花葬

作者:藍鳶カナン

●夏花
 廃墟と化した街にも、花が咲く。
 死者が行進する街に、花が咲く。
 大阪城に近く、ゆえに長く大阪市民たちの手を離れていた市街の一角、建築物はほとんど破壊されたその地にも、夏の花がいくつか咲いていた。
 街路樹の合歓の木には薄桃色の絹糸をふうわり広げたような花が、植え込みには輝くほど白い梔子の花が咲き、崩壊したビルのエントランスを彩っていた花壇では、すらりと伸びた立葵が薔薇とも見紛うあでやかな大輪の八重を咲かせている。
 瓦礫と廃墟の街を歩むのは、既に死した若い女性達。
 大阪城内に実験用として貯蔵されていた女性達の死体に寄生型攻性植物『ファンガス』がとりつき、群れを成して街へ彷徨いでたのだ。群れは確たる目的もなく、あたりを無秩序に徘徊しているようだったが――ふと花に気づいたらしい者が、ふらふらと花に近寄っていく様が散見された。
 花屋の店名が入ったエプロンを着けた女性が、ブリキの如雨露を持った女性がいる。
 ボロボロになったフラワーアレンジメント教室のパンフレットを抱いた少女も。
 元の女性達は、花を愛するひと達だったのだろうか――と想像するのは難しくなかった。
 花を好む女性は多い。
 若い女性を集めてみれば偶々花好きが揃ったのか、意図的に花好きの女性を集めたのか。その真相を確かめるすべはないけれど。
 死後も大切なひとの許へ帰ることが叶わず、遺体を穢された彼女達に、ケルベロス達なら安らかな眠りを贈ることができる。戦って撃破することでファンガスのみを滅ぼし、遺体を取り戻すことも。――だから、もしも叶うのならば。

●花葬
「ユグドラシル・ウォー、本当にお疲れ様。あなた達の勝利に大阪の人々も沸き立ってて、この勢いのまま早急に大阪城周辺の復興再開発を……って意気込んでるところなんだけど、その前にもう少し、あなた達ケルベロスの力を貸して欲しいんだ」
 天堂・遥夏(ブルーヘリオライダー・en0232)は、大阪城の周辺には今もなおひとびとの脅威となるものが残っていると語る。
 そのひとつが、今回予知で確認されたファンガスの群れだ。
 戦いの折ファンガス地帯と称されていた地の戦力を統率していた『ファンガスロード』は姿を消した。が、使い捨ての戦力だったらしいファンガス達はその場に遺棄されて、大量に増殖してしまったという。
 大阪城には何らかの実験や研究、屍隷兵作成のために大阪市民の死体が様々に分類されて貯蔵されており、それらに寄生したファンガスが分類ごとに群れを成して、大阪城の周辺を徘徊するようになったのだ。このままでは復興もままならない。
「――で、今回あなた達にお願いするのは、若い女性の遺体を元にしたファンガスの群れ。数は四十、このすべてを撃破してきて欲しいんだ」
 個体として見るなら強い敵ではない。
 だがこの群れのファンガスはすべて、標的に抱きついて動きを鈍らせる技と、花のごとき香りで麻痺を齎す範囲魔法を揮う。それが四十体となれば、
「初っ端から群れ全体を相手取るのは危険だと思うんだよね。だからまずは少数ずつを誘き寄せて倒して、ある程度数を減らすのがいいと思う」
 元となった遺体に影響されているのだろう、このファンガス達は花に近寄りたがる性質を持つ。物陰から一瞬だけ花を見せれば、それに気づいた数体が誘われてくるはずだ。
 本物の花を持ち込むもよし、桜花剣舞やフローレスフラワーズなど、グラビティによって生じる花々でも効果があるだろう。ただ、恐らくこの手は最後までは通用しない。いずれは群れとぶつかることになるが、ある程度数を減らしていれば苦戦することもあるまい。
 戦って撃破すればファンガスのみが消滅し、元となった遺体が残る。
 撃破後に残る遺体の移送は手配済で、移送先は警察だ。
 遺体は行方不明者リストなどと照合され、身元確認の上、遺族に返還されることになる。
「だからさ、出来るならでいい、可能な範囲でいいから……遺体をあまり損壊しないように戦ってもらえるかな。ずっと待ってたひとが遺体になって帰ってくるだけでも悲しいのに、遺体が大きく損壊していたら、遺族のひと達はもっと辛くなると思うから」
 たとえば、捕縛を狙うのであれば、月光斬よりは猟犬縛鎖を。
 武器封じを狙うのであれば、サイコフォースよりはフラワージェイルを。
 他にも、霊体のみを攻撃する斬霊刀のグラビティや、歌や音楽、魔法などで肉体ではなく精神に作用するような攻撃グラビティで臨めるなら、損壊はかなり軽減できるはずだ。
「もちろん他にも損壊を軽減できる攻撃グラビティは色々あると思うし、独自に編み出した技に肉体を傷つけない攻撃グラビティがある、ってひともいるんじゃないかな」
 また、せめて顔だけは傷つけないようにする、といった場合は、厳密に言えば『顔以外の部位を狙う』ことになるから、スナイパーとして立ち回るなどで。
 敵を一切傷つけるな――なんて言わない。
 けれど、可能な範囲で、遺体の損壊を軽減できるような、出来るだけ綺麗な状態で女性を遺族の許へ帰してあげられるような、そんな戦い方をしてもらえたら。
「簡単なことじゃないかもしれない。だけど、あなた達なら、出来る限り遺族達の悲しみを抑えられる戦い方をしてきてくれる。そうだよね?」
 挑むような笑みに確たる信を乗せ、遥夏はケルベロス達をヘリオンに招く。
 さあ、空を翔けていこうか。夏の花が咲き、死者が行進する、瓦礫と廃墟の街へ。


参加者
ティアン・バ(煙中魚・e00040)
藤守・景臣(ウィスタリア・e00069)
落内・眠堂(指切り・e01178)
リコリス・セレスティア(凍月花・e03248)
アイヴォリー・ロム(ミケ・e07918)
六角・巴(盈虧・e27903)
リュシエンヌ・ウルヴェーラ(陽だまり・e61400)

■リプレイ

●花奏
 愛された貴女達を、迎えに来たの。
 明日を生きてゆく、誰かのために。
 祈るように手を組めば夏風に揺れるのは純白の衣装、大きく開いた背に咲く天使の翼からアイヴォリー・ロム(ミケ・e07918)が解き放った輝きは、眩いほどの清冽さで廃墟の陰を翔けめぐる。花に誘われた相手、女性達の遺体でも彼女達に寄生したファンガスでもなく、その罪のみを灼く光は、オラトリオの心の在り方そのものを顕現させたかのごときもの。
 ゆえになおさら、時を巻き戻す魔法が失われた現実が胸を貫くけれど、
「――わたくし達にできるすべてを、今」
「尽くそうか。待っているひと達のもとへ、彼女達を帰せるように」
 天使の言葉を掬ったティアン・バ(煙中魚・e00040)の手から舞うのは夏に冷気を躍らす氷結輪、なれど胸には南海の楽園が燈る。遺体すら遺してくれなかった、故郷のみんな。
 罅割れたアスファルトの上を奔るは彼女達の足取りを幾重にも鈍らす魔法の霜、相対する前衛に展開されたリコリス・セレスティア(凍月花・e03248)の星の聖域は幾重もの自浄の加護を仲間に燈す。次の瞬間、麻痺を齎す芳香が波となって押し寄せた。
 ――こっちよ、おいで。
 ――皆、帰りたかったよね。
 淡金の髪に咲く大輪は純白のダチュラ、まずは二体、続けて二体と、四体をここへ招いたエヴァンジェリン・エトワール(暁天の花・e00968)は二連の香りの波ひとつを躱し、
「アタシだけを集中的に狙ってくる様子は、なさそう……よね?」
「ええ。彼女達――いえ、ファンガス達も、花自体を散らそうとは思わないのでしょう」
 アイヴォリーを狙う抱擁の盾となって、受けとめた女性へ命の終わりを導く光を贈る。
 狙いを併せた銀一閃、藤守・景臣(ウィスタリア・e00069)が揮う霊体を討つ斬撃には、彼自身がティアンを護って受けとめた少女が身を挺す。
 花に惹かれはしても、花を持つ囮も『敵や獲物のうちのひとつ』だと気づくらしい。
 大切なものを還すために、返してもらおう。
 外見には覗かぬ狼の血を滾らせ、六角・巴(盈虧・e27903)が言葉を獣の咆哮と成せば、その魔力に彼女達の足が竦む。衣服や携行品に傷みはあれども、遺体そのものには何らかの防腐処置が施されているようで、
「エンバーミング……ってわけじゃないだろうが、これには礼を言っとくべきかね」
「ああ、利用するためだって解っちゃいるが、遺族の心情を想えばありがてえよな」
 一瞬、落内・眠堂(指切り・e01178)に奔った痛みは夏の菫、『換装』したダモクレス。然れど小指を春の菫が抱く右手を翻せば、誰よりも確かな狙いで翔けた透ける御業が女性を包み込み、
「それならなおのこと、綺麗な姿のまま……ご遺族や、大切な方のもとへ」
 銀に百合咲く懐中時計に触れたリコリスが冷たく静謐な葬送曲を歌いあげれば、女性から命の気配が、ファンガスの子実体と思しき瘤が消えた。体内を冒していたであろう菌糸も、間違いなく。やがて――。
 初戦を終えた彼らは、作戦の修正を強いられた。
「実地で誘き寄せてみて感じたのだけれど……これ、ムスターシュには難しくないかしら」
「……そのようですね。危うい賭けに出るわけにもいきませんし、次は僕が出ましょうか」
 交代で囮を務めるはずだった灰銀のウイングキャットへと瞳を向けたエヴァンジェリンに同意して、景臣が一旦鞘に納めた愛刀に手をかける。
 作戦の要をサーヴァントの単独行動に任せるのは、紛う方なき愚策だ。
 自律的な判断も複雑な行動も叶わぬサーヴァントは、決してケルベロスと同等の存在にはなりえない。一瞬姿を見せるだけならまだしも、五体程度の誘き寄せを狙うといった調整が叶うはずもなく、加減を誤って今の段階で群れ全体を引き寄せる様な事態に陥れば、大切なひとの許へ帰れなくなるのはこちらのほうになりかねない。
 実際、仲間の多くはその危険性に気づいていただろう。それでも翼猫には無理と初めから切り捨てず、景臣や巴が交代に備えるとしてくれたのは、
「みんなの、優しさだったのね……」
 自分が無理なら翼猫を囮にと願ったリュシエンヌ・ウルヴェーラ(陽だまり・e61400)は皆の心遣いを噛みしめつつ愛猫を抱き、猫の尾に飾った花を外した。
 銀月の刃が夏風を薙ぐ。
 一気に咲き溢れた桜吹雪に五つの人影が招かれたなら、
 ――どこへゆく?
 最も手近な少女を見据えた眠堂が、夏の路に揺らぐかげろうのごとき幻影の御業で心へと問いかける。己が行方を見つめなおすように少女が立ち止まった瞬間、機を繋がれた景臣が幽けき炎を踊らせた。彼女達を抱擁するのは、心のみを蝕む蜃気楼。
 爆殖核爆砕戦で死神フューネラルが大阪城にいると識ってから三年半、直接挑むことさえ叶わぬまま、ひたすら戦いに身を投じてきた。大局が動けばいずれ機会がめぐると信じて、宿縁で結ばれた彼女と相対する機会を待って、希って。
 それなのに。
 愛するひとを護れなかった罪、それを贖う機会は潰えてしまったから。
 断ち切られた宿縁を手繰る代わり、彼女と同じカンギの戦士が残した災厄を摘みにきた。代償行動であるのは承知の上で、
 ――さあ、贖いの時は来たれり。

●花喪
 明るいオレンジ色のベルを思わす花は小振りで、一輪で気を惹くには心許無いから。
 幾つもの花を鈴なりに咲かせたままを切りとったサンダーソニアを、軽く振って見せた。
 ――望郷。
 花言葉に託した想いが届いてか、遠目に気づいた一体と、己から距離を縮めて三体の眼を惹いた瞬間、引き際かと巴は身を翻す。
 招かれた彼女達を歓迎するように輝くのはリコリスが描いた星の聖域、
「ご遺族の悲しみが消えるわけではないでしょうが……」
「せめて彼女達が、大切なひと達に、優しい想い出を遺してゆけるように――!」
 星芒の上を翔ける氷結輪がアイヴォリーの祈りを乗せ、彼女達の歩みを押し留める魔法の霜を展開すれば、その足元へ幻想の波が打ち寄せた。
 ――おいで。ゆこう。
「この星のいのちが海から来たなら、かえろう。そうして、本当に帰るべきひとのもとへ」
「そう。せめて君達は待つひとのもとで、綺麗な花々と愛する腕に囲まれて眠れるように」
 幻想の海原へティアンが彼女達を誘う。波が引き摺りだすのは彼女達でなく、攻性植物が幾重にもみる悪夢。巴が煙草からくゆらす煙が闇に転じて、月が照らすティアンの海原へと女性達の背を押すかのよう。闇から獲物を狙う数多の狼の瞳の輝きが、彼を抱擁せんとする腕を痺れさせて。皆で確実に、彼女達を解き放っていく。
 戦場に絶対の安全圏が、楽園がないなんて、あの夕凪の浜辺で痛いくらいに実感した。
 ゆえに後衛の後方などという幻想にすぎぬ場所でなく、アイヴォリーは皆とともに比較的堅固な外郭を残すビルの裡へ、戦いが途切れるたびに手早く女性達を移動させて安置する。もう何者にも穢されぬ遺体を、戦いに巻き込んでしまわぬように。
「これで二十二名……残っている方々は、半数を切りましたね」
「まだまだ頑張れるのよ! 待ってて、必ず全員大切なひとのもとへ帰してあげるから!」
 決して見落とすことのないようリコリスが彼女達の数を確かめ、深緑の鎖とともに誓いを握りしめたリュシエンヌが夏陽を照り返すアスファルトへ駆けだして、
 ――帰ろう、帰してあげる。
 ――皆の大切なひとが、皆を待ってるわ。
 純白のダチュラを咲かす花天使が、女性達を招いてくる。
 深緑の円環が輝きを噴き上げた。リュシエンヌが描く守護魔法陣に護られながら、
「痛ましいこと、だけれど。遺体が家族のもとに帰れるのなら、せめてもの救いだわ」
「折角敵さんが綺麗に保っててくれてたんだしな、可能な限り、このままで」
 星の約束を継いだ短剣からエヴァンジェリンが撃ち込むのは時間と空間を凍結する弾丸。凍気のきらめきに星の瞬きを見る。暁の星のように消えゆくひとを抱きしめ、このまま連れ帰れたらとどれほど願ったことか。
 刃から迸らせるのは斬撃ならぬ惨劇の魔力、遺体を傷つけることなく眠堂が引導を渡す。菫の姿と振袖を纏って現れたダモクレス、終わればすべて夏の夜の夢のごとく消え果てると識りながら、あの夜の皆も、相手の身体も振袖も必要以上に傷つけぬよう気遣ってくれて。
 そうして、眠堂の心も護ってくれたから――今日は、俺も。
 抱擁を思えばファンガスの『武器』を砕くクイックドロウは躊躇われ、ゆえにティアンも惨劇の魔力を解き放つ。
 翡翠に水緑、燃ゆる赤橙。故郷を襲った惨劇のあとに、存在そのものを変容させて帰り、世界に還った面影も胸に燈るけれど、戻らぬひとのほうが、多くて。
 命尽きれば何も残さず消えるデウスエクスも珍しくないが、
「ファンガスは自分だけ消えて、遺体は残していってくれるのか」
「まだしも性質がいいほうなのか、寄生してから日が浅いからなのか、どっちなのかね」
 だが、ひとかけらの幸いには違いない、と続けて巴はティアンへ手を伸ばす少女の抱擁を受けとめ、指の突きひとつでその気脈を断った。
 ……あいつは、骨すら遺しちゃくれなかったから。
 苦い吐息で紡ぐが、胸には白き丁香花を手向けるはずだった友の面影が燈る。
 誰の哀しみがより深いかなんて、誰の悲劇がより辛いかなんて、比較できるものではないけれど。それでも。大切なひとを喪った後も、その面影を偲べる者は幸せなのだ。
 大切なひとの姿で現れた宿敵との運命に、己自身の手で決着をつけることが叶った眠堂とエヴァンジェリンも。
 己が誰より恋しく思ったひとが、己の大切なひとたちの手で命を奪われていく様を、砂に指を這わすことさえ叶わず見つめ続けることしかできなかったティアンも。『彼』と永遠の口づけを交わし、最期に寄り添って、ゆびさきを絡められたことを思えば。

 ――幸せ、だったのだ。

●花葬
 瑞々しい桃を思わす合歓の花の香も、眩むほど甘い梔子の花の香も呑み込んで、身も心も痺れさせんとする芳香が膨大な波濤となって襲い来た。
 群れを迎撃せねばならなくなったこの時、相手の残数は十二体。
 癒し手といえど翼猫と力を分け合うリュシエンヌのみでは到底追いつかず、妖精靴で舞うティアンが幾重もの浄化を孕む癒しの花を降らせて、エヴァンジェリンも天使の極光を夏の陽射しに踊らせる。三重の輝きと加護を噴き上げる星の聖域でリコリスが態勢を整える中をアイヴォリーが馳せた。
 少女の抱擁をいなし、贈るは蜂蜜、芳醇なバター香る黄金の生地。
 彼女の心臓でも心でもなく、ファンガスの魂を、と願って揮われた自陣最高火力の魔法に傾いだ少女が景臣の斬霊斬で力尽きる。だが心を斬られたように眦を歪めたのは彼のほう。
 花を愛する心を贈ってくれた妻の面影は、幽けき地獄の炎と化した記憶の彼方で今も朧に霞んだまま。だからこそ景臣は、花を愛する女性達の誰も彼もを、亡き妻と重ねてしまう。ちぃと呼んだ、最愛の妻に。
 初めこそ相手はファンガスだと己を叱咤できたが、彼女達を手にかけるたび大切なひとを殺めるような錯覚に見舞われる。――僕は、ちぃを。
 ――あるいは、誰かにとっての『ちぃ』を。
「違うぞ景臣。景臣は奥さんを斬ったり、してない」
「女性達でもその遺体でもないのよ、傷ついて滅びるのは、ファンガスだけ……!」
 出口のない迷路を斬り拓くよう翔けたティアンの氷結輪が減衰も構わず一気に魔法の霜で路面を彩り、景臣の分まで芳香を引き受けたエヴァンジェリンが惨劇の魔法を放ち、彼女へ手を伸ばす女性へ眠堂の鎖が奔る。
 狙い違わず足を捕えれば、その歩みも永遠の休息を得て。
「なあ景臣、あの夏の夜だってそうしてくれただろ!? 今と同じに!!」
 夏の菫に景臣達がそうしてくれたように、今も皆がそうしているように、今日の彼だって女性達の遺体を傷つけぬよう立ち回っている。もしも彼女達の魂が今もそこにあるのならと眠堂も心苦しさを覚えはすれど。
 ――絶対に、悟らせない。
「解っては、いるんです。ですが……」
 贖罪が叶っていれば違ったろうか。
 潜入作戦での邂逅で一矢報いた。防衛線の戦場でも刃を届かせた。なれど己が手で宿縁に決着をつけること叶わず、景臣のものでない炎に呑まれた彼女の最期が、眼裏に灼きついて離れない。炎の先で逢える気がして、幽けき炎を踊らせた、そのとき。
 ――かげくん。
 柔らかな囁きが耳に届いた。
 理性は幻聴だと叫ぶ。炎の向こうから聴こえたかに思えたけれど、それよりも、横合いの植え込みで眩い純白に咲く、梔子の花の傍から聴こえたと、心は強く叫んだから。
 ――ちぃ……!!
 愛し愛され、生涯に唯ひとりと想い定めた相手と。
 今をともに生きて歩んでいけることが、どれほどの奇跡であるのかを。
 アイヴォリーとリュシエンヌは改めて心に刻み、最後の戦場に身を躍らせる。
 蜃気楼に抱かれた女性達が、ひとり、またひとりと皆の攻勢で眠りを迎えていく。
「遺体と対面するという事は、その死に向き合うという事ですが……」
「ええ。そうして、彼女達を愛したひと達が、その笑顔を忘れずに生きてゆけるよう」
 胸の痛みを月の指輪煌く手で抑えたリコリスが、禁歌の調べを唇に乗せた。
 彼女達に、彼女達の遺族の哀しみに、そして痛みを抱えて戦いに臨む仲間達に、救いを、奇蹟を希う歌が幾重もの麻痺で彼女達を抱きすくめれば、アイヴォリーが女性の懐へと跳び込んだ。指輪が千夜の契りを燈す手で贈る終わりは、デウスエクスの魂を喰らう一撃。
 弔いは死者ばかりでなく、遺された者も慰撫するものだから。
「大丈夫なの、みんな綺麗なまま帰れるのよ!」
「その意気だ、このまま一気に終わらせようか」
 最後まで泣かないと決意したリュシエンヌが金と銀を編む指輪に彩られた手を伸べれば、降り注ぐのは少女の影を縫いとめる煌きの魔法。灰銀の光で撫でるようにして、巴も少女でなくファンガスの魂を喰らい、遂には終幕が訪れる。
 ――どこへゆく?
「お前さんには、帰るところがあるだろう?」
 穏やかに笑む眠堂の幻影の御業が、最後の女性に安らかな眠りを贈る。糸の切れた人形の様にゆるり頽れる彼女を景臣が受けとめる。思い出せぬ妻の面影も、遺された愛娘の面影も重ねることなく、けれど。
「……お帰りなさい、見知らぬひと」
 嘗て言えなかった言葉を、ようやく彼は口にした。
 翼ならぬ羽衣、ティアンが纏うそれに宿るクリーニングの力はこの遺体達には使えない。然れど、魔法めいた術が届かずとも。この場での湯灌は難しくとも。
 自分自身の手で彼女達の顔や手足を拭ってあげることはできる。
 衣服の砂埃を払い、乱れを整えてあげることも。
 だから灰の髪を送り火の煙のごとく風に揺らして、彼女達の傍らに膝をついた。
 おつかれさま、そして。
 ――おやすみ、いってらっしゃい。

作者:藍鳶カナン 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2020年7月20日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 5/素敵だった 2/キャラが大事にされていた 3
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