雪魄氷姿

作者:藍鳶カナン

●雪魄氷姿
 凍て緩むという言葉はきっと、大地のみならず大気にもあてはまるのだろう。
 凛と澄みきった早朝の大気は冷たくて、けれど清らで華やかな花の香気を含めば、寒気に強張っていた少女の顔に笑みを咲かせた。眼前に広がるのは淡い桃色の花霞、薄紅や桃色の紅梅が咲き競う梅園に足を踏み入れれば迷わずに、彼女は薄桃から桃色の花を咲き誇らせる梅の木のもとへと向かう。
 眼を閉じていたって辿りつける。
 明るい、なんて表現は香りにはおかしいかもしれないけれど、と笑って呟きつつ、清らな梅花の香りのなかでもひときわ明るく感じられる香りのもとへ、道知辺という品種名の札のかかった梅の木のもとへ至れば、少女は満開の花々を満開の笑顔で振り仰いだ。
「見て! 二年前に君が春を教えてくれたから、私はこうして羽ばたいていけるよ」
 朝の青空を背に咲き誇る満開の梅花、それらに向かって少女が広げて見せた一枚の紙は、雪苑凛花殿――と記された大学の合格通知書。春にはこの地を離れて新たな世界へ飛び立つ少女、凛花は二年前と同じく『道知辺』の幹へこつりと額を寄せた。
 気の弱そうな女子に眼をつけ、毒牙にかけようとしていた教師。級友を護るために凛花が立ち上がったのが前の前の冬のこと。当人には成績を盾に脅されて、事なかれ主義なほかの教師達も凛花達を丸め込もうとし、冷たい袋小路に追い込まれて心が凍りついてしまいそうにもなったけれど、
「必ず春が来るって、あなたが教えてくれから頑張れた」
 百花にさきがけて春を告げる梅の花、そのなかでもひときわ春めいた香りの花を咲かせる道知辺に勇気づけられ、凛花達は何者にも脅かされぬ高校生活を勝ち取った。
 今でもこれはお守りなの、と彼女がぱらぱらめくって見せたのは、当時の記録をしっかり書きとどめた小さな手帳。そこへ視線を落としたがゆえに気づかなかった。空から謎めいた花粉か何かが舞い降りて、道知辺の木に触れたことに。
 急速に辺りが冷え込んだ。
 再び道知辺を振り仰いだ彼女の視界に映ったのは、薄桃や桃色の花々が魔法の氷に覆われ真白に煌いていく様。氷は花々や梢のみならず、木のすべてを覆っていく。
「あ、れ……? こういうのも雪魄氷姿っていうのかな……?」
 雪魄氷姿(せっぱくひょうし)――雪の残る冬の終わりに白く美しく咲く梅の花を表す、そんな四字熟語が口をついたのは受験勉強の賜物か。なれど、教師の理不尽には毅然と立ち向かえた凛花も、人外の存在から突然齎された災厄には意識も認識も追いつかない。
 手帳を取り落とした彼女を道知辺の木が呑み込んでいく。消えゆく意識のなかで、凛花は己を呑み込んだ道知辺が魔法の吹雪を揮う様を感じとる。
 ――私はまた、冬に閉ざされてしまうの……?

●百花のさきがけ
 ――雪魄氷姿、確かにそうだよね。
 事件予知を語った天堂・遥夏(ブルーヘリオライダー・en0232)は吐息でそう紡ぐ一拍を挟み、招集に応じてくれたケルベロス達へ改めてこう告げた。
「凛花さんが冬に閉ざされたままで終わってしまうか、無事に春を迎えることができるか、全てはあなた達にかかってる。――行くよ、彼女のもとへ」
 避難勧告は手配済みで、近隣一帯は無人になる。
 凛花を呑み込んで移動をはじめた道知辺の攻性植物を捕捉できるのは、梅園の入口付近の開けた場所。周りへ被害の及ばないところだから、そこで戦いを仕掛けて、と遥夏は願い、
「ただ、道知辺の木が元いた場所も気になるけれど……」
「ならわたしが凛花さんの手帳を拾いにいきますなの、風に飛ばされたりしないうちに!」
 彼が続けた言葉に真白・桃花(めざめ・en0142)が手と尻尾で挙手。
 吹雪で荒れたところがあればヒールもしておきますなの、と仲間達を振り返り、みんなは凛花さんと道知辺をお願いしますなの、と迷わず告げた。
 道知辺の奥へと取り込まれた凛花は攻性植物と一体化しており、普通に攻性植物を倒せばそのまま一緒に死を迎えてしまう。
 だが相手に攻撃してはヒールで回復し、ヒールが効かないダメージを根気強く積み重ねて攻性植物を撃破することで、凛花を死なせることなく救出できる可能性が生まれるのだ。
 決して楽な戦いではない。
 長期戦は必至で、慎重なダメージコントロールも必須。それも戦いが終盤になるほどより慎重さが必要になる。相手を癒しつつ『ヒールで癒えない傷』を積み重ねる戦いなのだ。
 無傷の状態なら耐えられたのと同じ威力の攻撃でも傷だらけの状態ならあっさり致命打になりかねず、ヒールが効かないダメージを充分に蓄積できていないうちに倒せば、攻性植物ごと凛花も殺すことになる。
 ――だけど、彼女を見殺しにするなんて、きっとこの場の誰も望んでいない。
「道知辺が揮うのは、氷を齎す吹雪と麻痺を齎す香り。この二種の範囲魔法と、槍みたいに鋭い枝を撃ち込む追撃の単体攻撃だね。術の効果を重ねるのに長けてる感じだから……」
 氷と麻痺が厄介なのは勿論のこと、槍の枝の威力も相当なものになると遥夏は語り、
「侮れない相手だけど、ヘリオンデバイスを使うかどうかは、慎重に考えて」
 まっすぐな眼差しを皆へと向けた。
 大いなる力を齎すそれは、ただ敵を倒すだけの戦いなら心強いが、今回はその力が戦況の制御を困難なものにしてしまう可能性がある。だけど、と仲間達を見た桃花が笑みを燈す。
「みんなならきっと、最善の策で凛花さんに春を見せてあげられると思うの~」
 百花にさきがけて咲く梅の花。
「でもね、ほんとうは、わたし達ケルベロスが、百花のさきがけだと思うから」
 デウスエクスの侵略という猛吹雪に耐え続けた冬の終わり、真に自由な楽園の春の到来を告げるように、招くように、百花にさきがけて咲く花。
 春は必ずやってくる。それを証しにいこう。
 そうしてまた一歩進むのだ。
 この世界を、デウスエクスの脅威より解き放たれた――真に自由な楽園にするために。


参加者
セレスティン・ウィンディア(穹天の術師・e00184)
愛柳・ミライ(白羊宮図書館司書・e02784)
キアラ・ノルベルト(天占屋・e02886)
隠・キカ(輝る翳・e03014)
アラタ・ユージーン(一雫の愛・e11331)
ジェミ・ニア(星喰・e23256)
小鳥遊・涼香(サキュバスの鹵獲術士・e31920)
エトヴァ・ヒンメルブラウエ(フェーラーノイズ・e39731)

■リプレイ

●雪魄氷姿
 ――春の訪れる時期が、毎年少しだけ違うのは、きっと、誰かを待っていたから。
 ――そう、今年は、あなたのために必ずやってくる、約束、だから。
 希望とも祈望とも思える想いを胸に抱き、愛柳・ミライ(白羊宮図書館司書・e02784)が標的越しに見霽かす梅林は、淡い桃色にけぶる紅梅の花霞。だが春告げの園への立ち入りを阻むかの如く、或いは紅梅が迎えた春が世界へ広がるのを阻むかの如く、冴え冴えと真白に煌く氷を纏った梅の木が凍てつく吹雪を解き放つ。
 されど、真白に覆われる視界、幾度目かの吹雪を抜けて、隠・キカ(輝る翳・e03014)が天使の翼はばたく靴で大地を蹴ってふわりと跳んだ。花も梢も幹も、根元さえすべて真白な氷で鎧ったこの木が、元は薄桃の花を咲かせる梅の木、道知辺であることを識っている。
 春があるから、冬がかがやいて、冬があるから、春があたたかいの。
「あなたが凛花のみちしるべになって、そう教えてあげたんだよね」
 霧氷の氷花を咲かせるような今の姿も綺麗だと思うけれど、本来の道知辺はきっと凛花を春へ送り出したいと願っているはずだから、高々と跳躍したキカが氷花の樹冠へ迷わず斧を打ち下ろせば、彼女の影が落ちる真白な根元を光が一閃する。
 後衛へ襲いかかった吹雪から親友たるウイングキャットに護られて、
「春は目覚めの季節、羽ばたき旅立つ季節だよ」
「エエ、誰もが夢を抱く季節デス。夢を抱く翼を咲かせテ、羽ばたいていけるよウ――」
 だから、閉ざされる季節なんかであっちゃいけないんだ、と小鳥遊・涼香(サキュバスの鹵獲術士・e31920)が指輪から咲かせた光の剣で正確無比な軌跡を描いたなら、お力添えを致しまショウ、と続けたエトヴァ・ヒンメルブラウエ(フェーラーノイズ・e39731)の声が限りなく透きとおった。
 純水の滴が、硝子の弦を、奏でたよう。
 彼が幾重にも共鳴させた癒しが砕けた樹冠や根元を甦らせれば、
「聴こえたよな、凛花! 大丈夫だ、何度だって冬を越えてくれると信じてるぞ!」
「うちらも凛花の力になるから、希望は手放さんとってな! スゥはねーさんをお願い!」
 癒しの響きは道知辺の奥深くで意識を失っている凛花の魂をも震わせたはずだと信じて、アラタ・ユージーン(一雫の愛・e11331)が黄金の輝きに氷を散らされつつ朝風を翔けた。甘いショコラのエナメルに流星の煌き燈し、確実に決めた蹴撃に追随するのは中衛を誰より軽やかに翔ける翼猫が放つ尻尾の環。先に黄金を実らせた緑に甘き馨を咲かせて、キアラ・ノルベルト(天占屋・e02886)は理不尽に命を歪められた道知辺も、中の凛花も抱きしめる心地で撓やかな蔓葉を躍らせる。
 護り手は反射的に仲間を庇うがゆえに、盾となる対象を選べない。なれどキアラが癒しの要たるセレスティン・ウィンディア(穹天の術師・e00184)を護ったのならば首尾は上々と言いたげに跳ね、夜色テレビウムが涼香の盾となった翼猫へ二重の浄化を乗せた道知辺の花咲く動画を贈れば、
「うん、星の加護もばっちり! キアラさんの傷と残った氷は僕が癒しますね!」
「ええ、お願いするわね。後ろの子達は私にまかせて」
 自ら描いた星の聖域も仲間の氷を霧散させる様に笑み、ジェミ・ニア(星喰・e23256)が差し伸べた掌から羽ばたく光は、痛みも氷も優しく浚う癒しのカナリア。護り手達を抜けて後衛を呑んだ吹雪も序盤にキアラと己が展開した守護魔法陣が威を和らげたから、嫋やかに笑み返したセレスティンは癒し手の浄化を重ねた鎖を舞わせて、更なる守護と癒しで仲間を抱擁する。
「凛花ちゃんも私達のほうも、今のところ戦況に問題はなさそうなのです!」
 必ず助けだしましょう、ね! と皆を鼓舞しながら、幾重にも共鳴させる歌声でミライが織り上げる希望は道知辺への、凛花への癒し。
 ――明日って、どんな色だろう? もしも、自由に決めてもいいのなら。
 凛冽な真白を纏い、望まぬ変容を遂げた道知辺。攻性植物と化したそれの吹雪が齎す氷も梅香が齎す麻痺も深く、撃ち込む槍の枝は幾重にも此方を貫くけれど、自陣はすべて守護と自浄の加護に彩られている。慎重を期すべくヘリオンデバイスなしで臨んだ長期戦、それの備えは万全で、デバイスなしでも優れた命中率を叩き出す精鋭狙撃手達の技が時に爆発的な瞬間火力で攻性植物を穿っても、
「だいじょぶ! うちも手伝うんよ!!」
 即座に道知辺への癒しを補う態勢も調っていた。
 夏緑の梢の合間から降る光、水鏡に跳ねる煌きを共鳴させて、キアラが贈った天占の夢は穏やかな媼が優しく瑕を掩う癒し。眩くきらめく、何色にも染まらぬ夢の光を掬うように、明日って、どんな色だろう――と己の歌に繋げてミライが癒しとともに呼びかける。
 今は冬の真白でも、未来は自由に描けるはずだから、
「ね、凛花ちゃん。あなたなら、何色にしますか?」
「まずはやはり春の色をお望みでショウカ、それトモ――?」
 何色にも彩れる未来、この春もその先も。掴み取った未来を鮮やかに生きる力と、権利が凛花殿にはあるのですカラ、と澄んだ声と純粋な癒しに乗せてエトヴァが語りかければ、
 ――今きっと凛花さんには、綺麗な空の青が見えたはず!
 そう確信し、咄嗟に跳んだジェミがエトヴァへ撃ち込まれた枝の槍を抱きとめた。
 翼猫達のリングを絡められた枝は鋭さを鈍らされ、幾重にも彼を穿つ衝撃を強靭な皮革と強化繊維製の戦闘服が大きく殺せば、さあ、痛みはすべて浚わせてもらうわよ、と届く声。
「行って、ジェミさん。桃花さんが回収してくれる手帳を、凛花さんへ渡せるように!」
「はい! 凛花さんが勇敢に戦った証、ちゃんとお返しできるようにしてみせるです!」
 戦端が開かれる直前に送り出した真白・桃花(めざめ・en0142)を思い起こしながら揮う古木の杖で、己と彼と、彼女が向かった梅園の紅梅達に霊気を廻らせ共鳴させて、大いなる癒しをセレスティンが齎せば、一気に痛手を祓われたジェミが神速の稲妻で真白な氷で鎧う樹皮を貫いて。続け様にアラタが翻すのは竜の鎚でなく調理のための白銀の刃。
「先生達のリング効いてるな! アラタも道知辺の攻勢を鈍らせるほうにシフトするぞ!」
「うん、足止めはもう十分だと思うよ。相手の攻撃を弱めていこう!」
 翼猫と力を分け合う身とはいえ、精鋭狙撃手たる二人の技が完全な形で決まれば爆発的に跳ね上がる瞬間火力はやはり侮れない。白銀から滴る甘露から湧き立つのは緑の霧、酸味を感じさせる緑霧が痺れとともに道知辺を呑めば、靴先に流星の煌きでなく、妖精剣の先端に花を咲かせ、涼香が解き放った花の嵐も道知辺を包み込んでゆく。
 癒しては傷つけ、傷つけてはまた癒し。
 涯てなくも思える螺旋のきざはしを昇る心地がするのは、この手の戦いを幾度経験しても変わらない。けれど確かに、幸せな春へ向かっているのだと感じるから、前衛を呑み込んだ梅香をキカは仲間の分まで引き受けた。
 本来の道知辺の香りはもっと春めくものだろうけど、清らかで冷たくひんやりした香りが指先から身体の芯まで痺れさせていくよう。されど不意に夏花の、蓮の香りを感じたのは、セレスティンが書を開き、癒し手の浄化を乗せた物語を語り始めたから。
 空色の妖精と金髪の天使達、学校帰りの少女達が観梅と甘味を楽しむ物語。
 今となっては夢でしか逢えない面影を抱きしめ、前衛を癒しで抱擁すれば、空色の少女が彼女自身だと気づいたキカが小さく笑み、
「セレスティン達の梅ソフト、おいしそう。凛花も、そんな高校生活をおくれたのかな」
「同じ味なのに食べあいっこするともっと美味しいのよね。ええ、凛花さんも、きっと」
 茶目っ気まじりにセレスティンが応えたなら、凛花が勝ち取ったんだよねと頷いたキカが翼猫の羽ばたきにも後押しされながら輝きを解き放つ。掌に咲いたパズルは夢のような青に煌く蝶、されど躍り上がった輝きは稲妻の竜となり、衝撃と痺れで道知辺を打ち据えた。
 凛花のみちしるべになって、励ましたあなた。
 あなたのためにも、凛花の春はこわさせない。
 金色に奔る光の軌跡をなぞり、氷に覆われた道知辺全体に亀裂が奔る。
「これ、あともうちょっとってことやんね!」
「だと思います! いっそう慎重にいきましょう、ね!」
 今ならまだ行けると踏んだキアラが漆黒の残滓で道知辺を縛めたなら、テレビウムと力を分け合うゆえに威の浅い彼女のそれに重ね、ミライが凛花が自由に未来を描いていくための癒しを歌い上げる。癒せる痛手すべてを祓ってなお、癒えぬ傷が幾多の裂け目を晒す。
「細かく削っていきまショウ、ジェミ!」
「焦らず少しずつ、だよね、エトヴァ!」
 星の輝き思わす白銀の糸で編み、幾重にも銀鎖を踊らす流麗な手袋がエトヴァの戦籠手、光を掴むような彼の拳が打ち込む重力震動波は幾重もの圧で道知辺を抑え込みながら大きく広がるゆえに衝撃は薄く、茨めいた輝きで己を抱く闘気の裡からミサイルポッドを展開し、ジェミが広く撃ち込む数多の誘導弾も真白な樹皮を浅く削るとともに痺れを刻めば、今にも撃ち出されんとしていた枝の槍が、痺れゆえに根元へ落ちた。
 二年前だって、今この時だって。
「凛花、ここまでようがんばった! もうちょっとで冬を越えられるんよ!!」
 唇で、声で紡ぐ言の葉には言霊たる力が宿るから、強く言いきったキアラが夏緑から降る光と穏やかな媼の夢で道知辺への癒しを織り上げたなら、相手の攻勢が十分鈍り、翼猫達の羽ばたきとテレビウムの動画に任せられると踏んだセレスティンが、皆の癒しはお願いね、小さい子達。と彼らに微笑みかけて、道知辺の懐に躍り込む。
 冬も氷も己に親しいものだけれど、『彼女達』と観た梅花も、寒さのなかで、温かな狼の毛並みに身を寄せて眺めた寒紅梅の美しさも胸に燈るから。痛手の制御を困難にする術のみならず、凛花に『閉ざされる感覚』を与えたくないからと、石化の術まで排してこの戦いに臨んだ仲間達を愛しく思うから。
 あなたには申し訳ないけれども、凛花さんを返してもらうわ。
「もう、春は来たのよ」
 確信を乗せた言の葉とともに道知辺に揮うのは、慈悲を乗せた鎖の一撃。
 次の瞬間には柔らかな光が燈る。癒しを織り上げるキカの胸奥に燈るのは、勝ったよ、と満開に笑みを咲かせた凛花が、道知辺に抱きつく光景。相手の幸せな記憶を共有することで共鳴させ、『二人』へ癒しを還す。
 戦った凛花はすごいよ。あなたは自分の力で春を手に入れたの。
「凛花が手に入れた春の姿、凛花の目で見よう。必ず助けるから、負けないで」
「あなたの春に手が届いたのです! 凛花ちゃん!」
 どんなに辛いことがあっても、必ず、春が来る。自身の言の葉で幻影のリコレクションを歌い上げるミライの魔力が梢を淡く削れば、間髪を容れず贈り物めいた柔らかな風が舞う。
「羽ばたいて旅立って、見にいこうよ凛花さん。春はもちろん、夏も、その先だって」
 春の終わり、夏の始まりに吹く、南風。
 暖かに共鳴する黒南風を招いた涼香が恵みの雨を思わす癒しで道知辺を包み込んだなら、これが最後になると直感したアラタが繋がれた機を掴んだ。悲しい別れを強いることになるけれど、凛花には何度だって春を迎えて欲しいから。
「この別れの先でも、掛け替えの無い想いとともに笑っていて欲しいから……!」
 想いを迸らせる心地で解き放つミサイルが、すべてを真白に鎧った道知辺に降りそそぐ。
 魔法の氷が砕け散る。
 微細に煌く真白な氷片を散らし、薄桃の、桃色の梅花が咲き溢れるように姿を見せる。
 冷たい魔法の梅香でなく、明るい梅花の香りが世界を満たす。
 瞬く間の奇跡を残し、道知辺のすべてが世界に還った刹那、キカが跳び出した。宙に取り残された娘、凛花を抱きとめる。華奢な仲間がよろめきかけたところをジェミとエトヴァが支え、確かに感じる凛花の息遣いに顔を綻ばせる。紅梅の花園に、皆の歓声も咲いた。
 忘れないよな。うん、持っていくんよ。瞳を見交わしたアラタとキアラが頷きあう。
 この道知辺の、最期の花々を心に、最期の香りを胸に抱いていくから。
 ――おやすみ。

●枯木逢春
 朝の光に薄桃色がとけて霞むよう。
 花霞の代わりに何処までも透きとおるよう、それでいて雅びやかに満ちる、梅花の香り。
 薄桃色の、桃色の花々の合間に、鶸萌黄の緑を纏った小鳥達が遊ぶ。幻想のメジロさんも混じってますなの~、と辺りを癒しで潤した桃花が語れば、ぴょこんと跳ねたテレビウムが傍らを飛ぶ翼猫の手、前足を引くようにして駆けだした。
「とーかの鳥、見つけたら教えて欲しいんよ、スゥ!」
「先生も! ちゃんとアラタたちを呼んでくれよな!」
 右腕と左腕をそれぞれ桃花に確保されながら、キアラとアラタが笑みを咲かす。
 梅も皆も、皆のままでいられるように繋いでいきたい、と見霽かす花霞は薄桃色、一見は白梅のようで、けれど淡い薄桃に色づいていた梅に、四年前にキアラの春のしるべとなってくれた雲の曙にも。
 逢えるやろか、と呟けば、みんなで逢いにいくの~と返る桃花の声。
 よし、いこう、とまず踏み出したのはアラタ。閉ざされた冬の冷たさに挫けたっていい、それでも諦めずに冬を越えていくのがひとの強さだと、そう教えてくれたひと達とその愛に出逢えた幸福を、抱いていく。
 どんなに辛いことがあっても、必ず、春が来る。
 自身の言葉を噛みしめて、ミライが振り仰ぐのは薄桃の花を八重に咲かせる梅。
 春日野。名に春をいだくこの梅花が相応しい気がして、死にゆく彼らの宇宙に、死神達の宇宙に、この手で春を届けたいと願う。約束、しても、いいだろうか。
 他の侵略者達だとてグラビティ・チェインの枯渇という望まぬ滅びの冬に曝されてきた。それを忘れたわけではなくとも、今、死神達だけを特別に想うのは、
 ――やっぱり、エゴ、ですよね。
 敵としてではなく共闘する相手として言葉を交わし、ともに戦場を馳せた死翼騎士団が、己の胸に特別な存在としてあるからだ。
「あんまり思いつめたり、ひとりで抱え込んだりしないようにね」
「……大丈夫です。それだけはもうしないのです、よ」
 優しく頭を抱き寄せてくれたセレスティンに少しだけ甘えて、心を馳せた。
 冬を愛しく想うけれど、それは透徹な冷たさが早春の花々をより美しく咲かせるからでもあるのだろう。幾つも胸に燈る梅花の想い出に今この瞳に映る紅梅の花霞も寄り添わせて、慈しむように双眸を細めたセレスティン、その眼差しのさきで、アッシュブルーの毛並みの翼猫が涼香の腕のなかへ舞い降りる。
「ねーさん、いい香り!」
 清らで華やかな花の香気が大気すべてにとけこんだような梅園で、翼猫がひときわ馥郁と香るのは、彼女が道知辺を見つけてきたから。明るい香りと感じるのは、心を浮き立たせる春をより確かに感じるからか。薄桃や桃色の花々を仰いで、可愛い色の花、と自然に思えた己の心に眦を緩めたなら、翼猫の前足が胸元の真珠を、艶めく桃色のコンクパールをとんと叩くから、ほどけるように涼香は笑んだ。
 瞳と同じ桃色を好きではなかったのに、いつしかこんな風に思えるようになったのは。
 ――私にも雪解けが、春が来ているんだ、ね。
 明るい紅色を可憐に咲かせる蝶千鳥の、薄桃の八重を優雅に咲かせる楊貴妃の。
 数多の梅の合間をゆうるり歩き、道知辺を見出したなら、辺りの香りが途端に『明るく』なった。華やかさを光とも感じる春の香りに二人で微笑み合って、ジェミは片目をつむってネットの波間に道知辺をたどる。
「ふんふん、早咲きの品種で淡紅色から紫紅色へと変わる……って、あれ?」
 右目のアイズフォンにはそう映るのに、左目に映る道知辺の札には古木になると紫紅色の花をつける、との解説が添えられていて。
「春が深まるにつれ色づくのモ、歳を重ねるにつれ色づくのモ、素敵ですネ」
 どちらなのかハ、俺達自身の眼で確かめてみまショウ――と柔く笑みを深めてエトヴァが提案すれば、うん! と嬉しげに応えた彼が「ふみゃ!?」と声をあげた。
 その鼻先に舞い降りたのは、道知辺の花一輪。
「おや、ジェミに贈り物ですネ」
「そうかも! ふふ、エトヴァに良く映えるね」
 蒼穹の髪に薄桃色の梅花を飾られる感触に、ありがトウ、と微笑んで、この早春の朝にも柔らかに、当たり前のように二人で手をつないで。内緒話めいたまあるいしあわせの話に、家族の歓びをわかちあう。
 雪魄氷姿。
 遠目に見た仲間の様子に倣って、アイズフォンで辿ってみた四字熟語、そのもうひとつの意味を見つけて、ふわり笑みを零したキカは玩具ロボのキキを抱きしめた。
 凛花みたいにつよくなりたいな、と仰ぎ見る花々はもちろん、道知辺。
「きぃもね、もうすぐ受験なの。あなた達も、みちしるべになってくれる?」
 中高一貫校に通う中学三年生にも進学試験という試練がある。
 無試験で内部進学できるところもあるけれど、キカが席を置く学校には挑むべき壁が用意されているから、未来に少しだけ不安も覚えることもあるけれど。
 朝の風に踊った春が一輪、キカの胸に舞い降りてきたから。
 ――春はすぐそこだから、きぃは、こわくないよ。

作者:藍鳶カナン 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2021年3月10日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 2/キャラが大事にされていた 4
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