勤勉なる魔草少女

作者:雷紋寺音弥

●私の邪魔をしないで!
 冬の冷たい空気が肌を撫でる。ビルとビルの谷間に位置する公園で、仲田・亜弓(なかだ・あゆみ)は大きく溜息を吐いた。
「はぁ……。勢い余って飛び出しちゃったけど……これから先、どうしようかな……」
 一瞬、言葉は白い息となり、それらは夜の闇に溶けて消えて行く。クリスマスから正月にかけて、家族でゆっくり温泉旅行。これが今年でなかったならば、亜弓も喜んで母の提案に賛成したのだが。
「お母さんは、いつも自分のことしか考えてないのね。私が受験に失敗しても、どうでもいいって思ってるんだわ、きっと」
 そう、今年の亜弓は受験生。志望する大学に合格するため必死で勉強しているのに、事ある毎に母親が勉強の邪魔をする。一緒に買い物に行こうだの、映画を見に行こうだのと遊びに誘い……その挙句が、年末の家族旅行と来たものだ。
 そんな暇があるなら勉強させろ。そう言って母に怒る亜弓だったが、母はまるで変わらなかった。それら、積りに積もった不満が爆発し、ついに亜弓は口論の末、家を飛び出してしまったのである。
「やあ、こんばんは。君、何か困っていることがあるのかな? よかったら、僕の種子を受け取って、魔草少女にならない?」
 そんな亜弓の前に、唐突に現れた謎の生物。事態が飲み込めず茫然とする亜弓だったが、その生き物は更に勝手に話を続ける。
 曰く、魔草少女になれば、世界中の誰もが幸せな世界を作ることができる。そこには怒りも不満もなく、当然のことながら誰も君の邪魔をする者はいないのだと。
「そういうわけで、この種を貰って欲しいんだ。魔草少女になって自由を勝ち取ったら、後は君の好きにすればいい」
「へぇ……でも、そんな上手い話……いえ、悩んでいても、仕方ないわね」
 苦笑しつつ、亜弓は言った。どうせ、あの家にいたところで、自分の将来はお先真っ暗だ。これからも空気の読めない親に人生の邪魔をされるなら、いっそのこと何もかも捨ててしまえ。
 半ば自暴自棄になりつつも、亜弓は種に手を伸ばした。すると、次の瞬間、彼女の身体は眩い光に包まれて、桜のような小花の装飾が施された衣服を纏っていた。
「う、嘘! これ、本当に……」
「さあ、これで君も立派な魔草少女だ。後は、君の人生を邪魔するやつらを殺しに行こうか。君が、真の自由を勝ち取るためにね」
 耳元で囁く生き物の言葉に、亜弓は静かに頷いた。

●真面目過ぎた少女
「召集に応じてくれ、感謝する。ユグドラシル・ウォー後に姿を消していた『攻性植物の聖王女アンジェローゼ』が、相変わらず暗躍を続けている。配下を使って思春期の少女に接触し、親衛隊の魔草少女を増やそうとしているようだな」
 魔草少女は、元は人間の家出少女。放っておけば、少女は攻性植物に乗っ取られて完全なデウスエクスとなり、自ら母親を殺めるだろうと、クロート・エステス(ドワーフのヘリオライダー・en0211)はケルベロス達に告げた。
「家出少女の名前は仲田・亜弓。都内の高校に通う3年生で、受験勉強の真っ最中だ」
 彼女は勤勉な性格で、妥協や甘えを殊更嫌った。しかし、母親は正反対の性格で、事ある毎に娘を遊びに誘い、それが却って不和の原因となっていたらしい。
 この受験期に、遊びに出るとは何事か。それで学校や模試の成績が下がり、志望校に落ちたらどうしてくれるのか。幾度となく母に怒りをぶつけた亜弓だったが、母親にはまるで響いていなかったらしく、ついには年末年始を盛大に温泉地で過ごす旅行の計画まで立ててしまったのだとか。
「正直、これは俺も母親が空気を読めていなさ過ぎるとは思う。だが、来る日も来る日も勉強漬けで、滅多に笑うこともなくなった娘のことを、心配する気持ちも分からないではない」
 亜弓の母としても、娘に対して息抜きの時間を与えてやりたかったのだろう。しかし、どうにも楽天的な性格のためか、その方法を間違えてしまったというところだろうか。
 ちなみに、亜弓の父親は生まれつき勉強ができる天才タイプ。故に、娘から母の旅行を止めさせるよう相談されても、「その程度で不合格になる者は最初から何処にも合格しない」と、きっぱり言い切ったというから頭が痛い。
「天才肌の父親には、『勉強しなければ結果を出せない人間』の気持ちが分からなかったんだろうな。だが、このまま亜弓を放っておけば、聖王女アンジェローゼの配下である播種者ソウに誑かされ……彼女は魔草少女となって、自分の母親を殺してしまうぞ」
 残念ながら、亜弓が魔草少女になるのを止めることはできない。そのため、彼女が肉親を手に掛ける前に、なんとしても食い止めるしかない。
「魔草少女になった亜弓は、そのまま戦って倒された場合、デウスエクスとして死亡してしまう。説得しようにも、元凶である播種者ソウを倒さない限り、お前達の言葉も届かないから気をつけてくれ」
 亜弓を救うためには、先に播種者ソウを倒す必要がある。幸い、戦闘力は極めて低く、グラビティの一発でも命中させれば簡単に倒すことができるだろう。播種者ソウさえ倒してしまえば、こちらの言葉も亜弓に届くようになり、後は彼女の誤解を解いて納得させた上で撃破することで、攻性植物の種子と亜弓を分離できる。
「問題なのは、播種者ソウが亜弓を盾にして来ることだろうな。こいつは亜弓の肩や頭に乗っていて、こちらの動きに合わせて亜弓の背後に隠れる。どうしても播種者ソウを先に撃破するなら、狙撃が行える者がいなければ不可能だ」
 反対に、先に亜弓を倒してしまえば播種者ソウは逃げようとするので、そこを叩けば簡単に倒せる。魔草少女を失った状態の播種者ソウなど、元よりケルベロスの敵ではない。
「亜弓を助けようとした場合、かなりの苦戦が予想されるぞ。長期戦に耐えつつ、播種者ソウだけを先に倒す術を用意しておいてくれ」
 魔草少女としての亜弓が纏う花はバーベナ。美女桜の別名を持ち、花言葉は『勤勉』、『忍耐』……そして『家族との和合』。疎ましく思っているとはいえ、心の奥底では、未だ母親を完全に憎み切れていないのかもしれない。
 できることなら、互いの誤解を解く形で、亜弓を人間に戻してやって欲しい。そう言って、クロートはケルベロス達に改めて依頼した。


参加者
シィカ・セィカ(デッドオアライブ・e00612)
イリス・フルーリア(銀天の剣・e09423)
カタリーナ・シュナイダー(断罪者の痕・e20661)
リリエッタ・スノウ(小さな復讐鬼・e63102)
ルーシィド・マインドギア(眠り姫・e63107)
山科・ことほ(幸を祈りし寿ぎの・e85678)
リリス・アスティ(機械人形の音楽家・e85781)
 

■リプレイ

●それは雑草のように
 悩める少女に救いの手を伸ばすように見せ、悪魔の種子を配る播種者ソウ。倒しても、倒しても湧いて出るのは、正に無限に生え出る雑草の如し。
「また女の子を騙して酷いことをさせようとしてるんだね。以前もやっつけたのに、また出るなんて……根こそぎやっつけてやるよ!」
 何度倒されても諦めず、悪辣な手段で被害を広めようとする播種者ソウに、リリエッタ・スノウ(小さな復讐鬼・e63102)は怒りを抑えきれなかった。
 心が弱っているところを狙って、悪魔の誘いを持ち掛ける。その悪辣な手法を、許すわけにはいかない。それはリリエッタだけでなく、山科・ことほ(幸を祈りし寿ぎの・e85678)もまた同じ。
「大事に育てられてきたんだね。でも……だからこそ、そんな子を騙すなんて許せない!」
 チャンスは一瞬。まずは初手で奇襲を仕掛け、それでソウを倒せれば儲けもの。
「地より這い上る闇の鎖よ、リリの敵を締め上げろ!」
 まずは先手必勝とばかりに、リリエッタが亜弓の足元へ銃弾を撃ち込んだ。いったい、何が起きたのか。咄嗟の事に戸惑う亜弓の身体を、闇の鎖が締め上げる。
「きゃぁっ! ちょっと、なによこれ!?」
 魔草少女に変身した途端、いきなり攻撃されたことで、亜弓は明らかに動揺していた。実際、力を貰って人を殺せと言われても、亜弓は戦いの素人でしかない。本気のケルベロス達を前にすれば戸惑ってしまうのは当然だが、問題なのは播種者ソウだ。
「気を付けて! あいつらは、君の力を危険視して、君を殺しにやって来たんだ!」
 言葉巧みに亜弓を惑わし、戦わせようとするので性質が悪い。おまけに、自分は亜弓の後ろに引っ込んで、彼女を盾にしようと立ち回る。
「私を殺しに!? ……分かったわ! 折角、力をもらったんだもの。こんなところで、殺されて堪るもんですか!」
 その真面目過ぎる性格故に、亜弓はソウの言葉を疑いもしない。そこに悪意はないのだろうが、それだけに面倒だと、カタリーナ・シュナイダー(断罪者の痕・e20661)は顔を顰めた。
「やれやれ、生真面目すぎるのも考え物だな。自分に正直であるが故に自身の間違いを認めず、思うが儘に突っ走る……」
 多感期の少女なら尚更なことだろうが、それを言っていても始まらない。まずは一発、ソウを狙うと見せかけて……しかし、実際に狙ったのは亜弓だった。
「……痛っ! そ、狙撃!? どこから!?」
 魔力の奔流による直撃を食らい、亜弓は攻撃が飛んで来た方へを目を凝らした。亜弓の素質がいかに高くとも、咄嗟の判断力という点では、歴戦のケルベロス達には及ばない。
「敵は遠くから君を狙っているよ。こっちも、遠くの相手を狙って攻撃するんだ」
「わ、分かったわ!」
 見兼ねたソウが、亜弓の耳元で囁いた。その声に導かれ、亜弓は手にした杖を高々と掲げる。すると、その先から放たれた桃色の光は、多数の花弁となってケルベロス達へ襲い掛かり。
「そうはさせませんわ! 亜弓様、怒りをぶつける相手がほしいなら、今、わたくしが受けて差し上げます」
 咄嗟に、ルーシィド・マインドギア(眠り姫・e63107)が身を挺して壁となるも、それで全ての攻撃を防げるものではない。亜弓の使う攻撃魔法は、威力こそ大したことはないものの、広範囲に照準を狂わせる花弁を撒き散らすものだからだ。
「皆様、準備はよろしいですか?」
「ええ、任せてください。女の子を拐かし、あまつさえ盾にするなんて許せません!」
 ルーシィドの言葉に、イリス・フルーリア(銀天の剣・e09423)が頷いた。ソウを想起撃破するために必要なピース。それが何なのかは、既に彼女達の間で打ち合わせ済みだ。
「今日もお願いします、オウガメタルさん!」
 花弁によって照準を狂わされている後衛に、イリスは銀色の粒子を散布することで、その効果を相殺せんと試みる。否、イリスだけではない。ルーシィドもまた同じく銀色の粒子を散布し、リリス・アスティ(機械人形の音楽家・e85781)とシィカ・セィカ(デッドオアライブ・e00612)も加わった。
「バイオリンとロックギター……たまには、こんな風変わりな二重奏も趣があるかしら?」
「セッションデスネ? オーケー! それではケルベロスライブ、スタートデース! ロックンロール!!」
 リリスの奏でるバイオリンの音色に、シィカのかき鳴らすギターのサウンドが加わって、それらもまたオウガメタルの粒子を呼び起こし、後方へと届けて行く。悪魔の種子を運ぶ播種者を、絶対に逃がさず仕留めるために。

●播種者に逃げ場なし
 魔草少女と化した亜弓を盾に、ケルベロス達の攻撃から逃げ回る播種者ソウ。しかし実際のところ、ソウはかなり焦っていた。
(「な、なんなんだい、こいつら!? さっきから、僕じゃなくて、この子ばかりを狙ってるぞ!?」)
 魔草少女を助けるため、自分を狙って来ると思ったソウからすれば、これはまさしく予想外。まさか、問答無用で亜弓を排除しようというのだろうか。だとすれば、ここでケルベロス達を倒さねば、自分の身も危ないと……そう、考えたのだろう。
「な、なにをしているんだい! 早く、あの邪魔者をやっつけるんだ!」
 焦ったソウは、亜弓に対して回復よりも攻撃を重視するよう促した。だが、果たしてそれは、本当に正しい判断だったのであろうか。
 ケルベロス達の戦い方は、亜弓の足を止めつつも、自己強化によって攻撃の命中率を上げて行くもの。対する亜弓の戦い方は、相手の強化を破壊しつつ照準を狂わせ、疲労が溜まれば回復に転じて状況をゼロに戻すというもの。
 普通に考えれば、亜弓の方が有利なはずだった。なにしろ、彼女は上手く立ち回れば、ケルベロス達の行動の大半を無意味なものにすることができるのだ。
 だが、それはあくまで、相手の行動に合わせて効率よく技を選択すればの話。戦いの素人である亜弓にそこまでの判断はできず、焦ったソウの戦術もまた、ケルベロス達の裏をかくには及ばない。
「そんな粉……全部、バラバラにしてあげるんだから!」
 オウガ粒子の力を除去すべく、亜弓の魔法が炸裂する。だが、それらが粒子の効果を打ち砕こうとも、ケルベロス達は慌てない。
「無駄ですわ。私の楽曲は、そちらの花弁を除去しつつ、皆様に力を授けられるのですから」
 リリスの奏でるバイオリンの音色に合わせ、再び散布されるオウガ粒子。それはケルベロス達の身体に付着した花弁を除去しつつも、破壊されたはずの力を復活させ。
「何度壊されても、その度に歌えば問題ないデ~ス!」
 シィカもまた、ロックの音色に合わせ、オウガ粒子を大放出! 壊された傍から立て直し続ければ、相手は破壊が追い付かない。
「藍ちゃん、ちょっと牽制お願いね。……そっちが花弁なら、こっちは蝶々のパワーを使っちゃうよ!」
 ライドキャリバーの藍にガトリング砲で牽制させつつ、ことほもまた輝く蝶で味方を援護。これだけ色々と重ねれば、いかにソウの逃げ足が速くとも、逃す方が難しく。
「貴方の相手はこちらです。さあ、御覚悟を」
 虹色の光に乗って、ルーシィドの蹴りが横殴りに亜弓へと襲い掛かった。吹き飛ばされた亜弓は完全に冷静な判断力を失っており、もはやソウの言葉さえ頭に入らない。
「……やはり、戦いは素人か。攻めに徹し過ぎ、己の足元が見えていないようでは、まだ甘いな」
 カタリーナのアームドフォートから放たれる砲撃が炸裂し、亜弓の身体を爆風が包む。そして、煙で前が見えなくなった隙を狙い、リリエッタが全身の気を集中させ。
「……見えた。もう、逃がさないよ」
 ここに来て、リリエッタが亜弓からソウへと狙いを変えた。先程まで、延々と亜弓を狙い続けていた理由。それは、可能な限り攻撃の命中率を上昇させた上で、亜弓の動きを鈍らせて、ソウを確実に始末できる状況を作るための布石だった。
「今です、リリエッタさん! 私のオウガメタルさんの力も使ってください!」
「……ん、了解だよ。さあ、これで終わりだね」
 練り上げられた気を拳に集中させ、リリエッタはそれを余すところなく放出する。宵闇を切り裂き、飛翔する気弾。複雑な幾何学模様を描きながら飛び回るそれは、狙った獲物を逃がさない。
「うわわ! もしかして、僕を狙っているのかい!?」
 慌てて亜弓の影に隠れようとするソウだったが、もう遅い! 攻撃にばかり集中させ、亜弓自身の回復を疎かにさせてしまったことで、今の亜弓は咄嗟にソウを庇えない程に、足が遅くなっている。
「逃げても無駄……リリの気咬弾はどこまでも敵を追いかけるよ!」
「そ、そんな……うわぁぁぁぁっ!!」
 気弾をぎりぎりまで引き付け、当たる直前で亜弓の影に隠れたソウだったが、それも虚しい抵抗だった。
 リリエッタの放った気弾は、それさえも読んでいたかの如く、亜弓の眼前で軌道を変える。そして、垂直に飛び上がったかと思えば瞬く間に急降下し、ソウの身体を貫いたのだ。
「ん、やったね。これで後は……」
「ええ! 亜弓様を説得し、あの種子の力を排除するだけですわ」
 緑色の染みになった播種者ソウに、冷めた視線を送りつつ呟いたリリエッタの言葉に続け、ルーシィドが改めて仲間達に告げた。
 些細な誤解から、家族と仲違いしてしまった受験生。そんな彼女を救い出すために、最後の一仕事を頑張ろうと。

●その努力は誰がために
 諸悪の根源たる播種者ソウは退治され、残すは魔草少女となった亜弓のみ。だが、彼女を倒すだけなら簡単だが、救うとなると、多少面倒な手順を踏まざるを得ない。
 魔草少女となった者が自らの行いや言動を顧みることがなければ、仮に彼女を撃破したところで、種子の呪縛から逃れられずに死んでしまう。それを防ぐためには、彼女自身に自らの行いを後悔させ、過ちを認めてもらわねばならない。
「勉強は大切だわ。受験は勿論、生きていく上で知識は必要ですもの」
 亜弓の考えを認めつつも、リリスは改めて問い掛けた。その音色を聞いた者は、つい足を止めてしまいたくなる程に、美しい旋律を奏でながら。
「……でも、時には休息を取ることも大切よ。勤勉な貴女なら、こんなことをするのはおかしいって既に分かってるんじゃないかしら?」
 問いかけに対し、亜弓からの返事はない。何かを迷っているのだろうか。先程までに比べても、彼女の動きにはキレもない。
「確かに頑張る自分の邪魔ばかりしてくるというのは、ノーロックかもしれないデス! しかーし! それでお母さんを手にかけるのは更にノーロック! 本当に何もかもイヤになったというのなら、最後にもう一度本気の本気で、後のことも考えずにお母さんとお話ししてみるデスよ!」
 娘のことがどうでも良いと思っているのであれば、一緒に遊ぼうとは思わない。だから、いい加減に目を覚ませと、シィカは手にした銃から中和の光線を発射して。
「亜弓さん、お母さんが本当に自分のことしか考えてないとお思いですか? それならお母さんだけ、もしくは夫婦でお買い物や旅行に行けば良いでしょう?」
 それなのに、わざわざ娘を連れ出そうとする理由は、娘である亜弓にリフレッシュして欲しいと思っているからだと、イリスが続けた。それは、単に自分が楽しみたいという気持ちではなく、亜弓を本当に気にかけているが故の行動であるとも。
「そ、そんなこと……でも、だったら、余計に放っておいて欲しかったわよ! 私は受験生なのよ! 旅行なんかに出かけたところで、罪悪感が生まれて楽しめないわよ!」
 イリスの剣を魔法の杖で受け止めながら、亜弓が叫ぶ。なるほど、確かにそれは一理ある話だが……そんな余裕の欠片もない状態で試験に挑んだところで、望んだ結果が出るとは限らない。
「お前は余裕がなさ過ぎる。必要以上に自分を追い込めば、いずれ自分を見失うことになる」
 受験勉強している本当の理由を、今一度考えてみろと告げながら、カタリーナの放った砲弾が亜弓を包んだ。受験をする理由は人それぞれ。しかし、合格はあくまで過程でしかなく、真のゴールではないわけで。
「それにさ。魔草少女になっちゃったら、今まで頑張ってきた勉強が無意味になっちゃわないかな? それこそ本末転倒だよ」
 そもそも、大学に入ってしまえば、4年程度で独り立ち。仮に両親との仲が悪くとも、穏便に別れることは簡単だと言いつつ、ことほが雷の竜を亜弓に放つ。
「そ、それは……確かに、そうだけど……」
 もはや、今の亜弓は迷いに支配され、満足に攻撃もできていない。ならば、この機会を逃してはならないと、最後はリリエッタとルーシィドが畳み掛ける。
「んっ、リリには母親がいなかったから分からないけど、みんなが言ってる通り勉強ばかりで体調を崩しそうな亜弓を心配してるんだよ。亜弓も体調崩して本当は効率がよくないって気づいてるんじゃない?」
「お母様にとっては、亜弓さんはまだ子供なのでしょう。だから、自分が守ってあげないといけない、そう思われているのです」
 だからこそ、向き合って言葉を交わさねばならない。怒りをぶつけるのではなく、自分の正直な気持ちを正面から伝え、信じて欲しいとお願いする。そして、自分が本当に辛いと思った時にだけ、素直に親を頼ればいい。
「さあ……亜弓様、戻りましょう?」
「……そうね。あなた達の、言う通りかもしれない……」
 差し伸べられた手に、亜弓は俯いたまま返事をした。その想いを汲んで、リリエッタとルーシィドは、敢えて全力で亜弓を蹴り飛ばす。空を切る鋭い音と共に放たれた一撃は……しかし、亜弓を吹き飛ばすことはなく、その体内にある魔草少女の種子だけを弾き出し、完膚なきまでに破壊した。

●夢に向かって
 ケルベロス達の活躍により、亜弓は間一髪のところで、人間として踏み止まれた。
 だが、それでもリリスは、亜弓の今後が心配だった。独学で受験勉強を続けて来たわけではないのだろうが……それでも、このまま塾や予備校に通うだけで、果たして彼女の成績が上げられるのかは疑問が残る。
「もし、よろしければ、私に貴方の家庭教師をさせていただけないかしら?」
「えぇっ!? で、でも……」
 戸惑う亜弓。しかし、リリスは優しく亜弓の手を取ると、無償で指導をすると申し出た。
「そういうことなら……お願いします!」
 直立したまま深々と頭を下げ、亜弓はリリスの申し出を受け入れた。やはり、彼女は根っからの真面目なのだ。それ故に、時に不器用になってしまい、家族と擦れ違ってしまっただけで。
 夢を追いかけるからこそ、人は時に周りが見えなくなることもある。だが、今の亜弓を見ていれば、もう二度と悪魔の誘惑に負けないであろうことは、その場にいる全員が確信していた。

作者:雷紋寺音弥 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2021年1月1日
難度:普通
参加:7人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 4/キャラが大事にされていた 0
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