死を喰らう脚本家

作者:白石小梅

●悲劇の結末
「あの廃遊園地、か……」
 マルティナ・ブラチフォード(凛乎たる金剛石・e00462)が、綻びたアーチを潜る。
 どこの誰とも知れず、手掛かりもない敵を、追い続けた半生……万に一つの偶然を願い、闘い続けることでいつか相見える時を待つ修羅の日々。
(「復讐だけが道ではない……だが、それに気付いてから運命が動き出すとは。皮肉なものだ」)
 過去に囚われず前へ進むために、新たに見つかった僅かな手掛かりを調べ直し、彼女はここに辿り着いた。古城前の噴水広場へ。
「な、んだ……これが、廃墟? 馬鹿な。あの花は……」
 噴水は水飛沫を散らして虹を描き、広場を流水が囲う。広場向こうには、山間のまだ少し涼しい風の中で、紅や薄桃、黄色の薔薇が咲き乱れていた。
 そして広場中央に狂い咲くのは、黒薔薇の花畑。漆黒を湛えた花弁が、風に舞って。
『……御機嫌よう。麗しいお嬢さん』
 いつの間にか、土気色の肌に燕尾服を着込んだ男が、その前に立っていた。
「貴様は……」
『私は悲劇の脚本家(スクリプター)。貴女のことは、ずっと見てきました。親を殺され復讐に生き、やがて人の情に触れて未来を見据えて。過去との決別の為、私まで辿り着く……おかげで、素晴らしい悲劇が綴れました』
 身構えるマルティナの前に、男ははらはらと紙を散らす。思わず拾い上げたその紙には、マルティナが歩んできた半生が書き綴られていた。
「これは……貴様が……書いた、のか?」
『ええ、そうです。この黒薔薇の褥に貴女を飾れば、芸術が完成する。後は、称賛と喝采を浴びるだけ。貴女を愛する人たちの嘆きと、人々の絶望という形でね』
 マルティナは震える指で、過剰に装飾された己の『物語』を遡る。その始まりまで。
 そう。
 【死神に親を殺された少女】の頁まで。
「……!」
『ああ。全てを理解したその顔……麗しい。最後の歌は壮絶にお願いいたしますよ。私の、可愛い、プリマドンナ』
 言葉を喉に詰まらせたまま、紙が落ちる。見開いた目が、持ち上がる。黒い花吹雪に立つ、悲劇作家に向けて。
『さあ……! 緋に染まる純白の悲劇も! これにて、フィナーレです!』
「……貴様ァアッ!」
 マルティナは剣を抜き放つ。
 己の過去と、決着をつけるために。
 そして闘いが、始まった……。

●過去と未来
「マルティナ・ブラチフォードさんに危機が迫っております」
 望月・小夜は居並んだ面々に告げる。
「小耳に挟んではおりました。彼女には、宿敵として狙う相手がいると。危惧もしておりました」
 ……それは同時に、彼女をつけ狙う者でもあるのではないかと。
「彼女は様々な経験を経て、復讐に囚われた過去から脱却しつつありました。それでも手掛かりを見付けたなら……調査に向かわねばなりませんよね」
 やるだけやったと、己自身に言うために、だ。過去に囚われないこととは、何もしないことと同義ではないのだから。
「ですが……彼女は引き当ててしまうのです。それを、大当たりというのか否かは、わかりませんが」
 調査に向かった先で、マルティナは遂に宿敵と出会う。だが敵は彼女を待ち構えていたようで、すでに通信も繋がらない。
「単独での待ち伏せ。勝敗は言うまでもなく、猶予はありません。急ぎ、こちらから救援に駆け付け、力を合わせて敵を撃破し、マルティナさんを救出する。それが今回の任務です」

●血の脚本家
「敵の名は『悲劇のスクリプター』。各地で人を殺しつつ、被害者に縁の深い人物にわざと犯行の手掛かりを残して、己へ誘導する……そんな手口を用いる、悪辣な死神です」
 復讐に燃えた者が己まで辿り着く。自ら演出したその道程を『物語』と称する、狂気の悲劇作家。
「無論、そのフィナーレは凄惨な死によって幕を閉じ、その被害者の関係者が嘆き、涙する様をまた遠くから見て、己への称賛と受け取り悦に浸る……そんな猟奇的な殺人鬼です」
 現場は、甲信越から東北にかけての山道にある、テーマパークの跡地。
「園のシンボルであった廃城前の噴水広場になります。作家気取りのクソ野郎はわざわざ彼女のために水を引き、薔薇園まで作って現場を彩っていたようですよ」
 連絡の取れなくなった彼女を探しに出た者が、花畑で凄惨に着飾られた彼女の死体を見付けるところまで計算の内。留まるところを知らぬ悪趣味だ。
「ですが、お気をつけて。敵は人心を弄ぶことに掛けては相当な使い手。その筆の描き出す悲劇に呑まれぬよう、くれぐれもお気をつけて」

「わたくしも参ります。彼女とは、共に任務に就いた身。せめて、弾避け位にはなってみせますわ」
 朧月・睡蓮(ドラゴニアンの降魔拳士・en0008)が、決然と立ち上がる。
「ええ。行きましょう。作られた悲劇を打ち破り、皆で証明するのです。彼女と皆さんの『物語』は……まだ続くのだと」
 小夜はそう言って、出撃準備を願うのだった。


参加者
マルティナ・ブラチフォード(凛乎たる金剛石・e00462)
楡金・澄華(氷刃・e01056)
癒月・和(繋いだその手を離さぬように・e05458)
ミント・ハーバルガーデン(眠れる薔薇姫・e05471)
アウレリア・ノーチェ(夜の指先・e12921)
ヒエル・ホノラルム(不器用な守りの拳・e27518)
黒澤・薊(動き出す心・e64049)

■リプレイ


 花海の中に、響く金属音。剣とステッキが、火花を散らして。
「漸くだ……漸く辿り着いた! 私は貴様を絶対に許さない……許しは、しない!」
『そうです。母の影さえ乗り越えて辿り着いた場所……ここが貴女の終着点』
 それは、憎悪に目を歪めたマルティナ・ブラチフォード(凛乎たる金剛石・e00462)と、薄笑いを浮かべる悲劇の紡ぎ手。
「あれも、貴様の差し金か!」
『いいえ? 全ては定められた物語、ですよ』
 剣を弾き、マルティナは吠える。憎悪に、とり憑かれて。
「その四肢、斬り落としてやる! 二度とその筆、握れぬように!」
 渾身で放った二刀の閃断が、花畑を割る。
 幾度も。幾度も。
「両親の痛みを、苦しみを、無念を……! 味わうがいい!」
 だが黒い影は透けるように身を躱し、黒い花弁が滅びの香りを散らすばかり。目の前に迫る影に剣を振り払った瞬間……背後から、ステッキが延髄を打ち抜いた。
『見事な殺陣ですね。血が滲みました』
 男はうっとりと頬に走った紅を拭う。眩む視界を奮い立たせて、即座に身を起こす女の足元を、ステッキで掬い取る。
「貴、さ……!」
 そして、嘲笑うようにその背を優しく踏みつけた。立ち上がろうとするたびに。
 何度でも。
「……ッ!」
 這いつくばった女は、全神経を込めて男を睨みつける。だが、その顔面に叩きつけてやろうとした爆破の術さえ、ひらりと舞った脚本の一枚が受け止めて。
『吹き荒れる激情……不屈の精神。ああ、素晴らしい』
 艶やかな革靴が、繰り返し刷り込む残酷な事実。

 勝てない。これは悲劇だ。筋書きは、決まっている。

(「ここまで来て……! ここまで、だと!」)
『さあ。麗しく完結といきましょう』
 するりと抜かれた仕込み刃が、女の頬に紅い筋を引きながら、持ち上がる。
 幕を、下ろすために……。


 山間の黎明。飛び抜けるヘリオンの中で。
「見えた。あれだ……! こんな場所に不釣り合いなお城……。りかー。みんな。準備して」
 癒月・和(繋いだその手を離さぬように・e05458)が地図から顔を上げる。
 窓を開いたミント・ハーバルガーデン(眠れる薔薇姫・e05471)の髪が、早朝の涼やかな風に揺れる。
「こんな山奥に沈んだ廃墟……一般人が居ないわけですね。早く合流しなければ」
 アウレリア・ノーチェ(夜の指先・e12921)が、連れ合いと仲間に振り返って。
「アルベルトも睡蓮も、作戦通りにね。悲劇の終わる地で、悲劇そのものに終止符を打ちましょう」
 蒸気の抜けるような音と共に、ヘリオンのハッチが開いていく。
 身を乗り出した黒澤・薊(動き出す心・e64049)は、流れていく大地に視線を落として。
(「マルティナさん……待っていて。もう少しだけ……無事で……」)
 刻まれる一秒ごとを、歯噛みしながら睨めつけて。
 番犬たちは身構える。
 降下までの、永劫とも思える数瞬を……。

 ……刃が、落ちる。
 響くのは、肉を裂く湿った音。
 鮮血の生温い感触が、マルティナの頬に散る。
『!?』
 だが、痛みがない。
 自分を覆うのは、温かな影。マルティナがハッと顔を上げた時。
「怒りで……自分を見失うな! 雑念を払え。俺達が護る。コイツの脚本通りには、させん!」
 降下と同時に、背で刃を受け止めていたのはヒエル・ホノラルム(不器用な守りの拳・e27518)。その両手から放たれる癒しの闘気で、彼女の身を癒して。
「ヒエル……!」
 慌てて再び振り下ろされる刃に、迸る鎖の結界が絡みついた。降下してくる和とリーズレット・ヴィッセンシャフト(碧空の世界・e02234)が、共に空中で白刃を絡め取る。
「マルティナさんの物語は、絶対に悲劇では終わらせない……! 終わらせたくない!」
『邪魔を……! 貴方たちは!』
 目を見開いたマルティナの周囲に、仲間たちが次々と着地する。響の属性を身に宿した楡金・澄華(氷刃・e01056)が、即座に大地を蹴って。
「一等好かんタイプの奴だ……! 凍雲。確実に、ブチのめすぞ!」
 冷気を纏った剣閃が、舞うように黒影を斬り裂いた。燕尾服の切れ端と濁った血飛沫が散る。すぐさま薊の蹴りが追い討ちを掛け、黒い影は番犬たちから距離を取った。
「マルティナさんは旅団の団員。危機とあらば見過ごす訳にはいきません」
 倒れた手を、ミントが掴む。朧月・睡蓮(ドラゴニアンの降魔拳士・en0008)がヴァンフレッド・サドと共にその身を支えて。
「ヴァン! みんな! 来てくれ、たのか……!」
「サポート四名も準備完了ですわ。わたくしは回復支援に回ります」
「独りで、早まるンじゃねェ。一緒に行こうぜ。ここに来た……いいや、お前に関わった、全員でだ」
 12人の番犬が、白い軍服を囲うように壁を作って、身構える。
「……ああ! すまない!」
 目を拭って、彼女は改めて剣を構え。悲劇の紡ぎ手は、暗い目を光らせる。
『飛び入りとは。気の早い観客ですね』
 そして悲劇が、再びその幕を上げる。


『予定より早いですが。皆さまに、悲劇の終章をお見せしましょう!』
 黒薔薇の花弁が舞い上がる。迫り来る毒牙の如き花吹雪と化して。
 退廃の香りと共に迫るそれを薙ぎ払うのは、闘気を漲らせたアウレリア。
「自ら舞台に手を下し、仕手を朗々と語るなんて、脚本家としても三流以下ね。アルベルト、人の想いを弄ぶ下朗に鉄槌を」
 身を裂いてくる花弁をアルベルトの念動力が押し返す。
 その前へ飛び出すのは、愛竜を引き連れた和と、ミントの二人。
「りかー! 行くよ!」
「紙兵たちよ、皆を守護してあげてください!」
 防陣を組む紙兵と、それを支える雷の壁が降り注ぐ。花弁を弾いて、癒しの道を切り開いて。
(「ボクは、あの闘いにも立ち会った……その想いの強さも深さも、知っている。さあ、行って……!」)
 そして、断ち割られた黒い嵐の中を澄華とマルティナが駆け抜ける。
「忍をやってるので仕事の時は感情出さないようにしてるんだが……コイツならば構わんな! 合わせるぞ、マルティナ殿!」
「ああ! コイツだけは、楽に殺してなるものか……! 両親を殺し、ヴァンの腹へ風穴を開けたその罪! 命を以て、贖え!」
 閃く、二刃。身を捻る脚本家の肩口から、僅かに鮮血が散る。
(『先ほどより、動きが……?』)
「何を驚く。俺たちは絆の数だけ強くなる……いや、人の人生を弄ぶ脚本家気取りの下衆には、わかりはしないか!」
 ヒエルが叫ぶ。氣を奮い立たせて黒薔薇の花弁を打ち払う彼の背後からは……。
「悲劇は、あった。でも、悲劇だけで終わらせはしない。ティナさんの物語を返してもらうよ。君を、僕たちにとっての仇にはさせないんだよ……!」
「……ああ。この技、捌いて見せろよ。ここで流れる訃報は、お前のだけだぜ」
 七宝・瑪璃瑠が癒しの風で滅びを誘う香りを吹き飛ばし、天音・迅がその隙を突くように衝撃波を打ち飛ばす。
 サポートからの支援を受け、リーズレットがスカートを翻す。花を散らして跳躍し、上から踏むかのように脚本家を蹴りつける。
「悲劇なんて認めない。彼女には笑顔でいて欲しいからな。その為には目の前の敵……お前をぶちのめす。ぶちのめさせて、やるんだ……!」
 辛うじて彼女を跳ね除けるも、男は姿勢を崩した。そこに横から蹴りかかるのは、薊。身に炎を纏い、唾棄するように目を細めて。
「世の中には下衆な奴が沢山いるが……お前ほど酷い奴はいない。お前は、ここで終わりだ。くだらない筋書きと一緒に」
 炎の蹴りに弾かれて、悲劇の紡ぎ手は身を転がした。
 だが、火傷がその身を焦がしても、圧倒的な数の差に追いつめられても、その口元に浮かぶ薄笑いは消えない。それは、己の力への自負というより……。
『いいでしょう! 拒まれぬ悲劇など、悲劇とは言えません!』
 悲劇に憑かれた死神の狂気は、更に深みを増すばかり。
 脚本が、結界のように舞い踊る……。


 戦場を舞う脚本紙。邪魔な紙切れの端々に、みっちりと綴られた文字列の違和に、和は気付く。
(「綴られているのは白い軍服の女の物語……その登場人物は彼女ばかりじゃない」)
 緋色のドレスの死神や黒薔薇に呑まれた女の頁……その中には、背の低い黒髪の女の姿がある。すなわち、自分の姿が。
 そして悲劇にとり憑かれた男の視線は、時にこちらに向く。どろりとした笑みに歪んで。
「……気色わる。とっととやっつけるよ、澄華さん!」
「ああ! 度肝を抜いてやる! 仲間と力を合わせた私の技の威力! 刮目しろ!」
 りかーと共に、和は澄華の背に賦活の電撃を打ち込んだ。筋繊維に稲妻が弾け、呪詛を込めた一閃は速度を増して、脚本家のステッキと激突する。だが、押されて身を退いた男は、反対の手で握りしめた羽筆を動かした。
『おいでなさい! 悲劇を齎せし者たちよ!』
 そして、一枚の脚本から現れるのは、鍵を握った学生服の夢喰いや腐した竜の幻影。
「……! お前たちは!」
 幻とはいえその力に身を弾き飛ばされ、澄華もまた舌を打って身を転がす。
『ああ、いい驚愕だ。何が見えました? 教えていただきたい』
 けらけらと嗤う男の周囲を舞う脚本の中に、ミントは白い巫女服の花たちを。薊は隻眼の白竜を。リーズレットは勇者に堕ちた女を……それぞれに、自分たちと思わしき描写と共に見つけていた。
「これは……私たち?」
 ミントが咄嗟に気力を注ぎ込んで幻影を破る中、薊が紙を切り裂いて駆け抜ける。空を断つ一閃を振るい、男を押し込みながら睨みつける。
「……調べ上げていたのか。私たちが何と闘ってきたのかを」
『彼女と親しい方は、次の主役候補ですから。少しばかりね。あなたでも良い。その冴えたお顔が、歪むところを見てみたい……?』
「下衆め……!」
 火花を散らして男を弾くと、黒いスカートを舞わせたアウレリアがそこに割り込む。アルベルトに援護させつつ、彼女が黒煙を引いて放った弾丸が、爆発する。
『これは……煙幕?』
「彼女が紡ぐ物語にも、その絆を紡いだ人たちにも、貴方の無粋な手垢など必要無いわ。塵も残さず消えなさい」
 アウレリアがそう言った瞬間、視界を塞いだ黒煙の中から、マルティナとヒエルが飛び出した。
「その不快な言葉を……! その濁った視線を! 私の友に向けるんじゃない! その喉、その瞳! 全てこの手で斬り裂いてやる!」
「ああ。ミスキャストだ。俺達はもう何一つ、貴様の脚本通りにはさせん。そしてこの先、貴様に脚本を綴る機会は二度と与えん!」
 刃と爪の閃断がその脇と太ももを斬り抉った。黒い花畑に、濁った紅が飛び散って。思わず舌を打った脚本家は、薔薇の嵐を操って追撃を掛けんとする二人に襲い掛かる。
 だが。
「皆、怒ってる。ああ、怒らない方がどうかしてる。だからね。マルティナさんの得た絆で……君の筋書きに無い役者で、君を殺す。反省しなよ、もう遅いけど」
 紗神・炯介が紡いだ暗い呪いが、花嵐に身を躍らせるリーズレットの鎌に宿った。回転した刃は、そのまま薔薇を薙ぎ払って仲間たちの背を守る。負った傷も、響がすぐに癒して。
「そうだ! ここに居る全員が、彼女の紡いだ縁……彼女自身だ!」
『くっ……』
 刃を防ごうと、脚本家は咄嗟に仕込みの鞘を捨てた。血に濡れたその顔に、苦い焦りが浮かぶ。
 闘いの天秤は、ゆっくりと傾きつつあった。


 燕尾服はすでに血に塗れ、黒薔薇の花畑も激戦に刈り取られている。周囲には、憎悪を向けてくる十三人の番犬たち。
『ご批判を受け入れねばなりませんね……どうやら私が生き残る筋書きはないらしい』
 脚本家は自嘲する。
「この期に及んで……! お前の死は、ただの自業自得だ。諦めてくたばれ!」
「お前以外は誰も死なない。マルティナさんはこれからも私たちと一緒に生きていくんだ!」
 渾身の力で、澄華と薊が跳ね飛んだ。飛び回る脚本が引き裂かれ、甲高い悲鳴と共に脚本家の左腕が羽筆と共に宙へ舞う。
 ……終わった。
 もはやあの男に、生き延びる術はない。
 誰もが、その確信を得た、その一瞬。男の口の端が吊り上がる。
『……ですが私は、脚本家! この悲劇だけは、紡ぎあげて見せる!』
「!」
 血の泡を飛ばして、男が刃を振るう。指揮棒の如く。瞬間、戦場を覆うように最後の黒薔薇が吹き荒れた。咄嗟に前衛を庇ったのは、ヒエルとアウレリア。
「道連れにする気か……! いや、今ならいける! けりをつけろ!」
「ええ。貴女自身の手で軛を絶ち斬って……望まれぬ悲劇に終止符を……!」
 ドーム状に展開した花吹雪が、番犬たちを分断した。狂気に満ちた抜き身の剣と化し、男は哄笑する。
『最期は二人きり! 縺れ合ってのフィナーレと行きましょう!』
 次は、薔薇を目晦ましに渾身の斬撃が来る。これが最後の馳せ合いだ。
 マルティナは息を整え、剣を構えて……敬礼するように、目を閉じた。
「……いや。私は独りじゃない。終わりだ脚本家。フィナーレを今、見せてやる」
 黒薔薇の群れが毒蛇のように伸びあがった、その瞬間。
 一斉に咲き乱れた蒼い薔薇が、黒の毒蛇を蹴散らした。甘く誘う滅びの香りが消え、変わって満ちるは静謐な蒼薔薇の香。
『!?』
「青藍の薔薇よ。常闇より出す、夢叶う花よ! 全力で護れ! 彼女がその手でしっかりと、終止符をうてるように!」
「趣味の悪い黒薔薇と、その呪詛は私たちが押し返します。さぁ、今です! マルティナさん、あの死神にトドメを!」
 それは、リーズレットとミントの生み出した、蒼薔薇の園。瞬く間に蒼く塗り替えてい光景の中で、和がその手から雷電を、ヴァンフレッドが守護の鎖を迸らせて。
「付き合いの長さも深さも関係ない。みんな、友としてキミを見守り支える覚悟だよ」
「ああ。終わらせるんだ! お前自身の手で! 俺が……みんなが、一緒だぜ!」
 仲間たちの加護を纏い、全てを振り切ってマルティナは目を開く。
 目を血走らせて、脚本家は剣を振りかぶる。
(『この刃、だけは!』――「届かせる……絶対に!」)
 奇しくも一句違わぬ決意を胸に、白と黒の影は細い刃をしならせた。
 弾け飛ぶような、甲高い金属音。
 宙を舞う白刃。
 根元から叩き折れたのは……。
『馬鹿、な!』
 消失した刀身を見て、脚本家が叫ぶ。刹那、白い剣が男の胸倉をぶち抜いていた。
「プリマは、ついに復讐を果たす……それで、幕だ。地獄の底で、喝采を聞くがいい」
 刃を薙いだ瞬間、男の胸から噴水のように血が噴き出す。
 死神は結末を信じられぬように、膝をついて。
『これでは……喜劇、じゃ……ないか……』
 やがてその指先が、胴体が、顔が萎れ、黒薔薇の花畑が干からびていく。
 その全てが腐った枯れ枝のようになったころ、一陣の風がその影を塵と散らした……。


 闘いは終わった。
 残ったのは静謐を取り戻した廃墟の広場と、その周囲を囲む花園だけ。
 白い軍服がその中で風に揺れる。
(「終わっ、た……私は、マルティナさんの傍に……」)
 薊は背に走り寄ろうとして……一歩を踏み出したところで、足を止めた。その肩に、ミントがそっと手を置いて。
「誰一人欠けることなく、従者たちも無事な勝利……私たちに出来ることは、ここまでです」
 二人が見つめる向こうでは、無言の背が空を見上げている。
「縁も物語も、紡がれ続けるもの……彼女が紡ぐ物語から、昏き霧は晴れたかしら」
「彼女の決意も選択も、彼女のものだ。僕たちは、それを少し手伝いに来ただけさ」
 アウレリアの言葉に、ぽつりと応じるのは、炯介。
 閉じられつつあった悲劇は、形を変えて幕を下ろした。
 彼女がこれから、どう生きるのか。その選択を支えるのは。
「あの人の心を包んで癒すのは……ヴァンフレッドさん。あなたしか居ないよ。そうでしょ?」
 リーズレットが、その背を見つめて立ちすくんでいた男を、肘でつつく。
「……ですわね。わたくし、無粋な真似は出来かねます」
「うん。ティナさんをよろしくお願いします、なんだよ」
 睡蓮と瑪璃瑠も、肩をすくめて微笑んで。
 俺で、いいのか? と、困ったように眉を寄せる男の背を、和がぽんと押す。
「ボクらじゃ荷が重いからね。行ってきなよ。なんかあったら、またみんなで支えるから」
 そう言って場を離れていく仲間たち。
 会釈を返し、ヴァンフレッドは花畑をかき分けてマルティナの後ろに立った。
 振り返った目には、大粒の雫が煌めいていて。
「ヴァン……」
「終わった。今、全部終わったンだ……お疲れ様……」
 そう語り、男はそっとその肩を抱き寄せた。
 涙と嗚咽が、零れて落ちる。
 そっと肩を抱く腕の内側で、子供のように彼女は泣いた。
 何十年と張り詰めていた糸が、切れたように……。

「……あーあー。お熱いこって。良いことだけどな」
 迅が、くすくす笑いながら花畑の脇に座り込む。
 気を遣ってその場を離れた仲間たちに、魔法瓶から飲み物を出すのは、澄華。
「さて。事が終われば休憩だ。お茶を持ってきたぞ。マルティナ殿には……後で届けるか」
 肩をすくめる彼女から、ヒエルはお茶を受け取って一口煽る。
「ああ。復讐は区切りだ。終わりではない。悲願のその先はじっくり考えていけば良いだろう」
 時間はある。ヘリオンを呼ぶのは、もう少し待ってからにしよう。
 悲劇は幕を下ろしても、物語は続くのだから。
 どこまでも続く、この初夏の青い空のように……。

作者:白石小梅 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2020年6月29日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 1/感動した 1/素敵だった 1/キャラが大事にされていた 4
 あなたが購入した「複数ピンナップ(複数バトルピンナップ)」を、このシナリオの挿絵にして貰うよう、担当マスターに申請できます。
 シナリオの通常参加者は、掲載されている「自分の顔アイコン」を変更できます。