星乞ゆるしらべ

作者:譲葉慧

 夏に向け、濃さを増した木々の緑が重なる中を、一筋の小路があった。
 ゆるやかに曲がりくねる小路の先には、一軒の洋館が建っている。
 木々の葉と小路の流れに隠された、秘密めかした館に既に主は居ないらしかった。手入れがされぬまま、放っておかれている様子で、住人の姿はない。
 剥がれた屋根、朽ちた壁、それらに生じた隙間から生えている草は、いつかはこの緑に取り込まれるのであろう、館の行く末を示しているようだった。
 館の中は調度も往時のままのようであったが、かつての住人の姿を想像しうる者は、この場にはいない。
 雨風をしのぎ、天敵から身を隠すにも良い場所であろうのに、森の動物達の姿すらなかったのだ。何ひとつ動く者がなく、すべてが静かに留まるこの場で、破れ窓から差し込む薄い陽の光だけが、時の流れを示していた。
 緑の傘たちが差しかけられた隙間から窓に届く光は、明るい昼光から徐々に色合いを変え、夕映えの赤を経て、夜へと消えてゆく。
 そして、館のすべてが夜闇に沈んだ時、それを待ち望んでいたとばかりに、かさりと乾いた音がした。
 傷んだ絨毯の上を、珍妙なものが這い進んでいる。その姿といえば、宝石にか細い機械仕掛けの多数の足が生えた、敢えて例えるならば、機械仕掛けの昆虫といったものだ。
 その機械仕掛けの昆虫は、しばらく部屋の中を右往左往していたが、ホーンが割れた蓄音機の前で動きを止めた。
 機械仕掛けの昆虫は、じっと蓄音機を見ているようだった。そして壊れた蓄音機も同様に、自身の乗った台の上から見下ろしているかのようだった。
 しばしの沈黙の後、機械仕掛けの昆虫は器用に台を登り、蓄音機のホーンの中へと入っていった。その様子は、むしろ蓄音機の方が昆虫を迎え入れたようにも見える。
 蓄音機がふるえ、台から飛び降りた。新たに蓄音機から生えた足が、落下の衝撃を難なく受け止め、そのまま館の外へと歩みだす。
 鬱蒼とした森を出て、空の下へと至るのだ。星をみるために、そしてその煌めきの下で、再びしらべを奏でるために。

 ユグドラシル・ウォーの勝利により、大阪城ユグドラシルにあったゲートは破壊された。
 戦勝後ではあるが、ヘリポートの様子はいつも通り変わらない。
 ゲートのみならず、日本各地に巣くっていた攻性植物も排除され、その脅威は大幅に低下したが、大阪城の残存勢力をはじめとした他デウスエクスは、今も何処かで暗躍している。
 それらに備え、ヘリポートに滞在するケルベロスに、マグダレーナ・ガーデルマン(赤鱗のヘリオライダー・en0242) は声をかけた。
「壊れた電気蓄音機と融合したダモクレスが、グラビティ・チェインを求め、活動を始めた。人里に至る前に排除しなければならないのだが、作戦に参加できる者はいないか」
 電化製品と融合したダモクレスの事件は、前々から起こっており、この事件もまた、同様のようだ。
 マグダレーナは、彼女の話に耳を傾けることにしたケルベロスへ、謝意を込めかるく頷いてみせてから、事件について語り始めた。
「ある山の中に見捨てられた洋館があるのだ。山の木々に隠され、人に忘れられた洋館から人知れずダモクレスが生まれるかもしれない。そう考えたノチユ・エテルニタ(夜に啼けども・e22615)の読みは正しかった」
 これを見てくれ、とマグダレーナが見せたのは、その『ある山』の航空写真であった。
 緑生い茂る山と、その麓側に広がるなだらかな丘と、二面の表情をもつ山だ。ここが洋館だ、とマグダレーナが指したのは緑濃い只中の一点だ。注視してみてはじめて屋根の一部が見える。
 次にマグダレーナは丘の一点を指した。周囲は草地のようで、散策道と思しき道が見える。
「ダモクレスは日没後動き出す。今から出発すれば、深夜この辺りで遭遇することになるはずだ。地形は傾斜も少なく、見晴らしもよい。天候も快晴の見込みだ。そして時刻柄、付近に人も居ない。戦闘に悪影響を及ぼす要素はないと言っていいだろう」
 とは言え、この状況は、ダモクレス側も同様に別段の影響はないということでもあった。純粋に戦いの巧によってのみ、勝敗は決するのだ。ダモクレスの攻め手や戦術傾向は、と問う視線がマグダレーナに向けられる。
「ああ。予知で得た情報だが……このダモクレス、元が蓄音機であったからか、仕掛けてくる攻撃は、全て音響によるものだ。それゆえ、一度に広範囲……複数人が攻撃に晒されることになるだろう」
 マグダレーナはそこで言葉を切り、ケルベロスの反応を確かめ、にやりと笑って後を続けた。
「その程度、どうということはない、といった風情かな。頼もしい限りだ。このダモクレス、突出した得手はないようなのだが、誰かに音を聴かせたいという執念は強いようだ。執念のこもる音を聴いた者は、強い不調を感じることになるだろう。各々心に留めておいてくれ」
 航空写真を畳んで鞄に収納すると、マグダレーナはヘリオンの外壁にそっと触れた。無言の求めに応じたヘリオンの搭乗口がゆっくりと開いてゆく。
「ただ星の下で再び音色を奏でたい、蓄音機はそう願っただけなのかもしれんがな……ダモクレスと融合した以上、惹かれ、行きつく先は地上の星、麓に広がる人の営みだ。確実に討ち果たしてくれ。頼んだぞ」


参加者
ティアン・バ(梦が攫うさ・e00040)
シャーリィン・ウィスタリア(千夜のアルジャンナ・e02576)
リコリス・セレスティア(凍月花・e03248)
サイファ・クロード(零・e06460)
ニュニル・ベルクローネス(ミスティックテラー・e09758)
ノチユ・エテルニタ(夜に啼けども・e22615)
鞘柄・奏過(曜変天目の光翼・e29532)
長久・千翠(泥中より空を望む者・e50574)

■リプレイ


 空の色はまさに夜が色濃くわだかまったごとくの黒であった。空一面に散りばめられた星々の瞬きは、地上へと微かな光を届けている。
 薄雲すらない星空を、流星にも似た幾筋かが地上に向けて降った。それはヘリオンより降下するケルベロス達であった。彼らは連なる山の一つに吸い込まれるように消え、空に静けさが戻る。
 ケルベロスが降り立ったのは、山の麓にほど近い野だ。山中の館で誕生した蓄音機のダモクレスが人里めざし下山する道筋となる場所であり、その道筋を断たなけらばならなかった。
 ダモクレスの姿は今のところない。まだここまでは下りてきていないのだ。ケルベロスは持参した光源を灯し、登り始める。探す必要はなかった。ダモクレスはグラビティ・チェインを……そして、恐らく聴衆をも求めている。その双方を満たす相手を、ゆめゆめ見過ごしはすまい。
 程なく山へと続く道を見つけ、道に従い進んでゆく。登るにつれ、さらりと涼やかだった空気が、じんわりと肌から沁みいる冷気へと変わってゆくのがわかる。
 ニュニル・ベルクローネス(ミスティックテラー・e09758)はクマぐるみのマルコをふわりと抱きしめた。二人でぬくもりを分け合いながら、ともに空を見上げると、澄みわたった空に、星の灯が冴え冴えと瞬いている。
「気持ちのいい夜更かしだね」
 ニュニルがマルコの顔へと目線を下げると、その瞳には星の灯が空と同様、きらきらと灯っている。マルコも星空を望む夜を愉しんでいるようだ。
 傍で二人の遣り取りを聞いていた、ノチユ・エテルニタ(夜に啼けども・e22615)も、ゆるりと頭を上げ、星空を見た。綺麗だ、ただ純粋にそう思えた。星といえば、ダモクレスの元となった蓄音機は、この星の下で音を奏でたかったのかもしれない、という言葉を聞いた。
 だが、さもありなん――とはノチユには思えなかった。それは、ヒトの都合の良い、耳に心地よい思い込みで、本当の心持ちは、当のダモクレスにしか分かりようがないだろう。
 ノチユが蓄音機のダモクレスが現れそうだと考え、実際にそんな存在が予知された、事実はただそれだけのことだ。その思惑もなにもかもは、ノチユの与り知らぬことで、知り得ることもないだろう。ダモクレスは今宵討たれるのだから。
 あるものは青白く、あるものは赤みを帯び、あまた煌めく星の色味は様々だ。それらがダモクレスの最初で最後の奏でをケルベロスと共に聴き遂げる者となるのだった。
 行く手に気配を感じ、ああ、とかるくノチユは嘆息した。奏者のご登場に違いない。ノチユは気配の方へ憂げな目線を投げかける。
(「でも、今夜の星の彩は、お前の為にあるよ、きっと」)
 黙し、ただ顛末を見届けるだけ……奪いも与えもしない星達ならば、きっと。
 奪う者であるノチユは、腰に吊るした灯を確かめ、得物を構えた。


 蓄音機は待ち構えるケルベロスの姿を認識したが、その歩みを早めることもなく、間合いを狭めてくる。その間を縫い、鞘柄・奏過(曜変天目の光翼・e29532)は設置式のLEDライトを置き、光源を確保した。仲間たちも光源を携行している。この備えがあれば、夜闇が戦の妨げとなることはないだろう。
 光が灯る中、蓄音機は鈍い照り返しを放っている。亀裂の入ったホーン、歳月に晒され傷んだ木製の体に、ダモクレスである証……昆虫に似た機械の足が異彩を放っている。
 ケルベロスから近すぎず遠すぎずの間合いで止まり、蓄音機が震えた。グラビティを放つ予備動作だろうが、ティアン・バ(梦が攫うさ・e00040)の目には、それが歓喜の現れにも思えた。
 それは、いつか見た空との再会の喜びか、窓に隔てられ焦がれるばかりの空の下へ立つ喜びか。ティアンは、滑らかに進み出、舞の型にかまえた。
「おいで」
 お前が歌うなら、ティアンが踊ってあげる。響くしらべに併せて。滅びゆく者の願いに応える、それがティアンの手向けであった。
 この時を待ちかねたとばかりに、手近に立つケルベロスに向けて、蓄音機から音が流れ出す。だが、それは音色と言うにはたどたどしいものであった。久しく沈黙していた蓄音機の針は、かつてを思い出しながら、盤面を恐る恐るなぞっているかのようだ。
 しかし、単なる音の集合にしか聞こえなくともグラビティには違いない。大量の音が抜け落ちた曲は、聴いた者の脳に本来奏でられるはずの音色への執着を植え付け、蓄音機を守りたいという、感覚の失調をもたらしてゆく。
 仲間の護りに立っていた長久・千翠(泥中より空を望む者・e50574)の頭の中で、正気と執着とがせめぎ合う。ふと気を抜けば負けそうなほど、全き音色への執着は千翠を蝕んでいた。
 執着を退けようと、千翠は両足でしっかと地を踏みしめ、両手で印を結ぶと、丹田に気を溜め、気合の叫びを上げた……が、和らいだものの、執着を完全に退けることはできなかった。これは、蓄音機自身の欲望、執着の現れだろうか……真実は何であれ、危険な音であることは間違いない。
「皆気を付けろ! この音、ちょっとやそっとじゃ頭から消えない!」
「オレに任せとけ! 音楽なら得意中の得意だからなっ」
 警告した千翠に、サイファ・クロード(零・e06460)が桃色の霧を生み出して、放った。霧は千翠を包み込み、頭の中の違和感をきれいに吸い取り、夜の空気に散じていく。
 その遣り取りを、少し離れた間合いで聞いていた、シャーリィン・ウィスタリア(千夜のアルジャンナ・e02576)は、その双眸を蓄音機へと向けた。
 蓄音機の発した音の連なりも、余さず聴いていた。その影響こそ受けはしなかったが、音に潜むなにか……をシャーリィンも感じ取っていた。
(「未練……かしら」)
 ダモクレスのコギトエルゴスム、人の命を奪う異物を受け容れてまで、奏でたい音色とは……シャーリィンは自身の意思で、そのすべてを聴こうと決めた。己が何を為す者なのか、その存在を全うしようとする者が結ぶ実を、この手で受け止める。
「貴方が奏でたかった……奏でていた旋律を響かせてちょうだいな」
 シャーリィンは蓄音機に向け、駆けた。足元で宵澱が炎を帯びる。蓄音機の至近で放った蹴りは周囲を紅く照らしながら、蓄音機を捉えた。華奢な身体からは思いもよらぬ、荒く重い衝撃で、針がぶれ、雑音が響く。その音をも愛でるように、シャーリィンは蓄音機に添い、ホーンへ唇を寄せた。
「だいじょうぶよ、ほら……壊れて途切れそうな音ですら、わたくしが憶えていて差し上げます」
 二人だけの約束を残し、シャーリィンは遠間へと退いた。その足元にぽつりと星が灯る。リコリス・セレスティア(凍月花・e03248)が振るった剣の軌跡をなぞり、星が一つ、また一つと地面に灯っていく。
「あなたの願いには罪はありませんが……」
 リコリスは蓄音機を夜の溶けいる瞳で見つめた。哀しみの経糸混じりで織り上げられてゆく人の世にあって、この蓄音機もまた、織物の一部なのであった。
 人を楽しませるために奏でられていたはずの音色は、人の命を奪うものへと変質し、もはや元に戻るすべはない。星空の下、許されるのがただ一度だけの奏でなら、せめて音色の最後の余韻が消えるまで……。
 先に蓄音機が奏でた途切れた音の集合、リコリスはそれらを繋ぎ合わせ……旋律へと繕いなおした。そして旋律に併せ、星の、そして願いの歌を即興で歌い始める。そして、時を同じくして、リコリスが地面に灯した星の灯たちが繋がって星座の形となり、星の守護陣が完成した。
 淡く光る地面が、くるりと舞うティアンを照らし出した。仲間の最前に立ち、神楽舞に似た歩法で円を描くように舞いながら、紙の人型を空へと散らす。ゆらゆらと仲間達の側を漂う人型は、地面からの星光を照り返している。星の守護陣と紙の人型は、仲間達が蓄音機の音色に抗う力になるはずだ。
 ティアンとリコリスを素晴らしき共演者とみたのか、蓄音機の発する音は、次第にはっきりそれとわかる旋律へと変じてゆく。
「この旋律は……わらべ歌に似ているような気がしますね。次は数え歌、でしょうか」
 奏過は、仲間へそう伝え、自身は懐から薬液の小瓶を取り出し、蓄音機のグラビティによる悪影響に備えた。情報によれば、ケルベロスの運動能力に干渉してくるはずだ。先ほどの利敵行為を誘う幻惑程ではないが、仲間全体の損耗を招く不調であり、即時解消を図るのが、奏過の果たすべき役割であった。
(「次に狙うとすれば至近か、遠間のどちらか……そこまで読めればなお良いのですが」)
 音響という関係上、蓄音機のグラビティは複数の仲間に影響を及ぼす。ならば、より多くの人数を巻き込めれば効率がよく、それは多くの人に音楽を聴かせたいという蓄音機の性質とも合致している。
 果たして、次に蓄音機が狙ったのは、遠間の仲間達だった。童謡に似た、誰でも歌えそうな分かりやすい、しかし物悲しい旋律。それは追憶の中で、失われた何かを、ひとつ、ふたつと数え上げているような、そんな歌だった。
「なんか……寂しげな音だな。けど、多分あれはいい音なんだろうな」
 千翠は凍れる戦輪を、刃を突きつけるように構えた。蓄音機を木端微塵にするのは痛ましいが、今聴いた音色がいいと思えたからからこそ、猶更人を傷つける、禍つ唄にはできなかった。投げた戦輪は一直線に蓄音機へと飛び、縁の薄く鋭い氷の刃が、蓄音機の体を斬り、霜を張った。強かな一撃だが、音色は途切れない。
「おっ、流石千翠。分かってんじゃん。あの良さが分かってこそ玄人、だからな」
 得意げな顔を千翠に向け、サイファは器用な手つきでドラゴニックハンマーを砲撃形態に変形させ、竜砲弾を充填した。数え歌による仲間の痛手は、奏過とマグナス・ヒレンベランド(ドラゴニアンの甲冑騎士・en0278)が対処するとのことで、攻撃を仕掛けることにしたのだった。
「そういえばサイファ、音楽得意なんだよな? あの曲、どこの国の歌か知ってるか?」
 何気ない千翠の問いに、サイファの心臓が一瞬跳ね上がり、若干構えがぶれた。まさかそう来るとは思ってなかった。だって初めて聴く曲だし。一緒に歌ってるリコリスの方が詳しいんじゃないかな。
「あ、あの曲は……あれだよ、うん。後で教えるからさ。い、いまは戦闘に集中しないとなー!」
 そそくさとサイファは砲の照準器に目線を合わせた。引き金を引くと、大口径の弾が煙の尾を引きながら蓄音機へと迫り、その足元に命中して派手に岩礫を飛ばす。
 相次ぐケルベロスからの打撃を受け、その身に損傷を受けつつも、蓄音機は怯むどころか、奏でる喜びを謳歌しているようだった。危険な旋律は全きものに近づきつつある。
(「うぅん、なんか、張り切っちゃってるね」)
 その蓄音機の様子を見て取り、ニュニルは攻めに出ることに決めた。仲間を庇って鈍った身体の動きも、ティアンの紙の人型と、ウイングキャットのクロノワの翼の羽ばたきが鎮めてくれる。攻め、とは言っても、ニュニルの攻めとは、攻め手である仲間の支援だ。
 正直なところ、ニュニルにとって、初めの音は随分な不協和音で、これを聴き続けるのか……といささか引いていたところだった。
「この夜にはもっと綺麗な旋律でなくっちゃ」
 ね? と、腰元で揺れるマルコをちらと見てから、ニュニルは蓄音機へと目線を戻した。次の手は、その為のお手伝い、というわけだ。
「さあ、向こうの調べに負けないよう、ボクらも盛り上げていこうじゃないか」
 掌中の天蓋のアストロノミカのスイッチを入れると、仲間の頭上で爆発が起こった。次々と連鎖する爆発は、大輪の花のような彩で戦場を照らし、その爆風は、戦場を駆ける仲間の背を押し、その振るう得物の勢いをいや増した。
 ニュニルの後押しを受けて、仲間たちが攻撃を仕掛け、蓄音機は、旋律によって応じる。奏過の見立て通り、人数の多い至近・遠間が狙われている。
(「狙う先に脈絡はなさそうです。その時の気分で仕掛けているのでしょうか」)
 奏過は、蓄音機の挙動を分析し、仲間達の状況と照らし合わせた。グラビティの悪影響は、今までの仲間達の支援により、抗しやすい状況となっている。更なる悪影響があっても、自分とクロノワ、マグナスとで対処可能と見た。
「回復します……皆さんは自分が為したい事に専念して頂いて構いませんよ」
 朧白夜を掲げ、奏過は蓄音機と相対する仲間達に、雷の幕を落とした。仲間を庇う者……そして、この蓄音機を見つけた者に向けて。
 雷の幕が生み出した影を縫って、ティアンは蓄音機の側へと音もなく寄った。その身体を包む炎と氷は、仲間の攻撃によるものだ。その部分を狙い、思い切り抉る。
「お前、まだ歌い足りていないだろう? 聴かせて」
 勢いを増した炎を一瞥し、ティアンは蓄音機に身体を向けたまま、退いた。ティアンの言葉に応えたのか、蓄音機の奏でる音調が変わる。
 冷たいこの山の空気のように透明感のある、滑らかな調べは、元々壊れ、更に戦で機能を失いつつある蓄音機が奏でているとは思えなかった。
 それを耳にしたノチユは、蓄音機が、己の行く末を、そして残された時間がいかに短かったのかを悟ったのを、知った。
(「そうだ。歌え。最期の歌、星乞ゆる歌を」)
 流れる音色を余さず聴きとりながら、ノチユは蓄音機へと歩みはじめた。その腕に、陽炎のように地獄の炎が立ち上り、たちまち腕全体を覆うまでに燃え盛る。
 得物にも地獄の炎が燃え移り、ノチユ自身を照らす。得物が蓄音機を捉えるよりも早く、蓄音機の調べがもたらした細氷が襲ったが、痛手を受けた気振りも見せず、間合いを詰める。その眼には碧と紅とが揺らぎ、さらりと流れる髪は頭上の空を映し出したかのごとく、小さな瞬きを返していた。
(「雲一つない夜空だ。星の宙は十分見れたか。地上に広がる似姿など、もう目指さなくても良いだろう?」)
 蓄音機の前で、ノチユは一秒でも長くと奏でつづける、必死の姿を見下ろした。
「壊れた機械の願いなんて叶えられるほど、僕は優しくないんだ」
 一思いに得物を振り下ろす。めり、と木の拉げる手ごたえがあり、次いで地獄の炎が蓄音機を包み込んだ。炎の中に消えゆく調べを、ノチユは最後の一音まで聴きとどけた。
「これで、満足してよ」
 蓄音機の思いは、やはりノチユには知る由もなかった。元々、ただの壊れた機械だったのが、元の残骸に戻っただけのことだった。だが、その最後の奏では、自分達と星々が確かに聴いたものだった。
 ノチユは空を見上げた。星は、戦の前と変わらず空に瞬いている。
(「きっと、お前のことは、宙の星皆が、ずっと憶えているさ」)


 静けさの戻った中に、壊れた蓄音機が拉げて割れた姿で転がっている。その周辺で、ケルベロス達は戦で損なわれた散策道をヒールし、整えてゆく。
「音楽ってスゲェよな。聴くための音楽も、BGMとしての音楽も、誰かの役に立ってるし」
 壊れた蓄音機に語り掛けるサイファに、ティアンが問いかけた。
「サイファ、別れの挨拶か」
 頷き、サイファは笑んだ。人を傷つける危険な音色だった。けれども――。
「……いい音だったよ、ありがとうな」
 ティアンは仄かにサイファに頷き返すと、持参した灯を消した。設置されていたライトも仕舞われ、辺りに夜闇が戻ってきている。見上げると、いつもより空が近い気がした。
「ああ、いい歌だったとも」
 ――星の下でおやすみ。人知れず呟き、ティアンは歩き始める。この星明りの下、どこまでも歩いてゆきたい気分だった。

 マルコがホーンをちょんちょんと不思議そうにつついている。その傍らで、ニュニルは蓄音機の破片を手に取った。
「少々賑やか過ぎたけれど、キミの調べ、忘れないよ」
 ダモクレスと融合まで果たした蓄音機の調べ……込められたもの、その残響は、ニュニルの耳にまだ残っている。
「ニュニルちゃん」
 シャーリィンの声に、ニュニルは顔を上げた。シャーリィンに怪我はないようだ。ニュニルの表情を見て取り、シャーリィンは微笑んだ。
「わたくしは大丈夫。ニュニルちゃん達が庇ってくれたのですもの」
 そろそろ帰りましょうか、と皆を誘い、下りてゆく道のりで、シャーリィンは一度だけ足を止め、蓄音機の方を振り返った。宵闇に隠れ姿は見えなかったが、役割を終えた蓄音機にとって、闇は限りなく優しい褥なのかもしれなかった。
 安心してお朽ち果てなさい。シャーリィンは手向けの言葉を贈り、再び歩み始めた。

 周辺のヒールを終え、リコリスは、蓄音機の元へ戻ってきた。破壊の度合いは激しく、きっと修理は出来ないだろう。それならば、と丹念に探してみると、蓄音機の針はまだ使えそうに見えた。新しい蓄音機に取り付ければ、生まれ変わることができるかもしれない。そして、もう一度……。
 リコリスは、針をそっと押し抱いた。もしも、それが叶わないならば……この針を、何処か星を眺められる場所へと連れて行こう。
 それが感傷だと、リコリスも承知していた。それでも、この蓄音機の音色を聴いた後に、それを無かったものにはしたくなかったのだ。
「……あなたの最後の音色、忘れません」
 形見の針を連れ、リコリスは、星のふる道を歩みだす。星乞ゆるしらべを、口ずさみながら。

作者:譲葉慧 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2020年7月27日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 1/キャラが大事にされていた 2
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