復讐の音写

作者:麻人

 休業中の温泉宿に不自然な水音が跳ねた。なにかがバタバタと暴れているような、もがいているような。水音に紛れ、微かな呻き声が入り混じる。
「た、助け……助けて……ッ」
 広い浴槽の中に無理やり顔を押し込まれ、老齢の男性は息も絶え絶えに助けを求めた。
 わざと、苦しめるように手加減している――死んでしまわない程度に水へ沈め、しばらくしてから引き上げる。繰り返しているうちに老人はだんだんとぐったりしていった。
「おいおい、まだ死ぬには早いぜ?」
 チンピラのような、派手な花柄のシャツを着た男が顔を歪めて笑った。
「なあ、じいさんよ。俺ぁいい話を持って来てやったんだぜ。このぼろい温泉宿を潰して、でっけぇホテルを建てるんだ。ボスも乗り気でよお……うまくいったら俺を片腕にしてくれるっつって約束してくれたのにてめぇと来たら、弁護士呼んでせっかくの商談をおじゃんにしちまいやがった」
「む、無理やり追い出そうとしたのはそっちじゃないか……! いやだと言っているのに、力ずくで――!!」
「ああん? 力ずくの何が悪ぃんだ?」
 再び、胸倉を掴んで水の中へ。
 あぶくが水面に浮かんでは弾け、押し付けている男の身体を濡らしていった。全身に羽毛を纏った異形の姿で、男は憑りつかれたようにぶつぶつと繰り返す。
「罪だよ。じいさん、あんたは俺の商売を邪魔して、ボスからの信用を損なわせた。犯した罪はその命で償わなきゃなんねぇよなあ?」

「マジで最低の野郎っすね……」
 黒瀬・ダンテ(オラトリオのヘリオライダー・en0004) は北関東にある温泉街の場所を示して事件のあらましを告げた。
「犯人はビルシャナを召喚した人間っす。そいつは自分勝手な逆恨みで宿屋の主人に復讐しようとしていて、その願いの成就と引き換えに完全なビルシャナになる契約を結んだ……このままじゃ、理不尽な復讐の犠牲者と新たなビルシャナが一丁上がりっすよ」

 襲われた老主人が経営している温泉宿は現在休業中であり、従業員は全て暇を出されている。つまり、他の人間を巻き込む心配はないということだ。
「そのチンピラに立ち退くよう脅されて、ここ一か月ほど休業に追い込まれてたみたいっす。おかげで、問題のビルシャナが老主人を連れ込んだ大浴場までは特に障害なくたどり着けるはずっすよ」
 ケルベロスが介入した場合、ビルシャナは復讐よりも目の前の邪魔者を排除しようと襲いかかってくるだろう。彼の目的はただ復讐の対象者を殺すことではなく、嬲り殺してやることだから。
 ただ、とダンテは警告する。
「もし、自分が死にそうになったら道連れにしようとするでしょうね。死なば諸共ってやつっす。ビルシャナと融合した人間はほとんどが助かりません。けど、もしも『復讐を諦めて契約を解除する』と宣言した場合は生き残った事例もあるみたいっす」

 ビルシャナの得意技は後光のような閃光や氷輪を投げつけ、自らに近づけさせることなく敵の動きを妨げること。
「理力による範囲攻撃が多いみたいっすね。プレッシャーやら氷やら溜まると大変なんで、気を付けてくださいっす。皆さんなら大丈夫だって、信じてるっすよ」


参加者
トレイシス・トレイズ(未明の徒・e00027)
玉榮・陣内(双頭の豹・e05753)
比嘉・アガサ(のらねこ・e16711)
井之原・雄星(サキュバスのガジェッティア・e44945)
アンジェリカ・ディマンシュ(清廉なる魔弾使いの令嬢・e86610)
 

■リプレイ

●光か闇か
 人気のない温泉街をケルベロス達は速足で駆け抜ける。一路、予知された老主人の経営する温泉宿を目指して、一刻も早く。
「あれか」
 わき目も振らずに玉榮・陣内(双頭の豹・e05753)は建物内へと踏み込んだ。多少強引な侵入になろうと構うまい。耳を掠める叫び声を頼りにたどり着いた大浴場では件のチンピラが老人の頭を浴槽に貯めた湯の中へと突っ込んでいるという惨状。
「お待ちなさい!」
「えっ?」
 不意をつかれ、手を止めたチンピラの背中をアンジェリカ・ディマンシュ(清廉なる魔弾使いの令嬢・e86610)の放つ斬閃が薙いだ。
「いッ……てぇな、てめぇら何者」
 ぐい、と陣内の大きな手が喚くチンピラの首根っこを引っ掴んで後ろに引きずり倒す。呆気にとられたその顔を比嘉・アガサ(のらねこ・e16711)は遠慮なく殴り飛ばした。
「げふッ」
「いまのうちに」
 トレイシス・トレイズ(未明の徒・e00027)はすぐさま老人の身体を抱き起すと、手早く浴場の外へと運び出した。
「う、うぅ……ごほっ――」
「少しの間、ここで待っていてくれ」
 戦闘に巻き込まれないよう、なるべく頑丈そうな壁の陰を選んでそっと仰向きに寝かせる。戦場へと舞い戻った時、チンピラが切れた口の中に溜まった血を吐き出して恨みがましい目つきで言った。
「な、なんだてめぇらは? 邪魔すんじゃねぇよクソが!」
「やれやれ、教育がなっていないのかそもそもまともな組ではない組織に属する輩なのか……」
 井之原・雄星(サキュバスのガジェッティア・e44945)は悠然と前に進み出ると、軽く手招きするような仕草を見せた。
 話を聞け、という意味である。
「君ら、よほどひどいやり方で立ち退き要求したんだろ? で、あえなく失敗。土地も取れず、ボスに見限られ、しまいにはカタギに手を出したと」
「な、なんでそれを……」
 雄星はにっこりと笑って言った。
「君、こっちの道向いてないね」
「は――」
 一瞬、チンピラは言葉を失った後で顔を真っ赤に染め上げる。
「てめぇ、よくも言いやがったな」
 アガサは不愛想に鼻を鳴らした。仲間を横目で見やり攻撃を仕掛けるタイミングを窺っている。一方、トレイシスは――過去の自分に目の前の人物の姿を重ねて憂慮の色を浮かべるのだった。
「……愚かだな」
 まるで、己に言い聞かせるかのような響きの言葉。
「最善は果たしたのか? ボスとやらは貴様に期待していただろうに……自分なら、主に失望されようとも奮起して再びのし上がるがな」
 雷杖で床を突き、稲妻の壁を陣内の眼前に張り巡らせる。舌打ちしたチンピラが「喝ッ!」と眩いばかりの後光を放つが、陣内はこれを闘気を纏わせたその身で受け止めた。
「トレイシスの言う通りだな」
 硬き拳を振るい、竜を象った雷が降り注ぐ。慌ててのけぞったチンピラにアンジェリカの鋭い蹴りが襲いかかった。服が裂け、肌に血が滲む。
「俺ァ、ヤクザ者にはヤクザ者の矜持ってのがあるんだと思ってたぜ。テメエが切られた理由が本当にわからないのか?」
「ぐッ……足が――!?」
 立て続けに喰らった攻撃の余波がチンピラから自由を奪いつつあった。アンジェリカが容赦なくレイピアを薙いだのを合図に、音響魔法陣が一斉にその能力を解き放つ。
「どうです? 私の音響魔法陣からは逃れられませんわよ」
 腕を組んだアンジェリカは言葉でも相手から逃げ場を奪い、追い詰めた。戦場を囲むように布陣した魔法陣は上空から目を光らせるようにチンピラを捉え、不審な動きがあればすぐにありとあらゆる現象を具現化するだろう。
「くそッ……」
 チンピラが苦し紛れに擲った光輪ごと、雄星の黒魔弾が呑み込んで悪夢と恐怖を与える。
「くそ、ちくしょうッ……!!」
 彼は恐怖から逃れるように頭を振りつつ、一歩、また一歩と後ずさった。その背が浴室の壁にぶち当たる。
 もう――逃れられない。
 雄星は逃げ場を塞ぐように壁に手をつき、間近に顔を覗き込んだ。
「言いたい事があるなら言ってごらん? 組の頭として聞いてあげるよ?」
「く、組の頭……だと……?」
「ああ、そうだ。普通、組の方針として理不尽な要求や危険な仕事は極力しないことにしているからね。君たちのやり方はどうにも納得ができない」
「はッ、そりゃあご寛容なこって」
 チンピラは雄星の腕を振りほどき、吐き捨てるように言った。
「このご時世じゃな、そんな綺麗ごとを言ってられねえ時もあるのよ。いいからそこをどきやがれ……俺に挫折を味わわせたあのじじいに天誅喰らわしてやるんだからよお!!」

●色か空か
 紙一重で躱した光輪が壁に突き刺さり、周囲の柱や壁といった室内のほとんどを凍り付かせてゆく。
 後で片付けなくては、とアガサは敵の懐に蹴りを叩き込みながら思った。
(「何らかの事情とやらがあったにしても、情状酌量の余地なんざないだろうにな」)
 こうして直接拳を交わして初めて分かることがある。もうこいつは手遅れだ。そんな奴に果たしてこちらからの言葉が届くのだろうか――?
「陣……」
 見上げる横顔にはチンピラの己を顧みぬ他責の念を許さぬ決然とした厳しさがある。
「わかってるさ、アギー。ケジメはつけさせる」
「うん」
 歪んだ復讐の念が生み出す光は唾棄したいほどに一片の曇りもなく輝かしい。対抗するトレイシスの光は柔らかく温かかった。
「……無駄だ」
「ちいッ」
 往生際悪く、チンピラは幾度も後光を放った。
「全員まとめて殺してやるよ! そんで俺はこの力を俺自身のものにすんだ……!!」
 トレイシスはほんの微かに唇を噛む。
 どうして、そのやり方が間違いだと気付かない? ビルシャナに身を堕とすのではなく、人の身のままでボスへの忠誠を尽くすことが信頼を取り戻す唯一の術であるとなぜ分からないのだろう。
「所詮、ボスへの忠誠もその程度という事か……残念だ」
 だが、最もトレイシスを苦しめるのはそれでもなお――救いたい――そう願ってしまう自分の業の深さであった。
「ぐッ!!」
 聞き分けなく開き直るチンピラを陣内の拳が横合いから張り倒す。触れるのも最低限にしたいと考えているかの如き、無慈悲な一発。
「そういう考え無しなところが根本的な問題なんだと、言わなきゃわからねェみたいだな」
「ッ――」
「真っ当な人間にアコギなやり方をぶつけりゃ、そりゃあ真っ当な方法で逃げられるだろうことくらい想像がつかなかったのか?」
「ぐ……」
 チンピラの勢いがほんの僅かに削がれた。己を正しいとする信心が揺らぎ、閃光を迷いが曇らせる。
 方法は幾らでも考えられるだろう。
 賭博に沈める、裏取引でずぶずぶにする――そうやって法に頼れない場所へ引き摺り下ろしたところで蜘蛛の糸のように縋らせる、とか。
「うあ、あ……」
 陣内の容赦の無い眼差しに射られ、チンピラは怖じるように後退った。その視線が告げている。お前が見捨てられたのは老主人のせいなんかではなくて、“自分自身”のせいなのだ、と――。
「うるせえ、うるせえんだよおッ!!」
 逆切れして滅茶苦茶に氷輪を乱れ飛ばす相手に肩を竦めた雄星の手元で何かが黒く光った。矢だ、とわかった時にはもうチンピラの肩は深々と射抜かれている。
「ぐあッ――」
 立て続けにアンジェリカの放つ槍状のブラックスライムが反対側の手のひらを貫いて壁に串刺した。
「いまですわ!」
 チンピラはもがくが、これまで受けた傷が深すぎた。手足はしびれ、戦意は萎えかけている。雄星の拳が顎を砕き、左右から息を合わせて迫った陣内とアガサの連携攻撃が一挙に残りの体力を抉り取る。
 ハンマーで殴打した傷跡をなぞるように陣内の絶空斬が空間ごと裂いた。アガサは口元に手のひらを寄せ、石膏を吹きかける。――触れた部分からまるで石のようにチンピラの身体が固まっていった。
「何か、言い残すことは?」
 くたばれ、と告げる代わりにアガサは訊いた。
 既にこちらとの境界線を越えてしまった相手にかける言葉など他に思いつかなかった。それでも呑み込み、彼の意思を確かめたいと思ったのはもう無理だろうと思ってはいても、微かな可能性を捨てきれなかったからかもしれない。
「ッ……」
 これが最後通牒だということくらい、チンピラにもわかった。
「……確かにあんたらの言う通り、俺が甘かったのかもしれねえ……ああそうさ、俺は自分のケツも自分で拭けねえ半人前よ……! だがな、だからこそ、今さら心を入れ替えたって遅いこたァわかってんのさ――!!」
 なけなしの力を振り絞った威圧感を伴う閃光はトレイシスの慈雨によって拡散し、与えたはずの効果をその場で減じられていった。
「たとえ、最低な人間だとしても……いや、だからこそ――」
 仲間たちの一斉攻撃が止めを差すその瞬間をトレイシスは静かに見守る。同じ穴の狢……否、さらに業深き者の義務として。
「終わったな」
 アガサの呟きに、ただ目の前の事実を受け入れるように頷いた。
「……わかっているさ」

●上善如水
「大丈夫?」
「ああ……ありがとう、ほんとうにありがとう」
 意識を取り戻した老主人の無事を確かめ、アガサは手短に頷いた。
「あたし達で片付けるから、休んでなよ。ね、陣?」
 陣内の後について掃除を始めるアガサの代わりにトレイシスが傍に片膝をつき、応急の手当を済ませる。
「馬鹿は死ななきゃ治らない、か……」
 名残惜しそうに雄星は呟き、アンジェリカは老主人の無事を喜ぶように微笑んだ。
「一件落着ですわね」
「ま、そういうことになるね」
 彼らの性根を矯正できなかったのは残念だが、これ以上の犠牲を出さずに済んだことをよしとすべきだろう。
「躾なら得意だったんだがね」
 肩を竦めて温泉街を後にする。騒ぎが収まったのを察した野鳥らが庭の木に群れで囀った。何も知らぬ小鳥の歌は静寂を埋めてくれるのに相応しく、いつにも増して澄んで聞こえるような気がした。

作者:麻人 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2021年1月31日
難度:普通
参加:5人
結果:成功!
得票:格好よかった 6/感動した 0/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 0
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