化猫

作者:紫村雪乃


 呆然と佇んでいた。
 足下には血まみれの肉塊となった子供が転がっている。車にはねられたのだ。
『森の女神』メデインは、痛ましい黒猫の姿に一度眸を伏せてから、その美しい鼻先を寄せた。
『可哀想に』
 メデインは哀れみの言葉とともに、力を与えた。
『人間のいない場所で、人間の事は忘れて、暮らしましょう』
 メデインはやさしく語りかけた。けれどーー。
『いやだ。この怨みを忘れることなどできようはずがない』
 黒猫はこたえた。
 彼女には三匹の子供がいた。そのうちの一匹は人間の子供に苛められては死んだ。一匹は川に捨てられた。そして最後に残された一匹は、さっき車にはねられた。
 怒りに黒猫の金色の瞳がぎらりと光った。変質した体躯は巨大化し、黒豹のよう。牙はより太く鋭くなり、ナイフを思わせる尖った爪が地をえぐった。
 その姿はもはや猫族のそれではない。攻性植物化に成功した魔性のそれであった。
『赦さぬぞ、人間ども』
 瘴気のごとき憎悪を放ち、黒猫は駆け出した。その姿をしばらく見送り、やがてメデイン悲し気に背を返した。


「ユグドラシル・ウォーの後に姿を消していたデウスエクス達が活動を開始しました」
 セリカ・リュミエール(シャドウエルフのヘリオライダー・en0002)はいった。
「事件を起こすのは『攻性植物の聖王女アンジェローゼ』であると思われます。『森の女神』メデインを使って、人間に恨みを持つ動物たちに攻性植物を寄生させ、配下を増やそうとしているようなのです」
 今回、『森の女神』メデインは林に隠れ住んでいた黒猫に目をつけた。メイデンは復讐などさせずに戦力として連れて帰りたかったようだが、攻性植物化した黒猫が復讐を優先した為、袂を分かったのだった。
「黒猫は、子供たちの復讐を行うため、人間のもとへむかいます」
 セリカはいった。
 黒猫に特定の対象はない。街にたどり着き、手当たり次第に虐殺を行うつもりのようであった。
「人間に虐げられた動物には同情の余地はありますが、このまま被害が出るのを黙っているわけにはいきません」
 セリカはケルベロスたちを見回し、告げた。


参加者
フラッタリー・フラッタラー(絶対平常フラフラさん・e00172)
据灸庵・赤煙(ドラゴニアンのウィッチドクター・e04357)
天照・葵依(護剣の神薙・e15383)
バラフィール・アルシク(闇を照らす光の翼・e32965)
トート・アメン(神王・e44510)
 

■リプレイ


 天を仰ぐその少年の姿には静寂が満ちていた。
 が、誰知ろう。彼の浅黒い肉体の奥で憤怒が嵐のごとく吹き荒れていようとは。
「…ああ」
 少年ーートート・アメン(神王・e44510)は嘆いた。
「余はこの国の者ではない故に此処に合わせるつもりではあった。だが…だが赦せぬ。大いなる太陽神の子、バステトの聖獣たる猫を殺す…しかも苦しめての果てだと…!? この国は狂っておるのか…!? 余が全霊を以て断罪を下してくれようぞ!」
 軋るような声でトートは宣言した。なんとか標的と遭遇する前に黒猫の子供を殺めた者たちを探り当てようと思ったのだが、それは叶ってはいない。
「が、あらゆる手段を尽くしに尽くして、黒猫の子供を虐め殺した人間、黒猫の子供を川に捨て殺した人間、黒猫の子供を車で跳ねて殺した人間を全て捕捉する。絶対に逃さぬ。絶対に報いを与えてくれる」
 トートは自らに誓った。他のケルベロスたちには声もない。ただ、フラッタリー・フラッタラー(絶対平常フラフラさん・e00172)だけは菩薩めいた穏やかな微笑を玲瓏たる美貌に浮かべていた。
「さてさてー、触れ合うのはもうできませんわねぇー。また猫ちゃんにまた嫌われそうですがー、これもお仕事ですのでー」
 フラッタリーの三日月型に笑んだ目が蒼く光った。昏き闇夜を引き裂き、大地を震わせながら駆けてくる化け猫を見とめたのである。
 次の瞬間、フラッタリーは身の丈ほどもある巨大な戦槌ーー曼荼羅大灯籠を大地に打ちつけた。ずうん、と大地が鳴動。化け猫がぴたりと足をとめた。
「行き止まりですのよー。向ける恨み辛みはこちらにー、お願いしますのー」
 フラッタリーから瘴気のごとき妖気が放散された。黒豹を思わせる化け猫が低く唸る。フラッタリーが放った妖気に触発されたのである。
「残念ながら、そこでストップです」
 化け猫に声をかけたのは人間でなかった。竜種である。金色の瞳に、この時昏い翳りが落ちた。
 彼ーー据灸庵・赤煙(ドラゴニアンのウィッチドクター・e04357)は思っている。人の命を助けるために猫を殺す。それは、どう言い繕ってもそれは変わらない、と。が、それは、やはり自分たちが知り得た情報を基に選択した結果であるのだ。
「手遅れと言う言葉に、逃げたくはありませんからな」
 赤煙の金色の瞳から翳りが消えた。覚悟を定めたのである。威嚇するようにヘリオンデバイスが大きく機械腕を広げた。
 瞬間、赤煙の身から銀光が噴いた。彼の身を覆う流体金属戦闘生命体が放つオウガ粒子である。
 その時、化け猫の目が殺意に光った。ケルベロスであろうと、人間には違いない。殺戮の対象であった。
 怨念を身に纏った黒い化け猫は、ひとっ飛びで距離をつめると襲いかかった。狙うのは最前に立つ女ーー天照・葵依(護剣の神薙・e15383)である。
「…許せ…!」
 トートは化け猫の目前に飛び込むと、煌めく脚で蹴り飛ばした。破砕用鉄球を叩きつけられたように化け猫の脚がとまる。
「グゥルル」
 低く唸り、化け猫はトートを睨みつけた。それから獲物であった葵依に目を転じーーわずかに瞠目した。葵依の頬を伝う真珠のごとき雫を見とめたからだ。
 葵依は、幼いころにデウスエクスとケルベロスの戦いに巻き込まれ、両親を失った。だから、痛いほどにわかる。愛する者を奪われた哀しみが。
「……それでも戦わなければならない。私は、この命と力を人を守る為に使うと決めたから。許してほしいとは言わない。けれどもお前の子供たちへの愛情がそんな姿に変えてしまうほど深いことは理解した…どうかその愛を忘れないでくれ…!」
 葵依は叫んだ。一瞬、化け猫の目の奥で燃え盛っていた憎悪の炎が揺らめいたようだ。が、すぐに殺意を目に燃え上がらせると、攻撃態勢をとった。


「爪が伸びています、気をつけて!」
 透けるような白い肌に純白の髪という、儚さをまとった娘が叫んだ。バラフィール・アルシク(闇を照らす光の翼・e32965)である。
 が、その叫びが消えぬうち、巨体から大きな一撃が放たれた。それは最前に立つ赤煙や葵依、トートらを斬り裂いた。
「…大切な存在を失う辛さ…わかります。それでも、あなたを倒さねば、哀しみは広がっていくばかり…止めさせていただきますね。…ごめんなさい」
 バラフィールのシューズーー『Flug Bein』から輝く翼が広がった。同時、ウイングキャットーーカッツェが飛びかかり、化け猫を爪でひっかく。
「冒されぬよう…病魔よ、消え去りなさい」
 バラフィールの翼から光る羽根が飛んだ。羽根吹雪とも呼ぶべき光の奔流が癒やすだけでなく、仲間の防御能力をも一時的にではあるが底上げする。
 その時だ。呪詛のごとき声が流れた。フラッタリーの声だ。
「石灯篭の灯が導くは獄門。汝、これより先に悪鬼として進まんと欲するならば、地獄の門を潜る他に道は無し。それは子の応報か、理不尽の憤りか、他のものか。その憤怒がこの身の狂気を越えるのであれば行くが良い。できるものなら」
 フラッタリーのサークレットが開いた。現れたのは弾痕であり、そこから地獄の業火が噴出する。
 すうとフラッタリーの目が開いた。金色の光が溢れ出、フラッタリーの顔をぞくりとする狂的な笑みが彩る。
「環Zeン無欠ヲ謳オウtO、弧之金瞳w∀綻ビヲ露ワ仁ス。其之ホツレ、吾gAカイナデ教ヱヤフ」
 金色の瞳でフラッタリーは化け猫を捕捉。自らの編んだ獄炎の縄を飛ばし、座標軸を固定した空間に戒めた。
「詫びはいいませんぞ」
 仲間の傷が癒えていくのを横目に見やり、安堵の吐息を漏らした赤煙は攻撃に転じるためドラゴニックハンマーに意識を集中し、その形態を変化させた。巨大なハンマーからロケットランチャーへと。
 ロックオン。
 撃ち出された竜弾が着弾。凄まじい爆発が空間を揺さぶり、吹き飛ばされた化け猫が地を転がった。
「しゃあ!」
 素早く起きあがると、化け猫が跳んだ。軽々と数十メートルの距離を詰め、赤煙に襲いかかる。
 閃く銀光。恐るべき牙の一撃だ。
 肉と骨が切断され、ごっそりもっていかれた。
 血をしぶかせ、倒れたのはーーおお、葵依だ。赤煙を庇ったのであった。
「ああ!」
 葵依は苦悶した。その目から涙が溢れたが、激痛のためではない。哀憐の涙であった。
「せめて一緒に泣くことを許してほしい。それ以外に出来ることなど私には無いから」
 葵依が訴えた。化け猫の目に再び動揺の光が揺らめく。わからない。どうしてこの人間は我のために泣くのだろう。
 その隙をつくように爆発が化け猫を襲った。フラッタリーが放った竜弾である。


 がくりと巨体が傾いた。ボタボタと大地を真っ赤に染め上げる血液が止めどなく零れているのに、化け猫はそれを厭わず、気にもしない。ただ眼前の人間を噛み砕かなければ止まらないとでもいうかのように、改造された獣の身体は疾走した。その時、ボクスドラゴンーー月詠は葵依を癒やしている。
 バラフィールは赤煙と同じオウガ粒子を放った。今度は後衛の防御能力の底上げである。
 トートは昏い輝きを宿す宝珠を掲げた。呪われた宝珠から迸り出たのは水晶の炎である。
 切り刻まれる化け猫の姿に、トートは沈痛に顔をゆがめた。本当は殺したくはないのだ。が、殺さなければ、黒猫は殺戮を続けるだろう。それだけは阻止しなければならなかった。
 その時、死角からカッツェがリングを飛ばした。が、化け猫の前脚がはじいた。そしてギロリとカッツェを睨む。
 猫でありながら人間の味方をする裏切り者。殺してやる!
 その決意をもって化け猫は爪で横薙ぎした。強烈な破壊力を伴う打撃を喰らってカッツェが吹き飛ぶ。
「やめろ!」
 思わず葵依が飛び出した。その顔面めがけて化け猫が爪を叩きつける。
 ギンッ!
 咄嗟に縛霊手を装備した腕で葵依は爪を受け止めた。凄まじい衝撃に葵依の腕が軋み、筋肉と骨がグズグズのミンチと化す。
「葵依さん、離れてください!」
 叫ぶバラフィールの手から白光が噴いた。それはカプセルである。
 投薬されるやいなや、カプセルに仕込まれた対デウスエクス用ウィルスが化け猫の体内を駆け巡った。そして化け猫の治癒プロセスを阻害し始めた。
「じゃ!」
 化け猫の口端から赤黒い血が滴り落ちた。一瞬霞んだその目は、曼荼羅大灯籠を振りかぶるフラッタリーの姿を捉えている。
 例え憤りでしか存在の証を残せぬというのであれば、なお吠えよ。最早我が身と同じく、恨みのままに進むしかないその身ならばーー。
「命ヲ、怒rIヲ、力ヲ。全テ掛Keテ燃ヤシテ刻メェ!」
 絶叫し、フラッタリーは地獄の業火をまとわせた曼荼羅大灯籠を化け猫に叩きつけた。爆発めいた衝撃波をまきちらし、化け猫がよろめく。
 が、それも一瞬であった。すぐに態勢をたてなおすと、黒い颶風と化して傷ついた葵依を襲った。
 葵依は、しかし動かない。月詠に癒されたため、動けないのではなかった。あえて逃げないのだった。
「全て私が引き受けよう、お前の悲しみ、悔しさ、憎しみ、涙。全てを背負って生きて行くことを約束しよう。だから眠れ、安らかに。美しき虹の橋を渡って…そしてあの子たちに会いに行こう」
 抱くように葵依は両手を差し伸べた。その首に化け猫の牙が迫りーー。
 牙がぴたりととまった。葵依の首寸前で。
 化け猫の首を刃が貫いていた。刃の主は赤煙である。
 赤煙はじっと化け猫の目を見つめていた。真っ直ぐに。視線をそらすことなく。
 化け猫の顔がゆがんだ。泣いているようにも、笑っているようにも、それは見えた。
 刃を引き抜くように化け猫は跳び退った。
「死は終焉ではない。沈んだ日が昇る様に命もまた死を迎えまた再生する。恐れる事はない。心静かに光を受け入れよ。その魂を我が神の元へと送ってやろう」
 トートの生み出した小太陽が化け猫を飲み込み、浄化の炎で焼き尽くした。


「残るものはー、無さそうでしょうかー」
 狂笑が嘘のような穏やかな顔でフラッタリーが辺りを見回した。その眼前、まるで黒猫の魂を抱くように、葵依が手を重ね、泣き崩れている。
 その葵依の肩に、そっとバラフィールは手をおいた。
「せめて墓をつくってあげましょう」
「意に沿わないから放棄する、と言う意味では、メデインのやっている事も身勝手な部類の人間と変わりません……と、いうのは八つ当たりですかな」
 ぼそりと赤煙が呟いた。すると、トートが答えた。メデインも気にくわないが、と。
「やはり、黒猫を追い詰めた者を余は許すことはできぬ。子猫を殺した者には、本来なら死を以て断罪とするが、この国と時代が赦さぬという。ならば死を超える苦しみを以て断罪と為そう。犯人を探し出し、一人一人に生涯残るほどのトラウマが残るレベルの悪夢を見せる。特に直接虐め殺したり河に流した愚者共には、生涯恐怖に怯える程の報いを与えてくれよう」
 烈火のごときトートの声が、夜を煮え立たせた。

作者:紫村雪乃 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2020年11月30日
難度:普通
参加:5人
結果:成功!
得票:格好よかった 1/感動した 2/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 1
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