土用の鰻と渋団扇

作者:坂本ピエロギ

 都会の雑踏から程近い、とあるアーケード街の一画。
 店を畳んで久しい鰻屋の片隅に、古びた鰻焼き器が打ち捨てられていた。
 年季を感じるステンレスのボディは所々に錆が浮いて、もはや役目も果たせそうもない。そんな機体の隙間に、そっと潜り込んだ影があった。
 何処からか現れた、小さな蜘蛛型のダモクレスである。
『キリキリ……キリ!』
 そうして鰻焼き器はヒールの光に包まれ、人型のダモクレスへと姿を変えた。
 頭には白い鉢巻、手には古びた渋団扇。胸部の排気口から噴き出す煙から香るのは、食欲をそそる焼き鰻のそれだ。
『ウナギィィィ! オイシイヨー!!』
 そうして生まれ変わったダモクレスは、威勢の良い声をあげて店を飛び出していった。
 人々の魂に眠る、重力の鎖を求めて。

「今日は土用の丑の日っすね。そろそろ暑さも本番、美味しい鰻が恋しいっすけど……」
 折あしく、そんな鰻絡みの事件が予知されたと黒瀬・ダンテは告げた。
 とあるアーケード街の廃店舗で、鰻焼き器がダモクレス化するというのだ。この敵が人々を手にかける前に、急ぎ撃破を頼みたい――それが依頼の内容だった。
「事件が起こるのは夕刻っす。店の脇にはちょうど広い駐車場があるんで、戦闘のスペースは問題ないっすね。皆さんが着く頃には、周辺の避難も終わってるっす!」
 敵は渋団扇の突風で保護を吹き飛ばしたり、催眠効果のある鰻の煙を放ったりして攻撃してくる。元が火を扱う機械だった故か、高い火力を誇るようだが、油断しなければ苦戦することはないだろう。
「強いて言うなら鰻の匂いっすかね。戦場は結構いい匂いが充満すると思うんで、無事に戦いを終えた後は、ちょっぴりお腹が空いちゃうかもっす。……けど!」
 その点は心配無用だとダンテは言った。
「実はっすね。現場近くの繁華街に、すっごく美味い鰻が食える店があるんすよ!」
 小さいながらも隅々まで手入れの行き届いたその店は、サービスや味の良さは勿論の事、太く活きの良い鰻を使うことで有名なのだという。鰻の身はふっくらと柔らかく、脂の旨さが芯までしみ込み、一口食べれば病みつきになること請け合いだ。
 品書きは、うな重とひつまぶしの二つ。
 うな重は言わずと知れた鰻料理の代表選手で、大きな重箱に敷き詰められているのは御飯と鰻の贅沢な二段重ね。艶やかな御飯を覆い隠すほどの、肉厚で大きな二匹づけの焼き鰻は正に圧巻の一言に尽きる。
 ひつまぶしはお櫃に盛った御飯の上に、切り分けた鰻をたっぷり載せたもの。そのまま食すのも良し、ネギや海苔、ワサビなどの薬味を添えて、出し汁でお茶漬け風にする選択肢もまた捨てがたい――。
「ふっふっふ。さて皆さん、準備はいいっすか?」
 そうしてダンテは説明を終えると、ヘリオンの搭乗口を開放した。
 ケルベロス大運動会に、対デウスエクスの任務。忙しい日々が待つ8月を、美味しい鰻で力をつけて一気に乗り切っていこう。
「かつて大勢の胃袋と心を満たした鰻焼き器……彼が人々の幸せを奪う前に、どうか安らかに眠らせてやって下さいっす。それじゃ、出発するっすよ!」


参加者
イリス・フルーリア(銀天の剣・e09423)
タキオン・リンデンバウム(知識の探究者・e18641)
湯川・麻亜弥(大海原の守護者・e20324)
七隈・綴(断罪鉄拳・e20400)
ラルバ・ライフェン(太陽のカケラ・e36610)
カロン・レインズ(悪戯と嘘・e37629)
シャムロック・ラン(セントールのガジェッティア・e85456)

■リプレイ

●一
 茜色の薄暮が、無人のアーケード街を照らす。
 軒を連ねる店々の片隅、シンと静まり返った鰻屋の廃店舗。その外壁が突如弾け、中からぬっと姿を現したのは、古びた渋団扇を手にした鰻焼きダモクレスであった。
『ウナギイィーッ!!』
 殺人鰻焼きマシーンの咆哮が、甘辛い芳香に乗ってアーケードに響く。
 俺を縛るものは何もない。この力で世界の全てを蒲焼きにしてやる――。
 未だ満ちぬ重力鎖を求めて、ダモクレスが繁華街へと歩を進めようとしたその時。番犬の群れが一斉に地上へと降り立ち、行く手を立ち塞いだ。
「ダモクレス、此処から先は通さねえ!」
 降下した駐車場で仲間と陣形を組んだラルバ・ライフェン(太陽のカケラ・e36610)は、高らかにそう告げる。渋団扇を握るダモクレスを、真っすぐ睨み据えながら。
「よりによって土用の丑の日に、鰻の……鰻の……」
『ウナギィ……』
 ぱたぱた。
 ぱたぱたぱた。
 駐車場を満たす匂いに、ラルバと番犬達はついゴクリと生唾を呑んだ。
「うぐ。や、やばいぜこの香り……!」
 ほんのり焦げた甘辛タレ。そこに絡んだ皮目の脂。それは極上の蒲焼きの香り。
 早くも疼き出した胃袋を、イリス・フルーリア(銀天の剣・e09423)は叱咤する。戦いの前から心理的主導権を握りにかかる、これは恐るべき強敵だ――!
「こ、こんな誘惑には屈しません! 銀天剣、イリス・フルーリア――参ります!」
『ウナギィ! オイシイヨー!』
 凛とした声で、刀の切先を突きつけるイリス。
 ダモクレスもまた番犬を敵と認識したのか、胸部の排気口を唸らせ攻撃態勢を取った。
 充満する蒲焼の匂い。どこか牧歌的な戦いの幕開けである。
 イリスは瞬時に意識を切替えると、一跳びでダモクレスとの距離を詰めた。敵は火力に優れる個体、1秒たりとも自由にさせるのは危険だ。
「そこ!」
 月光斬の軌跡を描く白刃が、鈍い手応えと共に火花を散らす。一分の隙も与えない猛攻。そこへ湯川・麻亜弥(大海原の守護者・e20324)も加勢する。
「これで、凍えてしまいなさい」
 麻亜弥は青々たるバトルオーラで礫を形成し、達人の指捌きでばら撒いた。命中した礫が氷に変じ、ダモクレスの体を覆っていく。このペースで押せれば――そう思い、番犬達が攻勢を強めようとした刹那であった。
『ウナギィ!』
 ダモクレスが怒りの咆哮をあげ、団扇片手に誘惑の煙を浴びせかける。
 標的は中衛。麻亜弥と息を合わせ、番犬鎖の魔法陣で前衛を包んだシャムロック・ラン(セントールのガジェッティア・e85456)だ。
「ぐうぅっ!?」
 鰻の香りを帯びた煙を浴びるシャムロック。彼の脳裏に描き出されたのは、焼き上がったばかりの蒲焼きだった。ふっくらとした身の裏側、皮目は焦げ跡の1つも見当たらず、歯を立てればカリッと香ばしい――。
「あ……っ、ちょ、この攻撃は反則じゃ――」
「まずいぜ、催眠の煙だ!」
 足元がふらつき始めた刹那、ラルバはすぐに動いた。
「タキオン、シャムロックを頼む! 前衛の支援は引き受けた!」
「任せて下さい。緊急手術、開始」
 最後列のタキオン・リンデンバウム(知識の探究者・e18641)が、流れるような動作でウィッチオペレーションを発動した。グラビティで生成した除細動器が唸り、負傷と催眠を叩き出す。正気を取り戻したシャムロックは番犬鎖を握り直して、
「サンキュっす。にしてもあの煙ヤバいっすね……!」
「ああ。現役の時はうまい鰻焼いてたんだろうな」
 ラルバは神聖なる『再生の力』を集結させながら、頷き返した。
 手入れの行き届いた体。上質な鰻の香り。きっとあの機械は、今まで沢山の人達に幸せを届けてきたのだろう。なればこそ、終わらせなければ。彼がその手を血に染める前に。
「さあ、気合い入れていくぜ。――聖なる力、みんなに宿れ!」
 ラルバの力が聖なる龍の如き姿に変じ、護りとなって仲間達の身を覆った。
 それを合図に、後衛からは狙撃手の二名がエアシューズで加速を開始する。
「鰻料理を食べるのって凄く久し振りだな……ご馳走のためにも頑張らないとね!」
 右手からはカロン・レインズ(悪戯と嘘・e37629)。
 相棒のミミック『フォーマルハウト』が放り投げる愚者の黄金による支援を受けて、
「さぁ、黄金騎使がお相手しよう」
 左てからはアンゼリカ・アーベントロート(黄金騎使・e09974)。
 騎士とてご馳走で英気を養う日があってよいだろう、それが今日というものさ――そんな気構えを胸に、月のように怜悧な光を得物に宿して、
「この一撃で!」「止まってもらおうか!!」
 カロンとアンゼリカの流星蹴りが、X字の軌跡を描いてダモクレスの足にめり込んだ。
 メキッという鈍い手応え。直撃を浴びたダモクレスの脚部が破損しパーツをぶちまける。七隈・綴(断罪鉄拳・e20400)は更なる追撃で、両掌に凝縮した気の力を一気に解放した。態勢を立て直す時間は与えない、一気に攻め込むのだ。
「身体を巡る気よ、私の掌に集まり敵を吹き飛ばしなさい」
 裂帛の気合で放つ綴の『練気掌波』を浴びて悶絶するダモクレス。
 こうして番犬達は怒涛の如き攻撃で、敵を防戦に追い込んでいった。

●二
 戦闘開始から数分、両者の戦いは更に激しさを増していく。
『ウナギイィーッ!!』
「させません」
「なんの、こんなモンで倒れるかよっ!」
 渋団扇の突風が前衛を捉えた。すぐさま飛び出た盾役の綴とラルバは、状態異常の耐性が吹き飛ぶのも構わず、一歩も譲らない構えである。
「雷の障壁よ、仲間を護る盾となれ」
 タキオンは避雷針の雷壁でふたたび前衛に保護を施しながら、敵の状態に注目した。
 アタッカーの猛攻を序盤から浴びた事で、その体は傷と凹みで一杯。胴体は氷に覆われ、脚部は破損して回避も覚束かず……状態異常を癒す術を持たないダモクレスに、相当な量のダメージが蓄積しているのは一目瞭然である。
『ウナギィ!』
「音速の拳を、見切れますか?」
 火力調整で得た妨害力の強化を、麻亜弥は音速拳で直ちに破壊する。
 攻撃の合間に行われるヒールは地味に厄介だ。何とかして回復力を削いで、一気に決着をつけたいところだが――。
「では、そろそろ『あれ』の出番でしょうか」
「鰻重が、ひつまぶしが、自分達を呼んでるっす。張り切っちゃうっすよ!」
 そうして動いたのは、カロンとシャムロック。
 二人はダモクレスから距離を取ると、切札たるグラビティの発動態勢に入る。癒しの力を削ぎ落し、一気に決着をつけるのだ。
 攻撃の気配を察し、ダモクレスが迎撃の態勢を取る。
 しかし彼の眼をアンゼリカの眩い光が照らしたのは、まさにその時だった。
「慄くといい、我が光の前に!」
『ウナギィ!?』
 『凍れる光』を浴びたダモクレスが重圧でガクンと膝をついた瞬間、綴が放ったオーラが大器晩成撃となって、脇腹めがけ叩き込まれる。そうして氷に覆われ悶絶するダモクレスを狙い定め、カロンとシャムロックが、動いた。
「覚悟の是非を問う必要もなかろう。許す可能性など皆無なのだから」
「ここらでちょいと一休みなんて如何っすか?」
 カロンが放つは、数多の礫に変じた重力の魔弾。
 戦場の操者たるシャムロックが奏でるは、異形の蹄で響かす音色。
 魔弾と蹄のデュエットで回復を封じられた鰻焼き器めがけ、ラルバはガントレットの内蔵エンジンで急加速。傷だらけのボディめがけて重拳の撃を叩き込み、満身創痍となった敵に語り掛けた。
「お前、皆の笑顔のために頑張ったんだろうな。お疲れさんだぞ」
『ウナ、ギ……』
「さあ、幕引きと参りましょう」
 イリスは時空魔法を詠唱し、全身から黒い煙を吐き出すダモクレスを狙い定めた。
 せめて最期が安らかであるよう願いを込めて、空間を捻り上げる。
「時空歪めし光、汝此れ避くるに能わず!」
 『漆』の魔弾・歪光。彼我の距離を縮める光弾が、鋼の半身を吹き飛ばした。
 空気が爆ぜる音と共に、心臓部を喪失したダモクレスが爆散。そうして役目を終え、今度こそ眠りについた鰻焼き器に、イリスは静かに黙祷を捧げる。
(「お休みなさい。どうか安らかに」)
 現場の修復が完了したのは、それから数分後の事であった。

●三
「すいませーん、八人で。鰻重とひつまぶし、五人前お願いっす!」
「全部特上で頼むぜ! タキオンはどうするんだ?」
「そうですね、綴さんと麻亜弥さんは? ……では鰻重の特上を、三人前追加で」
「ミミックの同伴は……あっ、大丈夫ですか? ありがとうございます!」
 こうして繁華街の鰻屋を舞台に、番犬達の夕餉が幕を開けた。
 案内された白木のテーブルに、程なくして運ばれて来たのは堂々たる鰻重。漆塗りの蓋を恭しい手つきで開けた瞬間、イリスのお腹が思わずグゥッと鳴る。
「こ……これは凄いです……!」
 その一言に、同席の仲間達も無言の頷きで同意を示した。
 タレの染みた御飯の上に堂々たる佇まいで鎮座するのは、立派な鰻の蒲焼きだ。重箱の端をはみ出す長さの尻尾がふたつ、行儀よく折り返されて並び、鰻を包む蠱惑的な飴色の照りがダイレクトに胃袋へ訴えかけてくる。
「これは……確か下にもう一段、鰻があるんですよね?」
「ええ、これは最高です。フォーマルハウト、後で少し分けてあげるね」
「ああ、これぞまさに至福というやつだ」
 恐る恐る尋ねるイリスの横で、手を合わせて鰻重を拝むカロン。アンゼリカも陶然とした表情を浮かべ、タレにきらめく鰻の身を見つめている。
「さあ、食おうぜ。冷めちまう前にな!」
「うひゃあ、美味そうっすねえ……!」
 そうしてラルバとシャムロックが箸を取るのを皮切りに、番犬の宴が幕を開ける。
 甘辛いタレの仄かに焦げた香ばしい匂い。舌の上で鰻がほどけ、甘辛いタレに乗った上品な脂が口内にふんわりと広がる。何という幸せだろう――戦いの傷も疲労も、あっという間に吹き飛んでいく。
「堪りません、このお味……!」
 イリスはお行儀の悪さを承知で、二段重ねの鰻と御飯を頬張った。
 確りとした肉の味。次いで山椒のピリッとした刺激。優しく濃厚な脂の風味がゆっくりと追いかけてくる。合間に啜る肝吸いも、これまた立派なものだった。肥えた肝のほろ苦さは更なる食欲をそそり、舌鼓の音はますます軽やかなものへと変わる。
「……っ! いいです、幸せ……♪」
 お腹をペコペコにして来た甲斐があった――。
 そうしてイリスが恵比須顔で微笑む向かいでは、タキオンも黙々と鰻重を口へ運ぶ。
「柔らかな身に、芳醇な香り。たまらないですね」
 鰻はどれも身が厚い。そして肉も締まっている。
 箸で持っても崩れること無く、口の中で顎に力を加えれば、微かな抵抗と共にホロホロと潰れるのだ。そうして滲み出る脂がタレと混ざり、粒の立った御飯と共に三位一体の美味を醸し出す。これはまさに、
「どれを取っても一級品ですね」
 タキオンの呟きに、綴と麻亜弥が無言で頷きを返した。
 完全に食事に専念している故か、口数は皆無。ようよう返事をするように口を開き、
「どうしましょう……美味しすぎてお箸が止まりませんね」
「ええ困ります。困ってしまいます」
「土用の丑の日に食べる鰻……本当に格別です……」
「ええ……これぞ口福の極致ですね……」
 そう言ったきり、再び鰻を口へと運び始める。
 お茶で喉を湿らせ、吸い物を啜る。夏野菜を漬けた香の物も、丁度良い塩加減だ。
「フォーマルハウト、味はどうだい? 後でお店の人に美味しかったって伝えようね」
 相棒に欠片をお裾分けしつつ、カロンもまた鰻重を堪能する。
 お茶をお供に、のんびりマイペースで鰻を味わいながら、同時に仲間と過ごすひと時を満喫していた。共に戦った面子と賑やかに卓を囲めば、それだけで何倍も美味しくなる。
「くーっ、うめえーっ! 鰻重最高だぜ!!」
「もうすぐ大運動会っすからね。腹が減っては戦が出来ぬ、って奴っす!」
 一方ラルバとシャムロックの重箱は、早くも空に近い。
 かたや育ち盛りの元気な少年、かたや巨大な馬体を誇るセントールの青年である。彼らの頼もしささえ感じさせる食いっぷりに、周りの空気も大いに華やいだ。
「舌に蕩ける食感はまさに特上の味。程よい味のタレと良く絡み、幸せを満喫する――」
 重箱に残る鰻を名残惜しそうに噛み締めて、ほっと溜息をつくアンゼリカ。幸福の余韻に浸りつつお茶で胃袋を温めていると、そこへ第二弾が運ばれて来る。
「ご到着だな。……さて、行こうか」
 ひつまぶし――次なる『強敵』と一戦交えんと、黄金騎使は静かに背筋を伸ばした。

●四
 御飯と鰻を敷き詰めた漆塗りの櫃。お供をするのは山葵に葱、刻み海苔だ。徳利から香る温かい出汁は、嫌が応でも食欲を刺激する。
「すげえ……美味そうだぜ!」
 初挑戦となる鰻料理に、キラキラと目を輝かせるラルバ。
 ざく切りの鰻が、御飯の上にぎっしりと敷き詰められた眺めは、それだけで見る者の心を圧倒する。甘辛いタレを幾度も塗しては焼き、丁寧に仕上げた逸品――正直、食すのに些か罪悪感さえ覚えてしまいそうだ。
 一杯目は御飯と鰻を茶碗によそい、いざ実食。
 一口頬張るなり、イリスの頬がゆるりと綻んだ。
「ああ……ふふっ……ああ……!」
 香ばしい皮。柔らかい身。感激に言葉が出て来ない。
 特上の名に恥じぬ太い身ながら、上品な脂は風味を全く殺していない。濃厚さと上品さの両立した見事な味だった。自腹で頼むひつまぶしは普通ならば尻込みしそうな金額だったけれど、こうして味を知った今となっては、むしろ安いとさえ感じてしまう。
「葱と刻み海苔の組み合わせも実に良いね」
「後に残らない、サッパリとした脂との相性がまた……最高です」
 アンゼリカとカロンが二杯目に箸を伸ばした。
 三つ葉を散らした肝吸いを啜りつつ、黙々と舌鼓を打つ。葱の歯応えと、海苔が放つ磯の香りが鰻の味に彩を添え、箸も大いに進んだ。
 ラルバもまた一杯二杯と元気に平らげ、三杯目へと手を伸ばす。
「んーと、薬味入れて茶漬け風にするんだな! いっただきまーす!」
 温かい出汁と山葵と刻み海苔、それらと混然一体になった鰻。その味はまさに極楽だ。始めて食するひつまぶし、その幸福な心地をラルバは静かに味わった。
 一方シャムロックが堪能するのは、白焼きのひつまぶしだ。実山椒を漬けた醤油を白い身にひと垂らし。それが肉と脂の美味さを何倍にも引き立ててくれる。
(「ああ、食べ終わるのが惜しいっすね……」)
 ツンと香る山葵を添えて、啜り込む鰻の茶漬け。
 最後の一杯にどこか甘い感傷を覚えながら、シャムロックは思う。
 思い切り精をつけ乗り切ろう。今年の夏と、そしてケルベロス大運動会を――と。
「うっし。ご馳走さんでした!」
 感謝と共に、手を打ち合わせるシャムロック。
 任務を終えた番犬達は、こうして静かに満足の息を吐くのだった。

作者:坂本ピエロギ 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2020年8月9日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 5
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