ヴァイカウントの書架

作者:崎田航輝

「――ここは……」
 薄闇に冷えた空気の中に、声が淡く反響する。
 並ぶのは古く朽ちた書架。いつかはここに無数の本が並んでいたであろう景色。
 廃図書館であったことが辛うじて判るその眺めを、五嶋・奈津美(なつみん・e14707)は見回していた。
 町外れの、陰に隠れた一角。
 不可思議な感覚に導かれたように訪れたそこは――時間の流れに全てが消え去ったように、埃の匂いばかりが漂っている。
 ここが役目を終えた時に持ち出されたのか、あるいは盗み出されたのか。残っている本は無く、まるで抜け殻のような空間だった。
 揺蕩うのは静謐。
 けれど――同時に、奈津美はそこに何かがいるという感覚を覚えている。
 自身を招き入れた不思議な気配。気のせいかと思っていたそれが、現実に現れるように濃密になっていた。
「バロン?」
 傍らのウイングキャットも何かを察知したかのようにニャ、と鳴いて身じろぐ。
 そうしてバロンが視線を向けた先に、奈津美も振り返ると――。
 そこに現れるひとつの影があった。
 それは開かれた書物の傍らに浮かぶ、一匹の猫。
 翼のシルエットがあり一見、バロンと同じウイングキャットのようにも見えるけれど――その翼はモザイクに覆われている。
「ドリームイーター……?」
『縛めの無い自由を浴する――その強い香りを感じる』
 書物を通して響いてくるかのような、不思議な声音と共に――そのドリームイーターは飛来する。
『ならばその自由を奪わせて貰おう』
 そうしてその殺意の矛先を、奈津美とバロンへ向けてきた。

「五嶋・奈津美さんがデウスエクスに襲撃されることが判りました」
 風の冷えるヘリポート。イマジネイター・リコレクション(レプリカントのヘリオライダー・en0255)はケルベロスへ説明を始めていた。
「予知された未来はまだ起こってはいません。が、一刻の猶予もないでしょう」
 奈津美は既に現場にいる状態だという。
 現状こちらからの連絡は繋がらず、敵出現を防ぐ事もできないため、戦闘が始まるところまでは覆しようがないだろう。
「ですが今から現場へ急ぎ、戦いに加勢することは可能です」
 時間の遅れは多少出てしまうけれど、奈津美の命を救うことは出来る。だから皆さんの力を貸してください、と言った。
 現場は町外れの建物跡。
 内部と周囲は無人状態で、一般人の流入に関しては心配する必要はないだろう。
「皆さんはヘリオンで現場に到着後、すぐに戦闘へ入って下さい」
 周辺は静寂。奈津美へ辿り着くことは難しくないはずだ。
「敵はドリームイーターのようです」
 その正体など詳細なことは不明だ。だが強敵であり、奈津美の命が危険であることだけは事実だろう。
 それでも奈津美を無事に救い出し、この敵を撃破することも不可能ではない。
「そのために――さあ、行きましょう」


参加者
五嶋・奈津美(なつみん・e14707)
五嶋・哲(オラトリオのウィッチドクター・e22133)
レヴィン・ペイルライダー(己の炎を呼び起こせ・e25278)
妖山・椛(護るものは心の帰るところ・e25364)
バラフィール・アルシク(闇を照らす光の翼・e32965)
 

■リプレイ

●闇光
 長い時間と静謐に温度を奪われたかのように、膚に触れる空気は冷たい。
 薄暗がりの廃図書館。五嶋・奈津美(なつみん・e14707)はその中で――眼前に現れた姿に息を呑んでいる。
「あの姿、あの魔導書……!」
 見据えるそれは幾つの時代を経たのかも判らぬ書物と、傍らに控える猫の姿の夢喰い――ヴァイカウント。
 傍を見れば、バロンが酷く戸惑っていて。その様相に、そして敵が纏う気配に……気付くことはあったけれど。
「――!」
 奈津美ははっとして前へ出る。ヴァイカウントが羽ばたくと、呼応するように書物から光が撃ち放たれていた。
 暗闇を突き抜ける衝撃を、奈津美は受け止めて後退する。灼ける痛みに眉根を寄せながら、考えるまでもなく理解した。
(「バロンを狙ってくる……!」)
 息を整え、すぐに自身を魔力で自己回復する。だが、ヴァイカウントもまた高く翔び上がって翼を明滅させていた。
 瞬間、降り注ぐのはモザイクの欠片の雨。膚を破り、精神までもを蝕む苦痛。斃れぬようにと耐えながら、思いは確信に変わってゆく。
 視線をやれば、バロンが呼びかけるように鳴き声を発していたから。
(「あの子はきっとバロンの兄弟……」)
 だがヴァイカウントは鋭い風を渦巻かせるばかり。
 それは確かな殺意の証左。だから、叶うならば戦いたくはなかったけれど。
 ――バロンはわたしが守らなきゃ。
 その思いだけは揺らがない。故に奈津美は迫りくる鎖のような風にも退かず、その衝撃を庇い受けていた。
 血が零れ、バロンが気遣うように鳴く。
「……大丈夫よ」
 奈津美はオーラで自身を癒やしながら声を返していた。
 バロンもすぐに治癒の風を送ってくれる。けれどそれでは癒えきらず、体力の目減りは否定できない。
 このままでは防戦一方。だけでなく、負けるのはこちらかもしれない。
 ヴァイカウントもそれを理解してだろう、勝負を決めるように羽ばたこうとした。
 ――が。
 不意に彼方から風音が鳴って、外気が吹き抜けた。
「奈津美! バロン!」
 響くのは耳慣れた声音。
 奈津美がはっと視線を向けると、見えたのは五嶋・哲(オラトリオのウィッチドクター・e22133)の姿。
 翼をはためかせながら舞い降りると、敵が放った光を身を挺して弾き返してゆく。
「無事か、助けに来たぞ!」
「哲さん……!」
 力強い言葉を向けてくれる従兄に、奈津美は思わず声を零す。
 ヴァイカウントが微かに惑う、その一瞬にレヴィン・ペイルライダー(己の炎を呼び起こせ・e25278)も真っ直ぐに駆けてきていた。
「ちょっとばかり……下がってて貰うぜ!」
 靴音を反響させて一息に距離を詰めると、床を蹴って跳躍。光を刷きながら流星の如き蹴撃を叩き込んでゆく。
 ヴァイカウントが衝撃に吹き飛ばされると――。
「そっちは宜しく頼むよ!」
「了解しました」
 応えて奈津美の傍へと走り寄るのが妖山・椛(護るものは心の帰るところ・e25364)。
 ふわりと白銀の髪を魔力に揺らがせながら、生み出すのは治癒の力。暖かく、眩い光に顕現されたそれは――淡く溶けながら負傷を薄らがせていた。
「バラフィールさんも、お願いします」
「ええ」
 頷くバラフィール・アルシク(闇を照らす光の翼・e32965)もまた、握る避雷針の紅い宝玉を燦めかせて、清廉な魔の力を凝集。
 現れた光の塊を無数の欠片へと砕け散らせ――奈津美に残った傷跡を塞いで跡形もなく消失させていく。
「カッツェ」
 バラフィールが呼びかければ、傍の翼猫も柔らかく羽ばたいて。守りと癒やしを与えて戦線を万全にしていった。
「これで大丈夫です」
「ええ。ありがとう」
 奈津美はもう独力でしかと立ち上がって、皆へと視線を巡らせている。
「皆も、来てくれたのね。助かったわ」
「襲撃にあってるって聞いちゃ、黙っていられないからな!」
 ゴーグル越しの瞳に笑みの色を浮かべながら、レヴィンが言ってみせれば――皆もそれぞれに頷いていた。
 ヴァイカウントはこの間に体勢を立て直し、攻撃を続けようと目論んでいたが――前面に立つ哲が、あくまで通さずに。
「させないさ」
 両手を翳して氷気を渦巻かせている。
 直後、収束した蒼の輝きは鋭い魔弾へ変貌。哲の意思に従って放たれると、一直線にヴァイカウントを穿っていった。

●因果
 氷の残滓が舞い散って、粉雪のように注ぐ。
 ヴァイカウントは宙でふらつきながら――それでも未だ斃れず攻撃の機を窺っているようだった。
 椛は警戒を欠かさぬままに、その姿を見やっている。
「情報通りの、ドリームイーターのようですね」
「ああ。だがあれは……」
 哲は頷きながら、それでも瞳には驚きの感情を浮かべていた。
「バロンに良く似ている――」
「写し身のようでいて、けれど確かに違うもの……ワイルドスペースにいた『彼ら』を思い出しますね」
 バラフィールの言葉は、本能的なものだったのかもしれない。それだけ、あれをただの敵と言って捨てるには感ずるところが多かった。
 奈津美の傍でバロンが細く鳴き声を紡ぐ。だから奈津美は頷いて――口を開いていた。
「あれは……バロンの兄弟。魔導書に宿っていたはずだけど……きっと、ドリームイーターの手に渡ってしまって――」
「……そうか」
 バロンを見つめて、レヴィンは微かに目を伏せる。胸の内に擡げるのは複雑な思いでもあった――けれど拳を強く握り締める。
「それでも、抵抗しなきゃやられちまう。それを見ておくことなんて出来ないぜ……!」
「ああ、その通りだ」
 哲も凛然とヴァイカウントを見据えていた。
「バロンはうちの子供の友達でもあるんだ。手出しは許さない!」
「私も尽力いたします」
 そっと声を添えるように、バラフィールも自らの心を示す。
 非常時に備え、小型機のレスキュードローンを自身に追従させてもいる。仲間に聞きが及べば、美しい姿へ変形して即座に避難させてくれるだろう。
 同時にバラフィールは、隣に瞳を向けて。
「カッツェ、お二人を護りましょう」
 その言葉にカッツェも一声鳴いて翼をはためかせる。
 皆の心と言葉に、奈津美はありがとう、と伝えて。芯の強さを覗かせる瞳で、しかとヴァイカウントへ向き直っていた。
「あなたにはあなたの事情があるんでしょうね。それでも、バロンはわたしの相棒よ」
 弛まぬ思いを胸に抱いて、ばちりと閃かせるのは鮮烈な雷光。
「これ以上、手は出させないわ!」
 刹那、溜めた魔力を一息に解放し、暗がりを照らし出す稲妻を撃ち出して――ヴァイカウントへ強烈な雷撃を与えていた。
 火花を散らしてヴァイカウントは下がる。だが同時に、緩く動いた書物の頁を通して――声を響かせていた。
『ならばその自由ごと、命を引き裂くだけだ』
 直後、翼を大きく揺らめかせてモザイクの欠片を拡散させてくる。
 明滅する煌きと鋭い衝撃。その中でしかし、椛は怯まず敵の姿を視界に収めていた。
「見る限り、欠損した要素は“自由”ってところですかね。……あなたも猫なら自由を奪う事の罪深さはわかってそうなもんですが」
『自由を求めることに、由はない――ただ己が欲するままにするだけだ』
 ヴァイカウントは声音を反響させながら、周囲をモザイクの嵐で包みゆく。けれど椛は静かに首を振っていた。
「まあ何でもいいです、襲ってくる敵は払いのける、それだけですから」
 仲間の安全より優先するものは無いですからね、と。
 そっと手に取る大太刀を、真っ直ぐに向けて顕すのは淡い光を抱いた爽風。巻き上がるように吹いてゆくそれがモザイクを散らせて皆の精神を正常に保ってゆく。
 晴れた視界の中を、疾駆してゆくのはレヴィンだ。
「今度はこっちからやらせてもらうぜ!」
 意気を込めて床を踏み、高々と跳躍するとヴァイカウントの頭上へ。くるりと回って脚に焔を棚引かせ、灼熱の蹴り落としを見舞っていた。
 ヴァイカウントが墜ちてくれば、哲がその一瞬を見逃さない。直後には濃密な魔力を込めた光を、指先から撃ち出して命中させていた。
 飛散するその深色の魔力は、侵食するように生命力を蝕み始めていく。ヴァイカウントは僅かな苦渋を垣間見せながら――それでも鋭い風で一帯を覆い始めた。
 哲は飛び退きながら小さく息を吐く。
「ったく、嫌な攻撃ばかり仕掛けてくる!」
「ええ。ですが、問題ありません」
 言葉と共に光の翼を広げているのはバラフィール。
 はらり、はらり。零れ出た羽の形の光は、風に舞うように飛翔して――美しく瞬きながら前衛の仲間へと触れていた。
 『病魔封じの羽根』――瞬間的に輝いて消えたそれが癒やしと護りの力を与え、敵の風を霧散させてゆく。
 カッツェがそこへ伸びやかに羽ばたいて皆を癒やしきれば、戦線に憂いなく。直後にはレヴィンが動力剣を駆動させてヴァイカウントへ肉迫。
「悪いけど、力は抑えないぜ……!」
 言葉に違わず連閃、縦横に奔らせる鋭利な剣撃でその全身を斬り裂いていった。

●静謐
 強い感情の乗った鳴き声が、響き続けている。
 バロンはずっと、ヴァイカウントへ呼びかけるように喉を震わせていた。奈津美のことを、そして自身のことを真っ直ぐ伝えるかのように。
 けれど夢喰いたるヴァイカウントは言葉に応じない。
 己の存在が訴えるままに、ただ目の前にあるものを敵として――打ち砕こうと、殺意の光を顕現し続ける。
 ――ならば。
「やるしかないみたいですね」
 判っていたことですが、と。椛は太刀の刀身に烈しい風を纏わせていた。
 同時、ヴァイカウントの放った光を風圧で弾き返すと――『爪牙裂空閃』。突進して暴風の塊を解放し、強大な竜巻を発生させていた。
 そのまま相手の護りが崩れた所を貫き、薙ぎ払って。真空の刃を織り交ぜた連撃で躰を深々と抉り裂いてゆく。
「一気に攻めましょう」
「……そうですね」
 静かに応えたバラフィールもまた白鋼の避雷針を正面へ突きつけていた。
 刹那、目も眩む程に白光するのは多重螺旋に収束されていく雷。束ねられたそれを一度に撃ち出せば――水平に奔った巨雷がヴァイカウントを貫通する。
 大きな衝撃に、ヴァイカウントはモザイクの破片を散らせながら吹き飛ばされていた。哲は迷いを捨て、そこへ飛び込んでゆく。
「……済まないが」
 守るべきものの為に、と。放つ剣撃でヴァイカウントを斬り裂き、その生命力を淵にまで追いやっていた。
 終わりは近い、故にレヴィンは右手のブレスレットに祈りを込める。
「――」
 思うのはその送り主のこと。友達の宿縁が兄妹だったのだと、彼が寂しそうに言っていたその言葉。
 自分もきっと、似た思いを抱いている。
 それでもやれることはある。奈津美がした決断を、後押し出来るよう力を尽くすこと。
「……頼むぜ!」
 瞬間、ブレスレットが眩く光耀く。『黒猫の祝福』――託す思いが形を持つように、その煌めきがバロンへ力を与えてゆく。
 哲も瞳を向けていた。
「奈津美、バロン」
「ええ」
 頷く奈津美はバロンへ、そっと視線をやる。
「行きましょう」
 バロンはニャ、と。哀しそうに、けれど決意を込めたように応えていた。
 だから奈津美も真っ直ぐにヴァイカウントへ奔り――グラビティを操って風を引き寄せ、空気を圧縮し、巨大な圧力の塊を生み出している。
 放つ一撃は『エア・ハンマー』。その一打で意識を奪うと――バロンも魔力を込めて爪を奔らせて、ヴァイカウントの命を引き裂いた。

 薄闇色の中に静けさが返ってくる。
 光の欠片のような残滓だけを残して、ヴァイカウントは消滅していた。バラフィールはそれを確認してから皆へ振り返る。
「……終わり、ましたね。皆さん、お怪我は残っていませんか」
「ええ」
 皆と共に頷いて応えた椛は、奈津美の方を見やっていた。
 奈津美は、悲しい声で鳴くバロンを抱きしめて――ヴァイカウントがいた場へそっとしゃがんでいた。
 そしてそこを慈しむ様に撫でながら、静かに冥福を祈っている。
 瞬く残滓もその内に消えてなくなり、そこには何かがいた痕跡もなくなってゆくけれど――奈津美は小さく語りかけるように。
「もし、バロンと出会ったときにあなたも一緒だったら……いえ、それは今更ね」
 違う未来があったらと、そんな思いは消えない。
 けれど、見つめなくてはいけないこともあるから。暫くの後、バロンも少しだけ落ち着いたように奈津美へ顔を擦り付けていた。
 奈津美はうん、とそれに応えて。見守っていた哲も歩み寄り、バロンを撫でてあげる。
「とにかくお前たちが無事で良かった。頑張ったな、バロンも、奈津美も」
「ああ、そうだな」
 レヴィンも頷いて、労った。
 思い返せば、やはりそれは辛い決断だったかもしれないけれど。
「皆を守るために戦うことを選んだバロンは格好良かったぜ……」
 するとバロンは哲やレヴィンへ小さく鳴いて返す。それに、奈津美も少しだけ穏やかな表情を作っていた。
 椛も仄かにだけ瞳を和らげて――最後にヴァイカウントが消えた跡を一瞥する。せめて息絶えた後くらいは自由になれることを願って。
「行きましょうか」
「ええ」
 奈津美は立ち上がり、笑みかける。
「帰ろう、バロン。わたし達の家に」
 バロンはニャ、と応えて奈津美に寄り添っていた。奈津美はそのあたたかさを感じながら、皆と廃図書館の外へ歩く。
 空の下は冬の空気が流れてきて、肌寒い。それでも差す陽は仄かに心地良く、目を細めてしまうくらいに眩しかった。

作者:崎田航輝 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2020年12月14日
難度:普通
参加:5人
結果:成功!
得票:格好よかった 1/感動した 0/素敵だった 4/キャラが大事にされていた 0
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