旅立ち

作者:藍鳶カナン

●常世藤
 薄紫の花と彩の香りに、神の息吹さえ染まるよう。
 藤の神苑。神社の奥に抱かれ、薄紫の花々が咲き溢れる苑へ足を踏み入れ、泣きたいほど美しい光景に少女は胸を詰まらせた。数多咲く藤の花は、さながら薄紫の花の瀑布。光風が花の波を生むたび歓びで胸を満たし、神苑の他のどの藤よりも見事な藤のもとへ向かう。
 この国で最も古い花の物語は、藤の花の物語だという。
 古事記に残された藤の花咲く求婚の物語がそれで、遥か古からこの国の皆に藤の美しさが愛されてきた証。何処ぞには天然記念物に指定された樹齢千二百余年の藤もあると聴くし、
「この常世藤(とこよふじ)の言い伝えも、もしかしたら本当なのかもしれないよね」
 初めて袖を通した巫女装束に緊張しつつ、少女はこの神社の神苑で『常世藤』と呼ばれる荘厳な藤の古木に触れた。神とひとびとの、約束の藤。
 この神社に祀られているのは、千年の昔、酷く痩せたこの地に肥沃な恵みを齎し、恵みがいつまでも廻り続けるようにと己が力すべてを注いで、常世で眠りについた神だという。
 常世とは死後の世界のこと。
 永の眠りにつく前に、神がこの地の民へ望んだことは、唯ひとつ。
 ――藤波は寄せては返す常世波。
 ――この藤の花波は藤の馨しさを常世までも届け、私の眠りを慰めてくれるだろうから。
 ――どうか千年、この藤を護り続けておくれ。
 以来この常世藤は誰もに大切にされて、花咲く季節には氏子の家から選ばれた藤の巫女が手入れを務めるならわしが続いてきたと、そう聞かされて、少女は育った。
 そして、少女が巫女に選ばれたこの年が。
 言い伝えが真実であるのなら、今年が常世藤の千年目。
「長い間お疲れ様でした、常世藤さん」
 たとえ言い伝えがただの御伽噺なのだとしても、長い間、春がめぐるたびに花を咲かせてきただろう藤への敬意と労いをこめて少女が微笑んだ、そのとき。するりと伸びてきた藤の蔓が彼女を絡めとる。引き寄せる。絡み合う蔓の中へ、幹の奥へ呑み込んでいく。
 謎の花粉めく胞子によって常世藤が攻性植物に変えられてしまったのだとは知らぬまま、腰から呑まれていく少女は仰け反るように藤を仰ぎ見た。
 薄紫の花の天蓋が光を透かす。小さな蝶にも似た花々が羽ばたくように風にそよぐ。
 春の青空を背に見る常世藤の花。それが泣きたいほどに綺麗だと思ったところで、少女の意識はふつりと途切れた。

●旅立ち
 藤の花咲くこの時季を『春の中の春』と呼ぶのだと、大切な家族が教えてくれた。
「かくしてぞ――と始まル、恋焦がれる相手を藤に重ねた和歌もありましたネ」
 その『春の中の春』を思い起こせば改めて、遥か古からこの国のひとびとに愛されてきた藤への想いがエトヴァ・ヒンメルブラウエ(フェーラーノイズ・e39731)の心に燈る。
 千年の昔に何があったのかを確かめるすべはない。
 千年と伝えられる時の流れそのものも、真実であるかは判らない。けれど、
「俺は信じたいデス。この常世藤の言い伝えガ、何らかの真実を含んだものなのダト」
「うん。それならなおさら……ただ常世藤を倒すだけじゃなくて、取り込まれた巫女さんも救出したいところだよね。常世藤のために命が喪われるなんて、絶対避けたいだろうから」
 この藤の攻性植物化を危惧していたエトヴァの心を、そしてきっと彼と同じであるだろうケルベロス達の心を掬って、天堂・遥夏(ブルーヘリオライダー・en0232)が言を継いだ。
 常世藤の奥深くへと取り込まれた少女は、攻性植物と一体化しており、普通に攻性植物を倒せばそのまま一緒に死を迎えてしまう。
 だが相手に攻撃してはヒールで回復し、ヒールが効かないダメージを根気強く積み重ねて攻性植物を撃破することで、彼女を死なせることなく救出できる可能性が生まれるのだ。
 決して楽な戦いではない。
 長期戦は必至で、慎重なダメージコントロールも必須。それも戦いが終盤になるほどより慎重さが必要になる。相手を癒しつつ『ヒールで癒えない傷』を積み重ねる戦いなのだ。
 無傷の状態なら耐えられたのと同じ威力の攻撃でも傷だらけの状態ならあっさり致命打になりかねず、ヒールが効かないダメージを充分に蓄積できていないうちに倒せば、攻性植物ごと少女も殺すことになる。
 彼女を救出するためには、策も連携も確り調えて臨む必要があるだろう。
「常世藤は護りが固いから、まだダメージコントロールはしやすいほうだと思う。けれどもそれって戦いがより長引くってことでもあるし、巫女さんを救出するためにも――最後まで絶対に気は抜かないで」
 戦いの舞台となるのは藤の神苑。
 充分に開けた空間であり、戦いで他の藤や神苑が荒れることもない。
「避難勧告も手配済みだから、他の誰かを巻き込んでしまうこともない。ただ……」
 千年の節目を迎えた常世藤。それが異星の侵略者として『討伐』されるとなると、神社の神職や氏子、参拝客達の衝撃や悲しみは如何ばかりか。神苑という現場と状況ゆえに危険の正体を伏せたり嘘で取り繕うのも難しい、と遥夏が続ければ、
「合点承知、それならわたしがお話しにいってきますなの~!」
 真白・桃花(めざめ・en0142)が手と尻尾でぴこりと挙手した。
「エトヴァさんやみんななら、攻性植物になったからって常世藤を貶めたり辱めたりしないって思うもの。だからそれをしっかりお話してきますなの~」
 皆なら必ず、常世藤が罪に穢される前に、巫女や他の誰かの命を奪ったりしないうちに、心をこめて常世へ送り出してくれるから――と。
「お願いしマス、桃花殿。仰る通リ、俺もそんな気持ちで戦いに臨むつもりでいマシタ」
 桃花に頷き返し、皆もきっとと信じてエトヴァは、仲間達に微笑みを向けた。
 常世藤を穢すような、貶めるような言葉や態度は厳に慎んで。
 討伐するのではなく、千年の役目を終えた藤を送り出すのだ。常世への旅路へと。
 春の青空は美しく晴れ渡っている。こちらでも、あちらでも。
 旅立ちにはきっと、これ以上ない日であるはずだから。


参加者
アラタ・ユージーン(一雫の愛・e11331)
ナクラ・ベリスペレンニス(ブルーバード・e21714)
セレス・アキツキ(言霊の操り手・e22385)
知井宮・信乃(特別保線係・e23899)
イズナ・シュペルリング(黄金の林檎の管理人・e25083)
ヴィルト・クノッヘン(骨唄葬花・e29598)
エトヴァ・ヒンメルブラウエ(フェーラーノイズ・e39731)
四季城・司(怜悧なる微笑み・e85764)

■リプレイ

●常世藤
 ――千年の、約束。
 神の血を引くヴァルキュリア、エインヘリアルが叛旗を翻すより前のアスガルドも記憶にあるイズナ・シュペルリング(黄金の林檎の管理人・e25083)にとって、嘗て千年とは少し長い一眠りで越えられる程度の時であった。
 だが、それがこの星の民にとってどれほど永い歳月であるか、今の彼女は理解している。
 遥か千年の昔。それが真実であるかさえ判らないけれど、幾つもの代を重ねたひとびとが約束を守って受け継いで、常世藤を大切にしてきたことは確かな真実だから。
「本当はその子を傷つけたくないよね? ちゃんとこっちに返してもらうから!」
「そうよね、叶うなら私達だってあなたを傷つけたくない。だけど……!」
 薄紫の藤花と新緑を透かした光が淡い彩を燈して踊る。光舞う世界を翔けるのはイズナが揮う螺旋の軌跡、藤の幹を裂きながら幾重にも蔓を斬り飛ばした手裏剣がその威を深く抑え込めば、間髪容れずセレス・アキツキ(言霊の操り手・e22385)の指先が光を編んだ。
 常世藤の裂傷へ鮮やかに施す魔術切開、
 ――この地を護るために眠りについた神様なら、どうか。
 約束を守り続けた者の末裔を守るために、力を貸してね。
 願えばまるで、神苑に残る誰かの息吹と幾重にも共鳴するかのごとく輝きが増す。注ぐは強大にして純粋なる癒し、縫合までも一瞬で終えたなら、セレスが纏うほのかな桜の香りが柔く舞った。甘やかな藤の香りに桜の香りがとける春の神苑に夏を添えるのは鮮麗な桃色の花々、ヴィルト・クノッヘン(骨唄葬花・e29598)が皆の護りに咲かせた蓮花の盾。誰よりこの戦いを甘く考えていた彼が積極的な行動を控えたことが、誰にとっても福音となる。
 薄紫に咲き溢れる藤の天蓋、桜の香りの名残と蓮の花々。
 ――まるデ、この国の美しさヲ、この神苑に集めたかのよウ。
 光を透かす薄緑の藤の葉が夜のとばりのごとき影で中衛陣を呑まんとするが、花の神苑に蒼穹の髪が翻った。エトヴァ・ヒンメルブラウエ(フェーラーノイズ・e39731)はセレスを護って引き受けた夜の重さを堪え、
「どうカ、この美しき日ニ……せめテ、佳き旅立ちヲ」
「うん。きっと常世藤は、今日の別れを解ってたと思うんだ。だから――」
 春から初夏へ向かう神苑を馳せ、刃のごとき蹴撃を奔らせれば、痺れに花の瀑布を震わす常世藤を狙い澄ました緑の霧が抱擁する。更なる麻痺を齎す緑色酸味魔法を揮うのは流星の蹴撃も竜の砲撃もとうに十分だと見たアラタ・ユージーン(一雫の愛・e11331)。イズナの盾となりつつ、仲間達の攻撃を、それを受けた藤の様子も脳裏に刻み込んで、知井宮・信乃(特別保線係・e23899)も常世藤の懐へ跳び込んだ。
 眼力で視る命中率のように明確な数値では測れない。
 ゆえに皆の攻撃の威力を、藤に蓄積された痛手を、経験と徹底的な観察で推し測る。
「あくまで推測ですが、もうすぐ折り返しに差し掛かるはずです! 踏ん張りましょう!」
「長丁場になるのは承知の上だもんな、俺等も頑張るから、巫女さんも頑張ってくれよ!」
 信乃が触れた掌から常世藤へ打ち込まれるのは、この戦いを象徴するような螺旋の力。
 傷つけては癒し、癒してはまた傷つけて。相手の強固な護りゆえにいっそう気が遠くなる様な攻防を繰り返してきたけれど、堂々巡りに見えて確かに先へ進む螺旋のごとく、決して停滞はしていない。ナクラ・ベリスペレンニス(ブルーバード・e21714)も藤の裡の巫女へ届けとばかりに明るく声を張って、花の女王を思わせる紫の縛霊手から紙兵の加護と癒しを前衛に咲かせた。なあニーカと笑いかければ、『ナノ!』と応えた愛娘が続く。
 尻尾の毒攻撃を封じたナノナノの技は既に見切られているが、狙撃手として布陣している今回なら必中は無理でも命中の見込みは高い。
 愛らしき輝きで贈るのは、常世藤への麻痺の魔法。
 ――常世藤を穢すような、貶めるような言葉や態度は厳に慎む。
 常世藤との戦いの物理的な要となるのがダメージコントロールであるなら、精神的な要となるのが相手を尊重する心構えだ。それを理解しておらず、仲間の様子からようやく察した四季城・司(怜悧なる微笑み・e85764)にできることは、迂闊な言葉を洩らさぬように唇を引き結び、己が務めに徹することのみ。
 狙撃手を担うはずの身で前衛に踏み出しかけた、開戦時のような気の緩みは許されない。
 己でもヴィルトでもなく、他の仲間たちが精緻な綴れ織りのごとく丁寧に織り上げた策を乱さぬよう、司は独自の華麗な剣技で、麻痺を齎す衝撃波を奔らせる。
 途端に魔力を孕む光風が躍った。
 薄紫の藤の瀑布が幽玄な花波を生む。淡い紫の光と甘い花の香が美しい波となって後衛へ寄せる瞬間に、信乃が身を挺して受けとめる。藤波は寄せては返す常世波、香りだけでなく肌を甘やかに擽る花弁さえ心を常世へいざなうけれど、
「ひとはいつか旅立ちます。でもそれは、今じゃない!」
「そう、今じゃないもんな。またいつか、遠い日のこと」
 裂帛の気合で跳ねのける。彼女に護られたナクラが蒼海の眼差しを緩めて笑み、前衛から羽ばたくアラタのウイングキャットの風に乗せ、後衛陣へ紙兵の癒しを広げていく。幻惑を祓われた司が揮う妖精剣の花嵐が、藤の術の威を封じるために舞う。
 常世藤を現世に留まらせるわけにはいかない。
 然れど、常世藤を旅へ送り出すとしても、藤の巫女たる少女までをも旅立たせるわけにはいかないから、長い長い、螺旋のみちのりを越えていく。苦しいでしょうけど、どうか付き合って、と意識のない巫女に語りかける想いで藤へ魔法手術を施すセレス、彼女を捕えんと揮われた藤の蔓へ咄嗟にエトヴァが手を伸ばす。
 腕を砕かんばかりの蔓の縛め、その威を漆黒のローブで大きく削いで、
「……最初に比べテ、随分と優しくなられましたネ」
「武器封じもプレッシャーも効いてるもんな、けど最後まで油断せず行こう!」
「もっちろん! 癒えない傷が嵩んでいくのは藤も俺等も同じ――だからね!」
 鏡映しの双眸を細める彼を捕える藤蔓を、アラタの腕から躍った鈴蘭の蔓葉が逆に捕えて引き剥がし、その機を掴んだナクラが孤独な寒さもあたためる恋のバラードを歌い上げた。優しい炎のゆらめきを思わす共鳴を、癒し手の浄化をも孕む彼の歌に痛手を拭われたなら、青空から射す光のごとき声でエトヴァは藤を癒し、
「行けるよね、セレス!?」
「ええ任せて、大丈夫よ!」
 迷わぬ踏み込みで優しく触れたイズナの掌から打ち込まれる螺旋の力、常世藤に内部から破壊を齎すその痛手を、舞うような所作で樹皮を切り開いたセレスが大きく癒す。
 癒しては傷つけ、傷つけてはまた癒す。
 常世藤を『討伐』するのではなく、穢れなきまま旅立たせるために。
 この国の多くで神無月と呼ばれる十月を、神在月と呼ぶ処がある。神が集う地、八雲立つ出雲で生まれ育った信乃にとって、神の息吹は身近で慕わしいもの。
 ゆえに、常世藤が『成った』のが異星の神であっても、神に接する心構えは変わらない。
「荒ぶる神は滅ぼすのではなく、鎮めるもの。それがこの国の伝統ですからね」
「滅ぼすのではなク、鎮めるモノ――……愛おしくなるようナ、考え方ですネ」
 祈る心地で信乃が凝らせる精神の魔法、爆ぜる力は神を傷つけるよりも、大いなる神威を鎮めることを願ってのもの。慈しむように微笑み、エトヴァは己が声音に混じる機械音響の煌きを透きとおらせた。贈る魔法は、常世藤へのもの。
 Das Zauberwort heisst――。
「ああ、素敵な響きね……」
 遥か高く澄んだ、青空が見えた気がしたのは、同じ楽士たるセレスが、彼の声音に共鳴と癒しの響きを聴きとったから。藤が青空に映える花々を甦らせる様を眼にしたなら、自身は即興で織り上げた言霊を詠唱に替える。
 ――御身に、穢れなき旅立ちの、言祝ぎを。
 世界で唯ひとりセレスだけが揮える忌諱拘牽、相手の縛めを深める術を、常世藤が罪業に穢れぬための護りとして揮う。縛めを、麻痺を、幾重にも深められて、常世波を生みかけた花々の動きがとまった。
 迫る別離の時を、誰もが肌身で感じとる。
 ――大切なものが去っていくのは、悲しいよな。
 柔い酸味にも似た切なさを、巫女ごと抱きしめる想いでアラタは、緑霧の麻痺で常世藤を抱擁する。ナクラの掌中で軽快に鳴り響く音は、藤に纏わせた不可視の爆弾の起爆の合図。
「もう少しです、どうか堪えてくださいね……!」
 薄紫の花の雨、命とともに花を散らしていく藤の奥にいる巫女に呼びかけながら、信乃が天から降らしめるのは刃の雨。広く降るゆえに浅く削るその威を金の瞳で捉え、
「四季城、ストップだ。アラタ達はそろそろ手を止めたほうがいいと思う」
「わたしもそれがいいと思うな、スナイパーのクリティカルはちょっと怖いもんね!」
 狙撃手たる少女が司を制したなら、頷いたイズナが揮う刃が流水の軌跡を描きだす。皆の盾となり続けたアラタの翼猫が、手を収めた主の心も乗せるよう、尻尾の輪を解き放つ。
「ニーカ、藤にばりあを!」
「助かるわ、ここからが一番難しいところだものね」
 螺旋の涯てが見えてきたからこそ焦りは禁物、それを識るナクラの声に応えたナノナノが常世藤を癒しで包み込めば、皆の火力を和らげてくれるその護りにセレスも目許を和らげ、大胆な癒しを齎す魔法手術をいっそう繊細な手つきで成し遂げた。
 濡れた薄紙を一枚一枚、決して破らぬように剥がしていく心地。
 この手の戦いの終盤はいつもそう。呼吸すら忘れるほどの緊張のなか、螺旋のきざはしをひとつひとつ昇っていく。少しずつ重ねられた傷を見て、イズナが自身の裡に三重の共鳴をめぐらせれば、神苑に顕現した林檎の木が黄金の輝きを実らせる。
 千年の神様の慰めも、もう終わり。
「だから、ゆっくり休んでね。……おつかれさま」
 常世へのお土産に、持っていってね。愛おしさをこめて彼女が贈る黄金の林檎が、最後の癒しで常世藤を潤した。瑞々しい薄紫の花々が一斉に咲き溢れる。咲き零れる。
 然れど常世藤に残る力そのものは、僅かなひとしずくのみ。
 白銀の双眸に、蒼穹と藤花の天蓋を映した。心にも確りと映しとり、
「千年の約束の務め、お疲れさまでシタ」
 エトヴァが起こすのは常世藤を優しく送りだすための風。大いなる風を巻き起こす蹴撃が大地から常世藤を解き放つ。荘厳な古木のすべてが、光になって、旅立っていく。
 宙に取り残された巫女の少女をセレスが抱きとめる様に安堵の息をつき、柔い光が青空へ舞いあがって消えゆく旅立ちを、彼は感謝をこめて見送った。
 ――神様のもとへ、どうか辿りつけますように。

●現世藤
 ――約束の千年は経った。だから藤は常世へ旅立っていった。
 今日まで藤を愛して、その最後に立ち会った巫女さん達を。
「藤だって、常世の神様だって、変らずに愛してると思うぜ?」
 目を覚ました少女にそう語ったナクラの言葉も、いずれ新たな言い伝えになるのだろう。
 即座にアイズフォンで真白・桃花(めざめ・en0142)に連絡を取ったアラタや彼が思った通り、外では少女の家族が無事の報せを待ちわびていた。
 待ちわびていたのはエトヴァの家族も同じ。お疲れ様とジェミ・ニア(星喰・e23256)が駆けてくる様に細められた彼の白銀が、思わぬ姿を映して軽く瞠られる。
 皆の尽力を労い、讃える言葉を贈られて、
「ナザク殿ニ、スプーキー殿モ……ありがとうございマス」
 いつかのキャンドルの夜を思い起こしながら、ナザク・ジェイド(とおり雨・e46641)とスプーキー・ドリズル(モーンガータ・e01608)に微笑み返した。
 巫女の少女をその家族に託して、アラタはずっと握っていた彼女の手をそうっと離す。
 心を護るように握った手から手へ、暖かな優しさも気遣いも確り伝わったことをセレスが確信できたのは、己が語った事の次第を、少女が驚きながらもゆっくりと呑み込んだから。深く、穏やかに息をつき、改めて神苑を見渡せば、常世藤が旅立ったあとにも残る藤達が、咲き零れる薄紫の花々と甘やかな香りで歓迎してくれていた。
 優しい新緑から溢れんばかりに滴る藤の花房、その美しさに信乃が笑みを咲かせ、
「藤の花は桜より見頃が短いから、今この時期にしか観ることができないんですよね」
「それならなおさら、ゆっくり眺めて……素敵な写真も撮っておきたいところね」
 倣って振り仰げはセレスの耳元で桜と藤の飾りがしゃらりと歌う。妹におねだりをされた心地で微笑んで、彼女や友人達へのお土産に、降るような花々と澄みわたる青空を、まずは一枚、切りとった。
 家路に着く前には拝殿に詣でて、神様への報告と感謝も忘れずに。
 甘やかな花々の香りも、光風にそよぐ花々の囁きも、イズナに歓喜を満たしてくれる。
「大丈夫。またこれからも大切にしてもらえるから」
 ――見守ってあげてね。
 約束は成就し、常世藤は旅立った。けれども間違いなくこれからも神苑を彩り続けていく藤達へイズナが語りかければ、明るい新緑と花々を透かした光が応えるように踊った。
 光まで嬉しそうだなーと己の胸裡にも煌きが跳ねる心地でナクラも笑みを綻ばせ、うちの親だと『神様からの過激なアプローチは大体罰ゲームじゃん!?』なんて言いそうだけどと想いを馳せる。
 だからきっと、期限付きの約束くらいがちょうどいい。
 聴こえてきたアコースティックギターの音色は、ナクラが常世藤へ手向ける旅立ちの餞。佳き旅立ちだったろうね、と眦を緩めるスプーキーに、間違いなくな、と笑み返し、藤花の天蓋を振り仰いだナザクが目蓋を閉じれば、降る光と花の香りが、いつか観た薄桃色の藤の花々を呼び覚ます。
 同じ紅藤を想う男が、あの日は杯に君を写して恋に溺れたけれど、と桃花に微笑めば、
「今の僕は、愛しき君を守護する不沈艦だ」
「ふふふ~。スプーキーさんはそのうちきっと、真の意味で無敵艦隊になりますとも~!」
 勿論アルマダ海戦も負けませんなの、それともドレーク艦隊のほうが好み~? と尻尾を傾げつつ彼にほっぺちゅーを贈る竜の娘が、
「ナザクさんはどっちだと思う~?」
「そこで俺に振るんだ!? でも……そうだな、世界一周した司令官がいるほう、かな」
 彼もなかなか隅に置けないな、と思いつつそっと距離を取っていたナザクに無茶振りして来たが、過去に読破した書物の頁が反射的に脳内で展開されるのが読書家の強み。
 スプーキーは夢やら希望やらに満ち溢れているように見えるからと続ければ、君もだよと年上の男が笑みを深めた。
 ――君もこの若き藤達のように、艶やかで希望に満ちているよ、ナザク。
 誰もがきっと、大切な誰かとの別れを識っている。
 皆のそれも、己のそれも、常世藤とこの地のひとびとのそれも、ひとつとして同じ別れはないと識るから、アラタはいつだって自問している。常世藤を送りだし、残る藤達の香りに抱かれ、胸に萌した藤の名を持つ友の言葉を口遊む。
 ――いつでも別れ、また出逢えるように、そのときの精一杯で美しく咲く。
「アラタちゃん、それって……!」
 芽吹きの双眸が見開かれる様にアラタも思い出した。いつか遊びにきた桃花が、『別れは出逢いに似てしまう』という言葉の意味を、ずっと考えているのだと語ったことを。
「あ! そうか、これもひとつの答えなのかもしれないな……!」
 恐らく幾つもの意味を含んだ言葉、なれどその意味のひとつに触れられた心地で、笑みを咲かせる。巫女の少女に伝えたとおり、常世藤は今日の別れを解っていて、だからこそ一番綺麗な姿を見せたのだと、アラタは確かに心へ燈した。
 愛し愛されたまま旅立った、春の中の春。
 春の中の春――と少女の声で紡がれた言葉が耳に届けば、擽ったい心地でジェミも笑みを綻ばす。薄桃色の花の瀑布、純白のシャンデリア、紅藤と白藤の春の中の春を家族と歩み、今日この日、薄紫の、青藤の春の中の春に迎えられる。
 薄紫の雨みたいだね、と今年はジェミから口にして、花と光と、その彼方の青空を仰いだエトヴァは、自然に家族と手を重ねた。アラタ殿も言っておられましたガ、と語りだし、
「千年の契りガ、ちょうど遂げられたなラ……見通しておられたのかもしれませんネ」
「うん。千年も生きた藤なら、未来視のような不思議な力があってもおかしくないのかも」
 穏やかな声音で続けた彼の手を、ジェミも大切に握り返す。
 神様が望んだこの土地の安寧のため、と紡いだ言葉が優しい波のごとくひとびとに届いた時のことが胸に浮かんだ。代々約束を守り続けたひとびと。それなら、
「この藤達は、常世藤の子供達なのかな」
「……子供達? ええ、そうかモ」
 彼らのように、白藤が実を結ぶ様を見たように、常世藤もきっとと思えたから。
 子供達『みたいな』でなく、そう紡いだジェミの心をエトヴァも掬う。これからの神苑に春の中の春を告げるこの藤達に、ひとびとはまた想いを馳せ、由縁を語り継いでいく。
「その香りも声も――届けてくださいますカ?」
 問いかけたなら、常世へ旅立った藤からの香りも寄せてくれるような現世の藤の花波が、彼らを抱擁した。二人の想いも祈りも花波に乗せ、常世へと届けるように。

作者:藍鳶カナン 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2020年5月3日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 6/キャラが大事にされていた 0
 あなたが購入した「複数ピンナップ(複数バトルピンナップ)」を、このシナリオの挿絵にして貰うよう、担当マスターに申請できます。
 シナリオの通常参加者は、掲載されている「自分の顔アイコン」を変更できます。