面に落ちる花弁の様に祝福のキスを降らして……」
 足元に描いた魔法円から癒やしの光が舞う。前に立つ仲間達に身を守る紗幕を紡ぐ。
「千鷲くんもキュアフォローよろしくね」
「仰せのままに」
 応じた三芝・千鷲(ラディウス・en0113)と共に、エヴァリーナは前を見た。此の戦い、ただ勝つ為のものではない。
 ――痛みを、教える。
 きっと、そういう戦いになると誰もが思っていたから。
「助けにきた誰かが「痛い」ときっとローレライちゃんも「痛い」から。誰の「痛い」も治しきって皆で笑顔で一緒に帰ろう」
 今日この日で、世界を終わらせない為に。明日をまた生きていく為に。
「ふふ、騎士様のお友達は皆苛烈ね。それとも、あぁ、騎士様の目の前で……」
「私の大切な人になんの用?」
 滲む喜悦を黒衣の娘が断つ。
 セレスティン・ウィンディア(穹天の死霊術師・e00184)の声が静かに落ちた。口元、浮かべられた微笑こそ変わらずに――だが、冷えた瞳は大切な友を傷つけたドローレスへと向けられていた。
(「感覚鈍麻? 痛みが知りたい? それはどんな痛みですか。出血、炎症、凍傷、毒とか後……心の痛み。なんか哲学めいた質問ね、頭痛くなってくるわ」)
 ローレライを狙い、求めた以上彼女から聞く悲鳴さえドローレスは望んでいるのか。
(「よりによってローレに教えてもらおうなんて、ある意味見どころがあるわね!」)
 唇を一度だけ引き結び、セレスティンは己に加護を紡ぐ。魔法の木の葉と共に、その力を引き上げて夜を知る娘は夕暮れの先を見る。長く伸びた影が、茨に変じる。ドローレスの力か。
(「侵食……いいえ、影そのものには力は感じない」)
 滲む力が齎したものか。空を真っ赤に染める夕陽がゆっくりと落ちていく。長く伸びたその影を、だが構わずにオイナスは踏んだ。
(「痛み、ですか。難しいのです」)
 確かによく考えると擦りむいた傷と切り傷では痛み方が違う。痛みにも感じ方にも差があって、それを単純に伝えるのは難しい。けれど――伝えようと、しているのなら。
「行くのです」
 間合い深く、踏み込んだオイナスの抜刀にドローレスが身を逸らす。月光の刃が空を切り、返す一撃が空に描かれた。
「そう、悲鳴も聞かせてもらいたいの。痛いときにどんな声を聞かせてくれるのか!」
 生じるは七本の剣。金色の刃がオイナスに向かって撃ち出される。避けるには間に合わないか。受け止めるようにオイナスは刃を構える。――だが、その視界に金色が舞った。
「ロー!」
「言ったはずだ」
 金色の刃が、地に落ちた。カラン、と鈍い音を立て光になって消える。足元、ぱたぱたと零れる血は盾として受け止めたローレライのものだった。
(「大丈夫」)
 今は、振り返って告げることは無く。けれど心に確りと思いを抱きながらローレライはドローレスに剣を向けた。
「貴殿に、抜かせはしないと」

●心の所在
「そう、それなら……」
「んっ、させないよ」
 追撃の気配に、リリエッタは前に出た。身を飛ばすように地を蹴る。一歩、二歩、三歩目、踏み込みより先に銃口を挙げる。
「そんなに痛みを知りたいならリリがズタズタに切り裂いてやるよ!」
 撃鉄を引けば、装填されるはグラビティを圧縮した弾丸。
「影の刃よ、リリの敵を切り裂け!」
 撃ち込むは敵の足元に。あら、と笑みを零したドローレスが、ひゅ、と息を飲んだ。
「これは……」
 地面より浮かび上がったのは影の刃。まず見ることは敵わない力がドローレスを引き裂いた。
「――ぁ」
 小さく息が零れる。それが自分でも何を意味しているかドローレスにも分かってはいないのだろう。僅か首を傾げた敵にローレライが迷わずに踏み込む。
「……」
 告げる言の葉は無いままに、低い踏み込みはドローレスの影を踏んだ。間合い深く、沈み込んだ騎士にドローレスが魔鍵を構える。ギン、と鍵と炎の剣がぶつかり合い――だが、そこにあと一つの力が届く。
「あなたに呪いの祝福を」
 掲げしは背骨の王笏。黒衣の女が誘うのは冥界へと繋いだ空間より羽ばたく無数の羽ばたき。ワタリガラス達はセレスティンの指先が示すが侭、ドローレスへと向かった。
「痛いのはごめんだけれども、伊達に喪に服してたわけじゃないのもう十分味わった。心の痛みも、友達の痛みも」
 羽ばたきがドリームイーターの傷を広げる。揺れる黒衣をそのままに、冥界の声を聞きながらセレスティンは告げた。
「あなたは今更それを求めてどうしようって? 私の大切な友達をこれ以上傷つけることを私は許さないわ」
 敵には一切の容赦を見せずに、けれど行く友の支えとなるように。ギン、とローレライの刃が魔鍵を払い、刃がドローレスに沈む。
「……」
「ふふ、あぁ、変な、感じだわ」
 一撃にドローレスは蹈鞴を踏む。その身には既に多くの傷が刻まれていた。ドレスは血に濡れ、魔鍵もひび割れ――だが、それでもドローレスは笑う。零れ落ちた笑みに滲む喜悦は変わらぬまま、魔鍵を振るう。
「あぁ、でも私ばかり貰っては申し訳ないもの。貴方達の悲鳴を、私聞いてみたいわ!」
「……! 後ろに来るわ、気をつけて」
 空気の震えにエヴァリーナは不可視の刃に気がつく。後衛を一気に薙ぎ払うように放たれた力に盾を担うローレライとエトヴァ、そしてサーヴァント達が動く。重ね届いた癒やしは駆けつけたジェミや括のものだった。レヴィンもバラフィールもまた、ローレライが心配で駆けつけたのだ。
「真に痛みを知る者ハ、誰かに痛みを強いたりはしナイ。……知らぬ事を理由に痛めつけてはならナイ」
 静かにエトヴァはそう告げた。己の傷を今は置いて、戦い続けるための癒やしを紡ぐ。
「『痛み』とはそういうものデス」
 そういうものだと、エトヴァは知っている。知って来た。
「……傷つけさせまセン」
 見せるならば痛みの対極を。大切な仲間たちを護る為に――唄う。
 歌声は傷を癒やし、制約を先に払う。そう、ドローレスの攻撃と共に来る数多の制約をケルベロス達は祓っていた。
 剣戟と炎の中、戦いは加速していた。
 舞い踊る花びらが再びの爆発を起こし、だがその熱の中、飛び越え払うようにケルベロス達は行く。長期戦となった戦いに少なくは無い傷を負いながら、それでも誰一人倒れる事無く。相手が得意とする術を、術式の本来の力を受け止めて尚――祓う。その戦場を、紡ぎ上げたのだ。
「痛いのはヤだけど、体の異常を察知する重要な危機感地システム。痛みを知らないのは危険だよ。「痛みを知らないのは危険だよ」
 前に立つ仲間へ力となる癒やしを届けて、エヴァリーナはそう言った。
「自分の状態分かってる?」
 痛みを知らないのか、知れないのか分かりはしない。出来るのはきっと、伝えることだけだ。
(「痛みを……。きっと誰より失敗してきたケルベロスだから、痛みも少しは知ってるの」)
 ミライは息を吸う。前を見れば踏み込むローレライの姿があった。傷だけの背に、一度唇を引き結ぶ。癒えた傷があるのも分かってる。それでも――こんな時でも、盾であり続けるのがローレライちゃんらしい、と思うのだ。同時に、彼女が傷つくのを防ぐ手立てが無いことを思い知りながら。
「なら、せめて、傷つくのは私達だけで終わりにしよう」
 ぽつり、と呟いたミライにシルも頷いた。
「うん、ここで」
 行こう、と告げる声が重なった。重力の鎖の縛られた少女の歌が、柔らかに甘く響く。両の手を伸ばすように誘うようにミライは唄った。
「約束したでしょう? ずっと一緒だって 私を連れて行ってくれるって」
「これは……何? 私の邪魔を……」
「うん、邪魔はする。不幸を、悲劇を増やそうとするあなたはここで止めさせてもらうよ」
 真っ直ぐに告げたシルが六芒増幅を展開する。
「それに、痛みは肉体的なものだけじゃない、心の痛みもあるの。人は、心の痛みを知って優しくなれるの」
 それを感じられないのは……可哀想なのかもしれない。
「六芒精霊収束砲……わたしの最大威力の魔法! 痛いって感じることできるかなっ!」
 詠唱を唇に乗せ、一気に前に出る。響き渡る歌声を聞きながら、共に駆けるのはオイナスだ。
「修行の成果……見せてやるのです!」
 それは揺らがぬ炎と、砕けぬ氷の二刀による斬撃。切り上げた刃が、ドローレスの構えた魔鍵にぶつかる。だが――刃は舞うように刀身を滑った。
「今なのです!」
「うん!」
 シルの放つ光が行く。全てを撃ち抜く力として魔力砲が――戦場を貫いた。

●騎士と薔薇
「ふふ、あぁ、もうこんなに汚れてしまったわ」
 細い体が揺れていた。ドレスを血に濡らし、熱に焼かれた肌をなぞるようにして――だが、ドローレスは微笑んでいた。
「痛みを聞かせて、響かせて私に痛みを教えて頂戴!」
「――……」
 その声に、叫びにローレライは身を前に跳ばす。だん、と踏み込みは重く。前に出た騎士にドローレスは笑った。
「さぁ、騎士様!」
 瞬間、空に溢れた光が剣へと姿を変える。薔薇の紋章より、落ちるのは七本の剣だ。
「あなたの心を引き裂いて、悲鳴を聞かせて」
「私が」
 肩口、抉るように行った一本に、だが騎士は倒れない。揺らぐ体を進む一歩で支え、ぐん、と顔を上げ——前に、出る。迫る剣に、ローレライは己の剣を振り上げた。
「——あ」
 炎が空に舞った。金色の剣を払いしは燃え盛る剣。偉大なる騎士が遺した一振り。受け継いだ剣。
「……」
 ――ずっと、多分、そう、自分にしては珍しく怒っていたのだ。ドローレスの言葉に、在りように。或いは――それ以上の何かに。
 心の裡など知れぬまま、だが求めるものだけは、分かる。
『私に痛みを教えて頂戴!』
 あれは、答えを探しているように聞こえたから。だから――……。
「貴殿に教えよう、本当の痛みを」
 痛みを与えるのではなくて、教える。
 鋒を、騎士は向ける。偉大な父の跡を受け継ぐ決意を決めた日に形見になった剣を強く握り高らかに告げた。
「もっと、喝采を!」
 キィン、と高く澄んだ音色を響かせて天使の彫刻が刻まれたアームドフォートが変形し、騎士は翼を得る。周囲のグラビティチェインをチャージし、光と共にローレライの見据える先へと力を――放った。
「これが、こたえだ」
 世界に光を呼ぶように、高威力のエネルギーキャノンがドローレスに放たれた。ゴォオ、と駆け抜ける光が真っ直ぐにドリームイーターを貫いた。
「あ、ぁあ……」
 モザイクが揺れる。
「これが……い、た……み、あぁ、この感覚が……私の知りたかった、こたえ……」
 瞳を覆う布が焼け落ちる。痛みを知ったドリームイーターの瞳はローレライを捉え、ほんの少し感謝を紡ぐような色を残して色彩を落とす。ぐらり、と身を倒し、淡い光に包まれるようにしてドリームイーター・ドローレスは倒れた。

 淡い光が夜の街を照らしていた。ヒールを受け、薔薇園の柵も元に戻っていく。
「来てくれてありがとう、みんな」
 みんながまた穏やかな一日を過ごせるように、そう祈りながら癒やしを紡いで、ローレライは皆に笑みを見せた。
「んっ、ローレが無事でよかった」
 こくり、と一つリリエッタは頷く。
「ローは大丈夫ですかね。痛いところとかないですか?」
 そっと傍らに立って、オイナスはローレライを見た。
(「……痛みを知りたい、かぁ。他人の事を思いやれる相手だったらなぁ」)
 彼女のように、とそう思う。瞬きの後、小さく首を傾げた彼女に、いいえ、と一つ告げる。
「大丈夫ですかね」
「うん」
 微笑んでローレライは頷いた。手にした剣と、戦い抜く日々と、何でも無い日々を共に過ごした仲間達と共に。新しい明日へ、向かって。

作者:秋月諒 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2021年7月18日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 5/キャラが大事にされていた 4
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