●マーブル・グレイの恩返し
少女はその朝、家を飛び出した。
学校へ行くふりをして、通学鞄に着替えや必要だと思うものを詰め込んで。
少女──紀野・杠葉(きの・ゆずりは)は廃屋の隅っこで膝を抱えて、大きく深い溜息を吐いた。
判っている。こんなことをしても、なんの解決にもならないことを。
「……でも……あんな言い方、ないじゃない……」
工房に入るんじゃないと。
お前の手伝いなど必要ないと。
──邪魔を、するなと。
思い返すだけで眦に涙が浮かぶ。それくらいの剣幕だった。だから歯を食い縛る。泣いてたまるか。あんなヤツの言葉に傷付いてたまるか。
零れそうになる雫を堪えて顔を上げたとき。
「やあ女の子。ボクと、ううん、聖王女アンジェローゼ様と一緒にみんなが笑って暮らせる世界を創ろうよ」
「え?」
ふよふよと目の前に浮かんでいたのは、白い──うさぎのような狐のような、そんな姿の花籠を持った不思議な存在。
「この種を受け取って、魔草少女にきみが成ってくれれば、そんな世界も創れるんだ」
「わ──わたし、別に、」
「嘘つき嘘つき、虚飾だよ! きみだってみんなと笑って暮らしたいんでしょ? ……喧嘩した、お父さんとだって」
「!」
思わず首を振って否定しようとした杠葉に、謎の生物はきゃらきゃらと笑う。ぐ、と言葉が喉に詰まる。
……父さんが、認めてくれるようになるなら。
『種』を手にした杠葉の姿は、鮮やかな緑の光に包まれて──びっくりするくらいフリルたっぷりの草木モチーフのミニドレスへと変身した。
その様子に謎の生物は満足気にほくそ笑んだ。
「そうそう。──どうしても相容れないなら倒してしまえばいいんだよ。そのひとが死んでしまったって、そのひとの分もきみが幸せになれば問題ないんだから」
●播種者ソウと魔草少女
「ユグドラシル・ウォーから既に2か月ですね。Dear達もご存知の通り、あの戦争以来姿を消していたデウスエクス達が活動を再開したようです。今回、俺が案内するのは攻性植物の聖少女アンジェローゼの配下、播種者ソウです」
ご存知の方もいらっしゃいますね、と暮洲・チロル(夢翠のヘリオライダー・en0126)は軽く首を傾げて見せる。
「聖少女アンジェローゼは、親衛隊である魔草少女を戦力として増やすためソウを罪もない少女の許へ派遣しているようなんです」
聖少女アンジェローゼが謳う『全ての人間とデウスエクスが共に笑って暮らせる世界』は素晴らしいものであるように聞こえる。
けれど、そこにはなんの確証も手段もない、蒙昧なマニフェスト。
「なにより……魔草少女に覚醒した杠葉君はソウの誘導によって実家兼工房を目指します。彼女の父を殺すために。そこに杠葉君の意思はありません」
そんな誘導する奴と共に、『共に笑って過ごせる世界』が創れるとは、俺は思いません。
チロルは淡々とそう告げる。
「今回は彼女が魔草少女に覚醒した直後の背後に乗り込むことが可能です。自宅兼工房まで辿り着くことはありませんので、誰かを護るのに意識を割く必要もありません」
小さく笑って見せた彼は、けれど小さく息を零した。
「ただ、この播種者ソウ。少し厄介でして。こいつ自体が戦うことはないのですが、こいつは常に杠葉君の肩に乗って感情や行動を誘導しているため、こいつがいる限り杠葉君にDear達の声が届くことはないんです」
ケルベロス達が攻撃をするとソウは杠葉を盾にして逃げる。ソウに攻撃を当てるのは至難の技だ。
「それでもソウを倒すことができれば、杠葉君と会話が可能になります。それでもまだソウの束縛は続いているため戦闘は継続しますが……話す中で『家出の原因となった状況を改善できる、あるいは解決できる』と納得させることができれば杠葉君を倒したあと、種を分離させて彼女を救うことができます」
彼の説明に、集まった番犬達の中には安堵の息を零す者も居ただろう。
けれど、チロルの表情は晴れない。
「……あくまで俺達の目的は播種者ソウの撃破であり……杠葉君の生死は関係ないんです。……最初から全力で魔草少女・杠葉君を倒す、という選択も、可能です」
宵色の三白眼の様子から、彼がそれを望んでいないことは明白ではあるが、彼は番犬ではない。ケルベロスの判断が最優先されることになんら影響はない。
それでも。
「……では、目的輸送地、困惑の廃屋、以上。良ければ、力を貸してください、Dear」
チロルはそう言って、ケルベロス達の目を見据えた。
参加者 | |
---|---|
ティアン・バ(焦・e00040) |
連城・最中(隠逸花・e01567) |
ジゼル・クラウン(ルチルクォーツ・e01651) |
グレイン・シュリーフェン(森狼・e02868) |
ベーゼ・ベルレ(ミチカケ・e05609) |
レスター・ヴェルナッザ(凪ぐ銀濤・e11206) |
アイリス・フォウン(金科玉条を求め・e27548) |
四十川・藤尾(七絹祷・e61672) |
●きみへ
「さあ魔草少女! 最初の壁をぶち破ろう」
謎の生物は言って少女の肩に乗る。少女は緑色のスカートを揺らし振り返る──、
「とーせんぼっ!」
その前に伸ばされた長く美しい手。薄暗い廃墟を明るく照らす光の翼。にっこり笑うのはアイリス・フォウン(金科玉条を求め・e27548)。
──お父さんを想う女の子の気持ちを利用しようだなんて、絶対に止めるよ、止めるよ!
にっこりと片目を伏せて見せる彼女の中では、強く燃える気持ちがある。
虚ろな杠葉の瞳が、駆け付けたケルベロス達へと向けられる。
その様子に、静かに眼鏡を外した連城・最中(隠逸花・e01567)は微か目を眇めた。
──強い言葉には恐らく相応の理由がある。
杠葉にぶつけられた父の台詞を思えばこそ、嘆息したい心持ちにもなる。言葉少なの実父の頑なな横顔が脳裏を過った。
──が、言い方が悪い。……職人とは皆、不器用なものなのか。
少女は憧れや好意を否定され、きっと孤独の中に居る。だからこそまずは寄り添いたい。
そう思うけれど。
「『杠葉』、困ったね。最初の壁が変わってしまったよ。きみを邪魔する相手だ、幸せになるために倒そう!」
白い生物──播種者ソウの言葉にこくり肯き、右手を持ち上げればその手は蔦草のように変形していく。ジゼル・クラウン(ルチルクォーツ・e01651)は僅かに眉を寄せた。その表情の理由を、胸に湧き起こる感情の名前を、彼女自身はまだ知らない。
「少し、思い出してみようか。ユズリハ、キミが一番最初に、何を願ったのか」
けれどその低い声音に滲み出る『不快』をベーゼ・ベルレ(ミチカケ・e05609)は感じ取る。力強く肯く彼の足許で、ミミックのミクリさんもがっしゃがっしゃと応じた。
「誰かの笑顔を奪って、その分杠葉が笑えばいい、だなんて、……そんなの間違ってるっす……!」
「ああ、こんな奴の思い通りにさせるわけにゃ行かねえよな。──おい、ろくでもない事を吹き込むのもいい加減にしとけよ」
身体の向きを変えようとした杠葉の行く手を阻み、グレイン・シュリーフェン(森狼・e02868)も肯いた。鋭い眼光は杠葉ではなくその肩のソウへと据えられる。
「やっちゃおう、『杠葉』」
ソウの表情は変わらぬまま、少女へと促す。
素早く前に出たレスター・ヴェルナッザ(凪ぐ銀濤・e11206)は突き出した左手が蔓草に巻かれるが、四十川・藤尾(七絹祷・e61672)も長い爪で切り裂いた自らの血を散らして彼を癒したなら、レスターは一切の躊躇なく右腕に銀の焔を纏い鎖を繰った。描いた魔法陣は仲間への防護を増幅する。
──娘が生きてたら同じ歳の頃か。
胸を灼いた痛みは未だ鈍く、けれど生々しい。
打ち払うように蔓から逃れたレスターの視線が無意識に探したのはティアン・バ(焦・e00040)。彼女は杠葉の動向に注視しながらただ静かに包囲を固めた。
「邪魔をしないで!」
「させないっす!」
開いた掌から撃ち出す光の矢がアイリスへと向かうのを、ベーゼの大きなチョコレート色の毛並がその身を呈して止める。
「っありがとありがと!」
「ご無理なさらず」
アイリスの礼と同時にすかさず最中が光の盾をベーゼの周囲へ浮かび上がらせ、彼も仲間へと礼を述べつつ少女を見遣った。
──いまも、きこえる気がするんだ。
助けてよ! って。
ちがうんだ、と首を振るのに、同時に掠める『今度こそ』。ぐ、と拳を握り締める彼らの許へ、
「お待たせ」
ユノ・ハーヴィスト(宵燈・en0173)が駆けつけた。
彼らは選択をした。しばしの攻撃を放棄しても、情報を得る時間を。
ペリドットの瞳が「杠葉、」真っ直ぐに少女を見据えた。
「きみ、お父さまになにも伝えてないんだね」
少女の瞳が微かに揺らぐ。やはりそうかとレスターは小さく息を吐きかぶりを振った。
「お父さまは……きみの憧れも、苦しさも、知らなかったよ」
「……近くても、知らずに居る事も案外多いからな……」
それは想いであったり、あるいはここに至るまでに父、もしくは杠葉が経験してきたことであったり。やれやれとグレインも軽く耳を倒し、そして顔を上げた。纏う銀の装甲から、仲間の覚醒を促す粒子が躍り上がる。
「さあ、──頼んだぜ」
「頼まれたわ」
妖艶な笑みを浮かべ、藤尾は竜気帯びた砲弾を射出した。
狙う先は当然、──播種者ソウ。
●かみさまのいうとおり
「ッ隠して『杠葉』!」
くるり杠葉の背後に隠れようとするソウ。何度目かの逃避、それは何度かはもちろん成功したが、精密な狙いを定めるケルベロス達の前では意味を成さない。
「みいつけた!」
背に隠れたはずのソウの眼前にアイリスの悪戯な銀の瞳が輝いた。
燃え上がるのは鉄の靴。おどっておどって、尽きるまで終わらぬ演舞。
「さあ、あなたも!」
彼女の爪先に振り抜かれ「ぐぅっ!」吹き飛びそうになるのをソウは必死に杠葉にしがみつく。
「杠葉さんは今、感情への対処がままならず、自分のことで精いっぱい……蛹のようなものですわ」
蠱惑的な唇が笑みを刷いて、藤尾が投げるのは紫縄。捕らえ縛め絡め取るのは炎の如き毒か、あるいは。
「ッ?」
身動き出来ぬソウに、うっとりと藤尾は目を細める。
「悪い蟲を除いて、甘く背を押してあげれば──紛い物ではない美しい碧を纏った、素敵な蝶になってくれることでしょう」
「ええ。相容れぬなら倒す……そんな考えの相手と、笑い合える未来はありません」
杠葉の攻撃により大きくひび割れたコンクリート。後衛の仲間達へと最中は再び癒しの盾を贈る。
仲間を庇ったベーゼは足を地に喰われたまま、自らの毛むくじゃらの手を見下ろした。
──どれだけ短く丸く整えても、振り上げる爪が、望まず傷つけてしまうかもしれない。
今も、衝動が湧き上がる。ぐるりと視界が回る気がした。そんな彼の様子に気付いたのはジゼル。揺れる瞳の裡を彼女は知らない。けれど。
「ベーゼ」
薬液の雨が降る。さらさらと強張った手足を宥め、昂ぶる衝動を──催眠による誘惑を、断ち切っていく。ふ、と肩が軽くなるのを感じて、ベーゼは顔を上げた。窺うペリドットと胡桃色。そうだ。肯く。
「おれにはユノ達がいる、信じてる。それにおれだって、いるから! もう大丈夫、傷つけさせやしないんだ!」
だから杠葉、安心して。
振り下ろした獣の手は、仲間達からの支援による集中力のお蔭で狙う敵を過たない。
傷つけさせない。
レスターも小さく肯く。親を殺したと気付いたとき娘はどんなに苦しむだろう。殺された親は、どれだけの業を娘に背負わせるだろう。
──誰も知るべきではない。……子を救えない、絶望など。
「『杠葉』! 邪魔者は倒すんだよ! それがきみの幸せの第一歩さ!」
白い毛並も既にぼろぼろだが、ソウが少女へと囁く。少女が肯いて、掌を番犬達へと差し向ける。光の球体が集まり、
「!」
一閃。
僅か持ち上がったティアンの眉は、けれどそれだけだ。彼女の前に現れた背中は、碇。繋ぎ留める存在。
幅広の剣の腹で絡め取るように光を弾き相殺したレスターの銀の瞳が、『骸』の蔭で炯と光る。
「黙れ、詐欺師。お前の言葉にゃ一銭の価値もない」
「くっ」
「ティアンは親らしい親というの、いまいちぴんとこないが、」
鋭い視線の交錯する後ろ。くてり、首を傾げたティアンが告げる。
親。親。居ないわけじゃない。ただ──いちばん味方して欲しかったときに、傍に居てくれなかった。けれど、年の離れた姉達、家族は、大切に想っている。
「杠葉、お前は? 家族が大切ではないのか?」
「……」
届かない。そんなことは、承知の上だ。まるで鏡写しのようなふたりの様相に、グレインも首を傾げて見守る。
「仲直りできるかもしれないふたりを引き裂く、それも自らの手で殺させる、……そんな悪趣味、無い方がいい」
ゆらりと白い胸元から立ち昇る漆黒。それは溢れて零れて場を支配する、業火の海。
「ソウ、お前もだ。──いない方がいい」
「……っ! 『ゆず』、」
咄嗟に杠葉を置いて逃げようとしたソウを、逃がさない。
白は黒に呑み込まれ、言葉も残さず消え失せた。
●おもうまま
軋む手足は、未だ勝手に動くけれど。
瞳に困惑の光が宿ったのを見て取って、レスターは微かに眉を寄せた。それが安堵かあるいは他の感情かは、定かではない。
「杠葉。……父との仲違いは初めてか」
「……、」
戸惑いのさ中にありながらも、こくりと彼女は肯いた。泣きそうなその顔に、レスターの眉間の皺が深くなる。
「何故父親の仕事に憧れたのか、聞いても?」
隙なく包囲を続けつつジゼルが問えば、なぜそれをと雄弁な杠葉の目が見開き、そうだなとグレインも小さく笑った。
「親父さんの仕事の、どんなところが好きなんだ?」
彼の問いに、そうそう、とアイリスも大きく首肯する。
「お父さんの手が生み出す作品が好きなの。飾りものでも、誰も気にしないようなちょっとした金具でも。丁寧で、まっすぐで」
「へへ。彫金のお仕事、魔法みたいっすよね!」
未だ戦闘へと駆り立てられる身体。蔓草巻く彼女の腕に構わず、大きな身体を少女の横にしゃがめ、ベーゼも笑う。
「私はしがない骨董医師だが、優れた職人が生み出す作品の造形美は……僅かながら理解できる」
手にし目にした際に、強く訴えてくるようなひさむきさ。吸い込まれるような感覚は、絡繰り造りのココロをも揺り動かすときが──ある。
「そしてその仕事の苦しみも」
ぽつりと零すジゼルの言葉は決して大きくはないが、強く。
グレインへと蔓草が絡みついてこようとするのを、彼を突き飛ばしミクリさんが齧り返すから、小さくすまないと謝りつつ、グレインは蒼穹色の瞳を杠葉へと向けた。
「……仕事のときの、親父さんの様子は?」
「楽しそう。……でも、つらそうなときもある」
「……そうだろうな」
単純に深い集中を要する仕事だということも勿論だが、『仕事』となれば良い面も悪い面もあるのだろう。そう察することができるからこそ、グレインとジゼルは視線を交わす。
「キミが彫金師に憧れたのは、間違いなく父親がいたからだろうが、先人として道を歩む親だからこそ、キミに苦しみを感じて欲しくなかったのではないかな」
「ああ。それでその──態度だったのかもしれないだろ。仕事に、……あんたに。真剣じゃなきゃ、そうはならねえよ」
なんて、所詮は紛い者の考察だ。最終的には軽く肩を竦めて見せるジゼルの前で、けれど杠葉は俯いた。
「私には彫金師になって欲しくないってこと……?」
アイリスは少女の前にしゃがんで、俯いた少女の顔を覗き込み少女の両手を両手で取る。ふわ、と流水のような色合いの変わる髪が風に浮いた。
己に繋がる縁を、アイリスは知らない。
だからこれだけ真摯に傷付き、それでも憧れる存在を持つ杠葉が、羨ましくもあった。
「必要ない。邪魔」
「っ、」
「……なんて、言われたら悲しいよね」
ね、どうして手伝いたいと思ったの?
美しい見目にそぐわぬ無邪気な声音が問う。少女はただそのかんばせに視線を落とす。
「……困ってた、から。納期が、って。お母さんに言ってるの、聞いたから」
レスターは喉奥で低く唸り、最中は瞼を伏せる。ティアンはくてりと顔を横向けて少女の顔をひたと見据えた。
「杠葉、どうして邪魔するな、なんて言われたか、理由は聞いた?」
「え……」
「確かめてないなら、確かめに行こう。殺すんじゃなくて、話をしに行こう」
「っ」
直接的な言葉に、少女は自らの腕を覆い、ミクリさんを攻撃したばかりの蔓草へと視線を遣った。その蔓草がなにを齎すのか、実感が湧いたのかもしれない。
しゃん、と鞘鳴り。抜いた剣に蒼白い星の霊力が宿り、最中は静かに刃をひと振りした。浮かび上がる清らかな光がミクリさんへと降り注ぎ、樽型ミミックはびょんと起き上がって元気に歯を噛み合わせた。
その姿に小さく微笑んで──そのまま、最中は杠葉を見た。
「……お父様も言い過ぎでしたね。気持ちが否定され、辛かったですね」
けれど、と。鞘に刃を仕舞いながら彼は膝を折って少女と視線の高さを合わせた。
「きっと、言葉通り拒絶された訳ではないと思います。お父様は、理由なく貴女を傷付ける人ですか。今の姿を認めて笑ってくれますか。貴女は、……父親のいない世界で幸せになれますか」
「、」
「ふふ。わたくし達より杠葉さんがお父様を御存じなのは当然のことですわね?」
「はい。答えは貴女の内に」
瞬いた杠葉に藤尾も眦を和らげ、最中も口を閉ざす。
ベーゼはただ優しく笑いかける。
「杠葉は悲しかったんすよね、でも」
ちらと見るのはユノ。情報によると、──父は、彼女のことをなにも知らない。
「帰ったらちゃんとお父さんに伝えないといけないっすねぇ。お仕事に憧れてるコト、……やってみたいって気持ちのコト」
まあ、そうだな。レスターもくしゃりと項に手をやり、普段は重い舌を懸命に動かした。
「仕事への誇りがそうさせたか、あるいは違う道を歩む筈と思っているからこそか。言葉より行動で伝えちまう頑固者の気持ちは良くわかる」
珍しく口数の多い彼を、杠葉とティアンが見上げる。眉間の皺が更に深くなるが、やめるわけにもいかない。
「……案外、単に互いの気持ちを知らずすれ違ってるだけかも知れん。ベーゼの言うように仕事に興味があるなら、追いたい背があるのなら、その熱意を率直に伝えてみるといい」
「そうだよそうだよ。ね、それを言葉で伝えに行こう? 力を振るうより、その方が届くと思うんだ」
「……うん……」
それが正しい。
それは、杠葉にも判っている。だけど。
踏み込めぬ彼女にあらあらと息を吐いて、藤尾はそっと頬の輪郭を指先でなぞった。
「杠葉さん、貴女お父様に認められたいのでしょう?」
謡うような藤尾の言葉はまっすぐに杠葉を刺す。
「けれど。感じた引き裂かれる様な胸の痛みを、貴女を失ったお父様やご家族にも与えたいと願うのですか?」
自らの腕に巻く蔦草へ向けた視線のいろを、見落としてはいない。
「……えぇ、そんな筈はありません。貴女は仲良くいたかっただけ。喜ぶ顔が、見たかっただけ。──なら、勇気を出して杠葉さんとして、戻ってらっしゃいな」
「そうだな。それくらいの強い気持ちなら、親父さんが認めてくれるようにって思うなら、なおさら本気のぶつけ方はこんなのじゃないだろ」
グレインが続けて、肯定するようにティアンはぽすと杠葉の頭へ手を置く。
「そうだ。話すだけならその力は、要らない、無い方がいい」
笑って暮らせるかもしれない、──そんな未来さえ、殺してしまったら摘まれてしまう。
「そうっすよぅ! 魔草少女になんかならなくったって、キミは誰かを笑顔に出来る。でもこのままじゃお父さんも、キミだって笑顔じゃなくなっちまう」
だからこそ。ぐるりと少女の腕の蔓草を覆い隠すように、『ウソツキ』が巻き付いた。
積み重なった言葉達に、ぽとりと杠葉の瞳からひと雫の涙が落ちた。
「……うん……っ」
瞳に宿った確かな光。それが、消えた。あとは魔を断ち解き放つだけ。
──あぁ……わたくしはきっと、断つことの方が得手な女なのですわ。
どこか胸が締め付けられる感覚と共に、藤尾は斧を振り下ろす。抜け殻の如き杠葉にグレインは僅か眉を顰めつつ、掌を当てた。叩き付ける、螺旋の衝撃。
「最初はどうしたって気持ちの行き違いはあるだろうが、本気が伝わるまで、少しずつ伝えりゃいい」
「そうとも。キミ達ふたりに必要なのは、兎にも角にも会話による相互理解だよ」
言葉は、交わせる時に交わしておくことだ。
魔鍵の先から奔ったのは妖精の一矢。桑弓の撃──ドリュアデス・モレア。文字通りに射抜かれた少女の身体が崩れ落ちるのを、間合いを詰めた最中が掬う。
「話して解り合って、それから笑い合って。……幸せが待つのは、その先です」
●おはよう
「目を覚ましたっすぅ!」
ベーゼが声を上げる頃には、藤尾によって少女の怪我は癒され、廃屋へはすがしい陽光が差し込んでいた。手を握っていたアイリスも「気分どう、どう?」と少女を窺う。
「え、えっと……」
戸惑う杠葉に、くすりと最中は困ったように笑って見せる。
「案外、お父様も反省しているかもしれませんね」
笑っても泣いても、心通じることが幸せなのだと思うからこそ、彼は少女に促す。
傍らに膝をついて、ジゼルも杠葉へと真摯に声を伝える。
「どんな職業とて研鑚は必須だ。だが、もしキミが職人を目指し、果たしたならば……その時は是非見せて欲しい。キミの心の在処を」
「ああ。一端と認めて貰えるまで、確りやれよ」
「認めさせるのも、そう簡単いは行かねえからな」
師匠と弟子になるまでも、なってからも。ようやく眉間を緩めたレスターの声に、自らの師の厳しさを脳裏に描いたなら、自然、グレインの耳も下がるけれど。それでも与えられた優しさが、胸を温めるから。
「……大丈夫か。必要なら付き添うぞ」
帰るんだろう。ティアンのまっすぐな視線に、杠葉は少し悩んで立ち上がって。
ふるり、首を振った。
「大丈夫、です。──ありがとうございました。わたし、……ぶつかってきます!」
言葉で!
頭を下げて、それから駆け出した背中が眩しくて。
レスターはそっと、瞼を伏せた。
作者:朱凪 |
重傷:なし 死亡:なし 暴走:なし |
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種類:
公開:2020年9月26日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
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得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 6/キャラが大事にされていた 2
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