椿屋敷

作者:東公彦

 胸に包みを掻き抱いて、少年は鉄門のアーチをくぐった。
 山麓のお化け屋敷は地元の子供の間でだけ話にあがるもので、少年が生まれるよりも前からうち棄てられていたらしく、石垣や鉄柵には蔓が絡みつき本来の姿は窺えない。
 急きたてられるような気持ちが鉄門をくぐった途端に消えた。人為的な手から離れて久しい庭の植物たちは気儘に煩雑な生育をはじめ、きっと自らの根がわからぬほど混ざり合っている。下草が脛に無遠慮に触れてくる。植えられた椿の樹々が赤い蕾を落としていた。
 椿は好きだ。この時期には真っ赤な大輪を咲かせる……。
 屋敷の扉を開けると咳き込むくらいの埃と湿気が喉にせまってきた。床板が踏み外れぬよう、少年は慎重に階段をのぼり、彫刻の施された開き戸を押した。
「ただいま」
 少年はひとりごちて卓上につき、包みを慎重な手付きでほどいた。現れたフレンチブルの首に、宝石でも愛でるふうに頬ずりする。
 血も乾かぬほど新鮮な生首を戸棚に飾った。腐臭異臭の類など少しも気にはならなかった。
「すっごく綺麗だ」
 首が落ちて、ようやく完全な生き物となった彼ら。なんて美しいのだろうか。余計な言葉は一つもなく、その存在だけが雄弁に己を語る。
 不意に、少年のなかを凶暴な感情が駆け回った。疼くようなむず痒さが体の奥から表面へと突き上げる。変異はゆっくりと始まっていた。
「あはっ。やっぱり欲しいや。人間の首が」
 この部屋に足りないものは人間という動物の首だ。
 少年は鋏を手繰り寄せて庭に出た。ふと赤い蕾が目にとまる。――椿は好きだ。首に似ている。熟れて落ちた時が美しく、あとは醜く腐ってしおれる。


「ある少年がビルシャナ化してしまうみたいなんだ。このまま野放しにしたら危険なのは目に見えてる、みんなには速やかに対象を排除してもらいたい」
 排除という言葉は面食らうほど直接的で、ために事の重大さがひしひしと感じられるようだった。
「個体は出現したばかりだから配下はいない。作戦区域にも人気はないようだし、少し……いや、かなり特殊な教義のようだから信者に関しては心配ないと思う。人に戻ることもないだろうから戦いに集中してもらいたい」
 一綴りの書類をぱらぱらとめくりながら、正太郎が言った。
「景気の良い頃に建てられた屋敷なんだろうね。造りがしっかりしてるのが幸か不幸か、大きな災害でもきたら一発だろうけど、通常の風雪なら崩れることなく凌いでるみたいだね。今じゃ解体費用をもってまで買い上げたい土地でもないようで、ほかされてるみたい。戦闘はおそらくこの中で行われると思う、つまり地の利があるのは敵側ってことだね」
 屋敷の図面は見当たらず手探りの戦場になること。電気が通っていないため夜半では視界の確保が難しいかもしれないことを簡素に並べて、正太郎は続けた。
「個体は13歳の少年がビルシャナ化したもので小型だね。けど力が弱かったり、運動能力に劣るわけじゃないってことは憶えておいて。ビルシャナとしての能力に加えて、武器として大きな鋏を持ってるみたいだよ。使い方は……」
 言わなくてもわかるよね、とでもいうふうに正太郎は目配せをした。
「ああ、そうだ。議論や説得の必要はないけれど言いたいことは言うべきだと思うよ。敵が虚を突かれることもあるかもしれないしね」
 まぁ、それはこっちにも言えることだけれどさ。
 正太郎はぼやくように呟いてヘリオンに乗り込んだ。


参加者
レスター・ヴェルナッザ(凪ぐ銀濤・e11206)
ステラ・ハート(ニンファエア・e11757)
一之瀬・瑛華(ガンスリンガーレディ・e12053)
鍔鳴・奏(碧空の世界・e25076)
瀬入・右院(夕照の騎士・e34690)
柄倉・清春(大菩薩峠・e85251)

■リプレイ

『悲惨な戦争で気が触れたとか、妻の死が引き金になったとか囁かれているが、男が狂ってしまった理由を知る者はいない』
 踏みしめる床板から、ぞわりとする冷気がのぼってきてステラ・ハート(ニンファエア・e11757)は喉をならした。
 割れたガラス窓や抜けた天井から降り注ぐ月の光と、柄倉・清春(大菩薩峠・e85251)の照らすライトだけが膨大な闇に頼りなく抗っている。潜んでいる何かに気づくことが出来るだろうか? 否応なし悪い想像がよぎる。
『一人では寂しかろう。偏執狂と化した男は首に番を与えてやるべく新たな首を落とした。だが首はすぐに腐ってしまう……だから男は何度も鉈をふるった』
 女の声に元来の温かみはない。まるでイヤホンを通る間に別の声に変わっているかのように冷たかった。
 不意に「あら」と声をあげて一之瀬・瑛華(ガンスリンガーレディ・e12053)が白い指をさした。光をあてれば彫刻の施された扉が姿を現す。
「どうしましょう?」瑛華が首を傾げる。と、
「入ってみようよ。せっかくの肝試しなんだから」
「ふふっ。何かあれば守ってくれると信じていますよ?」
 配役の仮面を崩さずに瀬入・右院(夕照の騎士・e34690)がゆっくりと頷くと、瑛華はは戸に手をかけた。
『繰り返すうち、男は綺麗に首を落とせるようになった。首は屋敷におさまりきらず庭に点々と赤い血の華を咲かせたという。季節に頭を落とす椿のように。そして今でも腐敗する事が無く生き続けている妻の首だけが、この屋敷のどこかに眠っている……』
 声は扉が開くのを計らっていたかのように届けられた。突然目に飛び込んできた光景にステラはぎょっと顔をしかめた。
「見ない方がいい」
 右院は素早くステラの顔を覆った。しかし目を閉じればこそ腐りすえた鉄錆の臭いは生々しく少女を襲ったようで、腕のなかで小さな呻き声が聞こえた。
「困った人ですよね。もしわたしを飾るのでしたら、お話の方のように、もう少し綺麗に飾ってほしいものです」
 冗談とも真意ともとれぬ声音で瑛華が呟いた。本棚をためつすがめつ眺める姿は行商を吟味する貴婦人然としているものの……品物が品物である。
 艶然とした微笑みは造形された彫像のように美しく、どこか人間離れした印象を湛えていた。
「こんなものを刈り取って、デスマスクを飾って、いったい何が楽しいのじゃ……」
「……普通とは逸脱した考えだからね。異常と言えるほどには」
「ははっ、そりゃわかんねーで当然だろうけどよ。ククク『正常』な奴なんてこの世にいんのかよ、あー?」
 楽しそうに相貌をゆがませて清春が言った。手中で生首を転がす様はとても『正常』を語る人間には見えない。
 瀬入は目を逸らして、ふと死臭に何ら動じえない自分に気づいた。気づいた途端、過去の形相が恨めしそうに自分を指さしている気がして、そっと唇を噛んだ。
 異常、正常。果実をもぎ取るだけの行為、か……。
 果たして得た実りを無駄にしないことが贖いになるのだろうか?
 ――と。ぐらり、屋敷が体を震わせて、瀬入は思考を止めた。耳を澄ます必要もなく、微かな戦いの号音が階下から漏れ聞こえてくる。
「ようやく始まったようですね。みなさん、用意はよろしいでしょうか?」
「うむ、余は大丈夫じゃ。往こうぞ」
 額に脂汗を浮かべながらもステラの声は力強い。仕事を行なうに年齢は関係ない。問題は個人の素質と意思であろう。
「では、お先に失礼しますね」
 瑛華は形のよい眉尻を下げると、素早く闇のなかに躍り出た。


「そして今でも腐敗する事が無く生き続けている妻の首だけが、この屋敷のどこかに眠っている……」
 話しには存外に凄みがあり、鍔鳴・奏(碧空の世界・e25076)がうろんげな視線を投げるには十分であった。彼の知るリーズレット・ヴィッセンシャフト(碧空の世界・e02234)は自分が話した怪談で自身が眠れなくなるようなタイプで、ここまでの雰囲気を作れはしない。見ればリュックから顔を出したまま『響』は演技ぬきで固まっていた。火のない所に煙は立たない、とは考えたくないが……。
 屋敷のとばくちは広大なホールとなっており、拱廊作りの廻り廊と正面には大階段が伸びて二階へ繋がっている。在りし日を想像すればいかに自分達が場違いな客かがわかる。とても舞踏会で踊れる恰好ではない。
 ランタンを片手に進むレスター・ヴェルナッザ(凪ぐ銀濤・e11206)の足取りは、獣のような体躯と相反して慎重である。噛みしめるように一歩々足を踏み出し、時に止まって気配を窺う。一言も声を発さず爛々と瞳を尖らせながら再び先へ。しかし彼の沈黙も敵わぬほどアリャリァリャ・ロートクロム(悪食・e35846)は雄弁に動き回っていた。
 一瞥もくれぬレスターの足元から「ワッ!!」と声をあげて飛び出したり「お化けはどこダー、出てコーイ!」手あたり次第に蹴飛ばすような勢いで扉を開けている。もはや趣旨が肝試しとばかりに、勢いたるや縦横無尽である。と、後ろから邪気のない笑顔がひょこんと出てきた。
「なぁなぁ奏くん。どうだった? 私の怪談どうだった!?」
「はいはい。怖かったぞー」
「むー、なんだか適当だぞぉ。渾身の出来だったのに~」
「だったら聞くけどな、本当にリズが話してたのか? この屋敷には本当に女の首がいまでもあって、それがお前に語らせていたんじゃ」
 言いかけて、奏はリーズレットの腕を掴むと咄嗟飛び退いた。光の翼が暗闇を引き裂き、追いすがってくる鋏を照らし出す。
 ――間に合え! 流したグラビティが衣服の物質構成を変化させてゆく。生地が様々に隆起湾曲し強靭の象徴を具現化させる。一瞬にして奏の腕は甲冑に包まれた。
 がちん。鋏が腕に噛みつく。だが『鎧聖降臨奥義』によって構成変化した物体はそう簡単に断ち切れるものではない……そのはずだった。
「ぐぁ――」
 ぶちん、と肉の断たれる音が耳の奥からした。激しい痛みが押し寄せる。信じがたいことだが鋏は鎧を断ち切っていた。
「アハッ」
「こいつ……天井に張りついて!?」
 早送りのような速度で迫ってくる禿へ、叫びやりながらリーズレットは腕を振るった。魔方陣が一際強く輝き、不可視の波動が禿を打ち据えた。だが止まらない、恐ろしいほどの硬度と膂力で突進してくる。
 これと接近戦など考えたくもなかったがせめて彼女だけは護らなければならない。覚悟を決めて奏が身構えたその時、横合いから砲弾さながらにレスターが突っ込んできた。
「お前の相手は、こっちだ」
 裡に秘めた狂猛な熱を解き放つように小さく呟く。禿を押しのけると、レスターは体を振り子のように振るい鉄塊剣『骸』を軽々と跳ね上げた。
「お前の美学どおりの完璧な首が欲しいなら大人しくしてろ。余計な手足は動かせば」
 切っ先は壁を削りとりながら頭上へ、遅れて巻きあがった風が髪をなぶる。
「――間違って頭を潰しちまう」
 右腕から銀の炎が噴き出す。踏み込み、持ち手を組みかえて肩に担ぐようにした骸を力任せに叩き落とす。熱気を帯びた風圧が吹き荒れ、床板が真っ二つに割れる。だが……手応えはない。
 視線を下げれば、体を不自然に捻転させて禿は壁に這いつくばっていた。四肢がぐっと盛り上がる、途端恐ろしい速度で嘴が肉を啄んだ。
「アハッ、いいんだよ。後でゆっくり首は切るもん」
 禿の言いざまに腹の底の何かが燃え上がった気がした。言うなれば戦いそのものへの渇望か。
 ハナから容赦をする気はなかったが……戦い甲斐があるじゃねぇか。言葉を呑みこみ、嗤いを堪え、レスターは再び骸を握りしめた。
「……上等だ。後悔すんなよ?」
 骸と鋏がぶつかり合う。力は拮抗し、打ちあうたびに爆発のような音と衝撃が起こった。一際強力な一撃がぶつかり合って、両者が共に大きく仰け反った。その瞬間、リーズレットは狙い澄まして鎌を投擲した。
「跳んで!」
 鋭く声を投げる。それはレスターにとっても全くの不意打ちであったが、彼は慣性を利用して強引に体を流してみせる。鎌は紙一重で彼を通り過ぎ、禿を打ち据えた。体勢が崩れ、たたらを踏むそこへ更に一つの影が飛び込む。
「見つけタゾー!!」
 避けることも防ぐことも能わず、禿は自らの側頭を捉える拳を無防備に見ているしかなかった。
 禿が吹き飛んだ。見事な一撃――掛け値なしの直撃である。リーズレットは小さく拳を握った。と。
『聞こえるかの。戦闘は始まっているようじゃが、いまどこじゃろうか?』
 ステラからの交信だ。ぼんやりと頭に地図をつくってみた、おそらくここは……「一階の通路東側だ。中央のホールをぐるっと廻っている廊下の中だぞ」
 見つめる視線の先では奏とアリャリァリャが壁を床を蹴って狭い通路のなかを躍動していた。逆にレスターはどっしりと構えて禿の攻撃を抑えるべく動いている。不安定ながら包囲の輪が機能していた。
『こちらはいまからホールに出るからの。着くのはいま少し……』
 ステラが言いかけたところで「いいや、すぐに合流といこうぜ」突っ込んできた禿を蹴りでいなしながら奏が言った。金色の瞳が悪戯げに揺れて、リーズレットは全てを理解した。
「ステラさんっ、ホールで準備を!」
 自信も目算も十分ある。リーズレットは編んだ魔方陣を消し去り再構築。各々の位置を確認すると、『響』を『モラ』の援護に向かわせ、アリャリァリャに声をかけた。
「さっきの最高にかっこよかったぞ~。もう一撃、お願いだっ!」
「ギヒヒヒ! オウオウ、任せロ!!」
 鋸刃のけたたましい駆動音が反響する。アリャリァリャの動きは直線的だが素早い。加速度のついた攻撃など二度と受けたくはないのだろう、禿の動きは僅かに防戦に傾く。それを見逃す奏ではない。逃げようとする先々へ刃を置くように振るいながら、徐々に徐々に間合いを詰めた。
 当然、肉薄した状態での戦闘は分が悪い。癒し手は足らず、目に見えてケルベロス達は疲弊してゆく。薄闇の廊下にはいつしか血の匂いが充満していた。だが同時に禿を縛り付けた、逃げられない小さな空間に。
 ――今だ! リーズレットが撃ちだした気咬弾は廊下の暗闇を引き裂きながら禿を捉えた。重い物体が弾ける音、たいしたダメージではないだろう。しかし――、
「出口にご案内だ」
 レスターが低く呟いた。右腕からとめどなく流れ出る炎は、骸の背を走り抜けながら畝り狂う銀鱗の龍となる。龍は炎と衝撃波を伴って禿の腹に牙を突きたてた。屋敷を震わせるほどの轟音はさながら龍の雄叫びだろうか。
 龍は禿を業火で包み、壁に激突すると爆風と共に弾けて消える。
 すかさず、駆けだした勢いそのままにアリャリァリャが二又のチェーンソー剣を振り上げた。
「ギャアアア!」
 鋸刃が禿の腹を抉りとる。肉と臓物が飛び散り、暖かな鮮血が顔に吹きかかる。
 愛情と殺意の差異が理解できないアリャリァリャにとって、禿の行為は共感こそあれ蔑視には当たらなかった。だからだろうか、禿の血肉は美味い。トビキリに!
「ウチが負けたらウチの首を持ってケ、腐りにくいカラ永ーく飾っテおけルゾ! でも」
 ベロリ。犬歯を剥きだしに舌で肉片を舐めとる。
「ウチが勝ったらキサマの首を切りとらセロ! そしたらたくさーん愛しテ……食ベテヤルカラナッ!!」
 もう一対の剣を殴りつけるように突きだすと、度重なる衝撃に耐えきれず壁は粘土細工のように崩壊した。


 灯のもとで見た禿は、精々が嘴のついた犬か豚で、とても鳥人間には見えない。くの字に歪曲した脚、ひょろりと長い腕が小さな体についており、痩せこけて血に汚れている。そのなかで頭だけが異様に大きい。
 禿が弾かれたように動きだした。動きは鈍い。咄嗟清春も飛び出した。
 しゃきり。拳一つほどの距離を残して鋏が空を切る。顎を引きのけぞった右院は禿の腕を蹴り上げて一回転、持ち手を大輪の薔薇に飾られた両刃剣『ラフェルプリンセス』を薙ぎ払った。動きに合わせ、禿の腕に組み付いていた清春も距離を取る。
「ククっ、あんまり綺麗なお顔ってのも大変なもんだなぁ。貸し一つな」
 緊迫した顔を皮肉げに笑ってやる。すると右院は僅かに眉をよせ、唐突に清春へと刃を向けた。切っ先が滑らかに孤を描き、触れんばかりの距離に迫っていた氷刺を切り落とす。
「貸し一つ、だね」
 右院はふっと笑い、走りだした。舌打ちをひとつして反対方向へと回り込む。禿が首を巡らせて逡巡した一瞬をついて、持ちだした生首を投げつける。
「こんなもんでお人形ごっこかよクソガキぃ」
 嘲笑に意味はなかったろう。だが行為は十分に逆鱗に触れた。禿の目が血走る。腕を振り上げたかに見えた瞬間、鋏が肉を削ぎ切っていた。
「柄倉、無茶をしてはいかんぞ」
「ハッハー! 悪ぃ悪ぃ、オレってさぁ人の大事なもんぶっ壊すのが大好きでよぉ!!」
 いや、自分の大事なモノであってもか。自らの手で壊せたなら、忘れ得ない傷を与えたなら、それはもう自分だけのものだ。
 怒りに任せて襲いくる禿の猛攻は凄まじいものがあった。だが致命傷だけは微睡むように中空に現れる睡蓮の盾が防いでくれる。なにより、いまや禿は他の全てが見えていない。
 甲高い破裂音が響いて、突然禿が膝をついた。棒きれと化した脚を引きずるように駆けだすも、銃弾は行く手に精確に撃ちこまれてゆく。
「ほんとうに。真っ先に男性の首を狙うなんて……少し妬けてしまいますね」
 瑛華は慣れた手付きでシリンダーを開き、弾丸を詰め替える。実弾銃――特にリボルバーの欠点とも言えたが、この手のかかる子供のような鉄の塊がとかく手に馴染む。禿に対して思うことなど何もない、これは只の仕事。一発の銃弾が意思によって動きを変えないように、如何なる状況でも瑛華に変わりはない。
 欄干を蹴ってシャンデリアに飛び移る。飛来した氷刺が一寸先の位置に突き立った。再装填を済ませたリボルバーを直感的に手繰り引金をしぼる。禿は跳ねるように弾丸をかわし動き回る。その先に何があるかも知らずに。
 右院からしてみれば回り込んだ死角に勝手に相手が飛び込んできた、という感覚しかなかった。故に一足が衒いなく重心を定め、上体が不自然なほど潤滑に動き刃を奔らせる。
「はあッ!」
 自然飛び出た裂帛の声が自分のものと納得いかないほど、お膳立てされた一撃に感じられてしまう。とはいえ禿にとっては予知できぬ一刀である。したたかに背を切りつけられて、つんのめる。
 すかさずシャンデリアから飛び降りた瑛華が、踵を落として後頭に打ちすえた。流れるような動きで体を沈め、思い切りひじ打ちをくらわせると禿はもんどりうって弾き飛ぶ。
 誰かさんのおかげで肉弾戦もお手の物ですね。瑛華は自嘲気味にひとりごちた。
 気づけばホールにはケルベロスが集っていた。
 禿は再び屋敷の暗部に潜りこもうと駆けだして――立ち竦んだ。潜ろうとした穴がまさに今、塞がりかつての姿を取り戻しているからだ。
「逃がしはせぬぞ」
 月明りに声が咲いた。ぽう、ぽう、と床の隙間から睡蓮が顔を出して淡く輝く。屋敷が在りし姿を取り戻したように、番犬達の傷も刻を巻き戻すように消えてゆく。
「貴様は愚かじゃの、自分の物差ししか見えぬようじゃ」
 ステラはゆっくりと禿に歩み寄った。禿が他の何かに目を向け、それを理解しようという心があれば今の事態にはなりえなかっただろうか? いや、無駄な仮定か。もう既に少年は人間でなくなってしまったのだから。
「首が欲しけりゃ刈り取ってやるのじゃ。貴様の首を、な」
 細く小さい手が空を掴むように動いた。それを合図に禿の足元から植物の蔦が競りあがる。
 長く潜ませておいた『イドラ植物』は屋敷じゅうに根を張って、いまや腹を満たす瞬間を赤子のように待ちわびていた。禿の首を、四肢を締め上げて嬉しそうに身をよじらせる。肉腫のような瘤が鼓動をうち隆起するとゆっくりと蕾が開いた。
「それがおぬしの姿じゃ。洞窟のイドラ。全てを塞ぎ己の世界に閉じこもって決して外を顧みることのなかった、おぬしの盲信じゃ」
 己が目を逸らさぬよう、強いてステラは笑顔をつくった。一夜のうちに枯れる、月光をうけて咲く、あの狂気の華のように。
「自らが『完璧な存在』となれるのじゃ。おぬしも笑ってくれるかえ?」
 その言葉の意味が理解できたのだろう。禿は満面の笑みをうかべた。
 次の瞬間、一際美しく鋸刃が煌めいた。ごとり、転がる首が抱き上げられる。
「安心しロ。後はウチがたぁっぷり愛しテやルゾ」
 大きく裂けた口のなかに、禿の意識は呑みこまれた。


「どうして最後、あんなふうに笑えたんだろう」
 動物達の生首を埋葬しながらリーズレットがぼやいた。覇気に欠けた声を慰める術を知らぬまま奏は隣に腰をおろした。
「せめて椿の花で済めば……感傷に浸ってても意味はないのはわかってるけど、ああも魅入られてしまうなんて」
 そうだ、同情も憐憫も番犬には必要無い。だがそんな風に考えるのは自分だけでいい。彼女にはもっと別の……。
 響がそっと彼女の頬を舐めた。奏はモラに手を伸ばして膝の上に抱きしめる。
「焼くぞ」
 吐き棄てるようにレスター言った。銀の炎が灯る。炎は瞬く間に広がり、一山の灰をつくった。それは風に捲かれ雪のように空にのぼってどこかへ消えた。

作者:東公彦 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2020年4月24日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 4/感動した 0/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 3
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