ラブラビ

作者:藍鳶カナン

●マグレブ
 美しい星空と街の夜景を望む展望公園に、キッチンカーがとまっていた。
 明るい白と青に彩られた車体に踊る屋号は、『さすらいのラブラビ屋』。
 ある時は夜のオフィス街で残業や人生に疲れたひとびとのオアシスとなり、またある時は祭りの広場で楽しい賑わいに一役買うこのキッチンカーは、ちょっぴりジャンクでとってもあったかい軽食、ラブラビを饗することで知られている。
「ってか、営業許可とるついでに自分で自治体の広報誌に売り込みまくったんだけどね!」
 開店準備をしながら一人で胸を張る青年が『さすらいのラブラビ屋』の店主。売り込みの甲斐あって、SNSで出店場所を告知するたびに駆けつけてくれる常連客も増えてきた。
 今日から一週間の夜のあいだ、この展望公園に設置されているテーブルセットを使わせてもらう許可ももぎとったから、自前のテーブルクロスをいそいそと広げ、公園の街灯もあるけれど、自前の鳥籠型ランプも枝ぶりのよい樹につるす。
 白と青の小さな楽園。
 ひとめ見ただけでもふとそんな言葉が思い浮かぶそれは、優美な純白のワイヤーを編み、明るいブルーの飾りで彩られた、イスラム教のモスクを思わせるかたちの鳥籠で、まさしく『白と青の小さな楽園』という二つ名を与えられたチュニジアの街、シディ・ブ・サイドの名産品として知られるもの。現地で買った鳥籠に彼が充電タイプのLEDライトを仕込み、異国の雰囲気たっぷりなランプとなったそれが、あたりのテーブルを照らす。
 テーブルクロスの四隅につるして安定させるおもり、テーブルウェイトも、小さな陶器を精緻な模様が彩る美しいモザイクタイルで、きらり揺れるそれは通りかかった野良の黒猫の興味を引いた。
 なぁんと鳴いた黒猫がじゃれついて、かぷっとして、
「ぎゃー!? 待ってそれもシディ・ブ・サイドで買ったやつだから!!」
 悪戯にかみちぎって駆けだせば、思わず叫んだ店主も黒猫を追って駆けだしていく。
 だが、彼にとってはその黒猫が、幸運の使者だったのだ。
 足音が遠ざかっていったあと、夜空から金属めいて煌く胞子が舞い降り、鳥籠型ランプに触れて、大きく、大きくつくりかえていく。瑞々しい緑が鳥籠に絡んだかと思えば南国的な桃色の花、ブーゲンビリアが咲いて。花が、LEDライトが輝けば、夜の展望公園に真昼の幻影が満ちていく。
 地中海の空と海を望む、白と青の小さな楽園が広がった。

●ラブラビ
 何だかとっても響きがかわいい料理、ラブラビは、何だかちょっぴりジャンクでとってもあったかい、チュニジアのファストフードというか庶民の味というかソウルフードというかとにかく気取らない料理、
「って感じで、そういうの好きなひとは嵌まっちゃうやつなの~!」
「ああ、それでチュニジアの――シディ・ブ・サイドの鳥籠なんだ」
 尻尾をぴこーんとさせつつ真白・桃花(めざめ・en0142)がそう力説したなら、納得顔で天堂・遥夏(ブルーヘリオライダー・en0232)が頷いた。攻性植物めいたブーゲンビリアの花が咲いたのは、この鳥籠型ランプをダモクレスに変えたのが機械脚のコギトエルゴスムでなく、金属粉みたいな胞子だからだろうね、と彼はケルベロス達へ語り、
「放っておけばこの鳥籠はひとびとを襲うけれど、今すぐ急行すれば相手がまだ展望公園にいる間に捕捉できる。黒猫を追いかけていった店主さんには連絡がついたし、近隣への避難勧告も手配済みで、一般人を巻き込むことなく戦える」
 だから、鳥籠が誰の命も奪わないうちに、撃破して、と願った。
 鳥籠がいるのはキッチンカーの傍だけど、展望公園の敷地内には広く開けた場所がある。
 街灯があるため視界良好、ヘリオンから直接そこへ降下すれば皆の気配に惹かれた鳥籠がやってくるから、その場で迎え撃てば周辺へ被害が及ぶこともない。
「鳥籠はちょっとふわっと浮いてるけど、近接攻撃も普通に届く。ただ――」
 ポジションはキャスター。
 射程の遠近に関わらず、こちらの攻撃はかなりの確率で避けられるはずだ。
「攻撃手段は相手を鳥籠に飲み込もうとする捕縛の単体攻撃と、あたりの空間に、白と青の小さな楽園……つまりシディ・ブ・サイドの光景の幻影を投影する範囲魔法がふたつだね。ライトを輝かせて投影する幻影は足止めの効果、花を輝かせて投影する幻影は催眠の効果を持ってる」
 状態異常はキュアやBS耐性で解除できるが、投影される幻影は敵を倒すまでそのまま。
 地中海の空と海を望むシディ・ブ・サイドの街を、光あふれる白と青の小さな楽園を駆けめぐって戦う心地になると思うよ、と続けた遥夏の狼耳がぴんと立つ。
 決して油断できない相手だが、心浮き立つような戦いになるだろう。
 無事にすべてを終えられたら、夜食にラブラビを楽しんでくるといいんじゃないかな、と彼が話を結べば、合点承知! と即答した桃花の尻尾がぴこぴこぴっこーんと跳ねた。
 真昼の楽園、幻影のシディ・ブ・サイドで戦ったあとは、美しい星空と街の夜景を望める展望公園で、あつあつのラブラビを。決して豪華でなく素朴でジャンクなそれは、今回の『さすらいのラブラビ屋』では大きめのカフェオレボウルで饗される。
 最初にカフェオレボウルに投入されるのは固くなったバゲットを砕いたもの。
 一般的にはそこに熱いひよこ豆のスープを注ぐのだけど、『さすらいのラブラビ屋』ではひよこ豆もたっぷり、トマトピュレもたっぷりな熱々のミネストローネを注ぐのだ。更には半熟卵を落とし、チュニジアで愛される万能調味料・ハリッサも落としたなら、おもいきり掻き混ぜてめしあがれ。
 赤唐辛子をオリーブオイルでペースト状にしたハリッサは、大蒜やハーブやスパイス等をたっぷり加えた店主お手製の逸品だとか。
「ふふふ~。春とはいえ夜はまだ寒いもの、星空のもとで食べるラブラビは絶対に」
 美味しさ満開! に決まってるの~! と桃花が皆に力説する。
 そうしてまた一歩進むのだ。
 この世界を、デウスエクスの脅威より解き放たれた――真に自由な楽園にするために。


参加者
シル・ウィンディア(鳳翼の精霊姫・e00695)
オペレッタ・アルマ(ワルツ・e01617)
隠・キカ(輝る翳・e03014)
アリシスフェイル・ヴェルフェイユ(彩壇メテオール・e03755)
ジェミ・フロート(紅蓮の守護者・e20983)
クラリス・レミントン(夜守の花時計・e35454)
リリエッタ・スノウ(小さな復讐鬼・e63102)
如月・沙耶(青薔薇の誓い・e67384)

■リプレイ

●マグレブ
 ――羽根を切られた籠の鳥も、いつしか己の風切羽をとりもどす。
 純白の鳥籠の裡に呑まれて仰げば春の夜空には満天の星、然れど鳥籠の外に広がる世界をオペレッタ・アルマ(ワルツ・e01617)はもう『識って』いるから。強引に己を鎖す鳥籠に抗う白き腕、藻掻いて足掻くそれが優しい輝きに包まれた刹那、
「オペレッタもみんなも、だれひとりだって絶対にこわさせないよ!」
「ありがとうございます、キカ! ――……!!」
 絶大な癒しと二重の浄化を注いだ隠・キカ(輝る翳・e03014)の光に翼を与えられたかの様に、両の腕で鳥籠の扉を開け放った。羽ばたく心地で飛び立つ世界は眩い陽射しが真白な街並みを輝かせ、地中海の空と海、鮮やかなチュニジアンブルーに彩られた、真昼の楽園。
 呼吸も忘れる、一瞬の永遠。
 春の星々きらめく夜空から跳んだはずなのに、降り立った地で鳥籠を迎え撃てば瞬く間に世界は光溢れる地中海の楽園へと塗り替わった。真白に輝く街並みは目も覚めるような青の扉や窓枠に彩られ、街並みに映える瑞々しいブーゲンビリアの緑も南国的な桃色の花さえも輝くよう――と誰もが思った瞬間、新たな炎を燃え上がらせた鳥籠の裡から鮮烈な光が解き放たれたけれど。
 後衛を狙ったライトの幻影に飛び込んで、夏が来たみたいと怯まず笑んで、
「これが攻撃だって解ってはいるけど、どうしてもそわそわしちゃうのだわ……!」
「心躍るのも当然だよね、幻影だけど、新しい世界に飛び込む心地になっちゃう!」
 流るる星々、緋色の路々、喰らい啜りて潤い充たせ――と一切澱みない詠唱を織り上げたアリシスフェイル・ヴェルフェイユ(彩壇メテオール・e03755)の両掌の裡に浮かぶは黄と緑の六芒星、先に炎を燈した敵へ奔る斬撃がその命を緋色の還流として術者に流し込めば、撫子色の瞳を輝かせたクラリス・レミントン(夜守の花時計・e35454)が七色輝く五線譜の小路を描いて一気に鳥籠へ突撃、華やかなプリズムの煌きと衝撃が爆ぜたところへ、更なる衝撃が振り落ちる。
 咄嗟にキカと真白・桃花(めざめ・en0142)の盾となった護り手達に続いたのは、高々と跳躍して明るいエクルベージュの石畳にくっきりと影を落としたジェミ・フロート(紅蓮の守護者・e20983)、鳥籠の頂へ狙い澄ました斧を打ち下ろせば純白の針金が盛大に弾け、
「破鎧衝の魔法やスターゲイザーの斬撃とは段違いの手応えね! これってやっぱり!」
「破壊が鳥籠の弱点、ってことだよね!」
 虹を咲かせる釣鐘の花々が実らす黄金の輝きで仲間を癒すキカの声音がジェミに続けば、此方も迷わず跳んだシル・ウィンディア(鳳翼の精霊姫・e00695)の手に光の剣が咲いた。
「破壊攻撃だね、それならこれで勝負っ!」
「んっ、上手い具合にリリの攻撃は全部破壊だよ。思いっきりいくからね!」
 強大な火力をデバイスで爆発的に跳ね上げた攻撃手達の技を鳥籠へ届けるのは、失われた愛しい想いを幾重にも歌い上げたオペレッタの透明な声の余韻、序盤は鳥籠の編み目をすり抜けたシルの一閃もリリエッタ・スノウ(小さな復讐鬼・e63102)の速撃ちも、今なら確り鳥籠を捉えて凄まじい破壊力を叩き込む。もちろん皆の攻撃を導くのは歌のみでなく、
「あなたの幻影はとても美しいと思いますが……遠慮は、しません」
 幾度目かの轟竜砲で破壊を撃ち込んだ如月・沙耶(青薔薇の誓い・e67384)達、狙撃手が重ねてきた足止めも鳥籠の回避を大きく鈍らせて、戦況を劇的に変化させていく。
 眩い光降る白と青の街並みに緑を添えるのは桃色の花咲くブーゲンビリアや純白の花咲くジャスミン達、己自身の花やライトの輝きでいっそう楽園に光を溢れさせ、まるで短距離の瞬間移動を繰り返すようふわりふわりと幻影の街に踊る鳥籠を確実に追うのは、デバイスで視界を冴え渡らせた狙撃手達と、敵を逃さず追う力を得た妨害手。ジェミの破鎧衝と沙耶のフォーチュンスターが穿った護りの裂け目を、オペレッタが風に描いた光のデジタル数列が様々な災禍ごと幾重にも深めて広げて、自陣に更なる追い風を齎して。
 輝く街並みの白さは沙耶の少女時代を奪った洞窟の暗さをも吹き飛ばしてくれるようで、駆けぬける街の光景を流麗に彩る青の窓枠も、青い扉に鉄鋲が描く異国の模様も、見知らぬ物語を聴かせてくれるよう。
 暗い洞窟の奥で憧憬を募らせた、眩い世界。
「でも、無辜のひとびとにこの幻影を見せるわけにはいきませんよね」
「うん、終わるのが惜しい幻影だけど、わたし達も負けないくらい輝いているからっ!」
 確実に鳥籠を狙い定めた沙耶の銃口から迸るのも眩い光、敵の勢いを鈍らす輝きを追って馳せればシルの背には蒼風の外套が翼のごとく翻り、楽園に惑わされたりしないよと強気に笑んで握りしめた左手には約束と永遠が光る。銀翼の靴で飛び立つように放つは電光石火の旋刃脚、衝撃と痺れに鳥籠が震えた瞬間、リリエッタが構えた巨大水鉄砲めくライフルから清冽な水の奔流が迸った。
 だが本命は透明な水流を裡から輝かせるグラビティの光、鳥籠に爆ぜた水が冷たい飛沫を振り撒けばそこに混じるのは煌く氷片、凍結光線が鳥籠に氷を奔らせ、弾けた水滴が楽園を彩れば瑞々しさを増したジャスミンの花が甘やかに匂い立つ心地さえして、キカはいっそう胸を高鳴らせた。
 迷子になりたくなっちゃうような街、白と青の楽園に描かれた、明るいエクルベージュの石畳の路を駆ければ皆の靴音さえ唄う気がして、輝く歓喜で胸がいっぱいになりそうで。
 だけどうっかり見惚れちゃだめ、と己に言い聞かせながら夏空の瞳で彼我の状況を確りと見極め、皆と声を掛けあって常に連携を意識する。心を繋ぎ損ねたがゆえに皆よりも後手に回ってしまうことが多いのがもどかしく、花の輝きが齎す魅了を己自身で浄化せんと仲間が一手を費やすことも何度かあったけれど、
「緊急のキュアは私も補助するのだわ、痛手を癒しきるのはキカに頼らせてもらうわね!」
「ありがとアリシスフェイル! んと、きぃもアリシスって呼んだほうがいい?」
「ええ、ぜひ!」
 鮮麗に輝く花の魔力が前衛へ降り注ぐのを仲間の分まで受けとめたアリシスフェイルが、彼女の星が初手に昇らせた光柱で魅了を克服しつつ、大地の記憶から引き出す癒しと浄化の魔法で前衛陣を抱擁し、キカが癒し手の力を存分に揮うまでの間隙を埋めて。
 軽やかにふわりふわりと間合いを取る鳥籠を追うのはクラリス、魔法と歌声の癒しを背に受け楽園を馳せれば、店の軒先につるされた鳥籠や店先に並ぶ明るい色合いの織物、精密な幾何学模様咲くモザイクタイルや綺麗な絵皿に目を奪われそうになるけれど、幻影の坂道を駆けあがった途端に広がった光景に満開の笑みを咲かせた。
 青く輝くような空と海、眼下には数多のヨットが係留されたマリーナも見えて。
 迷わず鎖を奔らせたなら鳥籠を捕えて青海原に錨を下ろす心地、外輪船で航った春の湖、沈没船眠る夏の海とこれまで瞳にした幾つもの青が胸をよぎるも、より鮮やかに甦ったのは薔薇色の残照と菫色の宵が蕩けあった初夏のこと。
「この楽園、あの街並みにも似てる気がするんだよね」
「ふふふ~。あっちもこっちもアンダルシアの影響いっぱい! だものー!」
 楽しげな笑みで応えた桃花の銃口が鎖に縛められた標的を捉えるより速く、オペレッタが撃ち込んだ眩い光弾が白と青の楽園を翔けて鳥籠に爆ぜ、
「アンダルシアの影響……『これ』も、この街の歴史を知ってみたいと、思います」
「そっか、この幻影って鳥籠の空想とかじゃなくて、本当にある街の光景なのよね」
 鳥籠の術の威力を三重に抑える輝きの余韻が消えぬうちに、坂道の頂から空をめざすよう跳んだジェミが、相手の勢いを削ぐ斧刃の一撃で鳥籠を叩き割る。遥か高みから見た光景はまさに楽園と思えたけれど、誰かに見せてもらうまでもなく。
 ――幸せな場所は、自分で掴むわ。
 楽園にふわりふわりと遊ぶ鳥籠は変わらず軽やかに見えて、その実もう攻守ともに大きく力を削ぎ落とされている。鳥籠の捕縛も花やライトの輝きも最早然程の脅威とはなりえず、花の輝きが前衛に降らせた力も皆が防具耐性を活かして躱したと見ればアリシスフェイルは強気な笑み咲かせ、夜空に咲く青薔薇のごとき衣装を光の楽園に躍らせた。
 流れる街並みの光景にカフェが見えれば熱くて甘いミントティーで一息いれたい心地にもなるけれど、白と青の楽園を何処までも駆けていきたい気持ちが勝る。真っ向から鳥籠へと挑むは軽く石畳へ滑らせた靴が纏う炎の蹴撃、熱い破壊を燈し続ける炎、鳥籠の命を着実に燃やしてきた輝きを更に重ねる軌跡を派手に描きだすのは、
「ここから終幕が、フィナーレが始まるからなのよ」
「んっ。この距離なら! ゼロ・バレット!!」
 繋がれた機を掴んで跳び込んできたリリエッタを隠すため。
 眩い炎の輝きを目眩ましに彼我の距離を殺した少女の手には水鉄砲型バスターライフル、零距離で爆裂するのは限界まで加圧された水流の連射、爆ぜた水がリリエッタ自身の氷ごと鳥籠に衝撃と煌きを咲かせれば、楽園の光に弾けた水飛沫と氷片の煌きに七色が躍る。
「ほんと、終わっちゃうのが惜しいけど、ちゃんと幕を引かなきゃね!」
 薔薇色の千夜一夜にプリズムの煌き纏い、即興のアラブポップの旋律を連れたクラリスが全身全霊の突撃で鳥籠を大きく揺るがせたなら、
「ここは六芒精霊収束斬――じゃなくて、マインドソードでいくところだよねっ!」
「そうこなくっちゃ! シルさんの超火力が更に倍! だもんねっ!!」
 世界で唯ひとりシルのみが揮える複合精霊魔法、絶大な威のそれを叩き込みたい衝動にも駆られたけれど、魔法の追撃を加味してもなお敵の弱点を衝けるマインドソードの破壊力が今宵は上回る。シルの右手の指輪から咲く光の剣が痛撃を喰らわせれば、鍛え上げた背筋を存分に活かしたジェミが完璧な狙いで自慢の拳を打ち込んで。
「貴方の運命は……皇帝の権限にて、命じます!! 『止まれ』!!」
 爆発的な威力の殴打で横転した鳥籠が体勢を立て直した時にはもう、数多のアルカナから逃れえぬ運命を突きつけた沙耶の魔力が痺れを奔らせていた。
 なれど麻痺の運命を決定づけたのは、ふわりと躍り込んだオペレッタ。
「『人形劇(マリオネッタ)』を『はじめ』ます」
 アナタがみていた街並みの中で、アナタだけをみつめて、踊って。
 指先から流れだす光のデジタル数列を鳥籠に絡ませ糸のように操って、数多の縛めを深く強めたなら、彼女を呑まんとした鳥籠の扉が、痺れに傾ぎ、がらりと落ちる。だけどあの、鳥籠から羽ばたいた瞬間に、ココロに奔った衝撃を、忘れない。
 ――『これ』はまだ、あの時の衝撃に該当する言葉を、みちびきだせません。
 まるで夢みたいな世界。だけどこれは空想でも夢物語でもなくて。
「あなたの故郷なんだよね? それならあなたの故郷の楽園で」
 おやすみなさい。
 幼い頃に母親がそうしてくれたように、キカは両腕で鳥籠を抱きしめた。もちろん鳥籠は大きくて少女の腕に包み込むことはできなかったけれど、母から受け継いだ、母がまだ心を持たなかった頃の破壊の力を今だけ燈す左手で、限りなく優しく撫でれば、白い光になった鳥籠が、楽園の幻影とともに世界へ還っていく。
 ――きぃが送ってあげるから、こわくないよ。

●ラブラビ
 春の夜空には星々がそっと息づくように瞬いて、街の夜景は潤む星あかりを鏤めたよう。
 夜はまだ透きとおるように冷え込むから、戦いの名残の熱を夜風が浚えば夢から現実へと戻った心地がしたけれど、瞳には楽園のかけらが映る。
「あれ、このクロスもカフェオレボウルも見覚えが……」
「はい。『これ』も、幻影の街で見た記憶が、あります」
 平穏を取り戻した『さすらいのラブラビ屋』のキッチンカーの前、展望公園のテーブルに掛けられた白と青のテーブルクロスもエクルベージュのカフェオレボウルも、幻影の店先に並ぶ織物や絵皿の中に見た気がして、クラリスとオペレッタが顔を見合わせる。幻影だけど夢じゃなかったんですよね、と沙耶も眦を緩めた。
 楽園に繋がる器にはちぎるというより砕くという方が相応しい固いバゲットを崩し入れ、ひよこ豆もトマトピュレもたっぷりな熱々ミネストローネを注ぎ、半熟卵をとろり落とせば夕暮れに陽が落ちたよう。初めてのラブラビにどきどきしながらキカが匙を入れ、
「!? バゲットが雲みたいにふわふわ……!」
「キカちゃんキカちゃん、思いっきり混ぜたら美味しさ満開! なの~!!」
「思いっきりね! 流石は気取らない庶民の味!」
 半熟卵から蕩ける濃厚な陽色ごと存分に混ぜる桃花に倣って、ソウルフードとかって心が震えるのよね、とジェミも遠慮なしにぐるぐると混ぜたなら、思いっきり動いたからおなか空いた~と達成感いっぱいなシルと笑い合い、まずはひとくち。
 匙で掬ったバゲットはふんわり蕩けるパン粥を思わせて、
「――最高っ!」
「ふわぁ、とっても美味しい……っ!」
 頬張ればミネストローネをたっぷり含みスープと小麦の旨味をとけあわせたバゲットが、半熟卵を絡めて口中をあたたかな美味で満たす。噛みしめればほっくりと崩れるひよこ豆の旨味も混じり合ったなら、ジェミとシルの、そして皆の歓声が咲いた。
「素朴だけど、絶対に飽きない味ですよね」
「んっ。特別な味じゃないのに、美味しさは特別だよね」
 固くなってしまったバゲットも美味しく生まれ変わらせる料理だと気づけば沙耶の笑みも深まって、ミネストローネでふわふわになったバゲットをリリエッタもまたひとくち。噂のハリッサにも興味があるけれど、初めての料理に初めての調味料をどばっと――というのはお店に失礼だろうか。
 深紅に艶めくハリッサを軽く混ぜれば、夕色のラブラビがまたほんのり色づいて、
「確かにちょっと辛いけど、ハリッサって辛味を加えるだけのものじゃないのね」
「だよね。ラブラビにぎゅっと詰まった美味しさが、いっそうくっきりする感じ」
 まろやかな辛味と大蒜のコクがラブラビの旨味を更に深める様にアリシスフェイルが顔を綻ばせ、奥から咲くキャラウェイやクミンに、コリアンダーシードの風味が鮮やかに旨味を引き立てる様にクラリスは興味津々。見よう見まねでオペレッタもハリッサを加えて。
 想像より柔らかな辛味に、瞬きひとつ。
「また、口にしたくなる、おあじです」
 エキゾチックで、なのに何処かほっとする初めての味を、ココロに燈した。
 決して御馳走ではなくて、けれど愛されてきたのが解る味。
 パンとスープを別々に食べるのでは勿論、パンをスープに浸して食べたって、この味にはならない。両者が完全に一体となるからこそ――と思えばシルの左手薬指に重ねづけされた指輪がふと眼にとまって、ふふ、とジェミは笑みを零した。約束と、永遠。
「そういえばシルさんはご結婚おめでとうねー」
「ひゃああああぁぁあ!?」
 天真爛漫に「おかわりください!」と頼んでいたシルの頬がたちまち薔薇色に染まる。
「ああんジェミにゃんのお祝い砲はきっと炸裂すると思ってましたなの、そして改めて!     クラリスにゃんも婚約おめでとう! なの~♪」
「ひゃああああぁぁあ!?」
 求婚そのものは夏だったけど指輪をもらったのはバレンタインの折のこと、今夜は女子会だからそんな話もと思っていたクラリスも不意打ちにはやっぱり鼓動が跳ねた。なお桃花が彼女達をこう呼ぶのにはそれぞれ別のきっかけがあるのだが、それはさておいて。
「わあ……! お祝いできるのうれしいな、シルもクラリスもおめでとう!」
 瞳を輝かせたキカの祝福と歓声が咲けば皆からも次々祝福が咲いて、擽ったい心地で顔を見合わせた二人にも、ありがとう、と笑みが咲き、
「結婚はゴールじゃなくて新しい始まりですから、沢山幸せを紡いでいってくださいね」
 幼馴染と再会して結ばれて、それで己の物語が閉じたのでなく、新たに幕を開けたのだと識るから、左手薬指に馴染んだ月の指輪に触れた沙耶も心からの言葉を贈った。
「幸せな話って聴いている方も幸せで、親しいひとのそれならいっそう格別なのよね」
 おめでとうなのよ、ありがとう――と友と微笑みあえば、ラブラビで温まったこころにもからだにも更に幸せが燈るよう。深まる笑みのまままた一匙味わえば、美味し、とふんわり笑み崩れてしまいそうで。
 今度からここのSNSもチェックしておかなきゃと決意したアリシスフェイルの言葉に、きぃもここのSNSフォローしなきゃ、とキカが頷けば、膝に乗せていた玩具ロボのキキに何かが触れる。視線を落とせば、なぁんと鳴いた黒猫と瞳が合って。
「黒猫ちゃんも女子会する? 地中海って猫も多いんだよね」
「ね。マルタ島とか猫の島なんだっけ?」
 当然の様にクラリスの声が弾めば、実際にいきたくなっちゃうわねとアリシスフェイルも瞳を和ませた。地中海へ。シディ・ブ・サイドへ。
「『これ』も、そうおもいます」
 あの鳥籠が皆に、オペレッタに見せてくれた白と青は、決して届かぬ夢ではないから。
 いつか『これ』の目で、『これ』の足で。
 解き放たれたこの星が楽園となった暁に。
 ――行ってみたいと、おもったのです。

作者:藍鳶カナン 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2021年3月27日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 6
 あなたが購入した「複数ピンナップ(複数バトルピンナップ)」を、このシナリオの挿絵にして貰うよう、担当マスターに申請できます。
 シナリオの通常参加者は、掲載されている「自分の顔アイコン」を変更できます。