狂い桜と愛し君

作者:成瀬

 明るい太陽は既に沈み、月の支配する時間がやってきた。
 何本もの桜が植えられたこの公園は、春になると花見客で賑わう。公園の中には小川が流れていて、桜を川に流すと……ひとつだけ願いが叶うという言い伝えが残っている。しかも昼間ではいけない。やるならば、月の綺麗な夜に。
 そして今宵、ひとりの男が願いと不安を胸に公園を訪れていた。
 長く待たせてしまったけれど明日はようやく、愛しい彼女にプロポーズするつもりだった。指輪の入った小箱を手に、どうか彼女が頷いてくれるようにと願って桜を掌に受ける。
 花を小川に流そうとしているその背後に、怪しげな影。
 動き出した桜の攻性植物が男に襲いかかり、あっという間に取り込んでしまった。
 ころころと、小箱が虚しく転がっていく。

「新たな攻性植物の発生が確認されたわ」
 ミケ・レイフィールド(薔薇のヘリオライダー・en0165)はそう言ってケルベロスたちに協力を頼む。
「何かの胞子か花粉によって、古株の桜が攻性植物に変異してしまったようなの。公園にいた男性を襲って、既に宿主にしているわ。現場に急行して、この攻性植物の撃破を。もちろんアタシがヘリオンで送り届けるから」
 現場についてもミケは説明する。
「幸い配下は無し。でもちょっと厄介なのが、このまま攻撃し続けて普通に倒してしまうと宿主が一緒に死んでしまうってコト。ヒールをかけながら戦うことで、戦いが終わった後、宿主を救出できるかもしれないわ」
 普通のガンガン攻めていく戦闘とは少し違った、時間のかかる粘り強い戦いが必要になるだろうと言い添える。
「公園は広くて整備されているし、外灯と月明かりがあるから照明は要らないと思うわ。幸運なことに今回は、他の一般人はいないみたい。戦いに集中できそうね。催眠効果のある香りや、過去のトラウマを思い出させる花粉などを使ってくるから気をつけて」
 自らの記憶に残る甘酸っぱい記憶にミケが小さく笑う。
「プロポーズ、……上手くいくといいわね。それも、まずは告白しなくっちゃ。どうかアナタの力を貸して頂戴。この恋が、上手く花開くように」


参加者
源・那岐(疾風の舞姫・e01215)
月隠・三日月(暁の番犬・e03347)
七隈・綴(断罪鉄拳・e20400)
カシス・フィオライト(龍の息吹・e21716)
ノチユ・エテルニタ(宙に咲けべば・e22615)
雪城・バニラ(氷絶華・e33425)
瀬入・右院(夕照の騎士・e34690)
リュシエンヌ・ウルヴェーラ(陽だまり・e61400)

■リプレイ


 夜に月、地には桜。
 漆黒の闇を溶かしたような黒髪を月と星灯に煌めかせながら、ノチユ・エテルニタ(宙に咲けべば・e22615)は足を止め、冷めた瞳で夜空を見詰めていた。何もかも今は眠りにつくこの刻、花に星空。何故か気分が落ち着く。転がり地面に落ちていた小箱を見つけて、傷つかないように拾い上げる。その様子を見て瀬入・右院(夕照の騎士・e34690)たちはほっと安堵する。
「綺麗な物にはやはり魔が潜むものなのね」
「そうかもしれないね。美しい物には棘がある、という言葉もあるから。とても綺麗だということは認めるよ」
「もしも雪が降っていたらもっと綺麗だと思わない?」
「同感だな。雪、俺も好きだよ」
 雪城・バニラ(氷絶華・e33425)が唇を開くと、カシス・フィオライト(龍の息吹・e21716)が少しだけ驚いたような顔をして、それから小さく笑い頷いた。
 色恋については正直よくわからんが、と月隠・三日月(暁の番犬・e03347)も口を開いた。頭の後ろに組んだ手を解いて下ろす。
「プロポーズってのは幸せなことなんだろ」
「えぇ、幸せなことだと思います。この人と共に在りたいと、そう思える人に出会えるのは。その人がもしも自分のことを想ってくれるなら、それは奇跡と呼んで良い思うの」
 甘く甘いローズ・ブラウンの髪から光の粒子が夜の闇に煌めき消えていく。
「……プロポーズ、必ずさせて上げたいの。恋人さんの幸せな涙を見せて上げたいのよ」
 桜に取り込まれたあの男性が生きるか否かはケルベロスたちにかかっている。必ず助けたい、そうリュシエンヌ・ウルヴェーラ(陽だまり・e61400)は心を決め胸の辺りで片手を握り締めた。ムスターシュにも頑張ろうねと声をかける。
「そうだな。必ず、助け出す! その為に来たんだ」
「叶うかどうかは彼次第だ。ただ、……舞台だけは僕達が整えてやればいい」
「よりによって前日に。攻性植物の驚異はいつになったらなくなるのでしょう」
 一歩先を歩いていた七隈・綴(断罪鉄拳・e20400)は振り返るとこんな風に呟く。
「まぁ、一つずつ確実に。解決していくしかないですね」
 色恋の甘い味を綴が知るのはいつの頃になるだろう。もしかしたらそれは案外、遠くない未来のことかもしれない。
「……緊張していますか?」
 指輪を見詰めていた源・那岐(疾風の舞姫・e01215)にそっと右院が問いかける。その眼差しには暖かい感情と、それだけではない強い意思が感じられた。
「あぁ、いや。少し思い出していたんです。是非彼には、愛する人に想いを伝えて欲しいと思って。……人も花もいつか散るものです。ですが、こんな終わり方は悲しすぎます」
 決して軽くはない多くを背負いながら、己の未熟さに心を痛めることもある。それでも歩みを止めず進んで来られたのは、愛する人や支えてくれる存在がいたからに他ならない。できるなら今回被害にあってしまった男性にも、想いを伝えて欲しい。熱を帯びた感情が記憶から湧き出て、那岐は小さく背を震わせた。戦いへの恐怖ではなく、守りたいという決意ゆえに。
「咲き誇っては散る。桜とは儚い花だと思います。でも、実って欲しいですね。恋が叶う前に散ってしまうのは、勿体ない気もします」
 想いを想像することはしても、右院は深く踏み込みはしなかった。
 これから得る傷や痛みや、力を振るうことを思うと少し恐ろしい。だが来てしまったからには無様を晒したくはない。思うのは自由だ。どうせ心の中など誰にもわからないのだから。そっと息を吐いてそろそろ着こうかという現地へ向かうのだった。


 少し進むと『それ』は在った。
 大きく変化した桜の木、その中心には一人の男が取り込まれている。さわさわと枝が不気味に揺れて、無駄に花を散らし夜風が花弁を巻き上げていた。
(「桜が彼を後押しするならそれでいい。けれど、彼のいのちごと想いを潰すなら」)
 流れるような動きで得物を構え、ノチユも仲間たちと共に桜に対峙する。
「斬り倒してやるよ その花がどれだけの想いを見てきたとしても」
 さらさらと、夜風に葉が騒ぐ音。攻性植物と化した桜がケルベロスたちと対峙する。
「いざ尋常に、勝負!」
 纏う空気を刃のように変え、三日月も戦闘準備を整える。
 その言葉が、戦いの合図となった。
 蔓のように伸ばした枝や幻惑の光で桜はケルベロスたちを苦しめる。異常状態、それも精神攻撃に特化したタイプだ。ぎりり、と腕に絡みつく硬質な蔓に右院は苦しげな声を小さく零すが、守り手としての力がダメージを軽減させた。蔓を腕に絡みつかせたまま、構わないと強引に近くの枝を叩き折る。
「桜に、あなたの想いを攫われてどうする。あなたを待つ人を置いて、此処で死んでいいはずがないだろう」
 取り込まれた男にノチユの声が届いたのかどうか。
 それは定かではないが、男の指先がぴくり、と微かに動いた気がした。
(「願いを叶えるのはあなた自身だ。だからどうか、もう少し耐えてくれ」)
 戦闘中、男が苦しんでいないことは幸いだった。
 掌をぐっと握り締め、降魔の力を弾丸に変え桜に解き放つ。
「『もう動かないで』……助けたいの!」
 夜の闇を削り溶かしそして照らし出す、光の粒子。カタチあるもの全ての影を縫い止めるCoin leger――それは桜の攻性植物とて例外ではない。
「遠隔爆破です、これで吹き飛んでしまいなさい!」
 精神を集中させた綴が狙い定め後方から桜の木の下を爆破させると、爆風の中から現れたバニラが地面を蹴って高く飛翔した。
「その硬い身体を、かち割ってあげるわよ!」
 振り上げたルーンアックスが太い枝を言葉通りかち割る。被片が散り、切断された枝はぴくぴくと気味悪く動いていたが数秒で動かなくなった。
「……?」
 花が揺れて、細かな粉のようなものが風に乗ってバニラへ流れて来る。攻撃というには余りにも緩やかで、穏やか。
 雪があった、白い、白いそして冷たい雪が。消せない過去の底冷えする夜が身を包み込みバニラは己自身を抱くように固まった。何処までいっても何処にも辿り着けないあの夜を、鮮明に思い出す。もしかしたらあの時、バニラの感情は奪われてしまったのかもしれない。取り戻せないあの向こう側へ。
 敵はジャマー。ケルベロスたちの方が数では圧倒的に有利とはいえ、油断できる相手ではない。特に幻惑の光は同士討ちを誘う。
 分身の術でノチユに守護を。
(「殴ったり斬ったりならわかりやすいんだけどなあ」)
 プロポーズ、色恋沙汰。三日月は心の中で呟くがそれも一瞬、今は戦いの最中。余所見をしている余裕はないと切り替える。
 動きの変化に気付いた綴がバニラへ自由なるオーラを飛ばし、癒しと守護の力を与えサポートする。トラウマの幻影は本人にしか見えないが、かといってその苦しみが軽いものだと誰が言えるだろう。身体の傷はいつか癒えても、心の傷はそう簡単はいかない。厄介なものだ。
 桜に取り込まれた男を助けるには、ただ敵を撃破すれば良いというものではない。
 戦闘中ヒールをかけ続けダメージを与えては回復させ、十分な回復量を確保した上で撃破する。そうして初めて救出の可能性が生まれるのだ。
 カシスは淀みなく作戦内容をほんの数秒で確かめ、できるだけチェックして仲間に声をかける。スポーツであればゲームメイクをする司令塔のように。共鳴ヒールの効果を利用し敵への回復役を担当する。
「ようやく、……ようやくプロポーズする決心がついたのでしょう。こんなところで死なせたくはないんです」
 仲間の与えてくれた守護の力で、腕に絡みついていた蔓が断ち切られていく。軽くなった腕を一瞥し、那岐はパズルから雷を生み出した。それは竜のカタチを成して桜へ襲いかかり、辺りに焦げたような匂いが広がった。


 戦闘は大きな乱れ無く進んでいるように思われた。
 元より長期戦が想定された依頼である。多少時間が掛かろうが、男を救出する為。そうケルベロスたちは覚悟していた。
「……いけない!」
 幻惑の光を受けた仲間の目が虚ろだ。そうリュシエンヌは気付くも僅かに間に合わない。そして前衛の仲間へ黄金の果実を使い傷を癒した右院は、信じられないようなものを目撃する。
「虹の様に華麗なる蹴りを、受けてみなさい!」
 後方からの突然の攻撃、虹色の一撃が振り下ろされたのは桜ではなく――カシスの身体。怒りの感情を抑えきれず、カシスは手番を桜への回復ではなく味方への攻撃へまわす。流れる水のような動きで後衛へ攻撃を仕掛け、全てではないにしても守護の力を打ち破った。
「っ、どうか目を覚まして」
 リュシエンヌは淡いオーラを集めて飛ばし回復にまわるが、怒りを解く為にはもう一手必要と知る。
『身体を巡る気よ、空高く立ち昇り癒しの力を降らして下さい』
 それを埋めるように綴が中衛メンバーへ暖かいものを降らせ、焔にも似たその怒りを沈めていく。雨のように降り注ぐのは水ではなく、綴自身の気功の力。
 襲い来る蔓の動きを察知して先に動いたのは三日月だ。蔓が那岐の肌に触れる直前、それを腕で雑に払って盾となる。那岐が短く礼の言葉を紡ぐのに、にっと笑って見せた。
 桜はその動きを鈍くし、何本かの枝は切り落とされていた。
 しかし確証は持てない。リュシエンヌは救出作戦の要であるジャマーの二人へと、眩いオーラを放ちその傷を癒した。その時々で何が必要なのか、何が最適なのかを思考し答えを出していく。それを見たムスターシュも翼を羽ばたかせ清らかな風を送り込んだ。それまで現れ儚い幻が消えていくのを右院は闇へ見送った。朧げでありながら、確かに己自身を構成していた何か。削除された己の記憶。今となっては拾うことのできない欠片だ。
「敵を治療するのは不本意だけど、これも宿主の無事の為だ」
 落ち着きを取り戻し、カシスは敵への回復を試みる。もう結構な量のダメージを与え、回復してきた。終わりは遠くない、はず。
 決して油断していたわけではない。気がつけばノチユは花の花粉に包まれていた。過去の傷を引き摺り出す花粉。だからわかっていた。何が視えるのか。
 美しく白で染め上げられた六対の翼、女神にさえ見まごうその姿。それが、山を作っていく。血と肉で作られた、屍の山を。
 幻だと分かっていても、与えられる痛みは現実だ。
 不意に、数え切れない程の花弁が夜風に舞い上げられた。
 花の嵐を低く駆け抜け距離を詰めた右院が、物悲しげに唇を動かした。幾本のもの枝を薙ぎ、恐れ臆する気持ちを必死に押し殺し、――攻性植物の体力を削り切る。
「……もう、いいだろう」
 そうして右院は、桜を永遠の醒めない夢へと導いた。
 桜がざっと、散っていく。


 最後の一撃を受けて、桜の木は完全に動きを停止した。
 男は解放され地面にゆっくりと崩れる。
「良かった。息はしてるな」
「無事だね、気を失っているけど」
 三日月とカシスが先立って近付き仲間に知らせると、ケルベロスたちは安心した様子で武器をしまったり衣服の塵を払った。
「では、応急処置を。じきに目を覚ますと思います」
 綴がてきぱきと細かい傷に応急処置を施す。
 表情は変わらないながらも、バニラにも成功を喜ぶ気持ちがないわけではない。唇を閉ざし、物憂げに何処か遠くの方へ視線を向けている。
 ノチユから小箱を受け取って、リュシエンヌは男の傍へ置いた。プロポーズが成功するようにと。
「皆さん、お疲れ様でした」
 共に戦った仲間に向け那岐が敬意を込めて会釈すると、声を耳にしたノチユたちも会釈を返してくれる。無傷とはいかないが、立ち上がれない程大きな傷を負っている者はひとりもいない。
 星と月とがまたたいている。
 暗灰地獄をその身の内に燃やし続けながらいつか来るだろう弔いの日を想っていても、星の空は嗚呼、何故こんなに綺麗なのだろう。懐かしさに似た疼きと僅かな痛みを思い返しながら、ノチユは言葉も無く星空を眺めていた。
 今更になって膝がほんの微かに震えているのに右院は気付くが、他にそれを察した仲間はいない。片手で軽く顔を覆うと密やかに深呼吸をし、壊れた場所にヒールをかけ始めた。
 この桜には古い言い伝えがある。花弁を上手く掴み取り、願い事をしながら川に流せばそれが叶うと。幾人かのケルベロスは願いを抱きながら試してみることにした。
「願いは、最後まで生き抜く……これに限るね」
 膝を折ってカシスは流れていく花弁を見送る。水は花をどこに運んでいくのだろうか。世界を滅亡から救う為に己に何ができるのか。薄紅色の瞳は静かに、未来を見詰めている。
(「大切な家族がいつまでも笑顔でいれますように」)
 指輪に触れながら那岐も心の中で願い事をする。たったひとつ叶うとされる願いを、那岐は家族の為に使った。
 大切だと思うものは十人十色。何が正しいのかなど愚問に過ぎる。
 ムスターシュを連れたリュシエンヌは川の方へと向かい、ふわりと舞う花弁を両手で受け止めた。絶えない水の流れにそれを落とし、軽く両手を組み目を伏せる。心に思い浮かべ、強く願うはたったひとつ。何よりも大切な旦那さまがいつも幸せであるように。リュシエンヌには確かに帰るべき場所があり、待っている人がいるのだ。
 一方、三日月は古株の大きな桜の木の下に来ていた。
 どれほどの年月を生きてきたのか、見上げてみると不思議な存在感がある。攻性植物になってしまった桜へと、目を閉じ僅かな間、祈りを捧げた。
「素敵な言い伝えだが……」
 願いは自分自身の力で叶えてみせる。そう思う三日月を、桜の木は優しく応援しているようでもあった。
 応急手当てを終え、綴は夜桜に願いを託す。胸騒ぎがしていた。これから何か、未来を決める大きな戦いが起こる。そんな気がしていた。
「この平和な時間が、何時までも続きます様に……」
 ――せめて、今この時だけは。そう願わずにはいられない。
 そうして願いを携えた者がもう一人。
 ひらひらと落ちる花弁を手にノチユは思う。思わずにはいられない。あの人と、生きていきたい。愛してゆきたいと。
 死がゆっくりと、遠ざかっていく。
 星のひかりと花のいろは、まだ確かに続いている。ケルベロスたちが希望を抱く限り、これからもずっと。

作者:成瀬 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2021年3月14日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 5
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