うすらひ

作者:藍鳶カナン

●けずりひ
 夏緑濃い山の麓に、清らな山清水を護る神社があった。
 冷たく澄んだ水そのものも大層美味だが、その山清水を冬の寒さで結氷させてつくられる天然氷は、伝統の技を受け継ぐ匠が澄みきった硬い氷に結晶させる極上品。神社の奥にある洞窟を利用した天然の氷室に貯蔵される氷は、夏になれば神社の前に広がる町の甘味処へと運ばれて、削り氷、すなわち、かき氷となる。
 柳の葉が夏の風にたおやかに揺れて、神社の山清水を源とする水路が涼やかなせせらぎを響かせる、古き和の情緒を色濃く残した町並み。その水路にかかる太鼓橋を越えた辺りに、夏はかき氷で賑わう甘味処がつどうのだ。
 太鼓橋を渡ってすぐの甘味処では宇治金時、斜向かいの甘味処では杏のピュレたっぷりの杏蜜、隣はこちらも白桃のピュレを惜しげもなく使った桃蜜で、その先の四ツ辻の甘味処は冷たい香ばしさ薫るほうじ茶蜜、辻を曲がれば隠れ家めいた甘味処に梅酒みぞれが香る。
 いずれも人気のかき氷、そのすべてに、
「この夏からうちのアマチャヅル茶を添えてくれることになったんだよ……!」
 通りかかった三毛猫にまでそんな自慢をして、この町の老舗茶舗の跡取り息子たる青年は軽い足取りで神社へ向かう。茶舗とは茶を製造し販売する店のこと。古くは若返りの効果があると信じられた甘茶蔓、人気のかき氷にそのお茶を添えてもらえば、自店での売り上げも伸びるに違いない。
 だからこそ、氷室から天然氷を切りだす作業の人出が足りないと聴いたときに。
 俺が手伝うよと彼は迷わず手をあげた。
 神社へ向かう鳥居を潜れば夏の風もひときわ涼やかな清浄さを帯びるよう。けれど青年が威儀を正したのも一瞬のこと。参道の脇でふと風に揺れた緑を見れば、
「へえ……気づかなかったな、ここにも甘茶蔓が自生してたんだ」
 見覚えのある鳥足状複葉、五枚の小葉が鳥の足のように広がる緑の葉をたっぷり茂らせた甘茶蔓が灯籠に蔓を巻きつけていた。思わず青年が破顔したそのとき、するりと伸びた緑の蔓が彼を捕らえ、灯籠の奥からずるりと現れた大きな茂みの中へ呑み込んでいく。
 神域の清浄な風を穢したのは、何処からか漂ってきた謎の胞子。
 胞子は参道脇に自生していた甘茶蔓にとりついて――攻性植物へと、変容させたのだ。

●うすらひ
 鏡を思わす白銀の瞳に、思案気な光が揺れた。
「ユグドラシルゲートを破壊されテモ、攻性植物は容易く戦力を拡充できるのですネ……」
「流石の繁殖力ってか侵略寄生能力だよね。エトヴァさんが甘茶蔓を気にかけてくれてて、本当によかったよ。おかげで彼を救い出せる可能性があるうちに現場に到着できる」
 この夏から天然氷のかき氷にアマチャヅル茶が添えられるようになる――と聴いた噂からエトヴァ・ヒンメルブラウエ(フェーラーノイズ・e39731)が甘茶蔓の攻性植物を連想したのは春のこと。あれから状況は大きく変化したが、それでも彼らは侮れない。
 今からすぐに飛ぶよ、と天堂・遥夏(ブルーヘリオライダー・en0232)は皆をヘリオンに案内しながら仔細を語る。
 避難勧告は手配済みで、近隣一帯は無人になる。
 現場到着は茶舗の跡取り息子を取り込んだ甘茶蔓の攻性植物が鳥居のあたりにいる間で、鳥居の前の広い丁字路にヘリオンから直接降下すれば、こちらの気配を察知した敵がやって来るという。そこで戦うなら神社にも町並みにも被害は及ばない。
「懸念点は、神社の奥にある洞窟を利用した天然の氷室ってのがかなり電波状況に難がある処で、氷室で作業してるひと達に避難勧告が届いてないかもってこと」
「合点承知! それならわたしが氷室のひと達を避難させにいきますなの~!」
 遥夏が挙げた憂いは真白・桃花(めざめ・en0142)が掬ったから、
「お願いしますネ、桃花殿。それなら俺たちは全力デ、甘茶蔓の攻性植物の撃破ト、茶舗の跡取り息子サンの救出にあたりまショウ」
 彼女と仲間達に微笑んで、迷わずエトヴァはそう告げた。
 甘茶蔓の奥へと取り込まれた青年は攻性植物と一体化しており、普通に攻性植物を倒せばそのまま一緒に死を迎えてしまう。
 だが相手に攻撃してはヒールで回復し、ヒールが効かないダメージを根気強く積み重ねて攻性植物を撃破することで、青年を死なせることなく救出できる可能性が生まれるのだ。
 決して楽な戦いではない。
 長期戦は必至で、慎重なダメージコントロールも必須。それも戦いが終盤になるほどより慎重さが必要になる。相手を癒しつつ『ヒールで癒えない傷』を積み重ねる戦いなのだ。
 無傷の状態なら耐えられたのと同じ威力の攻撃でも傷だらけの状態ならあっさり致命打になりかねず、ヒールが効かないダメージを充分に蓄積できていないうちに倒せば、攻性植物ごと青年も殺すことになる。
「敵が揮うのは、蔓での捕縛と、無数の葉でこちらの勢いを抑える範囲攻撃。花を咲かせて傷を癒すヒールには力を強める効果があるね。で、ちょっと厄介なのが」
 甘茶蔓のポジションが、メディックであるところだ。
「攻撃には破魔が、回復には浄化が乗る。敵が自分でヒールしてくれるってのは今回の場合ありがたいことでもあるんだけど、絶対ヒールするとも断言できないし――」
「こちらに都合のいいタイミングでヒールするとも限りませんしネ。俺たちから甘茶蔓へのヒールもしっかり準備しておきたいところデス」
 遥夏が語った言葉にエトヴァが真摯な面持ちで頷いた。
 敵の戦い方がどうであれ。
 薄氷を踏むような危うさ、それが終盤になればなるほど増す戦いになるはずだ。
 ――けれど、だからこそ。
 無事に解決できたら憂いなく楽しみにいける、天然氷のかき氷が最高の御褒美になる。
 宇治の抹茶蜜にふっくら大納言小豆が添えられるのは勿論宇治金時、甘酸っぱい杏蜜氷は氷の中に秘められた練乳と混ぜつつ食べる仕掛けで、白桃の瑞々しさたっぷりの桃蜜氷には小粒でカラフルな琥珀糖が踊る。
 甘さと香ばしさとほろ苦さが調和するほうじ茶蜜にはきなこアイスが寄り添って、芳醇で爽やかな香り際立つ梅酒みぞれは氷の頂で梅酒の実がお出迎え。
 涼風が吹き抜ける柳の木陰にしつらえられた長椅子で。
 あるいは、水路のほとりに腰かけ清らな流れに素足を浸して味わう、天然氷のかき氷。
「夏の涼をたっぷり満喫しテ、もし冷えすぎてしまっテモ、温かなアマチャヅル茶でほっと一息つけるというのハ……実にありがたいですネ」
 跡取り息子サンの命とともに勝ち取ってきまショウ、と改めて彼は皆に微笑みかけた。
 薄ら氷(うすらひ)を渡る戦いを越え、削り氷(けずりひ)を満喫する、幸せを。


参加者
カルナ・ロッシュ(彷徨える霧雨・e05112)
筐・恭志郎(白鞘・e19690)
ジェミ・ニア(頬袋におにぎりいっぱい・e23256)
櫟・千梨(真理とゴリラの探究者・e23597)
エトヴァ・ヒンメルブラウエ(そうめんアレンジ二千種類の男・e39731)
朱桜院・梢子(葉桜・e56552)
リリエッタ・スノウ(小さな復讐鬼・e63102)
ステラ・ベルカント(純白の導・e67426)

■リプレイ

●うすらひ
 天頂に君臨するのは輝く夏陽。
 眩く照りつける陽射しは夏の風も白御影の石畳をも輝かせ、紅殻格子や虫籠窓が目を惹く町家づくりの界隈に臨む丁字路へ現れた、甘茶蔓の夏緑をも艶めかせた。
 膨大な蔓葉の茂みの奥へ老舗茶舗の跡取り息子を呑み込んだ甘茶蔓の攻性植物は、数多の葉を乱舞させ鋭く撓る蔓を揮い、暑さに萎れる様子もない旺盛な戦いぶりを見せたが、
「もうすっかり夏まっさかりだけど、寒かったらごめんなさいね!」
 ――白雪の降りてつもれる山里は、住む人さへや思ひ消ゆらむ。
 突如として後衛に緑陰を生んだ鳥足の五葉、こちらの勢いを抑えんとした数多の葉を防具耐性の援けで躱した朱桜院・梢子(葉桜・e56552)が溌剌さでは負けないとばかりに詠じた古今和歌集の歌が、真白に降り積もる雪の幻影で甘茶蔓の勢いを抑えにかかる。
 間髪容れず敵を縛めたのは和装のビハインドが仕掛けた金縛り、
「みんな頼もしいんだよう。悲しいお話にしないために、わたしも頑張るのよ!」
 一瞬の隙が生じればステラ・ベルカント(純白の導・e67426)が迷わず懐中時計を握り、梢子の許嫁だったという彼と己の盾となってくれた護り手達へ癒しを歌えば、歌声は白兎が時を刻むリズムに共鳴し、
「僕も頑張ります! このひと猫好きに違いありません、今助けますからね! 同志!!」
「エエ。跡取りの若殿にハ、この界隈と老舗茶舗ヲ、ますます盛り上げて頂かねバ」
 威を増した歌と癒し手の浄化でジェミ・ニア(頬袋におにぎりいっぱい・e23256)は元気いっぱい、通りすがりの三毛猫にまで自慢したという青年への猫好き仲間意識で勇気百倍。
 迷わず翔けた彼の御業が敵を鷲掴みにしたなら、凛々しいデス、ジェミ。と今の攻撃にも彼が先程ステラの盾となった勇姿にも微笑みつつ、エトヴァ・ヒンメルブラウエ(そうめんアレンジ二千種類の男・e39731)は、必ずヤ、と救出を誓約する声を透きとおらせ、三重に共鳴させた癒しで甘茶蔓の砕けた蔓葉を一気に甦らせた。
「彼のお茶、俺も飲んでみたいですしね。その甘茶蔓に彼の未来を奪わせはしませんよ!」
「ん。折角ゲートも壊したんだしね、リリ達が来たからには絶対犠牲にはさせないんだよ」
 予知で聴いた彼の様子は微笑ましく、ゆえに筐・恭志郎(白鞘・e19690)が握る妖精剣も未来を照らす輝きを宿すよう。梢子の許嫁を護った痛手も拭われた今、夏陽にも劣らず輝く刀身から迸らせた花の嵐がまっすぐ甘茶蔓を呑んだなら、即座にアサルトライフルを構えたリリエッタ・スノウ(小さな復讐鬼・e63102)が眩い光弾を撃ち放つ。
 花嵐も光弾も標的の火力を鈍らすもの、続けてその直撃を受けた次の瞬間、巨大な茂みの全面に星を思わす無数の小花が一斉に咲き誇った。燈る光は力を強める加護。
 花の癒しで甦った蔓葉はいずれも芽吹きや新緑の彩で、
「成程、若返りだな。随時俺とエトヴァが癒しているし、傷が深くなったらというよりは」
「状態異常が煩わしくなったら自分で癒す、って感じですよね」
 甘茶蔓が己自身を十分に潤したと見れば、櫟・千梨(真理とゴリラの探究者・e23597)が紡ぐは癒しならぬ御業の糸。浄化直後の敵をも確実に捉える命中率を備えた彼の糸が幽けき音を連れて密やかに踊り、唐紅を帯びるとともに三重の麻痺で敵を絡めとれば、攻守ともに優れた機動力で駆けるカルナ・ロッシュ(彷徨える霧雨・e05112)も術を織り上げる。
 仲間達に破魔の態勢が整っているなら、己は敵が癒し手の浄化で払拭した足止めを。
 鮮やかな丹塗りの鳥居を背に彼が招来するのは氷晶の嵐、夏陽に輝きながら吹き荒ぶ氷が甘茶蔓を縛めたなら、
「次の攻撃が来る前に加護はぶっ壊しておきたいわよね!」
「みんなが痛い思いをしないよう、わたしもお手伝いするのよ!」
 己が裡のグラビティ・チェインを純粋な破壊力と成し、一気に跳んだ梢子が狙い澄ました竜の鎚を叩き込み、ステラも癒し手の破魔を乗せた鎖を甘茶蔓へと奔らせて、光の茨を纏う拳に破魔を握りしめたジェミまで繋がる連撃で加護を破砕。
「そっちお願いするです、恭志郎さん!」
「はい、俺のほうで確り止めますよ!!」
 超音速の拳が巨大な茂みを吹き飛ばしたが、ジェミと甘茶蔓を挟み込むよう布陣していた恭志郎がブローディア咲く指輪から光の剣も咲かせ、二重の意味で敵の勢いを抑え込んだ。
 甘茶蔓を囲むよう立ち回る二人だが、包囲は勿論二人では叶わない。ぶっつけ本番で皆が合わせてくれたのは、気心の知れた仲間が多く、より確かな連携が結ばれていたがゆえ。
 包囲を狙うなら全体作戦のひとつとして事前に提案するのが最も確実であること、そして今ともに戦う仲間達の頼もしさを胸に刻む。挑むのは約束された長期戦。
 なれど未来を繋ぐ勝利は約束されていないから、誰もが全身全霊で臨むのみ。
 夏空に撓った蔓が猛然と千梨に襲いかかるが、
「悪いことする蔓は、リリが刈り取っちゃうんだからね!」
 彼に触れるよりも速く蔓を受けとめたリリエッタは纏うパーカーで大きくその威を殺し、蔓ごと茂みを裂く大鎌の一閃で甘茶蔓の命を簒奪。敵の勢いから予想したよりも遥かに傷が浅い様にステラは安堵の笑みを咲かせ、けれど決して油断はせずに、祈るように指先へ燈す医の魔法で彼女の傷を魔術切開、生命力を共鳴させるショック打撃をそそぎ、流れるような縫合で仕上げてみせた。
 皆より練度が浅い自覚があるから、癒しが不足するなら支援を願うつもりでいたけれど、
「全然心配なかったの、みんな準備が完璧なのよ……!」
「本当ニ。皆もですガ、ステラ殿もとても頼もしいデス」
 サーヴァントを除く全員が甘茶蔓の破壊攻撃への耐性を備え、護り手達の奮戦もあって、自陣の消耗はかなり抑えられている。エトヴァの言葉も心からのもの、練度が高いに越したことはないが、何よりも重要なのは、少女がそうしているように、己の力量を確り把握して戦うことだから。
 和の町並みを流れる水路、その涼やかなせせらぎに共鳴するような透明感の声で、青年を救うための癒しを甘茶蔓へと贈る。彼の心にきっと、そして皆の心にも、広がる青空。
 ――難解ながらも美しい嵌め絵ヲ、皆で迷いなく解いていくかのよウ。
 薄氷を踏むかのごとき危うさからは最後まで逃れられぬ戦いであるはずなのに、不思議と不安はなく、然れど誰ひとり決して緩めぬ緊張感がこのうえなく心強い。
 夏風に舞う数多の葉、襲い来る緑の陰を躱し、
「きっと周りにも慕われている方でしょうし、亡くすわけにはいきませんよね!」
「はい! 必ず、跡取り息子さんを助けだしましょう!」
 苦しいでしょうけど、どうか頑張ってください――と祈るような心地で甘茶蔓の奥の彼に念じながらカルナが翻す銃身、そこから迸らせた光弾に併せ、五葉の波濤をエトヴァの盾となって受けた恭志郎が緑陰から日向へと花嵐を舞わせれば、
「桃花さんも頑張ってくれてるですから、僕達も確り役目を果たすです!」
「うむ、俺達以外のひとの気配は随分と遠いしな。あちらは大丈夫そうだ」
 花嵐と挟撃するようにジェミが放った漆黒の矢が変幻自在の軌道を描いて甘茶蔓を深々と貫いた。狩衣めく外套の袖で五葉をいなした千梨の手には鶯宿梅の杖、柳の葉擦れに水路のせせらぎ、鎮守の森の蝉時雨にも耳を澄ませば、真白・桃花(めざめ・en0142)が向かった氷室の気配まで感じ取れるかのよう。
 流るる水を遡ればこの地の神の息吹とも共鳴する心地、追い風を受けるよう膨れ上がった純粋なる癒しを注ぎ込んだなら、
「折角新しい蔓を出したところだけど、雪を呼ばせてもらうわよ!」
 ――白雪の降りてつもれる山里は、住む人さへや思ひ消ゆらむ。
 瑞々しく甦った夏緑を、梢子が顕現させた幻影の雪がすぐさま覆った。
 途端に皆が眼にした光景は真夏の雪垂り、幻影の雪を落とした甘茶蔓が癒しの花々を咲き誇らせる。だが新たに萌ゆる新芽も新緑も先程までの勢いがなく、即座に杖を構える千梨と一瞬で眼差しを交わしたエトヴァは白銀で覆われた手に銀鎖を踊らせ、
「そろそろ佳境ですネ、このまま若殿の未来も勝ち取りにいきまショウ」
「うん、わたしは最後までみんなを支えるのよ。跡取り息子さんをお願いします……!」
 大きく広がる重力震動波で浅く甘茶蔓を削り、願いを込めてステラが舞わせる鎖が前衛に守護魔法陣を展開した。正念場だなと頷く千梨が甘茶蔓へ癒しを贈り、
「僕も攻めますね、ヒールお願いします!」
「大丈夫、リリにお任せなんだよ。――ヒーリング・バレット!」
 迷わず甘茶蔓の許へ跳び込むカルナが大きく身を翻せば蒼き竜の尾が浅く蔓葉を薙いで、間髪容れぬリリエッタの銃声が共鳴し、撃ち込まれた弾丸が蔓葉の傷を癒す。続けて夏風に舞ったのは梢子が血染めの包帯から解き放った桜の嵐、広く淡く甘茶蔓を灼く桜花に、光の花が重なったと見えた刹那、純粋な癒しを燈す白き炎が燃え上がった。
 護り刀が零す光に獄炎を共鳴させる恭志郎の癒し、それは彼の裡に傷みを齎すけれど、
 ――これも、自分に出来る事ならば。
 終盤になるほど厚みを減じる薄氷を踏み渡る長期戦。
 然れど一度たりとも罅を奔らせることなく、皆で遥かな薄ら氷(うすらひ)を渡りきる。
 夏風がたおやかに揺らす柳、柔らかなその緑に映える紅殻格子の町家達。この町に息づく和の情趣、丁寧な茶作りで暖簾を護り続けたのだろう老舗茶舗に敬意を抱き、氷室の伝統に想いを馳せれば、氷室で眠る澄みきった天然氷から滴るしずくが、エトヴァのこころの泉に清らな波紋を生む心地がした。
 何処までも透明なその響きを己が声にして、最後の癒しで甘茶蔓を潤して、
「彼がこの地の伝統を護リ、新しく繋げていけるようニ――お願いしマス、ジェミ」
「任せて! エトヴァとみんなが癒したんだから、大丈夫に決まってる!!」
 家族に託す。黎明に染まる和装の袖を翻し、ジェミが手を掲げた天より招来された数多の剣が降れば、絡まった糸玉がほぐれるように甘茶蔓の茂みがほどけていく。消えゆく蔓葉の裡に取り残された青年を受けとめて、
「エエ、大丈夫。ご無事デス」
 確かなその息遣いにエトヴァが微笑めば、皆の歓声が丁字路に咲いた。
 夏緑に映える鳥居へ、その彼方へさりげなく目礼すれば、千梨の耳元で澄んだ氷の音色が礼のごとく響いたのは、きっと気のせいではないのだろう。
 ――跡取り殿に、本来の甘茶蔓からの護りと、かみさまの加護があるように。

●けずりひ
 夏柳なる季語がうまれるほど、夏の風に揺れる柳の緑は趣深い。
 石畳に涼やかに降る影も、水路の清らな水面に青々とした枝垂れが映り込む様も美しく、然れど澄みきった冷たい水に素足を潜らせ、ぱしゃりと跳ね上げる水飛沫の眩さには誰もがひときわ眼を惹かれずにはいられない。
 凄く気持ちいいよ、と両足で水の煌きを踊らせるリリエッタの姿にステラが瞳を輝かせ、お兄様も早く、と招けば、微笑で応えたのはルーチェ・ベルカント(深潭・e00804)。
「エトヴァさん達もお疲れ様、僕もご一緒させていただくねぇ」
「ありがとうございマス。きっとお逢いできると思っていまシタ、ルーチェ殿」
 微笑み返すエトヴァに続いて、ルーチェさんだ! とジェミやカルナ達にも笑みが咲き、皆も俺も無事だと笑む千梨を見つけた鬼飼・ラグナ(探偵の立派な助手・e36078)にも咲く笑みの花は、二人でデートなら、と尻尾をぴこりとさせた桃花が、
「千梨さんはラグナちゃんに大切に仕舞ってる二つ名教えてあげてくださいなの~♪」
「そうだ俺の二つ名!」
 言った途端にぴかりと瞳に輝く期待に彩られた。
「やってくれるな真白。流石は花満開ときめき酒豪」
「ああそれ! 千梨さんが考えたんですね……!!」
 何故か尊敬の眼差しを向けてくるカルナと桃花のあたたかい眼差しに見送られつつ、まあいいかと眦を緩めて千梨は行くかと恋人を促した。何せ、照れて隠すのはもうやめたのだ。
 淡い桃色の白桃ピュレにカラフルな琥珀糖が煌く様と、兄が頭を撫でてくれる擽ったさに瞳を細めて、そうっと掬った一匙を味わえば、瑞々しい白桃の果肉もたっぷりな桃蜜の裡で琥珀糖がしゃりっとぷるっと崩れ、冷たく澄みきった味わいの、
「……!! ルーチェ、氷が溶けてしまったのよ!!」
「ほんとだ。グラニータとはまた全然違う氷菓だねぇ」
 淡雪めいたかき氷がすうっと溶けて、ステラに優しい涼を染み渡らせる。ルーチェが掬う梅酒みぞれは華やかに香り高く、含めば気品すらも感じる梅の爽やかさと酒香が透きとおる涼風となって、身体の芯を吹きぬけていくかのよう。
 Che meraviglia――素晴らしい、と感嘆を零し、またいつかの再訪の約束を。
 乾杯と掲げ合うのはほうじ茶蜜と杏蜜のかき氷。
「桃花さんもお疲れ様です! お陰で安心して戦えました」
「恭志郎さん達もお疲れ様でしたなの、皆の活躍聴かせてくださいなの~♪」
 冷たく薫るほうじ茶蜜氷を含めば優しくとける氷に濃厚なほろ苦さとすっきりした甘さが馴染み、そうですねと恭志郎が再度口を開く前に、
「凄かったんだよ、ジェミが吹っ飛ばした甘茶蔓を恭志郎がこう」
「待ち構えてたみたいにばっさり! あれは見応えある連携だったわよね!」
 匙を構えて見せたリリエッタに頷き、梢子が匙で梅の実をぷっつり割って見せた。
 淡桃色の白桃ピュレを魔法の宝石めいた琥珀糖が彩る己の桃蜜氷も素敵だけれど、梢子の手許で透明な淡い金色に煌く梅酒みぞれは飛びきり大人びて見え、
「大人のひとはかき氷でもやっぱりお酒が好き?」
「どうかしら。大人の特権ではあるけれど、お酒ばかりでもないわよね?」
「ですよね、僕はほうじ茶蜜です。きなこアイスの魅力には抗えませんでした……!」
 首を傾げたリリエッタに釣られて首を傾げる梢子が振れば、カルナが堂々たるアイス愛を宣言する。二十歳を迎えて初めて口にしたお酒も夢のような美味だったけれど、風味もほろ苦さも豊かなほうじ茶蜜氷と、柔く懐かしい甘さで蕩けるきなこアイスのハーモニーには、今日も竜の翼を震わせずにはいられない。
「僕は杏蜜です! お酒も美味しいけど、お酒だけ! って感じにはならないかな?」
 春の終わりに二十歳を迎えたジェミがお酒に感じたのは、己の世界が広がっていく様。
 世界が広くなったからこそ杏の甘酸っぱさの魅力も再発見だけど、ハイ、ジェミ。と兄が梅酒みぞれを一匙差し出してくれたなら迷いなく、
「んー、冷たくって……美味しい!」
「杏蜜モ、とても夏らしい美味デス」
 華やかな香りと芳醇で爽やかな梅の酒気が、澄みきった氷の冷たさと融けあっていく様を堪能する。お返しの杏蜜氷は夏の橙色の宝石を蕩かしたような鮮やかさ、含めばエトヴァは甘酸っぱさも鮮やかな杏蜜と濃厚な練乳の甘さが冷たく混じり合う様に相好を崩す。
 射干玉の夜に銀河が瞬く和装で、和の情緒息づく町に家族や皆と憩う、幸せ。
 そちらも美味しそうですね、と笑みを綻ばす恭志郎が香ばしいほうじ茶蜜と素朴な甘さが後引くきなこアイスの余韻に浸りつつ氷を食べ進め、
「頭がキーンとする前に……って、あれ? しませんね?」
「この優しい口当たりモ、天然氷の魅力のひとつですよネ」
 不思議そうに瞬いて温かいアマチャヅル茶を手に取れば、同じく茶を手にしたエトヴァが笑みを深めた。天然氷はその硬さゆえに、熟練の職人の手にかかれば極薄の羽毛をも思わす削り氷となる。たっぷりと空気を含んで白くふわふわと降り積もるそれは、儚くしゃらりと淡雪のごとくとけ、刺激にならぬ優しい涼感を齎してくれるのだ。
 天日で甘茶蔓を乾燥させて作られたお茶は、陽の匂いを含む干し草のような香りに甘さを秘め、柔い琥珀色したお茶を味わえば、煎られてないはずなのに不思議と感じる香ばしさ。ほんのり広がる優しい甘さがあたたかに潤してくれるから、零れる吐息も至福に染まる。
 清流の風情に、冷たい甘味と、温かな甘露。
 ――なんと贅沢なのでショウ。
 帰りに茶舗に寄って買っていきたいですね、と恭志郎が瞳を輝かせれば、いいわねと声を弾ませた梢子が、はい葉介も、と許嫁に温かな甘露をお裾分け。
 柳の木陰で茶を嗜む和装のビハインド。
 ――ある意味、最強に絵になるな。
 足が無い辺りがまた、と思いつつ、清らなせせらぎに耳を澄ませば思い浮かぶは二年前の夏。少女を家出娘から卒業させ、この子は俺が守ります――と彼女の祖父に誓った千梨は、
「実はあのときからずっと気になっていてな、今日はこれを堪能することにした」
「千梨は俺に知らなかった世界を見せてくれた……でも見せつけるのは違うと思うぞ!」
 歳の足りぬ少女に見せつけながら、麗しき梅酒みぞれを口に運んだ。
 芳醇な梅酒の香り、なのに甘さは氷とともにすっきり澄みわたり、以前聴いた淡麗という表現に得心すれば、自然に零れた言の葉は、
「ラグナが成人したらまた来よう」
「言ったな、千梨。すぐに大人になるから、楽しみに待っててくれていいぞ!」
 杏蜜氷を掬っていたラグナの目許をたちまち和らげたから、千梨も己の目許を和ませつつアマチャヅル茶を手に取った。若返りも良いが、それよりも。
 ――己の心を護ってくれる少女との未来を、楽しみに。

作者:藍鳶カナン 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2020年7月24日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 9/キャラが大事にされていた 0
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