六花の追憶

作者:小鳥遊彩羽

 ――それは、まだ冬の寒さが続く、とある夜のこと。
 用事を済ませ、家路を辿っていたはずの蓮水・志苑(六出花・e14436)は、いつの間にか、知らない道に迷い込んでいたことに気がついた。
「ここは……」
 非日常を思わせる、幻想的な色を灯す並木道。
 懐かしいような、知っているような、けれど知らない場所。
 ――家の近くにこのような場所があっただろうか。
 などと想いを巡らせている内に、志苑はふと、そこに佇む一人の男に気がついた。
 そして、志苑はその男の姿に、目を瞠った。
「あなたは……!」
 志苑の声に、男がゆっくりと振り返る。
「嗚呼、お前か、……志苑」
 鬼の面で隠された目元こそ見えないけれど、志苑は、その『男』を知っていた。
「その声で、私の名を呼ばないで下さい。――ようやく、見つけました」
 冴え渡った刃のような声で告げながら、志苑は迷わず刀を抜いた。
 この剣を知る者として、一人の剣士として、彼をこの手で斬らねばならないと知っていた。
「……返して頂きます。あなたが私から奪ったものを、全て」
 そして、男もまた。志苑の想いに答えるかのように刀を抜くのだった。

●六花の追憶
「志苑ちゃんがデウスエクスの襲撃を受けている。これから急いで現場に向かうよ」
 トキサ・ツキシロ(蒼昊のヘリオライダー・en0055)は呼びかけたケルベロス達にそう告げると、ヘリオンに乗るように促す。
 トキサが予知したのは、志苑が宿敵であるデウスエクスの襲撃を受けるというもの。
 急ぎ連絡を取ろうとしたが叶わず、一国の猶予もないという。
 彼女が無事でいる内に救援に向かってほしいと、トキサはヘリオンを発進させた。
 ヘリオンを操縦しながら、敵は死神――自らを『死ノ羅刹』と名乗っているとトキサは言った。
「断言はできないけれど、その死神に志苑ちゃんと何らかの縁があることは間違いないだろう。そして志苑ちゃんと同じく、武器は刀で……彼女と良く似た剣を使うように視えた。配下はいないけれど十分な強さを持っているから、志苑ちゃんの身の安全も含めて気をつけて戦ってほしい」
 戦いの舞台となる場所は、住宅街の一角にある並木道。敵が人避けの結界でも巡らせたのか、周囲に二人の他には誰もいないため、志苑を救援しつつデウスエクスとの戦いに集中してほしいとトキサは言った。
「志苑ちゃんも、覚悟――だけでない、たくさんの想いを抱いて、今この瞬間、戦いに臨んでいるはずだ。だから皆、どうか、一刻も早く駆けつけて、彼女の力になってあげてほしい」
 皆がいれば、皆の想いがあれば、彼女が決して負けることは、ないはずだから。
 トキサはそう締め括ると、現場の上空に到着した旨を告げる。
 行くよ、と。そして、ヘリオンの扉が開かれるのだった。


参加者
月織・宿利(徒花・e01366)
アッシュ・ホールデン(無音・e03495)
蓮水・志苑(六出花・e14436)
翡翠・風音(森と水を謳う者・e15525)
御堂・蓮(刃風の蔭鬼・e16724)
ヴァルカン・ソル(龍侠・e22558)
巽・清士朗(町長・e22683)
クローネ・ラヴクラフト(月風の魔法使い・e26671)

■リプレイ

 夢と現の境界すら曖昧になりそうな世界の中。
 宵闇にはらはらと淡く舞う無数の桜は、どこか幻想的な光を帯びていた。
 明確な殺意と共に首を狙って繰り出さた刃を、蓮水・志苑(六出花・e14436)は己の刀で弾き返し、素早く後方へと距離を取った。
 はらり、冷気の桜が空舞う桜と混ざり合い、溶けてゆく。
「……腕を上げたな」
「知った風な口を……こんな形で貴方の声など聴きたくありません」
 紡がれる声に志苑はきつく唇を結ぶ。
 そうして、羅刹の仮面を被った男を真っ直ぐに見据える。
「もう此処に、あの方は居ないのですから」
 憶えのある声にも惑わされることなく毅然と吐き捨てる志苑。
 男――死ノ羅刹が薄く笑った。
「志苑ちゃんっ!」
 刹那、再び志苑の急所を狙った刀の前に、小柄な影が飛び込んできた。
 月織・宿利(徒花・e01366)は志苑と同様に、雪白の一振りにて切っ先を逸らす。
 躱しきれず肩口が裂けたが、さしたる問題でなはい。
「宿利さん……!」
「私だけじゃない、皆もいるよ」
 落ち着いた声で宿利が告げる頃には、後方から幾つもの足音が届いていた。
「いつか、こんな時が来る気がしていたが――まさか、この町でとはな」
 志苑の隣にすっと歩み出て、巽・清士朗(町長・e22683)はどことなく己に似た気配を感じる死神の男と対峙する。
 ヘリオンから降り、真っ先に先導したのが清士朗だった。
 何故なら彼はこの町の長であり、地図を把握している。
 だから、志苑がいる場所もすぐにわかったのだ。
「我が名はヴァルカン、義によって助太刀いたす」
 厳かな声を響かせ、静謐なる炎の如き佇まいの竜人、ヴァルカン・ソル(龍侠・e22558)が刀を抜く。
 対峙は一瞬。
 即座に踏み込み、ヴァルカンは雷の霊力を纏わせた神速の突きを死ノ羅刹へと見舞う。
「微力ながら全力で加勢します、志苑さん」
 彼女にも死神に奪われた兄がいたという過去。
 それに翡翠・風音(森と水を謳う者・e15525)は心が痛むのを感じながらも、掲げたレイピアの先端から美しき花の嵐を死神たる男へ放つ。
 匣竜のシャティレは風音の傍らを離れ、緑の森の属性を最も狙われるであろう志苑へ注ぎ込んでいた。
 鮮烈な花嵐に覆われ、一瞬気を取られた羅刹の元へゆらり、迫る影。
「身体と共にその剣技を奪った所で、心が伴わねぇなら道に至るのは無理ってもんだ」
 気怠げな雰囲気を纏いながらも戦いを識る者の光を瞳に滾らせて。
「――てめぇみたいな紛い物の剣で、本物に勝てるわけがねぇだろうよ」
 淡々と踏み込んだアッシュ・ホールデン(無音・e03495)が螺旋籠めた掌で触れれば、すぐさま内側から爆ぜる感覚が死ノ羅刹を襲う。
(「仇とは言え、家族の身体を相手にってのはきついわな……」)
 アッシュにも養父母を、そして兄貴分を喪った過去があり、故人を傀儡とする死神のやり方には苛立ちを覚えるばかりだ。
 しかし、だからこそ冷静であることをアッシュは心掛けていた。
(「……こんな場面で後悔なんて、させるわけにゃいかねぇからな」)
 志苑にも、そして皆にも。
 全てを悔いなく終わらせられるよう、アッシュは縁の下から支える気概で。
 命を奪うだけでは足りず。
 奪った後も利用し、弄び。
 故人の誇りも、残された人の心をも――踏み躙る。
「……ぼくが、一番、嫌いなやり口だ」
 クローネ・ラヴクラフト(月風の魔法使い・e26671)は吐き捨てるように呟くと、細い鎖を伸ばす。
「お前には、もう何一つ、彼女から奪わせやしない」
 志苑の覚悟に、願いに、応える為に。クローネはただ、全力を尽くすことを心に誓う。
「お前が彼女から奪ったものを、返してもらうぞ」
 甘い蜜星揺れるペンデュラムが強固な守護の魔法陣を編み上げた。
 そこにフィエルテ・プリエール(祈りの花・en0046)が守りの雷壁を重ねる。
 癒しに徹するクローネの代わりに、オルトロスのお師匠が地獄の瘴気を解き放った。
 初めて『彼』の話を聞いた時から、いつか力になれればと思っていた。
(「……今がその時だ」)
 御堂・蓮(刃風の蔭鬼・e16724)は静かに心の中で闘志を燃やす。
 視線の先には死神たる男と対峙する志苑の背。
 溢れて止まぬ言葉も想いも今は胸裡に留め、蓮は己が身に宿す御業を解き放った。
 半透明の御業が死ノ羅刹を鷲掴みにして動きを封じる。
 オルトロスの空木が神器の剣を携え駆ける。
「皆様、……ありがとうございます」
 窮地に駆けつけてくれた皆の姿に安堵しながら、志苑は改めて剣を構えた。
 死神。デウスエクス。それは一人では敵わぬ相手。
 けれど皆の力があれば、決して負けることはない。
「さて……夕餉に間に合わすぞ、志苑」
「はい、兄様」
 刀を抜いた清士朗と視線を交わし、志苑は呼吸を合わせ同時に斬り込んだ。
 左右から羅刹を挟むように志苑が放つは三日月の如き斬撃。
 清士朗は空の霊力を刀に纏わせて刻んだ傷跡を斬り広げ、互いの立ち位置を変える。
 敵の太刀筋を乱す陣形を取りながら立ち回る二人の間を縫うように、舞い散る桜花と煌めく星の軌跡は宿利が描いたもの。更にオルトロスの成親が神器の瞳で羅刹を睨み燃え上がらせれば――風音が凛と風を呼ぶ声が響き渡る。
「風精よ、彼の者の元に集え。奏でる旋律の元で舞い躍り、夢幻の舞台へ彼の者を誘え」
 風精の幻想曲――気紛れに美しく歌い踊る風達を風音は歌う。
 すると、舞い踊る風の精霊を具現化したかのような風が死ノ羅刹の周囲を舞い、その足を一瞬留めさせて――すかさずヴァルカンが羅刹の腱を狙って斬った。
 ヴァルカンの瞳に映る頼もしき面々は、いずれも志苑と縁深き者。
 ゆえに、たとえこの戦いの最中に彼女の剣が迷うようなことがあったとしても、皆が彼女を支えてくれるだろうと確信していた。
(「その時が訪れたとして、私は掛けるべき言葉を持たぬ。ゆえに――」)
 ヴァルカンは一人のケルベロス、同志として、過去の縁を断ち切らんとする少女のために己が力を振るうだけ。
(「……まさか、彼女の兄上も、死神に使役されていたとは」)
 死神を前に、風音は唇を噛みしめる。
 風音には、同じように死神に奪われた兄弟と対峙した際に志苑に助けてもらった。
 その恩に報いるために、風音は今、この場に立っている。
 たとえ見た目はかつて慕っていた相手だとしても、その魂は既にない。
 死神に奪われた、容れ物。
 この状況がいかに過酷であるかも風音は知っていた。
 決して、他人事には出来なかった。
(「……しかし、どんなに辛くとも、ここで区切りをつけねばなりませんね」)
 志苑もその想いと共に戦いに臨んでいるであろうことは――死神と向き合うその華奢な背中が教えてくれていた。
「――来るぞ!」
 咄嗟にアッシュが声を上げたその時。
 死ノ羅刹の携える刀から、黒き花弁が舞い上がった。
 それは心を乱し惑わせる腐食の花。
 前衛を襲う悍ましき呪いを、守り手達が次々に己の身を盾として受け止める。
 アッシュが放った手裏剣が、螺旋の軌跡を描きながら死神の刀へ突き刺さった。
「大地の力を今ここに――顕れ出でよ!」
 イッパイアッテナ・ルドルフが龍穴へ通じる道を拓き、清浄なる癒しの力を溢れさせる。
 宿利にフィエルテが賦活の力を飛ばし、シャティレが蓮に自らの属性を再び解き放つ。
「此処に在るのは、お前に大切な人を奪われた彼女が築き上げた、大切な絆。……言っただろ。何一つ、奪わせないと」
 淡々と告げるクローネが伸ばした手の先で蜜星が煌めき、心蝕む呪いを祓う光を広げてゆく。
「彼女を大切に想う人達、彼女の想いに応えるべく集った人達、だから、彼女の目の前で、誰も、欠けさせやしない」
 癒しと守りの力が満遍なく届けられる中、クローネは冴えた月の瞳で羅刹を見つめ。
「その身体で、その剣で、彼女を傷付けることも、彼女から奪うことも」
 ――ぼく達が、許さない。
 お師匠が神器の剣を咥え、傍らに馳せ参じた空木と共に、羅刹へ躍りかかった。
 蓮はいつものように、鉦吾の形をした爆破スイッチの中央部分を指で押す。
 そうすれば――。
 いつの間にか死神の身体に貼り付けられていた、視えない爆弾が鮮やかに爆ぜるのだ。
 志苑の力になりたい。
 それが今、蓮の心の中にある唯一の想いだった。
 彼女の望みを叶え、心の支えとなり、そして彼女と生きて共に帰るために。
「……大丈夫か」
 ただ一言、蓮が案じるように問えば、志苑は虚を突かれたように目を瞬かせて。
「……有難うございます。兄様を前にして立って居られるのは、皆様のお陰です」
 ――だが。
「志苑、」
 死神が微笑い、そして、嘲笑った。
「お前に斬ることが出来るか。――この、兄を」
「……っ!」
 志苑が追い続けたその顔を羅刹の仮面の下に秘しながら。
 けれど、ここに在る身体は紛れもなく『そう』なのだという現実を突きつけて。
 死神は、志苑へ刃を向ける。
 僅か一瞬、志苑の動きが強張ったのを見逃さず刀を繰り出してくる死神と。
「――志苑!」
「志苑ちゃんっ!」
 不意を突かれた志苑を守ろうと蓮、そして宿利が動いたのはほぼ同時。
 死神の刃が届くか否かのその、刹那。
「勝てねぇと見て精神攻撃か? 随分とまぁ、腕に自信がねぇんだな」
 吐き捨てたアッシュが伸ばした手の先。
 影からじわり、這い出るように染み出した紫炎が死神の身体を取り巻いた。
「ぐっ……!」
「――させぬ!」
 邪竜の毒に死神が僅か動きを止めた隙に、清士朗と風音がそれぞれの刀と光の剣で畳み掛けるように同時に仕掛け、更にヴァルカンが咆哮を上げる。
「煉獄より昇りし龍の牙――その身に受けてみるがいい!」
 内なる地獄を解き放ったヴァルカンは巨大な炎の龍へ姿を変え、死神へと牙を剥いた。
 無慈悲な業火の奔流が駆け抜け、喰らいつく。
 死神の刃が志苑の魂を刈り取るのを阻まんとする、ヴァルカンの揺るぎない意志の形だ。
 掛ける言葉を持たぬ代わりに、この力を以て叱咤激励として。
「志苑さん、貴方にも、貴方を大切に想う仲間がいます。……どうかそれを忘れず、無茶はしないで」
 それがきっと彼女の兄上の為でもあると、風音は想いを紡ぐ。
「そうだよ、大丈夫。何があっても、ぼく達が傍にいる。……だから、きみが望むままに、いっておいで」
 クローネが優しく奏でるのは、母なる大地の女神の祝福と祈りを籠めた協奏曲。
「――志苑ちゃん、大丈夫、落ち着いて。貴女を大切に想う人が、傍にいます」
 宿利は静かに、志苑の心に寄り添うように、彼女の傍に。
(「かつて私が姐様と対峙したときも、そうだった」)
 大切な身内だったからこそ、その身体を今度こそ眠らせてあげたいと願う気持ちも。
 共に過ごした記憶から映し出される声や仕草に、僅かに迷いが生まれることも。
 宿利はいつかの時を思い返しながら、そっと視線を交え優しく笑いかけた。
 志苑のために駆けつけた面々を改めて見やり、アッシュは緩く息をつく。
(「支えたいと望む奴もいるみたいだし、大丈夫そうかね」)
 その眼差しはふと蓮に。
 気づいた彼と視線を交わし、行って来いと背を押すように頷いた。
 密かに年の離れた友人である志苑と蓮。
 二人を見守る眼差しには、戦いの最中でもふと穏やかな気配が満ちる。

 何度も対峙した死神には、やはり嫌悪しかない。
 ひとの身体を容易く奪い我が物として、更なる悲しみの連鎖を繋げてゆく者達。
 こうすることでしか救えない。
 そもそも、本当の意味で救えるのかすらわからない――その理不尽さが嫌になる。
「志苑」
 蓮は彼女の傍に立ち、静かに名を呼ぶ。
「蓮さん……」
 いつものように変わらぬ表情だが、その眼差しが帯びる優しい色を志苑は知っていた。
「俺が、……俺達が居るから、決着をつけて来い。――志苑、己の心のままに」
「征くぞ、志苑」
「――はい」
 清士朗の声に顔を上げた志苑の眼差しに、もう、迷いはなかった。
 両の掌に、そして心に力を込めて、志苑は自らの想い託した刀を握る。
 死神たる男の仮面に隠された顔はやはり見えないけれど。
(「……貴方の顔が見えなくて良かったと、今は、そう思わずにいられないのです」)
 見えてしまったら、また揺らいでしまいそうだから。
「私の大切な方を、返して頂きます」
 今はただそのために、志苑は羅刹へ肉薄する。
「間は魔に通ず――鞍御守流が剣御覧じろ!」
 共に馳せた清士朗が、まず一太刀。
 己が内に敵を写し盗る境地『写の位』の空の境地より繰り出される不意打ち。
 そこに、蓮が更に畳み掛ける。
「くれてやる、――行け」
 蓮は自らの霊力を媒体に、紐解いた古書に宿る思念を羅刹の影より具現化させる。
 足元から現れた鬼に囚われ、羅刹は逃れる術を失った。
 鬼の爪を受け、死ノ羅刹が呻く。
 だが、尚もただひとりを求めて止まぬ仮面越しの眼差しが、その『唯一』を捉えた。
「しお、ん……」
「私は一人ではありません。無力だったあの頃とは違います」
 ――散り行く命の花、刹那の終焉へお連れします。
「此処で取り戻します、貴方を!」
 凛と声を響かせ、志苑は最後の一太刀を刻んだ。
 虚空より舞い落ちる雪花、清浄なる白き世界に咲き誇る氷雪の花。
 斬撃の氷は冴えた軌跡を残し、散る花弁を朱に染め上げて、静謐なる終焉を齎した。
 逝く先は、安らかであれ――。
「今まで苦しめてしまい、申し訳ありません。どうか、どうか此れにてお還りください。……共に帰りましょう、翠香兄様」
 羅刹の仮面が、砕け散る。
 同時に崩れ落ちてゆく男の身体を、志苑は細い両腕で抱き留める。
「……志苑」
 微かに動いた唇が紡いだ音は、志苑にしか聴き取れなかったけれど。
 その声も、仮面の下に隠されていた顔も――。
 確かに志苑が知る、彼のひとのものに相違なく。
「……おかえりなさい、翠香兄様」
 志苑が震える声で告げると、男は穏やかな表情で目を閉じ――。
 その身体はやがて光となって、静かに空へと昇っていった。

 戦いが終わっても、不思議と桜並木が消え失せることはなく。
 まるで志苑を慰めようとするかのように、桜の花弁がはらはらと優しく舞っていた。
 クローネや風音、そしてフィエルテが仲間達や戦いの爪痕に癒しの光を施して。
 寄り添うシャティレをそっと撫でてやりながら、風音は改めて思うのだ。
(「死者を蘇らせ、使役する……死神のその手段、やはり許せるものではありません……」)
 お師匠と共に、クローネは志苑へ案じるような眼差しを。
(「でも、きっと、……大丈夫」)
 彼女を支える多くの手があることを、クローネも知っているから。
 アッシュは暫し黙祷を捧げ、それから志苑へと振り返った。
「……桜の花言葉にゃ、『私を忘れないで』ってものもあるらしくてな。思い出の兄貴の姿を、覚えておいてやるといい。――ようやく、帰ってきたんだからな」
 アッシュの言葉に小さく頷き、志苑は広げた掌に舞い降りる淡い桜色の光を、そっと握り締める。
「――誰かを想う時、人はどうして空を仰ぐのでしょうか」
 志苑は『彼』が消えた空を見上げながら、頬を冷たい雫が伝い落ちていくのを感じていた。
(「兄様を失った日から今日まで、涙を流すことなどなかったのに」)
「きっとお前のため、お兄さんが奴を連れて来てくれた。だから良いんだ、志苑――今だけは」
 清士朗の諭すような言葉に、志苑は噛み締めていた唇を開いた。
「……兄様、少し肩を貸してください」
 笑顔でただいまを言う為に、泣くのは今だけと心に決めて、志苑は静かに肩を震わせる。
 微かに震えるその肩に触れて、清士朗は静かに空を仰ぐ。
 その気高さに祝福を。御霊に幸在らん事を――。

 後は志苑と近しい者達にのみ与えられるべき時間であると、ヴァルカンは己の役目が果たされたと静かに踵を返す。
 端役は疾く舞台を降りるのみ。
 そう思っていたのは、ヴァルカンだけではなかった。
 少し離れた場所から志苑を見守っていた宿利もまた、そっとその場を去ろうとする。
「……いいのか?」
 蓮の声に瞬いた宿利は、迷うように開きかけた口を結び、小さく頷いた。
「うん、平気。……志苑ちゃんのこと、お願いします」
 深く頭を下げる宿利に蓮はああと頷くと、それ以上は何も言わずに小さなその背を見送った。
(「……どうか」)
 たった一人の親友へ、宿利が願うのはただひとつ。
 貴女が此れから歩む日々が、穏やかで幸せなものでありますように――。

 その場に残った蓮もまた、静かに空を見上げていた。
 はらり、舞う桜は誰かの涙のようで。
 あるいは、誰かの涙を拭おうとしているかのようで。
 取り留めもなくそんなことを思いながら、蓮は天に還った『彼』の心が安らかであるよう祈りを捧げる。
 己に出来るのは、残された者に寄り添うこと。
 遠くを見やれば、兄代わりである清士朗と共にいた志苑が、こちらへ振り向くのが見えた。
 そのまま近づいてくる志苑に、蓮は何とはなしに丸くなりかけていた背を伸ばして姿勢を正す。
「……お待たせしました、蓮さん」
「ああ、お帰り」
 全てを終えた志苑に、蓮は内心安堵しつつも微かに口の端を上げて、手を差し伸べる。
「はい、ただいま戻りました」
 泣き腫らした顔ながらも微笑んで、志苑はそっと差し出された手に己の手を重ねるのだった。

作者:小鳥遊彩羽 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2020年2月29日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 2/感動した 0/素敵だった 4/キャラが大事にされていた 3
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