銀と金色のトリニティ

作者:秋月きり

 海を割り、飛び立つ影があった。
 それは、人形の如く整った顔立ちの少女だった。一房の銀髪が混ざる金色の髪と白きドレス。それだけを見れば、溜め息が零れるほどの美少女であった。
 だが、それはそんな生易しい物ではなかった。
 紫色の瞳は見開かれ、周囲を窺っている。耳を飾る紅玉のイヤリングを白魚の如き指で時折弄びつつも、刹那、浮かぶ表情は苛立たしげな物であった。
 何よりおぞましさを伝えるのは、その背から伸びた翼だ。
 天使を思わせる一対の翼はしかし、鉄と硝子によって構成され、背から伸びる無数の刃と化していた。
 それは殺意が形を為した凶器だった。禍々しい文様を抱くそれは、昏い死の臭いのみを漂わせていた。
 少女は飛ぶ。
 視線の先にあるのは無数の灯の輝き――人々の営みを示す生活の光だった。
 少女は笑う。
「ああ。そうだね。全部、殺さなきゃ」
 誰かを守る為に。何かを為す為に。
 何故そうしないといけないのか。何の為にそれを行うのか。
 それはもう、忘れちゃったけど。
 殺しちゃえば、殺し尽くしちゃえば、みんな、守れるよね。

 少女の名前はミオリ・ノウムカストゥルム(銀のテスタメント・e00629)。
 仲間の為、自身を盾にと暴走の道を選んだ、ケルベロスの一人であった。

「隠岐島から日本海を渡った先――島根県松江市付近でミオリが見つかったわ」
 ヘリポートにリーシャ・レヴィアタン(ドラゴニアンのヘリオライダー・en0068)の静かな声が響く。告げられた名前は先日の攻性植物拠点調査隊にて暴走し、行方不明となっていたケルベロスの物だった。
「暴走した彼女は隠岐の島から海を渡り、松江市に向かっている。――其処に住む人々の命を奪う為に」
 仲間を守る為に敵を倒す。
 その為に選択した暴走は、未だ、彼女の理性を蝕んでいるようだ。もはや戦う理由を忘れ、ただの殺戮兵器へと化してしまっている。敵、否、生きとし生けるもの全てを屠る為に。
「正気には戻れないのですか?」
 問い掛けたのはグリゼルダ・スノウフレーク(ヴァルキュリアの鎧装騎兵・en0166)であった。
「彼女を正気に戻す為には、現在の彼女を倒すしか手は無いわ」
 暴走状態のミオリは強敵ではあるが、倒せない相手ではない。戦い方を誤らなければ勝機を見出すことは難しくないはずだ。
「ミオリの能力は暴走前と大きく変わっているわ。基本的にはレプリカントの能力と思って貰って構わないと思うけど」
 注意すべきはその背から生えた機械の翼だ。ミサイルポッドやレーザー光線銃を兼任する他、翼そのものが強力な斬撃武器である。遠近共に隙を感じさせない。
「あと、もう一つ。彼女は暴走したけど、『初期化』した訳じゃ無い。戦いながら呼び掛ければ、『心』を揺さぶれるかも知れない」
 もしもそれを狙うならば、理知的な文言よりも感情に訴える方が良いだろう。
 事実、そうやって暴走状態と化したケルベロスに訴えかけ、弱体化させた例が過去に存在する。おそらく、此度も有効と思われた。
「そう言えば、最近、彼女はパティシエに興味を持っていたみたいね。自分の夢として語っていたって聞いたわ」
 それも彼女の心を開く鍵になるかも知れない。
「ミオリは隠岐島で暴走を選んだけど、それは仲間を助ける為――ひいては、世界を守る為に行ったものよ」
 そして今、他ならぬ彼女の手によって、無辜な人々が害されそうとしている。
「これが彼女の本意な筈はないわ。そうなる前に力尽くで彼女を止めて、正気に戻してあげて」
 何よりそれをミオリ自身が望んでいるだろう。
 リーシャはそれを告げると、いつもの言葉で締めくくる。
「それじゃ、いってらっしゃい」
「はい。必ずミオリ様を連れ戻します!」
 気合いの入った返答に満足げに頷くのだった。


参加者
愛柳・ミライ(白羊宮図書館司書・e02784)
テレサ・コール(黒白の双輪・e04242)
氷霄・かぐら(地球人の鎧装騎兵・e05716)
ティーシャ・マグノリア(殲滅の末妹・e05827)
フローネ・グラネット(紫水晶の盾・e09983)
甲斐・ツカサ(魂に翼持つ者・e23289)
レイナ・クレセント(古代の狭間・e44267)
夢見星・璃音(輝光構え天災屠る魔法少女・e45228)

■リプレイ

●銀のテスタメント
 暗いトンネルの中に迷い込んだようだった。
 灯りはなく、機械の翼がただ道を切り拓いていく。
 金髪の彼女に思考はなく。あるのはただの殺意だけだった。
 殺す。殺す。殺す。
 ただそれだけが、今の彼女――ミオリ・ノウムカストゥルムと言う名の少女の全てだった。

「ミオリさん……! よかった、無事に見つかって!」
 灯りに向かって空を駆ける最中、聞こえたのはそんな声だった。喜色に満ちたその声を、彼女は知っている。否、知っていた。その筈だ。
「ミオリさんっ!」
 続く声もまた、知っている筈の声だ。
「――ッ?!」
 だが、それ以上の思考は纏まらない。それが暴走の代償だった。力と引き換えに理性を奪われた彼女に、声の主を認識する力は無い。
 周囲を見渡せば、まず目立つのは、光の翼を抱くヴァルキュリアだった。
 だが、それだけではない。先の声達、そしてヴァルキュリア。その3名以外にも25を超える気配が辺りから窺えた。
「そう、貴方たち、ここに居たんだ」
 機械音と共に翼を広げ空へと飛び上がる。
 零れた声は、紫色の瞳に宿る光同様、ぞっとするほど冷たい物だった。

「ミオリさん……ッ!」
 自分達を認識しないミオリに、声を上げた夢見星・璃音(輝光構え天災屠る魔法少女・e45228)と氷霄・かぐら(地球人の鎧装騎兵・e05716)は悲しげに表情を歪める。判っていた。それが暴走すると言うことだ。この現状こそが、その代償なのだ。
(「絶対取り戻す!」)
 あの調査はまだ終わっていない。ミオリともう一人。二人が帰ってこなければ、終局は迎えられない。
 ならばと、それぞれ得物を構える。今、この場で終わらせる、と。
「やらせんよ、ミオリっ!」
 グリゼルダ・スノウフレーク(ヴァルキュリアの鎧装騎兵・en0166)が所持する光源に照らされる中、一筋の影が叫声と共に飛びかかる。
 ティーシャ・マグノリア(殲滅の末妹・e05827)であった。
 地面で数度。そして空中で数度。砲撃と炎蹴を見舞う彼女は攻撃と共に叫ぶ。
「守るために殺す? 支離滅裂だぞ! お前が守ろうとした調査隊は無事に帰還で。もう、戦う必要はない。いい加減に目を覚ませ!」
「黙れ。デウスエクスが」
 返答は機翼から放たれたミサイルと、胸から放出された光線だった。
 文字通り聞く耳持たない一撃は、ティーシャの身体を捉え、夜の海へと吹き飛ばす。
 叩き付けられる水音が、闇の中に響いた。

 ああ、五月蠅い。五月蠅い。
 敵が何か言っている。デウスエクスが大きな声で喚いている。
 五月蠅いんだよ。
 あれも静かにさせないと、ね。

「俺達をデウスエクスと認識しているのか?」
 光剣を構えた甲斐・ツカサ(魂に翼持つ者・e23289)はゴクリと喉を鳴らす。だが、思考の何処かでそれを受け止める自分がいた。理性を失った彼女は、誤認という形で自我を保っている。それ故の反応だろう。
 そうでなければ、心優しい彼女が虐殺兵器に堕ちる理由はない。
「気をつけて下さい。やはり、ミオリさんは暴走時のままです」
 故に理性は喪われ、常時の10倍の戦闘能力を振るうことが可能なのだ。
 今、対峙している彼女は、並のデウスエクスなど足下に及ばない存在だと、フローネ・グラネット(紫水晶の盾・e09983)は告げる。
「それでも――」
「必ず連れ戻します」
 愛柳・ミライ(白羊宮図書館司書・e02784)の言葉とテレサ・コール(黒白の双輪・e04242)の声が重なる。
 難敵であろうと、その決意は揺るがない。
「ミオリさん、必ず助けて見せます!」
 レイナ・クレセント(古代の狭間・e44267)の決意は、静かに響いた。

●金色の約束
 夢があった。夢を語った。
 それは遙か遠い過去のこと、或いは別人の言葉のようにも感じた。
 もう、夢は見ない。
 夢なんか、語ることはない。

 放たれた光線はテレサのサーヴァント、テレーゼを掠め、そのまま砂浜をも灼いていく。
 夜闇の中、それが煌めきを湛えるのは硝子化の証しか。
(「――塩化?」)
 下僕の外装からパラパラと零れるそれの正体に気付いたテレサは、むっと呻く。確か、それは契約不履行の印だった筈だ。
(「テスタメント、ですか」)
 約束を破り、塩の塊にされた神話を思い出す。
 それが、銀髪の少女が大切にしていた物をだったのかと思ってしまう。
「ミオリ様。全てを忘れてしまったんですね」
 語る少女の表情は、悲しみに彩られていた。
 理解している。暴走を選んだ時点で、ミオリにどのような変化があったのかを。如何に旅団の思い出を語ろうとも、彼女が正気に戻ることは無いのだ。全ては拳で片を付けるしかないことも、その理解の範疇の内だ。
「ミオリ、何のつもりだ!」
 激昂するマークを片手で制する。
 ああ。そうだ。思い出を語ることも、虐殺を咎めることも、今のミオリにとっては何の意味を成さない。
 彼女は理性と引き換えに仲間を護った。その結果、現状の暴走状態に陥っている。咎の台詞は、ただ、彼女が暴走した事実に対する責め苦でしかない。
(「それは、駄目です」)
 暴走したことを責めてしまえば、彼女の戻る場所が無くなってしまう。
 それだけは断じて避けなければならなかった。
「切り裂け!! デウスエクリプス!!」
 放たれた神喰いの双円刀はしかし、ミオリの翼によって遮られてしまう。一撃必殺の大技はしかし、今の彼女には易々と躱されてしまう。
「ミオリさんっ!」
 防御に回した翼の合間を縫い、フローネが飛び込んでくる。組み付き、腕を、脚をも拘束する。たかだかケルベロス一人の膂力を、しかし、ミオリは振りほどけない。
「憶えていますか? 私に作ってくれた。水晶花の飴のことを。他にも作ってくれた、沢山のスイーツのことを」
(「とってもココロに染みて、とっても美味しかったんですよ」)
 悲壮な叫びだった。届くはずのない叫びに、しかし、ミオリの動きが一瞬、ほんの瞬きの間、停止する。
「美味しいプリン・ア・ラ・モードを作って下さいましたね」
「また一緒にお菓子を作りましょう!!」
 その間隙を突くように飛び出した声はレーン、そしてキアリに寄るものだ。
「ミオリさんの夢、ボク達にも守らせて欲しい」
「美味しいお菓子で皆さんを幸せにしたいのでしょう?」
「わたしの結婚式の時にウェディングケーキを作ってくれる約束……楽しみにしているんだから!」
 アストラの祈りと、沙耶の語り掛け、シルの叫びが叩き付けられ。
「己が夢を思い出せ!」
 ルティアーナの叫びが木霊した。

「全く。叱れとか気安く言ってくれますよね」
 ティーシャの傷を癒やしながら、グリゼルダはぽつりと零す。感情をぶつけ、叱る。感情をぶつけるのは利己的なことであり、叱るのは相手を思いやる行為だ。それを実らせろと告げたヘリオライダーの顔を思い出し、苦笑いを浮かべてしまう。
(「でも、それがミオリ様の為なのであれば」)
 灯りに照らされた彼女を、そして彼女へ向けられる仲間達の呼びかけを見上げ、グリゼルダは思う。
 闇夜の中で、それらはとても輝いて見えた。

「記憶が戻ったのか?」
 呼び掛けに踏鞴踏むミオリを見守りながら、ツカサが疑問を口にする。
 だが、その刹那。
「――っ?!」
 フローネの小柄な体躯が弾き飛ばされていた。地面に叩き付けられる寸前、陣内とその猫によって受け止められた彼女は、気丈にも即座に立ち上がる。
「まだ暴走状態です。でも」
「呼び掛けは無駄じゃないわ」
 それは、レイナと璃音の指摘通りだった。
 二人の蹴りを受け止めつつもミオリは唸り、敵意を剥き出しにする。だが、時折、その表情を歪め、頭を振っていた。
「続けましょう。――援護するわ」
 静かな言葉と共に、かぐらが強化版の治癒用ドローンを召喚。攻撃補助の加護をフローネとツカサへと付与する。
「だったら……」
 同時に動いたのはツカサだ。
 虹色に輝く蹴りをミオリに浴びせながら、心の中のありったけを叫ぶ。
「俺達だって、ミオリちゃんにケーキを作って欲しいんだ! シルさん含め、これで予約は二組、キャンセルなんてさせないぞ!」
「ミオリさんは優しい人だけど……それは、どうなんだろう?」
 瑠璃が小首を傾げ、突っ込むが気にしない。おそらく笑って許してくれる。
 旅団のエムブレムを象ったメダリオンを視線の端に収めながらそんなことを思う。そう、彼女は仲間なのだから。
 剣と化した機翼が薙がれ、自身を、仲間を斬り裂いていく。砂煙と血飛沫が舞い、照らす光が揺れる。
 そう。それでも。
「ミオリちゃん。帰ろうぜ!」
 縛鎖の殴打と共に、彼は呼び掛ける。

●紅色の誓い
 約束をした。望みを伝えた。約束を破った。戦いに臨んだ。
 全ては……何の為だったのだろう?
 誰か来て欲しい。誰か叱って欲しい。それが楽しみで。とても楽しみで。
 だから、待ち続ける。だから、戦い続ける。だから、殺し続けるのだ。

「あの時、咄嗟で言えなかったけど」
 無数のミサイルと共に繰り出された爆発は、ケルベロス達だけに留まらず、海岸をも吹き飛ばす。フローネとツカサ、そしてテレーゼが手分けしてそれらを受け止めた為、かぐらに届くミサイルの影響は僅かだ。
 だから語り掛けられる。仲間が道を切り拓いてくれたが故に。
「その姿になることを選んでくれてありがとね。お陰で言われた通り、ちゃんと逃げ切ったわよ」
 応酬は竜砲弾。轟音と共にミオリを撃ち抜き、爆片を持って、その足を地面へと縫い止める。
「ねえ、調査の時、約束したよね? みんなで一緒に帰るって」
 遅くなったけれど、帰ろう。璃音の訴えは弧を描く斬撃と共に。咄嗟に喚んだ白銀剣は白刃を受け止め、受け流していく。
「ミオリさん。貴方が最後まで殿を守ってくれたおかげで、私達は逃げ切ることが出来ました」
 援護射撃は赤煙からだ。光の盾を具現化しながら、竜面をくわっと見開く。
「しかし、もう良いのです。働き過ぎは身体に毒です。帰って、少し休んで下さい!」
「帰る……?」
 呟きと共に発生した音は、何処か喇叭に似ていた。機翼が奏でたそれは、繰り返す爆撃の射出音でもある。
「俺らもさよならを言うつもりは無いからな」
 炎の翼を生やした流は、爆風を翼で切り払いつつ、言葉を継げる。それが彼の誓い。彼の望みだ。
「絶対、連れ戻すわ」
 手荒になっても、無茶と言われても。
 紅の魔弾を放つカナネは、真摯な表情でミオリを見つめていた。
「帰って来なかったらワタシも怒るよ!!」
 マヒナの叫びが耳朶を打つ。
(「帰る? 何処に? 誰が?」)
「さあ、戻りましょう、皆さんが待っている場所に」
 疑問を昇華する暇はなかった。
 那岐の言葉が、酷く何かを泡立たせ、ざわつかせた。
「黙……って。――黙れっ!!」
「いいえ。いいえ!」
 否定の言葉を強く否定する。それはミライの叫びだった。
「まだ、ミオリちゃんの夢の続きを、歌っていないのです。ミオリちゃんが夢みなきゃ、歌っても、意味がないのです!」
 だから、約束を果たさせて。約束を守らせて。
 魂を揺さぶる叫びと共に放たれた弾丸は、ミオリの身体を貫き、機翼を抉り裂いていく。
「シロガネ! 貴女も力を貸しなさい! 今ミオリさんを守らないでいつ守るの!」
 光剣を振るい、フローネが絶叫する。
 自身の斬撃を受け止めた白銀剣は、自分が彼女へと送った物だ。紫水晶の輝きは己を映し、そして込められた星振は――。
(「本当に、ミオリそっくりなんだから」)
 乙女座は頑固と柔軟の二面性を有すると言う。それが彼女そのものを思わせることに、沸き立つ物を感じてしまう。
「そもそも、俺はまだキミにちゃんと挨拶だってしてないんだ。しっかり、挨拶させてもらうよ!」
 そして、宣言と共に、ツカサが詠唱する。
「俺の翼は噴き上がる魂。燃え尽きろ!」
 共に出現するは少女の残霊だった。それにミオリが何を思うか、彼には判らない。ただ、少しの動揺を誘えればそれで良かった。
 そして、炎が吹き荒れる。炎の斬撃と機翼の斬撃。ぶつかり合い、激しく鋭い音を響かせた。
「戦い続けたその先に、何も残ってない。有るのはただの空虚感よ」
 それは璃音が自身と邂逅した宿縁の消失から味わった物。
 そんな痛みをミオリに覚えて欲しくないと、詠唱を口にする。
「生命の輝きよ、私に集いて一時の力となれ! ――これで終わらせる! レディアント・ステラ・グラディオ!」
 吹き抜けたのは虹色の軌跡だった。剣と化した虹輝はミオリを斬り裂き、鉄と金色の輝きを梳る。
「ミオリさん。貴女のお陰で調査は上手く成功出来たのです」
 レイナは訴える。ミオリを始めとした調査団による決死の調査のお陰で、ケルベロス達は攻性惑星の野望を挫き、地球を救うことが出来た。その事実をミオリはまだ、知らない。
「それなのに、貴女が戻ってこなくてどうするんですか!」
 叫ぶ。叫ぶ。叫ぶ。
 感情のままに、あるがままに。全てを叩き付けるように。
「太古の暴君よ、我が武器にその牙を宿して敵を喰らい尽くしなさい!」
 そして、得物を召喚する。
 それは巨大な蜥蜴を思わせる形状をしていた。獣脚類と呼ばれた獣は巨大な顎を開き、その牙を以てミオリの身体を捕らえ、鋸の様な歯を突き立てる。
「必ず連れ戻しますって約束しましたから」
 崩れ落ちるミオリを抱き止め、テレサが呟く。
 そこにあったのは幾多に渡る攻防の末、力尽きて倒れた少女の姿だった。まるで赤子のように安らかな寝顔に、思わず笑みが零れてしまう。

●THE TRINITY
 殺した。殺した。殺した。
 攻性植物を殺した。デウスエクスを殺した。何より――自分自身を殺した。
 それは何の為だったか?
 重い靄の中、その答えは出ずにただ、殺す対象を求めた。
 今なら言える。それが仲間を守る為だったと。
 だから、皆が迎えてくれた。
 おかえり。
 投げ掛けられたその言葉がどれだけ、嬉しかったことか。
 みんな、判ってくれるだろうか。

 瞼を開けた時、最初に飛び込んできたのは光だった。
(「……グリゼルダ?」)
 光の翼と、ライト。そしてそれを抱く戦乙女の姿と、そして。
「ミオリっ!」
「ミオリちゃんっ!」
「ミオリさんっ!」
 種々様々な声が掛かる。
 そこに、みんながいた。光源が小さい為、全ての顔が見えない。覗き込む20数個の顔全てを、見つめることが出来ない。
(「ああ、そうだ。私は、暴走して――」)
 隠岐の島はどうなった? 攻性植物は? かぐらちゃんや赤煙くんは――?
「大丈夫かい?」
 掛けられた声はツカサの物だった。黒い瞳が心配そうに覗き込んでいる。
 その表情が雄弁に語っていた。自分は暴走し、そして、仲間達に助けられたのだ。
「おかえりなさい、皆さんもきっと嬉しがっていると思いますよ」
 レイナの声に表情を曇らせてしまう。知らない顔が真摯に自身を見ている。そんな人にも迷惑を掛けてしまった。その事実がのし掛かってくる。
「ごめん……」
 なさい、と言葉は繋がらない。璃音が首を振り、その先を封じたからだ。
「……もう、あんな無理しちゃ駄目だよ?」
 手を取り、願う。
 それでも、と苦笑する。
 同じ場面になれば、この銀髪の少女は無理をするだろう。その場面が容易に想像出来てしまったのだ。
(「だったら、次はそうさせないようにしないと」)
 激化する戦いの中、窮地に陥ることもあるだろう。だが、強くなれば暴走の選択を減らす事が出来る。そう信じることにした。
「お帰りなさい。ミオリ様」
 レプリフォースの皆は首を長くしてお待ちですよ、テレサは帰路の労いにそっと添える。いつも無表情な彼女に、しかし若干の喜色を覚えたのは気のせいだろうか? その答えは今のミオリには分からず、そして意味が無い物と飲み込むことにした。
「まったく。心配したぞ」
 グリゼルダに支えられたティーシャが悪態の如く、ククッと笑む。ヒールで応急処置されたその風体がボロボロで、痛々しい様相に胸がズキリと痛んだ。
「……おかえり。ほら、皆さんにも」
「うん。そうだね」
 ミライの言葉に頷く。
 彼女を見つめる様々な顔は、見知った顔もあれば知らない顔もある。その全てがとても嬉しくて、そして――。
「約束、果たせるね」
「かぐら……ちゃん」
 熱くなった目の端を拭ったのは、年上の白い指だった。その表情に、外見に既視感を覚えてしまうのは、かぐらの格好があの日と同じだからだろう。
「おかえりなさい……ミオリさん。よく、頑張りましたね」
 そしてぎゅっと強く抱きしめられた。
 ふわりと柔らかい匂いと、優しくも強い抱擁と、そして紫色の髪と涙に濡れた声が誰か、もう判っている。
「うん。うん」
 頷き、抱き締め返す。
 フローネの思ったよりも細い背中に、温かい身体に、湧き上がった感情はそれでも、安らぎだった。
 だから言葉を紡ぐ。
 それは、彼女に。仲間に。そして、此処に集まってくれた皆へと向けられ、結ばれる。

 ――ただいま。

作者:秋月きり 重傷:ティーシャ・マグノリア(殲滅の末妹・e05827) 
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2021年2月12日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 2/素敵だった 10/キャラが大事にされていた 1
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