朝靄

作者:藍鳶カナン

●朝靄
 夏の夜と朝のあわいも、夢のように美しかった。
 艶めく夜闇がほのかな光に透きとおっていく頃合、何処までも深く澄んだ青に染まる空を仰げば濃いブルーキュラソーに溺れた心地がして、竜の翼で翔ける空から眼下を見遣れば、世界のすべてが優しく霞みがかった群青の濃淡で彩られている。
「……と思ったら、本当に霧がでてきたみたいですね、ネレイド」
 傍らを飛翔する白梟に微笑んで、カルナ・ロッシュ(彷徨える霧雨・e05112)は緩やかに空から眼下の草原へと舞い降りる。ふうわり揺蕩う朝霧、あるいは朝靄が全身を撫でていく感覚が心地好く、着地すれば夏草からその香りと朝露が跳ねる様も楽しくて。
 日出の直前、静的な青が世界を彩る、ブルーアワーと呼ばれるひととき。
 青の世界に白い靄が紗をかける様は幻想的で、靄の向こうに見える人影も夢のよう――と翡翠の双眸を細めた瞬間、
「ネレイド!?」
 唐突に白梟が魔法の杖に転じた。掌中に杖が納まる感覚に、カルナは己が無意識に戦いの予兆を感じ取っていたことを悟る。朝靄がゆるり薄れていく先に光が見える。
 光と感じる、白の少女。
『見つけた。次の贄には、あなたがいいわ』
 花のごとく可憐な少女は、真実、花だった。
 肩や胸元には白百合の花を咲かせ、髪から覗くのは耳ではなく百合の葉の緑。純白の翼と見えたものも、大きな大きな、幾枚もの百合の花びら。
 攻性植物。意識にその言葉が染み渡れば、数多の色彩を得たはずの心が白に覆われた。
 過去の記憶は失われた。それなのに胸の奥の遠い何処かがざわめいて、胸元の懐中時計を握りしめずにはいられない。耳鳴りがする。
 あの日僕は、声を枯らして叫んで、必死に手を伸ばして。
 然れど、彼が記憶の空白に呑まれていく様を気にする様子もなく、花の少女が告げる。
『ほんとうは女の子が……少女がいいみたいなの。けれど、あなたがいいと思ったから』
 だから、いのちを、ちょうだい。
 一日のうちにブルーアワーは二度訪れる。
 黄昏、すなわち誰そ彼どきの日没直後と、そして。
 今このとき、日出直前の明け方の――彼は誰どき。
 彼は誰どきに無垢なる殺意を向けてきた少女へ、カルナは震える声を絞りだした。
「あなたはいったい……」
 ――誰なんですか?

●宿縁邂逅
 記憶が失われても、決して喪われぬ宿命の縁。
「――いや、寧ろ記憶が失われても魂を掴んで離さないからこそ、『宿縁』なんだろうね」
 天堂・遥夏(ブルーヘリオライダー・en0232)が告げたのは、カルナが攻性植物の少女に襲撃される未来予知。彼にとっては失われた過去の記憶を揺さぶられる存在であるようだが二人きりの時を許せば記憶どころか彼の命が喪われる。
「例によってカルナさんへの連絡は完全に不通。だから今すぐに動けるってひとはこのまま僕のヘリオンにお願い。飛ぶよ、二人が邂逅する草原へ」
 彼の救援と、彼女の撃破をお願い――と遥夏はケルベロス達に望んだ。
 戦いの舞台となるのは夜闇が光に透きとおっていく頃合の、誰もいない草原。
「元々ひとけの少ない時間帯ってのもあるけれど、間違いなく敵も余人を近づけない魔法か何かを施してる。誰も巻き込む心配はないから、全力で戦ってきて」
 全速でヘリオンを飛ばすが、恐らく敵に一手を許すことになるだろう。
 その前提で策を練って欲しいと遥夏は言を継ぐ。
「敵が揮うのは、白い霞で麻痺を齎す範囲魔法と、癒えにくい傷を刻む百合の花弁の斬撃、そして癒しと浄めの水を招くヒール。この水の効力が凄く高いから、メディックだね」
 攻撃には破魔が乗り、癒しの水は二重の浄化を孕む。
 侮ってかかれば皆の救援があっても苦戦は必至、決して油断はならない相手だ。
「敵は恐らく、少女に攻性植物が寄生した存在。だけど、その身体はもう完全に攻性植物ととけあってるから、少女を救うことはできないし、倒せば攻性植物も少女も消える」
 少女の意識は魂はもはやそこに存在しないのか、あるいはそれすら攻性植物ととけあっているのか。いずれにせよ相手が自ら己のことを語ることはあるまい。カルナと何か関わりがあるのだとしても、彼自身が記憶を取り戻さねば、真実は変わらず霧のなか。
「仮に、今回のことがきっかけでカルナさんの記憶が戻るとしたら……それが今の彼にどう影響するのか判らない。けれどあなた達なら彼の命も心も救って、確実に敵を撃破してきてくれる。そうだよね?」
 さあ、空を翔けていこうか。朝靄に抱かれた夜明けの世界へ。
 白のむこうから現れた花の少女と相対する、竜の青年の許へ。


参加者
ティアン・バ(梦が攫うさ・e00040)
伏見・勇名(鯨鯢の滓・e00099)
華輪・灯(幻灯の鳥・e04881)
カルナ・ロッシュ(彷徨える霧雨・e05112)
パトリシア・シランス(紅蓮地獄・e10443)
ジェミ・フロート(紅蓮の守護者・e20983)
ジェミ・ニア(星喰・e23256)
エトヴァ・ヒンメルブラウエ(フェーラーノイズ・e39731)

■リプレイ

●朝靄
 喩えていうなら、真白な雲が光にふれて、彩雲となるかのように。
 空虚だった心にいつしか満ちていた数多の想い出、それが白い靄に呑まれていく。冷たい白の向こう、記憶の空白の彼方から押し寄せる耳鳴りが突如、絶望の叫びとして色を成す。
 あの日僕は、声を枯らして叫んで、必死に手を伸ばして。
 ――貴女を、呼んで。

『わたしが誰かなんて、どうして、訊くの?』
 夢のように美しい青の世界、夜と朝のあわいにかかる白い靄のなかで少女が不思議そうに小首を傾げた刹那、優しい薄群青を数多の純白が斬り裂いた。天使の翼から柔らかな純白の羽毛が舞ったとカルナ・ロッシュ(彷徨える霧雨・e05112)が錯覚したのは一瞬のこと、
「……!」
 涼やかな青の世界に乱舞したのは鋭き白百合の花弁、水面めく光沢を孕む外套が急所から幾枚もの花弁を逸らし、護り手として咄嗟に翳した腕を彩るカランコエがベル咲きの花々を揺らす。たくさんの小さな思い出、花言葉が脳裏に閃いた瞬間、胸裡に数多の色彩が甦る。今の、そして、過去の。深手は免れたものの白百合に裂かれた傷から夥しい鮮血が舞う。
 あの日も僕は血にまみれて、貴女を助けられなくて。
「貴女は僕を護って、そして――!!」
『……そして?』
 湧きあがる感情を裂帛の叫びに、癒しと浄化と成すが最も美しく裂けた傷が癒しを拒む。淡々と訊き返す少女がすべてを白い靄で呑まんとする。心と身体の感覚を奪い去る、白。
 然れど、
「そして、今日は私達が、悲しみからカルナさんを護るんです!!」
 虚無の白に覆われた視界に突如、春色が射した。
 夜明けの空から弾丸めいた勢いで降下した華輪・灯(幻灯の鳥・e04881)が両腕も春緑の天使の翼も広げてカルナの盾となる。途端に咲き溢れるのは灯の想いが咲かせる羽と優しい緋色のベル咲きカランコエ、前衛陣に癒しの環を描く花々は皆の心と共鳴し、
「カルナさん大丈夫だよっ! 私達がいるから! 必ず護るから!」
「一緒に戦うです! 奪わせませんからね、僕らの大切な仲間を!」
 朝露に濡れた夏草に降りた瞬間、ジェミ・フロート(紅蓮の守護者・e20983)が鮮やかな赤のツインテールを翻し、遠心力を乗せた鎚から誰より確かな狙いで轟竜砲を撃ち放てば、紅きライドキャリバーに麻痺の朝靄から護られたジェミ・ニア(星喰・e23256)が馳せた。神速の軌跡を描くは彼の白とも見ゆる金の髪、そして同じ彩に輝く稲妻、
「良くやったわ相棒! べっこべこになってもカルナとみんなを護るのよ!」
 竜砲弾と稲妻の矛が少女を直撃したなら、仲間の盾となった愛機を鼓舞したパトリシア・シランス(紅蓮地獄・e10443)も鮮烈な紅の軌跡を描く。確実に狙い定めた縛霊撃が優しい青の世界に花咲く少女を捉えた。美しい夜明けに邂逅した竜の青年と花の少女。
 ――あなたたちは、美しい縁で結ばれているの?
「カルナ、どうしたい? 何でもいいぞ、したいように言ってくれたらいい」
 花開いた霊力の網が少女を縛めた瞬間、ティアン・バ(梦が攫うさ・e00040)がカルナの背にそっと心を添えるよう、強大な癒しの気と二重の浄化を注ぎ込めば、続け様に勇ましい爆音が響く。青と白の世界に、カルナの心に華やかな色彩を添える伏見・勇名(鯨鯢の滓・e00099)の爆風が前衛陣の力を幾重にも高め、
「カルナはふわんで、ほわん。ふわんほわんを、こわさせない。そして、そののぞみを」
「叶えるための、助太刀に来まシタ。この方が何者デ、あなたが何を感じたとしてモ」
 ――俺たちハ、あなたの友。
 確と心を伝えたエトヴァ・ヒンメルブラウエ(フェーラーノイズ・e39731)が星の瞬きを連れた銀鎖を奔らせ、前衛陣に幾重もの守護魔法陣を描き出した。彼と勇名が燈した加護は少女の破魔でも容易く無になりはしない。心の芯に七彩の光が寄せ、空虚な白を押し流してくれる心地でカルナは携行砲台を展開する。
 望みは明確な言葉にならず、それでも皆には伝わると信じて、
「ありがとうございます、皆さん! 僕に、力を貸してください――!!」
 少女と真っ向から向き合い、眩い砲撃を迸らせた。
 砲撃を追って躍り込むは桜色ブランケットをショールのごとく舞わせた灯、
「今ならカルナさんに拘らなくてもいいんじゃないですか? ここにも乙女がいますよ!」
『ほんとうね。やっぱり、女の子がいいかしら』
 灯と勇名、ティアンへと瞳をめぐらせた少女の背から羽根のごとく舞った白百合の花弁が正面の灯へ襲いかかったが、花環を連れて跳んだウイングキャットが主の盾となる。斬撃に強い翼猫と即応するティアンの癒しを信じて指を踊らす釦、花香る遠隔爆破は少女の朝靄に相殺されるも、煙と靄の白を赤き流星が貫いた。
「ここは任せて! 攻撃が当たるなら、皆は必ず負けないから!」
「んうー、あかジェミがいいこと、いった。あたるなら、ぼくたちは、まけない」
 赤を金銀が彩る装束、纏う鮮やかさそのままに赤きジェミが星の重力で少女に楔を打てば応えた勇名が幾つもの丸鋸の刃を解き放つ。激しく回転する鋸刃が刻む創傷は少女の癒しを三重に阻むもの、
「勇名さんとエトヴァのアンチヒールがあれば、戦いも長引いたりしないのです!」
 機を繋がれた白きジェミが撃つ輝きが勇名の彩風の力も乗せた気咬弾となって花の少女へ喰らいつく。敵とはいえ徒に苦しめたくなかった。
 だって優しげな面差しや、慈しむよう淡く伏し目がちになる眼差しが。
 ――カルナさんと、似ている、気がするから。

●永遠
 雛鳥が空の飛び方を教わるように、時空を操る術は彼女から自然に学びとっていた。
 青の世界を斬り裂く純白の花弁、身体のみならず心の感覚も奪わんとする朝靄、それらを受けるたび、反撃するたび、記憶の空白に少女の微笑みが甦る。
 あれからどれほどの時が流れたろう。だが眼前の少女の面影は幼な心に燈る記憶のまま。
 ――望んでいた筈なのに、何故こんなに苦しいのだろう。

 意識は理路整然と戦術を組み立てる。身体も意のままに戦術を体現する。
 けれど一瞬ごとにカルナの心が軋む。星花咲く懐中時計を折に触れ握りしめる彼の指先が震えているから、その震えごと包み込む想いでティアンは己がゆびさきを彼に差し伸べた。紙吹雪のごとく舞う紙兵が彼ら前衛陣を癒し加護を燈す。少女の標的は自然にカルナと灯に絞られていた。それは朝靄で纏めて巻き込めるからか。
 ――あるいは、彼女の意識を特別に惹きつけるのが、この二人であったからか。
 苛烈な鋭さで白百合の花弁がカルナへ奔るが、灯の魔導金属片きらめく蒸気とエトヴァの守護魔法陣が彼を護って弾ける様を眼にして、赤きジェミは迷わず跳躍した。大切な存在は何時か消えると無意識に思っていた彼、皆との記憶が消えず重ねられていくことを有難いと微笑む彼、そんな友を全力で護りたくて、
「カルナさんのも灯さんのも、ここの誰のも、貴女に『命』は渡せない!」
「たとえあなたが『誰』であっても、それは絶対に譲らないのです!」
 遥か高みから正確無比な狙いで斧を打ち下ろす。本来なら頭蓋を割る一撃を背の白百合へ叩き込んだのは狙撃手ならでは。友の想いを掬い、少女の身体をなるべく傷つけまいとする破壊の一撃が思わず瞠目するほど盛大に花を散らす。流れるように時計の針めく槍を揮うは白きジェミ、迸らせた白熱の輝きが白鷺の姿を得て少女の腹部を貫けば、背の百合ばかりか胸や耳元の百合の葉も弾けるように散り、絶大な衝撃に少女が大きく傾ぐ。
 自陣最高火力のEgret(イーグレット)、予想を遥かに超える痛撃を齎したそれも。
「今の二つ! 弱点なんじゃ!」
「ですよね! 弱点、破壊攻撃です!」
 瞳を見合わす二人のジェミの声が響いた、瞬間。
 看破した弱点が真実である証左のごとく、少女が青き水瓶を捧げ持った。
『聖なる泉よ。わたしを、潤して』
 永遠に清さを失わぬと思える、澄んだ水が溢れだす。
 途端、総毛立つような畏怖が誰もの魂を貫いた。
 強力な癒しだとは聴いていた。それは少女が癒し手であるからで。だが、それに加えて。
 まるで、大いなる何かから、力を借り受けているかの、ような。
 ――然れど、その威が劇的に消える。激減する。
「……! 強力だけど、アンチヒールも効果絶大だわ! 赤ジェミ、足止めをお願い!」
「はい! 何度キュアされたって、何度でも捕まえてあげるからっ!」
 真っ先に己を取り戻したのがパトリシアであったのは軍属時代の鍛錬ゆえか、縛霊撃では見切られると踏んだ彼女が電光石火の蹴撃で少女を急襲すれば、赤きジェミが強く握り直す竜の鎚が咆哮した。
 自陣最高の命中率と相手の弱点たる破壊力をも備えた轟竜砲、数多の枷から逃れた少女を再び捕えた砲撃に続くは砂中の星を掌に抱くままティアンが握るリボルバー。相手の武器を破壊するクイックドロウが背に再生した花を砕き、
「あなたの求めるものハ、差し上げられまセン。俺の、俺たちの、仲間ですかラ」
 鏡映しの瞳に『攻性植物』を捉えたエトヴァが紅き煌きを織り上げる。
 空恐ろしいほどに強力な癒し、なればこそ己と勇名の治癒阻害が絶大な効果を発揮した。紅き煌きで織り成された網は少女の癒しを三重に阻む機を窺い、
「えとばのアンチヒールも、紅白じぇみ合戦がみつけた弱点も、これで、どかーん」
 無数に棘を咲かせたエクスカリバールを揮った勇名が、相手の災禍を幾重にも跳ね上げる破壊の一撃を叩き込んだ。痛打を受けた己を隠すように白百合から溢れだす朝靄に抗うのはティアンの癒し。
 忘れた記憶を取り戻して邂逅したひとを、誰より熱く激しく触れてくれた『彼』の面影を抱き、天上に続く門を開く。
「なあカルナ。記憶を喪ったままなのと、思い出すのと、どっちが幸せなんだろうな」
「……分かりません。でも、僕が取り戻したのが皆さんが来てくれた今だったことは」
 間違いなく、幸せです。そう続けて放つ幸運の星の軌道に乱れはなく、なのに、
 ――ティアンさんの、涙の門。
 光が広く共鳴する癒しを招く門の名が胸に燈れば視界が滲む。
「カルナ殿……記憶との、この方との邂逅、どうか悔いなきようニ」
 如何に波立とうとも友の心に添うと証すよう、柔らかな軌跡を描いたのは覚醒前の記憶を彼方へ置いてきたエトヴァの妖精剣。月長石の青光と踊るループタイ、それに合わせるよう少女を三重に呑む花嵐に重ねて、灯も妖精剣の花嵐を解き放った。もしも記憶を取り戻した彼の何かが変わるのだとしても、
「大丈夫。どんなカルナさんでも、私には大丈夫なんです。みんなだって、きっと」
 ――だからどうか、心が叫ぶままに、望むままに。

●昇華
 もしも何かが変わっても。今の記憶が消えてしまうとしても。
 私の傍からいなくなっても、カルナさんはきっとカルナさんで、どこかで綺麗な空を飛ぶから。その姿を想えば私も幸せになれるから。そうしていつか空で出逢ってこんにちはって満開の笑顔でいって、新しい想い出を始めていくから。眼の前の彼女とも、もしかたら。
 ――もしもあなたがあなたのままでいられたら。

「私達、友達になる未来もありましたか?」
 夜明けの世界に舞う花のなか、春色天使が花の少女へ手を伸ばす。
 少女からも、灯へ、手を――と見えた刹那、爆ぜるように白百合の花弁が舞った。まるで灯と少女の間を『攻性植物』が引き裂かんとするかのごとく。だが考えるよりも速く跳んだカルナが灯を背に庇う。熱く潤む視界の滲みはもう隠しようもなく、全身を斬り裂く花弁の切れ味は、最初より随分、鈍くて。
 もしも独りだったら。
 郷愁の至福と贖罪の誘惑のまま、彼女と一緒に潰えることを望んだかもしれない。
 けれど、また明日も皆の笑顔が見たいから。明日も、明後日も、そのさきも、皆とともに歩いていきたいから。一緒には、逝けない。
「そして、貴女を攻性植物の好きにさせたままにはしない。ここで、終わらせます!」
「んう、わかった」
 明確に響き渡った望みに即応した勇名が、派手に咲かせた遠隔爆破で少女を圧倒した。
 きっとカルナのこころはしょんぼりしてる。カラコロしてる。けれども、彼が望みのまま行けるよう。
「やるべきことがあるのなら、行きなさい。すべきことを為しなさい、カルナ!」
 瞬時に少女の横合いへと躍り込んだパトリシアが打ち込む一撃が、霊力の網で捕えれば、カルナの砲撃がまっすぐ迸る。眩い輝きを追って翔けるはエトヴァが撃ち込んだ幸運の星、少女の護りが三重に穿たれて、白きジェミの掌中でパズルが猫を見せた瞬間、夜明けに躍り上がった稲妻の竜が白百合を打ち据えた。
『……!!』
 今の雷竜か、砲撃か、あるいは勇名が増幅させていたパトリシアの旋刃脚のものか。
 捧げ持つはずの青き水瓶を、少女が麻痺ゆえに取り落とす。砕け散る音が、終焉の合図。
「カルナさん、どうか、安らかに眠らせてあげて――!」
「最期に、名前を、呼んであげられるか?」
 遥か高く跳躍していた赤きジェミが、斧を揮わずに舞い降りる。少女を唯『貴女』と呼び続けるカルナへ、ティアンが心を添わせる癒しを贈る。
 彼女の名前は、思い出せなかった。
 取り戻せぬ記憶なのか、それとも。
 今この胸を満たす呼び名だけで、己と彼女の世界は十分に満ち足りていたからなのか。
 口にするのは記憶ごと取り戻した謝罪の言葉、そして。
「――姉さん。遅くなって、ごめん」
 咲き誇れ、氷晶の華よ。
 何時も優しくあたたかに手を引いてくれたひとへ昔のまま呼びかけて、魔法の杖を携え、術を編んだ。あの幸福な時間を宝箱に仕舞うよう、彼女の時間を凍結させる。青く白く煌き咲いた氷華が、痛みを与えることなく、安らかな眠りを招く。花が、葉が散り消える。
 唯の少女になったひとが、ふと灯を見た気がした。
 最期にカルナを見た彼女が、光になって薄れて、もう、大丈夫ね、と微笑んだ気がして。嗚咽を堪えて頷き返す。昔みたいに手を取って、消えるまで握って。
 杖から戻り、空へ羽ばたいた白梟が、肩に舞い降りた。
 ――さようなら、姉さん。

「泣いたっていいんです。叫んだって。顔は、見ませんから。――ここに、いますから」
「……それじゃあ、少しだけ、少しだけこのままでお願いします」
 彼誰時の青の世界で大切なひとを見送った。
 けれど背には、誰彼時の青の世界を一緒に観てくれた春色天使のぬくもりがある。優しく見守ってくれる、皆の心も寄り添って。
 カルナさんの家族だったんだと微かに呟く白きジェミ、家族の声を聴きとったエトヴァが頷き返し、そっと黙祷を捧げる様を映すティアンの視界の端に彩が射す。朝靄も青の世界も光に融け、東雲に薄紅が燈る。
 深藍とも見紛う群青が透きとおり、空が美しい桃色を映しだす。
 ――ああ、誰彼にも春暁にも似た色を見た、朝が来る。

作者:藍鳶カナン 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2020年8月3日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 6/キャラが大事にされていた 1
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