極楽

作者:藍鳶カナン

●秘湯
 深山の桜が盛りを迎えた。
 秘境と呼べる山奥の桜花爛漫は息を呑む美しさ。桜色という色彩はこれほど多彩なのかと感嘆せずにはおれぬ絶景は、同じ種でも個体差が大きい山桜が在るがままに自生し群生する山深い地ならではのもの。薄桜色から濃桃色まで淡く深く息づくような山桜の花々は薄緑や赤紫の新芽の色を透かすことでいっそう深みを増して。
 柔らかな湯煙越しに望めば、ひときわ幽玄な絶佳を描きだす。
 深山の地にひっそり秘められた温泉郷、そこに佇むのは宮大工の手による唐破風の屋根が壮麗ながらも、落ち着いた隠れ宿の趣を持つ旅館。絶佳を望める露天風呂は天然温泉の掛け流しで、深山の桜花爛漫を眺めながら湯につかれば極楽にいる心地になれると評判の宿。
 だが、桜花爛漫の奥で、惨劇の種が芽吹く。
 遠からず地獄絵図を咲かせるその種は――機械脚をもつ宝石、コギトエルゴスム。妖しく煌く種の苗床となったのは、山肌に降り積もった桜の花弁の下で眠っていた品だった。
 深山に分け入った機械脚の宝石が見出したのは、銃を思わす形状を持ちながら、一見して銃ではないと解る品。銃口に当たる部分には球体のアタッチメントがとりつけられており、かつてはその高速振動によって誰かの身体のこりをほぐしていただろう、ハンディタイプのマッサージ機器。
 銃のごとき形状から、マッサージガンと呼ばれる品だ。
 遠く旅館を見上げる場所で眠っていたそれは、湯上がりの宿泊客が部屋の窓辺に腰かけて気持ちよく使っていた時にうっかり取り落とし、斜面を転がっていって、そのままになっていた――誰もがそんな光景を思い浮かべるような風情だったが、機械脚の宝石に融合されたマッサージガンはそのままではいられずに、桜と山肌の褥からゆうるり浮かびあがる。
 大きく、大きく作り変えられながら斜面を昇ったそれが。
 隠れ宿に咲かせるのは、鮮やかな血の色の花。

●極楽
 彼は威厳に満ちた声音で皆に告げた。
「――朗報だ」
「ぴゃっ!? 詳しく聞かせてくださいなのザイフリート王子……!」
 尻尾をぴこーんと弾ませた真白・桃花(めざめ・en0142)の求めに「無論だ」と頷いて、ザイフリート王子(エインヘリアルのヘリオライダー)は招集に応じたケルベロス達へ事の仔細を語る。予知に基づく避難勧告により一般人を巻き込むことなく戦える状況が整うのは幸いだが、元がマッサージガンであるこのダモクレスは癒しに長け、正攻法で戦うのならば長期戦は必至という話。
「だが、奴はマッサージガンとしての使命、あるいは本能を忘れてはおらん。お前達の中で肩こりに悩まされている者がいれば、その辛さを訴えてみるといい。相手の本能を揺さぶることができれば、奴は『たいへん! 肩こりをほぐしてあげなきゃ!』とすっ飛んできて、ヒールしながらのマッサージで肩こりを気持ちよくほぐしてくれるはずだ」
 確かに朗報だった。
 もちろんケルベロスが健康を害するほど深刻な肩こりに陥ることはないが、身体の冷えや長時間のデスクワークなどで肩まわりの強張りや痛みを覚えることはあるだろう。実質的なダメージがないため放置してしまい、肩こりと長い付き合いになってしまった者もいるかもしれない。
『くっ……肩こりが酷くなりすぎて、鉄塊剣を構えるだけで激痛が!』
 などと、肩こりに悩まされている者がその辛さを激白したり切々と語ってみたり、
『この重厚なアームドアーム・デバイス、装着しているだけで肩がこるわ……!』
 などと、肩こりとは無縁な者でも迫真の演技で肩こりの苦しみを表現してみたりで相手の本能を揺さぶることに成功すれば、マッサージガンは此方への攻撃や自己回復を放り出して肩こりをほぐしに来てくれるというわけだ。
 本来は数種類あるはずの替えのアタッチメント、それらを魔力で大量に生成して撃ち込み標的の勢いを抑える術、大気へ振動を伝えて麻痺の衝撃を叩き込む術といった範囲攻撃と、強力な癒しと状態異常の浄化を備えた術を揮うマッサージガンは、癒し手であるがゆえに、攻撃には破魔が、回復には更なる浄化が付随する厄介な敵。
 だが、マッサージガンの本能を揺さぶり、相手の一手を潰せれば、それだけ此方が有利になるのは間違いない。本能的に反応するのは肩こりに限られているのだが、恐らくそれは、持ち主の肩こりをほぐしている途中でその手から離れてしまったため。
「長期戦を覚悟の上、正攻法で挑むのもいいだろう。だが、マッサージガンに元々の本懐を遂げさせてやるのも、時にはデウスエクスへも救いの手を差し伸べるお前達らしい戦いだと私は思う。お前達の心のままに戦い、望まぬ変貌を遂げたマッサージガンを撃破せよ」
 隠れ宿の趣を湛えつつも、件の旅館の前には大きく開けた空間がある。
 空のヘリオンから直接そこへと降下すれば、此方の気配に惹かれたマッサージガンが姿を現すから、その場で戦いを仕掛ければ周辺に被害が及ぶこともない。
 無事すべてが終わった暁には、
「是非、露天風呂の温泉で疲れを癒していって欲しい――というのが宿の主からの伝言だ」
「ああんそれはとっても朗報なの、もちろん合点承知! なのー!!」
 王子がそう話を結べば、桃花の尻尾がぴこぴこぴっこーんと跳ねた。
 深山の桜花爛漫を望める露天風呂の湯は、肌理こまやかな気泡が銀に煌いて見える天然の炭酸泉。眺望絶佳のそこは、薄い湯あみ着を纏っての混浴だ。
 湯煙のように軽やかで柔らかで、なのに決して透けない優れもの。
 翼や尻尾など様々な種族のあれこれもなんやかんやでいい感じにしてくれるそれを纏い、清しい山の息吹のなかで湯につかれば、こころもからだも極楽気分で満たされるはず。
 そうしてまた一歩進むのだ。
 この世界を、デウスエクスの脅威より解き放たれた――真に自由な楽園にするために。


参加者
シル・ウィンディア(鳳翼の精霊姫・e00695)
隠・キカ(輝る翳・e03014)
カルナ・ロッシュ(彷徨える霧雨・e05112)
影渡・リナ(シャドウフェンサー・e22244)
櫟・千梨(踊る狛鼠・e23597)
紺崎・英賀(自称普通のケルベロス・e29007)
朱桜院・梢子(葉桜・e56552)
リリエッタ・スノウ(小さな復讐鬼・e63102)

■リプレイ

●使命
 桜花爛漫、深山の春を彩るそれは錦秋の紅葉とは趣の異なるあでやかさ。
 然れど天津風に唐獅子舞う袖を躍らす櫟・千梨(踊る狛鼠・e23597)の眼差しが見据える先は唯ひとつ、全てを賭して挑まねばならぬ、己が未来を賭けた戦いの舞台のみ。
「――行くぞ」
 厳かに告げてヘリオンから跳んだ姿は、
『あんな真剣な千梨さん、初めて見たかも……』
 彼の探偵事務所に籍を置く紺崎・英賀(自称普通のケルベロス・e29007)が、後日神妙な面持ちでそう語ったほど峻厳なものであったという。
 天津風を貫き降り立つ先で戦いの幕が開く。
 望まぬ変貌を遂げ、ダモクレスと化したマッサージガン。補助器具の弾幕を張り、麻痺の衝撃を放ち、癒し手の浄化や破魔をも駆使する相手との戦いは熾烈を極め、
「何これ思ったのと違、あっでも凄く気持ちいい……って、ひゃあああ、あっ!?」
 そして今、シル・ウィンディア(鳳翼の精霊姫・e00695)の肩こりが屈服した!
 弱冠19歳にして幻想武装博物館の全責任を双肩に負うシル、具体的には年度末の決算で一週間耐久となった帳簿とのにらめっこを経て強張った肩が、降魔の一撃を揮う淡碧の剣、普段は軽いそれが今日は重いと訴えた腕が、たちまちほぐされていく。
 ひとの手による施術とはまったく違ったマッサージ、なれどマッサージガンが高速振動で施すそれは、神の手を持つ指圧師が優しくも的確な指圧を施すのに等しい刺激を齎すのだ。僅か一秒で、五十回以上も。
 筐体を大きく作り変えられつつも、相手に合ったサイズのアタッチメントを魔力生成して施術する細やかさ。球体からU字型に替わったそれがシルの首筋をなぞれば、
「……!!」
「羨ましいけど、今のうちにきっちり態勢を調え直しておくわね……!」
 ――夕立の まだ晴れやらぬ 雲間より おなじ空とも  見えぬ月かな。
 最早声にもならぬ心地好さに呑まれたらしい彼女への羨望もあらわに、なれど雅に和歌を朱桜院・梢子(葉桜・e56552)が詠じ、梢子のビハインドとともに仲間の盾となった千梨が御業の龍を招く。
 展開されたのは状態異常耐性と護りの加護、瞬く間に戦場を染め変えた光景は、夕立後の雲間から美しい月が顔を覗かせ、長大な龍が金の花を舞わせ滝の紗幕をめぐらす様で、
「きれい……! 桜にとっても映えるね!」
 だけど見惚れずにがんばるよ、と隠・キカ(輝る翳・e03014)が放った魔法の輝きが強くマッサージガンを煌かすのは、序盤にカルナ・ロッシュ(彷徨える霧雨・e05112)が揮った氷晶の嵐とリリエッタ・スノウ(小さな復讐鬼・e63102)が撃ち込んだ絶対零度の弾丸が、裂くためでなく足止めのための氷で今も標的を縛めているがゆえ。
 更に眩く弾けたのは英賀が改めて攻撃手に贈る賦活の電撃、幾重にも力を高められながら斬り込んだ影渡・リナ(シャドウフェンサー・e22244)が舞わせた風刃もマッサージガンの機動を鈍らせたけれど、
「ん~……大きな戦いばかり続いていたから、疲れがたまっているのかな」
「むぅ、肩こり辛そうだね、あとでリリが肩たたきしてあげるよ」
 訴求力に欠けていたのか肩こりアピールは本能を揺さぶれず、流星の蹴撃を叩き込みつつリリエッタが相手の対抗心を煽ろうと試みるも、返ったのは攻撃用アタッチメントの雨霰。
「やっぱりこう、辛さを訴えるのが大事な気がするの!」
「具体的に、明確に、ってのもポイントでしょうか」
「うん、すなおに、わかりやすくいってみるね!」
 弾幕を潜り抜けて電光石火の蹴撃を閃かすシル、瞬時に薄氷めく刃を顕現させた斧で敵の護りを破るカルナと頷き合い、二人と同じく全属性の技を駆使して相手の弱点を探っていたキカが真っ向から挑む。属性の弱点がないのは三人とも把握済。
 ――ならば、相手の本能という弱点をつくまでのこと!
「きぃね、高校生なの。でも毎日勉強でくたくた」
 ケルベロスのお仕事もあるし、と多忙と疲労で強張った肩をぐいぐい回してみせ、
「あなたがなおしてくれたら、きぃ、明日もがんばれると思うの!」
 夏空の瞳をきらきらさせて伝えれば、
『まかせて! 今すぐ肩こりほぐすから!』
 と言わんばかりにマッサージガンがすっ飛んできた。
 高速振動で肩叩きをしてくれる平型アタッチメントが、強張りの表面ではなくその深部へ神の手の指圧を届けてくれる。優しく疲労と強張りを蕩かす神の手が肩から背中へと滑り、球体に替わって肩から腕へ踊って。
 ああ、きぃ、とけちゃいそう……!
 夢見心地でこころもからだもふわふわになったけれど、それでもきゅっと握ったナイフを揮うのは温泉のため、そして、マッサージガンを解放してあげるため――!
「僕も解放されたいんです」
 皆の攻勢に重ね幻影竜を放った手を固く握りしめ、カルナも己を縛める肩こりを訴える。長時間の読書に勤しむ日々は凝りを常態化させ、最早寝ても覚めても上腕から首にかけてが張るのは当たり前、
「凝りから解放された真の肩とは、どんな爽快なものかを体感してみたいです……!」
 切実に願えば傷だらけのマッサージガンが、彼を癒すために飛んできた。
 献身的な施術で上腕から首にかけてを柔らかにほぐされ――あれっ? と思ったときには翼の付け根にぴりっと奔る痛み。それはカルナ自身も自覚していなかった身体の芯の凝りがほぐれていく兆しで、痛みはたちまちじんわり蕩ける快感に変わる。
 気づけば歩くだけで空を飛べそうな軽やかさ。
 彼の満面の、解放感に満ちた笑みに、なんて気持ちよさそうなんだ――と奮い立つ心地で英賀が打ち込むのは小型の手裏剣。十字架に見立てたそれで、
「僕の苦労を、このヴィジョンで見て……!」
 幼き頃から暗殺業に手を染め、重い業を背負い続けてきた日々を呪いと成して見せつけ、僕の人生、緊張し続けるのかな……と呟きつつマッサージガンをチラ見すれば、
 ――そこで『訴えて』あげてください、英賀さん!!
 心に直接響くカルナ(マインドウィスパー・デバイス使用)の声。
「むぅ、つまり英賀は気が張り続けて、肩も張り続けっぱなしなんだよね?」
「そう! この春から社会人で、肩こりが酷くなっていく一方なんだ……!」
 正確に連射する爆炎の弾丸と的確な言葉によるリリエッタの援護射撃にも助けられ、確り訴えれば漸く英賀の肩こりを察したらしい相手がすっ飛んできた。唸るよう迫る音に恐れを成したのも一瞬のこと、肩や首をほぐす高速振動ならぬ神の手の高速連打が肩甲骨の内側に至れば、強張りの芯から波のごとく広がる心地好さに笑みが蕩け、続けて胸の豊かさゆえの肩こりを梢子が訴えれば、皆の攻勢を浴びつつもマッサージガンが健気に飛んでくる。
 三十路を過ぎれば抜けにくい疲労感、肩こりとともにそれもたちまち蕩かされ、
「ああ、そこ……! 胸が大きいとそこから肩に響くのよ……!!」
 鎖骨の下、腕と胸の境と言える、胸由来の肩こりの根源ともなるあたりをほぐされれば、あまりの心地好さに恍惚とした声が洩れ、抜け駆け温泉旅行なんてずるいと跳び込んできた華輪・灯(春色の翼・e04881)も瞬時に全てを理解する。が、
「胸が大きいと困りますよね! あー痛いー! 肩がこりすぎて腕がもげちゃいます!」
「胸……???」
「て、丁寧に見なくて良いです!」
 不思議そうなカルナに二度見された灯がささやかな胸を隠したそのとき、悲劇が起きた。
 彼女のもとへ飛んでいこうとしたマッサージガンがぱたりと地に落ち、ぶぶぶ、ぶぶぶと震えだしたのだ。まさかのパラライズ。
「そんな……!」
 自陣のパラライズ攻撃は旋刃脚と、付与率の劣るビハインドの金縛りのみ。
 だったが、捕縛とか足止めとか服破りとかプレッシャーとかを増幅するつもりで皆が持ち寄った、撲殺釘打法とか絶空斬とかジグザグスラッシュ(×3)とかがパラライズも一緒に増幅させてしまったのである。多くの肩こりアピールが奏功したがゆえにマッサージガンが自己キュアする機会も序盤しかなかったという、涙なしには語れぬ展開であった。
 全ケルベロスが涙するレベルの悲劇にシルも涙を振り絞る。
「だめだよ、パラライズには(まだ)負けないで……!!」
「そうだよ、だってまだ千梨さんが……誰か彼を、彼(の肩)を助けてあげて――!!」
 彼の肩こりの深刻さを識る英賀の涙声も悲痛な響きを帯び、
「立って、いや、浮かんでください! あなたならできるはずです!!」
「がんばって! 自分の仕事に一生懸命なあなたを、きぃは信じてるよ……!!」
 再び固く拳を握ったカルナがマッサージガンを激励すれば、きぃもペトリフィケイション使っちゃった、と妨害手として与えた石化にどきどきしつつ、キカも心からの声援を贈る。
 鶯宿梅の杖を構えた千梨が無機物たる標的に同調するよう鋼の意志を発現し、
「意志は鋼、肩は鋼鉄、心は怠惰な癒し系――否、癒されたい系エルフとは俺の事」
 寝床での読書に暗い部屋での動画観賞、長時間かつ猫背でのデスクワークに、ソファでの寝落ちと、相手の本能に直接響かせる心地で語るは肩こり的な意味で不埒な悪行三昧。
 マッサージガンは『そんな肩こり……成敗しなきゃ』と己に言い聞かせるようにふらりと浮かび上がったが、すぐさまごつんと地に落ちた。ここに来て石化である。
「こっちからキュアしてあげたほうがいいのかしら……!」
「大丈夫だ朱桜院、奴を信じろ。俺は信じぬく」
 血染めの包帯の癒しで抱擁すべきか逡巡した梢子を制し、重ねた不摂生が三十路を超えた己に牙を剥き、深刻な肩こりが頭痛を招く苦しみを訴えた彼が、
「貴様にこの俺が放っておけるか……?」
 十年来の好敵手に対するがごとく真摯に挑んだ、瞬間。
 ――放っておけない!!
 そう叫ぶように炎を燃え上がらせた相手が、不死鳥のごとく舞い上がる。
「ああん、マッサージガンさんが使命感に燃えて甦りましたなの……!」
 感極まって尻尾をぴるんぴるんさせる真白・桃花(めざめ・en0142)の言葉に、いやそれカルナのドラゴニックミラージュとかリリエッタのブレイジングバーストとかの炎が増えただけだからとツッコミ入れる者はいない。だって誰もがきっと同じ想いを抱いていた。
 齎されたのは、衝撃の心地好さ。
 恐らくダモクレス化とともにマッサージ機能も進化したのだろう。高速で身体の深部まで届けられる幾度もの神の手の施術に肩の鋼鉄は砂糖の塊のごとく崩されて、綿菓子みたいにふわっふわになって消えていく。肩や首のみならず千梨の尖り耳の先までじんと広がる快い痺れと温もりに、血行が改善されたのだと理解するより速く、雲上の楽園に浮かび上がって解き放たれたような軽やかさをこころとからだの全てで感じとる。
 涅槃に至るとはこのことか――と呟く彼ばかりでなく、マッサージガンも何処か満足気に見えたから、己の心まで晴れやかになる想いでリナは笑みを咲かせた。
「これでもう十分に本懐は遂げきった、って感じかな?」
「んっ、肩こりいっぱい治してあげられたみたいだしね」
 それなら徒に戦いを長引かせるよりも、と迷わずリナが振り抜いた刀が描いたのは美しき斬撃の軌跡、銃口の先に精密な魔法陣を展開したリリエッタが絶対零度の弾丸を迸らせて、森羅万象を司る精霊達の力を光の剣と成した、シルの六芒精霊収束斬が全てを終わらせる。
 ――もしも生まれ変わることがあったなら、沢山のひと達を癒してあげてね。

●極楽
 桜花爛漫の絶佳へ視界が開かれれば、心の扉まで開かれていくかのよう。
 淑やかながらも華やかな桜色を淡く深く息づかせ、趣深い綾を深山へと織り成す山桜達は溜息ものの美しさ。目蓋を閉じれば柔らかな湯煙だけでなく、清々しく瑞々しい深山の春の息吹までもがリナの胸に満ちて。
「まさに極楽だよね……!」
 心からのものと解る彼女の至福の声音にシルも破顔して、戦った後のお風呂ってほんとに最高、と心地好く肌を撫でる湯に浸ってゆっくり伸びをする。ほんのりぬるめで、それゆえ炭酸が抜けず確り含まれたままのこの温泉は、
「じっくりあったまるのがまたいいよね~♪」
「この炭酸って天然なんだっけ? 地球ってすごいね」
 ゆうるり肌から染みて、身体の裡からじんわりとあたためてくれる心地。湯に浸った肌へ繊細な気泡がしゅわりしゅわりと集まる様に瞬きして、リリエッタは大自然の恵みに思いを馳せた。弾ける気泡が、陽射しの加減で銀に光る。
 髪を纏めて上げて、湯あみ着を纏った春色天使が、淡い銀の光をも纏ったかに見えた。
 湯煙越しに見る灯の姿に鼓動が大きく跳ねるから、己が瞳を無理やり逸らせば、カルナの眼前に開けた桜花爛漫が淡く深く彩られた花吹雪を躍らせる。彩り豊かに花が霞んでふわりほどけて、自由気侭に舞う山桜のいくつかが湯煙の裡へ舞い降りて。
「ほら、温泉が好きな子もいますよ」
「本当ですね。ふふ、灯さんの掌にも花霞です」
 お湯ごと彼女がその手に掬ってみせた山桜ひとひらも、細やかな気泡を霞のごとく纏ってふうわり揺れた。笑みを交わせばゆうるり溢れるように満ちる幸せ。
 時を止めることは叶わずとも、今はもう少し、このままで。
 二人の様子を微笑ましく見やりつつ、梢子はほんのり寂しげな溜息ひとつ。
「葉介も一緒に入ればよかったのに。女性に免疫ないのよねぇ……」
「湯あみ着ありでも照れちゃうのかな、そういえば胸が大きいのって大変なの?」
 彼女の許嫁だったというビハインドが外で待ってると言いたげに手を振っていた姿を思い起こしつつ、ふとリナが訊ねれば、肩こりだけじゃなく着物が着崩れするのも困るのよ、と梢子が語るのは、常に和服を纏う者ならではの悩ましさ。
 肩に座らせた耐水性ばっちりな玩具ロボのキキに、一緒に入ってくれてありがと、と柔く寄せたキカの頬が、ほにゃりと緩む。とろりしゅわりと肌を撫でる湯に浸かってぽかぽかとあたたまれば、桜花爛漫のなかへゆうるり浮かび上がる心地がして。
「これが……ごくらく……。のぼせないように気をつけなきゃ……」
「ふふふ~。キカちゃんキカちゃん、あとで一緒に冷たい黒豆茶とかどうかしら~?」
「確り水分補給しなきゃだよね、桃花さんは特に」
 湯上がりには冷たい水と黒豆茶が振舞われるって話なの~と続けた桃花に英賀がやんわり念を押したのは、先程彼女と交わした、
『桃花さんも当然温泉入るよね?』
『勿論入りますなの、叶うなら五時間くらい!』
『ごじかん!?』
 そんなやりとりを思い起こしたから。
 無事に肩こりをほぐされ任務を完遂し、露天風呂の黒御影石に背を預け、研修医としての激務もひととき忘れれば、日頃己を抑え気味な英賀の肩の力もふうっと抜けていく。天上の空へ、深山の桜へ、心が解き放たれていくかのよう。
 王子の話を聴いた時からずっと楽しみにしていた。
「何がって、こんな風に仲間や友達と憂いなく笑い合って、のんびり過ごすことだよ……」
「紺崎らしいな……、あぁ……じょんのびじょんのび……」
 彼がゆるゆると顎まで浸かるよう湯に身を沈める様子に淡く眦を和ませて、勿論とっくに力を抜いていた手足を千梨も優しいぬるめの湯に伸ばす。全ての凝りも疲労も、先程までのシリアスな己も何もかもが蕩けて、流れだしてゆく心地。柔く湯煙をそよがせていく清しい深山の風も、どうしようもないほどに心地好くて。
 湯煙越しに望む、幽玄な絶佳を見霽かす。
 自由に、在るがままに咲くからこそ、淡く深く美しき綾を織り成す深山の山桜達。湯煙がなくとも幻想的に想える桜花爛漫を誰より大切なひとへも見せるよう、シルは薬指に約束と永遠の指輪きらめく左手を翳す。
「この景色のためにも――」
「んっ、頑張っていこうね。明日からも」
「きぃも! だってばっちり癒してもらったから、ね」
 彼女の心を掬うよう、こくんと頷いたリリエッタが言を継いだなら、ほわり笑んだキカは胸の裡で改めて、マッサージガンにおやすみなさいの言の葉を贈る。
 ――あなたは最後まで、役目をちゃんと果たしたの。
 深山からの贈り物のように、風に舞った山桜ひとひらが、湯の水面に柔い波紋を描く。
 ふと思い浮かんだのは温泉にお銚子入りの湯桶を浮かべ、お猪口で一杯やる光景。あれに少し憧れるんだが、と呟いた千梨が、
「ま、ここは素直に花に酔っておこう」
「お酒もすいーつも欲しいところだけど、湯上がりのお楽しみにするのも乙な感じよね」
 改めて見霽かす桜花爛漫に双眸を細めれば、そう応じた梢子も湯煙越しの桜を眺めやる。柔らかに霞む絶佳に自然と口遊むのは、新古今和歌集に綴られた、式子内親王の歌。
 ――いま桜 咲きぬと見えて薄ぐもり 春に霞める世のけしきかな。

作者:藍鳶カナン 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2021年5月15日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 5/キャラが大事にされていた 2
 あなたが購入した「複数ピンナップ(複数バトルピンナップ)」を、このシナリオの挿絵にして貰うよう、担当マスターに申請できます。
 シナリオの通常参加者は、掲載されている「自分の顔アイコン」を変更できます。