天涯蓮花

作者:藍鳶カナン

●天上蓮華
 透きとおる朝露が、緑の波間にころりと踊る。
 清らな曙光も涼やかな風も瑞々しい夏の朝、蓮の葉に結ばれた朝露がきらきら転がって、澄んだ空へ跳ねる様はまるで波飛沫のよう。水面から高く立ち上がり、明るい緑を茂らせる蓮の葉が一面に波打つ様はさながら緑の雲海、蓮葉の海の先には青い海が広がっていた。
 青い空と海を望む緑の波間に、天上の花が咲く。
 明るい桃色に清らな曙光が射す色合いを大輪に咲かせた、蓮の花。
 泥濘の中から水上へ、青空へと茎を伸ばし、美しい花を咲かせる姿を天上の花と謳われる蓮は、七十二候が蓮始開(はすはじめてひらく)を渡ったこの時季、ひときわ瑞々しく咲き誇る。然れど蓮の美しさも瑞々しさも水上のみにあらず。水底の泥濘の中では大地の恵みをぎゅっと凝らせた蓮の地下茎――すなわち蓮根が、陽の目をみる時を待っていた。
 泥つきで掘り出されはしても、包丁を入れれば覗くのは優しい光を思わす白。
 ほんのりと甘く、やわらかなそれは、瑞々しい薄切りを食めばしゃきしゃきと、厚切りを蒸せばもちもち、炊けばほくほくの食感で楽しませてくれる極上品で、この蓮根農園直営の料亭で味わえる蓮根料理は大地の滋味をたっぷりと味わえる至福の美味。
 この時季には早朝から客を迎える料亭では、京都鴨川の納涼床さながらに屋外へ張りだす座敷をしつらえて、蓮が緑の雲海に天上の花を咲かせる様、そして青い空と海を一望できる席で蓮づくしの美味が饗される。
 一年でもっともこの料亭が賑わう時季だ。
 然れど、この夏のある朝に、招かれざる客が訪れた。
『こぉんなに朝早くから集まってるなんて、ご苦労様! 皆そんなにあの花がみたいのね』
 天上からふわり降り立った――と錯覚させる軽やかさで現れたのは、ひとりの少女。
 だが、鮮麗な桃色の髪と瞳に、誰もが見上げるほどの背丈を持つ少女は、古民家風のその建物が料亭であることにも、蓮の緑と花々ひろがる光景が庭園ではなく農園であることにも気づかぬまま、
『それならね、私の花をみせてあげる。とぉっても綺麗なんだから、ね?』
 白銀の星霊甲冑(ステラクロス)を纏う身体の後背に蓮の花を思わせる大きな大きな光を咲かせ、蓮づくしを楽しみに訪れたひとびとを、血の泥濘へと沈めていった。

●天涯蓮花
 明るい桃色に清らな曙光が射す色合いの大輪、そのなかに眩い山吹色の花糸と花托を抱く蓮花は、まさに夏の朝の輝きそのものを咲かせたようで、
「確かにその少女エインヘリアルの後背に咲いた輝く光も、蓮の花みたいだったんだよね」
 夏の早朝に惨劇を招く敵を天堂・遥夏(ブルーヘリオライダー・en0232)がそう語る。
 蓮花を思わす光は光輪拳士が揮う阿頼耶識と同じ力を孕むもの。
 その輝きを揮う少女は永き眠りからめざめ、宝石の蕾から花開いた――凶悪犯罪者だ。
 永久コギトエルゴスム化の刑から解き放たれた重罪人、次々送り込まれる彼ら彼女らは、その残虐さでひとびとに恐怖と憎悪を齎し、他のエインヘリアルの定命化を遅らせることを期待されているはず。
「だけど勿論そんな期待に応えてもらうわけにはいかないからね。確実に、撃破をお願い」
 少女が現れるのは夏の早朝、蓮根農園が営む料亭の前。
 大きく開けた、戦闘に十分な空間のある処だが、開店を待つひとびとを事前に避難させる事は叶わない。敵の出現地点が予知にない処に変わり、惨劇を防げなくなるためだ。
「あなた達の現着は、敵の出現とほぼ同時。ヘリオンから直接降下して、速攻で全力攻撃を仕掛けてやって。それと同時に、警察が避難誘導を開始する手筈になってる」
「合点承知! わたしはそっちの手伝いに回るから、みんなは敵をお願いしますなの~!」
 尻尾をぴこーんと立てた真白・桃花(めざめ・en0142)が、思いっきりがつんとかまして敵を惹きつけておいてくださいなの~と仲間達に願う。
「僕からもお願い。敵はその身のこなしの軽さからしてキャスターだけど、その機動力への対策は次手以降にして、初手はまず派手な攻撃で相手の意識を惹きつけることを最優先に」
 たとえ命中せずとも、全力の攻撃で敵の意識を自分達に釘付けにし、避難するひとびとに眼を向けさせないことが肝要なのだと遥夏も続けた。けれど当然、少女を撃破するためには攻防ともに優れた相手への対策と、確りとした連携も必要になってくる。
 決して油断ならぬ戦いになるはずだ。
 だが、無事に勝利が叶えば、待つのは飛びきりの蓮づくし。
 戦いを終えた身を極上の眺めと美味で癒さぬ手はないだろう。
 優しいひんやり感で迎えてくれるのは蓮根のすり流し、鰹と昆布を利かせた出汁に蓮根のすりおろしを加え、程好く冷やされたそれはひんやりとろりと心地好い喉越しで、柔らかな涼と滋味をこころとからだに染みわたらせてくれる。
 瑞々しい薄切り蓮根と夏野菜の酢のものに、甘辛のたれに鶏肉と蓮根の旨味をとじこめた蓮根つくね、熱々ほくほくの蓮根に軽く叩いたふりぷりの海老が挟まれた挟み揚げ――と、箸が進むたびに笑みが咲き、冷たい蓮花茶を口に運べばきっと心まで潤されていくはずだ。
 酒を呑める者なら、氷を揺らす硝子杯を傾けて味わう、蓮根焼酎を。
「れ・ん・こ・ん・しょ・う・ちゅ・う……!」
 尻尾をぴ・ぴ・ぴ・ぴ・ぴ・ぴ・ぴ・ぴこーん! と弾ませた桃花が、きっと夢みたいなひとときになるの~と声までも弾ませた。
 緑の波間に天上の花が咲く様と、青い空と海をも一望できる席で、蓮づくしを味わって。
 そうしてまた一歩進むのだ。
 この世界を、デウスエクスの脅威より解き放たれた――真に自由な楽園にするために。


参加者
八柳・蜂(械蜂・e00563)
連城・最中(隠逸花・e01567)
セレナ・アデュラリア(白銀の戦乙女・e01887)
アイヴォリー・ロム(ミケ・e07918)
藍染・夜(蒼風聲・e20064)
六角・巴(盈虧・e27903)
クラリス・レミントン(夜守の花時計・e35454)
天乃原・周(不眠の魔法使い・e35675)

■リプレイ

●天上蓮華
 青天の霹靂であり、早天の霹靂であった。
 清冽な夏の朝に青天を斬り裂いたのは眩い稲妻、空から降下しながらの攻撃は叶わずともアイヴォリー・ロム(ミケ・e07918)は地に靴先が触れると同時に天使の翼を咲かす渾身の跳躍で、蓮花の彩と白銀の星霊甲冑を纏う少女エインヘリアルを超える高みから夏空を裂く雷の竜を打ち下ろす。
「蓮を愛でるには相応しい日和ですもの、とびきり美しく――散ってみせてくださいな!」
「潔い散華を見せて欲しいね。清廉な風景を漣立てる蓮一輪、泥中の根も無きならば」
 花頭を支えるのは重たかろう、と続くのは爆ぜる稲妻に重ね狩衣の裾を翼のごとく翻して降り立つ藍染・夜(蒼風聲・e20064)、雷光の余韻を引くよう描く閃華は月の斬撃、然れど雷竜や閃華を躱した少女が眼を瞠り、
『――!! なぁに、あなた達がケルベロスとかいうの?』
「我が名はセレナ・アデュラリア! 騎士の名にかけて、貴殿を倒します!」
 唇を開けば凛然と返る響きはセレナ・アデュラリア(白銀の戦乙女・e01887)の堂々たる名乗り、口上を終えた途端に一瞬で凝らせた精神の魔力が爆ぜる寸前、見上げる程の背丈を持つ少女の後背に蓮花のごとき光が花開いた。
 両者の間で爆ぜた輝きは爆発が完全に相殺された証、
「貴女のご自慢のその花、俺達へ満開に咲かせてください。決して目を逸らしませんから」
「代わりに其方も余所見は厳禁でお願いしようか、何度でも此方に花開かせてみせてくれ」
 だが一瞬の隙を衝いて、連城・最中(隠逸花・e01567)が彼我の距離を殺す。素早く跳び退った格上キャスターをも捉えて無銘の業物を突き立てた刹那、叩き込まれた強力な電撃が鮮烈な紫電の菊花を咲き誇らせ、光の菊が散り乱れるより速く六角・巴(盈虧・e27903)の機関銃が爆炎の花を咲かせたなら、天乃原・周(不眠の魔法使い・e35675)が流星の煌きを閃かせ、クラリス・レミントン(夜守の花時計・e35454)が放った純白の華めいた氷結輪が凍気の輝きを迸らせる。唇に昇らせかけた言の葉は呑み込んだ。少女に避難するひとびとのことを思い出させては意味がない。
 初撃の主目的は彼女の意識を完全に惹きつけること。命中度外視の派手な攻勢の中で敵を捉えたのは狙撃手たる最中が追尾効果で命中させた紫電の菊花と、
「あなたならいけるわ、つづらちゃん。頑張れば桃花ちゃんが褒めてくれるはずよ」
 狙い澄ました八柳・蜂(械蜂・e00563)が解き放った黒き大蛇。突出した機動力を備えた敵を逃さず追尾し、紅玉の瞳を煌かせた黒蛇が少女の喉元へ喰らいついたなら、
『……っ! 息がとまるかと思っちゃった。とぉっても素敵なお出迎え、ご苦労様!!』
「――!!」
 強気な笑みを蜂に見せた少女が、凄絶な光を迸らせた。
 反射的に射線に跳び込んだ巴が苛烈なその威力に歯を食いしばる。命中精度ゆえに痛打を叩き出しやすい敵の攻撃は決して軽くなく、盾とはいえ魔法にも破壊にも耐性のない己には厳しいかと眉を寄せた。超音速の拳を携える筈が獣の咆哮を携えていることにも思い至れば相手を見縊ったつもりはなくとも詰めが甘かったことは認めざるをえない。そして、
「天乃原さん、六角さんをお願いします!」
「了解、すぐに癒すぜ!」
 間髪を容れず撃ち込まれたのは確実に狙い定めた最中の轟竜砲、少女の右足首を竜砲弾が直撃した瞬間、癒術を編みあげんとした周は氷の刃で心の臓を貫かれた心地で息を呑んだ。攻撃と回復では近射程の意味が違う。
 世界で唯ひとり周のみが揮える堕天使召喚の癒しは、周自身と同じ後衛にしか届かない。
「ごめんみんな、ぼくの癒しだけじゃ支えきれない! シラユキも祈りを!!」
 咄嗟に術を編み変え大地の記憶から魔力を抽出するが、力を広げるがゆえに威の浅いこの術では癒し手とはいえシャーマンズゴーストと力を分け合う彼女が十分な癒しを齎すことは到底叶わず、盾として布陣した神霊が祈りを重ねても万全にはまだ遠い。だが、
「アイヴォリーさんの助言どおり、ヒールを用意していて正解だったな。助かったよ」
「ええ。備えあれば患いなし、これはきっと如何なる世でも変わらぬ真理ですもの!」
 纏う灰銀の光を癒しとして己が身に還元する巴に気丈な笑みを咲かせて応え、敵の意識を完全に此方へ惹きつけた瞬時にと見てとれば、アイヴォリーは狙撃手の本領発揮とばかりに迸らす魔力で敵の左膝を射抜いてみせた。爆ぜる暗紅色はグロゼイユ際立つポワヴラード、ソースが皿を彩るように少女の逃げ場を塗り潰したなら、
「ヨハンがいてくれて良かった……! お願い、みんなの援護を!!」
「勿論そのつもりです。僕からも支えさせてもらいますよ、皆さん!」
 光が飛び立つように閃くはクラリスが白鞘から抜き放った真新しい刃、三重に敵を縛める筈の斬撃は躱されるも、即座にヨハン・バルトルト(ドラゴニアンの降魔医士・e30897)が錬成した黄鉄鉱と焔の煌き孕む靄が前衛陣の感覚を幾重にも研ぎ澄ます。
 たとえ不測の事態に陥ろうとも、
「桃花や警察からの信頼を裏切りはしないよ。蜂もそうだろう?」
「ええ、そのつもりです。今日は盾にはなれませんけど、いざとなれば刺し違えてでも」
 星の双眸が冴え渡れば夜が迷わず織り上げるは常夜の底よりひたり寄せ来る足音、少女を蝕む影法師。命も癒しも蝕む影に添われた敵を追った蜂が躍らす蔓草が確実に標的を捕えて締め上げる。何をおいても護るべきは、真白・桃花(めざめ・en0142)達が避難させている無辜のひとびとだ。
「刺し違えてでも――。はい、私も同じ覚悟で参ります!」
 力無きひとびとの守護は騎士道精神を抱いて生まれてきたセレナにとっては本能のごとき行動原理、ゆえに敵の眼差しをも捕えるよう真っ向から跳ぶ。研ぎ澄まされた感覚のままに一閃するのは達人の技量が冴え渡る斬撃。
 白銀の騎士剣が白銀の星霊甲冑ごと深々と少女を裂き、鮮血と氷片が弾けたなら、
「セレナ!」
「アデュラリアさん!」
 鋭く夜と最中の声が響いたと同時、彗星のごとき光が一瞬で爆ぜた。至近からの猛然たる突撃。なれど間一髪で盾となった夜が、纏う狩衣の力で絶大な破壊の痛手を切り札を切れぬ周と神霊だけでも何とか充足できるまでに殺しきる。
 少女を見上げるのは獲物を捉えた狩人の笑み、
「君の弱み、暴かせてもらうよ。今のセレナの斬撃が相当厳しかったんだろう?」
「ええ、斬撃が弱点でしょうね。間違いなく」
『……!!』
 途端に奔ったのは反撃の絶空斬、真理を見出した学士のごとき声音で夜に同意した最中が皆さんも斬撃を、と呼びかけると同時に朝の空へ跳ぶ。連れて翔けるは科戸の風、敵が齎す血の澱みを流星の煌きで斬り裂くよう、星の重力を斬撃でもって刻み込んだ。
「成程、初めから敵の弱点を探ってたってわけか。なら――巧い具合にこいつが斬撃でね」
「獣の爪が効くってことかな? 実はね、私達シャドウエルフも影の爪や牙を持ってるの」
 二人に感嘆の口笛ひとつ、口の端を擡げれば巴の腕が狼のそれに変じて、灰白の毛並みと黒き爪を躍らせた獣撃拳で少女に重い圧を刻み込めば、そのときにはもう、彼と彼女の陰に撫子色の瞳を悪戯に煌かせたクラリスが滑り込んでいた。
 雲雀の囀りめく風切り音は一瞬のこと、影から飛び立った光の鳥を思わす刃は敵の肘から脇腹を深く鋭く掻き斬って、その縛めを幾重にも跳ね上げる。
 攻撃すべてが斬撃たるクラリスは命中が確保された今三重の搦め手を揮うクラッシャーに変貌したも同然で、
「斬撃をより深く味わえる賓客とあらば、わたくしから饗する鋭さは氷にて!」
「ふふ、それならアイヴォリーさんの氷の刃はウィッチドクターの牙と一緒に。なぁんて」
 迷わずアイヴォリーが翻した聖夜の輝きから翔けるのは時をも凍らす弾丸、直接齎すのは破壊攻撃なれど、それが齎す氷は蜂が撃ち込む極小の星とともに斬撃となって少女を抉る。星のごとく煌き弾けたカプセルからは神殺しのウイルスが溢れだした。
 戦場を翔ける風が一気に加速する。
 弱点を主軸とした猛攻勢で少女はたちまち劣勢に追い込まれ、蓮花のごとき光から癒しの輝きと光の翼を咲かせるも、癒しは夜の影法師と蜂のウイルスに大きく殺され、
「その光の翼も、打ち砕かせていただきます!」
 乙女座の輝きと力を宿す騎士剣をセレナが叩き込めば、翼の加護も砕け散った。
 瞬時に超音速の拳から技を切り替えた蜂が奔らす黒蛇が斬撃の牙を剥き、最中が極限まで凝縮した意志の魔力が少女の肩を爆破すれば、仲間の多くが癒しを備えていたことを有難く思いつつ、せめてここで一矢報いるぜと周が解き放った不可視の虚無球が相手の腕を抉る。その刹那、
「セレナ! 魔法の光が来る!」
「――それも、打ち砕きます!」
 夏の朝風を貫いたのは周の声と少女の光、然れど皆の縛めに勢いを殺された光を、防具の性能にも援けられた騎士が銀の閃光めいた剣技で相殺、
「チェックメイト、だね。季節のめぐりを歓ぶ朝にあなたは相応しくないから」
「そうさな、此処で朽ち果ててもらおうか」
 続けざまに右手を翻したクラリスの指鉄砲から撃ち込まれた弾丸が超新星のごとく爆ぜて熱く鋭く少女の傷と縛めを深めれば、魔法より斬撃で攻めるべきかと巴の手許で咆哮するは炎より生ずる緋狼ではなく炎と斬撃の驟雨を齎す機関銃。
「今際を知るのも花の潔さだ。さぁ、風を彩る華と散れ」
「ええ。散華の風の行く先は、わたくし達が照らします」
 炎と氷の煌きが舞う朝に閃いたのは夜の刃、朝の光を映したそれが陽たる金烏から月たる玉兎へ至る剣閃を描けば、星月夜に焦がれる天使が星を添える。路へと導くアイヴォリーの靴先から翔けた幸運の星が氷を連れて少女の護りを貫いて。
 双眸を細めた最中もまた、彼女の最期を星で彩った。
「貴女の花も綺麗ですが、泥に負けず真っ直ぐ咲いた花の美しさには敵いません」
 科戸の風で一気に夏の朝の憂いを吹き払う。流星の蹴撃は輝く蓮花の光の芯を穿つように少女の胸元を貫いて、一気にその後背の花を散らす。少女自身も蓮花色の光に変じ、朝風に浚われ、薄れて、消えて。
 懐から取り出した眼鏡をゆるりと掛ける所作の合間に、密やかに黙祷した。
 ――おやすみなさい。

●天涯蓮花
 夏が香る。
 光と水と、蓮の緑と花の香りを胸に満たして見霽かせば、青い空のもとに広がる緑の海。明るい蓮葉の波間には夏の朝の輝きそのものを思わす蓮花が幾つも花開いて、天上の花咲く緑の海の彼方では、青くきらめく海が空との境界を描きだす。
 胸に迫る万感の想いは言の葉にならず、ただ、護れてよかったと心からの安堵をセレナが紡げば、本当にと応えた夜も天の涯てかと見紛う絶佳の景を見霽かす。流るる風も清しく、己が裡に浄土が広がる心地もするけれど。
 浄土は彼岸にあると語る者も、此岸にあると語る者もいる。浄土が彼岸にあるのなら。
 今は命あるからこそ味わえる魂の耀きに、と杯を掲げた。皆も応じて杯を掲げて。
 ――乾杯!!
 透明に硝子杯に踊って氷を濡らす蓮根焼酎は、蓮葉に結ばれる朝露のごとく清らで、
「こんなに澄んで、こんなにまろやかなのですか……!」
「旨いな。氷と馴染んで冷えればもっと酒精が立って、キレよくなりそうだ」
 一口味わえばヨハンの眼が驚きに瞠られた。米麹と蓮根が柔らかに甘く香る酒は限りなくまろやかで、冷えればいっそう料理が引き立つだろうと巴も口許を綻ばす。
 緑茶に蓮の花で香りをつけた冷たい蓮花茶が大人達を羨む周にも華やかな香りと涼やかな味わいで笑みを咲かせたけれど、冷たい喉越しで幸せをくれるのは酒と茶のみにあらず。
 漆塗りの椀にひんやり揺れる蓮根のすり流しは好みで乗せる刻み大葉や刻み生姜の香りが爽やかで、一口味わえば豊かに広がる鰹と昆布出汁の旨味。そこにしゃらりと蓮根の滋味が重なり、優しい冷たさでとろりと滑り落ちていく喉越しに、思わずアイヴォリーと蜂は輝く瞳を見合わせて、
「蓮根のしゃきしゃきを愛する身ですが、とろりも新たな発見でしたよ! 桃花!」
「ほんと、今の時季にぴったりですよね。とってもしあわせになれる感じで……!」
「ふふふ~。蓮根のポテンシャルが二人をめ・ろ・め・ろ・にしてしまったの~♪」
 二人で歓声を咲かせれば、桃花からはぬかりないダブルほっぺちゅー。
「そう聴くとすっごく美味しそう……夏バテに効きそうな感じ?」
 興味津々にクラリスが訊ねれば『効きますとも!』と三人綺麗に揃う声、楽しげな様子に微笑して、酒香艶めく杯を傍らに夜が食むのは昆布出汁が馴染む米酢の酸味としゃきしゃき食感が嬉しい薄切り蓮根。清雅な薄紅で彩る夏茗荷や緑の星を添えるオクラも美しい椀には幼き頃の膳を思い出すけれど。
 広い屋敷でのひとりの食事は味気なく、味などとうに記憶の彼方。
 ――けれど、今ここにつどう皆と囲む、この朝餉は。
 境遇は違えど旧家育ち同士、何とはなしに感じとったらしい最中が、
「掘りごたつで修行する御実家……ですか?」
「ふふ。おこたでありましたよね、そんな話」
「そうそう、夏には蚊帳で結界を張る修行を」
 何時かの冬を思い起こして訊けば、蜂の笑みもふんわり零れ、あの日と同じく夜が真顔で語れば、みるみるうちにセレナの顔へ感嘆が広がって。
「私も日頃から鍛錬に努めていますが、この国にはそんな修行が……!」
「流石に奥が深いですね、この国は……。蚊帳で結界とは、侮れません」
「待って! セレナとヨハンが信じちゃう! 信じちゃうから……!!」
 真摯に受けとめたヨハンも重低音で呟くから、慌ててクラリスが言い募れば弾けるように皆の笑みが咲いた。くすくす笑いながらもアイヴォリーは蓮根つくねを箸で取り、
「もう! 夜の冗談はいつも真に迫りすぎです! ……、…………!!」
「わかります、お肉は正義ですよね。言葉にならない美味しさですよね、蓮根つくね!」
 雄々しく頬張れば甘辛いたれの裡から溢れる鶏肉の旨味とほっくり甘い刻み蓮根の幸せ、感極まった天使の翼がぱたぱたする様子にセレナも力強く頷いて、程好く融けた氷が酒精を和らげた蓮根焼酎を一口味わえば、甘辛と旨味の余韻がいっそう豊かに奥行きを増し、永久運動なんて言葉が脳裏をよぎる。
 然れど挟み揚げも負けてはいない。
 柚子塩ならぬ夏小夏塩で味わう挟み揚げは、齧れば爽やかな柑橘の風味を重ねる塩が熱々ほくほくの蓮根の柔い甘味とぷりぷりの海老の強い甘味、そして両者の旨味を引き立てて、
「やはり挟み揚げは最強では……?」
「最強ですよね、蓮根と海老の甘さと食感がもう……! ね、桃花ちゃんも食べてみて!」
「ぴゃー! 勿論食べますともー!!」
 美味な幸せが睡魔を呼ぶ性質ゆえ焼酎は一杯と決めていた最中も二杯目の誘惑にかられ、海老好きも相俟った蜂の幸福感も天井知らず。桃花ちゃんの焼酎ひとくちください、なんておねだりも忘れずに、はい、あーんと熱々とひんやりの分け合いっこ。
 更に周が瞳を煌かせ、
「こっちも強敵だぜみんな、この蓮根饅頭――豚の角煮が入ってる!」
「なんだって!? …………!!」
 爆弾を投下すれば早速蓋つき椀を手にした巴が蓋を取って、覗けばそこにはすりおろした蓮根を丸めて蒸し、鰹出汁の餡をかけたつやつやの蓮根饅頭が鎮座して、
「ああんわかりますなの、いま巴さんは、蓮根饅頭に親近感を抱いたところ……!」
「やっぱりお見通しか、真白さん」
 この朝もまた巴ご自慢のスキンヘッドが朝の光にきらり。餡をとろりと纏った蓮根饅頭はほんのり甘くもちもちで、中に秘められたほろほろの豚角煮と噛みしめる幸せにクラリスはふるふると身を震わせ、恋人の様子にヨハンの眦も緩む。
 穴あき蓮根を食べれば先の見えぬ世界で生き抜く逞しさをもらえる心地。
「けれど先が見えないからこそ、見つけられる物事もありますよね」
 惚気てしまった、と面映そうに笑って彼は蓮根に甘鯛のすりみを詰めて蒸した蓮根蒲鉾へ箸を伸ばし、今の惚気だったの!? と大きく瞬いたクラリスは、笑み崩れてしまいそうな顔を隠すように冷たい酒杯を呷って。
 ここは俺も惚気る流れかななんて、いずれの料理にも等しく舌鼓を打つ夜が思えば傍らでふうわり揺れる天使の気配。天涯の蓮花と美酒に美食と、皆との楽しい語らいですっかりと夢見心地なアイヴォリーが肩にことり凭れかかってきたなら、竹の器をふるふるして見せる蜂と桃花に笑み返し、
「涼菓がお目見えだよ、眠り姫」
「ぴゃ!?」
 冷たい水滴を纏う硝子杯を頬にひたり寄せられ、天使がぴゃっと跳ね起きる。
 眼にも涼やかな竹の器には仄かな琥珀色に透きとおるつやつやぷるぷるがひんやり揺れ、
「これは……わらびもちかな?」
「いえ、わらび粉ではなく蓮の澱粉――蓮粉でつくられた、蓮根餅ですね」
 疑問形の巴に老舗和菓子屋の次男坊、最中が澱みなく応えて目許を和ませた。
 夏小夏の蜜ときなこで味わうそれは、蕨餅とも葛餅とも異なるぷるりとろりとした食感と喉越しが絶品で、これぞ極楽でしょうかと綻ぶ最中に、巴も笑み返す。天涯の蓮花と、今の皆とのひとときと。
 浄土は彼岸にあると語る者も、此岸にあると語る者もいる。浄土が此岸にあるのなら。
 ――これがまさしく、極楽浄土ってもんなんだろうね。

作者:藍鳶カナン 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2020年7月30日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 4/キャラが大事にされていた 2
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