スペクトラム・ブルー

作者:藍鳶カナン

●スペクトラム・ブルー
 湖上を翔ける風が心を空と湖の青へと攫ってゆく。
 途端に空と湖の青へ響き渡ったのは晴れやかな汽笛の音。高揚が背筋を翔け昇った瞬間を狙ったかのようなそれと同時、湖中に設置された噴水が煌きを噴き上げた。
 透明な煌き躍る水飛沫のゲートを潜り、湖畔のリゾートホテルに見送られて出航するのは華やかな蒸気船――を小振りで模した観光クルーズ船。美しき白の船体へいのちを吹き込む動力は蒸気ではないけれど、船尾に備わる大きな水車型の推進装置、すなわち『パドル』と呼ばれる外輪は本物だ。
 白き船体で風を切り、青き外輪の回転で水を蹴立て。
 空と湖の青を、何処までも。
 何処までも翔けていけそうな心地にさせてくれるこの船でのクルーズは、湖畔のホテルの人気アクティビティ。貸し切りのパーティークルーズにも利用されるが、通常はチケットを購入すれば誰でも乗船できる観光クルーズとして運航されている。
 一緒に旅立つように羽ばたく白い水鳥達に心を逸らせ、船内のカフェ&バーであつあつのキャットフィッシュバーガーを、あるいはさくさくのクロワッサンドーナツを買ったなら、もう片手には華やかなルビー色のチェリービールかチェリーソーダを携えて、さあ、どこにいこうか。
 豪快に楽しげに回って水を蹴立てる巨大な外輪を間近で見るのも面白そうだし、鮮やかで爽快な風と一緒に流れていく湖畔の景色をサイドデッキで眺めるのも、船が風を切っていく様を一番前で、船首でこころとからだいっぱいに感じるのだってきっと楽しい。
 船の天辺、屋上に広がるスカイデッキで、空と湖の青を一望するのも、きっと――。

 どうしてひとは、空の青に心が解き放たれていくのだろう。
 どうしてひとは、水の青に心が焦がれてやまないのだろう。

●ホライズン・ブルー
 地球の青さは、大気の青さだ。
 宇宙から見た地球を『青いヴェールを纏った花嫁のよう』と語った誰かの言葉のように、この星は大気の青、すなわち空の青に抱かれ、水の青を湛えた、青き星なのだ。
「今見てもらった動画の観光クルーズもさ、この時期には一年で一番きれいな空と湖の青が一望できるって評判なんだけど……先日、クルーズを運営している湖畔のリゾートホテルがデウスエクスの襲撃で破壊されたって話でね」
 幸いにも避難が間に合ったため人的被害はなく、船も湖の遥か対岸へ退避したため被害を免れたが、ホテルが破壊されたままではもちろん色々と立ち行かない。
「で、あなた達ケルベロスにヒールでの修復依頼が来てる。手が空いてるってひとはぜひ」
「ああんばっちり空いてますとも参りますともー! みんなはどうかしら~?」
 天堂・遥夏(ブルーヘリオライダー・en0232)がケルベロス達へそう願えば、手と尻尾でぴこんと挙手した真白・桃花(めざめ・en0142)も仲間達を振り返った。
 破壊の痕を癒しで潤したなら、空と湖の青を一望できるクルーズへ御招待。
 白き船体で風を切り、青き外輪の回転で水を蹴立て。
 空と湖の青を、何処までも。
 何処までも翔けていけそうな心地にさせてくれるこの船でのクルーズは、カフェ&バーで買えるフードやドリンクも魅力的。
 ひとつは、あつあつのキャットフィッシュバーガー。
 キャットフィッシュはナマズのこと、淡白でふんわりジューシーな白身はフライにすれば絶品で、軽くタルタルソースを添えたそれにスイートチリソースをかけ、瑞々しいトマトやレタスと一緒にバンズに挟んだバーガーは間違いない美味しさだ。
 もうひとつは、さくさくのクロワッサンドーナツ。
 ミルキーなホワイトチョコグレーズをたっぷりかけたドーナツは、クロワッサン風生地で作られたさくさくの、というよりざくざく食感が楽しい逸品で、頬張れば中からさくらんぼクリームが中からたっぷり溢れだしてくるところも堪らない美味。
 春の甘酸っぱさを教えてくれるチェリービールかチェリーソーダも一緒に買ったなら――さあ、どこにいこうか。
 豪快に楽しげに回って水を蹴立てる巨大な外輪を間近で見るのも面白そうだし、鮮やかで爽快な風と一緒に流れていく湖畔の景色をサイドデッキで眺めるのも、船が風を切っていく様を一番前で、船首でこころとからだいっぱいに感じるのだってきっと楽しい。
 船の天辺、屋上に広がるスカイデッキで、空と湖の青を一望するのも、きっと――。
「スカイデッキだと偶に吹く世界の気紛れみたいな突風をまともに受けるみたいだからさ、気をつけて。油断してると桃花さんの髪飾りみたいなのとか吹っ飛ぶから」
「ぴゃー!? ああんでもでも、そんな風にも逢ってみたいの~!」
 悪戯っぽい瞳で遥夏が告げれば、ぴゃっと跳ねた桃花の尻尾がぴこぴこ弾む。
 さあ、いこうか。白き船体で風を切り、青き外輪の回転で水を蹴立て。
 空と湖の青を、何処までも。


■リプレイ

●セルリアン・ブルー
 湖上を翔ける風が青空へ翔け昇る。
 攫われた心にも高揚が翔け昇った瞬間、晴れやかな汽笛の音が響き渡った。
 途端に湖中から煌きを噴き上げたのは癒しで息を吹き返した噴水達、幻想と水飛沫が描く七色の虹を潜って出航するのは、蒸気機関こそなくとも見た目は立派な蒸気外輪船、陽気で華麗なパドル・スチーマーたる船だ。
 鈴蘭がくるり巻きつくバスケットにあつあつバーガーもさくさくドーナツも詰め込んで、
「どうせなら全部の青を思いっきり楽しむぞ! 行こう藤尾、スカイデッキに!」
「えぇ、宜しくてよ、アラタさん。思う存分、ほしいままになさいませ」
 迷わず駆けあがるのは空への階段、行き合った巴や遥夏と手を振り合って、光溢れる頂へ飛び出せば、一斉に羽ばたく水鳥達の羽音が耳を掠め、
「……!! 絶景だー!!」
 空と湖の青が、何処までも。
 明るい輝きを孕んで晴れわたる青が、何処までもアラタの世界へ広がった。
「まさに、目覚めいでし青と光……ですわね」
 湖上を翔ける光風が髪を浚うよう挑んでくる様も、連れの少女が全部の青をと欲張る様も好ましく微笑んで、春暁めいた紫の纏め髪と己のうなじの境をついと撫でた藤尾は、光風に遊ばれた少女シェフの髪もそっとひと撫で。
 ありがとうと見上げれば、蠱惑的な桃色の眼差しが誰かの眼鏡越しの深紫と重なって、
 ――頑なと、孤高と。
 不意にそんな言葉が春飆のごとく胸を吹きぬけたけれど、そのまますべて、空と湖の青と一緒に受けとめる。これもまるごと受けとめるぞ、と笑ってキャットフィッシュバーガーに齧りつけば、バンズの間から瑞々しいレタスにトマト、揚げたてフィッシュフライが弾け、熱い白身の甘さがアラタの口中に溢れだした。この星に育まれた命の味。
「美味しいぞ藤尾! って、あぁっ!」
「あらあら、巧みな狩人ですこと」
 零れたパン屑を浚って翔けるは遅い渡りへ向かうユリカモメ達、彼らがたちまち空と湖の青に散る白点となる様を見霽かせば、何よりも戦塵に煙る鮮血の紅に惹かれる藤尾でさえ、涯てなき水の青に心が翔けていくかのよう。
 ――どうしてひとは、
 なんて問いに与える答えは、きっと。
 鮮やかな、見慣れた青が翻る。
 そのまま外に飛び出してくれるなよと笑った巴が背に感じた軽い衝撃は、彼が背を預けた欄干に若き同族が腰をおろした証。成程そこならいっそう空に近いかと巴も倣って、船旅の始まりに、と眩い青に映える華やかなルビー色の杯を掲げた。
「そういや、遥夏君はイケる口なのか?」
「どうかな、イケるよって胸を張るにはまだまだ経験値が足りない気がするんだよね」
 階はひとつずつ昇ればいいさと笑みを深めて呷るは待ち侘びた彼との初呑みの杯、大麦でなく小麦の麦芽が使われたビールは味わいも酒精もなめらかで、軽い炭酸と桜桃の鮮やかな甘酸っぱさがひときわ爽快。
 傍らで湖を見霽かす同族の横顔には今も希望に満ちた少年の面影があるから、
 ――自由に舵を切れるなら、何処へ往きたい?
 戯れに訊ねれば悪戯な眼差しが返り、
「物凄くわかりやすい応え、言ってもいい?」
「確かに、訊くまでもなかったな」
 弾けるように笑い合う。
 気紛れな風さえ味方にしたなら、ほら。
 往けるさ。何処までも。
 幻想に彩られた湖畔が遥か後方へと遠ざかっていく。水飛沫でその光景を彩るのは船尾で豪快に楽しげに回る青き外輪、見上げるほど巨大な水車のごときそれが幾枚も重なり勇壮な回転で湖水を蹴立てる様は圧巻で、
「パドルロボです! うぇーい! すっごいおっきいかっこいいっ♪」
 瞳を輝かせた千紘は両手をあげて、狐尻尾ぴこぴこパドル尊いの舞。確かに凄い迫力だと笑ってバーガーに齧りついたラギアは、新鮮なレタスとトマトの瑞々しさに揚げたて白身が熱くふわっと弾け、そこに濃厚なタルタルと甘酸っぱいスイートチリが絡んで融け合う様に眼を瞠り、
「これは特別な日に出されるやつだ! うまい! ほら瀧尾さんも!!」
 千紘の口許に彼女の分のバーガーを差し出せば、手ごと頬張りそうな勢いで齧りつく姿にいっそう大きく笑う。出逢った頃と変わらないな、と一角竜が眦を緩めれば、変わったよと金狐の娘はくるり回って見せて、人妻になりました! と笑顔で報告してくれた。
 千紘の胸に浮かぶのはラギアと出逢った地、大きな水車が回る処。
 だからここからまた出発して、
「――千紘はいい嫁になる!!」
 飛びきりの笑みを咲かせ、空と湖と青きパドルへ宣言したなら、
「ん、結婚おめでと。既に素敵なお嫁さんだ」
 御祝いに花嫁衣裳を贈ろうか? と裁縫自慢の彼が眩しげに笑んで言ってくれたから、
「!! 作ってくれるのです!? ありがとうぅ、神ぃ!!」
「あだー!!??」
 感極まって抱きつけば、勢いあまって頭突きまでも炸裂した。
 だけどきっと、それさえも幸福な思い出になる。
 散々悩んで買ったまあるいドーナツは厚くクロワッサンの層を成し、眼前で豪快ながらも楽しげに湖水を蹴立てて回る巨大な外輪も、幾枚も重ねられて層を成す。
 ――何だか少し、似てるかも。
 小さく瞬きをすれば、不意にティアンの前に半月のバーガーが現れた。
「そら、こっちも食うか?」
「……半分こ、いいのか?」
 思いきり迷っていたのを見ていたらしいレスターからの贈り物。じゃあティアンのも半分あげるとホワイトチョコグレーズ艶めくドーナツを割れば、ざくり小気味よい音とともに、クロワッサン生地の中から春色さくらんぼクリームが溢れだした。
 湖面から空へと躍る水飛沫を眺め、気泡弾けるチェリーソーダを呷れば爽快で、香ばしくバターの香り溢れるドーナツをざっくりと齧ればふんわり溢れる春果実のクリームが蕩け、頬張るバーガーのキャットフィッシュは淡水魚のわりに癖も臭みもまったく感じず、純粋な白身の旨味で熱く口腔を満たす。
 青きパドルの回転音も、蹴立てられて湖面や光風に躍る水音も心地好く、外輪で進む船の航跡が見知らぬ澪を描いていく様も二人には興味深く、落ちるなよと支えられたティアンも支えたレスターも我知らず前のめり。
「レスターはこういう船、乗ったことある?」
「おれもこういう船は初めてだ」
 スクリュー船に取って代わられるまでは外洋でも主役であった蒸気外輪船。荒れ海に挑むのもいいが、穏やかな湖をいくのも悪くねえな、と銀の双眸を細めて湖を見霽かした男は、傍らで尖り耳がぴこりと揺れる気配に口許を綻ばせた。ともに翔ける青。
 彼の識る海の蒼とも、彼女の識る海の碧とも違う、湖の青。
 白き船体で風を切り、青き外輪の回転で水を蹴立て。
 空と湖の青を、何処までも。

●スペクトラム・ブルー
 古き良きアーリーアメリカンの雰囲気たっぷりなカフェ&バー、そのメニューボードへと躍るキャットフィッシュバーガーの文字にジェミは戦慄したが、
 ――良かった、にゃんこじゃなかった……!!
 こんがり狐色に揚がったフィッシュフライがナマズと聴けば一安心。だけど、
「そういやなんでキャットフィッシュって呼ぶんだろう。……ヒゲかな」
「おヒゲもだけど、顔がまるっこいところも似てるって向こうのひとは思ったみたい~」
 偶々聴こえた千梨と桃花のやりとりが、彼の脳内で猫とナマズの画像を合成した。
「に、似てない! にゃんこはもっと可愛いです……!」
「大丈夫デス、ジェミ。にゃんこの可愛さはナマズに圧勝していますかラ……!」
 新たな衝撃に動揺する家族をエトヴァは慌てて宥めたが、にゃんこの勝利だと千梨達から二人分のチェリーソーダを差し出され、ぱぁっと彼に笑顔が戻る様に胸をなでおろす。
 突風を警戒しつつ昇る空への階段、陽射しが輝く頂に一歩踏み出せばジェミは破顔して、大丈夫だよと兄の手を引いたなら、空と湖の青を渡る涼やかな風に包まれた。風まで青いと瞬きすれば、柔らかに煌き流れる青は蒼穹を宿すエトヴァの髪。青い空と湖がよく似合うと思えばふと胸が詰まる。
 湖の青に、空の青に。
 ――溶けてしまわないでね。
 祈るような心地でぎゅっと手を握り直せば強く、強く握り返されて、その確かさにほっと安堵の息をついた瞬間、世界の気紛れめいた突風に大きく煽られる。
「駄目、お兄ちゃんはあげません!」
「……大丈夫、攫われたりはしませんかラ」
 咄嗟に肩を支えてくれたジェミに鮮やかな笑みを見せ、エトヴァは家族をこそ護るように強く彼の身体を抱きしめた。ここにいるよと、恥ずかしがっても離してあげないと、言葉がなくとも伝わるよう。こころが息づくからだから、こころが息づくからだに伝わるように。
「俺に彩りをくれるのハ、君」
 己に青をくれた空のもと、己に彩をくれる彼の緑を、鏡映しの白銀に大切に映す。
 ――この星の青の懐デ、俺は君と一緒にいるかラ。
 桃花とは桜の宵を労う杯を掲げ合い、エトヴァとは宴の折より柔らかな笑みを交わして、紅玉の眼差しを落とした先は、ルーチェ自身の瞳の彩を融かしたように華やかなルビー色に気泡の煌きが昇るチェリービールとソーダ。
「――Anche vuoi bere insieme」
 君と一緒に、と滴のように落とした言の葉は最早叶わないけれど、少年の姿のまま逝った『彼』が遺した鍵のペンダントを指先で撫ぜて、自身のためになめらかなビールの酒精を、親友のためにソーダの爽やかさを己の裡に燈す。
 世界も見ずに逝った友へ、己の見る世界を届けるように。
 鮮やかな滴を己に沁ませ、空と湖の青を見霽かす。
 白妙の手袋を取り去ったなら、露わになるのは生命を断ち切る刻印。『彼』の生命すらも断ち切った指先で触れても決して壊れはせぬ風を、弦を奏でるように感じとる。
「……Mi piacerebbe andare da Gianni」
 小さく零した言の葉は、空と湖の青に融けた。
 癒しの雨で潤せば、パティオに咲いたのは幻想のヘリオトロープ。
 四季を通して毎朝きっと、あのリゾートホテルの滞在客達を楽しませてくれる――なんて思いながら蜂が硝子杯を掲げたなら、華やかなルビー色が空と湖の青を透かして光る。春の甘酸っぱさと炭酸の擽ったさに、なめらかな酒精が燈す熱、ふわふわと幸せほろ酔い心地で旅立つのは大地と日常から解き放たれる青の旅。
 くるりと回れば潤う湖の風が限りなくすべらかな薄絹みたいに肌の上に踊るけれど、
「ね、ねえ、桃花ちゃん、思ったより風が強くて飛ばされそうー」
「ああん任せて! わたしも一緒に飛ばされて颯爽とはっちーを助けますともー!」
 前触れなく吹き抜けた突風に冗談めかしてころころ笑みを転がせば、跳び込んでくるのは竜の翼を咲かせた春色の友。お手をどうぞと手を伸べれば、
 ――はっちーが躊躇いなく触れてくれるのが、とてもしあわせ。
 手をとりぽふんと抱きついた友が、ほっぺちゅーをくれる。
 空と湖の青を思い思いに享受する皆の姿、眺めやるその光景に千梨は眦を緩め、
 ……よく考えたら、さっきのソーダは真白ひとりが奢るべきところだったのでは。
 そんな真理にも気づいてしまったが、遥か後方の湖畔を振り返れば、まあいいか、なんて言の葉が自然と口をついて出た。彼方へ遠ざかった湖畔をゆうるりめぐるのは、光の加減で見え隠れする透きとおった龍神の姿。あれは己の癒しが燈した幻想だけれど、眼差しを再び前方へ、涯てなき空と湖の青へと翻したなら、この空のもと、耀う湖水に眠る何かの加護を感じられた気がして、淡く双眸を薄めた。
 光を孕んで明るく鮮やかに澄みわたる空へ、湖へ。
 遠く、高く、青の彼方へ心が解き放たれていく至福が光のごとく満ちて、溢れて。
 けれど、ふと手許でともしびが揺れるような気配に口許を綻ばせ、春果実の甘酸っぱさに酒精を秘めた大地の恵みを喉に落とせば、至福のまま『人心地』をとりもどす。猫に負けた淡水魚はとうに胃の腑の裡。この地の息吹を己にめぐらすような呼吸で、吐息で笑んだ。
 自由な心にめぐる幸福を、
 ――俺も誰かに、届けられるだろうか。

●ホライズン・ブルー
 湖畔を潤した癒しの雨が、湖岸を慈しむ癒しの風が、大地に空の青を咲かせた。
 幻想が花開かせたのは空と光の滴を落としたみたいなネモフィラの花々、優しい青に白を燈した花そのもののようなクラリスの装いに焔を思わす眼差しを緩め、同じく大地の空から掬いあげたかのごとき白と群青を纏うヨハンは、花園の空に立った日の続きとばかりにその手をとった。
 空と湖の青に逢いにいこうと先に思い立ったのは、
「本当はどちらだったのでしょうね?」
「ふふ、実際は同時だったのかもね!」
 重なる手のように重なる心に笑い合って空への階段を駆けのぼり、眼前に拓けた涯てなき青に満面の笑みを咲かす。この星を抱く青、この星が湛える青。
 空と湖がともに青いのは、雲から雨粒が落ち、また空へ昇るように、幾度も出逢う約束を交わしたからでしょう――と語られるヨハンの言の葉に、クラリスの花唇から呼吸のごとく自然に言の葉が零れて風に踊る。
 空と湖を出逢いと約束の雨がめぐり続け、ふたつの青がとけあっていくように、
「貴方と私もずうっと一緒にいたら、いつかはひとつの存在になれたりして」
「ひとつの存在になる!?」
 大きく跳ねた鼓動と声、恋人の大胆発言にヨハンの耳まで熱が燈るけれど、彼を見上げた当のクラリスは、何か変なこと言っちゃった? と不思議そうに瞬きをした。けれども再び空と湖の青を見霽かせば、心に翼が生まれた気がして、
「そうだ、何か食べましょうか」
 私が空高く飛んで行かないように、掴まえていてね――と手を握り直す彼女の手を確りと握り返して、ヨハンは柔い雲のごとく風に攫われそうな恋人を地に繋ぎとめるよう、階下のカフェ&バーを眼差しで示す。たちまちクラリスに輝くような笑みが咲く。
「うん、美味しいものも楽しみたいよね」
 貴方がくれる素敵な予感にはいつも抗えない。
 まるで、この星の重力に惹かれるみたいに。
 白き船体で風を切り、青き外輪の回転で水を蹴立て。
 何処までも翔けていけるような空と湖の青、そこから唐突に強い風が吹きつけてきたなら銃創が彩る竜翼を風除けとすべく広げ、僕の麗しの女神様が春風に攫われてしまわぬようと背から桃花を抱き寄せれば、攫われてもちゃんとここに戻ってきますなの~と竜翼を消した彼女がその身に回されたスプーキーの腕を抱いた。聴こえていたはずの船の駆動音が、己の心音に呑み込まれていく。
 突風が翔けぬけた世界はひときわ鮮やかで、
「ほら、このまま空を見てごらん。雲が流れて一等美しいブルーだ」
「ああん、飛びっきり! なの~!」
 見霽かす青が瞳に沁みれば、軍務で離れていた間の寂しさが堰を切って溢れだした。
 地球は青いヴェールを纏った花嫁のよう――この星から初めて宇宙へと飛び出した地球人男性のものと伝えられる言の葉が、竜たるスプーキーの胸にも燈る。
「桃花、僕のお嫁さん……家族になってくれるかい?」
「なりたい! 勿論なりますともー!」
 君の為に毎朝スープを創りたいんだと続ければ、腕の中で身をめぐらせた娘から飛びきり幸せ満開の笑みとほっぺちゅーが返った。もしも手に入るならキャットフィッシュ、それかいつかの春の続きみたいに、
 ――明日の朝には、アーティチョークのスープを食べさせてくださいな、なの~!
 華やかな赤の煌きと気泡の唄を咲かせる硝子杯はふたつ。
 自身の杯にも相手の杯にも酒香はなく、酒癖を自覚してきたんなら重畳、と悪戯な響きで奏多が杯を掲げれば、記憶はなくとも自覚は何となくあるアリシスフェイルは、かなくんは呑まないの? と首を傾げ、
「わたしなら気にしなくて良いし、そんなに酔わないじゃない?」
 訊いてみれば、一人呑むのも気が引けるし、と応えた彼が意味深に笑ってみせるから、
「……酔った姿なんて、互いだけ知ってりゃ良いだろ?」
 そ、それはそうかもだけど! と思わず跳ねた声を隠すように、硝子杯の音を響かせた。
 春の甘酸っぱさで喉を潤したなら、空と湖の青で心を潤しにいく。
 空への階段の頂に至れば、涯てなき青が二人を迎え入れた。
 歓迎された。
 理屈でなくただ感情だけでそう確信できるほどの青、青い星の上に立っているはずなのに青の世界に抱擁されている気がして、奏多は傍らのアリシスフェイルを見遣る。ともに同じ青に抱かれた彼女に歓喜が満ちる様に、氷青の双眸が自然と細められる。
 森には縁深く、然れど海や湖とは縁遠く育った身には、空と水の青の境界が憧れの光景であったけれど。不意にそれだけとは言い切れぬ強い憧憬がアリシスフェイルの胸を貫いた。青の境界を希っていた気がした。
 遠く、遥か彼方から、ずっと。
 解き放たれていく。空と湖の青を何処までも翔けていけそうな心地で歓喜に満たされる。ふと無理を言って付き合ってもらったことを思い出せば不安がちくりと胸を刺したけれど、
「退屈してない? 大丈夫?」
 見上げれば、何を今更気後れしてんだかと頭をわしゃりと撫でられる。引き寄せられる。
「楽しいよ」
 擽ったさもあたたかさも、肌に直接響く声もアリシスフェイルに優しい熱を燈し、不安を綺麗に溶かしたけれど、続いた奏多の言の葉に、いっそう甘くて幸せな熱を燈される。
 ――こうしてると、青の世界に二人だけみたいだろ?

作者:藍鳶カナン 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2020年4月28日
難度:易しい
参加:17人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 10/キャラが大事にされていた 2
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