あなたを探しに

作者:藍鳶カナン

●まよいご
 清らな水の流れの底で、仔狐が眠っていた。
 勿論ほんとうの仔狐ではなく、ひとの掌にすっぽり収まる、ちいさな仔狐のぬいぐるみ。
 元は鍵か何かにつけられていたのだろう仔狐は、一緒に在ったはずのものとも持ち主とも離れ離れになって、冷たい水の底でひとりきり。けれども本来なら、持ち主とはぐれたって仔狐がひとりきりの迷子のままでいるはずはなかったのだ。
 だって仔狐の本質は、ぬいぐるみの中にあるスマートトラッカー。
 時にキーファインダーやスマートタグとも呼ばれるそれは、鍵や財布などの大切なものに取りつけて、そのありかを教えてくれるようにする極小の端末だ。部屋のどこに置いたのかわからなくなった、なんて時にはスマートフォンからの操作で光を点滅させたり、ブザーを鳴らして居場所を知らせ、外出時になくした時もGPS機能で位置を把握することが可能。
 だったのだけど、防水性能を持たなかった仔狐の中のスマートトラッカーは、水の流れに沈んですぐに、すべての機能を停止した。
 清らで冷たい水は、少しずつ、少しずつ、春の息吹を孕んでいく。
 あるとき青空に何かの花粉か胞子がきらりと舞った。けれどそれは、春のめざめではなく仔狐のめざめを促すもの。
金属粉めく無機質な煌きを帯びた胞子は水の流れに舞い降りて、流れに浮かぶことなく水底へと沈み、仔狐の中の端末にとりついた。
 端末と一緒に、仔狐も生まれ変わる。
 生まれ変わった仔狐は、もう水に負けたりなんかしない。水の中から跳び出したときには仔狐はひとの子供くらいの大きさになっていて、ふわふわの毛並みを濡らす水を弾くべく、ぷるぷるっと身を震わせたなら、ぽんっと早春の花が咲いた。
 はむっと花をくわえて、仔狐は草原へ駆けだしていく。
 偶然か必然か、それは春の陽射しみたいに暖かな黄色を咲かせた水仙の花。
 花言葉が『私のもとへ帰ってきて』であることを知ってか知らずか、あどけないながらもひたむきに駆けていく仔狐は、まるで誰かにこう知らせるかのよう。
 ――ここにいるよ。ほら、ここに!!

●あなたを探しに
 仔狐のぬいぐるみはその本質たるスマートトラッカーごと、ダモクレスに変化した。
「――だけど仔狐が咥えている水仙の花からは、攻性植物っぽい気配を感じるんだよね」
 事件予知を語った天堂・遥夏(ブルーヘリオライダー・en0232)はそう付け加え、招集に応じてくれたケルベロス達へ説明を続ける。
 機械脚の生えたコギトエルゴスムが地球の機器に融合してダモクレスとなる事例は何年も前から報告されているが、『金属粉のような胞子』にとりつかれた機器がダモクレスとなる事例は、ユグドラシル・ウォーの後に報告されるようになったもの。
 だが、いずれにせよ、この仔狐をそのままにはしておけない。
「今はまだ仔狐も元のスマートトラッカーの本能や意志みたいなものを残しているけれど、暫くすれば完全にダモクレスとしての意識に塗り替わって、仔狐はグラビティ・チェインを奪うためにひとびとを殺しにいく。そうなる前に倒して、終わらせてあげて」
 今から急行すれば仔狐が草原を駆けているところを捕捉できる。
 戦いの舞台となるのは、誰もおらず、何物にも遮られぬ草原だ。近隣への避難勧告も手配済み、ゆえに誰も戦いに巻き込むことはない。
「戦いになれば、仔狐は自分の身軽さを活かせる立ち位置をとる。つまり、キャスター」
 暗闇でも目印になるような、明るい炎を相手に広く燈そうとしてくるだろう。
 二度と己が壊れてしまわないように、水仙の花の輝きで傷も異常も癒そうとするだろう。
 そして、仔狐の三つめの力が、水仙の花吹雪だ。
「水仙の花吹雪は『相手を確実に見つけだす』魔法。グラビティの性能だけで言うならば、ホーミング効果のある範囲攻撃だね。加えてもうひとつ、戦闘には影響のない効果がある。探しものをしているひとの役に立ちたい……そんなスマートトラッカーの使命を果たしたいのかな、『相手に自分自身の大切な記憶や思い出を投影させる』効果なんだ」
 花吹雪そのものは攻撃だが、その魔法がよびさます幻は悪い影響を齎すものではない。
 幻として投影されるのは、探しものをしているひとに歓びや幸せを齎すもの。
 大きな迷いがうまれた時に支えとなる大事な思い出や、みちしるべとなるような記憶。
 あるいは、それ自体が迷子になってしまっている記憶――普段は忘れているけれど、心の奥深くに眠っている大切な思い出。そういったものだ。
 記憶は失くしてしまったと思っていたけれど、かすかに魂に残っていた思い出のかけらが甦ってきた――なんてこともあるかもしれない。けれど。
 仔狐の魔法の効果は、あくまで『対象自身に記憶を引き出させ、投影させる』もの。
「当人の中には絶対にないもの……例えば、生まれた直後に捨てられたから、両親に関する記憶も情報も全く無いってひとが、両親の姿を見たりするようなことはない」
 自身で引き出せるような記憶がない者にも魔法自体は効く。
 その場合はただ靄のように曖昧なものが見えて、理由のわからない懐かしさやせつなさが胸に満ちる、そんな感じになるんじゃないかな、と遥夏は狼の尾をひとつ揺らして告げた。
 攻防ともに優れ、対象を自身のみに限定すがるゆえに強力な癒しと浄化を携える仔狐は、決して侮れる相手ではない。確りした策と連携を調えて臨まねば長期戦は必至。
 ――だけど。
 迷子の仔狐に、できれば優しくしてあげて、と遥夏は言を継いだ。
「勿論、倒さないで欲しいって言ってるわけじゃない。手加減なんてできる相手じゃない。けれどあなた達なら、全力で戦いながら、仔狐に向ける心だけでも優しくしてあげられる。そうだよね?」
 和らげた眼差しに確たる信を乗せ、遥夏はケルベロス達をヘリオンに招く。
 さあ、空を翔けていこうか。迷子の仔狐が駆ける、春を待つ草原へ。


参加者
ティアン・バ(こう路・e00040)
セレナ・アデュラリア(白銀の戦乙女・e01887)
キソラ・ライゼ(空の破片・e02771)
キアラ・ノルベルト(天占屋・e02886)
隠・キカ(輝る翳・e03014)
カルナ・ロッシュ(彷徨える霧雨・e05112)
スズナ・スエヒロ(ぎんいろきつねみこ・e09079)
ジェミ・フロート(紅蓮の守護者・e20983)

■リプレイ

●みんなを探しに
 ――まるで、春を運んできてくれたみたい。
 柔らかな緑に彩られ始めた草原を駆ける仔狐がはむっと咥えた花は、春の陽射しを思わす暖かな黄色の水仙。早春の花が舞い吹雪いて輝いて、夜闇には明るい暖かさも添えるだろう炎も踊る草原、そこへ朝露のごとく降りる光は描く星の聖域、虹を咲かす釣鐘の花が黄金の輝きを実らせ、幾重にも展開される守護魔法陣を煌かせつつ、超感覚のめざめを招く白銀の粉雪が草原に咲く。
 自陣を彩るそれらはかけっこの得意な仔狐と皆で対等に遊ぶためのもの、仔狐が燈す炎が後衛陣へ跳ねるのを機械腕とともに抱きとめて、キアラ・ノルベルト(天占屋・e02886)は初めて装着したアームドアーム・デバイスが齎す感覚に軽く緑眸をみはる。
 日々の準備が追いつかなかった身にも大きな耐久力を与えてくれるそれは、
「これ、今のうちでも万全の状態で使えるんやね……!」
「ええ。世界中のひとびとが僕達に与えてくれた、新たな力です!」
「そーゆーコト! それじゃ存分に、仔狐サンの御相手といきますヨ、っと!」
 護られた次の瞬間に跳躍したのはカルナ・ロッシュ(彷徨える霧雨・e05112)、この技が通りやすそうですと告げて撃ち込む轟竜砲は爆発的な瞬間火力とともに仔狐を捉え、自陣の態勢が調ったと見たキソラ・ライゼ(空の破片・e02771)も仔狐のもとへ跳び込んで。
 ――さあドウゾ、
 途端に降らせる雨は癒しを強く三重に阻むためのもの、けれど悪戯な笑みで迷子の仔狐の鼻に触れた指先はあくまで優しくて。彼らの技がデバイスで強化された以上の精度で仔狐を捉える様が、隠・キカ(輝る翳・e03014)の声音に確信を燈した。
「この子、力いっぱいどーんと来られると、よけにくいみたい!」
「やんね! 頑健の技やと回避がちょこっと遅れる感じなんよ!」
 続けて紡ぎ上げる歌声は虹の煌きと二重の浄化を抱いて後衛を癒し、純白の梔子を咲かす動画へ二重の浄化を乗せる夜色テレビウムに鼓舞されたキアラが仔狐を追う。
 流体金属が歯車のごとく拳を彩れば、護りを穿つ一撃が確かに仔狐へと届き、
「私も同感っ! 任せて、頑健攻撃なら得意中の得意だから!!」
 ――さぁ、遊ぼう!!
 溌剌と笑みを咲かせたジェミ・フロート(紅蓮の守護者・e20983)が奔らす槍が届くのは高速演算に導かれた水仙の花、鮮烈な痛打に散った黄が一瞬で新たに咲くが、衝撃も護りを破る力も間違いなく仔狐へ届いたと見れば、
「流れ星はもう十分みたいだしな、今度はこっちの星で遊ぼうか」
「わあ、かっこいいクジラなのです! 狐のお姉さんも一緒に御相手するですよっ!」
 後方からの流星となって幾度も翔けたティアン・バ(こう路・e00040)が指先の星で輝く鯨座を辿る。輝きから躍りあがったのは青く光る大きな鯨、凍気を連れて仔狐を抱いた鯨に続いて、仔狐に次ぐ機動力を活かしたスズナ・スエヒロ(ぎんいろきつねみこ・e09079)が跳んだ。檳榔子黒の杖に宿るは銀狐を思わす獣の霊気、氷ごと牙を立てたそれが癒しを拒む噛み跡を残せば仔狐がぷるっと震え、
「今のあなたはとても愛らしいですが……だからこそ、今のうちに!」
 初手に乙女座の聖域を描いたセレナ・アデュラリア(白銀の戦乙女・e01887)の星の刃が剣閃を描きだす。冴ゆる達人の技が更なる氷を咲かせた刹那、一斉に咲いた水仙の花吹雪が彼女達前衛陣を呑み込んだ。
 春陽を思わせる黄の花々が、華やかな金へ、涼やかな銀へ、彩りを変えていく。

 蜂蜜色の髪が波打ちながら翻った。
 林檎色の瞳に歓喜が燈り、蕩けるような笑みが咲く。
 ――私の可愛い、キアーロ。
 胸に甦る響きは娘に夫の面影を重ね、キアラを息子として呼ぶ母の声。
 けれどどうしても逢いたくて、探しにいったけれど逢えなくて。それでも、たとえ幻でも幸福そうな母の笑顔に逢えれば、ふわふわ宙をさまよっていた迷子の心が大地に足をつけ、迷いの先へ向いたから、

 凛と煌く銀の髪が風になびく様に思わず立ち竦む。
 だが失くした記憶が彩を取り戻す感覚に怯えたセレナの代わりに、彼女によく似た幼子の幻が、同じく幻の男女へ駆けだした。振り返る男性はセレナの理想を体現する精悍な騎士、銀の髪を風に遊ばす女性も帯剣が馴染む姿から騎士と識れる。二人の顔は朧げなれど、跳び込む幼子が優しい笑みで迎えられる様に胸を締めつけられ、懐かしさに貫かれたから、

 もう、迷わない。
 緑と青の双眸に同じ決意を燈して、キアラとセレナは迷わず草原に舞った。
 二人の痛手を浚っていくのはキカが解き放った白銀の煌き、いっそう感覚を冴え渡らせた彼女達の攻勢に皆の攻勢が重なるが、踊る炎が、舞い吹雪く花が、前衛へ集中していく。
 ――怒りを一度、試してみるのです!
 仔狐に気づかれぬようマインドウィスパー・デバイスで皆へと言葉を届ければ、スズナの思念に同じ中衛を駆けるキソラが笑み返し、
「りょーかい、いつでもドーゾ」
「はい! いくですよ、サイ!」
 軽快に翔けた彼の鎖が幾重もの守護魔法陣を展開した。皆の盾となる木箱型のミミックが振り撒く偽りの財宝をめくらましに、銀狐の巫女見習いが放つは化け狐の変化呪符。
 幻を見せ相手の狙いを惹きつける、とっておきの特製品。

●あなたを探しに
 明るく燈る炎は護り手達が抱きとめて、けれど暖かな黄に舞い吹雪いた花々が、魔法陣に威力を和らげられつつ眩い朱金に輝いていく。夕暮れの空で、灼熱の鍛錬場で。

 芸術家が気侭に絵筆を揮ったような、劇的な彩の空だった。
 輝く橙と朱と桃が薄墨の影孕む雲と戯れ、彼方で空と交わる海は眠りゆく夕陽を迎えて、光と影さえも煌き踊る。眩さに双眸を細め、少年に還る心地で恩人の姿を探したけれども、朽ちた灯台の陰から現れた姿に、青年のままでキソラは笑いかけた。
 肩を並べて、今をともにする相手。
 毎日生まれ変わると嘯くアイツに、幾度だって見せると誓った空。

 熱で朱金に輝く鋼を打つ音が、失くした記憶の扉をも叩く。
 史上唯一の女性刀鍛冶は江戸時代の女性だというが、小学校にあがるかあがらないか頃のスズナには、父と母ふたりともが刀鍛冶に見えていた。これは護り刀になるんだよ、両親にそう笑いかけられ、幼い己が高鳴らせた胸の鼓動が、今の、もうじき十六歳になるスズナの鼓動に重なっていく。やっと思い出せるなんて、と震えた声が潤む。
 無意識に手で触れた愛刀は、両親が打ち直してくれた護り刀。

「幸せなおもいで、みつけられた?」
 柔らかな紗で大切な記憶ごと抱きしめるような、白銀に煌くキカの癒しが二人へ降りた。
 今見られて良かったヨと破顔したキソラが斧を手に高々と青空へ跳ぶ。はいと眦を拭ったスズナが眩い霊弾を草原に迸らせる。かけっこが得意な仔狐も斧刃と霊弾に追いつかれたらその衝撃には堪らずに、ぽーんと宙返りをうつよう跳ねた。
 けれど、ぽう、と花に光が燈る様を、緑と赤の瞳が見逃さない。
「それが君のおまもりやんね、みんな、癒しがくるんよ!」
「あなたも私達もまだ遊び足りないもんね、そうこなくっちゃ!」
 暖かな黄の花から溢れた陽色の輝きが仔狐を包み込む。強大な癒しは幾つもの治癒阻害が大きくその威を弱めたが、仔狐は浄化によって幾つかの縛めから解き放たれ、翻るキアラの旋刃脚も閃くジェミの稲妻突きも大きな尻尾でぽふんと弾かれた。だけど尻尾があまりにももふもふで、その感触に思わず二人の笑みも弾けて咲いて。
「流石ですね仔狐さん、さあ、こっちですよ!」
「こどもにはやっぱり流れ星が、お星様で一番人気みたいだな」
 迷子だった者同士、親近感をこめて微笑みかけたのは、草叢に飛び込んだ仔狐をみつけた翡翠の瞳の狙撃手。すかさず背後をとり、仔狐が振り返った瞬間にカルナが解き放つのは、素早い仔狐の足を鈍らす氷晶の嵐。凍てる煌きが舞い散るよりも速く、完璧な狙撃点を得て青空を翔けたティアンが、流星の煌きを連れて降り落ちる。
 機動力に優れ、浄化の術を備えた仔狐相手では、セレナが理想とするほど状態異常を積み重ねるのは難しい。ならば仲間が見出した仔狐の弱点を衝け、追尾することも叶う、
「この技で参ります! アデュラリア流剣術、奥義――銀閃月!!」
 瞬間的に力を高めた全身全霊で、冴ゆる月を思わす剣閃を揮った。
 冬から春へわたる草原での追いかけっこ、見つけて見つけられて、まるで楽しい気持ちを溢れさせるかのごとく仔狐が咲かせた花々が舞い吹雪いたなら。
 花々とゆったり戯れるように、竜人の尾が翻る。
 暖かで幸せな、キカと両親の家で。眩く愛おしい、ティアンの南国の楽園で。

 きらきら鳴るオルゴール、真白なユニコーン、煌く妖精のうた。
 あどけないキカの声がはじめておまじないを唱えられたなら、機械のゆめを紡ぐ微笑みで母が頬ずりをしてくれた。誇らしげに竜の尾を揺らす父が抱きしめて、抱きあげてくれた。両親がそうしてくれたように、今はキカが玩具ロボのキキを抱きしめる。
 ずっと傍にいてほしかった。そんな暖かな、願いごと。

 碧い波が穏やかに寄せる、白珊瑚の浜辺に、幾つもの足跡が続く。
 燃える焔の色の髪の、遠浅の海の色の髪の、大切なひとたちの背と竜の尾についてまわるティアンを振り返り、迎えてくれた皆の笑み。一度は何もかも忘れ、改めて掌に握りしめてなお、楽園の幸せが甦るたび、懐かしさと愛おしさに胸が、喉がつまる。
 背に護られるより、隣を歩けるようになりたかった。

「パパとママと同じケルベロスになったきぃのこと、ほめてくれるかな……」
「うん。今なら一緒に戦えるって伝えたい気持ち、ティアンにもよくわかる」
 口調に幼さは残っていても、今のキカが解き放つ白銀の癒しはデバイスの力も重ね、強く揺るがぬ優しさで仲間を抱きしめる。懐かしいひと達の隣はもう歩めずとも、掌だけでなく指先にも星があるから、隣をゆるしてくれるひとのいる歓びが胸に燈るから、大丈夫だよと声にせぬままティアンは草原に舞い戻る。ひとりで生きていけるのか怖くなる程、暖かで。
 ――おまえにもあるのではないの、ひとつくらい。
 仔狐に触れた術は癒しを削ぐための、けれど、仔狐にも思い出が甦るのを願ってのもの。

●あしたを探しに
 春の暖かさを招くよう、春の陽射しを招くよう、明るい炎と早春の花々が、幾度も幾度も草原に踊る。暖かな黄の花々が視界に満ちたと思えば、金の波間に、優しい白が揺れた。

 金の麦穂の波間を、麦畑の先へと家路をたどる。
 村外れの森のどんな奥までいっても、夕暮れ時には必ず迎えに来てくれるのが不思議で、姉さんはどうして、僕がいる場所が分かるの? と優しく手を引いてくれる少女に訊けば、
 ――家族だもの。だから、私も探してね。
 柔らかな慈しみに満ちた微笑みが返って、幼いカルナの声が勿論と弾む。面影の彼女より大人になった今のカルナが、約束、果たしましたよと微笑み返し、大切な記憶を再び宝箱に仕舞えば、入れ替わるように春緑の翼の天使が見えた。

 春色天使を招いた優しい癒しは、相手の幸せな記憶を共有することで共鳴させる、世界で唯ひとり、キカだけが揮える術。
「きぃ達が倒れたら、仔狐もどこにもかえれないから、めいっぱい癒させてね」
「はい! 仔狐さんをいっぱい見つけてあげたいですからね、お願いします!」
 涙はもう零さずに、笑顔でカルナは先へゆく。跳ねる仔狐を追い、破鎧衝を打ち込みつつ抱きしめれば、飛びきりのもふもふの奥から、きゅうん、と嬉しげな鳴き声が聴こえたのは気のせいだろうか。
「さてはずっと狙ってたな、カルナ」
「バレましたか、実はちょっとだけ虎視眈々と」
「これが噂の『カルナさんずるーい!』ってやつね!」
 もっと見つけて、と言うように彼の腕の中から跳び出した仔狐を、黝い獄炎を礫となしたティアンの速撃ちが追って、思いきり跳躍したジェミが斧の一撃とともに降り落ちる。友へ向けられた炎を抱きとめ、怯まず皆とともに草原を駆け、咲き溢れた花をも受けとめる。
 暖かに霞む花吹雪の先に、懐かしい姿が見えた。

 理論的に考えれば、彼女の『想い』は『心』ではなかったはずだ。
 だって想いを告げ、傍にいてと願ったのは姉妹機の妹として製造された彼女の方なのに、心を得てレプリカントになったのはジェミの方。けれど妹に応えていれば彼女も心を得て、限りあるからこそ輝く命をともに生きられただろうかと思えば、ごめんなさいと伝えたくもなるけれど。本当に伝えたい気持ちは、
 ――ありがとう。
 貴女がくれた想い出は、今も大事な、みちしるべ。

 仔狐へ抱いた気持ちも同じ。ジェミも、皆も。
「遊んでくれてありがとう。私達、強いでしょう?」
 大好きなひと達がいる、地球のひとびとの温かさも識っている。その幸せのみちしるべを改めて思い起こさせてくれた仔狐を、友に倣ってジェミは破鎧衝とともに抱きしめる。
「ありがとうございます。大切なひと達の事を思い出させてくれて」
「私からも、ありがとう、なのですよ!」
 もっともっととねだるように草原へ跳ねる仔狐を、清冽な銀の残像を連れたセレナの刃が追いかけ、鮮やかな追撃に重ねるように、スズナが両親の愛情を秘めた護り刀を抜き放って一閃する。泣きたくなる程の幸福を抱いて、キアラも草原を疾駆した。
 皆の想いの結晶たるデバイスを纏い、降魔拳士たる魂には戦った相手の魂さえ抱いて。
 仇敵に一矢報いるため竜技師の実験を受け入れてドラグナーとなり、ケルベロスに羨望を抱いた青年の、熱い吐息が甦る。
 ――連れていってくれ、キアラ。
 戦いの涯に、命も魂も明け渡すよう、すべてを託してくれたひと。
「ありがと、仔狐。君が母さまに逢わせてくれたから、もう迷わずに連れていける!」
「思い出を、ありがと。あなたが迷わないよう、きぃ達もあなたの帰り道を願うから」
 今度は君が迷いを抜ける番、と鋼の銀を纏う拳が仔狐を捕まえれば、機を繋がれたキカの肘から先がなめらかに回転する。時に黄金の果実をもつける七彩の花々とともに彼女の腕もふわふわの毛並みを捉えたなら、
「もう誰かを探さなくて大丈夫ですよ。帰り道は見つかりましたか?」
「探し人じゃあナイだろうが、迎えにきたヨ。もし帰り道が分からなくても、もう大丈夫」
 いきましょうか、と誘うように、カルナの掌上で杖から戻った白梟が翔けて、癒しを阻む雨そのものでなく雨上がりの空を、キソラの指先が示してみせる。そうだな、大丈夫だ、と己の喉元をそっと撫でたティアンの手が、記憶を思い起こさせる術も迷子をみちびく想いも乗せて、仔狐の頭を撫でた。
「まっすぐ帰れずとも、辿り着けたならすべて寄り道だ」
 耳には届かなかった。
 けれどふわり消える仔狐の、きゅうんと嬉しげな鳴き声が、誰もの心へ届いた気がした。

作者:藍鳶カナン 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2021年2月28日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 6/素敵だった 1/キャラが大事にされていた 1
 あなたが購入した「複数ピンナップ(複数バトルピンナップ)」を、このシナリオの挿絵にして貰うよう、担当マスターに申請できます。
 シナリオの通常参加者は、掲載されている「自分の顔アイコン」を変更できます。