老馬の智、若駒の忠

作者:東公彦

「なぜだレフィナードよ。何故潔く斬られようとしない」
 声には遺恨が漂っていた、強い慚愧を伴って。一度吸い込めば体中を満たして生命を鈍らせる毒のような。
 ここからの景色は、今は亡き祖国によく似ていた。ここに来ればかつて共にあった者達を弔える気がして、レフィナード・ルナティーク(黒翼・e39365)は時たま足を運んでいた。その思念が亡き者の魂までをも呼び戻してしまったのだろうか?
 目の前にはかつての主君があった。王城から民に語りかける大きな掌も、ひとたび戦となれば備える威圧感も、かつて折れた牙もそのままでレフィナードの知る姿と何ら変わりない。
 幾度も悪夢に見たとはいえ、慣れるものではない。ましてや、それが現実のものとなると言葉にならない感情が胸に飛来した。
「お前は私に救われた恩があろう、お前を傍に置いた恩も。もう過去のことと忘れたか?私を殺そうとしたあの時に!」
「あなたは……私に『生きろ』と仰った。だから私は――」
「ではそれを撤回してやろう!」
 黒き王の拳が振り下ろされた。ヒトであった頃の主の力量は知っている、ヒトでない今となれば……。レフィナードは素早く飛びずさる、拳が大地を叩き割った。
「レフィナード・ルナティーク、貴殿に命ずる。死せ。それが貴様に殺された私と、死した民と、亡き国への弔いと知れ」


「レフィナード・ルナティークさんがデウスエクスの襲撃を受けるみたいなんだ」
 正太郎が告げた。「こちらからの連絡はつかない、もしくは妨害されているのかな? ともかくレフィナードさんが無事なうちに助けにいかないとね。ヘリオンの操縦は任せてもらうとして、みんなは戦いに集中してね」
 正太郎は額を拭った。9月にさしかかるのに太陽の威光は衰えず秋の足音は遠い。ヘリポートには頭上を遮るものなどないので、誰しも汗をにじませている。
「場所は木立が群生する草原……ってところかな。遠くに古城が見えるけれど、強いて戦場を移す必要はないだろうね。拓けているし足元もしっかりとしているから、戦闘に関しての留意する点はないと思う」
 正太郎は鞄から書類を一束とりだして説明をはじめた。
「敵の戦闘能力については資料にまとめてあるから後で一読してね。敵とレフィナードさんの関係については僕も詳しくはないから、必要と判断したならみんなが聞いておくといいかもしれないね。そういう心がけ一つが戦闘に影響を及ぼすこともあるだろうからさ」
 正太郎は言うと、そそくさとヘリオンに近づいた。快適な内部に一刻も早く逃げ込みたいのだろう。扉を開けて、あなた達を迎え入れる。
「旧主、旧恩。レフィナードさんにとって今回の敵はそれだけの言葉で済まないのかもしれないね。彼は戦いの中で何を望むのかなぁ」


参加者
エリオット・シャルトリュー(イカロス・e01740)
伏見・万(万獣の檻・e02075)
月隠・三日月(暁の番犬・e03347)
グレイシア・ヴァーミリオン(永久の娯楽と堕落を望みし者・e24932)
バラフィール・アルシク(黒い噂に惑うた幾年月・e32965)
月岡・ユア(皓月・e33389)
キース・アシュクロフト(氷華繚乱・e36957)

■リプレイ

 ヘリオンから降下してすぐに月隠・三日月(暁の番犬・e03347)は駆けだした。迷う必要などない、彼の居場所は火を見るよりも明らかだ。
「うわ…これはひどいねぇ」
 グレイシア・ヴァーミリオン(永久の娯楽と堕落を望みし者・e24932)が苦笑をうかべた。街道に沿って背を伸ばす木立は、さながら嵐の後といった有様だった。大地は抉れかえり、樹々はなぎ倒され、散々に戦いの爪痕を刻まれている。
「…まずいな」
 キース・アシュクロフト(氷華繚乱・e36957)が呟き、速度をあげた。一介のケルベロスがこれだけの破壊を生み出せはしない。暴走。そんな言葉が頭をよぎる。と。
「見つけました」
 冬の朝の空気のような、小さくともしんと通る声でバラフィール・アルシク(黒い噂に惑うた幾年月・e32965)が告げた。視界の先、レフィナード・ルナティーク(黒翼・e39365)は大樹の幹を蹴り身を躍らせていた。次の瞬間、黒い影が大樹を抉りとった。あれに当たっては相応の実力者であっても一瞬で土塊同然となるかもしれない。
「させるか!」
 キースは飛び込んで横合いから蹴撃を浴びせかけた。爪先が膝の裏を貫き、がくりと敵の腰がくだける。そこへ息を合わせ、グレイシアと月岡・ユア(皓月・e33389)が突っこんだ。
「せぇ――の!!」
 グレイシアは振りかぶり巨大な機械槍を、ユアは地を這うような姿勢から一転して前蹴りを、同時に叩きつけた。
 たまらず巨体が吹き飛んだ。
「やっほ♪お手伝い、来たよ。無事だね」
「一人じゃ喰いきれねェだろ。手伝ってやるよ」
 ユアの明るい声音。不意に漂う酒の匂い。スキットルを煽る伏見・万(万獣の檻・e02075)の眼はギラギラと猛り、まだ見ぬ黒き王を探していた。
 と、その時。稲妻のように素早く影が伸びた。影は木立の隙間を縫い、槍のごとく尖らせた切っ先をケルベロス達に向ける。
「こっちはお話の最中だぜ。ちょっとは遠慮してくれよな」
 白炎が舞った。意思を持つかのように形を変え、小さな鳥の群れとなって燃え上がり影の行く手を阻む。エリオット・シャルトリュー(イカロス・e01740)が足を踏み鳴らし、更に地獄の炎を焚きつける。
 迷うことなく三日月はそのなかへ身を投じた。体を回転させ大身の薙刀を手繰り、白炎に絡めとられた影を断ち切ってゆく。そんな三日月を守護するように雷撃が降り落ちると、影は手を引っ込めた。
「仲間を失うわけには参りません」
 二条の杖に秘めた雷光を散らしてバラフィールがそっと言葉をおいた。対して三日月の力はどこまでも力強く、空気を震わせる。
「ルナティーク殿、アナタの力になるために私はここにいる。私達の加勢、断ったりはしないだろう」
「ええ――お恥ずかしながら私ひとりでは手に余るようです」
「あーあ、貧乏くじ引いたかなぁ。あんなのと接近戦をしなきゃいけないんだからさ」
 グレイシアはこれ見よがしに溜め息をついたが、その表情は微笑に近かった。「まぁ、キミがちゃんと言葉を交わせるくらいには全力でサポートするからねぇ」
 数少ない友人の頼みだ、放ってはおけない。
 獣の慟哭に樹々が一斉に身を震わせた。
「くるぞ」
 三日月の声に合わせ、ケルベロス達は一斉に動き出した。


 参った。いつもより戦いやすい。
「これじゃぁ全力を出すしかないじゃんか」
 グレイシアがひとりごちた。重心を低くしたまま姿勢をたもち、槍で敵の足を刈った、かに見えた。
 見上げるような巨躯のくせレミニシェンツァは冗談のように軽い身のこなしで一撃をかわす。頭上に影が落ちる――上だ!
 音と衝撃が伝わってきた。苦悶の声も。
「下がりなグレイシア。にしても、ほんっとに馬鹿力だな!」
 押し潰されそうな膂力に抗い、エリオットは渾身の力で膝蹴りを見舞った。僅かに力のぬけた隙をついて飛びずさる。代わりに押し寄せたブラックスライムが巨躯に纏わりついた。
「今度はよく狙え」
 藍色の冷たい瞳が揺れる。キースが氷の魔力を流し込むと、ブラックスライムは瞬時に凍りつきレミニシェンツァの自由を奪った。
「あーもう、言われなくてもわかってるよ」
 唇を尖らせてグレイシアは腕を振るった。圧倒的な質量の冷気が中空に氷の刃を生み出し、横殴りに敵を突き刺す。機を逃さず万も仕掛ける。蛇口を開く要領で慎重に力を解放してゆく。呼び出すは己を模した幻影の獣達。
 全身に総毛立つような悪寒を感じた。寒さのせいではない。動きはいつもに増してなめらかに動き、僅かな隙もない。強く、疾く、力を振るえる。それが暴走の前兆であることなど当に知れていた。
 ったく。借りを返すのもよいじゃねぇな。
 万は鳩尾に力を込めて暴れ出そうとする力を抑えこんだ。おそらく、うちに秘めた獣が欲しているのだろう。目の前で圧倒的な力を行使する黒き王を喰らいたいと。
 獣の群れが躍りかかる。それらは一様に氷で形成されており、圧し合いながら大地を風のように走り抜けて牙を突き立てた。複数の冷気が激突し、膨れ上がると、寒気の塊となってあらゆるものの温度を奪ってゆく。
「伏見殿、大丈夫ですか」
 レフィナードは問いかけた。目は万の体に生々しく刻まれた傷口に向けられていた。戦う以上は避けられない攻撃もある、仮処置的なヒールでは完全に快復することは敵わない。だが同じように鋭い目を返される、彼の体のそこかしこに残された生傷にむけて。
「おめェは自分の心配をしろよ。あの坊主みたいに説教されたり酒樽をぶつけられたくねェなら無茶はすンなよ」
 レフィナードは口を開こうとして。
「うぉぉぉぉん――」
 響き渡った咆哮に振り向いた。レミニシェンツァは攻撃を受けてなお抵抗をやめず、打ちつける冷気や獣を蹴散らして吠えていた。
 呼んでいる、私を。レフィナードは直感した。
 大地を蹴る。力強く、旧主のもとへ。
「一人ではいかせないさ」
「ああ、こんなところで引いてはルナティーク殿を助けにきた意味もない」
 頼もしい言葉を左右からかけられて、レフィナードは微かに口角をあげた。
 黒き王が間近に迫る。死の風が吹き荒れる。鋭い爪がうなりをあげて体を掠めてゆく。
「あなたの心の臓を貫き、その命を奪ったのは私です。だがあの方の言葉を私は忘れていない。生きろ、そう仰ったではないですか」
「笑止! かつて貴様を許し、生かした私が貴様の命を奪う。何の不義があるか」
 そうだ。私は命を救われ、あまつさえ恩人を殺した。口のなかがカラカラだ。たったの一撃で背筋が冷たくなる。そんななかで。
「翠の風刃!」
 絶望を切り裂くような声がした。「私は器用ではない。この一刀、確実に届かせる」
 三日月は飛び跳ね、小刻みに体を動かしながら攻撃の手をゆるめない。決して俊敏な動きではないが、上手く間合いを外しては攻撃をいなす。薙刀は彼女の腕と一体と化して攻め、防ぎ、時には足場となりながら癒えぬ裂傷を刻んだ。
 鉄錆の臭いが強くなる。レフィナードは迫りくる前肢を下がらず、前に出ることでかいくぐって、会心の掌底を打ち出した。跳ね上がった顎を挟むようにキースが跳躍して踵を叩きつける。
 息を合わせた動きにレミニシェンツァが目を白黒とさせた。二人は左右にわかれ、更に攻撃を繰り出しつづける。
 そうだ、真実を。それが如何に残酷であっても、直視しなければならない。その上で死ぬのならば――それこそが報いというものだろう。
 レフィナードは相貌をかっと見開いてレミニシェンツァを見やった。姿は寸分も違わない、声も仕草もかつてのままだ。動揺がないと言えば嘘になる。だが命を奪った怨敵が眼前にいるとしても、掌を返すような言動は記憶のなかのあの御方とは違う。
「貴様は誰だ。何故その姿をしている」
「レフィナード!貴様あああ」
 激昂のままにレミニシェンツァが腕を振り払った。伸ばした腕の軌道は単純であっても、速度とリーチを兼ねた一撃がケルベロス達をまとめて吹き飛ばす。
 すぐさま追撃に転じようとした敵に、
「こっちも忘れてもらっちゃ困るなぁ」
 抑えこむ形でエリオットが肉弾を仕掛けた。軽やかにステップを踏み、体重ごと叩きつけるように四肢を振り回す。
 回し蹴りの勢いそのままひじ打ちを叩きこみ、間合いをずらして姿勢を低く、頭上を巨腕が過ぎればすぐさま足を跳ね上げバック転の要領で顔面を蹴りつける。
 息をとめたまま動き回り続けているせいで肺は悲鳴をあげていた。体中にべっとりと汗が纏わりついて不快で、額から流れる血や汗が目に入りそうで邪魔くさい。
「よそ見すんじゃねェよ!」
 エリオットが作る間隙に合わせて万が獣のように攻撃を加える。傷口を抉るようにナイフを突き立てては信じらない体勢から瞬時に動きを変えて、目まぐるしく斬撃を繰り返す。
 鈍い痛みをこらえながらレフィナードが立ち上がると、詠唱と施術を繰り返すバラフィールの姿が目に入った。頬に張りつく長髪を払うこともせず、じっと目を据えて必要な者に必要なだけのヒールを施す……かなりの集中力が必要だろう。考えるだけでも途方のない緻密な行動だ。ウイングキャット『カッツェ』も主人の負担を少しでも肩代わりしようとせわしく動き回っている。
 ユアとビハインド『ユエ』も互いを補いながら敵の死角をついていた。ユエが念動の力で牽制するように物体を飛ばすと、ユアはそれに潜んだり、足場にして跳躍したり、全く無関係と思える地点から飛び出したりと予測がつかない。意表を突きながら得物をふるい、しばしば激しく衝突した。
 誰もが暴力の象徴のような攻撃を弾き、かわし、受け流し、時には逆襲までをも加えて、均衡を崩すまいと血を流している。
 レフィナードは己を恥じた。
 ずっと思っていた。貴方が満足するのなら、かつて与えられたこの命をお返ししようと。だが同時に、それは今を生きる自分に手を差し伸べてくれた友を踏みにじるものであり、どこか甘ったれたヒロイズムだと知っていた。
 お前はどうしたい。偽らざる自身の心に問うとしたら。彼らと共に、そんな気持ちは拭えぬ事実だ。
「生きるというのは、死ぬことよりも厄介ですね」
 レフィナードはかつての主に語りかけた。その瞬間、ほんの僅か、敵の動きが鈍る。
「っ――待って」
 レフィナードはハッとした。「攻撃の手を止めてください!」
 悲鳴のような声にユアは手首を無理矢理に曲げた。逸れた切っ先が肩に突き刺さる。レミニシェンツァは飛びずさった。消耗はケルベロスだけではない、敵の体にも幾多の傷が刻まれ追い詰められた獣さながらに息は荒く、目だけが獰猛に赤く輝きを放っていた。
「どうしたの!?」
「私の言葉に、反応したようだったのです」
「……死神の力に人の意識が抗っていると?」
 バラフィールの顔に興味の色がはしる。デウスエクスには謎が多い。その中でも死神のメカニズムを人類は全くつかめていない。
 施術黒衣の襟ぐりをぐっと掴む。死神……『アレ』と同じ存在。亡き者の意識……。
「確証は……ありません。ですが、私はかつてのあの方を感じました。敵は強大です、私の願いは皆さんを危険に晒すことになる……。しかし――」
「皆まで言うな。俺はやる」
 キースは 力を込めた。先の傷は深く、うまく体が言うことをきかない。
 だがいま立ち上がらないでどうする! いつも他人ばかり気にして自分をなおざりにしてきたレフィが危険を承知で頼んだ。俺を頼ってくれた。ならばせめて彼の訊きたいことだけでも……。
「キースはさぁ、クールにみえるけど実は熱いやつだよねぇ」
「らしくない、か?」
 キースがつぶやくと、ユアはくすりと鈴のような音をあげる。
「ふふ、僕はそういうの好きだよ。背中を任せるなら誰かの為に熱をあげられる人がいい」
 年相応の闊達な少女の声にユエも笑みをたたえて頷いた。姉妹は視線を通わせて頷きあい、改めて身構えた。
「死神に操られているのなら主さんの体も魂も、僕らで取り返してやろう!」
 ユアの瞳がきらりと光りを放った。何か考えがあることを察して、エリオットは走り出した。
「主だろうがなんだろうが、死んだやつが生きているひとを引っ張り込むなよ。ましてや今は死神だろう。なら尚更というものだ」
 死者は何も語らない、悔いることも出来ない。あがき、苦しむことを死者は生者の特権と羨むだろうか。だとしても――。
「あんたに少しでも自我があるなら全力で抗ってくれ。いま生きているレフィナードを救えるのは、あんたしかいないんだ」
 追随してケルベロス達が一斉に動き出した。周囲の地形を最大限に利用し、轟音を伴って襲いくる攻撃をかいくぐり、崩れ落ちそうになる肉体を支え躍動する。
 グレイシアは一直線に突撃して――鋭く反転した。間近で爪が空を切るのを見計らい、今度こそ見事に足をすくい払う。
「ちゃんとケリつけておいでよ、レフィ」
 レフィナードは跳んだ。拳を引きつけて、思い切り打ち下ろす。顔面をしたたかに打ちつけられて、レミニシェンツァが膝をついた。そして。
「満ちる月と共に、深く」
 ユアが言の葉を紡いだ。
「月の腕にあやされて」
 か細い旋律は一筋の月灯のように響く、けっして掻き消されない強さを以て。
「ゆるやかに堕ちてゆけ、夜の果てに…」
 月魄ノ夢。歌がレミニシェンツァの耳に届いたその時。突如夢幻の月影が宙に浮かび、意識だけが遠く闇の底に堕ちた。


「レフィナード……近くに」
 弱々しい声を、さして警戒することもなくレフィナードは歩み寄る。気色ばむ仲間達を押しとどめてバラフィールが首を振るった。
「見届けましょう。それが彼の選択なのですから」
 私達にとっても深く関係のあることかもしれません。ねぇカッツェ。
 緋色の瞳は無感情に、頭を垂れる王と立ち尽くす男を視止めた。
「老いたる馬は道を忘れず、か。だがお前はまだ若い。私なぞに忠誠を捧げ続け、自らを殺しやがって。言ったはずだぞ、生きろと」
 絞りだすような声には怨嗟などなかった。そして悔いるように目を伏せる。
「この薄汚い死神に体を乗っ取られてから、微かな意識のなかで全てを視てきた。すまなかった……私は、何も出来なかった。お前にも、スウェンにも。奴は常に後悔していた……なぜお前の言葉を聞いてやれなかったのか、なぜお前を信じてやれなかったのか、とな。奴は?」
「私が、殺しました」
「お前のことだ、殺すなら自分の手で、などと思ったのだろう? なんでも背負おうとしおって、お前は昔から生真面目すぎる。妻でも娶って直してもらえ」
 不意に過去の情景が甦った。この人はこの手の冗談が好きだった、そんな話を持ちかけられるたび、レフィナードは眉をよせて困惑したものだ。今と同じように。
「安心しろ、私が奴に説明してやる。その時間はこれから……たっぷりとあるのだからな」
 その言葉の意味するところを悟ってレフィナードは唇を噛んだ。ほんの一瞬の邂逅と永遠の別離。生死とはあまりにも理不尽な天秤ではなかろうか。
「私の意識も……もう消える。よいかレフィナード、これよりお前を襲うのは死神だ。我らが故郷を消し去った竜の同胞だ、情けは…無用――」
 瞳から慈愛の色が失せた。双眸が再び狂気の真紅に染まる。
「体を――貴様の体を寄越せえええ!!」
 弾かれたようにレミニシェンツァが立ち上がった。竜のような咢がひらく。無数に並んだ犬歯はやわな防具ごと肉も骨も魂すら噛み千切るだろう。
 レフィナードの胸が強く鼓動した。真実を知ったいま、惑っていた己も、死者を弄ぶ者への怒りも、かつての友を信じられなかった慚愧すらも地獄の炎と化していた。胸に蹲っていた小さな火種は狂猛とすら言える勢いで吹きだし、やがて左腕を蒼黒に包む。
 思考は透き通るように鮮明で、炎は全ての感情を喰らったかのように、彼の冷徹な殺意を代弁するかのように、蒼く熱く燃え続ける。
 レフィナードは自らは動かず、じっと機を待った。死神の咢が己に喰らいつく寸前――大きく体が開き、傷痕のこる左胸がさらけだされたその瞬間――かつての己がしたように、今度は自らの意志を以て主の心臓を貫いた。
「……レフィナード・ルナティーク、貴殿に再び命じよう。生きろ。そしてお前にしか成せぬことを。私や我が故郷のことを識る者はもはやお前しかいないのだからな」
 身を斬られるような罪悪感からの謝罪が、かつて受けた数々の温情への感謝が、喉元まで出かかった。奥歯を噛みしめて感傷を呑む。不要だ、主は全てを理解っている。それを私も理解っている。言葉はもはや効力をもたない。
 レオカディア――偉大なる我が王よ、どうか安らかに。
 引き抜いた腕からは一切の感覚が消えていた。だがそれも主へのせめてもの手向けと思えば何ら未練はない。
 ようやく主を送りだすことが出来た安堵感。いま本当の意味で主をうしなった喪失感。言葉につくせない感情ばかりが体のなかをぐるぐるとまわる。
「本当に。生きるということは難儀なものですね」
 レフィナードは苦い顔でひとりごちた。だがこの感情がかつて主と、友とあった証であるなら。これからを生きるための灯火ならば。
 レフィナードは左胸を強く掴み。晴れがましく友人達を振り返った。
 この鼓動が止まるときまではせめて共に。そして語り続けるのだ、主や友が守ろうとしたとある国の話を。

作者:東公彦 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2020年9月8日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 2/感動した 4/素敵だった 1/キャラが大事にされていた 1
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