やがて哀しき独身者

作者:土師三良

●嫌婚のビジョン
「独身者を崇めよぉーっ!」
 雪が薄く積もった小さな雑居ビルの屋上に狂気の咆哮が谺する。
 元日の冷たく爽やかな空気を(冷たさだけはそのままに)重苦しいものに変えた声の主は……言うまでもなく、ビルシャナだ。
「街コンに婚活サイトにマッチングアプリなど出会いの機会や手段に事欠かないこの現代社会において、あえて一人で生きることを選んだ独身者のなんと崇高なことか! 例えるなら、それは俗世に背を向けて茨の道を行く苦行者!」
 ビルシャナの前には八人の男女が立っていたが、その中に『いや、あえて選んだわけじゃねーし』と反論する者や『喧嘩売ってんのか、こらぁ!』と激昂する者やいたたまれなくなって逃げ去る者はいなかった。
 なぜなら、彼らは苦行者に例えられた人種ではないから。
 皆、左手の薬指に指輪をはめている。
「独身王様の仰る通りです!」
 と、その面々のうちの一人が叫んだ。
「ああ! 独身者は尊い! 尊すぎるぅ!」
 別の一人が叫んだ。
「結婚してから七年も経つのに未だに新婚気分が抜けずに主人とラブラブな生活を送ってる自分が恥ずかしくなってきました!」
 涙を流している者もいる。決して幸せ自慢をしているわけではない。
「僕もです! つつましく生きる孤高の独身者に比べれば、可愛くて優しくて頭も良くて非の打ちどころゼロの妻と一緒にあったかーい家庭を築いている僕なんか虫ケラも同然!」
 繰り返すが、幸せ自慢をしているわけではない。ビルシャナに洗脳されているのである。
「そうであろう、そうであろう」
『独身王』と呼ばれたビルシャナは満足げに何度も頷いた。
 そして、新年の朝日を背にして、意味不明の宣言を響かせた。
「二〇二一年は独、身、元、年!」

●淡雪&音々子かく語りき
「新年早々にお呼び立てして申し訳ありません……」
 ヘリポートに召集されたケルベロスたちの前で陰気な声を出したのはヘリオライダーの根占・音々子。なにやら、おどろおどろしい瘴気めいたオーラを漂わせている。
「ムカつくビルシャナが山形県寒河江市に出現しやがったので、ぶっ殺しちゃってください。では、行きましょう」
「ちょっと待ってくださぁーい!」
 任務を簡潔に告げてヘリオンに向かおうとした音々子を琴宮・淡雪(淫蕩サキュバス・e02774)が慌てて止めた。
「なんですか、淡雪ちゃん?」
「『なんですか』じゃなくて……もうちょっと詳しく説明してくださいな」
「詳しく?」
「はい。詳しく」
「例えば、攻性植物を首に絡めてゆっくりじっくりたっぷり時間をかけて縊り殺すとか、アームドアーム・デバイスで嘴を限界まで抉じ開けてオウガメタルを口の中に流し込むとか、ファミリアロッドをお尻に突っ込んでゼロ距離ならぬマイナス距離からファイアーボールを発射するとか……」
「いえ、ビルシャナの殺し方は詳しく説明しなくていいですからー!」
 おどろおどろしさを増していく音々子のオーラに気圧されて、淡雪は涙目になっていた。その足下では肥満気味の鶏(ファミリアロッドである)が顔面蒼白になって震えている。自分がビルシャナの尻に突き入れられる様を想像しているのだろう。
「そうじゃなくて、任務の内容について詳しくお願いしますぅ。いったい、そのビルシャナはどんな奴なんですの?」
「『独身者を崇めろ』とか抜かしてる輩です」
 その音々子の答えを聞いた瞬間――、
「……あー、はいはいはいはい。またそういう路線ですか」
 ――淡雪の目から涙が消えた。生気も消えた。そして、その目が一瞬だけ鶏に向けられた。例の殺し方について真面目に検討しているのだ。
 他のケルベロスたちは少しだけ同情した。まだ見ぬビルシャナに対して。
 そうとも知らずに音々子と淡雪は(憎きビルシャナの殺し方を心の中で百万通りほど考えながら)任務について語り合った。
「件のビルシャナは『独身王』と名乗り、八人の既婚者を洗脳して自分の信者にしているんですよ」
「では、毎度のごとく、ビルシャナを殺す前に信者たちの目を覚まさせなくてはいけませんわね」
「はい。洗脳を説くための説得の方向性は二つ。伴侶がいることの素晴らしさについて語るか――」
「――『独身者なんぞは崇めるに値しない存在だ』と思わせるか、ですね」
「そういうことです」
 当然のことながら、信者たちの洗脳を解く際に真実を語る必要はない。独身者が既婚者の振りをして結婚生活の素晴らしさをアピールしてもいいし、その逆もまた有効だろう。信者を救う代わりに心が折れるケルベロスもいるかもしれないが。いや、折れるどころでは済まないケルベロスもいるかもしれないが。
「では、行きましょう」
 おどろおどろしいオーラを漂わせたまま、音々子はヘリオンに向かった。
 今度は淡雪も止めなかった。


参加者
琴宮・淡雪(淫蕩サキュバス・e02774)
玉榮・陣内(双頭の豹・e05753)
アウレリア・ノーチェ(夜の指先・e12921)
シデル・ユーイング(セクハラ撲滅・e31157)
鵤・道弘(チョークブレイカー・e45254)
アーシャ・シン(オウガの自称名軍師・e58486)
リリエッタ・スノウ(小さな復讐鬼・e63102)

■リプレイ

●未婚ブレイカーズ
「二〇二一年は独、身、元、年!」
 ビルの屋上で『独身王』なるビルシャナが吠えていた。
 その残響が新年の空に消え行くと――、
「魔法少女ウィスタリア☆シルフィ参上っす!」
 ――別の叫びが降ってきた。声の主であるシルフィリアス・セレナーデ(紫の王・e00583)とともに。
 彼女は『プリンセスモード』を用いて変身していたが、魔法少女のコスプレじみたその姿が浮いて見えることはなかった。続いて降下してきたケルベロスたちの中に、もっと場違いな者たちがいたからだ。
「さて……」
 愛用のロッドを手にして、魔法少女はぎろりと睨みつけた。倒すべき独身王……ではなく、彼の傍に控えている八人の信徒を。『独身者を崇めよ』という教義を刷り込まれた状態であってなお、幸せのオーラを(無自覚に)漂わせている既婚者たちを。
「このリア充どもを撲殺すればいいんすね?」
「いいわけないでしょう!」
 琴宮・淡雪(淫蕩サキュバス・e02774)がシルフィリアを止めた。
「信徒たちに罪はありませんよ」
 着地の際にズレた眼鏡の位置を直しながら、シデル・ユーイング(セクハラ撲滅・e31157)もシルフィリアをたしなめた。
 言葉だけを聞いているなら、淡雪もシデルもツッコミ役を担う常識人に思えるだろう。しかし、この二人こそ、前述した『もっと場違いな者たち』なのだ。
 淡雪が身に着けているのは白無垢。
 シデルが身に着けているのはウエディングドレス。
 ちなみに両者ともに独身である。
 独身である。
「おおう!? 信徒たちよ! この二人をよぉーく見るがいい!」
 場違いな闖入者たちを前にして呆然としていた独身王が我に返り、淡雪とシデルを指さした。
「花嫁衣装を着ているにもかかわらず、毒心オーラが一ミリも隠せていない! 彼女たちこそ、独身教の尊き現人神! 哀と憂気だけが友達のお一人様! 『いきおくれてすみません。ポジションはキャッチャーで』を決まり文句とするブーケトスの常連参加者! 崇めよ、讃えよ、畏れ敬えーっ!」
「誰が現人神ですかぁーっ!?」
 怒りと悲しみと悔しさの叫びをあげて、『現人神』の淡雪は独身王に詰め寄った。
「そもそも、貴方はなんでそんなに独身者を推すの! しかも、幸せ一杯な既婚者ばかり捕まえて! そうやって幸せな既婚者に取り入ることができるなら、チャンスとして活かすべきでしょう! その種の夫婦の周囲には優良物件な未婚者が沢山いたりするんですから!」
「べ、べつに優良物件とかいりませんけど」
 と、独身王はしどろもどろに反論した。淡雪の剣幕に圧され、敬語になっている。始まって一分でキャラ崩壊。
「だって、僕は結婚できない僻みで行動しているわけじゃなくて、純粋に独身者を崇めるべきだと思っ……」
「嘘おっしゃい! 貴方は私たちと同じ匂いがしますわ!」
『私』ではなくて『私たち』と言ったのは、シデルやシルフィリアス(そして、音々子)も含まれているからだろう。
 そのシルフィリアスが信徒たちに静かに語りかけた。
「あのビルシャナは『現代社会は出会いの手段に事欠かない』とか言ってるらしいっすね。まあ、その言葉に間違いはないっすが、問題が一つあるっす。手段に事欠かなくても――」
『静かに』の部分が消えた。
「――使えなければ、意味がないっすよぉー! 自分に自信がない人間は最初から『どうせ上手くいかない』と諦めて、どんな手段も使わないんす! そう、独身者というのは戦うことから逃げた敗残者なんすよ!」
 シルフィリアスは淡雪にロッドを突きつけた。
「そして、あれが敗残者の成れの果てっす!」
「シルフィリアス様に『あれ』呼ばわりされるのは屈辱なんですけどぉ!? そもそも、人のことが言えるんですか! これがブーメラン飛ばし大会なら、ぶっちぎりで優勝ですよ!」
 涙目になって抗議する淡雪であった。

●私はやもめ
 独身者たちの同士討ちが始まりそうな(もう始まっている?)流れになってきたが、不穏な空気に動じていない者もいた。
 シャドウエルフのリリエッタ・スノウ(小さな復讐鬼・e63102)だ。
「うーん?」
 指先を顎にあて、首をかしげている。
「結婚っていうのは、大好きな人と一緒に暮らすことなんでしょ? とっても素敵なことだと思うけどな。リリも大切な友達とずっと一緒に暮らしたい」
「うっ!?」
 と、信徒たちが頭を押さえて、体をよろめかせた。ピュアな主張を真正面からぶつけられ、洗脳状態の精神を揺さぶられたのだろう。
「それに結婚してないと――」
 リリエッタはシデルや淡雪に目をやった。
「――なんだか、だんだんおかしくなっていくみたい?」
「ぐはっ!?」
『おかしい』と認定されたシデルが吐血した。
「やっぱり、結婚している人こそが大正義なんだね」
「ひでぶっ!?」
『大正義ではない』と認定された淡雪が爆発四散した。もちろん、本当に爆発したわけではない。信徒たちの心の目に映ったイメージ画像である。
 その残酷なイメージ画像の前に大柄な人影が割り込んできた。こちらは実像。人派ドラゴニアンの鵤・道弘(チョークブレイカー・e45254)だ。
「そんなに独身が良いっていうなら、独身に戻ってみるか?」
 道弘は信徒たちにそう問いかけると、答えを待たずにたたみかけた。
「仕事でくたびれた身体を引きずって帰ってきてよぉ。ドア開けた瞬間に明るい照明が目に入ってきたり、夕飯の匂いが漂ってきたり、『おかえり』っつう声が聞こえてきたり……独身に戻ると、そういうのが全部、幻覚になっちまうんだぜ」
 信徒たちがそうであるように、道弘も左手の薬指に指輪をはめている。
 だが、対となる指輪をはめている者はもうこの世にいない。
「二度と会えないって判ってんのによ。ことあるごとにそんな幻覚だの思い出だのが割り込んでくるんだ。勝手に脳が拵えてくんだ。なあ、返してくれよ。ちょっと前まで、確かにあったはずなんだよ。返してくれよぉ」
 鬼気迫る表情で信徒たちに迫っていく道弘。
 独身王が慌ててその前に立ちふさがった。
「いやいやいやいや! なんかシリアスな感じにしないでくださいよぉ! 空気を読んでください、空気を!」
「うるせぇ! 空気なんか知ったことか!」
「そうだ! そうだ!」
 と、道弘の怒りに同調したのはヴァオ・ヴァーミスラックス(憎みきれないロック魂・en0123)。
 彼もまた、愛する妻を失っていた。
 死別ではなく、離婚という形で。
「なあ、俺にも返してくれよ。返してくれよぉ。復縁してくれとまでは言わないから、せめて娘たちと会える機会を月二回に増やしてくれよぉーっ!」
 誰よりも空気が読めていないのはこの男かもしれない。

●ドクシンジャーズ・トラジディ
「『既婚者が大正義』というリリエッタさんの主張が正しいかどうかはさておき、独身者が大正義でないことだけは間違いありませんね」
 そう言いながら、オウガのアーシャ・シン(オウガの自称名軍師・e58486)が自嘲気味に肩をすくめてみせた。
「大台にリーチがかかってるわたくしにとっても他人事ではありませんが……」
「三十代を大台と表現する風潮には全力で意を唱えたいです」
 シデル(三十六歳)が切実な意見を述べたが、アーシャはそれを無視して、信徒たちに語り続けた。
「独身者が尊いなんて、とんでもない勘違いですよ。とくに男性陣には強く言っておきたい。独身者というのは見るに耐えない存在なんです。その良い例……というか悪い例が他ならぬわたくしです」
 自分を指さし、口元を歪めるようにして微笑んだ。先程は『自嘲気味』だったが、今回は『気味』が抜けている。
「人前に出る時はそれなりの格好をしていますが、家の中ではすっぴんにTシャツとパンツだけでぐーたらぐーたら過ごしてますからね。夏場なんて、パンイチの時もありますからね。そんな格好で胡座かいてテレビを観たり、釣りの雑誌を読んだり、釣具のメンテとかをしたり、昼間っから飲んだりしているんです」
「でも、そういうラフで無防備な格好をしている女性というのは逆に萌えますけど……」
 信徒の一人(もちろん、男である)が反駁した。恐る恐るといった調子で。
 しかし、恐れ方が足りなかったようだ。彼の言葉を聞いた瞬間、アーシャの表情が変わり、口調も変わった。
「逆に萌えるだぁ!? フィクションに毒されすぎだっての! どうせ、男物のワイシャツを寝間着代わりに羽織って、頭にちょっと寝癖がついていて、可愛い寝ぼけ眼で歯を磨いてる女性とかを想像してるんでしょうけれど、そんなのはドラマや漫画の中だけに存在する虚像だから! リアルはもっと見苦しいの! ドン退きするほどにぃーっ!」
「そ、そんなことないですよぉ。僕の妻はラフな時も可愛いし……」
「そのラフさはフェイク! ある種のロールプレイ! ラフな感じを装いつつ、実は他者の目をしっかり意識して可愛く行動してんの! てゆーか、それぐらい気付けよ! 旦那さん、チョロすぎ!」
「いや、チョロいわけじゃなくて、気付いた上で騙された振りをしてるんだろう。それが夫婦愛ってもんだ」
 と、道弘が信徒をフォローした。妻が生きていた頃の彼もチョロい夫だったのかもしれない。
 なんにせよ、ケルベロスからすれば、独身王に洗脳されたはずの信徒が妻の魅力について熱弁しているというのは望ましい状況である。にもかかわらず、アーシャは……夏場の休日にパンイチで過ごす大台一歩手前の未婚オウガは抑えることができなかった。心中で渦巻く怒りを。悲しみを。やり切れなさを。
「そんなにカッカしなさんなって」
 余裕のある声が流れてきた。
 信徒たちが思わず視線を向けた先にいたのは、黒豹の獣人型ウェアライダーの玉榮・陣内(双頭の豹・e05753)。屋上の手摺りにもたれかかり、煙草をくゆらせている。メンズファッション雑誌のモデルめいたその佇まいの横には『独身貴族ですが、なにか?』というキャプションが浮かんでいる……ように見えたが、それはウイングキャットがくわえている垂れ幕の文字だった。
「俺は、独り身ってのも悪くないと思うぜ。あんたらも既婚者なら判るだろうが、結婚なんてものは面倒ごとが多すぎるからな。やっぱり、独り身のほうが都合がいいだろう? 色々と遊んだりする時にさ」
 新たに『プレイボーイですが、なにか?』というキャプションが空間に表示された……ように見えたが、それはテレビウムのアップルが持っているプラカードの文字だった。
「陣内さんの仰る通りです」
 と、同意したのは意外にもシデルであった。いつの間にか独身王に洗脳され、本来の目的を忘れてしまったのだろうか?
「独身というのは最高ですよ。ええ、最高ですとも。ビールと煮干しだけで土日を過ごしても、洗い物を二週間ほど放置しておいても、誰にもなんにも言われませんからね」
 いや、洗脳などされていなかったらしい。
「だけど、生半可な覚悟で独身を貫くことはできませんよ。買い物に行った時に店員さんからの呼びかけが『お母さん』になっても、食器コーナーでペアやファミリー用をやたらと勧められても、血の涙を流す程度のダメージで済ませる――それくらいの覚悟が必要なんです」
 いっそ、洗脳されたほうが幸せだったかもしれないが。
「そんな覚悟がないのなら、悪いことは言いませんから、独身者に戻ることはやめておきなさい。安易に手を伸ばすと、大火傷をしますよ」
 きっと、彼女の魂は火傷どころか消し炭と化しているに違いない。
「独身に戻ると、新年を明るく迎えることもできなくなりますよぉ」
 と、淡雪も信徒たちに訴えた。握りしめた拳からは血が流れ落ちている。爪が掌に突き刺さっているのだ。
「『結婚しました』だの『子供が生まれました』だのという年賀状ばかりが届く中、自分一人だけが『今年もよろしくお願いします』と味も素っ気もない年賀状を送る……その辛さが判りますかぁーっ!? うぅぅぅ……」
 拳から流れ落ちる血を拭いもせず、淡雪はむせび泣き始めた。同情を買うための演技なのか? あるいは本気で泣いているのか? それを追及するのは野暮を通り越して残酷というものだろう。
「うーん? やっぱり、独身の人っていうのは――」
 淡雪を見ながら、リリエッタが再び首をかしげた。
「――色々とおかしくなっていくみたいだね」
 残酷だ。
「でも、淡雪の着物もシデルのドレスもすごく素敵だと思う。とても似合ってるよ」
 その悪意なきフォローも逆に残酷だ。

●ひとりで生きるもん!
 心身ともに冷え込む屋上ではあるが、暖かいポイントも設けられていた。
 比嘉・アガサがドラム缶で焚き火をしているのだ。ちなみに彼女は結婚云々という古い価値観にとらわれていないので、ノーダメージである。
「コーヒー、炒れたよ。よかったら、おいで。クッキーもあるから」
 優しい声に導かれ、アップル、名無しのウイングキャット、オルトロスのイヌマルが焚き火に集まってきた。少し遅れて、独身貴族の陣内も。
「俺にも一杯くれよ」
 アガサからコーヒーを受け取るため、陣内が手袋を外すと――、
「なんじゃ、そりゃー!?」
 ――独身王が奇声を発した。
 陣内の左手の薬指で指輪が光っていたからだ。まさかの裏切り行為。いや、『まさか』と思っているのは独身王だけであり、多くの者にとっては『お約束』なのだろうが。
「ああ、これ?」
 陣内は指輪をちらりと一瞥した。
「いや、なに。面倒ごとを背負い込んでみるのも悪くないかなと思ってね」
『独身貴族改め既婚庶民ですが、なにか』というキャプションは出現しなかった。ウイングキャットは垂れ幕係の仕事を忘れ、目を細めてクッキーを貪っている。
「あのクッキーは甘い新婚生活のメタファーですね」
「いや、そんな解説はいらないから」
「メタファーってなに?」
 シデルとアーシャとリリエッタが言葉を交わしているが、既婚庶民にダウングレード(?)する予定の陣内は女性陣の話に加わらず、信徒たちに語りかけた。
「とはいえ、独り身の時間が長かったから、不安が皆無ってわけでもないんだ。なあ、先輩がた。結婚生活を上手くやっていく秘訣だとかを教えてくれないか?」
「よーし。教えてやるよ」
「ごめん、道弘さん。あんたに訊いてるわけじゃないんだ。またの機会にしてくれ」
「じゃあ、このヴァオ様に任せな!」
「黙れ、反面教師」
 そんなコントめいたやりとりが一段落した後で、信徒たちはぽつりぽつりと語り始めた。
 夫婦生活に役立つアドバイスを。
「あー。これって、アドバイスという態の惚気話だよね?」
 信徒たちの話を適当に聞き流しつつ、アガサが一部の仲間を横目で見た。いや、『一部』と誤魔化すのはやめよう。シルフィリアスと淡雪とシデルとアーシャとヴァオだ。五人とも目が死んでいる。
 逆に目を輝かせている者もいた。
 今回のチームの最終兵器とも言えるレプリカントのアウレリア・ノーチェ(夜の指先・e12921)である。
 何故に最終兵器なのか? それは彼女が夫同伴で参加しているから。
 夫、同伴で、参加している、から。
 ただし、その夫――アルベルトは既に亡くなっている。アウレリアの横にいるのはビハンイドだった。
「うんうん。伴侶を想う皆様の気持ちがよく伝わってきたわ」
 微笑みを浮かべて、アウレリアは何度も頷いた。
 そして――、
「でも、私の夫も負けてないわよ。死すら乗り越えて帰ってきてくれるほどに愛情深くて優しくて、おまけに……」
 ――と、『私のターン』とばかりに惚気話を語り始めた。とめどなく、延々と。
 その間、アルベルトは体を縮こませていた。さすがに居たたまれないのだろう。
「口から砂糖を吐きそう。いや、最初に話を振ったのは俺だけど……」
 げんなりとした顔でコーヒーをすする陣内。ブラックなのにやたらと甘い。
 淡雪を初めとするドクシンジャーズの面々に至っては『げんなり』どころではない。目だけではなく、顔全体が死んでいる。
 そんな状況を把握しているのかどうかは判らないが、アウレリアは切りのよいところ(具体的に言うと、話し始めてから四十二分後)で砂糖の生産を一時中断し、信徒たちに問題を提起した。
「独身者の尊さはどうでもいいのだけれど……既婚者を酷評するのはどうかしら? それは貴方たちの大切な伴侶をも貶めることになるのではなくて?」
「い、言われてみれば……」
 信者の一人が戸惑いつつも首肯すると、他の信徒たちも表情や言葉で次々と同意を示した。四十二分に及ぶ地均しが効いたらしい。
「そうでしょう? 伴侶のほうも貴方たちに卑下されたら悲しむはずよ。もし、私が貴方たちと同じ立場だったら、夫の素晴らしいところを百でも千でも並べて否定するわ。いえ、億に達するかも。例えば……」
 アウレリアは夫の美点を一つ一つ数えあげ、砂糖の生産を再開した。
 それに聞き入る信徒たち。
 更に身を縮こませるアルベルト。
 鶏型のファミリアロッド『彩雪』を抱き上げる淡雪。ちなみに表情は死人のままだ。
「さて、お幸せな皆様は目を覚まされたようですから――」
「――元凶を始末しましょうか」
 同じく表情が死んでいるシデルが後を引き取り、独身王に目を向けた。
 独身王の表情も死んでいた。
 そして、三分も経たぬうちに本当の意味で死んだ。

作者:土師三良 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2021年1月19日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 1/素敵だった 3/キャラが大事にされていた 0
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