花冠のセイボリー

作者:藍鳶カナン

●花冠のサモワール
 森の新緑と湖の澄んだ青、春の薔薇に彩られた地に、遠い西洋の浪漫が息づいている。
 この古くからの別荘地に幾つも残る麗しきレトロ建築のひとつであるクラシックホテル、そのパントリーには、こちらも麗しき銀のサモワールが眠っていた。
 伝統的なロシアの紅茶文化を語るには欠かせぬサモワール。
 美しい工芸品とも芸術品とも思える品が多く残されているサモワールは、アンティークの湯沸かし器と呼ぶのが分かりやすいだろうか。銅や真鍮など金属製の、四つ脚で支えられた壺型の容器の中心に筒が通っており、その筒に炭などを入れて火をつけることで容器の水を熱するものだ。
 だが、このクラシックホテルに眠るサモワールは、炭ではなく電気で湯を沸かす品。
 電熱式のそれは造られてからまだ数十年、なれどアンティークに準ずる扱いを受けているこの品は、展覧会などに出品を望まれることもあって、内部の故障で使えなくなってからも長らく大切に保管されていた。
 嘗ては貴賓室で客をもてなしていたそれの愛称は、花冠のサモワール。
 銀細工のカモミールの花冠を戴き、胴部に繊細なアンジェリカの花が彫金されたそれに、機械脚の宝石――コギトエルゴスムが融合したのは、春から初夏へ渡るある日のこと。
 ロシアのひとびとはサモワールで湯が沸き始めるのを『サモワールが歌う』と表現する。そのためなのか、あるいは偶然か、機械脚の宝石に融合され生まれ変わったサモワールは、澄んだ歌声を得た。花冠を戴き、花束を抱いた貴婦人の姿を得た。
 銀色の貴婦人の姿をした機械人形は、グラビティ・チェインを求めて扉を開いた。

●花冠のセイボリー
 春から初夏へ渡るこの時季、そのクラシックホテルのカフェでは、
「期間限定で『花冠のセイボリー』というアフタヌーンティーが楽しめるとあって、午後のそのときにも多くのひとびとが訪れていた……というのが予知の光景でした」
 セリカ・リュミエール(シャドウエルフのヘリオライダー・en0002)が語った事件予知は銀色の貴婦人の姿をしたサモワールのダモクレスがひとびとを殺害するというもの。
 だが、既に避難勧告は手配済みで、近隣一帯は無人になる。
「このクラシックホテルの傍には観光バスなどの大型車専用の駐車場があります。こちらの車両もよそへ移動しますので、皆さんはヘリオンから直接その駐車場へ降下して、皆さんの気配に惹かれてきた敵を撃破してください」
 大きな空間を有するそこは戦闘の障害となるものもなく、存分に戦うことができる場所。
「敵は歌によって様々な力を操ります。炎を齎す熱湯や、幻のカモミールの花々で魅了する範囲魔法、そして、幻のアンジェリカを咲かせ、損傷や状態異常を修復するヒールも」
 護りにも長けているため、確りした策がなければ長期戦は必至。
 策と連携を調えて臨んでくださいねと続けたセリカは、もうひとつ、と言を継いだ。
「不運にもダモクレスに変えられてしまったこの花冠のサモワールは、クラシックホテルで長い間大切にされ、宿泊客の方々にも愛されてきた品です」
「合点承知! 彼女を貶めたり辱めたりするような言動はなし! で参りますなの~!」
 尻尾をぴこーんと立てた真白・桃花(めざめ・en0142)が、きっとみんなも同じ気持ちのはずなの~と仲間を見回せば、よろしくお願いしますね、とセリカも皆に微笑んだ。
 無事に終えられればアフタヌーンティーが待っている。
 新緑が美しい庭園に面したテラス席で楽しむアフタヌーンティー『花冠のセイボリー』は御一人様につき一台、三段のケーキスタンドすべてを華やかなセイボリー達が花冠のように彩っているのが特徴だ。
 ここでいうセイボリーとは、スイーツとは反対のもの。
 すなわちキッシュやサンドウィッチに、サーモンマリネのタルトなど、塩気のある軽食や菓子のこと。ゆえに「甘いお菓子がないとがっかり」という方には御遠慮頂きたいところ。
 春の花や春野菜が使われた『春の花冠』、初夏の花や夏野菜が使われた『夏の花冠』。
 期間限定なのはこの両者が揃うのは今だけだから。但し両方頼むなんて欲張りはせずに、御一人様につき一品を選んでどうぞ。誰かと少しずつ交換しあうのも楽しみのひとつ。
 少し甘味が欲しくなるかも、という向きはドリンクでどうぞ。
 春摘みのダージリンはそのままで味わいたいところだけど、エルダーフラワーソーダなら爽やかな甘さで迎えてくれるし、冷たいカモミールミルクに蜂蜜を落とすのも幸せの味。
 喉を潤す品もこの三種から一品選んでどうぞ。こちらはおかわり自由だという話。
 花冠のサモワールを世界に還して、花冠のセイボリーに逢いにいこう。
 そうしてまた一歩進むのだ。
 この世界を、デウスエクスの脅威より解き放たれた――真に自由な楽園にするために。


参加者
八柳・蜂(械蜂・e00563)
ルーチェ・ベルカント(深潭・e00804)
メイザース・リドルテイカー(夢紡ぎの騙り部・e01026)
アラタ・ユージーン(一雫の愛・e11331)
六角・巴(盈虧・e27903)
金剛・小唄(ごく普通の女子大学生・e40197)
款冬・冰(冬の兵士・e42446)
リリエッタ・スノウ(小さな復讐鬼・e63102)

■リプレイ

●花冠のサモワール
 澄んだ歌声が水面に跳ねて踊って、綺麗な波紋を広げていくかのよう。
 新緑の美しい白樺の木立に隠された広大な空間へ迎えられた貴婦人、花冠のサモワールが変じた麗しき銀の機械人形は、迎撃という名の歓待を花束越しに受けるよう、優雅な挙措で鋭さを殺すようにその威を和らげながら、絶えず歌声を響かせ続ける。
 戦いの舞台を調えるため車両すべてが消えた大型車専用駐車場に、幻のカモミールが咲き幻のアンジェリカが咲き、初夏の光に煌き灼熱を孕んで沸き立つ水さえも炎の華を咲かす。癒し手を狙う熱い煌きを阻むべく躍り込んだ八柳・蜂(械蜂・e00563)が翳す左腕、熱湯の飛沫がそこへ爆ぜて炎が燃え上がれば、
「あなたが熱湯なら、私は氷を――なんて、ね」
 初手で燈した黄金の輝きで炎を克服しつつ笑み返し、蜂は淡い吐息を凍てる花嵐と成して銀の貴婦人を抱きすくめ、
 ――客が家に来たら家にあるものはすべて出してでももてなすべし。
 ロシアにはそんな諺があると款冬・冰(冬の兵士・e42446)は聴くけれど、
「この貴婦人の歓待は、些か剣呑」
「剣呑な歓待はこっちも同じだけどな! けど、おもてなしの心は大事だ!」
 嘗てはクラシックホテルで客を優雅に歓待していたはずのサモワール、冰が鶴の風切羽の如く翻す袖から溢れた折紙型ナノマシンが折りあげた攻撃ドローン達が彼女を爆撃する機を掴み、アラタ・ユージーン(一雫の愛・e11331)が瞬時に蜂の傷を魔術切開する。
 茶道の茶釜も六音を奏でるそうだから、サモワールが歌うのもきっと必然。
 花冠の彼女の歌を穢さぬために、共鳴で増す癒しを打ち込んで護り手を支えれば、
「彼女の本当のおもてなしを受けられないのが残念だけど……ルー、力を貸して!」
 幻想のごとく顕現した陽色の髪の女性と手を重ね、一瞬で魔力を循環させたリリエッタ・スノウ(小さな復讐鬼・e63102)が絶大な威力の魔弾を貴婦人へと撃ち込んだ。――途端、高く澄みわたる歌声とともに咲き溢れる幻は、嘗ては死者蘇生の力があると信じられた花、清らな白のアンジェリカ。銀の肢体に奔る傷が癒され縛めの過半が霧散するが、敵の浄化を明確に意識していた者達が即応する。
「流石は『天使のハーブ』だねぇ。けど、その浄化は織り込み済みだよ」
 初手にアラタから贈られた銀の煌きで超感覚が冴え渡るまま、流れるように跳躍したのはルーチェ・ベルカント(深潭・e00804)、精鋭にして狙撃手たる彼の蹴撃から逃れるすべは浄化直後の相手にもなく、確実に星の重力を打ち込まれた標的めがけ、
「麗しの貴婦人に『お手をどうぞ』と言うわけにはいかないってのが寂しいが」
「全くだね。叶うならティータイムの席でお会いしたかったよ、麗しき花冠のレディ」
 嫋やかな銀の手でなく己が獄炎を掬う六角・巴(盈虧・e27903)の左手から毀れた煌きが紅き狼の群れとなって疾駆した。標的の逃げ場を奪わんとする群狼に倣って解き放たれるはメイザース・リドルテイカー(夢紡ぎの騙り部・e01026)の原初の幽冥、地を馳せ貴婦人の足元から溢れて絡みつき、その足取りを三重に鈍らせる。
 だが浄化は想定内でも、術者のみに射程を絞った癒しの威力は想定以上。
 被弾の威力を半減させる敵なればその癒しを減じる意義は倍化する。ウィッチドクターが自陣に四名も揃う今回なら、
「何人かは殺神ウイルス持ってたほうが良かったかもな……!」
「冰も同感。現状の戦術も決して失策ではないものの、最良でもなかったと認識」
 誰にも癒しの必要がない好機を逃すわけにはいかず、仲間達が一気に積み上げた足止めを信じてアラタは、見切られるのを承知の上で攻勢に出た。高速回転するその腕が花束越しに銀の護りを穿った瞬間、冰が展開した鮫めいた姿の砲台が強大な砲撃を斉射。直撃を受けた貴婦人が歌と灼熱を冰めがけて迸らせるが、迷わず地を蹴った金剛・小唄(ごく普通の女子大学生・e40197)より速く、白い翼が熱湯を受けとめた。
「点心……!」
 立ち位置を指示されなかったウイングキャットは主たる小唄に倣うように盾を務め、己が女子力を小唄は癒しに変えて愛猫へ注ぐが、翼猫を含め護り手の誰一人としてカモミールの範囲魔法より強力な熱湯の破壊攻撃への耐性を備えていない現状は、盾の層の厚さがあれど長期戦を凌ぎきるには些か不安だ。
 護りに長け、癒しと浄化も備える相手には、力押しも、麻痺などの搦め手も通じにくい。
「だが、それが『より深い』搦め手であるならどうだろうね」
 頼んだよ、お転婆娘。紳士の笑みを僅かに深めたメイザースが慈しむよう呼びかければ、その手の杖が折れ耳の白猫に変じて貴婦人へと躍りかかった。縦横無尽に銀を翻弄する猫の戯れが彼女の禍を幾重にも跳ね上げれば、
「今だ、先生!」
 前衛の翼猫に魔法手術を施すアラタが声を張ると同時、中衛から翔けたのは彼女の翼猫。アラタが穿った銀の護りの亀裂を深められた敵を三重の追撃を重ねた爪撃が急襲したなら、紫に揺らめく獄炎が蜂の刃に燈る。
「ね、あなた。大切に愛されてきた子なんだもの、おいたは、だめよ」
 悲劇の物語を作りだしてはだめよ、私みたいに――との言の葉が胸に落ちれば、瞳に映る貴婦人の銀に白が重なったけれど、揮う紫炎の一閃は深い縛めに立ち竦む機械人形に完璧な軌跡を描き、
「想いの籠った芸術に傷をつけるのは本意じゃないけれど……もらったよ」
 大きく爆ぜた銀の破片も貴婦人も紫炎に輝く様を、一気に跳んだ遥かな高みから見下ろすルーチェが得たのも完璧なる狙撃点。逆光に強く煌く斧刃が爆発的な瞬間火力を得て天から打ち下ろされる。頭蓋の身代わりに銀の花冠が砕けて白銀の煌きと踊って。
 途端に迸る歌声とともに幻のカモミールが押し寄せるが、黎明の光とも闇ともつかぬ衣を翻すルーチェは幻を躱し、花々を打ち払った巴が、抱擁するよう受けとめた蜂が、アラタと真白・桃花(めざめ・en0142)の盾となった。
「格好いいな三人とも! ありがとな、一気に癒すから!」
「ああん、頼れる姿にきゅんきゅんきますなの~!」
 行こう、ルー。翔けるような声に導かれ、アラタの空色の裾に流るる銀が癒し手の浄化を乗せた煌きを溢れさせ、桃花の銃声が貴婦人めがけて響けば、
「ああまで言われちゃ、誘惑に屈するわけにはいかないよな」
「ええ。花に溺れるのも心地好さそうですけど、それよりも」
 痛手を祓われ超感覚をも研ぎ澄まされる感覚に口の端を擡げた巴が、瞬時に灰銀の輝きを撃ち放つ。獲物を強襲する獣のごとく標的へ喰らいつくのは気咬弾、その輝きが消えるより速く、蜂の凍てる花嵐が貴婦人を呑み込んだ。蜜蜂みたいに花に惹かれる心よりも、春色と一緒に戦える歓びが勝る。
 短い裾から高く旋回させた脚で氷ごと蹴撃を打ち込むのはリリエッタ。
 状態異常を積み重ね、大技で畳みかける――という戦術が通じぬ相手ではないが、それで『一気に落とす』のは困難な敵だ。
「でも、時間がかかったとしても、絶対にリリ達が解放してあげるよ。だって」
 元の花冠のサモワールは決して、誰かを傷つけることなんて望まなかったはずだから。
 銀の花冠が砕けても、幻のカモミールは幾度も咲き誇る。
 縛めや痛手に揺らぎはすれども歌声は変わらず澄みわたり、灼熱に煌く熱湯で幾度も炎を咲かせ、幻のアンジェリカを幾度も咲かせては銀の肢体を癒して浄めて。
 然れど、
「終幕までお付き合いするよ、レディ。何せ君の、最初で最後の舞台だからね」
「幕が降りたら、どうかゆっくり眠ってください……!」
 全く疲労も見せずにメイザースは己が術を揮う。迸るのは地底の闇を体現するかのごとき漆黒の残滓、一気に膨れ上がる闇が貴婦人を呑み幾重にも縛めれば、ゴリラの剛腕に重力を凝らせた小唄の獣撃拳が打ち込まれ、間髪容れず風に舞った冰の折紙型ナノマシンが即座に攻撃ドローンの編隊を展開する。全方位から敵を強襲するのは自陣最高火力を誇る凄まじい爆撃、敵に痛打を与えたそれの裡から歌声と灼熱の煌きが溢れだし、
 壮絶な光が爆ぜた。
 だが、それは瞬時に冰の腕に銀の花と牙を咲かせた侘助椿が熱湯を相殺したもの、
「流石は冰なんだよ、リリも思いっきりいくからね!」
「称賛に感謝。しかし、冰の力というより皆の捕縛やプレッシャーの賜物と補足」
「群れで狩るのがケルベロスだしな。款冬さん含め、皆での本領発揮ってことで」
 追い風を受け加速する心地で宙を裂いたリリエッタの靴先から翔けた幸運の星が貴婦人の護りを貫き、勢いに乗るよう地を蹴った巴も追い風のままに電光石火の蹴撃を叩き込めば、高速回転するアラタの腕と紫炎奔る蜂の刃が続き、貴婦人の歌声が響くより速く、甘美なるテノール・リリコの声音が言の葉を紡ぎあげた。
 ――平伏せ。
 花冠のサモワールでなく、麗しき芸術を穢した機械脚の宝石へ命ずる詠唱。
 一瞬の閃光が苛烈な眩さ孕む白炎となり貴婦人に渦巻いて、花冠の名残ごとそのすべてを世界へ還す。カモミールが抱く言の葉は、逆境で生まれる力。癒しと不屈の花冠への、その創り手への、ルーチェからの敬意を乗せて、白炎は銀のすべてを光に変える。
 光に変わって、ゆめまぼろしのごとく、世界に融けて。
「それでも……花冠のサモワールに注がれた愛も、籠められた想いも消えないと」
 信じているよ。
 嘗ては声楽家として、今は歌劇の作曲家として歩む青年の声も、世界に融けた。
 ――カタチのない芸術にも魂が宿る事、僕は知っているから。

●花冠のセイボリー
 麗しきネオ・ルネッサンス様式のクラシックホテルで、
「ルーチェ、皆さん、お疲れ様でした!」
「お待たせ、ステラ」
 純真な笑みを咲かせたステラ・ベルカント(純白の導・e67426)が一行に合流した場所は壮麗なるエントランス。名家出身のベルカント兄妹は勿論、何やら楽しげにハイタッチした冰と桃花も全く臆さずカフェへ足を向けたが、迎賓館と呼びたくなるような館内の雰囲気に思わず巴の口から不安が零れた。ここでのアフタヌーンティーは、
「ややこしいマナーとかあったり……しないよな?」
「王侯貴族の招きとあらば別かもしれないがね、今日のアフタヌーンティーなら――」
 美味と皆との語らいを心から楽しむことが何よりのマナーだよと、戦場でも日常でも英国紳士たる振舞いを崩さぬメイザースが微笑する。彼にとっちゃ俺も若造だな、と思えば巴の肩の力も抜け、
「今の時季はやっぱり外が気持ちいいよね。綺麗な庭だよ、みんな」
「爽やかな風ですね! そして、わあ、可愛い……!」
 カフェラウンジで注文を伝えてテラスへ出たリリエッタが、新緑の梢に可憐な白の小花が咲き零れるエルダーの木が優しい木洩れ日を降らせるテーブルへ皆を招けば、そこへ次々と運ばれて来る花冠のセイボリーに小唄が歓声をあげた。
 乙女が『食べるのがもったいない』とふるり震えてしまう、春花と春野菜、そして夏花と夏野菜が華やかに彩る花冠達。だけどまずは皆で、
 ――乾杯!!
 振り仰ぐ梢に咲く花は柔らかに陽を透かす乳白色、けれども手許のグラスで気泡を唄わすその花のソーダは淡い金色に煌いて、マスカットめいた香りと擽るような微発泡と、冷たく瑞々しく、爽やかな甘さにルーチェの笑みも甘くとけて、
「そう言えば、エルダーフラワーも癒しの花だよねぇ」
「万能の薬箱って二つ名が格好いいよな!」
 満開の笑みを咲かせたアラタが、風邪のひきはじめにもいいから冬にも常備しておきたいところだと続ければ、得心がいった心地で巴も口許を綻ばせた。
「シェフでウィッチドクターのアラタさんにかかれば、医食同源はお手のものだよな」
 その恩恵に与る心地でソーダを味わいつつ、濃厚な卵とトウモロコシの黄がズッキーニの緑を抱き、鮮やかな赤に咲くナスタチウムがピリッと辛味を添えるキッシュに舌鼓。
「医食同源……! すてきな響きなのよ、そんな言葉がこの国にはあるのね」
「ステラもウィッチドクターだしね。料理も勉強してみる?」
「アラタで良ければ教えるぞ!」
「いいの? とっても楽しそう……!」
 少女シェフの言葉に妹が瞳を輝かせる様にルーチェが笑みをいっそう深めて、お料理教室わたしも混ぜてくださいなの~と尻尾ぴこぴこ桃花がきらり蜂蜜を垂らしたミルクをくるり掻き混ぜれば、蜂の心がそわり。初夏の花のソーダを見せ、
「ね、桃花ちゃん、もしよければ交換し合いましょ?」
「勿論ですとも、はっちーをめろめろにしてしまいますともー!」
 ほっぺちゅーに眦が緩めば眼の前にはほんのり陽の色をとかしたカモミールミルク、甘い林檎めいた香りがひんやり昇るミルクを味わえば、柔らかな甘さの裡から優しく清涼な花の風味がふんわり咲いて。
 美味しい――と蜂が幸せそうな吐息を零すところまで見つめていたリリエッタは初めから抱いていたカモミールミルクへの興味を更に募らせた。けれど、自分からは言い出せないと思えば、桃花の尻尾がぴこり。
「誰かが察してくれるのを待つのはちょっと狡い気がするの、意思表示は大事なの~」
「ふふ。スイートアーモンドに見えてもそこは甘くないのよね、桃花ちゃん」
 だから普段は控えめな蜂も、彼女へのおねだりは隠さない。
 言われてみれば狡かったかも、と納得したリリエッタは意を決して、
「リリもカモミールミルク、味見してみたいな」
「それなら冰がカモミールミルクを進呈。冰からも、シェアを要請」
「うん、リリのダージリンもどうぞだよ!」
 心を言の葉にしてみれば、戦いの名残が残る身にもリラックス効果覿面、と冰が春の花とミルクの恵みを差し出してくれた。たちまち少女達の交渉が成立する様に巴は破顔し、
「確かに言わなきゃ始まらないよな。てなわけで真白さん、春と夏をシェアできりゃ幸い」
「合点承知! そのスティルトンのタルトでお願いしますなのー!」
 英国が世界に誇るブルーチーズを夏緑に煌くグリーントマトチャツネが彩るひときれと、春緑が優しいアスバラガスのチーズリゾットに陽の滴めく小花を鏤めたタルトで、春と夏を分かち合う。頬張れば春野菜の甘さにこくを添えるチーズはグラナ・パダーノ、なら小花は何だろうと呟いた彼に、ディルだよ、と答え、メイザースも望みを言の葉にする。
「小唄君、良ければそのキューカンバーサンドをいただけるかな? こちらの春もどうぞ」
「キューカンバー? ああ胡瓜ですね、勿論どうぞ! 私はこの薔薇で!」
 春薔薇の蕾のピクルスとセロリが彩るスモークチキンのブルスケッタ、蕾の可愛らしさとその甘酸っぱさに笑みが咲く様を微笑ましく思いつつ、ホワイトブレッドが挟み込む胡瓜の緑とバターの乳脂色、そして空色の夏菫に季節を想い、メイザースも夏を口に運んだ。
 薄切りの胡瓜が層を成す、幸せな食感。
 英国紳士の双眸が満足そうに細められる様を見て、妹に春をねだられたルーチェも故郷の味を秘めた春を切り分け、
「はい、あーんしてご覧」
「それじゃあ、ルーチェにもお返しなのよ」
 春の緑と陽の色にグラナ・パダーノをを秘めたタルトと、プロシュット・ディ・パルマをフリルのようにたっぷり秘め、鮮やかなオレンジのパプリカに彩られたキッシュで、春から夏へと渡る。仲睦まじい兄妹に倣って蜂も、
「私も甘やかしちゃいますよ。はい桃花ちゃん、あーん」
「わたしだってはっちーを甘やかしますともー! はい、あーん」
 海老の紅色をちりばめ枝豆のピュレが綺麗なマーブルを描くケーク・サレをひときれ差し出せば、お返しは真っ白なシェーブルチーズに可憐な薄桃のプリムラが咲き溢れるタルト。フレッシュシェーブルの春らしい爽やかな酸味に笑み、
「冰さんも夏を食べてみます? はい、あーん。なぁんて」
「ん。『あーん』を学習、冰も実践。ハチ、はい、あーん」
 宝石みたいなマイクロトマトで帆立の貝柱を彩るブルスケッタを差し出して。
 ぱちり瞬いた冰はサーモンマリネのタルトで春を贈り返し、夏を食んだ。ぷちぷち弾ける極小の宝石、小粒ながらも濃厚なトマトの果汁が帆立の甘さに絡んで蕩けて。ふとアラタと眼が合えば、どれも美味しいと力強く頷きあう。
 春咲きチャイブの花を漬けた、薄桃色に透きとおるハーブビネガー。
 華やかな紅色のスモークサーモンと春の新玉葱がそれでマリネされたなら玉葱も春の色、純白のワサビの花も飾られたマリネのタルトをゆっくり味わって、アラタは貴婦人と一緒に春を送った心地になりつつ、皆とシェアした夏をこころとからだに迎え入れた。
 優しい時間の一瞬一瞬がきらきら煌くようで、愛しくて。
 料理人になりたいと願ったのは、このひとときみたいな時間や場所を創りたかったからと改めて胸に燈せば、縁を結んでくれた花冠のサモワールへの感謝も燈る。その気持ちは。
「届くだろうか、桃花」
「彼女は世界に還ったから、アラタちゃんの気持ちも世界に解き放てば、きっと」
「ふむ。一理あるね、私もそう思うよ」
 春の瑞々しさと花々に淡く若草を秘めたように香り立つ、春摘みのダージリン。春の花を咲かせた彼女の歌を思い起こしつつ、紅茶を手にするメイザースも言い添えれば、そうかとアラタが破顔した。心を声に、言の葉にして、解き放つ。
 彼女に、今このときを分かち合う皆に。
 ――ありがとう。

作者:藍鳶カナン 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2020年6月20日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 3/キャラが大事にされていた 1
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