鶚の囀り

作者:秋月諒

●鶚の囀り
 紅白の梅が咲く通りは、最近見つけたばかりの帰り道だった。春を待つ風が心地よく頬を撫でていく。
「……良い風ですね」
 ふ、と笑みを零して幸・鳳琴(精霊翼の龍拳士・e00039)は足を止める。梅見も良いのかもしれない、そんなことを思いながら空を見上げ——唇を引き結ぶ。
(「何かが……来る」)
 鳳琴が緩く拳を握ったのと『その声』が聞こえてきたのは、ほぼ同時であった。
「見つケ……」
「見つケタ」
 足音も無く、それは告げる。一人、二人、三人と増殖する影は、何処までも人の姿をして——だが、違う、と鳳琴は思う。
「——貴方たちは幻です」
 敵意はある。殺意もある。だが、どれも気迫だったのだ。ゆっくりと人の形を、色を得ていく影を前に鳳琴は緩く足を引き、構えを取る。すぅ、と一つ息を吸って拳を握った。
「幻影を操る者、姿を見せなさい」
「——あら」
 最初に見えたのは糸だった。ピン、と張られた糸が解けるように地面を滑る。鳳琴を囲うようにあった影が消え、くすくすと笑う声が響いた。
「この程度では趣が足りなかったようね」
 次いで響いたのは足音。カツコツ、と響いたそれは態と鳴らされたものだ。さっきまで気配など無かった。
(「忘れるはずも、無いというのに——」)
 艶やかな髪を揺らし、五指に絡めていた鋼糸を空に流し、あぁ、と笑う。嗤う。その存在を鳳琴は忘れたことなど無かった。
「……鵺」
「私を知っているようね? お嬢さん。あぁ……贈り物でもしてあげようかしら?」
「……」
 こちらの言葉に構わずに来訪者は——螺旋忍軍がひとり鋼糸使いの鶚は告げる。
「あは、良いことを思いついたわ。影の代わりに今度は本物の人にしましょう。最初から人だったらあなたはどう反応したかしら? その拳を向けたかしら?」
「——私が、思うのは」
 鳳琴は息を吸う。深く心を落ち着けるように、己を見失わないように拳を握る。
(「——ただの、母の仇」)
 鋼糸使いの鶚は操作系の忍術を得意とする。他者を操る時のみ愉悦の笑みを作るあの螺旋忍軍の望みは、鳳琴を操ること。
 ——復讐の、殺意の渦へと。
「あなたを、ここで必ず止める必要があるということです」
「つまらない子ね。でも良いわ。楽しみは取っておくべきでしょう。大丈夫、貴女の大切な人たちもみんな、私の糸で操ってあげるわ」
 そうして、と鋼糸使いの鶚は笑った。
「殺すのか殺されるのか、さぁ愉しく踊りましょう?」

●鳳凰の翼
「皆様、お集まり頂きありがとうございます。急いで向かって頂くこととなります。鳳琴様があるデウスエクスの襲撃を受けるという情報を掴みました」
 鳳琴の宿敵——螺旋忍軍のひとりが、襲撃を仕掛けるというのだ。
 レイリ・フォルティカロ(天藍のヘリオライダー・en0114)はそう言うと、真っ直ぐに集まったケルベロス達を見た。
「連絡を取ろうとしたのですが……掴まりません。一刻の猶予もありません。鳳琴様の救援に急ぎ向かって頂きます」
 鳳琴が八極拳系拳士一門の幼き宗主であるとはいえ、ただ一人で立ち向かうには流石に分が悪い。何より、とレイリはひとつ言葉を切った。
「件の宿敵——螺旋忍軍がひとり鋼糸使いの鶚のことを、もしかしたら鳳琴様がご存じなのかもしれません。ですが、現状、こちらでは詳細は掴めていません」
 だが、もしも因果があれば——それが仇という可能性で存在しているとしたら鋼糸使いの鶚はそれを『使って』来るだろう。
「鋼糸使いの鶚は鋼糸を用いた操作系の忍術を得意としています。他者を操る時にのみ愉悦の笑みを作る。まず間違いなく、鳳琴様の心を操ろうとしてくるでしょう」
 例えばその身を殺意に、怒りに染め上げるように。もしも復讐の相手であれば——ただそれだけに染め上げるように。
「本来の鳳琴様の心を塗りつぶし、消し去るほどに。そんなこと、させるわけにはいきません」
 鋼糸使いの鶚は拘束系の忍術の他、遠距離近距離に於いても高い攻撃力を持つ。その性質上、恐らくはジャマーだろう、とレイリは告げた。
「嘗ての戦いで、その力を大きく削がれたようですが……それでも鋼糸使いの鶚は強敵で在ることは間違いありません」
 戦場となるのは梅の花が咲く大通り。避難誘導と、一帯の確保は任せて欲しい、とレイリは告げた。
「皆様はどうか、鳳琴様の救援に向かってください。戦いの方はお任せ致します」
「鳳琴様にどのような事情があるとしても鋼糸使いの鶚に利用し操られるべきものでもありません」
 レイリはそう言うと、真っ直ぐにケルベロス達を見た。
「さぁ全速力で参りましょう。鳳琴様の元へ」
 ——皆様に、幸運を。


参加者
幸・鳳琴(精霊翼の龍拳士・e00039)
セレスティン・ウィンディア(穹天の死霊術師・e00184)
シル・ウィンディア(鳳翼の精霊姫・e00695)
源・那岐(疾風の舞姫・e01215)
愛柳・ミライ(白羊宮図書館司書・e02784)
華輪・灯(幻灯の鳥・e04881)
源・瑠璃(月光の貴公子・e05524)
渡羽・数汰(勇者候補生・e15313)

■リプレイ

●鋼糸使いの鶚
「遊びましょう?」
 囁くような声を残し、鋼糸使いの鶚の姿が消える。幸・鳳琴(精霊翼の龍拳士・e00039)の頬に触れた風がひいた。ざぁあと鳳琴の黒髪が靡く。反射的に身を後ろにひく。相手の加速に顎を上げ——だが、チカ、と目の端で何かが光った。
(「これ……」)
 握る拳に見えた光——指輪だ。薬指の約束がチカ、と光る。反射。でも、陽の差し込む方向とは違う。ならこれは——。
「鋼糸……!」
 後ろに退く足で鳳琴は地を掴む。そのまま後ろに飛ぶ代わりに無理矢理に体を横に振った。半ば、肩から地面にぶつかるような無茶な回避。手を滑らせて土を掴む。ヒュン、とさっきまで鳳琴が居た場所を鋼糸が両断していた。
「あら、気がついたようね。まずは腕か足を貰うつもりだったのだけれど」
「……鶚」
 カツン、と響く足音に、息を吸うようにして鳳琴は身を起こす。視線を向けた先、鋼糸使いの鶚は笑みを浮かべていた。
「まぁ、すぐに終わるようでは趣に欠けるものね。私を探していたのでしょう? 父親と同じように」
「——」
 その言葉に唇を引き結べば、鶚の瞳は愉悦を滲ませた。
「教えてあげましょうか。あなたの母親がどうやって私に殺されたか、私を殺そうとしたか」
 ねぇ、幸・鳳琴。と鶚が告げる。空を滑るように鋼糸が踊る。
「あなたも同じ術を持つのかしら。あぁ、楽しみね。同じ顔をして、私に膝をつくのかしら。同じような死に様を——……」
「殺意に、怒りに心を染める」
 煽るように抉るように声は響いていた。そう『している』のだと分かる。
「私がそうなると思うなら、おあいにくです」
 真っ直ぐに視線を向けて鳳琴は告げた。小さく目を瞠る鶚に告げるべき言葉は憎悪の果てには無い。
「貴方への憎悪の念は、とうに通過した場所だッ」
「そう、そうなの……それは冷たいことね」
 踏み込んだ先、拳が空を切る。早い。とそう思った瞬間、足元が震えた。揺れにも似た感覚、見えたのはひらひらと舞う血濡れの羽根。
「これは——……」
「ならば戻しましょう。あなたの憎悪を。人の心から消えぬ憎しみを——さぁ、露わにしてみせて」
 術式展開、と鶚が告げる。黒く血に濡れた羽が鳳琴に触れる。痛みより、意識が歪む。暗く、黒く染め上げる感覚に唇を噛む。
 ——その、時だった。
「世界樹よ、わが手に集いて力となり、束縛の弾丸となり、撃ち抜けっ!」
「——!」
 暗闇を払うように光が届いた。闇を切り裂き、全てに届く光。
「琴っ! 大丈夫っ!!」
「——シル」
 乾いた唇でその名前を呼ぶ。ひらけていく視界に、見えたのは空のような蒼。薬指の指輪が——出会う。
「うん」
 闇の帳を散らしたシル・ウィンディア(鳳翼の精霊姫・e00695)が、ぎゅっと鳳琴の手を握っていた。

●手繰りの糸
「……よかった、無事で……」
 一度強く握り——同じだけの力を返した鳳琴に頷いて、シルは距離を取った鶚を見据えた。
「琴をどうにかしたいのならね……まず、わたし達をどうにかしてからにするんだねっ!」
 ただ、と強く声を上げて前に立つ。
「わたしもみんなも……簡単にやれると思わないでね」
「あら、観客が揃ったようね」
 緩く鶚が笑う。ゆるり、と向けられた視線にセレスティン・ウィンディア(穹天の死霊術師・e00184)はカツン、と高くヒールを鳴らした。
(「妹の大切な人に何をしているのかしら? ねぇ?」)
 揺れる黒衣をそのままに、冷えた青の瞳は真っ直ぐに相手を見た。
「私達が観客で終わると思うのかしら」
 鎖よ、と唇に音を乗せる。猟犬の鎖は戦場に加護と癒やしを紡ぐ陣へと変じる。
「鶚さん」
「そう、だからこそ良い観客でしょう? 貴方も——そこの子も」
 笑うような声と同時に、鶚が軽く後ろに飛んだ。キィイン、と青白い光が抜け、空を切る。
「成る程、見えていた……いや、どちらかと言えば勘付かれていた、かな」
 ほう、と一つ源・瑠璃(月光の貴公子・e05524)は息をついて見せた。相手の能力はジャマーという話だが、そもそも簡単に当てさせてはくれないか。
「そのようですね。——ならば」
 傍らに足音をあわせ、己が武器を手にする前に源・那岐(疾風の舞姫・e01215)は、掌で空を撫でた。
「我が力、祝福の力となれ! 白百合よ、我と共に舞え!」
 戦場を吹き抜ける風が静謐を描き——花が、舞う。足元、咲き誇る白百合が前に立つ仲間の道行きを照らせば、その意識が研ぎ澄まされていく。
「行きましょう。願いを思いを叶える為に」
「あぁ、その為にも……!」
 己の存在を告げるように渡羽・数汰(勇者候補生・e15313)は軽やかに戦場を蹴った。
「その糸、断ち切らせてもらうさ!」
 向けるは赤を持つ瞳。極限の手中と共に、鶚の立つ地が、爆ぜる。キュィン、と甲高く音がしたのは衝撃の後だ。
「あら、器用ね。けれど、私の糸は一度断ち切られても——……」
 その先に続く言葉が、止まる。ひらと舞う光があったからだ。空より届く美しき羽。舞い踊る花弁は頬を撫でる春の証。
「私の思考を止めた……?」
 魅入られるように足を止めた鶚を視界に、華輪・灯(幻灯の鳥・e04881)は翼を広げた。
「鳳琴さん、大丈夫ですか! ええ、私達が来たからにはもう安心、大勝利なのです!」
 灯と共にウイングキャットのシアが翼を広げる。最後の花弁がふわりと舞えば、拳一つ強く握った娘の髪が揺れる。
「何色に染まったとしても。きっと、何度でも新しく塗りつぶせばいい」
 歌うように愛柳・ミライ(白羊宮図書館司書・e02784)は告げる。エネルギーの盾を、その加護を纏いながら、真っ直ぐに鳳琴をそして——鶚を見た。
「彼女の、好きな色で。私達だけじゃない……あなたも」
 この身に紡いだ加護は、この戦場を支える為。誰一人倒れることが無いように。決意と共にミライは天使を模したデバイスに触れた。
「……踊るのなら、曲はこちらで決めさせてもらいますけど、ね!」
「あは、やってみなさい? その間に私の糸が絡め取るか、……ふふ、見物ねぇ」
 愉悦を滲ませて鶚は囁く。 情が、想いが、数多狂わせ繋ぐ糸となる。
「開け、結べ。鋼糸使いの鶚の妙技、楽しみなさい」
 空を薙ぎ払うようにして滑らせた鶚の指先に残った血が払われる。キィン、と僅か鋼糸が啼いた。
「——来ます!」
 ヒュン、と空を切る音と共に警戒を告げる声が重なった。

●貴方の側で
 衝撃に、刃が来たのを知る。真空の刃が前衛を薙ぎ払っていた。痛みより先、視界が揺らぐ。加護が落とされたか。
「でも……うん、負けないよ!」
 回復を告げるミライの声を聞きながら、シルは視線を上げた。
「絶対に」
 前に出る。踏み込みに気がついた鶚が鋼糸を引いた。悠然と立つ姿は隙が無い。
(「——でも」)
 だからこそ、シルは真っ正面から行った。タン、と地を蹴って体を浮かした。
「届けるから!」
「あら、真正面から私に挑むの?」
 くすり、と笑う鶚に構わずシルは蹴りを叩き込んだ。——信じて、いたから。
「えぇ。届きます!」
「まさか、横から……!」
 共に踏み込んでいた鳳琴のことを。シルに意識を向けていた鶚が息を飲む。真横から回り込んだ鳳琴の拳は——避けられない。
 ——ガウン、と蹴りと拳。二つの降魔の一撃が鋼糸使いの鶚に届く。衝撃に、僅かに鶚が後ろに飛ぶ。ざぁあ、と滑る体を手で、足で受け止めた鶚の指先がすぐに鋼糸を寄せた。
「2人とも、後ろに」
 短く告げてセレスティンは指先を鶚へと向けた。
「あなたに呪いの祝福を」
 冥界へと続く裂け目から飛び出したのは無数のワタリガラス達。迷う事無く力を運び、瑠璃と那岐が踏み込む。
「絶対逃がしませんから!」
 言って、灯は砲撃形態へと変じたハンマーを振り降ろす。竜の咆吼に似た一撃が戦場を走った。衝撃に、鶚が身を揺らす。
「あら、逃げれなくなるのは貴方たちの方よ。術式展開——糸を絡め、意図に封ず」
 さぁ、と戦場が暗くなる。黒く染まる。最初に見えたのは黒く滴る羽根。
「——欲望を解き放て」
 舞い踊る呪詛の羽根が前衛を包み込んだ。視界が歪み、焼くような痛みに前に立つ仲間達の息が僅かに揺れた。
「回復します!」
 一帯を焼き付く程の術式にミライは癒やしを歌う。生きることを肯定する旋律を。
(「……信じてるのです。必ず、届くのです。鳳琴ちゃんの……皆さんの願いが叶うまで、歌を止めないのです!」)
「僕にも手伝わせてくれるかな」
 そこに一つの光が寄り添った。導こう、と囁くように告げてティユが星の輝きと共に星図を描く。あら、と薄く笑う鶚に一つの銃弾が届いた。
「シルさん、鳳琴さん」
 屏の改造弾「タイムアルター」展開された魔方陣が鶚の足を止めていた。
「まぁ、増援だなんて歓迎すべきでしょうね。——術式展開」
 告げる言葉と共に周囲を焼く羽根が舞う。焼けるような痛みと共に呪詛が前に立つ仲間達を襲った。回復の声が響く中、それでも数多の制約を攻撃に選ぶには理由があった。
 聞いたことがあったのだ。此処にいるみんなで。鳳琴に——今の彼女にとっての鋼糸使いの鶚について。

●私の願い
『既に彼女は仇ではなく、友達のお母さん。勿論、ただ打ち倒すよりも険しい道であること、覚悟の上です』
 その時が来たら説得をしてみたいという鳳琴の想いを。ただ憎しみのまま討てば、その方がよっぽど後悔するだろう、と。
 今が『その時』だと誰もが分かっていた。
 だからこそ『届かせる』のだ。これまでの攻撃は全て、鶚の動きを止める為。呼びかける時間を作るためのもの。
(「一緒に技を鍛えた大事なお友達のお母さんなんだね。たとえ敵に回ってたとしてもお友達の幸せの為にお母さんを助けようという思いは凄く良く分るよ」)
 瑠璃の蹴りが届く。真っ直ぐに見据えた先、駈ける数汰の姿が見える。
(「俺は……」)
 兄弟子として出来ることをする。いつだってそのつもりで駈けてきた。彼女の拳に乗せた思いが鶚に届くと信じて。
「刹那は久遠となり、零は那由他となる。悠久の因果は狂い汝の刻は奪われる……」
「あら、そんな状況でまだ動くつもり?」
 鶚は容易い相手ではない。それは誰もが分かっていた。相手を倒す為の戦いであればこれ程のダメージは無かっただろう。だが、誰一人倒れずに、真っ直ぐに見据えている。
 ——ひとつの想いに、願いに寄り添う為に。
「回復します……!」
「お手伝い致します」
 ミライにあわせ、那岐が癒やしを紡ぐ。全ての祈りと祝福を込めて。
(「お友達のお母さまですか……共に技を鍛錬した仲であれば、友の幸せを望むのは当然の事。行きましょう、鳳琴さんの望む幸せの為に」)
 重ね紡いだ癒やしの果て、限界まで圧縮したグラビティを数汰は鶚へと向けた。
「狂え、時の歯車」
 背に展開した魔方陣が、淡い光となって——走る。
「いまだ、鳳琴ちゃん。君の思いを拳に込めて奴に叩きこめ!」
「——はい」
 行く道に全ての力を込める。接近に気がついた鶚が向けた鋼糸にシルが鳳琴の前に出る。
「大丈夫、わたし達がついているから」
 頷きだけを応えにして鳳琴は行った。拳に込めるは龍のように輝くグラビティ。ふわり舞う黒髪にチリチリと炎が混じる。
「琴、貴女の翼に想いのせ届けてあげて。届かないなら届くまで」
 その背にシルは祈るように告げる。
「今こそ見せましょう」
 放たれし”龍”は鳳凰の如き炎翼を広げた。
「——この光は……!」
「これが、絆の翼です――!!」
 僅か息を飲んだ鶚が鋼糸を引く。——だが、身を守りには足らない。回避するための足は、既に数多の制約が捉えた。
「——鶚!」
 ぐん、と穿つ拳が鋼糸使いの鶚へと届いた。鋼糸が切れ、焼け落ちる。
「——っく、ぁあ。そう……これで私を焼き尽くすだなんて上手くいくと——……」
 思っているの、と口の端を上げて笑った鶚が瞬く。
「何のつもり」
 続く一撃が無かったからだ。あと一撃で、確かに己は砕けたであろうと思うからこそ、鋼糸使いの鶚は眉を寄せる。
「侮っているのかしら」
「鶚は私の場所じゃない――」
 怒りに似た視線を真っ正面から受け止めて鳳琴はそう言った。番犬として戦ってきた「私」は復讐の念はとうに乗り越えているから。
(「だからこそ友の母が生きることを願う」)
 膝をつくことはなく、だが身を傾ぎ踏みとどまった鶚を見据えて鳳琴は言った。
「友の母である貴方を仕留めたくはない。天紅さんの、ただの1人の母親に戻ってほしい」
「何を言って……」
「もう、鳳琴は見つけたんだ。憎しむことより大切な、たくさんのものを」
 その声に、鶚が小さく目を瞠る。確かな驚きに、戦場に足を踏み入れた娘は唇を引き結んでいた。
 東・天紅。鋼糸使いの鶚に育てられた少女の姿がそこにあった。

●貴方の祈り
「私にも、未来を一緒に歩きたい人が、支えてくれる友達がいる。誰も、あなたの操り人形には、ならないよ」
「彼女は――天紅は。ずっと貴方を忘れることはなかったよ」
 アンゼリカはそう言って、天紅の傍らに立つ。彼女を護る騎士として——婚約者として。
「今でも、お母さんと思っている!」
「——愚かなこと。貴方への制裁は後にしましょう。天紅」
「——ッ」
 お母さん、と上げかけた声を制する。自分を呼んでくれた人に心から天紅は告げた。
「私が大好きなこの世界を、あなたの心にも、映してほしい」
「投降しろ、と。この私に?」
「年下の女の子って可愛くて……でもいつの間にかこんなに凛々しくなっているのよね」
 ぐずっていた頃が昨日のよう。
 息をつくようにして笑い、セレスティンは鶚を見た。
「鶚さん、あなたはそんな想い、ないのかしら……」
 月並みだけれども、立派に育ってくれた感覚は育ての親にしかわからない。例えそれが糸で操られようとも、子供を育てた本当の想いがある筈だから。
「今羽ばたくの二人手を繋いで まだ見ぬ明日は不安じゃない希望だ」
 声をかける鳳琴へとミライは癒やしを紡ぐ。
 鳳琴には何度も助けてもらってばかりで。だから今日だけでも、今だからこそ。あなたの願いを、叶えたい。自分は母の顔を見ることは叶わないけれど。
「……あなた達なら、まだ、やり直せる、から」
 小さく零した声が一つ歌声に溶ける。
「デウスエクスはみんな敵だ。仇だって……ずっと思ってました。でも、でも。鳳琴さんを応援したい気持ちは、そんな怒りなんかより、ずっと強い」
 絶対に護ると灯は告げた。最強の私にお任せです、と。それでもこっそり震える心はあったのだ。だかこそ友達の決意に震えたのだ。
(「そうですね。それでも信じる……精一杯、伝える! 私もそれを応援したい!」)
 シアと共に回復を注ぐ。しっかりとみんなを守れるように。
「残念でした! 私にとっても、アナタはもう「友達のお母さん」です!」
 眉を寄せた鶚に灯は告げた。とびっきりの笑顔と共に。
「アナタが何を言ったって覆りませんから!」
 言葉を重ねる仲間と共に鳳琴は告げた。
「すぐに地球を愛せとは言いません。結婚を控える1人の娘として、心から願わせてください」
 祈るように、願うように。
「どうか彼女の人生最も幸福な一日を。その目で見届けてはいただけませんか――」
 ——だが。
「私は私の力を取り戻すまでよ」
 握る拳と共に鶚が動く。応えは踏み込みであった。狙うは降魔の一撃か。
「——鶚、話を……」
 聞いてください、と拳を握る。牽制の為、今、鳳凰の如き炎翼を解き放つ。——だが。
「なん、で」
「……そう、これで、いい」
 避けることもなく、一撃を届ける事も無く鋼糸使いの鶚は真正面から鳳琴の一撃を受け止めていた。

●鶚
「どうして、貴方は……!」
「全ては因果の果て。私もまた……駒のひとつに過ぎない」
 身を揺らした鶚が息を落とした。これが終わりだと、鶚は苦笑交じりに告げた。
「それが我らの生き方。螺旋忍軍の矜持よ、お嬢さん」
 けれど、と鶚は声を落とす。
「これは、私だけで良い」
「お母さん……」
 駆け寄る天紅に鶚は小さく笑う。そう、と落ちた声はひどく柔らかな音をしていた。
「天紅……あなた、誰かを愛することが、できたのね……」
 幸・鳳琴、と鶚が視線を上げる。そこにあったのはひどく穏やかな母親の顔であった。
「美しい、技だったわ。あの日私が傷を受けたのも分かる……全てはこの日の為」
 猜疑の種があった筈だった。糸を引かずとも容易く操れる怒りがあったはずだ。
「人は、思い合えるのね」
 ふふ、と小さく笑う。最後に、これを知れたことを幸いと思うように。
 近しい者が裏切り猜疑をぶつけ合うのが人のあるべき姿と嘯いてきた。この想いの出所さえもう分からないままに。そうして存在してきたのに。
「私にこんな終わりが許されているなんて——……」
 感謝を告げれば傷になるだろう。だからこそ、願いを残して鋼糸使いの鶚は逝く。この想いを紡いでくれた者達が、大切な者と繋いだ手を離さぬようにと。

「わたしは、あなたの傍にいるからね」
 そっとシルの腕が回る。抱きしめられた腕の中で、鳳琴は天紅達の姿を瞳に焼き付けるようにして目を閉じた。
「……」
 鶚を抱き留めた天紅達を見ながら、鳳琴は息を吸う。皆に礼を言いながら、駆け寄ってきたシルの手を握った。
「こんな戦い……きっと終わりにする」
 必ず、と握る手に力を込める。返る言葉の代わりに、抱きしめる腕が少しだけ強くなった。

作者:秋月諒 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2021年3月21日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 2/素敵だった 3/キャラが大事にされていた 3
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