花の彷徨

作者:月夜野サクラ

 古びた社を戴く山頂から、見渡す景色が好きだった。
 都心を遠く離れ、さりとて田舎と呼ぶほどの風情もない、特筆すべきことは何もない地方都市。かつて『彼』が芽吹き育った里山は、人の営みの栄えるに連れて段々と小さくなり、今では昔の半分ほどの大きさもないが、見上げる空の色には変わりがない。
 変わってしまったのは――寧ろ。
 唸る風に紛れて、『彼』は掠れた声を上げる。黒くしなやかに伸びる腕はいつからか『彼』の思い通りに動き出し、芽吹いては足早に咲き散る人々は、いつしかこの山に寄りつかなくなった。なぜだろうと花の梢を傾げた頃に、風に吹かれた噂を聞いた。『山には桜のお化けが出るから、決して近づいてはいけないよ』と、誰かがそう囁いていた。
 悲しい、とは思わなかった。もしかせずとも『彼』の身体は、『彼』がそうと自覚する遥か以前から、宇宙より飛来した何者かに乗っ取られていたのだろう。
 それすらも、今はいつかの昔。
 うねる根に残った土を振り落とし、幹に蓄えた牙を剥き、古い桜は咆哮する。しかし鞭の如くに唸る枝は、もう『彼』の思うようには動かない。
「さあ、お行きなさい」
 冬の忘れ形見のような、暗く冷たい声がした。見慣れた人の子の姿に似て、けれどそれよりずっと白く色のない女がひとり。この世のものとは思えぬ微笑みを浮かべて『彼』の前に立っていた。
「グラビティ・チェインを蓄えて、ケルベロスに殺されるのです」
 ああ、しまったと思った時にはもう遅い。
 促す声に応えるように、ひび割れた幹の中で死が鼓動する。黒い根は蛇のように地を這って、只管に『彼』を急き立てる。山を下り、林を分け、奪うべき命の光る方へ――唯。

●春風の頃
「……と、いうわけなんだけど」
 一通りの説明を終え、レーヴィス・アイゼナッハ(en0060・蒼雪割のヘリオライダー)は革表紙の本を閉じた。春の音色が日増しに深まる三月の終わり、無機質なヘリポートには暑いほどの陽射しが注いでいる。
「もう一度、簡単にまとめるよ。現場は東京の端っこにある小さな里山で、敵は攻性植物化した古桜。例によって、死神の手で暴走させられた個体だ」
 死神のやり口はいつだって狡猾だ。自らは危険を冒すことなく、『因子』によって他のデウスエクスを暴走させ、戦う力のない人々を殺傷させることでその体内に大量のグラビティ・チェインを蓄えさせる。そうして肥え太ったデウスエクスをケルベロス達が討伐すれば、死神は労せず強力な手駒を手に入れることができる――他の生命体の死体を使役することが可能な、死神ならではの謀略である。
「作戦はいつもの通り。ヘリオンを飛ばして、攻性植物の進路に割り込み、これを撃破する。敵が里山を下りきって、人に危害を加える前にね」
 攻性植物が人を傷つけ、グラビティ・チェインを吸い上げればそれこそ死神の思うつぼだ。可能な限り早期に敵を撃破することは目の前の命のみならず、将来にわたって人の命を救うことにつながるだろう。過剰なダメージを与えることで敵の体内に埋め込まれた死神の『因子』を破壊することができれば、死神がその死体をサルベージすることもできなくなる。逆に言えば、『因子』を破壊することができないと、その場で敵を倒しただけで事件解決とは言い難い。そこだけ注意して、と告げて、レーヴィスは小さく息を吐いた。
「現場はなんてことのない地方都市なんだけど……今の時期は、桜が見頃だそうだよ」
 なんでもない街の、なんでもない里山。それが春のこのひと時ばかりは、鮮やかな花色に彩られる。山頂の社の傍らから街を見下ろすと、群れ咲く桜の梢がさながら雲海のように広がって見えるのだという。
「攻性植物になった桜は、その辺では一番古くて立派な木だったみたい。……もしかしたら山の上で長い間、その街を眺めていたのかもしれないね」
 訪れる出会いと別れの季節を前にして、古い桜は何を想う。
 降り注ぐ春光に目を細めながら、ケルベロス達は蒼銀のヘリオンへと乗り込んだ。


参加者
鈴代・瞳李(司獅子・e01586)
リーズレット・ヴィッセンシャフト(奏くん好き好き大好き愛してる・e02234)
アッシュ・ホールデン(無音・e03495)
アウレリア・ノーチェ(夜の指先・e12921)
蓮水・志苑(六出花・e14436)
御堂・蓮(刃風の蔭鬼・e16724)
マイヤ・マルヴァレフ(オラトリオのブレイズキャリバー・e18289)
瑞澤・うずまき(ぐるぐるフールフール・e20031)

■リプレイ

●春の哀歌
 冬の寒さが和らいで、けれどうだるような暑さもない。ほんのりと柔らかな熱を帯びた空気に包まれて、豊かに芽吹いた草花の揺れるさまに光る風の通り道を見る。そんな風に立ち尽くしたことが、誰にでも一度はあっただろう。それほど普遍的で穏やかな午後だった。麓に降り立ったヘリオンを離れ獣道で登る里山は、爛漫の春に溢れている。
「月に叢雲、花に風……とは言うけれど」
 雪のように白い枝から濃い桃色の梢まで、一本と同じもののない桜の木々を見渡して、アウレリア・ノーチェ(夜の指先・e12921)は吐息した。磨き抜かれた黒曜の瞳にひとひらの花弁が映り込み、そして音もなく消えていく。
「花を走狗に堕とすのみとは、無粋なものね」
 他者の身体を乗っ取る攻性植物も、それを利用せんとする死神も。同意を求めるように連れ立つビハインドに目を向けて、けれどその言葉は、あるいは花を散らすしかない彼女達自身にも向けられたものであったのかもしれない。
 彼女達がこの名もなき里山を訪れた理由は一つ――いつとも知れぬ昔から、この山の頂に立ち続けた古い桜を伐り払うこと。それを思えば憂鬱な気分は拭えずに、蓮水・志苑(六出花・e14436)は言った。
「其の場から動けずとも、花も生きて心があります」
「そうだな」
 苦し気に結んだ唇の端を下げる娘の心情を慮り、御堂・蓮(刃風の蔭鬼・e16724)が後を継ぐ。
「永い時を生き、誰よりも見続けて来たこの地を、人を、傷つけることなど望まないだろう」
 意思を奪われ、悪戯に人々を傷つけるよう仕向けられれば、物言わぬ花とて傷つこう。だから――事が起きる、その前に。
 無表情の中に微かな憐憫を覗かせ、口にはしない。しかしそれは、八人のケルベロス達に共通する想いであり、目標だった。やるせない気持ちに片眉を下げて、鈴代・瞳李(司獅子・e01586)は空を仰ぐ。
「止めてやることしかできないのは、少し歯がゆいな」
「でも……救う手段が、其れしかないのであれば」
「……分かってるよ」
 遠慮気味に差し挟んだ志苑の肩をぽんと叩き、女は自嘲気味に口角を上げた。
「こうなった以上は、『彼』の最期を見届けてやろう」
 静かな決意を秘めた呟きが耳に届いたか。女の一歩先を歩きながら、アッシュ・ホールデン(無音・e03495)が足を止め、伸ばした後ろ髪を掻いた。
「あー……どうやらお出ましだ」
 俄かに激しくなった木の葉のさざめきは、風のせいではないらしい。茂みを薙ぎ、名もなき花を轢き潰して、古い桜はやってくる。黒土の地面を踏み締めて、マイヤ・マルヴァレフ(オラトリオのブレイズキャリバー・e18289)は背中の翼を広げた。人も動物も、植物も、命あるものは限りある生を全うするもの――けれど、こんな終わり方は絶対に違う。神がこの星の理を捻じ曲げようと言うのなら、彼女達の力はそれを阻むためにあるのだから。
「ちゃんと終わらせてあげよう。ね、ラーシュ」
 主のただならぬ気配を察知して、黒い匣竜がくるると鳴いた。隠す気もなく深い溜息をつき、アッシュは慣れた手つきで二本のナイフを抜き放つ。
「桜の樹の下には――なんて、実際にやられちゃ迷惑なんでな。せめて、苦しまずに逝ってくれ」
 斜面を下る異形の桜を視界に捉え、ケルベロス達が一斉に動き出す。蒼紫のファミリアロッドで地をついて、リーズレット・ヴィッセンシャフト(奏くん好き好き大好き愛してる・e02234)は声を上げた。
「ねえ、きみ! 本当は誰かを傷つけたくなんてないんだろう?」
 もう鮮明には思い出せないほどの昔から、その血脈の紡がれるのを見守ってきた人々を。広げた腕に暖かな光を集めて、魔女は自分自身に言い聞かせるように告げる。
「独り善がりかもしれない、でも、それなら私は、全力できみを倒そう!」
 捨て置けば人を傷つける、哀れな花。煌めく光の加護を全身で受け止めて、瑞澤・うずまき(ぐるぐるフールフール・e20031)はうねる花枝を真っすぐに見つめて、ケルベロスチェインを握り締める。
「キミを愛してくれた人達を守るために……戦うよ」
 いつの間にか姿を消した桜を、惜しむであろう誰かのために。唸る枝が、散る花が、そんな誰かを傷つける――その前に。

●色は匂えど散りぬるを
 しゃらしゃらと軽やかに音を鳴らして、うずまきの鎖が地を滑る。描かれた魔法陣が放つ護りの光を浴びながら、アッシュは力強く地を蹴った。ケルベロスとして討つべき敵の前に立つ瞬間は、いつもそうだ。刹那の判断が生死を分けるその緊張が、茫洋と空を見つめる金の瞳に軍人の鋭い光を呼び覚ます。
「ち――硬ぇな」
 眉間にわずか皺を寄せ、けれど言葉とは裏腹に、男は唸る花枝を両手の刃で断ち落とす。醜く裂けた幹の内側に獣の如き牙を蓄えて、桜は悲鳴を上げた。調律されていない弦楽器をめちゃくちゃに掻き鳴らしたような奇声だ。しかし決して怯むことなく、アウレリアは漆黒の撃鉄を起こす。一発、二発、三発と白磁の指が引き金を引くたびに無数の花が宙を舞い、折れた枝の断面がしゅうしゅうと白い煙を上げる。
(寄り添っていたい、と、想うのかしら)
 来た道の向こうに顧みる者など何もなくとも、誰かに。何かに。
 人の形を失ってなお傍らに留まり続ける伴侶と彼女自身が、共に在りたいと望むように。
 だからといって、花を散らすこの手を緩めるわけにはいかないけれど。
「ラーシュ!」
 鳴き声で応じたドラゴンが属性を展開するのを横目に確かめて、マイヤは大きく羽ばたいた。風を蹴り飛び込んだ木の幹に刺すような蹴撃を加えて、そのまま空中で反転する。暴れ狂う古桜を一瞥して、仲間達にも聞こえるように瞳李が言った。
「まだしばらくは大丈夫だな」
 敵をぎりぎりまで弱らせてから、大ダメージを叩き込む――複雑ではないが容易でもない作戦を遂行する上では、生かさず殺さずの駆け引きが重要になる。しかしこの様子なら、まだ遠慮は要らないだろう。
 腕に纏わせたオウガメタルに体内を廻るグラビティを載せ、鋭い呼吸で突き込めば、拳撃は古木の乾いた幹を割り、桜は再びの奇声と共に枝を振り上げる。薄く鋭い刃を化した無数の花弁は、歴戦のケルベロス達とて決して侮れるものではなく、志苑は斬霊刀を垂直に立てて身構える。しかし花の刃が降り注ぐ寸前、蓮のオルトロスとリーズレットのボクスドラゴンが最前線に躍り出た。
「あ……」
「大丈夫。それより今は」
 集中だ、と呼び掛ける蓮の声に背筋が伸びた。同じく敵の射線に割り込んだうずまきも、真新しい傷を拭いながら小さく拳を握って見せる。
「そうだよ、守りはボク達にまーかせて!」
 万全の状態で、狙い澄ました一太刀を浴びせる。それが志苑の役目だ。蓮の生み出す光の蝶に神経を研ぎ澄まされて行くのを感じながら、娘は敵を睨み据える。雨にも負けず、風にも負けず、何百年と聳えた桜は頑健で、その動きは衰えつつも依然として激しい。
「来るぞ!」
 花の零れ落ちた枝が碧空を背に大きくしなるのを見て、蓮が促す。振り下ろされる痛打を胸の前に構えた縛霊手で受け止めると、びりびりという衝撃が全身に響いた。いくら刃を交わし重ねても、やはり簡単な相手ではないのだ。渾身の力で振り払ったところで、それぞれが別の生き物のように動き回る細枝は執拗に絡みついてくる。
「大丈夫か? 今、助けるぞ!」
 動きの鈍った仲間達に呼び掛けて、リーズレットは大きく羽ばたいた。白い翼が呼び寄せる優しいオーロラに触れることで、傷口に残る痺れは消え、絡みつく枝はぼろぼろと崩れていく。
 戦線が崩壊する時は、ほんの一瞬だ。今、敵と相対している仲間達が、次の瞬間も同じように立ち続けているとは限らない。特に、身体の自由を奪う毒や拘束は命取りになる――故にこそ、万全を期す。攻撃と防御の均衡が崩れる、その時が勝負だ。
 アッシュの爪が古桜の幹を抉り、アウレリアの竜砲が枝を撃ち落していく様を、誰もが固唾を飲んで見詰めていた。あと一撃、もう一撃――そして遂に、古木は巨躯を傾ける。
「今だ! いっくよー!」
 マイヤの掌の上で、小さな天球儀がくるくると回り出した。目配せすれば瞳李が頷いて、手中のスイッチをほぼ同時に握り込む。そして桜舞う春の里山に、色鮮やかな爆煙が咲いた。巻き起こる風を背に受けて、志苑は冷やかなる刃を振りかざす。
「どうか、安らかに」
 流れるように一閃した軌跡に沿って、白花が散った。氷雪の力を秘めた斬撃は根を張る死神の『因子』ごと、古木の幹を両断する。黒い匣竜を胸に抱き寄せて、マイヤは微かに眉を下げた。
「これからは、心の中で咲き続けてね」
 あなたと共に育ち、その眼差しに見守られて生きた、誰かの記憶のその中で。
 無数の花弁だけを淡い青空に舞い上げて、罅割れた樹皮の裂け目から零れるように、古い桜は消えていった。

●花霞の彼方まで
 朗らかに笑う声と共に、手を取り駆ける影が二つ花枝の下を抜けていく。
「やっぱり綺麗だな! 思った通りだ」
 きらきらと輝く午後の陽射しは汗ばむほどの熱を帯びて、リーズレットは額を拭った。反対側につないだ手の先で、うずまきが嬉しそうに笑う。
「挿木ができなかったのは残念だけど――」
 塵と崩れた花の躯から、形あるものを見出だすことはできなかった。しかし、それで終わりというわけではない。樹齢数百を超す老木が守り育んだものは、今もなお多くこの山に息づいている。そしてそれはまた、彼らケルベロス達の迅速な対処の成果でもあるのだ。救えた命の数と大きさは素直に誇ってもよいだろう。
「そうだ、リズ姉おにぎり食べない? ボク、作ってきたんだ♪」
「え、うずまきさんが?」
「うん、春らしい具を使って……どうかな?」
 元々料理の腕はお世辞にもよいとは言えないうずまきだが、友人達の指導の下、彼女が度重なる失敗にもめげず努力を続けていることをリーズレットは知っている。なぜなら、彼女もそんな『師』の一人だからだ。喜んで、と答える声が弾むのは致し方ない所だろう。差し出された握り飯のラップをはがし、一口含めば満面の笑みが広がった。
 穏やかな空の下、風に吹かれて舞い落ちるひとひらを掌の上に受け止めて、瞳李は注ぐ陽射しの眩しさに目を細める。次から次に羽根を休めては飛び立っていく花弁が『彼』のものか、そうでないかももう分からないけれど、光の中に吹き散る花の姿はただ儚く、美しいと思う。
「動いた後だ、水分くらいはとっとけよ」
「おっと」
 どか、と足元に響いた振動に目を落とすとそこには、小型のクーラーボックスが一つ置かれていた。その持ち主であろう男を訝しげに見て、瞳李は首を捻る。
「どこに隠していたんだ?」
「まあ、ちょっとな。店でもありゃあ奢るとこなんだが」
「いえ、十分ありがたいですよ」
 アッシュの手からボトルの水を受け取って、蓮は小さく会釈した。古桜の行進によって荒らされた斜面や進路上の植物は、目につく限りヒールした。帰投するまでのわずかな時間ではあるが、春爛漫の里山を楽しむのは役目を果たしたケルベロス達の特権である。
「んじゃ、ちと見回ってくるかね、トーリ」
「ん? ああ」
 藪から棒に脇道を指差すアッシュに瞳李は一瞬面くらったようだったが、すぐにその意図するところを察したのか、ふっと唇を綻ばせた。
「そうだな、ゆっくり回ってくるとしよう」
 お邪魔になっても悪いから、と含みを持たせ、女はくるりと踵を返す。それに対し、しばらくは何を言われたのか理解できない様子の蓮だったが――。
「蓮さん?」
 どうしましたと首を傾げる志苑の声に、青年の涼やかな目元が微かに朱を刷いた。長い片想いの末にようやく実った想いが、今は手の届く場所にある。
 面映ゆい気持ちを誤魔化すように、蓮は言った。
「折角だから、少し歩こうか」
「そうですね。やはり花では、桜が一番好きです」
 頬に落ちかかるさらさらとした黒髪に透けて、見上げる志苑の横顔は美しく、花に溶けてしまいそうに儚い。思わず息を詰めた蓮には気づかぬまま、娘はふわりと菫色の瞳を細めた。
「でも貴方と一緒にいられることが、より世界を美しく見せるのやもしれませんね?」
 誰かを好きになることを、共に歩む喜びを。恋の色や形を教えてくれた、大切な人。
 並んだ影が一つに融けていくさまを、舞い上がる桜吹雪が覆っていく。
「菜の花が似合うような関係……だったか」
 木立の間を縫って歩くことしばらく下った山裾には、菜の花の絨毯が広がっていた。その光景にいつかの春を思い起こして、瞳李は俯いた。あの日の告白は数年を経た今もなお、記憶の淵から覗いては俄かに心をかき乱す。
「聞いてるのか? アッシュ……!」
 不意打ちに振り返った男の指が、瞳李の口に何かを押し込んだ。いきなり何をと咎めるより早く、口の中に優しい甘さが広がっていく。
「ま、これからもよろしく頼むわ」
 にっと口角を上げた男の掌には、懐紙に乗せた花色の琥珀糖。しゃりしゃりと歯触りの軽い甘味を飲み下して、瞳李は言った――そういう所だぞ、と。
「桜は綺麗だけど、潔くて儚くて……なんだかちょっと、切なくなるよ」
 名もなき花達に縁どられた獣道から望む景色は美しく、どこか寂しい。気遣わしげに首を傾げる匣竜をぎゅっと抱き締めて、マイヤは言った。
「大丈夫。もういつものわたしだよ」
 山頂に建つ祠をめざして、少女は一人、斜面に刻まれた石段の名残を辿っていく。背中の翼を羽ばたかせて最後の数段を駆け上がるとそこには、お世辞にも立派とは言えない木造の祠と、黒衣のレプリカントの姿があった。
「アウレリア?」
 どうしたの、とその名を呼んで、マイヤは社の傍らに翼を休める。アウレリアとその伴侶たるビハインドは、何をするでもなく山の頂に立ち尽くしているように見えた。
「見ておきたいと思ったの」
 呟くように答えた女の足元には、大きな木を引き抜いたような跡があった。そこに何が生えていたのかは、言うまでもないことだろう。
「花は散り落ちてもまた咲くけれど、それは、同じ花ではないでしょう?」
 だからせめて、この目に焼き付けたい。古い桜が見詰めてきた眺望を、そこに刻まれた人々の営みを――そして。
「……え」
 女の視線の行方を追って、少女ははっと息を吞む。古桜の跡と思しき穴から少し離れた地面には、か細い桜の若木が覗いていた。それが攻性植物になる前に『彼』が残した分け身なのか、或いは偶々そこに芽吹いた苗かは分からないけれど。
 数えるほどの花をつけた若木の傍らで、マイヤは微笑った。
「人も桜も、みんなこうして命をつないでいくんだね」
 今はまだ頼りない若木が、太く豊かな枝を伸ばす大樹となるように。来年の今頃、名もなき里山は今以上の花と緑を芽吹かせて、新たな春を謳歌していることだろう。

作者:月夜野サクラ 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2021年4月12日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 8/キャラが大事にされていた 0
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