フォシルコーラル

作者:藍鳶カナン

●フォシルコーラル
 青い海と、月の光が洞窟のなかに満ちていた。
 海と繋がる洞窟、然れど実際に洞窟の裡に寄せる波はせいぜい足首を濡らす程度のもの。更に言えば洞窟の外に広がる海は夜闇の色を湛えているのだが、洞窟の最奥に広がる大きな空間には、美しい青に透きとおる海中世界が『投影』されていた。
 洞窟の天盤に開いた大きな穴から射し込む月光だけが本物で、光を透かして青く揺らめく水の世界、華やかな珊瑚やウミユリに彩られた海中の光景は、グラビティによる幻想だ。
 洞窟内に幻想の海を投影しながら宙を泳ぐのは、機械仕掛けの古代魚。
 彼は額に不思議な宝石を戴いていた。
 艶やかな橙色に矢車菊の花めいた模様をちりばめたそれは、フォシルコーラル――太古の海の珊瑚が長い年月をかけて瑪瑙化した、珊瑚の化石。
 誰が想像できたろう。
 彼がもともとはスマートフォン用のVRゴーグルであったことを。
 誰が想像できたろう。
 彼がゴーグルに絡まっていたフォシルコーラルのペンダントも一緒に取り込んだことを。
 おそらくは誰かが誤って海に落とした品。それが潮流によってかこの洞窟へと流れ着き、機械脚の宝石、コギトエルゴスムと出逢い、融合されたのだ。
 かつて彼が幻想的な海のアプリで仮想現実を見せていたからなのか、それとも、遥か古の珊瑚の化石から何か感じるものがあったのか。己が機能を確認するよう幾度も幾度も幻想の海で洞窟を満たし、やがて機械仕掛けの古代魚は、外界へと泳ぎだす。
 洞窟の外へ、ひとの気配があるところへ。
 ひとびとを殺め、グラビティ・チェインを奪うために。

●シー・ブルー
 古代魚を思わす姿、幻想の海を投影するグラビティ。
 現実的に考えるなら、どちらも元のVRゴーグルや最後に使われたアプリに由来するものだろう。なれど、彼が取り込んだフォシルコーラルも何らかの影響を与えているのかも、と想像するのは自由だ。想像の翼は、誰にでも限りない自由をくれる。
「浪漫だよね。浪漫だけど、あなた達にはこのダモクレスの撃破をお願いしたいんだ」
 天堂・遥夏(ブルーヘリオライダー・en0232)はケルベロス達へと迷わず告げて、今からヘリオンで急行すれば、古代魚のダモクレスが洞窟内にいる間に捕捉できると続けた。
 敵がいるのは海と繋がる洞窟の最奥部。
「だけど、その空間の天井部分には大きな穴が開いてるから、直接ヘリオンから降下可能。射し込む月光が明るいから視界も利くし、『本物の』海水は深くても足首を濡らす程度で、あなた達ケルベロスの身体能力なら足を取られるようなこともない」
 近隣一帯には避難勧告済み。ゆえにそこで相対する存在は、幻想の海中世界を投影する、古代魚めいた姿のダモクレスのみ。
 一口に古代魚といっても様々だが、
「古生代の魚、ダンクルオステウス……ってのに何となく似てるかな。硬い皮骨の装甲版を甲冑みたいに纏ってる古代魚。ただ、ダンクルオステウスの装甲は頭から肩にかけてらしいけど、このダモクレスの装甲は全身を覆ってるみたいだね」
 本家のダンクルオステウスよりは大きさで劣るが、それでもニメートルはある敵だ。
 また、装甲は互いに重なり合いつつ各部の可動性を確保しているため、敵の動きは意外にしなやか。決して鈍重な相手ではない。
 彼は宙をしなやかに泳ぎながら、幻想の海中世界を投影することで力を揮う。
 幻想の海は、時に広範囲を魅了する魔法、時に広範囲に麻痺を齎す破壊となり、時に己の損傷を修復して護りを重ねる癒しとなる。
 戦えば戦うほどに、幻想の海中世界を泳ぐような、舞うような、あるいは翔けるような、溺れていくような心地になるかもしれないね、と語り、
「敵は見た目どおり元々の護りも固いし、ヒールもなかなか強力だからね。場合によっては結構な長期戦になるかもしれない。けれど、あなた達なら確実に彼を撃破してきてくれる。そうだよね?」
 挑むような笑みに確たる信を乗せ、遥夏はケルベロス達をヘリオンに招く。
 さあ、空を翔けていこうか。珊瑚の化石を戴く古代魚が紡ぐ、幻想の海中世界へと。


参加者
ニケ・セン(六花ノ空・e02547)
深緋・ルティエ(紅月を継ぎし銀狼・e10812)
イズナ・シュペルリング(黄金の林檎の管理人・e25083)
花見里・綾奈(閃光の魔法剣士・e29677)
クラリス・レミントン(夜守の花時計・e35454)
款冬・冰(冬の兵士・e42446)
刈安・透希(透音を歌う黒金・e44595)
嵯峨野・槐(目隠し鬼・e84290)

■リプレイ

●ディープ・ブルー
 ――まるで、夢の世界への扉みたい。
 夜の空も夜の海も艶やかな闇に満ちているのに、眼下にぽっかり開いた大きな穴には光に満ちた青い海が輝いている。夜の潮風をまっすぐ突き抜け降り立つところは天盤が崩落した洞窟の中、なのに闇から光溢れる世界へ跳び込む心地で青い輝きへ突入すれば、水が揺らぎ透明に煌く数多の気泡が一斉に湧きあがる。親切な幻想に思わず笑み咲かせ、
「……ほら、お月さんが見ているよ」
 優しく紡ぐクラリス・レミントン(夜守の花時計・e35454)の子守唄が幻想の海中世界に響けば、青い海にそそぐ月あかりにふわり金の色が燈って前衛陣へ破魔の力を齎し、
「月の光が降るなら、ここはやっぱり星だよね」
「だよな。ほら――宴の幕開けだ!」
 青く透きとおった海と月光のヴェール越しに見つけた機械仕掛けの古代魚に笑み、洞窟、否、海底の重力をも振りきる心地で跳んだニケ・セン(六花ノ空・e02547)が海中を翔ける流星となれば、長身に映える黒き水着のロングパレオを翻す刈安・透希(透音を歌う黒金・e44595)の靴先からは幸運の星が奔った。
 逸る心ゆえか前衛に飛び出しそうになっていた透希だったが、ヘリオンからの降下直前に気づけたのは幸いだった。携えてきたグラビティを変えることはできないが、立ち位置なら変えられる。
 狙い澄ました二人の星々、その煌きが巨大魚を鎧う銀色の装甲に次々弾ける様に破顔し、
「綺麗だね! わたしも思いっきりいっちゃうんだから……!」
 青い海でいっそう透きとおる雫が掌へ滴り落ちた刹那、イズナ・シュペルリング(黄金の林檎の管理人・e25083)は瞬時に鋭い氷柱に変じた煌きを古代魚へ撃ち込むが、真っ向から吶喊する機械仕掛けの魚が幻想で氷柱を相殺。爆ぜた無数の煌きが氷の竜巻となり、紺碧の水面から深藍の海底へ舞い降りるような光景を創りだした。
 さながらそれは極寒の海で観測されるブライニクル、
「わあ……! ほんとにすごいね、この子の幻想……!」
「幻想の美しさは勿論、戦闘能力も侮れないな。――来る!!」
 海中世界の雰囲気をより楽しむべく装着したゴーグルの裡、常ならば閉じたままの目蓋を今ばかりは開く嵯峨野・槐(目隠し鬼・e84290)の声音が通ったのとほぼ同時、極海の蒼が南海の碧に透きとおる。明るい光に満ちた碧い海には色とりどりの珊瑚、それが投影された幻想であることも忘れて見入った、瞬間。
 珊瑚から一斉に、雪が、花が舞いあがった。
 雪とも極小の花とも見える光景は、碧い海を星空へ変えるかのごとき珊瑚の産卵。本来は夜の現象であるそれを明るい海で観られるのは幻想ならではだ。前衛へ襲いかかった魅了の魔法を染め変えるのは槐が解き放った混沌の水、透きとおる水中にふわり蕩ける水彩絵具を思わす癒しと二重の浄化の裡から、一気に攻撃手達が躍り出た。
 狙撃手三人の持ち技で敵の機動力を削げるのは、ニケの流星の蹴撃と妖の宴を歌い上げて敵を捕える透希の術のみ。花見里・綾奈(閃光の魔法剣士・e29677)は相手の挙動を鈍らす技を一切持ち合わせていない。
 然れど、
「足止めの付与を『待つ』のは非効率と判断。戦術を変更」
「路は自分で切り拓くとしましょうか。――来い、紅蓮!」
 攻撃手二人の轟竜砲と月光斬の命中率が高めであったのが皆に幸いする。
 款冬・冰(冬の兵士・e42446)の掌中にはクラリスが護ってくれた一瞬のうちに形成した魔術の氷塊と折紙型ナノマシンの鎚、幻想の海に轟く砲撃に続いて深緋・ルティエ(紅月を継ぎし銀狼・e10812)が黒鉄に紅を閃かす斬撃で古代魚へ月の弧を描き出せば、中衛からは紅きボクスドラゴンの炎の息吹が敵の縛めを深めにかかる。
 輝きが照らしだすのは銀狼であるルティエの尾が黒く三重に花開く様、
「そっか、槐のワイルドインベイジョン……!」
 癒しと浄化のみならず暴走時の姿をも燈す混沌の水、その力に軽く眼を瞠ったクラリスも気づけば夜色のヴェールを纏っていた。夜の裡から覗かす玉虫色の斧刃、そこへ曙光の如くルーンを輝かせ、幻想の海に跳ぶ。
 洞窟の最奥部を満たすのは光溢れる幻想の海、術の効果を霧散させても海そのものはあの古代魚が力尽きるまでここを満たしたままなのだろう。足元を濡らす本物の海の波が幻想に潮の香を添えれば、現も幻も綯い交ぜになっていく心地。
 夢幻を泳ぐのは銀色の装甲を纏う大きな古代魚、
「これだけ大きいと、流石に迫力があるな……!」
「本家のダンクルオステウスはこの機械の魚の三倍くらいあるらしいよ」
 迫り来る獰猛なあぎとに喰らわれそうな気分になりながらも透希が呪詛を乗せた刃で敵を刺し貫き、零れた言葉を拾ったニケが応えた瞬間、彼らの頭上に巨大な影が落ちた。
 振り仰げば光の波紋が揺らめく水面。
 悠然と光を遮ってゆく、本家ダンクルオステウスも凌ぐ巨体は、長い長い首を持つ――、
「エラスモサウルスだ……」
「首長竜か……!」
 そう白亜紀の、と嬉しげに双眸を細めてニケは、幻の首長竜が起こす流れに呑まれて沈む錯覚を堪えて魔術を織り上げる。掌から顕現するのは首長竜にも劣らぬ迫力で海中を翔ける幻影のドラゴン、灼熱の炎が幻想の海そのものを発光させんばかりに迸れば、
「水ってこんなに輝くんだね、幻想だからかな……!」
「ほんとだね、すごく綺麗……!」
 眩い輝きに満ちた世界へとクラリスが純白の雪花を解き放った。炎に彩られた銀色の魚を氷結輪が裂けば爆ぜた凍気のかけらが虹色の水晶のごとく煌いて、前はわたしに任せて、と海に舞うイズナが、幻想の麻痺から癒し手達を庇ったミミックやライドキャリバーへと光の花々を降らせれば。
 炎も氷も花もすべてが美しい彩を透かし、珊瑚の海底に光の波紋を踊らせる。
 槐の胸に純粋な感嘆が満ちた。
 ――これが、幻想の海で映えそうなグラビティを選んでくるということか……!

●スペクトラム・ブルー
 涯てしない紺碧に透きとおる幻想の海、それが鮮やかな青さを深めたと見えた瞬間、敵と此方の間に突如として巨大な影が現れた。海中に聳え立つ岩かと思えば途端に膨大な銀色の煌きとなって竜巻のごとく渦巻くそれは、サーディンラン――億に届こうかというイワシの大群が見せる海中の絶景だ。
 古代魚が幻想の魚群に隠れて己を癒し、護りを固めるつもりなのは一目瞭然で、
「壮観だな、こういうアプリに使われていたのか? だが、護らせはしない!」
「アプリかもしれないし、あの珊瑚の記憶が混ざっているのかもしれないよ!」
 青い世界に銀の煌きを無数に踊らせる幻想の魚群を突き抜けて、ルティエが破魔を乗せた超音速の拳で古代魚を吹き飛ばせば、幾重もの破魔を重ねた箱竜の突撃が続く。
 飛行すれば妨害手としての恩恵は失われる。ゆえに跳躍や浮遊のために光の翼を咲かせ、妖精靴を脱いで裸足になりたい気持ちを堪えてイズナは幻想の海へと舞いあがった。護りの加護を破砕された古代魚、その額で変わらず艶めく宝石――フォシルコーラルに微笑んで、雫から一瞬で育てあげた鋭い氷柱を撃ち放つ。
 ――悪いことをしちゃう前に、止めてあげるね。
 銀色の古代魚を直撃した氷柱が幾重もの氷を奔らせ、盛大に爆ぜた無数の氷片が、まるで青い海へ冷たい蒼銀に煌く花火を咲かせるよう。
「凄いね、とっても華やか」
「はい、素敵です……」
 水面から降る月光と氷の煌きを翔け昇る心地で跳んだニケが流星となって降り落ちれば、輝く雷の軌跡を引いた綾奈の戦斧が古代魚の装甲の護りを穿ち、
「皆の技は実に美麗。冰も、この幻想の海に花を添える所存」
 幻想の海に鶴の風切羽のごとく翻った冰の袖、その袂から覗いた緑がたちまち硬質に煌く銀灰の侘助椿を咲かせ、毒の牙をも咲かせて氷ごと古代魚へと喰らいついた。途端、反撃の幻想が膨れ上がって世界を染め変える。
 海底に眠る沈没船に冒険心を擽られながら、振り仰げば月を透かす水面の空に、ゆうるり羽ばたくマンタの姿。一緒に泳いでいきたいという想いが胸に萌すけれど、
「優美だね……。でも、心までは連れていかせないよ」
 若草色の裾を踊らせたクラリスは魅了の魔力を躱し、若草の上で甘やかに蕩ける蜂蜜色の輝きを珠にした気咬弾を奔らせた。皆の痛手も比較的浅いと見た槐は前衛陣全体への支援を癒し手として羽ばたく綾奈のウイングキャットに任せて、己自身はにゃんこの耳と顔っぽく見える蝶ボルトの力を仲間へ解き放つ。
 自浄の加護を燈す輝きが形成したのは猫の顔を模る盾、
「ネコザメの盾を出したかったが、猫属性ではなくネコザメ属性でないと無理か……!」
「って、猫属性のエレメンタルボルトとかあるの!?」
 衝撃の単語に猫好きクラリスが光の速さで反応、猫の盾を得た冰はぱちりと瞬いて、
「エンジュの発想は非常にユニークと称賛。冰との合わせ技で、ネコザメモドキが爆誕」
 こくりと頷き、鮫を模る砲台を内蔵する愛用のアームドフォートを展開した。
 そう、最早これは運命である。これを宿命的な縁と呼ばずして何と呼ぶのか。
「目標捕捉……ネコザメキャノン、Feuer!!」
 猫の盾を被った、鮫の砲口が吼えた。
「わあ、かっこいいね! ネコザメキャノン!」
「狼としては猫に、いや、ネコザメに負けてはいられないな!」
 青い海を眩く貫くフォートレスもといネコザメキャノンの砲撃を追い、ルーンの術符たる秘石を閃かすイズナの許から凛然と煌く氷の騎兵が駆け、地獄の右腕を銀狼のそれに変じたルティエが獣の俊敏さと獰猛さで古代魚へ躍りかかれば、
「こんな楽しい戦場、なかなかないよね」
 己が友たる桐箱風ミミックが偽りの真珠で彩る海中世界を、ニケが創造した幻影竜とその灼熱の炎が翔けぬける。炎の箱竜も負けじと輝く息吹を迸らせ、茜色のライドキャリバーも激しい炎を纏って古代魚へ突撃していく幻想の光景は。
 ――これ以上ない、舞台だ……!!
 透希の背筋を昇りつめる高揚となって歌に昇華された。
 金の桔梗咲くインカムマイクからアリアデバイスを通って解き放たれるのは妖の宴を謳う『透』の歌声、あやかし達の一夜限りの宴は見る物すべてが煌いて、古代魚の好奇心もその身をも捕えて離さない。不思議な不思議な秘密の宴はいっそう華やぎを増して、透希は同じ気持ちでいたらしいルティエと淡い自嘲の笑みを交わす。
 遊びでこの幻想を体験したかったなんて、とんだ見込み違い。
 彼我の力が激突する戦いであるからこそ、これほどの高揚が魂を貫き、翔けぬけていく。

●カプリ・ブルー
 荘厳な極海を魅せたかと思えば南海の楽園にいざなう幻想、めくるめく海中冒険の浪漫を全身全霊で堪能する感覚に、クラリスの胸に燈る歓喜は輝きを増すばかり。
 だけど、海に生まれ育った人魚姫が未知の陸に憧れたように、森に生まれ育ったエルフは未知の海に胸をときめかせ――、
「なぁんて、言ってはいられないんだよね。私の本質は、欲張りな地獄の番犬だから」
 夢見る乙女ではいられない、いるつもりもない。
 珊瑚や海草の森にウミユリ達の園を翔けて、妖精靴越しに確かに感じる洞窟の岩盤と波を蹴り、幻想の海へ跳躍する。ルーン煌く斧刃に燈る月あかりは己で齎した破魔の力、眼下に望むのは雄大なる幻想のザトウクジラ。鯨に添うコバンザメよろしく守勢に入った古代魚の護りを砕くべく、恋も歌も自由も自力で掴み獲った娘は、勝利も掴む一撃を打ち下ろした。
 古代魚の装甲が砕け、銀色の煌きのなかに幻想の鯨が消えゆくのを惜しみつつ、
「ずっと君と遊んでいたいけど、そうもいかないからね。釣り上げさせてもらうよ」
 当然攻勢を緩めるつもりのないニケが解き放ったのは簒奪者の鎌、鋭く旋回した弧を描く刃が魚の口を捉え鰓までの装甲を裂けば、エクトプラズムの刺身包丁を振り翳すミミックが大きく跳んで、
「いいな、確かに豪快な釣り針だ。それならこちらは――」
 釣り上げた獲物を急速冷凍といこうか。
 藍の双眸を煌かせたルティエが氷塵を纏う深緋の刃を一閃すれば、その軌跡からするりと伸びた氷の藤蔓が古代魚を絡めとり、妖しくも透徹に煌く氷の藤花を咲き誇らせる。幻想の海にしゃらりと唄う氷花に重なるのは呪詛ゆえに空恐ろしいほど美しい透希の剣閃、更には戦乙女の光に変じた綾奈の輝きが突き抜けていく様は、槐の胸をいっそう震わせて。
「いつか本当に見る地球の海も、これほど感動させてくれるだろうか」
 惑星プラブータでは勿論、現代の地球の海でも見ることの叶わぬ光景を眼裏に灼きつけた鬼の少女も、ゆるり光る海月の代わりに光の蝶を、海に駆動音を轟かすライドキャリバーを連れ、無慙無愧の拳で古代魚へと挑んだ。
 敵の癒しと護りの固さゆえに長く続いた戦いは、遥かな海だけでなく時をも旅したよう。
 古生代の魚の姿をとる相手が中生代や新生代の幻想をも投影する様は、冰の胸裡に進化の道筋を想起させた。海に栄えた魚は、やがて陸をめざす。
「遙か古代、魚から進化した者に倣い、我々はこの海に対し、告別」
「そうだね。幻想の海に浸って、溺れちゃうわけにはいかないもの」
 現では既に喪われたステラーカイギュウの幻をすりぬけて、冰は羽ばたくよう広げた鶴の翼めく袖から銀灰に咲く侘助椿を古代魚めがけて解き放つ。絶大な威で脇腹を喰い破られた古代魚へクラリスが撃ち込む気咬弾は、迷い子を在るべき場所へ導くように暖かな蜂蜜色に輝いて。
 その光ごと抱きしめるべく、イズナが幻想の海を泳ぎぬけた。
 狙撃手ならぬ身に部位狙いは叶わない。
 だから螺旋の力を秘めたイズナの掌が触れたのは、古代魚を抱きしめるため最初に触れた頬の辺り。水の花がふわりと咲くよう幻想の海へ広がる衣装でそっと包み込むよう古代魚を抱きしめ、銀色の装甲の裡から崩壊させていく。
 死者の泉に返してあげる――と言いかけた言葉はあまりに身勝手な気がして呑み込んだ。古代魚の姿でも彼は死神でなく、かつてイズナ達ヴァルキュリアが死者の泉から連れ出したエインヘリアルでもない。ダモクレスのコギトエルゴスムはともかく、古代魚の元となったVRゴーグルも、古代魚が額に戴く珊瑚の化石も、この星で生まれたのだから。
「それじゃあ……この星に、返してあげるね」
 艶やかな橙色に矢車菊の花めいた模様をちりばめたフォシルコーラルに、限りなく優しい最後の口づけを贈る。古代魚も、その額の珊瑚の化石も、海中から見上げた水面の煌きめく光になって消えていく。洞窟に満ちていた幻想の海も、ゆうるり薄れて、消えて。
 この夜の幻想すべてを閉じ込めるように槐は目蓋を下ろして、クラリスは彼女の分まで、幻想の最後のひとしずくが消えゆく様を見送った。洞窟に、現が戻りくる。
 誰も一緒には眠ってあげられないけれど。
 ――おやすみなさい、古代の海に栄えた王様。

作者:藍鳶カナン 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2020年4月24日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 3/キャラが大事にされていた 0
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