花冠の休日~重ね、累ねて

作者:七凪臣

●重ね、累ねて
 目覚めて一番、鏡を見た。
 銀にも近い青い髪に、赤い目。隠すことも増えた――主に、目についた流行りものの衣類に袖を通すため――角も、レースのカーテン越しに差す朝日を受けて、眩い黄金に輝いている。
 見慣れた自身の姿は、昨日と変わりない。
 でも定命化を果たしてから、もう三年。
 研鑽に励み過ごすだけだった『時間』は、重ねるものになり、様々な縁を累ねるものになった。
「……ふふ」
 鏡像の輪郭を指先で辿り、ラクシュミ・プラブータ(オウガの光輪拳士・en0283)は小さく笑む。
 メロンパンが大好きになった。
 いや、メロンパンだけではなく、『美味しいもの』は大好きだ。なかでも甘いものに目がないことは、自覚がある。
 日々の鍛錬は欠かさないのでカロリーの取り過ぎにはなっていないと思うけれど、もしかすると以前と比べたら、少しばかり輪郭がふっくらしてきた可能性もなくはない。
「立派な『アラサー』ですから、仕方ないですよね」
 気にすることなどなかった年齢を、数える今が、こそばゆい。
 老いること――変っていくことが、恐ろしくもあり、楽しみでもある今が、心地好い。
 それは年齢に限ったことではなく、自分の在り方や、誰かとの関係性についても言えること。
 ――おやすみなさい、昨日までのわたし。
 過去を振り返るのは、進んでいるから。
 ――おはよう、今日からのわたし。
 未来を想像するのも、進んでいるから。
 進み続けること――重ね、累ねていける刻の、何と素晴らしいことか!

●花冠の休日
「大きなショッピングセンターはありませんが、個人経営のお店が連なる商店街もありますし、近くには白薔薇が見事な庭園もあるんですよ」
 この白薔薇の庭園もデウスエクスの被害に遭いかけたが、ケルベロスのおかげで事なきを得て、春の薔薇が見ごろを迎えている。
 午前の光に照らされる白い花は、耀いていて美しく、眺めるだけでも心は瑞々しさに満たされるだろう。
 洋菓子店に和菓子店、ベーカリーや飲食店、掘り出し物が目白押しそうな雑貨屋に、情緒漂う古書店や、おもちゃ箱みたいな玩具店。それから日用品が揃うスーパーマーケット。
 賑やかな商店街はアットホームな雰囲気で、行き交う人らの顏には笑みの花が咲く。
 一歩入った住宅街はのどかなもので、玄関前の犬小屋では人懐っこい犬が尻尾を振っているし、遊具が幾つかあるだけの小さな公園では、野良猫が寛いでいたりもする。
 いずれも長閑な光景だ。
 だが薔薇園のみならず、いずれも失われている可能性があったものたち。
 だってデウスエクスとの戦いは終わっていない。
 大きな戦いが続いている。さらに大きな戦いが待ち受けているのも、分かっている。
 だからこそ、『ありきたりな時間』をのんびり過ごすのもいいかもしれない、とラクシュミは言う。
「丸一日のお休みを貰ったつもりで、気儘に過ごして貰えたら嬉しいのです」
 デニムのサブリナパンツに、白いジャケットの中はパンプスと色を揃えたナイルブルーのTシャツ。
 いつもの紗ではなく、初夏に似合いの装いに身を包み、ラクシュミは束の間の休息に皆を誘う。
 五月七日、天気は朝から晴天。
 目新しいものは何もないかもしれないけれど、だからこそ愛おしい一時は、辿り来た道を振り返るのに、或いは未来を思い描くのに最適に違いない。


■リプレイ


 敢えて歩調を緩めて眺める街並は、そも穏やかな休暇が久々なこともあって、メイザース(e01026)の目には新鮮に映った。
 目的はないので、気が向くままに足を向ける。ふらり立ち寄った古書店では、思わぬ掘り出し物があった。便利な世の中になったが、こういう出逢いは『時間の無駄遣い』をしてこそだ。
 それに。
「……余計な物じゃないよ、余裕を持つのは大事だろう?」
 誰かへ言い訳するよう呟き、メイザースはほくほくと戦利品を抱えて街をそぞろ行く。
 相変わらず当て所はない。だから和菓子屋を見つけたのも偶然。
「そうだ、お土産……あの子は団子と大福、どっちが好きかな」
 ――真っ先に思い浮かぶ顔があった。何気なさの、延長線上に。
 こんな『誰か』に恵まれた『これまで』が一番の宝なのだろうとメイザースは思う。
 帰り道は迷いなく、止まり木の元へ。

「面白かったら、私にも読ませて欲しいです」
「勿論ですよ」
 隣でにこやかに笑う灯(e04881)をカルナ(e05112)は面映ゆく眺める。
 少し立ち寄った先でカルナが手に入れたのは、異国の物語を記した古書。
 以前は一冊買う度、一冊手放していた。だのにひと所に留まるようになった今は、好ましいものを手放せずにおれる。誰かと分かち合うこともできる。
「灯さんは何か買います?」
 だから今度は灯の番だ。そんな気持ちで水を向けたカルナは、
「私は、うーん……夏向けのお出かけ服が欲しいかもです。……せっかくだから、択んで貰えます?」
 返された応えに翡翠の瞳を瞬いた。
「僕、で、いいんですか?」
「ええ、カルナさんのお好みの服を着たいのです!」
 言うが早いか、カルナは灯に手を引かれる。十九の誕生日に貰ったコートが素敵だったからと付け足す灯の声が、跳ねる鼓動の上を駆けてゆく。
 喜ばれたのは嬉しいが、本人を前に択ぶのは気恥ずかしい――けれど。
「その、青い花柄レースのワンピースとか、どうでしょう」
 聞き出した好みを熟慮して、カルナは懸命に頭を捻った。そうして出された答に、灯の顏には真夏の向日葵よりも大輪の花が咲く。
(カルナさんとお揃い……!)
 灯が候補に挙げた白、ピンク。そこに「たまには」と青を加えたのは、ほんのりカルナの色を意識したからだ。となれば当然、試着室へまっしぐら。
「どうでしょう、似合いますか?」
「――ええ、とても」
 羽のように翻った青い裾。カルナの感想に、嘘はない。返事に一拍要したのは、青い灯の姿に目を奪われてしまったから。
(どこかに攫ってしまい、な)
 手放したくないものが増えていく。どんどん贅沢になる。

 ――決めた。俺はこれからロコと暮らす。
 突然のギフト(e25291)の宣言は、『夕飯をピザにする』みたいなノリで、ロコ(e39654)は正直、面食らった。
 そんな経緯で連れ立った商店街。同居で入用になるものを購入するのかと思いきや、店々を覗けどギフトに何かを買う様子はない。
(この子、買う気はないな)
 両手は空のまま賑やかな通りを過ぎてしまったところでロコが隣を見遣れば、『バレたか』とギフトは五月晴れを遠く仰ぐ。
「野良が長かったせいか、自分のモノ買うの慣れてなくてな」
 うち棄てられた成れの果て――それがギフト。しかし今は、帰路を共にしたい人がいる。
「あんたと買い物っていう非日常が楽しいんだ」
 からっぽの空に向けられていた目が、ロコを映して笑う。
「あんがとな、ロコ。あんたの時間をムダ使いする。こうも贅沢な休日ってないぜ」
「――自分で選ぶ時間の使い道を、無駄なんて思わないよ」
 やんわりとロコもギフトへ笑み返す。ロコもまた、摩耗を重ねて生きてきた身。誰かに必要とされる日が来るなんて、考えもしなかった。だから――。
「此方こそ、ありがとう」
 ロコが紡いだ感謝は、心から。受け取るギフトの胸中は、まだ読めない。それでも、明日からも今日のような『日常』が重なっていけばいいとギフトが思ってくれているのは、わかった。
「せっかくだから、夏も近いし服でも買って帰るかい?」
「いいな。ロコは見たいものねェの?」
 会話が、重なる。ロコが白薔薇を気にすることをギフトは知り、見かけたラクシュミへ走り寄ったりもする。
 そうして“家”へ帰るのだ。今日という日そのものを、忘れ得ぬ土産にして。

 小洒落たカフェのテラス席に腰を落ち着けてからも、テオドール(e12035)は賑やかだ。
「それにしてもチャルが二足歩行なんて珍しかったネ。ワタシに合わせてくれたアルカ?」
 にこにこと機嫌よさげに笑うテオドールに対し、チャル(e86455)の眉間には深い皺が刻まれている。
「後学の為です」
 言葉少なに返すチャルはメリュジーヌだ。地球に来てから日は浅く、袖を通す当世風の衣装にも慣れない。だが――。
(以前なら、二足歩行など絶対にしませんでした)
「ホラ、また! そんな難しい顏してると幸せが逃げてくアルヨー」
 チャルの仏頂面が気になるのか、テオドールがテーブル越しに身を乗り出して実力行使に出る。渋面の象徴でもある眉間の皺を、物理的に伸ばしたのだ。
「お二人は仲良しなのですね」
 誕生日の祝いにと誘われたラクシュミは、そんな二人の遣り取りに破顔する。しかしこれが更なる騒動の幕開け。
「違います。確かにパフェを奢る約束をしましたが、知人です」
「ごめんネ、ラクシュミさん。ちょっとめんどくさいけど、根はいいやつヨ。多分ネ」
「だから勝手に知った顔をしないでください。私にこんな愚かな友人などおりません」
 テオドールの手を跳ねのけ、言い放つチャル。もちろん、テオドールもむきになる。
「店員さん! 特大てんこ盛りジャンボパフェいっちょう! おかわりもよろしくネ!」
 息巻いて店一番の高額メニューをオーダーしたかと思うと、
「チャルの財布のことなんか考えてやらないヨ。だいたい、チャルが暴走して、あんな、あんなことに……ふええんばかー!」
 机に突っ伏し大号泣。
「ハア? 本当に愚かな方ですね」
 テオドールの一挙手一投足がチャルにとっては不条理だ。救助に来て、恩を売って、挙句、泣くとは意味不明に過ぎる。
 だというのに、黒い旋毛を見るチャルの目が穏やかなのは、そんな『愚か者』になりたいと望んでいるから。

 ご相伴に与ったパフェを美味しく頂戴し終えるまで、テオドールとチャルを『本当に仲良しなのですね』と見守っていたラクシュミのその後というと――。

「あら、ゴロベエさんもメロンパンですか?」
「――ああ、昼飯にしようと思ってね」
 トレーいっぱいにメロンパンを乗せたラクシュミから挨拶されて、ゴロベエ(e34485)は面食らう。
 多種族を『お客さん』と認識しているのみならず、地球人同士でさえ距離感に迷ってひきこもってしまうゴロベエだ。ラクシュミの笑顔は、なんというか。
(……プライスレス)
 直接の面識はなかった相手だ。呼んだ名前も、今日という日で憶えたのかもしれない。
 それでも良いとゴロベエは思う。誰かが笑い合うのを見るのは良い。人そのものを眺めるのも良い。
(暴走したオウガと戦ったのはいつだったか?)
 曖昧な記憶を手繰り寄せ、ゴロベエは目の前の微笑と照らし合わせる。
(いい表情するようになったもんだね)
 この後の午睡は、気持ち良く眠れそうだった。

 想像していた通りの小さな公園だ。タイヤの遊具に腰掛けたシキ(e61704)は、のんびりと欠伸をしている猫を観察する。
 キジ白の猫は、一定の距離をシキと保ったまま。
「ねこー、平和っすねー」
 だが声をかけると視線を呉れて、尻尾をぱたり。
 機嫌は良いようだ。せっかくだからベーカリーで仕入れてきた戦利品を献上したいが、おまけで貰ったパンの耳くらいしか猫が食べられそうなものがない。
 仕方がないので手近な草を抜いて振ってみると、猫の前足がぴくり。
「お、お、遊ぶっすか? 遊ぶっすね??」
 即席猫じゃらしの効果は絶大。
 斯くして、梅雨入り前の一日はのんびりと過ぎ行く。


 薔薇のアーチを抜けると、目映いほどの白が一面に広がっていた。
「これは、いずれも見事なものだ。まるで其方の鱗が如く……」
 言いかけた科白を「む」と飲み込んだバルバロッサ(e87107)を、フィスト(e02308)は申し訳なげに見上げる。
 フィストの視線に気付いたろうに、バルバロッサは目を合わせようとはしない。
 喉の奥で殺した単語をフィストが好ましく思っていないのを理解っているせいだ。
 バルバロッサは炎のような男だが、気遣いも出来る男だ。だからこそ白薔薇たちを『フィストのように美しい』と口にしかけてしまったことを悔いている。
「いや、なんでもない」
(ごめんなさい、でも――ありがとう)
 とってつけたかの如き誤魔化だ。しかし言わないでくれたことに、フィストの胸は柔らかく締め付けられる。だから――。
「其方の手をとり共に歩きたい、フィスト」
 このような場所に来たのだから、と前置いてから伸びてきたバルバロッサの手を、フィストは振り払わない。それどころか、気付けば握り返していた。
「……我は其方の幸せの為に戦うとしよう」
 瞳を曇らすフィストに想い感じた儘を、ケルベロスになって浅い男が、とつりと言う。
 それがまた、温もりと共にフィストを包む。
 ずっと独りで戦って来た感覚が抜けないフィスト。だがそんなフィストも、誰かと共に在れるのなら。
(私はこれからも戦っていられる。誰かを守っていられる)
「……ありがとう。私は、この手がある限り、苦しみを乗り越えるために戦うよ」
 覚えた安らぎが、フィストの表情を穏やかにする。そしてその貌と白薔薇にバルバロッサは誓うのだ。
(我は、戦う。彼女が一人の女性として、笑えるように)

 ベーカリーの紙袋を抱え、ウォーレン(e00813)は満開の白薔薇のさなかをゆっくりと歩む。
 ――今のうちに色々なものが見たい。
 不治の病に侵され、先は長くない。それがウォーレンの宿命。半歩後ろの光流(e29827)とも、『彼は強いから』という前提があるから、思い出を作って来れた――けれども。
「病気、治せるかもしれない」
 ウォーレンは足を止めて、光流を振り返る。
「僕らが戦ってる間に、お医者さん達も頑張ってくれて……」
 病魔の研究と、医学の発達により、原因は究明された。それでも治療には危険が伴う。
 ありのままをウォーレンは光流へ語る。
「戦えなくなるかもしれなくて、きっとまだ戦いは続くから……ミハル?」
 今後のことを相談したかった。だが続きは二人の時しか呼ばない名にすり替わる。だって光流が、泣いていたのだ。
「……なおる、かも、しれない?」
 赤い双眸から大きな涙が溢れ、石畳をも濡らしていく。
(なんでレニが死ななあかんねやろって……思ってた)
 ここは『良かったな!』と笑って言うのが正解のシーンだ。分かっているのに、その場にへたりこみ、赤ん坊みたいに声をあげて光流は泣いてしまう。
「……ミハル、ごめん。もしかして、ずっと無理を?」
 膝をついたのだろう。すぐ近くからウォーレンの声が聞えた。光流が顔を上げると、そこには今にも泣きそうな笑顔があった。
「治療、受けるね」
「っ、レニ」
 謝らなくていい。自分自身ですら分かっていなかった、と言う代わりに、光流はウォーレンを抱き締める。
(ああ!)
 これ迄の戦いも、何一つ無駄ではなかったのだと実感できた。
「君のためなら何でもしたる――愛してるで」
「うん……大好きだよ」
 抱きしめ返し、ウォーレンも決意する。力を失おうとも、一緒に『戦う』と。光流と共に生きる為に。

 絵に描いたような麗らかな午後だ。
 ラクシュミの誕生日を祝い終えたエトヴァ(e39731)は、花と揃いの白いベンチに腰掛け、水筒に入れてきた自家製珈琲で喉を潤し、眩しい薔薇に目を細める。
 思い出すのは、異国にいる医師の保護者のこと。機械の肉体を持つ己を拾い、教えてくれた人。
 そしてエトヴァは、一人の幼い患者と出逢い。何故だか歌ってあげたくなって、口遊んだ。
 その時、ケルベロスとしての力を得たのだ。
(……この心は、きっとあの人譲り)
 胸にあてた掌が、ほのかな熱を拾う。
 生きて、いる。日本で喫茶店を始めて、珈琲を淹れるのも随分上手くなって、様々な人と出逢い、良き仲間にも恵まれた――大切な家族もできた。
(俺は『人』になっていた)
 心には願いが宿る。手の届く所から、守りたいと。
 それが『今』のエトヴァの積み重ね。累ねて往けば、もっと、さらに。
 傍らのギターケースへエトヴァは手を伸ばす。今日はどこかで歌って帰ろうと思った。


「此方、蓮さんのお好きな銘柄ですよね」
 何気なく目に留めた仕草で志苑(e14436)が示したのは、確かに蓮(e16724)が愛飲している茶葉だ。
「ああ、好きだな」
「書店でよく飲んでらっしゃいますよね。私にも振る舞ってくださいますし」
 はにかみ笑む志苑は、すっかり蓮の好みを把握している。斯く言う蓮も、訪問中の雑貨屋を『志苑が好きそうだな』という理由で選んだのだが。
 尋ねずとも好みが分かるくらい、付き合いは長くなった。
(そういう関係になってからは、一年程だがな――)
「蓮さん、お茶が出来る書店なんて素敵だと思いませんか?」
「あ、ああ。実に良さそうだな」
 感慨に耽ったせいで、僅かに出遅れかけたが、蓮は即座に志苑の提案に頷く。蓮にとって茶は読書の友だ。志苑の発想も、それ故だろう。そして蓮は既に可能性を手にしている。
 いつか祖父より引き継ぐことになっている古い書店。今の雰囲気も趣があって悪くないが、老朽化には敵わない。
「店を改装する時に少し手を入れるか」
「そうなる日を楽しみにしていますね」
「ああ。その時は勿論、あんたも居てくれるんだろ?」
 刹那の、空隙。
 あまりに自然に口をついた言葉に、蓮自身さえ驚愕する。けれども描く未来に嘘偽りなどなく。
 だからこそ、志苑の胸に柔らかく馴染む。
 決められた未来があり、それを受け入れるつもりであった志苑は、もう以前の志苑。今の志苑は、自分で未来を思い描く。
(蓮さんと積み重ねた時が、私の想いを変えたのです)
「はい、勿論です。ぜひ、居させて下さい」
 此れからも、とまっすぐ見返してくれる紫の双眸に、もっぱら無表情な蓮の貌も微笑みに変わる。
 こんな風に蓮が笑えるようになったのは、志苑のおかげ。
 志苑の今があるのも、蓮のおかげ。
 蓮と志苑の『明日』は、『昨日』と『今日』を二人で重ね、累ねたからこそ予想外の――幸福な未来へ変化してゆく。

 夕刻が近付くと、商店街はますます賑わいを増す。
 そこに紛れていたティアン(e00040)とキソラ(e02771)は、揚げたてコロッケ目当ての行列の中。
「こーゆーの、ナンか懐かしいカンジ」
 肉屋のコロッケって何故だか凄く美味いンだよな、というキソラの感慨が、ティアンには少し分からない。だって賑やかな街並みも、店も、『此方』に来て漸く知ったものだから。
 とは言え。
「ガッコー帰りとか? ツイ寄りたくなる。唐揚げとかも売ってるし」
「唐揚げもおいしいのか?」
「モチロン」
 美味を前にすれば、生まれが違う者も育ちが違う者も皆、平等。実際、火傷を危惧するほど熱々コロッケは、頬が落ちるくらい美味しかった。
「……次は唐揚げだな」
「ティアンちゃん、やる気だネ。そういやナンで肉屋なのにコロッケナンだろ?」
「挽肉も入っていたし、そういうことでは?」
「確かに!」
 キソラとティアン、肩を並べて商店街をそぞろ歩く。当て所もなければ、目的もない。
「ティアンちゃんは定番食べ歩きオヤツ的なモノある?」
「ティアンか? そうだな、もう暫くしたらアイスがおいしい季節になるとおもう」
「あーイイネ、夏には必須だ」
 通りがかったアイスクリームショップは冷やかすだけで、廻る季節に想いを馳せる。
「でも、キソラとなら違う店の方がいいかな?」
「さすがティアンちゃん。気遣い、ありがと。ケド選べば食えるし、きっと暑さにゃ負ける」
 会話は、とりとめもなく。
 爪先ほどの気負いもなければ、毛先ほどの緊張もない。
 キソラとティアンはケルベロスだ。しかし今の二人は、どこにでもいる友人同士。
「しまった。皆の土産を忘れていた」
「コレから、コレから。まだ店も閉まんナイよ」
 次は皆を誘おうか、とか。じゃあその前に隅から隅まで偵察だ、とか。他愛ない会話を繰り広げながら、キソラとティアンは街に馴染む。
 何の変哲もない一時。
 ただ穏やかなだけの時間。
 だがそれがどれだけ貴重で尊いものなのかを、他でもない二人自身が知っている。『また』と望んだ明日が、来ないことがあるのも知っている。
 ――けれど、また。
 敢えて、思う。願う。望む。
 こんな時間が『日常』と呼べるようになるまで、きっとあともう少し――。

 日が暮れて戻った自室。
 他のどれより長く纏った戦衣に着替え、ラクシュミはまた鏡の前に立つ。
「これを着なくなる日も近いでしょう」
 言い切る口調に迷いはなく。ラクシュミの眼差しは、磨き上げられた銀板の向こうに、朝陽めく眩い未来を視る。
 ――おやすみなさい、今日までのわたし。
 ――おはよう、明日からのわたし。
 悔し涙や、哀しみの涙を流すことは、きっとない。

作者:七凪臣 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2021年5月14日
難度:易しい
参加:18人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 6/キャラが大事にされていた 2
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