旅館でゆっくりしたいの!~ソニアの誕生日

作者:寅杜柳

●今年の誕生日は
 六月初頭。
「今年は何をしよっかなー」
 自宅への帰り道、ひとり呟く金色のドラゴニアン少女、ソニア・コーンフィールド(西へ東へ・en0301)はぱたぱた翼を羽ばたかせながら考え込んでいた。
 今年の誕生日は土曜日、折角だから土日を使って遺跡探索とか密林探検だとか遠出してみたいところだけれども、ここ最近の大変な情勢を考えると中々踏み出しにくい所だ。
「なんかこう、海より山! な気分だけどキャンプは何かしっくりこないかなー……」
 やりたい事が多すぎて逆に悩んでしまうお年頃、そんな彼女の目に留まったのは町の掲示板の一枚の張り紙。
「竜の温泉の旅館……綺麗な紫陽花……川の幸……これよさそう!」
 旅行の宣伝の張り紙をじーっと読み込んだソニアは、善は急げとばかりに連絡先をノートに書き出してうきうき跳ねるように家へと帰っていった。

「というわけで今度の土曜日、ちょっとした旅館に行ってみない?」
 とてとて走ってきた黄色い竜人の少女はそんな事を言いだした。
「近場の旅館で日帰りもできるみたいなの! 旅館の周りは静かな庭園が広がってて、紫陽花が今の時期は綺麗に咲いてるみたい。一応予報は晴れだからきっとのんびりお散歩するにはいい感じじゃないかな。それから露天風呂の源泉かけ流しな温泉も有名みたいだねー。なんでも美肌美鱗その他諸々の効能があるんだとか。内風呂もあるけどそっちも源泉は同じだから効能はきっと大丈夫!」
 当然混浴じゃないからそこは注意ねー、とソニアは言う。
「そしてゆっくり温まったあとは旅館の美味しい料理! 川魚が今の時期は美味しいらしくて特に鮎の塩焼きが絶品らしいよ」
 他にはヤマモモのジャムとかも美味しいらしいね、と竜人の少女は付け加える。
「デウスエクスの侵略も大きなのはダモクレスだけになって日々大変だけどもこーいう時こそ休める時に休んで大一番で全力出せるようにしたいよね。よかったら一緒にお休み楽しみたいな」
 そうソニアはにっこり満面の笑顔でケルベロス達に笑いかけた。


■リプレイ

●紫陽花の旅館
 水の月と呼ばれる事もある六月、その合間の僅かな晴天に山間の庭園は紫陽花を鮮やかに咲かせていた。
 庭園に隣接する旅館は立地もあって、十分な広さをしているのが外観からもよく分かる。
「晴れてよかったー!」
 伸びをする金色の竜の少女はソニア・コーンフィールド(en0301)、誕生日の小旅行にわくわくを隠せないようだ。
 そんな浮かれた彼女とは逆に落ち着いた雰囲気の九田葉・礼(e87556)。彼女の興味はちらちらと庭園の方に向いている。
 最近薔薇園を何度か楽しんだこともあるけれど、紫陽花の庭園は花を好む彼女にしてみればまた別物の楽しみがある。
 普段は憂いが滲み出ているような彼女だけれども、少しばかり高揚しているのは間違いない。
 そしてその高揚のままソニアに話しかける。
「ソニアちゃん、お誕生日おめでとうございます」
 普段の振る舞いからか、丁寧でやや控えめな言葉。
「誕生日おめでとサン」
「ソニアさん、誕生日おめでとうございます」
 礼に続きサキュバスの真宮・智秋(e22197)と狼の少年の夜別・ナキ(e86960)が其々祝いの言葉を伝える。
「ありがとねー!」
 誕生日の祝辞に金の竜の少女は満面の笑顔で礼を返す。
 そして礼が可愛くラッピングされた包みを取り出して。
「これ、よかったら使ってみてくれる……かな?」
 開けてみて、と促されてソニアが開けばそこには手作りのポシェット。金地に紫陽花の薄青と紫の綺麗なグラデーションが映えるそれは、手芸を趣味とする礼の手作りだ。
「わあ、有難う!」
 竜の少女の弾けるような満面の笑顔に、礼もほっと一安心。
 そしてチェックインを済ませ、ケルベロス達は各々の旅行の時間を過ごし始めた。

●昼の庭園にて
 荷物を預けた智秋とナキの二人は真っ先に紫陽花庭園へ向かう。
 今年は早めに開花しているのか、六月の初めの紫陽花園は深い緑の葉の上にその鮮やかな装飾花を目立たせている。
 更に昨晩降雨があったのか、装飾花や緑葉に残る水滴は空から降り注ぐ陽光に照らされて紫陽花のグラデーションの上にキラキラと輝いている。
 少し離れた所へ視線を向ければ、和服の女性とビハインドとが仲睦まじく紫陽花を眺めていて、更に別の場所では金の青年と黒猫の青年が楽し気に歩いていた。
「この時期、本当に綺麗だな」
 色も落ち着く紫に淡い赤、それらが入り混じった庭園の風景につい目移りしてしまう智秋。
 そしてナキの方も、遠くで見ても相当なものと感じていたが囲まれてしまえば一層見事な色彩にその口から感嘆の声が漏れてしまう。
 もし都合があったなら幼い弟妹を連れてきて楽しみたい程の風景。
(「いつか見せたいな」)
 そんな事を考えつつ、見事な紫陽花のグラデーションを楽しみながら視線を移していけば、不意に隣の智秋と視線がぶつかった。
 いつもの距離より彼の瞳が近いのは、彼が身を屈めて視線を合わせようとしていたからで。
「……どうしたんですか」
 彼の口を突いて出た丁寧な言い方はまるで本心を隠す防衛反応のよう、その胸の動揺を悟られぬような言葉。
「――あ゛、そういやさァ」
 そんな狼の少年に視線を合わせるよう更に屈み、智秋は言う。
「コイツの花言葉、移り気らしいけど」
 同じ花であっても植わった場所に影響を受け花弁の色を移ろわせる紫陽花の一面を取ったようなそれ。
「お前は余所見せず、ちャンと俺だけ見てろよ」
 そして智秋は真っ直ぐにナキに視線を合わせ、自信に満ちた表情で笑む。
「……俺がよそ見するわけないですっ」
 揶揄う智秋に尾を逆立てついついムキになってしまうナキ、反抗期だからではきっとない。
 そんな彼の様子は智秋には可笑しくて、揶揄うようにはは、と笑って宥めるように黒髪をややぞんざいに撫で掻き乱してやる。
 頭をくしゃくしゃにされてナキの反抗心もふにゃりと解れ、逆立った狼の尻尾もふあふあに戻りゆらゆら揺れてしまう。
「……俺はチアキさんしか見てないですからね」
 上目遣いで見上げそう言ったナキに智秋は目を再び合わせ、ただ見つめる。言葉にせずともその穏やかな視線だけで十分だから。
(「ちャンと知ッてるよ」)
 照れと気恥ずかしさにナキの頬が熱くなる。防衛反応ではない素直な心、それを示すのはどうにも慣れないけれども。
「まァ、また夜にでも来ようか」
 立ち上がり下から覗うように見上げるナキに智秋は言って手を差し伸べる。
 夜の闇に照らされ浮かぶ移り気な花も、また違う表情を見せてくれるだろう、と。
 そして智秋の手をナキは取り、そして二人は旅館へと戻っていく。

●温泉を楽しんで
 そして夕方、礼は静かに内風呂に漬かっていた。
 泉質は露天風呂と変わらないとの事だが、じわりと伝わる熱はとても心地よく息が漏れる程。
 昼の間は手芸の資料を集める為に庭園を隅々まで巡り、咲き誇る紫陽花をスケッチブックに描きとめカメラで撮影していた。
 花好きなのもありじっくりとマイペースに堪能していた礼だけれども、気づかぬ内に疲労は溜まっていたようで。
 露天風呂ならどうなのだろう。少々気恥しいけれども人がいない時なら、と考えながら礼は湯の温かさに緊張をゆっくり解していく。

 一方の露天風呂、女湯。
 二人だけのぷち旅行、紫陽花庭園を存分に楽しんできたマイヤ・マルヴァレフ(e18289)と那磁霧・摩琴(e42383)が次に楽しむのはここだ。
 元気よく飛び出していった竜の少女と入れ替わり、脱衣所に入った二人は湯浴み着に着替える。
 そして掛け湯をしてから体を洗い、そして体を慣らすようにしてゆっくりと温泉に浸かる。
「わあ、自然の中の温泉気持ちいいね!」
 ちゃぷっと肩まで浸かったマイヤが摩琴に言い、
「やぁ~、癒されるね♪」
 摩琴の方もぐぃーっと両腕で伸びをしつつこの温泉を堪能している。
 効能として美肌効果があるとの事だけれど、この気持ちよさは確かに効果がありそうに思えてくる。
 温泉の周りには昼間楽しんだ庭園程の密度ではないけれども、紫陽花の薄紫の花が咲いている。
 空は赤みを帯びた薄暗い色、天頂目指し始めた銀月も合わせてとても綺麗で、のんびりほっこりした気分で楽しめる。
「そう言えば、こんな感じでのんびり過ごすのって、あんまりなかったよね?」
 摩琴がふとそんな事を言って、マイヤも確かにと首肯する。
 他の仲間達と大勢で一緒にどこかに行った事は多いけれど、二人きりで過ごした機会は振り返ってみると少ない。
 一度ばかり、こんな風に二人でゆっくりと時間を過ごしてみたかったマイヤ。
 そんな事を考えるマイヤに摩琴は最初の出会いの記憶を思い返す。
「猫のお屋敷で知り合って、一緒に猫たちと遊んだよね♪」
「そうそう、初めての出会いは猫屋敷!」
 三年ほど前、デウスエクスの襲撃を受けたふれあい猫屋敷のヒールが最初の記憶。
 茶虎の大きな猫がマイヤの膝に居座って中々離れてくれなかった記憶が二人の頭を過る。
「とても懐かしいね」
「あの頃からマイヤはガンバり屋で、いつも一生懸命で……笑顔を見るとほっとするんだ」
 一緒に頑張った仲間で、仲良しなお友達で、そしてお姉さんみたいな摩琴の言葉にマイヤはちょっと照れてしまう。
「んー……でも、結局身長は追い越せなかったなあ、残念」
「ふふ、でもかなり伸びたよね? いつのまにかすごい美人さんになっちゃって♪」
 残念がるマイヤに摩琴は微笑む。
「わたし、少しは大人になれたかな?」
 照れくさそうに笑うマイヤに摩琴は素直に頷いて、
「……ね、髪、洗ってあげよっか?」
 そんな事をマイヤに尋ねた。
「うん、洗ってもらうー」
 そしてマイヤは湯舟から上がって纏めていたダリアの花咲く髪を解く。
 普段ドレッドに纏めているマイヤだからあまり見ない髪を下ろした姿。
 そんな彼女の髪に摩琴は指を通し、丁寧に泡立てマッサージするように洗っていくと、その気持ちよさにマイヤはふにゃりと身を任せたままになる。
「そういえば……」
 泡立つ髪をお湯ですすぎ、マイヤが摩琴に今月の予定は、とふと聞いてみる。
「マイヤ、ボクね、この六月に結婚するの」
 思わぬ言葉にオラトリオは驚き振り返って、
「わわ、おめでとう、女の子憧れのジューンブライドだね!」
「式は身内だけだけど、披露宴は後日するから、来てね?」
 目出度いニュースにマイヤは燥く。
「……幸せになってね。またたまに遊べたらうれしいな」
「うん、もちろん、また遊ぼ」
 マイヤの言葉に摩琴は微笑み応える。
 きっとこれから、二人を取り巻く環境も変わっていくのだろう。
 それでも二人は変わらぬ友情を願い、この一時を共に過ごすのであった。

●夕暮れの庭園を歩く
 夕暮れ過ぎ、ライトアップの始まった紫陽花庭園を散歩する二人がいた。
 日も沈みかけたこの時間の紫陽花は夕の橙と控えめな人工の光に染められ、薄紫と青の花を違った色合いに見せている。
「わ、紫陽花綺麗だなぁ」
 レプリカントのヴィ・セルリアンブルー(e02187)がとのんびり喋り、
「ライトアップされた紫陽花ってこんなに綺麗なんや!」
 隣を歩く香坂・雪斗(e04791)も見事な紫陽花の色合いに感嘆して、こういうのもいいね、と言ったヴィに同意する。
「雨が紫陽花を綺麗に咲かせてくれるって考えると、梅雨の時期も悪くないと思うわぁ」
 憂鬱な雨続くこの時期だけれども、そう考えればまた前向きに考える事もできる。
 それに、好きな人と二人でこの景色を楽しめるのなら猶更だ。
 そう考える雪斗とヴィも同じように思う。のんびりと大切な人と二人でこんな時間を過ごし、一緒に綺麗な景色を見られる事がヴィには嬉しい事なのだから。
 そんな風にのんびり歩く二人がやや照明を落とした所にさしかかり、ライトアップの光とは違う光点がヴィの目に飛び込んでくる。
「あ、蛍!」
「わ、蛍? 綺麗やね…!」
 人工でないふんわりとした光、ヴィの示す先にあるそれを見て、雪斗の表情は思わず綻んでしまう。
 蛍はうっすらと照らされた紫陽花に止まり、飛び立って。数は少ないけれどもまるで紫陽花の上で踊っているかのよう。
 綺麗に咲いた紫陽花の色に、蛍の控えめな光はよく似合う。そんな風にヴィは思いつつ、何となく隣の雪斗の手を取って、そっと繋ぐ。
 その感触に蛍に向けていた雪斗の視線がヴィに向いて、お互いに微笑んでいる事に気が付く。
「……こうして一緒に見られて、幸せやなぁ」
「……ね、幸せだね」
 思わず雪斗の口から零れた言葉に頷き返すヴィ。そんなヴィの反応が嬉しくて、雪斗は繋がれた手をしっかりと握り返す。
 今感じている幸せが離れてしまわないように、力強く。
 ――ずっと、こうしていられたらいいのにな。
 そう互いにヴィと雪斗は想い、お互いの手の体温を感じながら紫陽花と蛍を眺める。
 そのまま庭園の散歩を続け、すっかり日の残滓も空から消え失せた頃。
「あ、そういえばここって料理もおいしいらしいよ?」
 到着した時に旅館の人に聞いていた話をヴィは思い出す。
「言っとったねぇ。……うん、ご飯も楽しみ!」
 気づけば夕食にも丁度いい時間帯、そう意識すると、何となくお腹もいい具合に空いてくる。
「楽しみだなぁ。あと温泉も!」
「温泉まで入れるなんて……ふふ、ええ旅になりそうやねぇ」
 綺麗な紫陽花園だけではない。ゆったりのんびりと過ごせる時間は、きっとかけがえのない宝物のような時間。
 ふたりだけの素敵な思い出が、また一つ増えていく。

●山の幸、海の幸、同じ時間のしあわせ
 少し早めの時間から露天風呂にじっくりと漬かり、日頃の疲れを癒したラウル・フェルディナンド(e01243)と燈・シズネ(e01386)。
「源泉掛け流しで凄く気持ちの良い温泉だったね」
 家にも欲しいなぁ、と呟くラウル。浴衣姿の彼らは座敷の広縁で涼んでいた。
「浴衣って着るだけで言葉にできないワクワク感があるよなあ」
 涼みながらシズネが緩く団扇で扇ぎ、ラウルがそうだねと緩く同意すると戸を叩く音。時計を見れば夕食の時間だ。
 机に運ばれてきた山川の幸をふんだんに使った料理は、見るだけで食欲をそそられて香りで心をがっちり掴まれてしまう程。
 特に鮎の塩焼きはシズネの目を釘付けにする程。向かいのラウルも黒猫のウェアライダーでなくてもこの香りなら夢中になるだろうなと思ってしまう。
「こんなに美味そうな魚食ったこと、家で留守番してる猫達にバレたら怒られちまうな」
 冗談っぽく黒猫の青年が向かいのラウルに笑いかければ、
「なら二人だけの内緒だね」
 その言葉にふわりと笑み、悪戯っぽくラウルが返す。二人だけの内緒の時間、この時間が特別なもののように二人には感じられて。
 いただきます、とシズネが豪快に鮎の塩焼きに皮ごとかぶり付く。
 パリパリの皮とほくほくふっくらした身の食感がまず感じられる。
 続いてその風味――次に過剰ではない塩に引き立てられた風味に生臭さやえぐみはなく、ただ口いっぱいにおいしさを主張してくる。
 その味わいに夢中になるシズネに対し、ラウルが最初に選んだのは山菜の天ぷら。
 さくりと頬張れば小気味いい触感と共に衣の内にきゅっと閉じ込められたタラの芽の風味がふわりと口に広がってくる。
 向かいの黄昏色の瞳の彼はすっかり鮎の塩焼きに夢中なよう。
 それほどなのかと彼を夢中にさせている鮎の塩焼きの身を箸で摘まみ口に運べば、確かにシズネが夢中になるのも分かる。
 シズネとラウル、同じ味わいと幸せを共有していると感じていて、その感覚が口いっぱいに広がる味を不思議ともっとおいしいものへと感じさせる。
 同じ時間、同じ味を共有して視線を交わす二人の表情は更に緩み、心を満たす平穏の幸福はより増していくよう。
 漬物や煮物、炊き立ての白米にと箸は止まらず、気づけばすっかり食べきって。
 最後に頃合いを見て運ばれてきたのは食後のデザート――ひんやりバニラアイスにやまももジャム。
 煮詰められて透き通るような色合いとなったジャムはまるで宝石のよう。
 同時に口にした二人の口内に広がる自然な酸味はバニラの甘味を一層引き立てるもの。
 お腹を満たし爽やかな甘みに溺れる至福の時間。何ともまあ、幸せな時間だ。
 けれどこの甘い幸せを感じられるのは旅館料理のよさだけでなく、二人でゆらりと過ごす時間の甘さにもよるもので。
 なんて最高の時間だろう、そうシズネは思う。
「また来ような」
 シズネの言葉にラウルも微笑み頷く。
 こんな二人で過ごす特別な日も――そうでない日も、ラウルの記憶にはいつまでも色褪せず大切に残り続ける。
 今宵も、そして明日からも。そんな大切な想い出を。

●夜の庭園、そして
「はー、鮎の塩焼き美味しかったわね!」
 露天風呂を堪能し、そして旅館の川の幸を存分に堪能した朱桜院・梢子(e56552)は、ビハインドの葉介と共に夜の庭園へと向かっていた。
 夕食を挟んでも温泉の熱はまだ体にじんわりと残っていて、肌も普段より血色良く滑らかになったように思える。
 また一段美しくなってしまったわ、と気分よく言う梢子に葉介も静かに頷き肯定しているような気がする。
 そして玄関から出て庭園へと踏み込めば、ライトアップされた紫陽花の鮮やかな色合いが二人を出迎える。
 一度昼間もこの紫陽花を見に来ている二人、けれど夜の紫陽花はまた違う風情を感じる。
 どこか神秘的で心地よく落ち着く庭園の空気を楽しむ二人、ふと梢子が呟く。
「『あかねさす 昼はこちたし あぢさゐの 花のよひらに 蓬ひ見てしがな』……なんてね」
 冗談よ、と葉介に振り返り笑いながら彼の背を叩く梢子。
 四枚(よひら)の花弁にかけて宵に会いたい、詠んだのはそんな短歌だが梢子と葉介は宵に限らずいつも一緒なのだから。
 夫婦は寄り添い、夜の庭園の彩りと時間を楽しみながら静かに散歩を続ける。

 そして夜の庭園を歩くのはもう一組、ナキと智秋。
 昼の言葉の有言実行、というわけで夜のまた違った表情を見せる紫陽花を楽しんでいた。
「……あァ、他にも花言葉教えてヤろうか」
 ふと智秋がそんな事を言いだす。
 花言葉と言われるものは同じ花であっても一つではない。
 例えば移り気な弧の紫陽花は――それはナキにうってつけの言葉で。
「なんなんですか?」
 そうナキが問えば、智秋はその花言葉を教える。
 家族、団欒、和気藹々。告げられた言葉をナキは反芻して、
「……俺はそっちのが好き」
 やわらかに笑み、紫陽花へと視線を再び向ける。
 ライトアップされた色は昼の物とは違い、別の美しさを見せている。
 それでも寄り添い固まって咲く花はまるで家族のようだ。
 夜の花の間を二人は楽しみながら散策を続けていく。

 そして梢子と葉介の方も庭園を一周し、正面には旅館の灯りが見えるところまで来ていた。
「さ、明日はお土産の山桃のジャム買わないと!」
 伸びをしてエネルギッシュに歩を進める妻の背を、葉介は見る。
 ――安治佐為の 八重咲く如く やつ代にを いませわが背子 見つつ思はむ。
 八重に咲く紫陽花のようにいつまでも栄えてほしいと、もしかしたら葉介は妻の背を見て思うのかもしれない。

 初夏の夜は長く、この山間の旅館の時間はゆっくりと過ぎていく。
 その中でケルベロス達は大切な想い出を紡ぎ、日々の疲れを癒すのであった。

作者:寅杜柳 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2021年6月30日
難度:易しい
参加:10人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 1/キャラが大事にされていた 1
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