星空のホットチョコレート

作者:秋月諒

●たとえば、初恋のおわりに
 ねぇ知っていて? あの宝石のことを。
 ほら、聞いたことはある? 赤い宝石のこと。
 青い宝石の——そう、涙のことを。
 人魚の涙が真珠に変わったように、初恋の終わりに零れた涙は——……。
「それはそれは不思議で綺麗な宝石になるのです。……うん、ちょっと回りくどいかな……。チョコレートは、幸せなものが良いんだけど」
 バレンタインシーズンまではもう少し、新作の準備——というには、もう全部決まっているけどちょっとだけキャッチコピーに悩む時期だった。
「ねぇ、ミスター。あなたはどう思う? 宝石チョコは乙女の涙か、初恋の終わりか——それとも、色んな涙が良いかしら?」
「なぁん?」
 てっぷりと丸い白猫は、店主の言葉に一声だけ返して、あとはてしてしと尻尾でクッションを叩く。寝るから静かにしておいてくれ、というやつだろう。
「ミスターったらそんなだから、二丁目のルリちゃんにフラレちゃうんだからねー」
「にゃう」
 合いの手を返す白猫の不服たっぷりの声に笑って、店主は息をつく。
 小さなお店から始めたロマノも、漸く喫茶スペースが持てるほどの店になれた。ホットチョコは今日が初めてのお披露目だ。
「ここまで来た。……ここまで、来ました」
 長く口にする事も出来なかったひとの名前を紡いで店主は一度、目を伏せる。
「さぁ、気合い入れて頑張っていきましょう!」
 ぐ、と拳に力を入れて、気合いを入れ直した店主の、彼女の小さな店のある先——とある倉庫にて、その異変は起きていた。
「ギ、ギギギ、ギ」
 扇風機へと入り込んだのは、蜘蛛に似た機械であった。握りこぶし程の大きさのコギトエルゴスムに、鋼の足をつけた小型ダモクレスが滑り込む。イベント時に温風を出すそれが、鈍い音を立てながら——動き出す。立ち上がる。
「フィーバーターイム!」
 機械的なヒールで体を作り替えられた扇風機は、その熱風で倉庫を吹き飛ばした。

●星空のホットチョコレート
「それはもう、暖かいを通り越して熱いになってしまったんです……。チョコレートも溶けてしまいます」
 ぺたん、と狐の耳を倒して告げたのはレイリ・フォルティカロ(天藍のヘリオライダー・en0114)であった。
「最近は、テラスヒーターが導入された関係で商店街にあるカフェでも屋外用温風機は使われなくなっていたようです」
 あまり暖かくもならないから、と置かれたままになっていた屋外用温風機がダモクレスになってしまったのだ。
「幸い、まだ被害は出ていませんが……今日は、商店街ではちょっとしたイベントの予定だったそうです」
 寒い日々が続くから、とびきり暖かいものを用意して外を楽しもう。吐息を白く染めて、寒い代わりにさぁ手を繋いで、と。
「商店街の皆様への連絡は、私にお任せください。避難指示もこちらで」
 イベントは延期するということで、商店街の人々も納得してくれている。
「皆様には、ダモクレスをお願い致します。放置すれば、多くの人々が被害を受けることとなります」
 急ぎ現場に向かい、倒して欲しいとレイリは告げた。
 敵は屋外型温風機一体だ。機械的なヒールを受け、その体は巨大化しており、大人であっても見上げるほどあるだろう。
「……それって、吹き出される風もやっかいそうだね」
 三芝・千鷲(ラディウス・en0113)の言葉に、レイリは頷いた。
「はい。屋外型温風機のダモクレスは、強力な熱風、衝撃波を扱います。その能力からジャマーかと」
 体は四つのキャスターで器用に動き回る。遠距離からの体当たり攻撃も持つのだ。
「体当たりというか、最早激突だよね」
「ぶつかればパラライズを齎します。どうか、気をつけてください」
 そう言って、レイリは借りてきた商店街の地図を広げた。
「戦場となるのはここです。商店街へと続く道の途中、幅の広い坂での戦いになります」
 長く続く斜面が戦場となる。ダモクレスの挙動は、上り坂でも下り坂でも変わらないだろう。
「それと、もし良ければ帰りにチョコレートのお店に寄りませんか?」
 今日のイベントに、ホットチョコレートを出す予定だった店からお誘いがあったのだ。
「折角用意していたので、と。普段は宝石のようなチョコレートを扱うお店だそうです」
 今日はホットチョコレートだけを扱う日で、他のチョコレートの用意は無いのだが、温かい飲み物でも、せめて、という話らしい。
「皆様、もし良かったらホットチョコレートの感想も聞かせてくださいね」
 そう言って、レイリは集まったケルベロス達を見た。
「皆様、ここまで聞いてくださりありがとうございました。街の人々の平穏のため、そして、延期となったイベントの為にも皆様の力を貸してください」
 レイリはそう言って、では、と笑みを見せた。
「行きましょう。皆様に幸運を!」


参加者
オペレッタ・アルマ(ワルツ・e01617)
リコリス・セレスティア(凍月花・e03248)
アリシスフェイル・ヴェルフェイユ(彩壇メテオール・e03755)
七星・さくら(緋陽に咲う花・e04235)
アラタ・ユージーン(一雫の愛・e11331)
岡崎・真幸(花想鳥・e30330)
クラリス・レミントン(夜守の花時計・e35454)
綾崎・玲奈(アヤカシの剣・e46163)

■リプレイ

●冬の熱風タイム
「フィーバーターム!」
 轟音と共に、熱風が坂を抉り取った。喉が焼け付くほどの熱さが駆け抜ける。飛び散る破片など気にする様子も無いままに、屋外温風機型ダモクレスは坂を滑り降りてくる。
「アッタカ、アッタカ!」
「寒い季節に温かいヒーターは物凄く嬉しいのだけれども、この大きさだと熱すぎて溶けちゃいそうだわ……」
 前衛へと届いた熱風に、七星・さくら(緋陽に咲う花・e04235)は息をついた。
「温める対象も何もかも、ダメにしてしまうわけだから。急いで止めないとよね」
「はい。……これでは、流石に温かいを越えてしまいますので」
 リコリス・セレスティア(凍月花・e03248)は背の翼を広げる。淡く髪に灯る花は白の彼岸花。月明かりに似た光と共に、癒やしの力が前に立つ仲間を包み込む。
「癒やしの光を。どうか――……」
 捧ぐように伸ばす指先と共に、肌に残る炎さえ払われれば、歪むような熱を帯びた戦場がその色彩を変えていく。
「衝撃波やら突風やらあるなら、翼はしまう方が良いのかねえ」
 よ、と息を吐き、岡崎・真幸(花想鳥・e30330)は前を見据えると、地を蹴った。真っ直ぐに、前へ。低く飛んだのは滑り降りてくる相手を見据えてのことだ。
「ギ、ギギギ。フィーバ!」
「焼き鳥とか言われないよう、焦げないようにいたくてね」
 貰う気は無いよ。と告げて――拳を握る。鋼の鬼と化したオウガメタルを纏い、最後の一歩を、行く。
 ――ガウン、と重い一撃がダモクレスへと入った。
「ギ、ギギ、ギ!」
 穿つ拳に、だが暴れるようにダモクレスが身を起こす。四つ足を使い、跳ねるようにぐん、と身を起こしたそこに――冷気が、走った。
「凍っていて」
 アリシスフェイル・ヴェルフェイユ(彩壇メテオール・e03755)の放った氷結の砲撃だ。走り抜けた冷気が、ダモクレスの足を掴む。
「温かいのは嬉しいのだけど、倉庫毎吹き飛ばしてしまうのはね」
 坂は熱を帯びていた。季節柄、吐息が白く染まることもあるというのに――今はただ、蒸気が戦場にある。
「温める対象も何もかも、ダメにしてしまうわけだから。急いで止めないとよね」
「うん、そうだね」
 頷く、声と共にクラリス・レミントン(夜守の花時計・e35454)は隣に立つ。
「盾として確りお護りするよ、アリシス」
 回復の必要としない今だけ、掲げた氷結輪をクラリスは解き放つ。
「……寒いのに、君は元気だね。こんなにパワフルな子が街へ出たら大変なの」
 この先にあるのは、店主さんの夢が詰まった大切な場所。
「君に奪わせるわけにはいかないから。ここでちゃんと、止めてあげる」
「ギギ!」
 熱風を招く大きな羽根が、冷気と炎の中で軋む。ギ、ギギ、と、暴れる体の動きは確かに少しずつ鈍くなってきていた。
 制約、だ。
 敵の扱う炎や麻痺も強力ではあったが、そこは癒やし手たるリコリスの紡ぐ回復と加護、そしてオペレッタ・アルマ(ワルツ・e01617)やクラリスや、三芝・千鷲(ラディウス・en0113)の加護があったからだ。紡ぐ癒やしは炎と痺れへの耐性を紡ぎ――それが、敵の得手であったとしても支えきる。

●炎の終わり
「フィ、バー!」
 走る衝撃波は何度目のものか。来ます、と鋭く綾崎・玲奈(アヤカシの剣・e46163)は告げると、身を横に飛ばした。行き先は前に、ジグザグに行く。
「さぁ、行きますよネオン。サポートは任せましたからね」
 羽ばたきと共に玲奈のボクスドラゴンが応じる。小まめな回復が、踏み込み行く玲奈の傷を癒やす。
「――ギ!」
「氷の属性よ、爆発しなさい!」
 ギュイン、と回り出した翼に、最後の加速を叩き込む。突き出した拳が強かに鋼を打ち――次の瞬間、氷結の力が届く。
「ギ、ギギァ!」
 バキン、と扇風機の一翼が欠ける。暴れるように距離を取ったダモクレスが再び熱風をかき集める。
「――ぴゃ」
 強風にオペレッタは背筋を伸ばす。
「たくさんをあたためようという。気魄を、かんじます」
 温かいよりは、熱風だ。視界が歪むのは熱の所為だろう。
「……!」
 は、とオペレッタは顔を上げた。これは「熱」だ。熱風であれば間違いなくほかほかで。あったかなそれは当たり前に――。
「チョコレイトが溶けてしまう、は、ゆるされません」
 此処を突破されるようなことがあれば、店は無事では済まないだろう。
「すみやかに、迅速に……阻止します」
 一度、伏せた人形の瞳は色彩を灯す。踊るようにするり、と伸ばされた左手が開演を告げた。
「人形劇』を『はじめ』ます」
 くるり、くる、とオペレッタは踊る。指先を滑らせるように、左手をひらり振るえば無数の0と1の数列がダモクレスに絡みついた。
「ギ、ギギ、ア――」
「蕩けるチョコレートは魅力的だが、爆風飛散は台無しだ」
 両の手を掲げ、アラタ・ユージーン(一雫の愛・e11331)はコアから光を放つ。
「危険なフィーバータイムは阻止させて貰う!」
 先生、と告げた少女に寄り添うように、ウイングキャットが光を届ける。紡ぐ癒やしは、駆け抜けるその為に。
「ギィイイ、フィッバー!」
 再びの熱風は――だが、最初ほどの力は持たない。クラリスと玲奈が踏み込み、前に行く攻撃手達を支える。
「寒い季節に温かいヒーターは物凄く嬉しいのだけれども、この大きさだと熱すぎて溶けちゃいそうだわ……」
 回復を告げる仲間の声を聞きながらさくらは翼を広げた。
「申し訳ないのだけれども、ちょっと大人しくして頂戴ねっ」
 唇に紡ぐのは童謡のようなリズム。
「ぴぃぴぃ、ぴりり……おいで、おいで。雷雛遊戯」
 戯れるように、雛鳥たちがダモクレスに触れた。
「フィイ、バ――」
 鋭い嘴が鋼を砕き、核に届けば、熱風を放っていた扇風機はその動きを止め――倒れた。

●迷い猫ロマノ
 賑やかだったダモクレスとの戦いを終えれば、甘いチョコレートタイムがケルベロス達を待っていた。
「――はい、どうぞ。こちらはミルクチョコレートで、こちらはダークチョコレートです。オレンジのトッピングは……」
「にゃう」
 こっちだ、とでも言うように、看板猫のミスタが尻尾を揺らす。そうっと、カップを受け取ると玲奈はふわりと広がる甘い香りに笑みを零した。
「ホットチョコレート、美味しいですね。体が温まります」
「ふふ。ありがとうございます! 今日はたっぷりサービスしちゃいますから。気になるトッピングがあったら教えてくださいね」
 シナモンスティックにマシュマロ。ホイップも勿論のこと、フリーズドライの苺やシロップ漬けにしたオレンジもある。
「なるほど……、色々あるんですね」
 チョコがあれば手作りもできるんですよ、という店長の言葉に、玲奈は瞬く。料理は得意なのだ。
「今度作ってみようかしら」
「そちらのお客様は如何です?」
「あ、頂くわ。結構、かなり、ホットチョコレート楽しみにしてたの」
 広がるチョコレートの甘さと、ストロベリーの甘みにアリシスフェイルは笑みを零した。
「うん。美味しい」
「……ん。おいしいですね」
 ほう、とクラリスも頷くように微笑んだ。ホットチョコレートと店主の心遣い。どちらも胸にゆうるり満ちてしあわせ気分で。撫子の瞳に幸せいっぱいを浮かべて、顔を上げた。
「今度のイベントでお店に来たときは、きらきらの宝石チョコも見ていきたいな」
「美味しさは勿論目で楽しめるのも良いわよね」
 宝石のようなチョコも見てみたかったから、実は少し残念だったのだとアリシスフェイルは息をついた。
「美味しさは勿論目で楽しめるのも良いわよね」
「うん。それに……好きなひとを想って流す涙は、実を結ばずとも未来輝かせてとびきりの幸せを呼んでくると思うから」
 店主が悩んでいるという、宝石チョコのキャッチコピー。初恋の終わりに零れた涙。不思議で綺麗な宝石になる。
「――けれど、チョコは幸せなものであって欲しいから……だったかしら? クラリスはチョコを用意するとは思うのだけど」
「うん」
 こくり、と頷いた所で、クラリスが顔を上げる。待ち合わせのひとが、辿りついたのだろう。歩き出した彼女を見送って、アリシスフェイルはカップに口をつける。
「千鷲もチョコを探しに行ったりするのかしら」
「僕? 自分用に買ったりはするけどね」
 後はレイリちゃんにおねだりされて負けたらかな、と千鷲は肩を竦めるようにして笑う。妹分には未だに勝てる気はしない。
「キミは?」
「私は勿論用意するわ、家族に。それに……好きな、人に」
 頬を染めて告げたアリシスフェイルに、千鷲が、ふ、と微笑む。
「手作り?」
「作るか、買うかはまだ悩んでるけれど今からもう目移りしちゃうんだもの」
 大切な人を思い描いて、ほう、とアリシスフェイルは息をついた。

 ホットチョコレートは市販のチョコでも作る事が出来るという。今度二人で作ろうと、ミルクチョコレートの甘さを楽しみながらヨハンとクラリスは微笑んだ。
 ――この甘さを、楽しめるようになったのも彼女と共に過ごすようになってからだ。
『ホットチョコレート、凄く美味しかったです。実は僕は、最近まで甘い物は男らしくないと避けていて』
 物憂げな店主に話しかけた時のことを、ヨナンは思い出す。
『でも、クラリスさんと……彼女と恋人になってから、気後れせず口にするようになりました』
 心のまま、大切な人と一緒に美味しいものを食べるのはとても幸福ですね、とそう告げた時のことを。
『どうもありがとうございます』
『いま私も、皆も笑顔なのは貴女とチョコのお陰だよ』
 傍らの彼女と共にあって、進めるようになったことがある。
「あのね」
「クラリスさん?」
 首を傾ぐより先に、すい、と伸びてきた手がヨハンに触れた。
「男らしいかどうかよりも、ヨハンがヨハンらしくいてくれることが私は一番嬉しいんだよ」
 少しずつ素直になっていく彼が、愛おしいのだ。上着に潜り込んで見上げた先、小さく息を飲んだヨハンの腕がクラリスを抱きしめる。
(「――あぁ」)
 恋とは温かくキラキラで涙が零れそうな程、甘い。

「やっぱり空は見れないんだね」
「見たくない」
 二人、選んだホットチョコレートを片手に外に出れば、澄んだ星空が広がっていた。
(「付き合う前までは平気そうだったのに。うーむ、今は弱音言ってくれる感じなのかな」)
 真幸は、星空が好きでは無い、という。
(「……可愛いからいっか! 苦手なのに誘ってくれたし」)
 頷いて、視線を上げればふわり、と柔らかな翼が肩に触れる。
「もふもふ……ありがとう」
 優しい翼と共に見上げた星空は綺麗で。そっと口をつけたホットチョコレートは甘くて温かい。ほう、と零す吐息も白く染まって。そう、これぞ冬の醍醐味というやつなのだ。
「キスしても良いんだよ?」
 変わらず、注がれる視線に、つい、と踵を上げてみる。
「ほら早く! カモン」
「……いや外でキスは無理だから」
 つま先の触れるような距離で、笑うように告げられた言葉に真幸は少しばかり息を零す。ちぇ、と唇を尖らせて、それでも、ふ、と笑う妻の姿を瞳に映す。
 星空を恐怖する心は残っている。何より秋子といるのに他の事に気を取られたくは無かったのだ。
(「俺が押しまくって結婚までしてもらったのにデートは殆ど彼女から誘ってくれる」)
 素直に嬉しいが、口にすれば彼女は照れて拗ねてしまうから言えないままだ。
(「今喜んでくれてるだろうか」)
 少しだけ彼女の背に回した翼に力をいれる。星空から大切な彼女を隠すように。

「三芝が髪を結んでるのは珍しいな。凛々しくて好いと思うぞ!」
 火岬だ、とぴょんと跳ねたアラタに、律は短く着席を告げる。保護者らしい姿に一つ笑うと、千鷲は揺ったままの髪に触れた。
「ありがと、アラタちゃん。流石にあの風じゃね。律君もありがと」
 どのホットチョコもおいしいよ、と千鷲は告げた。当たり前だと言うように、にゃうと鳴いた看板猫にひらひらと手を振って、ふと思い出すようにアラタが呟く。
「凌霄花に、狼。アラタの冬とチョコレートの想い出にはいつも誰かが居てくれたから」
「……」
 懐かしい言葉だと律は思う。そういえば、去年の今頃。夕闇とダークブレンドの味。
 狂った様な夕暮れの赤色が、己では如何しようもない程に焼付き、燻る季節があった。
(「それが……」)
 不思議と遠くのものであるかの様に――寧ろ、甘い懐かしさすら含んでいて。穏やかな心持でいるのに、驚きがあった。表情こそ変わらぬまま、だが僅か律は深紫の瞳を細める。
 ――笑い、見守り、互いを助け合い、想い合う人々の熱。
(「時にその中に居て、今もアラタの隣や、数歩の距離で触れることができたからだろうか」)
 疾うに失ったと決めていたのに。
「……」
 音もなく、柔らかく、溶けてゆく。
 抱いた形容のつかない感情は苦味を含みながら、甘やかで。ただ静かに律はカップに口をつける。甘いチョコレートの香り。迷い猫の名を持つ店も迷い辿り、向かう途中だろうか。

(「今度はレイリも一緒に行こうなと誘ったら、どんな顔をしてくれるかな?」)
 きっと喜んでくれるだろう。そうなると……ここはホットチョコオレンジとダークも両方試しておくべきだろうか。くるくると考えて、一先ず甘いチョコにアラタは口をつける。
(「こうして……」)
 火岬を隣に見上げるだけで、今も心からポカポカした力が溢れてくる。名前は知らない。けど、この力が自分を生かしてくれていたんだと気付いた。

「ふふ、この甘さと温かさが冷えた身体に染み渡るわぁ」
 今日も一日お疲れ様、と乾杯をするヴァルカンとさくらが選んだのはダークチョコレートを使ったものだ。濃厚なチョコレートに、思わずほう、と息が零れる。
「さくらの言う通り、寒い日にはこの温かさと甘さがよく効くな」
「まだまだ寒い日が続くし、家でも作ってみようかしら」
 柔く落ちた夫の笑みに、さくらはくるり、と指を回す。家で作るなら、マグカップでアレンジしても良いかもしれない。
「マシュマロやホイップをトッピングしたり、ラム酒を入れて大人の味にしてみるのも良いかも?」
「家でやるなら、果物を合わせてみてもよさそうだ。色々用意して、ちょっとしたパーティーなどどうだろう?」
 吐息一つ、零すように笑ってヴァルカンはさくらの手を取った。
「……まあ、俺にとっては、そうして楽しげに思案する君の表情を眺めているだけで、十分満たされるのだが」
 幸せな温もりを感じながら、今日は、少しだけ遠回りして帰ろう。寒くないように二人、寄り添って。

 ミルクチョコは甘めに、まろやかに。オレンジピールや、苺を添えればまた少し、違った味のホットチョコレートが顔を見せる。
「!」
 それは、オペレッタにとって初めての経験だった。ひとくち、こくり。目にするのも口にするのも初めてのホットチョコレイト。その甘さに、ふわりと広がる温かさに花の綻ぶ様に瞳を輝かせた。とろりとあまく、指先から伝わる熱。
「とても、とてもおいしいです」
 表情こそ変わらぬまま、瞳を輝かせた姿をみれば、チョコが好きなのも分かるのか。嬉しそうに笑みを見せた店主が「もう一つも如何です?」とダークチョコレートの一品を見せる。
「トッピングは、フリーズドライの苺を散らしても良いし、希望のものがあれば。そちらのお客さんも」
「そうですね……」
 ほう、と甘いホットチョコレートに唇を寄せていたリコリスは少しだけ悩むようにしてから顔を上げる。
「星型のクッキーとセットにするのも素敵でしょうか」
 思いつきを口にして、小さな笑みを零す。
「そのまま頂いても良いですし、少しお行儀が悪いですがホットチョコレートに浸けてから頂くのも美味しそうです」
「ふふふ。禁断のチョコの味ですよね。確か……と、はいどうぞ」
 今日の星は二つですが、と笑って差し出されたクッキーにリコリスは瞬いた。
「ですが……」
「宝石チョコが用意出来てれば良かったのになーって思っていたので」
 まぁ、キャッチコピーも悩んでいる所なんですが、と店主は息をついた。
「初恋の終わりに、より幸せなものがいいなーとか」
「……」
 その言葉でリコリスが思い出すのは、亡くなった婚約者のことだった。
(「……いえ、私のせいで殺されてしまった」)
 恋は愛に変わり、この愛は永遠だと、そう信じていた。けれど……。
「……ええ、やはりチョコレートは幸せなものが良いですね」
 沈みそうな気持ちを誤魔化すように、リコリスはホットチョコレートを口にする。
「涙も、嬉しくて流れる時がありますから」
 静かに微笑んだ娘の髪がふわり、と揺れる。
「初恋の、終わり。それは、どのようなココロでしょう」
 二度、三度と瞬いた後にオペレッタは店主にそう問うた。
「苦くてつめたい、涙でしょうか。それとも、ほのりとあたたかな、涙でしょうか」
「そうだねぇ、私の感覚で良ければそれはきっと、みんな違うんだ」
 燃えるような赤い涙か、海のように深い青の涙か。小さく笑った店主にも、そんな想いがあったのか。
「お客さんは?」
「胸に、ココロに、こぼれおちた涙が。いつか、また、恋をともすのかもしれません」
 また、おじゃましたいです。と告げるオペレッタに、是非、と店主は笑みを見せた。
 数日後、披露されたキャッチコピーは少しばかり変わっていたという。
 ――この恋の始まりに、と。

作者:秋月諒 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2021年2月11日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 3/キャラが大事にされていた 2
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