早瀬

作者:藍鳶カナン

●早瀬
 清冽な水の匂いと新緑の香りに抱きすくめられた。
 磨きぬかれたよう透きとおる水が青に薄藍に翡翠にと様々に彩を変え、岩に砕けて躍って白い気泡を孕んで翔けぬける、渓流の早瀬。優しいというよりも激しい清冽さを伝えてくる水に足元を洗われて、春から初夏へ向かう山間に降り立った男は面白がるよう笑った。
 宝石の眠りから目覚めたばかりの身に残る眠気を吹き飛ばされる心地。
 凛と冷たい渓流の水は心も魂もすすぐかに思えたが、
『俺の罪はすすぎきれまいよ。雪ぐつもりもないがな』
 急流となり早瀬をほとばしるよう翔けていく水の清らかさを笑い飛ばす。
 故郷アスガルドで極刑に値すると断罪された暴力的な衝動を、この星でなら存分に揮って良いのだと送り出された。獲物などいないじゃないかと思ったのも一瞬のこと、この早瀬の上流から聴こえてくる賑やかな声に、口許の歪みが、笑みが深まる。
 白銀の星霊甲冑(ステラクロス)を纏えど彼の存在の禍々しさは見紛いようがなく。
 無骨な手に携えられた、闇を凝らせたかのごとき剣がいっそう禍々しさを募らせた。
 流れを遡った先で賑わうのは男の識らないまつり。
 清流に跳ねる綺麗な魚、イワナやヤマメといった渓流魚の名を識る由も識る必要もなく、彼は己が剣の闇を解き放つ。俺も狩り放題にしていいよなと笑って、渓流魚――ではなく、渓流魚のつかみどりを楽しんでいたひとびとの命を、思う様に狩りつくした。

●渓流
 美しい渓流の浅瀬が大きく開けて広がるところ、そこに放されたイワナやヤマメといった渓流魚のつかみどりを楽しみ、火を焚き焼いた魚をその場で味わう。そんな渓流まつりを、エインヘリアルが襲撃する――。
「んじゃねえかって話をおれがしたのは……ああそうか、禁漁期に入った頃だったか」
 自身の記憶を探るような眼差しになったレスター・ヴェルナッザ(凪ぐ銀濤・e11206)が一拍置いて得心すれば、だったんだと頷く天堂・遥夏(ブルーヘリオライダー・en0232)が狼の耳をぴんと立て、
「で、解禁になって水遊びが心地好くなる頃かなって網を張ってたら、今回の事件が予知に引っかかったってわけ。あなた達に、このエインヘリアルの撃破をお願いしたい」
 招集に応じたケルベロス達へそう告げた。
 件のエインヘリアルも永久コギトエルゴスム化の刑罰を受けていた凶悪犯罪者。
 重罪を犯した彼が刑から解き放たれたのは、その凶暴性を地球のひとびとの虐殺で存分に発揮し恐怖と憎悪をもたらして、他のエインヘリアルの定命化を遅らせるのを期待されてのことだろう。
 だが、事前に予知は叶ったものの、事前の避難勧告は行えない。
 事前にひとびとを避難させれば敵の出現場所が変わり、事件阻止が叶わなくなるためだ。
「だけど幸い、敵の出現地点は祭の会場より少し流れを下ったあたりだからね。敵が流れを遡ってくるのを遮る位置にヘリオンから降下してもらうから、そこで確実に撃破をお願い」
 戦うのに十分な広さがある空間だ。早瀬の流れが足元を濡らすが、ケルベロス達は勿論、敵も水に足を取られるようなことはない。思うさま全力で戦って、そこで敵を倒せたなら、渓流まつりの会場に被害が及ぶことも一切ない。
 無論、ケルベロス達の現着と同時に会場では警察の避難誘導が始まる手筈になっている。
 わたしもそっちに回るから敵はお願いしますなの~、と真白・桃花(めざめ・en0142)が遥夏に続けて語れば、
「ああ、会場は任せる。おれ達は全力で奴を潰しにいくぞ」
 竜骨の鉄塊剣の柄を軽く叩いて見せ、レスターが改めて仲間達を見回した。
 相手の得物は闇を凝らせたかのごとき剣、それで揮われる力はブラックスライムのものと同じだと遥夏は告げ、
「暴力的な衝動を思う存分発揮したいみたいだから、間違いなくクラッシャーだね。火力は相当なものだろうから、絶対に油断しないで、仕留めてきて」
 無事に事を終えられれば渓流まつりも再開されるはず、と話を結ぶ。
 飲食物の持ち込みは禁止だが、つかみどりにした渓流魚を楽しむための調味料は持ち込みOK。喉を潤したい向きには冷たい水出し煎茶が振舞われるが、酒を呑めるものなら岩魚の骨酒も見逃せないところ。
 折角のまつりだ、寄っていかない手はねえな、と頷いたレスターは尻尾ぴこぴこな桃花に銀の眼差しをちらりと流し、
「渓流まつりじゃ獲物はつかみどりが作法だ。尻尾で釣ろうとするんじゃねえぞ」
「ぴゃー!? なんでわかっちゃったの、合点承知! なの~!」
 大変わかりやすい同族に釘を刺してから、それじゃあいくか、と仲間達を促した。


参加者
ティアン・バ(羽化・e00040)
霧島・奏多(鍛銀屋・e00122)
ルーチェ・ベルカント(深潭・e00804)
ネーロ・ベルカント(月影セレナータ・e01605)
アリシスフェイル・ヴェルフェイユ(彩壇メテオール・e03755)
カルナ・ロッシュ(彷徨える霧雨・e05112)
レスター・ヴェルナッザ(凪ぐ銀濤・e11206)
ジェミ・ニア(星喰・e23256)

■リプレイ

●早瀬
 新緑を透かした晩春の陽射しが、初夏の眩さで水飛沫に躍った。
 深山で磨かれた水が青に薄藍に翡翠に彩を変え、岩に白く砕けて翔けぬける、その早瀬の流れよりも疾く戦場の風は加速し優劣は塗り替わる。清冽な水と新緑の香りに満ちた早瀬に押し留める相手は巨躯の咎人、白銀の星霊甲冑は返り血を浴びていっそう輝き、枷を持たぬ剣は闇も衝動も思う様解放した凄まじい重撃を叩き込んできたが、失うものを持たぬが故の咎人の力に僅かな羨望が萌したのは、戦いの序盤での話。
 絶大な力の威も勢いも抑えられつつあるエインヘリアル、その刃から膨れ上がらんとする闇ごと爆ぜ飛ばさんばかりにレスター・ヴェルナッザ(凪ぐ銀濤・e11206)が敵の至近から轟かせたのは幾度目かの轟竜砲、
「とんだ大物がかかったな。虫唾が走って食えたもんじゃねえが」
「同感。罪科自慢なんぞ餓鬼かってのに、ましてや漱ぐだの雪ぐだの、勘違いも甚だしい」
 清らな流れに失礼千万――と声が続いた刹那、水底から輝きが噴き上がった。
 癒し手を狙わせまいとするレスターの意図を汲んだ霧島・奏多(鍛銀屋・e00122)が彼ら前衛へ奔らせた鎖の守護魔法陣は、仲間を癒し護るだけでなく、捕縛や毒攻撃よりも対処が容易な破魔の範囲攻撃を誘うためのもの。
『手応えのある獲物は嫌いじゃあないが、生意気な獲物は叩き潰したくなる性分でな』
 釣られたとは気づかず哂った咎人が薙ぐ刃、轟と唸る剣風と膨大な闇が前衛を呑んだが、錨たる男の盾となったティアン・バ(羽化・e00040)が闇を切り拓く。
「レスターと奏多、ちょっと似てるな」
 口数が多いほうじゃないのに、敵の前だと少し変わるあたり。
 呟くと同時に開くは天上に続く涙の門、陽射しに共鳴する癒しの光が広く注がれたなら、
「物申したくなるのも解りますよ、僕も清流を穢されたくありませんしね」
 途端にカルナ・ロッシュ(彷徨える霧雨・e05112)の掌から苛烈な輝きが膨れ上がった。序盤から揮った破鎧衝と己独自の閃穿魔剣が相手の白銀と闇を存分に蹂躙したと見て、彼が解き放つは灼熱の幻影竜。敵に爆ぜた炎が三重に燃え上がれば、
「どっちが獲物でしょうね。僕らは番犬、狩られる側は貴方のほうです!」
「狼だろうが獅子だろうが、遊びで無秩序に命を散らす輩は狩られる側になるのだわ!」
 眩い炎の輝きを目眩ましにしたジェミ・ニア(星喰・e23256)と彼に先の闇から護られたアリシスフェイル・ヴェルフェイユ(彩壇メテオール・e03755)が左右から敵を強襲する。閃く刃はともに白銀、白梅の花片めく煌きを散らす妖精剣と巨大鋏を模し蝶のごとく花開く斬霊刀、凝らす輝きもともに空の霊力で、
『――! 妖精の小娘が!』
 二連の絶空斬を喰らい、幾多の禍を深められた咎人が吼えた。
 剣先より鋭く尖った闇が毒を孕んで迸る先はより派手な傷をくれた攻撃手たる娘のほう、然れどその蜂蜜色の瞳に映ったのは純白で、
「ごめんね? 君の『狩り』を邪魔しちゃって」
 天使の翼を広げ、幾度も紅瞳覚醒の護りを奏でたバイオレンスギターと己が身で闇の毒を受けたネーロ・ベルカント(月影セレナータ・e01605)が、まったく悪びれていない笑みで巨躯の咎人を見上げてみせる。
 極上の微笑に紛らせた神速の稲妻は闇の刃に防がれたが、
「残念、ネーロの稲妻突きで終わりじゃないんだよねぇ」
 それすらも囮なのだと証するように、弟の翼が創りだした死角からルーチェ・ベルカント(深潭・e00804)がエインヘリアルさえ見下ろす高みへと跳躍した。巨躯の頭上から完璧な狙いで打ち下ろされるのは偉大なるアスガルドの斧、頭蓋の代わりに白銀のヘルムを砕いた痛撃が鮮血をしぶかせた機を掴み、奏多が掌を握り込めば溢れて舞う魔術の銀糸が銀の蝶を織り上げる。羽ばたく蝶がネーロの痛みも毒も霧散させれば、
「お前の罪など興味は無いが……俺の前でひとつたりとも、命を奪れると思うなよ」
 眼鏡越しのアイスブルーが、巨躯に挑むよう据えられた。
 流血の海嘯を連れて早瀬を遡らんとする咎人を、渓流に潮風を連れ来た竜の男が猛然たる攻勢で押し返す。強大な膂力のまま振り下ろされた闇の刃と竜骨の大剣が鍔迫り合い、
「戦え、揮え、愉しめ。お前に出来るのはそれだけだろう」
『上等だ。この衝動は抑えるすべも、抑えるつもりもないからな』
 巨躯の咎人が猛るがその刹那、右腕から銀の獄炎を滾らせたレスターの刃が押し勝った。存分に相手してやる、と刃を振り抜けば激しい銀の波濤が敵をその衝動ごと潰さんばかりに打ち寄せる。己が大義や名分といったものの裡で滾らすものの名も識りつつ、いっそう荒ぶ波濤の連撃を叩きつけたなら、その波に彼の怒りを感じながら、
「こっちも相手になるぞ。ティアンはとびきり死ににくいんだ」
 盛大に爆ぜた銀炎と流水を灰の娘の腕が薙いだ。
 銀炎と早瀬の飛沫、衝撃で水底から跳ねた石さえも速撃ちの礫となって、咎人とその刃へ襲いかかる。衝動を罪と呼ぶのかと己の性を受け容れてきた身で想い馳せれば、
「結局、己が言動を罪と決めるのは他人じゃなく、自分なんだよねぇ」
 彼女の胸に落ちた言葉を掬ったかのように紡いだルーチェが一気に敵への距離を殺した。自覚がある分、僕よりよっぽど、と続けた唇が描く微笑に燈るものを識るのは敵と、恐らく弟のみ。金のモノクル越しの紅玉と同様に煌くルーン宿す斧で星霊甲冑へ罅を咲かせれば、早瀬に砲声が轟き渡る。
 眩く迸ったのは展開した携行砲台を斉射したカルナの砲撃。
 三重の痺れを齎すそれに咎人が舌打ちし、
「喰われるぞ、カルナ!」
「大丈夫です、通しません!」
 挙動を察したレスターが声を張った瞬間、標的を丸呑みせんと膨れ上がった闇へジェミが跳び込んだ。全身を圧縮されるような苦痛も一瞬のこと、
「カルナさんを護ってもらった分、私がお返ししちゃいますよ!」
「灯さん! お願いしますね!」
 華輪・灯(幻灯の鳥・e04881)の声音に明るさを燈したカルナの声音が重なったと同時、数多の光の羽と花々がジェミを抱擁する。癒しを咲かす木瓜の花が彼の記憶に共鳴するよう藤の花へと変わった途端、心に涯てなき蒼穹が広がった。
 それは誰よりジェミの心を震わす家族の声が齎す癒し、
「エトヴァ! 会場の様子はどう!?」
「問題ありまセン、ジェミ。警察の方々と桃花殿とデ、全て恙なク」
 振り返ればエトヴァ・ヒンメルブラウエ(フェーラーノイズ・e39731)の微笑みが返り、お願いします、合点承知、と言い交わして送り出した真白・桃花(めざめ・en0142)の背を思い起こしつつ放つは癒しの鷲でなく、敵の護りを穿つ幸運の星。
 戦場を駆ける仲間の誰も彼もが頼もしく、言葉を交わさずとも呼吸を合わせられる相手が傍にいる戦いは、身体の軽さがまるで違う。全員がこの感覚を共有しているのだと察すれば微かに奏多の口角も上がる。誰かの背中の象徴だった銃も今はこの手のなか、
「なら、後は仕留めるのみ。――だろ?」
「ええ、あの男の好きにはさせないのだわ!」
 彼の速撃ちに続いたのは勿論アリシスフェイル、序盤に敵の力も勢いも捻じ伏せる輝きを迸らせた銃砲を翻し、極光めく凍結光線を撃ち放てば、
「罪には裁きを……なあんて、言うつもりはないけれど」
 更なる罪を赦す理由にはならないよね?
「ですよね。この星での好き放題も狩り放題も、お断りです!」
 得も言われぬ煌きを湛えた青玉の双眸を細め、ネーロが蹴り込んだ幸運の星が氷ごと敵の星霊甲冑も骨肉も穿った次の瞬間、カルナの掌上で杖から戻った白梟が一気に翔けた。
 巨躯を縦横無尽に翔けた白梟が数多の禍を深め、序盤の破鎧衝で穿たれていた星霊甲冑の継ぎ目が砕け散ったなら、間髪容れず閃くのはジェミの妖精剣。
「このままここで、終わってもらいますからね!」
 星霊甲冑の裡まで満たす勢いの花嵐が、咎人の巨躯を呑み込んだ。
 最早エインヘリアルに戦況を覆す術はなく、なればこそ巨躯の咎人は数多の縛めを受けてなお衝動のまま力を揮う。易々と狩られてなるものかと言わんばかりに荒ぶその様は。
「本当、手負いの獣ってところよね……!」
 一層油断はならぬと意識を研ぎ澄ますアリシスフェイルの手で白銀の巨大鋏のごとき刃が花開く。苛烈に傷を斬り広げた刹那、闇が毒の牙を剥いた。護り手達は間に合わず、然れどその奮戦で今も彼女を護る魔法陣が光を噴き上げる。
 肩を貫く闇の冷たさ悍ましさ、そこから生まれる熱。だが、
「――すぐ済む、アリス」
 それが痛みに変わるより速く、奏多が闇から彼だけの星を奪い返した。即時の魔術切開、鼓動に直接触れ、強引に己と共鳴させるようなショック打撃。癒し手の浄化も孕むそれが、痛みも毒も残してたまるかとばかりに吹き飛ばす。
 二重の意味で攻めの癒しだねぇ、と悪戯に紅玉を細めたルーチェの笑みが敵へ向けられる凄艶な微笑へと塗り替わった刹那、甘美なるテノール・リリコの歌声とともに早瀬の水底を奔った深潭の闇から躍り上がった漆黒の蛇が咎人に絡みついた。
 彼の終楽曲に響き合うのは、瞳は青玉なれど鏡映しのごとく微笑するネーロの声音、
 ――イスラーフィールの奏でる音色はすぐそこに。
 弟の詩が兄の歌に重ねて高らかに謳われれば、遥かなラッパの音色とともに最後の審判が下される。眩く降り注ぐのは容赦も斟酌もない裁きの光、互いが互いの力を重ね合う双子の連撃、闇と光に蹂躙された咎人の殺意が彼らへ向くが、
「おれが相手してやると言ったはずだ」
『そうだったな……!』
 低く吼えたレスターの吶喊が己に敵の眼差しを引き戻す。最後の鍔迫り合いを制したのは咎人のほう、なれど銀を丸呑みせんとする闇へ灰の娘が強引に跳び込んだ。
「ティアンの事も、忘れちゃ嫌だよ」
 敵への言葉か誰への言葉がティアン自身も判別つかぬまま、指に結ぶ夕暮めく彩の環から光の剣を咲かす。闇に呑まれながらもそれごと敵を喰い破る一閃、錨たる娘が繋いだその機を奪うよう掴み獲り、レスターは銀の獄炎を燃え上がらせた大剣を叩き込んだ。
 失うものを持たぬが故の力を手にできなかったのは、己の甘えのため。
 だが『失えぬ』ものを護るため、眼前の咎人をその命ごと灼きつくす。
「雪げねえ罪の先なんぞ……」
 ――分かっていたことだろうよ。

●渓流
 新緑に縁取られた絵画のような光景だった。
 美しい渓流が大きく開け、涼やかなせせらぎが軽やかに楽しげに響く水面に、煌く魚達が解き放たれる。渓流の王者たるイワナ、渓流の女王たるヤマメ、上流側と下流側を竹の柵で仕切られた世界なれど、数多の渓流魚が澄んだ水に身を躍らせる様は壮観で、
「カルナさん勝負です! 私の強さを見せつけますよ!」
「二人とも頑張って! 僕もうちのにゃんこのために頑張ります!」
 冷たい水飛沫に歓声をあげて渓流へ駆けだす灯とジェミ、はしゃぐ二人の様子にカルナは年上の友と笑み交わし、
「ええ勝負です! 負けませんよ灯さん!」
「みけ太郎サンに美味しいお魚をお届けですネ、ジェミ」
 自らも大いにはしゃぐべく水面の煌きをめざせば、エトヴァも家族の後を追った。身体の芯まで透きとおらせてくれそうな清流の涼感を楽しみつつ、ルーチェとネーロも家族団欒。
「手を冷やして、腹側からそっと捕まえると獲り易いよ~」
「手を冷やして……? 腹……」
 素直に聴くのは兄の言葉ならでは。両手に唄う水に暫し掌を馴染ませ、ネーロは優美なる渓流の女王へと恭しく手を伸べる。浅瀬を素早く泳ぎ抜ける渓流の王者、イワナを追うのはティアンの眼差し。海と渓流、棲み処は違えど魚は魚と物怖じせぬ娘が難なく獲物を捕える様に、先程大物を逃したレスターの負けず嫌いが発動した。
 獲物を待つ熊というか最早岩のごとく微動だにせぬ男に油断した渓流の王者が泳ぎ寄る、その機を逃さずレスターがつかみとれば、成程待ち伏せ、とカルナの瞳がきらり。
 追う手からつるりと逃れる王者達、ならばと浅瀬へ追い込み竜の翼で回り込み、
「一匹ゲットです! ふふ、これが実力ですよ!」
「あっ、カルナさんずるーい!」
 遂に捕えた王者を掲げたなら、自身も天使の翼を活かさんとした灯が焦ってつるり。
 ばしゃばしゃーんと続けて水飛沫が咲いたのは、
「ジェミ! 大丈夫ですカ?」
「うう、ちょっと張り切りすぎちゃった……」
 こちらも勢いあまったジェミが背中から渓流へダイブしてしまったから。初めてお風呂を経験させられた仔猫みたいな顔で見上げれば、兄が髪を撫で、彼の慈愛そのもののふわふわバスタオルで包み込んでくれる。
 挫けないです! と奮起すれば、エトヴァが兄弟連携の秘策を授けてくれた。
「桃花、応援してるのだわ!」
「ああんそれなら、伝説のつかみどり師に! なってみせますなのー!」
 傍らでアリシスフェイルが歓声を咲かせる様、声援を受けた桃花がヤマメを捕まえる様、そして楽しげな皆を眺める奏多の胸に浮かぶのは、意気揚々と渓流に誘う誰かの背、笑みを交わしてついていく母と幼い自分。のんびりできて良いわねと傍らで笑みが咲けば、こうも長閑でいられるのは、と眼鏡をとった。
「今もすぐそこに、お前さんが居るからだろうな」
 アリス、と眩しげに細められたアイスブルーに捉えられ、懐に銀の懐中時計が覗く様さえ計算に思え、アリシスフェイルは甘い熱に支配される。青い鳥羽ばたくマグの水出し煎茶を飲み干しても冷めぬ熱に、これは渓流で冷ますしか! と立ち上がり。
「付き合ってもらうのだわ、かなくん! ねえレスター、そっちに魚いっぱいいる?」
「ああ。おれは上がるから、ここで獲りゃあいい」
 この姿勢は中年にはちと辛いと零れた彼の呟きで、明日は我が身なんて言葉が奏多の胸に過ぎったが、手を引く彼女の無邪気さに、忘れてしまったことにした。
 火を熾せば傍らに腰をおろすティアンの気配。
 同族嫌悪だな、と咎人に感じたものを洩らせば、彼女が瞬いて、
「エインヘリアルはエインヘリアルで、レスターはレスター。似てなんて、なかった」
「……そうか」
 奏多とはともかく、と感じたままを語るから、男の眼差しも微かに和らいだ。
 串に波打つ魚から、ぽたり、ぽたりと滴が落ちる。香ばしい匂いが溢れ、ぱり、と弾ける皮の音が聴こえそうなそれをとり、実際に齧りつけば、焦げ目のついた塩の味わいとともに熱く溢れる王者の野趣と旨味が、レスターの裡の何かを甦らせた。
 おいしい、と顔を綻ばすティアンの魚を彩るのは乾いた小花まじりの塩、ふわり花の香が咲く様に尻尾ぴこぴこな桃花の手許を見たレスターが、
「バター焼きにでもするのか?」
「もっと簡単なの、塩焼きにちょこっと乗せしますなの~♪」
 興味を示したと見るや早速彼の塩焼きにちょこっと乗せされる乳酪のかけら、齧れば熱で蕩けたバターが塩も魚もまろやかに抱擁する美味。
 濃縮還元だけどレモン果汁もありますなの~と続けて現れた小瓶に、
「いいねぇ、オリーブオイルと合いそうだ。エトヴァさん達もオリーブ使う?」
「宜しけれバ、是非」
 華やかな笑みを咲かせたルーチェが橄欖石そのものの煌きを披露すれば兄が微笑むから、たちまちジェミも瞳を輝かす。何せ兄弟連携作戦は大成功、
「いっぱい獲れたし、お土産の味見をしなきゃです!」
「レモンオリーブ……美味しい予感しかしませんね!」
 灯の声も期待に弾めば、瑠璃唐草が咲くマグに水出し煎茶を注いでもらっていたカルナもわくわくそわそわ、皆の様子にネーロも誇らしげに笑んだ。
「塩焼きと食べ比べも楽しそうですね……!」
「うん、ルーチェなら間違いなく極上の味に仕上げてくれるよ」
 渓流の女王に塩胡椒して軽く直火で炙り、オリーブオイルを敷いたスキレットで焼き上げレモンの滴を踊らせれば、女王の白身の上品な甘さが引き立つ逸品のできあがり。
「成程。調味料のマリアージュというやつ」
「待ってくださいティアンさん! 金平糖は何か違――」
 彼女の瞳がその荷のとても見覚えがある瓶詰めの青に向けばカルナは思わず声をあげ、
「……岩魚の甘露煮とか、美味いよな」
「かなくんってば、そういう戯言大好きすぎるのだわ……!」
 酒と醤油と金平糖でいけるんじゃ、なんて呟きで混ぜ返す奏多にアリシスフェイルの声が跳ねた。確かに甘露煮は美味しいけれど! と続く声は何処か楽しげ。
 甘露煮もそうだけどと微笑むネーロの手には、香ばしく丸焼きされた王者を燗酒に漬け、溶けだす風味で金色を燈した岩魚の骨酒が揺れる。
「日本って独特だけど、だからこそ素敵なことを知ってるよね」
「この骨酒は特に凄いよねぇ。それじゃあ改めて、お疲れ様」
「お疲れ様なの~!」
 今回は現地で言えて良かったとルーチェは桃花に笑んで、骨酒組三人で乾杯を。
 だいじにたべる――とカルナに金平糖の約束をしたティアンは、あたたかに香り立つ竹の酒杯を見やり、
「桃花、おいしい?」
「絶品! なの~!」
 来年は飲めるだろうか、と未来へ心を馳せる。
 これも生きて居続ければこそ、と彼女の胸に萌した想いを掬ったレスターは、戦いの中で魂に沁みた、ルーチェの言葉を思い起こした。
 ――己が言動を罪と決めるのは、他人じゃなく、自分。
 だが、それなら今は、己の雪げぬものを、己が熾した火に焚べていても良いだろう。

作者:藍鳶カナン 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2020年5月8日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 1/キャラが大事にされていた 6
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