星餐

作者:藍鳶カナン

●星餐
 菫色の宵が支配してゆく空の彼方、遥か海との境界に、美しい桃色がたなびいていた。
 海を一望できるホールでの晩餐会は、開会前に食前酒と共に振舞われる軽食が前菜代わりゆえに、始まりはスープから。華やかな赤橙のパプリカを使った冷製ポタージュに金の波を思わすコンソメジュレが浮かぶ夕景のスープから始まった晩餐は、いくつもの美味を経て、夏菫の花とラズベリーソースが純白のブランマンジェを彩る宵のデザートを迎えている。
「この海の眺めも素晴らしいが、この後の舞踏会ではホールの天井が開いて、星空の下での夜会となるそうですな。実に興味深い」
「ええ、モンテカルロのサル・デ・エトワールに倣った仕掛けだとか。そういえば――」
 モナコの富豪の父と日本人の母の間に生まれた令嬢の母語はフランス語だったが、日本語主体のこの晩餐会でも彼女は不自由なく会話を操れた。
 百年以上の歴史を持っている欧州の老舗ハイジュエリーブランドと、その老舗がこの国で提携する高級宝飾店が共同で主催するこの夜会は、晩餐会とその後の星空の下での舞踏会を合わせ、星餐会(せいさんかい)と呼ばれている。
 晩餐のテーブルはホールの四方を囲むよう配置され、今は楽団がクラシックを奏でている中央の空間が、舞踏会のダンスフロアとなるのだ。
 だが、磨きをかけた社交術で隣席の紳士と歓談しつつも、令嬢の心は舞踏会でも向かいの席のパートナーでもなく、食前酒を楽しむ折に出逢った青年のことでいっぱいだった。
 ――素敵なひとだったわ。とても。
 ただの知人である今夜のパートナーは無論、スイスで療養中の祖母を見舞うだとかで今回都合をつけてくれなかった婚約者よりも。いつもはミモザを飲む自分も、青年が傾けていたフィノが気になって仕方がなかったから、舞踏会が始まったら折を見て、
 ――美味しいフィノを、ホテルのラウンジで教えてくださらない?
 なんて誘ってみようかしら、と思った刹那。
 突然ホールの天井が爆発した。否、凄まじい威力の炎塊を空から撃ち込まれたのだ。
 降り注ぐ瓦礫や炎で忽ちホールは悲鳴と混乱の坩堝となる。続く衝撃が更に天井を崩し、海を望める強化硝子の壁に亀裂を奔らせたなら、
「お嬢さん、危な――」
「触らないで! ここで死んでたまるものですか!!」
 令嬢はテーブルを乗り越えんとした己を引きとめた紳士を振り払って、その拍子に紳士が倒れたのにも構わずテーブルを乗り越えた。おろおろするパートナーも無視して強化硝子の壁の亀裂から外へ跳びだすが、足をひっかけ己も転倒してしまった際に大きな硝子の破片で腹を貫かれてしまう。
 海辺に溢れて岩場を染めていく鮮血を、誰かがぴちゃりと踏んだ。
『あーらら。逃げられなくて残念だったねー。でも僕がおねーさんにイイことしてあげる』
 蕩けるタールの翼で舞い降りたのは、両手に巨大な剣を携えた少年。
 彼は令嬢へ剣を打ち下ろし、
『僕がおねーさんをエインヘリアルに! あれ? してあげられなかったよ、ゴメンねー』
 令嬢が息絶えたなら、じゃあ次いこー、と笑って飛び去った。

●星餐会
 国際的にも通用する格式を誇る海辺のリゾートホテルのラウンジで16時にアペリティフ――即ち食前酒を。17時からはホテル併設のホール、強化硝子と銀色の鋼のフレームからなる壁面から海を一望できる会場へ移動し、晩餐会が始められる。
「誰彼時の晩餐会が襲撃されるかもとは思ったけど……それにしてもかなり時間が早いな」
 事件現場となる晩餐会のスケジュールを確認したティアン・バ(リフレイン・e00040)が灰の双眸を軽く瞠れば、皆に景色も楽しんでもらいたいって趣向らしいよと事件を予知した天堂・遥夏(ブルーヘリオライダー・en0232)が狼耳をぴんと立てた。
 かつてヴァルキュリア達の使命であった死者の魂の『選定』。
 現在この役割を担うシャイターンは自ら建物を崩壊させる惨事を作りだし、その中で死に瀕した者を殺して新たなエインヘリアルを生みだそうとするのだ。
 事前にひとびとを避難させると別の場所が襲撃されて、被害を食いとめることが叶わなくなる。ゆえに予め潜入しておき、敵襲後に対処を開始せねばならない。
「まず、今回はヘリオンデバイスを『使用できない』。これは絶対に忘れないで」
 事件発生より数時間前からの、ヘリオンを伴わない潜入となるためだ。
「ティアンさんの情報で早期の予知が叶ったから、招待状も手配済み。正規の招待客として参加できるけど、招待客は16時からホテルラウンジでアペリティフ……要は食前酒と前菜代わりの軽食を楽しんで、17時からホールへ移って晩餐開始、デザートが終わるあたりの19時すぎくらいに襲撃だからね」
 本来なら晩餐後の舞踏会がメインの催しなのだが、舞踏会ならまだしも晩餐会では出入り自由とはいかない。ゆえに数時間がかりの潜入となるわけだ。
「恐らくアペリティフで初めてや馴染みの薄い招待客の様子をスタッフが密かに見極めて、晩餐会に相応しくないと判断した相手にはやんわり御帰り願うんだと思う」
 御帰り願われたなら事件発生まで会場の外で待機する他ない。
 ゆえに最も重要なのは恙なくアペリティフを楽しむことだと遥夏は告げた。
「もちろん、全体を通してマナーやプロトコールは忘れずに振舞って。あんな品の無い客を招待するなんて老舗の格も落ちたななんて他の客に思われたら、主催のブランドイメージに大打撃だからね。『私はドジっこだから失敗しちゃうかも』ってひとは遠慮して」
 己に適した任務と適さぬ任務を見極めるのも重要なケルベロスの資質のひとつ。
 また、夜会は大人のものゆえ、任務に就くケルベロスは18歳以上が望ましい。
 16歳程度なら何とか誤魔化せるだろうが、それより下なら『エイティーン』が必須だ。
「プラチナチケットだと『招待客のお子さんかな』と思われて、『確認をとる間、事務所で待っていてもらおう』って対応されるのがオチだからね。晩餐会には入れてもらえない」
 なお、行動開始は襲撃が発生し、選定対象の令嬢が外へ跳び出した後。
「催しが催しだから、有事に備えた訓練を受けてるスタッフが揃ってる。彼らに一般人達の避難は任せて、あなた達はヒールで会場の崩壊を食いとめて」
「ああん、そこらへんは合点承知! 今ここにいないけれど、晩餐会には来るよってひとが手伝ってくれるなら、わたしとお手伝いのひと達で頑張りますなの。結構慣れてきたから、ティアンちゃん達は令嬢をすぐ追いかけて敵の対処に専念できると思うの~」
 遥夏の言葉に真白・桃花(めざめ・en0142)が尻尾をぴこんと立てれば、
「桃花は大分慣れてそうだものな。ティアン達も一応修復用のヒールを持っておこうか」
「そうだね、万一の備えはあるに越したことはないと思う。けれど、ティアンさん達は基本敵の撃破を最優先に考える感じでお願いするね。術の威力からして敵はクラッシャー。絶対油断はしないで」
 桃花に頷いたティアンは、遥夏に『勿論だ』と応え、仲間達を見回した。
「なら、全力で戦う前に、まずは晩餐を……いや」
 ――晩餐ならぬ星餐を、楽しみにいくとしようか。


参加者
ティアン・バ(くじら座の尾・e00040)
霧島・奏多(鍛銀屋・e00122)
キソラ・ライゼ(空の破片・e02771)
アイヴォリー・ロム(ミケ・e07918)
ウィルマ・ゴールドクレスト(地球人の降魔拳士・e23007)
凍夜・月音(月香の歌姫・e33718)
ヴァイスハイト・エーレンフリート(死を恐れぬ魔術師・e62872)
綿貫・朋恵(ウェアライダーのガンスリンガー・e78691)

■リプレイ

●星餐
 豪奢と壮麗から、優雅と華麗へ。
 夕暮れに向かう金の陽射しをも殊更豪華に煌かせるシャンデリアが美しいラウンジから、薔薇のごとく咲き誇るリシアンサスの花々に彩られた長大な晩餐のテーブルが並び調う様が壮観なホールへ移る。黄昏と宵を表す薔薇色と菫色のリシアンサスをセルフィーユの小さな白花が瞬く星々のように彩る様も美しかったが、ティアン・バ(くじら座の尾・e00040)は強化硝子の壁面から一望できる光景のほうに眼を奪われていた。
 夕刻から黄昏へ深まりゆく空、夕暮れの彩に耀く海――。
「……どうかしたか」
「ううん、なんでもない。大丈夫だよ」
 抑えた声音でレスター・ヴェルナッザ(凪ぐ銀濤・e11206)が問えば微笑みが返ったが、華奢な身体に纏うドレスの彩と相俟って、彼女が夕刻の海へ漂いだしてとけてしまいそうな錯覚に男は錨たる想いを一層強くする。この先は傍についていてやれないのがもどかしい。
 晩餐会も社交場、席次は予め主催によって定められており、仮に正面の席にパートナーが配されたとしても、晩餐中に歓談する相手は左右の隣席に配された列席者達だ。
 満を持して入場する主催と主賓を数百の列席者達が席を立って拍手で迎える。
 席に着くのも立つのも左、この程度のプロトコールなら名家に生まれたヴァイスハイト・エーレンフリート(死を恐れぬ魔術師・e62872)も身に着けていたが、アペリティフを思い起こせば己はまだ場慣れしていないのだと実感する。
 星餐会が舞踏会主体の夜会であることと、夜会の規模を見誤っていた彼だったが、主催とアペリティフで顔を合わせる機会がなかったため非礼を口にせずに済んだのが幸いで、
 ――主催は別席で主賓を歓待している頃だろうかね、Mr.?
 深紅のキール・ロワイヤルの杯が実に様になる英国紳士、メイザース・リドルテイカー(夢紡ぎの騙り部・e01026)の歓談を装った助け舟でようやく思い至った。
 招待状を得ての列席ではあるが、ノーベル賞授賞式後の晩餐会における受賞者のような『主賓』ではないのだと弁えておかねばならない。ましてやヴァイスハイトは、少年の身を十八歳に変じて姿を偽っているのだ。
 金色の波めくコンソメジュレと華やかな赤橙のパプリカポタージュ、冷製仕立ての夕景を銀の匙で掬えば海老が現れて、お、と軽く瞠目したキソラ・ライゼ(空の破片・e02771)は近くもないが遠くもない席でサイガ・クロガネ(唯我裁断・e04394)が同じような顔をする様に胸の裡だけで笑う。
 普段は構わぬ髪も綺麗に撫でつけて纏め、ブラックタイで『お利口』にする彼など滅多にお目にかかる機会はなく、だが彩雲めく髪のメッシュを消し恩人に叩き込まれた通り振舞う己も相手にはきっとお互い様。アペリティフでも彼は慣れた風情でチャイナ・ブルーに指を伸ばしかけていて、先んじて同じ彩のグラスを渡した際のことを思えばまた楽しい。
 甘くラム香るアプリコットブランデーが柘榴の薔薇色に蕩けて暮れゆくマジックアワー、綺麗なブルーキュラソーがライチと揺蕩う夜明けに柑橘とトニックの光射すブルーアワー、キソラが己のためにミリオネーアを選び、『誰そ彼』と『彼は誰』を掲げ合って味わえば、
「――旨いな、ライチリキュール風味が強くて。やっぱ酒は果実酒に限る」
「いやソレ酒一滴も入ってねぇし」
 知った顔でサイガが嘯くから、ブルーキュラソーもライチリキュールもシロップに変えた酒精なしのチャイナ・ブルーだと忍び笑いとともに明かせば、やんわり返る微笑から笑っていない眼差しが突き刺さった。だがあれも酒精に弱い連れ合いへのキソラなりの気遣いだ。彼の晩餐のシャンパーニュも酒精なしでと給仕に根回ししたも。
 気づいた彼が同じ微笑を向けてくる様を写真に撮れないのが、途轍もなく惜しい。
 ――意外にそつがないな、サイガ。
 ――なかなかやりますね、クロガネ。
 離れた席ながらティアンと同時にそう思いつつ、アイヴォリー・ロム(ミケ・e07918)は紅緋の皮の美しさを活かした赤甘鯛のポワレと甘やかな橙色のムール貝に、卵黄とチーズの黄が円やかなモルネーソースの波寄せる逸品に舌鼓。品格を要される場ならではの緊張感も楽しみながら、アペリティフでも美酒と美味を堪能してきた。
 第一の主戦場は晩餐会でなく、その前のアペリティフ――これを全く理解していなかった綿貫・朋恵(ウェアライダーのガンスリンガー・e78691)へは星に因んでアストロノートの杯をさりげなく勧めてフォロー、アイヴォリー自身は柘榴の薔薇色がカルヴァドスを染めるジャック・ローズの杯を、晩餐では外すオペラ・グローブに秘めていた手に取って。
 艶やかな小麦色の肌を引き立てる薔薇色のドレスを、首元には朝露めく真珠を抱く白絹の薔薇咲かせ、華奢なヒールで光と美酒の波間を渡れば、自身も甘き薔薇のごとく咲く天使に青年達が眼を奪われる。
 ――彼はシンガポール華僑のエリートで、彼はベルギー貴族の令息だったかな。
 薔薇の笑みを請う若人達を鷹揚に眺めていたのは英国紳士。
 列席者の把握も兼ねた人脈作りと洒落込むメイザースから老舗ハイジュエリーブランドのデザイナーを紹介してもらえたのが、銀細工を生業とする霧島・奏多(鍛銀屋・e00122)のアペリティフにおける最大の収穫だったろうか。
 歓談は演じるまでもなく心から傾聴に値する興趣に満ち、主催が主催なだけに、女性達の美しさをより輝かせるジュエリーも芸術品と呼べる逸品揃い。蜂蜜色の瞳の誰かもさぞかしこの場に映えたろうと思ったけれど、今宵連れて来なかった理由は。
 美酒に酔う彼女も、艶やかに着飾る彼女も、己の眼差しだけで――。
「なんて、あんまり見透かさんでくれよ?」
「ああん見透かされたのはこっちなの、誰かさんを家呑みに誘いたいって交渉を~!」
 実は渓流の時からしたかったと主張する真白・桃花(めざめ・en0142)にアマレット香るロゼッタ・ストーンの杯を取ってやって誤魔化したが、やっぱり誤魔化されてないなと先程感じた視線で察しつつ、奏多は薔薇色が覗く羊肉とフォアグラのグリエを迎える。
 晩餐のメインを彩るのは甘酸っぱさも色合いも鮮麗なハイビスカスソース。
 だがそれよりも艶めく唇に軽やかな言の葉を乗せ、凍夜・月音(月香の歌姫・e33718)は選定対象たる令嬢の心を惹いた青年をアペリティフで見定め、晩餐でも偶然斜向かいの先の席に着いた彼と笑みを交わした。
 自然界に存在しないからこそ幻想的に煌く青水晶の月を手首に揺らし、淡金色のフィノとバルサミコジュレ纏う帆立貝柱のマリアージュを一緒に楽しんだ相手は、南米にトパーズとエメラルド鉱山の経営権を有する商社の御曹司。
 上流の品格を身に着けながらもエネルギッシュな野性味を覗かせる辺りが、
 ――納得だわ、刺激を求めるお嬢様の心を擽るわけよね。
 夜会巻きの髪を己が名と同じコニファーの枝葉を模る髪飾りで彩って、防具を纏ってなお華奢な身体にドレスを重ねたウィルマ・ゴールドクレスト(地球人の降魔拳士・e23007)もアペリティフで月音と歓談する青年を、否、件の令嬢をひそやかに眺めていた。
 望む杯はアペリティフでは得られなかったけれど、彼女の好みを訊いた台湾の青年実業家お勧めの濃厚な深紅に煌くデュボネも、無花果のブランデーコンポートとロックフォールのタルティーヌも口にあったし、何よりも。
 令嬢が月音への妬心を微笑みで取り繕っていた姿が、ウィルマにとっては極上の美酒。
 月音と青年の様子をやはり遠目に眼にした奏多も、手には二人と同じ淡金色のフィノ。
 独特のフロール香も辛口ですっきりとした口当たりも、香ばしい余韻も心地好く。
 ――成程、アペリティフにこれを選んだ彼はなかなかの通とみた。
 各々がアペリティフの美酒を思い起こして味わう羊肉とフォアグラのグリエは食べ進める程に豊かな味わいを覗かせ、宵の波のごとく添えられた紫キャベツの千切りのピクルスとも大人の特権たる濃密なボディの赤ワインとも良く合った。
 けれどアイヴォリーが思い起こしたのは、華僑のエリートやベルギーの貴公子との歓談をさらりと切り上げて見つけた春色の友と杯を掲げ合い、
「ふふ。桃花、こんな豪奢な宵も良いですねえ」
「ああん今宵ひときわいきいきしてるアイヴォリーちゃん、これ一緒にどうかしら~♪」
 鶉肉が挽肉とカラフルな夏野菜を巻き込んで花咲くガランティーヌ、ディアブルソースの辛味を纏うそれを棘持つ花の心地で食んだ味わい。二人が推してきた冷たい美味を口にしたティアンも併せて華やかなスイカのみぞれで作られた酒精なしのソルティ・ドッグを傾け、美味しい、と尖り耳が上機嫌に揺れたのを、
「耳も淑やかにしてみたらどうだ、お嬢」
「自分は尻尾を仕舞えるからって、狡いぞレスター」
 ローズマリーの緑とグレープフルーツ果汁の氷が彩るクラブソーダ片手に乙女達の推しを摘まむレスターに揶揄われたことを思い起こしていた。あのスイカの赤も、薔薇色を覗かす羊肉を彩る真紅のハイビスカスの彩も心に残ったけれど。
 ――このデザートの彩がより胸に沁みるのは、きっと。
 夏菫の花に彩られたブランマンジェの純白に深紅のラズベリーソースが掛かる様をそっと匙で掬えば純白と深紅が蕩け、硝子の壁の彼方に臨む、美しい桃色と重なって。
 銀の波と真珠が指に煌く手を一度握り、濃厚に蕩ける柔い甘さと甘酸っぱさを味わった。
 邪精の炎が爆裂のごとき勢いでホールの天蓋を破壊する、その直前まで。

●正餐
 星々が瞬きだすより速く菫色の宵空へ『開かれた』天蓋が崩落する。
 紅蓮の炎やそれを纏った瓦礫が降るホールを続け様の衝撃が襲い、強化硝子の壁面に谷を思わす巨大な亀裂が奔り、選定対象たる令嬢が倒れた紳士にも構わず亀裂の外へ跳び出した途端、黒ずみながら銀に煌く流体金属の吹雪が、時計草が万華鏡めいて咲かす傷を巻き戻す魔法が、灰燼が軍勢となって鯨波を轟かす癒しが翔けた。
 菫色の宵と空と海の境にたなびく桃色が劇的な彩を織り成す世界、鮮やかに潮香る岩場へ跳び出した令嬢は、足をひっかけ、
「――……!!」
「あ、貴女みたいな、明け透けな振る舞い。私は嫌いじゃないん、ですよ」
 転倒しかけたところをウィルマに抱きとめられる。己の腹を貫くはずだった大きな硝子の破片を見て蒼褪めた令嬢の顔が『見ていました、よ』と微笑みかけられ羞恥の朱に染まる。犠牲者を出したくないのは皆同じで、然れど唯ひとり、ひとの弱さや歪みを垣間見ることを好むからこそ令嬢自身を好ましく思っていたのがウィルマ。
 ある意味、誰より強く『令嬢を死なせたくない』と願っていたのが彼女で、
「怪我もねえのが何よりだな、そのお嬢さんはおれが避難させる、こっちへ!」
「うん、逃がしてあげてくれ、レスター!」
「ああ、彼女は任せた、ヴェルナッザ!」
 奇跡的な無傷の姿を認めて声を張った男へティアンと奏多が令嬢を押しやった瞬間、
『あーらら。逸材を選定のチャンス! だったのに、なーにしてくれてんのケルベロス』
「勿論、貴方を歓待する準備ですとも。舞踏会の始まる刻限ですよ、一曲いかが?」
「とはいえ、ホントはお子様はお呼びじゃねぇって話だけどネ?」
 蕩ける翼で舞い降りたのと同時に状況を察したらしい少年シャイターンへ、薔薇のごとく華やかで菓子のごとく甘やかな指輪から一気にアイヴォリーが咲かせた光の剣と、思うさま銃砲を翻したキソラが撃ち放つ凍結光線が輝かしい宣戦布告となって直撃した。
 途端に咲いた更なる輝きは奏多が攻撃の要たるキソラへ燈した光の盾、間髪を容れず黝い獄炎の礫を放つティアンの速撃ちが敵の大剣を三重に砕けば、
「まあボクも本来はキミと同じくらいの見た目だけど、友人にはなれそうにないね!」
 合流したビハインドに前衛の護りを任せ、後衛から狙い澄ましたヴァイスハイトが凝らす精神の魔力がシャイターンの手首で爆ぜたが、魂を分かつ彼の術は命中すれどもその効果を刻めるとは限らず、
「いい事なら、私達としましょう? ……そう、殺し合いをね」
『そーゆーコト? イイけどね、ちゃんと『殺し合い』になるんならさ!』
 艶めく笑みとともに月音が撃ち込む幸運の星は悪戯に哂い返した邪精の炎で相殺されて、眩く弾けた星と炎の輝きの裡から少年が躍り上がる。巨大な剣と破壊力が描き出すは凄絶な威力の十字、月音を叩き潰さんとしたそれを、
「なりますとも。さあ、貴方も上手に踊ってみせてくださいな!」
 薔薇色のドレスのなりをしたケルベロスコートの裡で凛と咲く護りで大幅に殺して受け、強気に笑んだアイヴォリーが御業で氷ごと彼を鷲掴みにし、銀の光が奔ったと見えた刹那、流れるような魔術切開とともに撃ち込まれて共鳴するショック打撃と癒し手の浄化が天使の負った痛手も毒も吹き飛ばす。
「俺の前で誰一人とて、斃せるとは思うなよ」
 仮令――と続く言葉は胸に秘め、一瞬で神業めく魔法手術を施してみせた奏多は、お行儀良く相手する必要など無かろう? とばかりに髪を崩して、タイも外して敵を見据えた。
 月音が七割はあるかと踏んでいた己の命中率は四から五割、だが精鋭陣の様子からすれば彼らは八割程度の命中率を確保できているらしい。敵が特別に強いわけではないのだ。
 ――どうやら私には、自分を高く見積もりすぎる傾向があるようね。
 しかも今宵の狙撃手達には『序盤に狙撃手から足止め』という定石を一切期待できない。厳しいわね、と眉を寄せたが、
「つ、月音さん、こ、これを……!」
「助かるわ、ウィルマ! さあ、あなたの傷痕、暴かせてもらうわよ」
 紅輝く鋼糸で鎖の守護魔法陣を描いていたウィルマが掌中のパズルから光の蝶を贈れば、月音は此方もケルベロスコートたる漆黒のドレスの隠しスリットからナイフを閃かせ、敵の心の傷を三重に呼び覚ます惨劇の魔力を叩き込む。任務の流れも理解していなかった朋恵が跳び込んできたのはここに至ってようやくでのこと。
 初任務ゆえの不慣れならまだしも、先入観と既成概念で判断し詳細の確認を怠るという、任務に『馴れて』高を括った者のごとき失態の結果であるから弁解の余地が無い。
 然れど、全員で一丸となって――とはいかずとも、隙無く戦術を織り上げてきた精鋭陣が確実に少年シャイターンを追い詰めていく。
 仲間と連携できぬ最も狩りやすい獲物と見做された朋恵を狙った炎を受けたウィルマが、尻尾の輪で狙撃するウイングキャットと呼応して放った猟犬縛鎖。巨大な剣を、それを操る腕を捕えた主従の連撃に少年が大きく顔を顰める様に、
「実年齢は知らないが、お前の心も子供なら――まだ魔法は難しいみたいだな?」
『なっ……!!』
 その弱点を見極めたティアンが図星を衝かれた顔の敵の懐へ跳び込み、喉元へ突きつける幻は、忘れたくなかった記憶を、傷痕を思い起こさせ、三重にその癒しを阻むもの。彼女の幻そのものは魔法ではなかったが、
「了解ですティアン、それなら冷たい魔法の円舞曲に誘って差し上げる!」
「抜かりないネ、ティアンちゃん。そンじゃオレも魔法ラッシュに乗らせて貰うヨっと!」
 繋がれた機を掴みとったアイヴォリーが戦場に踊らせるのは鶉ではなく少年の骨肉を挽き刻んで冷気とともに渦巻かせる禍渦(ガランティーヌ)の魔法、不敵な笑みを覗かせ自身が纏う彩雲めいた光を握り込んだキソラも、威力絶大な魔力砲のごとき超音速の拳で容赦なく氷を抉り込みつつ敵を吹き飛ばし、
「魔法を解するには教養が必要だしね? これはボクからキミへのプレゼントだ!」
 こういう戦い方もあるのかと歴戦の仲間達に学びつつ、ヴァイスハイトも鋭き槍のごとく奔る漆黒の残滓で敵に魔法毒を撃ち込めば、苦悶の呻きを洩らす少年が巨大な剣を禍々しい形態へ変じたが、
『……!! 何コレ、どーゆーことなわけ!?』
「強力な癒しで回復して形勢逆転、なんざ在り得ないってな。そういうコト」
「ええ。『殺し合い』も最初だけだったみたいね?」
 ティアンの刻んだ幻がいかなる記憶で治癒を阻んだのか、劇的に癒しを殺された少年へと眼鏡越しのアイスブルーを細めて見せ、奏多が撃ち込む極小の星が癒し手の破魔で剣を貫き敵の胸を穿って神殺しのウイルスで冒せば、星餐会を邪魔してくれた報いよと笑んだ月音が幸運の星を直撃させ、魔法で三重に彼の護りを穿つ。
 ――星空が好きだから、今夜の催しを楽しみにしていたの。
 アペリティフで語った言葉は、決して嘘ではなかったから。
 彼らは無駄に命を散らしてばかりで選定を成功させたことがないと思えるが、炎彩使いを思えばこの種族が選定の権能を持つのは疑いようもない。選定に想うところはあれど、
「今はお前を、散らすだけだ」
「星空の舞踏会がおじゃんになるなら、せめて花火でも見たいしネ」
 花のごとくティアンが咲かす光の剣、なれど影奔るかのごとき斬撃でいっそう氷を深めて護りを暴けば、キソラが迸らせる氷炎の地獄が少年へと染みて、一瞬の炎嵐が鮮烈な輝きを咲かせ、その命すべてを炎と変えた少年が爆ぜる光となって散り消える。
 ――じゃあね、
 胸裡に詠唱を谺させて振り仰げば、潤むような瑠璃色に銀を鏤めた星空が迎えてくれた。

作者:藍鳶カナン 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2020年8月30日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 1/感動した 0/素敵だった 5/キャラが大事にされていた 1
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