幽に桜

作者:雨屋鳥


 夢を見ていた。
 ただ眠っていた。
 深い海の底で自分の零した花弁が波にさらわれていく夢を見ていた。
 そんな時、誰かが、何かが触れた。
 黒衣に身を包む女性。
 人間ではない、生者ではない。
 ならば死者かと問われればそうとも感じ取れない。
 絶えず揺れる波の中にあって、それは揺れていない。
 常に揺らぎ続けるがゆえに、そう想うのだろうか。
 それは言う。
 求めなさいと。
 求めた末に死ぬのだと。
 夢を見ていた。
 夢を見ていたいと、目を覚ました。


「――は」
 光景は幻想的だった。
 だが、感じるのは恐怖だ。
 男性は、未だ枯れたように身を潜める桜並木を歩いていた。よく見ればそこかしこに花の芽が宿っているのは知っている。それでも、まだ時ではないと膨れ上がる体を必死に押し込める並木は枯木同様に静けさを、冬の寂しさを掻き抱いている。
 だというのに。
 その中の一つが、その瞬間に咲き乱れた。
 星一つない、乾ききった紺色の空に。正しく笑顔を広げるように。淡桃が咲き乱れた。
 底しれぬ恐怖が心臓を鷲掴む。
 気づけば、男性は血溜まりの中に倒れていた。
 一面の血溜まり。周囲に見知った顔ぶれの死体と、千切れた自分の胴体。
 地面を転がる。
 満開の桜と、澄んだ春と冬の混ざる青い空が広がっている。
 それが起きたのは、温かな日射しの降る昼下がりだった。
 一人の死体が沸き上がる木の根に呑み込まれていく。
 また一人、だれかの足音がする。


「事件が予知されました」
 ダンド・エリオン(オラトリオのヘリオライダー・en0145)が告げ終わるやいなや、少年が、拳を固めて頷いた。
 ラルバ・ライフェン(太陽のカケラ・e36610)。ドラゴニアンの少年は、滾る輝きを瞳に宿し、現れるデウスエクスの名を口にした。
「攻性植物が暴れ始めるんだよな……ッ」
「はい、……どうやらこの攻性植物は死神の因子を植え付けられているようです。人々を幻に捕えて、取り込んでいこうとしています」
「でも、まだ誰も殺されてないんだよな、だったら……」
「ええ、今すぐに動きましょう。この攻性植物が大量のグラビティ・チェインを蓄えたなら、被害は拡大していきます」
 ケルベロスとして放置はできない。
 そして、時間が経てば経つほどに。グラビティ・チェインを蓄えれば蓄える程にケルベロスが攻性植物に死を与えた時に、より強力な死神の手駒となって蘇るだろう。
 討つのなら、今をおいて他にはない。
「ですが、死神の因子――これによって、撃破するだけでは、死神に回収されてしまう可能性があります」
 ダンドは、言う。
「攻性植物の撃破と同時に、死神の因子をも破壊する必要があります」
 そのためには、デウスエクスに対して、過剰なダメージを与えて死亡させなければいけない。死を超えた過剰なダメージこそが死神の因子を破壊しえる手立てなのだと。
「そのためには、迷いを打ち払ってください」
 攻性植物は、幻を使い、惑わせてくる。戸惑、眩惑、困惑。惑いは、すなわち停滞。それらは、動きを、時に攻撃を鈍らせる。
 武器、防具、装飾、グラビティや心構え。信を置けるものが頼りになるだろう。
「……うん。ああ」
 ラルバはダンドの言葉に、首肯して息を零す。
「でも、きっと、みんな大丈夫っすよ」
 たとえ、未だに真意の見えない死神の影がちらつく事件だとしても、被害を食い止めるという意思は誰もが持っている。
 信じている、と何よりその笑う瞳の光が語る。
 そんなラルバの言葉に、ダンドは固い表情をほころばせる。
「ええ、私も信じています」
 そう言い、ヘリオンへと向かっていった。


参加者
隠・キカ(輝る翳・e03014)
霖道・裁一(残機数無限で警備する羽サバト・e04479)
レスター・ヴェルナッザ(凪ぐ銀濤・e11206)
風音・和奈(怒哀の欠如・e13744)
葛城・かごめ(幸せの理由・e26055)
瀬入・右院(夕照の騎士・e34690)
ラルバ・ライフェン(太陽のカケラ・e36610)
キース・アシュクロフト(氷華繚乱・e36957)

■リプレイ


 涙の代わりに、歯車が宙に煌めいた。
 スポットライトが少女の表情を影に包む。
 竜の尾が揺れる。鋼が走る。歯車が舞う。
 滑った液体が床を這う。
 歯車が溢れ落ちる。
 光に潰されるように座り込んだ少女は、暗がりの惨劇を見つめていた。
 父が母を殺す、その情景を。
 冴えた冬が、寂しい目をした母を壊すその姿を。
 母の体が砕ける。歯車が降る。父を見上げた。竜人は少女を見下ろそうとし、その寸前で無数の歯車に変わって床に崩れ落ちた。
 誰もいなくなる。
 立ち上がろうとした。その瞬間足を取られて転ぶ。顔から床に倒れ込む。
 顔を上げる。無数の歯車が床を埋めている。そのどこかに母がいると思った。その姿を探す。父の声を探す。赤黒い空に薄桃の雲が揺れる。錆びた色の歯車に溺れるように少女は踏み出そうとする。
 泣いてはいけない。言い聞かせる。これは幻、少女の記憶。
 歯車が少女を呑み込む。必死に手を伸ばす。硬い感触。歯車とは違う感触。
「――キキ」

 春のにおいが溢れかえる。澄んだ空を染めんと桜の群れが咲き誇る。隠・キカ(輝る翳・e03014)は竜砲を撃ち放ち、足元から攻性植物の蔦を伸ばす。
 襲い来る花弁を呑み込み、潰すように。
「夢を見ていたかったの?」
 花空が晴れて、夜空が広がる。星が足元を輝かせる。それらを集めて、無数の槍を作りキカは、腕の中の人形を抱きしめる。
 息を吸えば喉が鳴った。
「でも、だめだよ」

 目を覚ます。そこは暗い空だった。赤黒い空が灰色の雲を這わせる血の匂いに満ちた場所だった。
 身体を起こす。脚を掴む腕を外す。腐る前の肉は脆く容易くその拘束を外す。もはや死臭はしない。肺の奥にまで死が染み付いている。灰燼を巻く風が身体をすり抜ける。
 振り返る。景色は無い。死が満ちている。それ以外に何も無い。何かがそこにあると分かっているのに、それを見るための目がないように、聞くための耳がないように、触れるための皮膚がないように。
 掠れて霞んで。僅か数センチで反響を繰り返すように。曖昧な死という文字が頑然と浮かんで。
 首に手を伸ばした。
 喉は無かった。
 いや、喉の奥に固い感触だけがあった。透り抜けた喉から指を引き抜く。血と細かな肉片に濡れた手。
 身体が赤と青と黒の血管に解けていく。死の匂いが己の中に充満していく。
 それを呑み込んだ。
 ああ、そうだ。こうして生きてきた。こうして理を得てきた。
 味は思い出せない。

 他者の死を利用する。それを否定はしない。
「まあ、言い訳だけはしないよ」
 それが償いなのかもしれないけどね。開き直るように言う。かつて同じだった事を隠しはしない。
 瀬入・右院(夕照の騎士・e34690)は、そうして声が震わせる喉を包むように触れた。全身の汗が冷えていくのを感じる。
 確かな感覚がここにある。それを信じ。
 思い出せない戦場の記憶に震える手先を叱咤するように防御を固め、夕暮れに紛れるように繰り出される桜の斬撃に、脚を踏み出した。

 森羅万象全てを喰らい尽くす、略奪の王者。その全てが己を酷薄に見下ろす壮絶たる光景。己を削り、痛みと苦しみに、ただ立ち上がり続けた。
 そんな記憶に、地獄と化した深い紫へと暮れる日射しの中で。
「あぁ」
 苦笑いを零した。
 見上げる。降る視線を正面から受け止めて、熊本城の周囲を巡る竜へと笑いかけすらしてみせた。
 強大な相手。叶わぬ強敵。欠けたように空に罅が走る。
 貫く敵意。身を焼く害意。憎悪。魂を揺さぶる声に似た、その震え。
「惜しかったですね」
 だからどうしたというのか。
 指を鳴らす。
 ただそれだけで、空を埋める竜が次々と爆ぜて、塵と消えていく。

「幻惑に閉じ込めたいのなら、もっと愉快な夢を見せるべきでしたね」
 おかしの家とか。葛城・かごめ(幸せの理由・e26055)は、弾いた指を爆破スイッチに掛ける。
 カラフルな爆煙が爆ぜる。その衝撃を肌に感じながら瞼の裏に残るドラゴンの幻影を思い出す。
 既に乗り越えた相手だ。
「止まりませんよ」
 夜明ける煌きがかごめの瞳を輝かせる。
 オウガメタルが光の粒子を瞬かせる。
「でないと助けた人々も、救われないでしょう?」
 声は、仲間へと。

 花に落ちる。
 息を吸う間もなく、瞬きをする間もなく、過ぎる言葉に指を掛ける間もなく、落ちていく。
 伸ばした手には何も触れない。
 見つめた先に、何があるかも見えない。
 進んではいない。落ちてすらいないのだ、落ち始めた瞬間から何一つ、時は進んでいない。
 落ちることすら出来ていない。もどかしい。爪先を胸に突き刺す。肉を破り肋骨を引き剥がす。細泣く心臓が苛立たしい。握り潰し、激痛に声を上げた。
 息をする己が憎い。喉を裂いた。血を温める腹が憎い。腹を裂いた。もがく、探すように虚ろを裂く。
 先の見えぬ目を潰す。苦悶しか漏らさぬ舌を千切る。無空に満ちる血が全身を溶かし、侵していく。
 虚になった眼窩を穿つ指に牙を立てる。顎を引き剥がそうとする指を折り砕く。肩からその先を削ぎ落とす。
 骨が砕ける。顎が括り落ちる。
 独りだ。
 守るべき人も、屠るべき敵も無く。
 ただ、己に千切られた死体だけが漂っている。
 それでも、この体が留まり続けるのは。
 この体に重みがある。繋ぎ止める重みが。

「ああ、聞こえる」
 己を呼ぶかごめの声に、レスター・ヴェルナッザ(凪ぐ銀濤・e11206)は銀炎を眼窩から吐き出しながら返す。
 物言わぬ首飾りが、澄み渡る青空から湿る畦道へと頭を落とさせる。
「花に溺れる程、儚くはないんでな」
 顔を上げる。それは己の力で。
 大波と化した桜の群れを、白銀を纏わせた竜骨の一閃に吹き散らす。

「おのれ……っ」
 絶望だ。
「おのれおのれ……リア充どもめぇッ!!」
 叫ぶ。しかない。
 右を見ても、左を見ても、カップル、アベック、ペアばかり。青空見上げ暖かくなってきたねとかほざきながら、アツアツと身体をくっつけあっているものばかり。
 なんたる悪夢か。無遠慮にばら撒く馬鹿らしい放射熱が温暖化を招いているのだ、違いない。脳が茹だっていきそうだ。デートスポットだというのか、ただの広場だろうに。
 だが。だが、それでもなお。
「だが! 俺は独り!!」
 何故だ。幻というのならば、夢だというのならば、恋人の一つや二つ隣にいてもおかしくはないはずだ。
 だというのに、独り。孤独の極み。世界から「二人組作ってー」などと言われてハブられたような状況ではあるが、不満はない。
「俺だけが現実を見ているということに他ならないからだ!」
 両手を広げ、愛に満ちる世界に唾を吐きつける。
「そう……辛き非リアな! 現実を!!」

 胸が痛い。
 霖道・裁一(残機数無限で警備する羽サバト・e04479)は胸を押さえた。
 なんというか、夢ですらこう、ああいう感じになれないし、無駄にショックを受けた気にしかならなかった。
 苦しいとか、嬉しいとか、そういう感情も無い。
 虚ろである。ブラックホール的な感情が胸を締め付けている。
 満開の桜並木。
 なので。
「つらみしか生まない植物死すべし」
 攻性植物に実った果実から放つ神々しい光に照らされて、裁一は真っ黒な笑みを浮かべていた。

 雪が、枝を覆う。
 灰色の空の下。まるでこの世界の白という色がその枝の先にしか降りないと思うような、白々しさで、桜に雪が咲いていた。
「忘れるな」
 己の声がする。
「時を動かすな」
 触れ合う肩に、己と同じ姿の、己が言う。
「留まり続けろ」
 色の抜けた灰色の世界に、白を湛える頭上を見上げた。色が抜けたような。吐く息すら黒いというのに。
「脆く砕かれるような心は凍らせる、熱い恋情も、友情も全て」
 そう決めたのは、誰だ。
「お前だ。俺がそう決めた、お前がそう決めた俺を、忘れるな」
 己自身だ。誰よりも信を置き、故に、誰よりも己を惑わすのは、己自身だった。
「忘れないさ」
 見つめ返した。墨のような地面を蹴る。欠片が行き場を無くして消えていく。それを視界の端で見る。
 なあ、と告げた。
「もういいだろう」
 魅せられた氷壁はもう要るまい。己に語りかける。
 雪が、時を止めた氷が。
「春は――」
 溶けて、落ちた。

 溢れる花弁を蹴り開く。
 流星の輝きが、花の帳を吹き散らす。
「ああ、夢を見る時間は終わりだ」
 降る光の槍に、爆炎の弾幕に、目を凝らしキース・アシュクロフト(氷華繚乱・e36957)は、春の音に従う。
 飛び交うのは仲間の声。
 温もりが指先に灯る。もう想う事をやめようと願おうと、この心地よさは時を前へと進めようとする。
 春は。
「もうすぐそこだ」
 また、それを待ち遠しく。

 幾万の線に霞む暗がりで。
 指先に触れた温もりは、僅かに震えていた。
「ねえ、どうしてそんなに哀しい顔をしてるの」
 哀しんでなどいない。哀しむ意味など無い。
 いつかの、己の声が耳を優しく劈く。
「どうして苦しんでいるの」
 苦しまなければ。傷を付け続けなければ、この軋みを抱え続けなければ。
 失った翼は、私の。
「帰ろう?」
「……ッ!」
 無理矢理に腕を振り払う。
 幼い腕は容易く剥がれた。
 いや、初めからその手は握られてすらいなかったのかも知れない。
 その手を離さないよう、置いていかれないよう、震える手で握り続けていたのは。
「ふざけんじゃない……ッ」
 行き場を無くした手を握りしめる。幻だ、全部。
 全部。己が見る幻。
 見たいと願った、捨てきれぬ幻想。
「甘えんじゃない!」
 誰かにそう言って欲しかった。諦めていいと、幸せになっていいと。
 優しく微笑む、幼い自分が手を伸ばしてくる。抱擁し、柔らかな幸せに誘おうと。

「ああアァッ!」
 地獄が笑みを焼いた。
 風音・和奈(怒哀の欠如・e13744)は頭蓋を砕くような鈍痛に叫ぶ。笑うな。笑みを浮かべるな。この幻想に、生温い欲望に。
「私は幸せになっちゃいけない! いまさら立ち止まっていられないんだよ!」
 火炎の弾丸をばらまいて幻影を抉り飛ばしていく。
 地獄さえ飲み込むような深宵の空が冷たくそれを見下ろしている。

 手を伸ばせば、届きそうだった。
 それでも手は動かない。
 目を開き、こわばりが綻び、何かを失ったように笑う。
 助からないのだろうか。助かるはずだ。この力があれば、護れるはずだ。その為にここまで来たのだ。
 この力で、護れたらと。
 ヒールで彼の命は繋がる。そう確信しているのに、身体は動かない。ただ、呆然と見つめているだけ。
 世界が止まる。空白の中で、延々と死に顔が変わらず、僅かなズレを残し、修正されてを繰り返し続いていく。
「……護られてばかりだ」
 呟いた。
 護りたい気持ちは本物だ。大切な仲間と一緒にいて笑える嬉しさ。それを信じたい。
 そうして、その先にあるものを失いたくないと。
 だから、それは、願望を叶える為の手段なんだろう。
 願ったのだ。いや、願い続けているのだ。
「――一緒に」
 笑っていて欲しかったと。
 そうして、死にゆくその笑みを見た。
 笑って欲しかったのだろうか。笑った彼も、抜け殻になってすら、微笑みかけてくれた彼も。
 笑って欲しかったのか。
「師匠」
 それが彼の護ったものだから。
「行ってくる」

 惑わされるな。
 仲間がいる。幻影を和らげてくれる仲間が、力を振り絞ってくれる仲間が。
 人々が笑って過ごせるように。そうやって継いだ力と意思がある。
 振り下ろされた、巨大な花弁の斧。自らその真下へと飛び込んだラルバ・ライフェン(太陽のカケラ・e36610)は、押し潰される勢いを斜めに逸し、回転するそのままに刃の側面へと旋刃脚を打ち込んだ。
 砂を詰めた袋を破裂させたような、桜吹雪が溢れる。
 ぼんやりと、その色が薄らいだ。


「ふ、はははは!!」
 さながら、その裁一の笑い声に端を発したように、攻撃に苛烈さが増す。
 だが、それは表面上の勢いでしかなかった。
「削れてますな、弱まってますな、衰えが見えてますなあ!!」
 回復、補助の合間に毒をばら撒いている裁一が叫ぶ。
 今こそ好機と。
 それを背に受け、レスターが駆ける。
「……ッ」
 白銀の火炎を瞬かせた光条が、和奈へと迫らんとしていた花槍を絡め取り緩慢に押し止める。そこへと飛び込んだレスターが、剣を盾に和奈の進む道を開く。
 大質量の轟音に飲まれた彼を振り返らず、和奈は駆ける。
 右に赤熱の地獄。左に黒銀の天炎。
 指合せ重なり、掌に浮かぶは黒球。
 阻む桃色の大波。全てを呑まんと牙を向く大壁。
「あなたも」
 キカが、その必死の抵抗に人形を胸に抱く。
「本当は生きていたかったよね」
 目を逸らさず、声を聞く。声を聞くように、頷いた。
「ごめんね」
 直前に放ったものと同じ石化の光。だが、軽減されたそれも、一瞬を稼ぐには十分で。
「だとしても、……人々を襲うのであれば、見逃せはしません」
 かごめが従えたオウガメタルが放つ粒子が和奈に吸い込まれていく。石化に固まった波を越え。
 直下、キカを呑み込まんとした波へと、壮絶な蹴りの一撃がそれを吹き飛ばす。白い毛の尾が揺れる。キースがその先へと駆けた背を見送る。
「……形のないものだけれど」
 絆。そう呼ばれるものは、確かにあるのだと。いつかの自分へと告げる。繋がっていくそれに、むず痒しげに尾を一つ振った。
 溢れる花弁が世界を閉す。距離の狂う幻想の花弁に。
「さあ、俺が手助けをするんです」
 神話をも彩る、花弁が幻をこじ開けた。
 右院の召喚した女神を冠する花々が、和奈の背を押して進ませる。
「……ふぅ」
 髪をかきあげる動作に花弁の渦中にいた目標を狙撃する緊張から来るため息を誤魔化して、右院は胸をなでおろすのだった。
 もう心配はないだろう。ケルベロス達が植え付けた蝕みは、もはや意味を為さない程にかの桜は弱っている。
 キースの一撃から、攻撃を放棄した彼らは、その最後の一撃へと賭ける。
 ラルバが、己と向き合う。その中に喰らうデウスエクスの渦へと。
「目覚めを……っ」
 体内に食われて尚蠢くデウスエクス。未知なる感覚に溢れるそれらを御業に御して固め、鋭い感覚へと。
 瑞を齎す、神足れと。
 その力を、感覚を和奈へと捧げる。
 刹那、嵐春が晴れた。
 周囲に花弁一つなく、春を待つ木々の中で一つだけ。
 新芽すら芽吹かず、朽ちていくばかりの樹が聳えていた。因子のせいか、それとも攻性植物としての限界か。
 看破に、幻術の限界が弾ける。
 ケルベロスの全てが、この瞬間に幻を脱却する。
「……ッ和奈!」
 ラルバが叫ぶ。
 今、この時。全力を。
「みんなが託してくれたんだ! 絶対に、潰す!」
 拳と共に、黒珠に凝縮されたエネルギーが爆ぜ――。


 遠くで鳥の声が聞こえる。
 花を待つ声。
 空は霞、風はざらついて、髪を揺らす。
 子供の声がする。美味しそうな香りがする。
 僅かに、蕾が綻んだ。
 冬が終わる。

作者:雨屋鳥 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2021年3月16日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 3/感動した 0/素敵だった 1/キャラが大事にされていた 1
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