花咲きゆく

作者:東公彦

「助け、て……。なん…でもす――」
 突き立った剣を引き抜くと、女の胸から溢れた血が刀身に一筋の川をつくった。
「駄目か」
 シャイターン『リッダ』は剣を投げてかぶりを振った。幾度となく醜い心を発露させた人間を殺し続けてきた。しかし成果など一つとてない。これこそは、という汚らしい心を持った人間でさえも。
「私は何を成してきたのか……」
 わからない。考えれば考えるほどに無為であったと思えてくる。地面に作られた鮮やかな血だまりだけが妙に目に焼きついた。
「私が殺してきた人間はいつも醜い最後を遂げた。だが、この血が生き生きと流れる様は、誰であっても美しい」
 せめて私も最期はこのように美しく……。
「何を馬鹿な。これでは死にたがりだ」
 自嘲気味に笑う。
 想像すら出来ない得体のしれぬ死という存在。何故かしらその存在をひしひしと感じながら、リッダは翼をはためかせ、焦土となった地表から飛び立った。


「シャイターンの襲撃が予知されたよ。場所は唐津町のお花見会場、ここを火の海にして選定をしようと企んでるみたいなんだ。みんなには現場で待機してもらって、シャイターンの姿が確認でき次第、戦闘に移ってほしい」
 ケルベロス一同の視線をうけて正太郎は言った。資料に目を通しながら口を動かす。
「シャイターンは人間の集まるところを目標にしているようだから、前もっての避難は出来ない。個体は辺りの草木に炎を放ってパニックを引き起こそうとしているみたいだから、人々の避難をすすめる場合は敵を抑えながらがいいかもね。辺りは拓けているから戦闘にも避難にも問題はないと思うよ。細い小川が一本と、小さい木の橋がある以外、見通しの良い土手と原が広がっている。火が放たれてなければ四方に問題なく逃げられるだろうね」
 分厚い唇をひん曲げて笑うと、正太郎は紙コップのコーヒーをすすって、口をしめした。
「敵は剣をつかった接近戦。それに火と風の力を使うみたいだ。タールの翼で飛行も出来るみたいだから、上空から攻撃がある場合は気をつけてね」
 束ねられた資料をぞんざいに投げて、正太郎はなにやら考える仕草で頭をひねった。
「死への憧れ……不死ゆえの悩みってやつかな? 僕なんかには不死こそ、ちょっと羨ましく思っちゃうけど。これもないものねだりってやつなんだろうね」


参加者
藤守・景臣(ウィスタリア・e00069)
スウ・ティー(爆弾魔・e01099)
愛柳・ミライ(宇宙救命係・e02784)
奏真・一十(無風徒行・e03433)
玉榮・陣内(双頭の豹・e05753)
瀬入・右院(夕照の騎士・e34690)
副島・二郎(不屈の破片・e56537)

■リプレイ

 四方拓けた原野というのは、避難において素晴らしく効率的である。地理に明るい現地民が多く、後方支援のケルベロスが四方を固め避難を一任していることが相まって、避難誘導は速やかに終わりつつあった。
「ねえねえ、あっちに行ったら遊んでくれる?」
 子供ばかりの一団に声をかけられ、ディミック・イルヴァは大きく頷いた。
「もちろんだとも。一番についた子には最高の景色をプレゼントするよ」
 子供達は口々に歓声をあげながら我先に駆けてゆく。
「では、我々も行きましょうか」
 車椅子ごと老人を抱え上げて、ディミック・イルヴァは確固たる足取りで踏み出した。


 どういうことだ、これは。
 リッダは狼狽える自身を御そうとしたが上手くはいかなかった。選定をはじめようとした途端、潜んでいた敵から攻撃を受け、気づけば人間共は綺麗さっぱり消えている。まるで動きが予知されていたかのように……。
「どうも、お悩みのようだねぇ」
 スウ・ティー(爆弾魔・e01099)が世間話でも放るように無骨な肉弾用のナイフを振るった。細剣が迎え、幾度が打ちあう。
「ははっ、やるねぇ! もうちょっと遊んでちょーだいよ」
「黙れ」
 リッダは小さく吐き捨てると即座に身を投げた。死角から突きだされた爪先が肩を掠めて身体が流れる。奏真・一十(無風徒行・e03433)は突きだした脚を小さく畳み、再度蹴りだした。
 リッダが大きくよろめいた隙に、混沌の水が足を払う。
「気に入らんな」
 副島・二郎(不屈の破片・e56537)は呟いた。
 二郎は混沌の水に、綱を引くような具合で力を込めた。抗えぬ虚無感に委縮した体では踏み止まれず、リッダはつんのめるように引き寄せられた。大地を蹴って瀬入・右院(夕照の騎士・e34690)は『阿修羅道』を振り上げた。
「この世界には、あなたの望む結末などありはしないよ」
 言葉と共に刃が落ちる。浅く腰を反った湾れ刃は武器としての荒々しさを感じさせないが、ひやりと怖気の立つほど怜悧である。リッダは勢いを流すべく細剣を斜に払ったが一撃は予想よりも重く腕に圧し掛かった。
「ぐっ――」
「彼の言う通り。君達が悉く失敗する所以だな」
 玉榮・陣内(双頭の豹・e05753)が囁くような声と共に黒鎖でリッダを打ち据えた。
 二人の言葉は同じ表層をなぞらえていて、意味する所はまるで違った。
 右院は思う――この世界には死神がいる。死した不死にすら再び命の残滓を吹き込む存在が。もはや死すらも苦痛からの逃げ道には成りえない。故にリッダの願いは叶うものではないと。
 一方で陣内は現実的な観点から俯瞰した。例え死に様が醜くとも生きた過去までを汚すことは出来ない。望む結末、つまりは死した魂のエインヘリアル化が容易に起こりえない要因はそこにあると。
 不死であった者と、定命である者の思惟が一つの言葉に別々の論を紡ぎだしたのは興味深いことだろう。しかしながらリッダは彼らの心まで読むことは出来ない。故に問答のかわり手中に生み出した旋風を解き放った。
「吹き飛べ!」
 真空波はケルベロス達に襲いかかり、彼らが背に護る人々や息づく自然までも両断せんと唸りをあげた。立ちはだかるように愛柳・ミライ(宇宙救命係・e02784)が剣を構えた。
「星は必ずいつだって、同じようにそこにある。さぁ、はばたいて――」
 歌うように唱え、切っ先で翼をたたえた乙女の守護星座を描く。星の翼が疾風を生み出すと、ウイングキャット『猫』も合わせてカワセミ色の羽を強くはばたかせた。
 二つの風は渦を巻き、せめぎ合い、桜の梢をばさばさと揺るがしながら、やがて消滅した。
「猫さんも愛柳さんもすごいな! よーし、私もいくぞっ!」
 リーズレット・ヴィッセンシャフト(碧空の世界・e02234)が突きだした手の先に幾何学の魔方陣が浮き上がる。放たれた光は大空で弾け、オーロラのように降り注ぎ真空波が刻みつけた傷痕をゆっくりと塞いでゆく。
 リッダは宙を舞った。自らの得意とする戦場に敵を引きずりこもうという思惑なのだろう。考えて、藤守・景臣(ウィスタリア・e00069)は刀の柄に手をかけた。戦場にあっては酷くもどかしい緩慢さであったが、揺れる藤色の瞳は俊敏に敵を追う。
 ふっと一呼吸つくと、景臣は黒塗りの拵え鞘から『此咲』を引き抜いた。黒鉄の肌に絡みつく紅炎が空を駆ける。炎は矢の如く飛来しリッダを打った。炎は触れたものの熱を悉く奪い、おぞましく燃え上がる。
 とはいえ――、
「やはり空を飛ばれるというのは厄介でしょうか。対応が後手に回ってしまう……」
「それじゃこいつでどーかな?」
 軽い調子でスウが拳を握りこむ。途端カッと光が弾けた。
「かはっ――」
 突如背に炸裂した衝撃にもがくことも出来ず、リッダは黒煙に包まれて地に落ちた。――なにが起こった。動揺の色を隠せぬ瞳のなかで、スウが舌を突きだした。
「設置が肝なんだよねぇ。ま、仕事する時間は一瞬ありゃ足りるけど」
 そこでようやくリッダは気づいた、先の拮抗は故意に生み出されたものだと。
 自分の失態に歯噛みする。その分、視界の端から迫りくる陣内への反応が遅れた。
 咄嗟、リッダは目の前を腕で覆う。しかし予期していた衝撃は一向に訪れない。死角に回り込む気か!? リッダが腕を下ろした、その瞬間、伏せていた陣内はやおら起き上がり、リッダの額を指ではじいた。
「っ――。ふざけた真似を!」ふりかかる細剣をボクスドラゴン『響』が受け止める。意地の悪い笑みを浮かべながら陣内は飛び退いた「綺麗な女には、つい意地悪をしたくなる。悪い癖だ」
 こうなるとリッダの目には全てが疑わしく映ってしまう。全ての動きにありえもしない邪推がついて回る。その一瞬が躊躇となり、重なれば隙と化す。
 二郎が四肢を振るい打撃を浴びせかけ、景臣が刀を水平に突きだす。直撃こそ避けてはいるが、長続きはしそうになかった。
「弾けろっ」
 リッダは苦し紛れに炎塊を撃ちだした。少しでも敵の足並みを崩せればと願うような攻撃であったが、ボクスドラゴン『サキミ』が吐きだしたブレスに相殺される。狙いの反れた炎塊までもがミライとリーズレットの手によって防がれてしまう。
 右院は滑るように草むらの上を駆けると、横合いからリッダに詰めかかった。
 決して力に驕らず、刀と呼吸を合わせて一瞬を探る。体を柳の如くしならせて、右院は全身に溜めた力を一挙に解き放った。
 微塵の音も立てずタールの翼が滑り落ちた。耐えられぬ痛みを絶叫に変えて、リッダは右院を殴りつけると数歩下がって身構えた。その目に死の姿が映った。
 一十は波風ひとつ立たぬ微笑を貼りつけたまま、片刃の短剣を脇に構えて大地を蹴った。搦め手や腹芸などを好んで使用しない、攻撃は虚動を取り混ぜぬ純粋なもので、それ故に速度も力も十分である。
 応じるようにリッダも細剣を構えた。死に対峙して全てを吹っ切った一撃は、疾く激しく一十を迎えうつ。
 二つの力が交差した一瞬、全てが止まったような錯覚を誰もが感じた。刹那の後、それらは鮮やかに色を取り戻す。ウグイスが呑気に鳴き交わし、春風にさぁっと頬を撫ぜる。何事もなかったかのように世界は再び動き出した。
「これまでの徒労、お待ちかねの死をもって報われよう。ご感想は?」
「わからん。だが……これでもう、この世界で目覚めなくてすむ」
 リッダは血を吐きながら満足げに笑った。短剣が胸から引き抜かれると、大きくたたらを踏んで桜の根元に倒れ込んだ。
「今まで死していった者達に聞いてみるといい。それが、どれだけ高慢な考えか」
 澱んだ生気のない瞳をさしむけて、二郎が言った。リッダは身じろぎひとつしなかった。流れ出る血は只々、地面に染みだしてゆき、おそらくは桜をより鮮やかに色づけるのであろう。


 桜の樹々はどれも大ぶりで、蝙蝠傘のように大きく枝を広げて花を結び、こんもりとした姿をつくっていた。と、華やいだ声がしてリーズレットは視線を戻した。
「ほわぁ美味しい~! リズさん、これほんわり甘くて美味しいよー!」
 大好物の卵焼きを食べた月岡・ユアは、頬に掌を添えてうっとりとしている。ユエも口を動かしながら、似たような仕草で幾度も首を縦に振るっていた。その度、菖蒲のような花がひらひらと揺れた。
「えへへ。正真正銘、私の手作りだからな。当然だぞ!」
 屈託ない笑顔がどこかこぞばゆく、リーズレットはわざとらしくえへんと胸を張った。
「本当に。大したものだわ」
 驚いたという風に目を丸くしてセレスティン・ウィンディアが言った。後方支援として避難役を買って出てくれたお礼にと誘ったのだが、お気に召してもらえたようである。
「沢山作って来たから、い~っぱい食べてくれると嬉しいぞ!」
 ひょいひょいと軽快に箸を動かすユアに触発されて、リーズレットも唐揚げをがぶり口にした。
 さて二段の重箱が空にし、桜の練り切りで一息つくと、唐突に眠気が襲ってきた。柔らかな陽に包まれているが桜の足元はひんやりとした空気が流れており、仕事に疲れた体にとって午睡にはこれ以上ない環境だ。
 少しだけ……。リーズレットは桜の幹にもたれて瞼を閉じかけて――あっと叫んだ。
「そーだ、忘れてた。ユアさん、ユエさん、写真を撮ろう! 素敵な思い出は残しておかないと!」
「しゃ、写真?」同じく船を漕いでいたユアがまぶたを押し上げて頷いた「……ん。いいよ、折角だし。撮ろうか」
「あらあら。ならカメラは私が、ね」
 足元で蹲る白い犬を撫でていたセレスティンが、リーズレットの手中からひょいとカメラを取り上げた。
 さっと髪に手をいれて整えるユアと控えめに微笑むユエの間で、頬が触れんばかり二人を引き寄せ、リーズレットは満開の桜に負けない笑顔を咲かせた。
 願わくば彼女達が平穏な時を――若木が老木になり、一葉の写真を懐かしむことの出来る幸せを与えたまえ。
 桜を背景に並んだ三人娘をフレームに収めて、セレスティンはゆっくりとシャッターを切った。


 ふわりふわり、銀色の髪が風になぶられる。ぶらりぶらり、気の赴くままに足を揺らす。空も窺えないほどの桜色から木漏れる光がミライに潤んだ灯を落としていた。
「……やっぱり花が散るってのは切ないもんだねぇ」
 ミライは思った――幻聴じゃないですよね?
 手に持った団子を落とさぬよう、枝から身を乗り出して足元を覗きこむ。スウは幹に背をもたれて足を投げ出していた。
 胡散臭い。そもそも黒づくめの恰好からして胡乱だ。とても桜を見ているようにも見えない。だって帽子のつばで隠れてるし、そもそも視線は上を向いてないし。いや見上げてほしいわけじゃないけれど、アイドルとして見えちゃうのはNGだし。ともかく全てがなんだか胡乱で胡散臭い。
「えーと、逆説的には散るからこそ美しいとも言えるのです。もちろん来年があるから安心できるわけですけど」
 それが不死の者には理解出来ないのかもしれない。リッダのことを思い返してみる。死した後に命の価値を知ることが出来たのだとしたら、それは皮肉すぎる結末だ。
「生命は巡るってやつかな。よくよく考えてみりゃ、それもある意味『不死』ってもんだよなぁ」
「あ……そうかも、しれないのです」
 人の話を聞いていないようで聞いている、不思議な人。もしかしてほんとは桜も見えてる? ミライはなんとなくスカートの裾をきちんとしまった。――なんとなく、なのです。
 定命の者は個では命を繋ぐことは出来ない。肉体だけでなく精神的にも他の何かと交わって、この世界は構築されている。
 こうして桜が群生してるのも、きっと一人じゃ寂しいからなのです。
 指でこつこつ拍子をとって、ミライは歌いだした。美しい世界に捧げる歌を。
「……いい声だねぇ」うっとりとした声音で呟いて、スウは続けた「ところでミライちゃんさ、俺にもその団子わけてくれない?」
 声にならぬ叫びと共に団子は落ちてきた。


「これはまた、素晴らしい枝ぶりですね」
 景臣が大木の幹に手を当てて顔をあげた。つられて視線をやったゼレフ・スティガルも、思わずほぅと溜息を零した。
 見上げた桜はとりわけ巨大だ。桜の幹を5、6本まとめて括ったように根太く、枝木も支え木など不要とばかりシャンと伸びていた。その一枝々が鈴なりに花弁をつけているから、群青の空が全く見えぬほど薄紅の天蓋が広がっていた。
 景臣は深く息を吸い込んでみた。一抱えでは到底足りぬ老木からは、重ねた年月に反して青々とした若い香りが漂い、胸の奥底までいっぱいに滑り落ちてくる。うららかな陽のなかで目の醒めるような香りだ。
「桜という花はこんなに香るものなのですね、ゼレフさ――」
 振り返りながら、景臣は目を丸くした。
「ふふ、其処にも春が訪れていましたか」
「こらこら、誰の頭が春だって?」
 訝しげに眉をひそめたゼレフの頭からはらり、薄紅の花弁が舞い落ちる。それは咄嗟に差しだした掌の上へと、計ったように舞い落ちた。
「それとも、春からの贈り物、でしょうか?」
「なら僕にじゃなく景臣君にだろうね。ほら、今日の御礼にお裾分けだってさ」
 ゼレフは景臣の手をとって一輪の花を包むようにして握らせた。と、どこかでチーチーとシジュウカラが鳴いた。それがあまりに間の良い掛け声じみていて、二人は顔を見合わせると、思わず声を揃えて笑いだした。
「はははっ。こんなことってあるものなんだね」
 目を糸のようにして若やいだ声をあげる様は少年のようである。彼にしては珍しい快活な笑い声に、景臣も目を細めてにっこりと、華のような笑顔をほころばせた。
 心からの感謝を。桜や鳥に、何よりもこのひと時を共に過ごしてくれる唯一無二の相棒に。


「我ながら呆れるが、まぁ、相手を揺さぶるには最高の一手になった」
 新条・あかりは伏し目がちの瞳をもたげた。と、吸い込まれそうな翡翠と視線がぶつかって。さっ――と。音が出るくらい素早く、あかりはうつむいた。
 仕事の考察や改善を洗い出す色気のない反省会はいつものように始まった……はずだったのだが、いま、あかりは肩を抱かれて橋の欄干に背を預けていた。
「あかり。そっちはどうだった?」
「えっ、え……と。やっぱり避難させるには大人の恰好が説得力あるみたい、かな」
「若輩者というだけで、やはりどこかで疑ってしまうんだろうな。想像に難くないが……」
 低い濡れたような声が耳朶をくすぐる。薄荷の匂いが吐息にまじって漂う。それだけで胸が早鐘を打った。
 少し背が高くなっただけで、こんなにも世界の見え方が変わるなんて誰が予想できたろう。いつもは首が痛くなるくらいに見上げている顔が、今ではほんの少し首をもたげるだけで、何かの拍子に触れてしまいそうなほどに近い。
 床に並んで寝そべったり、ソファにかけたり、そんな肉体の距離とは全く違う。そもそも距離なんてものは存在しないみたいに直接的だ。
 しばし言葉を交わし続け、話題も尽きるかと思われた時である。
「ねぇ、タマちゃん」ピンと張った耳を桜よりもなお朱色に染めながら、あかりは潤んだ声をあげた「もうちょっとだけ反省会しない?」
 意表を突かれたようにきょとんと、陣内は雨の日の猫さながらに鼻をひくつかせた。それも一瞬のこと、腰に手を回し、ぐいと力を込めてあかりを胸元に抱き寄せる。
「勉強熱心でなにより。もう少しと言わず、気の済むまでこうしていようじゃないか」
「うん、色々と……教えてね」
 あかりは逞しい胸にうずまりながら潤んだ声を返した。


「散るのは早い花だ。存分に観ておかねば勿体ないよ」
 小川の向こうより遠巻きに桜を眺める二郎に声をかけたのは一十であった。その温顔や鷹揚な口ぶりはいかなる時でも変化のないようであった。
「俺にはそぐわない」二郎は独り言のように呟いた「ここの方が似合いだ」
 桜の下で和気あいあいと相好を崩す人々。それらに加わるのではなく、これからも続くように護る。それで十分である。
「では、僕もご一緒させてもらおうかな」
 一十は芝の上に衒いない仕草で腰をおろした。すぐ隣に座り込むあたり大胆だが、含みのない子供じみた態度を不思議と拒否する気にもなれなかった。無論、断る理由も見当たらない。
 しばし黙々と景色を眺めていると「こんな所で何をしているんです?」不意に声がかかった。
 抜き身の刀じみた雰囲気を持つ二郎と、微笑を絶やさぬ一十の正反対の取り合わせに右院は首を傾げた。すると微笑を湛えたまま一十がぽんと芝生に手をやる。
「右院さんも座るかい。二郎さんの見ている景色を分けてもらっているところなんだ」
 戸惑いつつも、その邂逅に興味をそそられて右院はゆっくりと頷いた。
「では、ご一緒させてもらいます」
 見えない何者かに遠慮するかのように一人分の距離を空けて右院も芝生に座り込んだ。背に差す陽光が温い。時折さっと吹き抜ける風は春に潜む夏の躍動を感じさせた。細い指先で下草を撫でつつ、右院はぼそりと思いついたように口にした。
「ああ。俺達が守れたものを――成したことを視ているわけですね」
「……そうか」だから、こうまで飽くことなく眺めていられるのだな。
 二郎は妙に得心してしまった。三人は退屈なほど凡庸で、それ故、失ってはならない平和という光景をしばし味わった。

作者:東公彦 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2020年4月10日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 3/キャラが大事にされていた 4
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