ケンジの誕生日~東からの風を呼ぶ花

作者:ほむらもやし

●三寒四温
 暖冬と言われた年末年始、梅のつぼみが綻ぶも、突然に南下してきた寒波に咲き始めた梅が引き締められる2月。寒暖を繰り返しながら、今年も春が近づいて来る。
 福岡県太宰府市。その神社では今年も梅花が見頃を迎えている。
 梅の木の寿命はだいたい100年ほどと言われる。老樹の近くには若い樹が植えられており、この神社では梅の樹がなくならないように常に気を配っている。
 来年も梅の花は見られるだろうが、それが同じ樹に咲いているとは限らない。
 それらは一箇所には留まらず、形を定めずに流れて行く水の如きである。
 受験を終えたばかりなのか、それともこれからなのだろうか。
 お参りをしたとおぼしき少人数のグループがおみくじを見せ合っている。
 別のグループはお守りを求めるために授与所に向かって行く。
 ただ今年は、新型の感染症を警戒してか、マスクをしている者が多いようだ。

 梅園は境内の東側に広がっている。開けた場所に誘われた人たちは、地面の緩やかな勾配によって視点を無意識のうちに僅かに斜め上にされる。そして枝の伸びる方向に誘導された目線の先には、遠くにある山の稜線や、抜けて行く風景に繋がっていたりして、太宰府のよさを楽しめるように作られている。
  梅園の端の方は急峻な斜面になっていて、その上の方にある博物館に簡単にアクセスできるよう、屋根付きのエスカレーターが設置されている。
 博物館は、銀色に輝く、長さ160m幅80m高さ36mほどの巨大な低反発まくらのような形状は宇宙からやって来た巨大な船を連想させる。若狭(わかさ)と呼ばれる小浜や鳳至(ふけし)と呼ばれる輪島など、日本各地にもある玉手箱の伝説に通ずるものがあるのかも知れないと妄想するのも楽しい。
 丁度いま、この博物館では、長谷川等伯を始めとした琳派の企画展が行われている。
 琳派も狩野派も漢画が基礎となっている。
 琳派は大和絵などの技法を柔軟に取り入れて、独自に華やかな世界を描いたのに対して、狩野派は徳川政権が好むような豪壮で格式高い絵を描いたと言われる。
 常設展では日本と諸外国との文化交流をテーマに、石器時代から今日に至るまで様々な主題を設定した展示がされている。

「ちょうど太宰府の梅が良い感じらしい。これから見に行くのだけど、一緒にどうかな?」
 2月18日に33歳の誕生日を迎える、ケンジ・サルヴァトーレ(シャドウエルフのヘリオライダー・en0076)は爽やかな笑顔で声を掛けて来た。
 ケンジは太宰府の神社にお参り、あわせて梅の花を楽しんでから、博物館で長谷川等伯の障壁画をメインに琳派の作品を堪能するつもり。朝から夕方まで、一日をかけてゆっくりと時間をかけて気分次第で休暇を楽しみたいと言う。
「骨格となる水墨画の白黒の空気やボリューム感と、華やかに彩られることで生命力を増した彩色画。それら巨大な障壁画を一堂に見られる機会は少ないからね」
 黒い梅の幹が花開くと風景が一変する。
 それは白黒の墨絵が華やかな彩色画と変わるようだと、ケンジは熱く語る。
 いつも予知を伝えて、現場までは行く。
 けれどヘリオライダーに出来るのは連れて行くだけ、一緒に戦うことはおろか声を掛けることも出来ない。
 だから今日は特別な日。
 同じ場所で同じ時間を生きる人間として、同じように過ごしたい。


■リプレイ

●梅花と神社
 太宰府の駅前から神社に続く黒い石畳の参道にも人の歩かない場所には白い雪で覆われている。
 駅舎から出ると、前日からの雪がまだ少し降っているのが分かった。
「今日は人も少なめですな。受験生だけに滑らないように気をつけているのでしょうな」
 イッパイアッテナ・ルドルフ(ドワーフの鎧装騎兵・e10770)は軽口を飛ばすと、ケンジ・サルヴァトーレ(シャドウエルフのヘリオライダー・en0076)に誕生日おめでとう、と告げた。
「ありがとう。確かに人が少ないね。お店の人も皆マスクをつけているし、やはり気をつけているんだね」
 連日新型感染症のニュースが報じられているが、ケルベロスの手で何とか出来るものではない。
「僕も太宰府には何度か来たことがありますが、こんなことは珍しいです」
 バジル・ハーバルガーデン(薔薇庭園の守り人・e05462)が少し悲しそうな目をする。
「体調が優れないのかしら?」
 その様子が気になったのか、カーム・コンフィデンス(静かなる自信と共に・e00126)が声をかける。
「思っていたより人が少なめでしたので、少し驚きました。心配かけてしまいすみません」
「大丈夫よ。それだけ皆気をつけているということよね。いつもと同じにしているほうがずっと危なくないかしら?」
「確かに、そうですね」
 いつもよりも人出は少なめだけれども、お店はすべて開いていた。
 一行の気配に気づいたのか、熱した焼き器に餅と餡を入れて実演を始めるお餅屋さん。
「ちょっと寄り道をしてゆきましょうか?」
 普通なら並んで待たないと座れない飲食スペースもすぐに座れそうだからと提案する。
「ケンジさん、お誕生日おめでとうね!」
「ありがとうございます!」
 朱桜院・梢子(葉桜・e56552)の明るい声に精一杯の元気でケンジは応える。
「大宰府といったら新元号令和ゆかりの地でしょう、梅の名所でもあるし、ちょうど来てみたかったのよ!」
 令和の典拠は「梅花の宴」を記した万葉集の序文と言われ、それは太宰府政庁跡周辺にある坂本八幡宮のあたりに関係する。位置的には現在地から歩いてで20~30分ぐらいの近所である。
「このお餅、表面がパリッとして美味しいわね。来てよかったわ!」
「出来たての熱いのを食べるのは、僕も初めてだね」
 いつもはお土産で持ち帰って食べていたから皮はしんなりしていたと思いつつ、緑茶を頂き。
 梢子の方は、ビハインドの葉介にはあげないとか、楽しそうにしている。
 そんなタイミングで、イッパイアッテナの声がした。
「ケンジさんはゆったり一日中満喫コース!? 贅沢な楽しみ方ですな。教養が高く風流でいて頗(すこぶ)る、健脚な様子に見えます」
「あはは。買い被り過ぎだよ。無理をして格好をつけているけれど、本当は行き当たりばったり。辛かろうが恐ろしかろうが、誰にも相談できないし、頭を抱えてばっかりだよ」
「ヘリオライダーさんも、色々気苦労が多いみたいですな」
「まったくだね。気に病んでいてもどうにかならないんだけどね」
 お餅の微かな塩味が食欲を刺激するのか、お茶をおかわりしながら、既に3個も食べてしまった。
 長居をすると際限なく食べてしまいそうだからと、出発する。

 神社の入口付近には大きな鳥居があり、御神牛(ごしんぎゅう)と呼ばれ、伏せた姿勢の牛の像がある。
 既に撫でた人がいるらしく、雪は全く被っていない。
「やっぱり牛の像は撫でておきたいです」
 バジルは小走りで像に近づくと、確りと像の頭を撫でた。
「だいぶ念入りだったね」
「僕も、間も無く大学生です。学業成就の御利益があると良いかと思って」
 この像は頭を撫でれば、賢くなれると言われ、また怪我や病気のある部位を撫でると快復するとも言われているため、この神社を訪れる人の多くが撫でて行く。
「皆さん考えることは似ているのかしら? 頭と角ばかりすり減ってぴっかぴかね」
「では、私も撫でておきましょう」
「私も撫でておこうかしら。葉介はどうする?」
 撫でるのは御利益もちょっぴり期待するが、どちらかと言えばここに来た時だけする、記念の挨拶のようなもので、やっておくと何となく安心できる性質のものだった。

「わぁ、梅の花が沢山咲いていて綺麗ですね」
 鳥居をくぐって先に進むと、凜とした良い香りを感じる。数え切れない程の梅樹の細い枝先には絵具を撒き散らしたような強い白や紅が広がっている。
「全くもって隙が無い。見事な庭造りですな」
 両手の親指と人差し指で四角の枠を作り、色々な方向の風景を覗き見るイッパイアッテナが感嘆の声を上げる。

『万代に 年は来経とも 梅の花 絶ゆることなく 咲き渡るべし』
 梢子は灰色の瞳を細めて手前から奥へ遠くまで視線を巡らせると、小さいけれど聞こえる声で口ずさむ。
「万葉の時代から時は経っても、梅の花は毎年咲くし、たくさんの人が梅の花を愛でにやってくるのよね……」
 万葉には様々な意味があり、その言葉との出会いも人によって様々。
「私、苗字こそ桜だけど梅の花って大好きなのよ。万葉集にも梅を詠んだ歌は多いしね……」
 朱桜院――名字に桜の文字が入るほどに花に縁があるのだろう。
 万葉集があらゆる草木の葉を集めたかの如くに、名と実体は相応じるものなのかも知れない。
 緩やかな坂道を登り、そして下り、遠回りのコースで散策しつつ、本殿の方を目指す。
 楠の巨木の瑞々しさも目に鮮やかで、池に掛かるアーチ状の橋を昇り降りする視線移動も楽しい。
 果たして正殿の両側には、この神社のなかでも一際大きく立派な、紅梅の梅の樹があった。
「左の紅梅が皇后の梅、右が飛梅でございますな。紅白揃ってまことに縁起がよろしいです」
 遠目にふっくらとした扇形が2つ並ぶように見える様にイッパイアッテナが感心したように言う。
 さらによく見れば、どちらの樹も一本ではなく3本ほどの株からなっており、それらの微かな樹勢の違いに気付けば、寿命を迎える順に植え替えていることも推測できた。
「見事ですな、そして美しい。しかしそれだけじゃあない――」
 時を超えて人から人に継がれて来た叡智と思いが見えた気がして、イッパイアッテナは胸がいっぱいになる。
 声にすることの出来なかった思いと言葉を篭めて、梅花を見上げて、その有り様を記憶に焼き付けた。

「さて、僕の運勢はどんな感じでしょうか?」
 一方、早々にお参りを済ませたバジルはおみくじを引いていた。
「……中吉。学問は『自己への甘えをすてよ』ですか、手厳しいですね」
 学問はやる気さえあれば生涯をかけて続けることが出来る。バジルは丁寧に自分のしたいことに思いを巡らせる。大学に進めば自分よりも先に研究をしている先輩や先生方が沢山いるはずだ。
「あれこれ悩んでも仕方ありません。自分で選んだのですから、あとは思い切りやってみます」
「どれどれ、私は何かしら?」
 梢子の方のおみくじは「大吉」だった。
 失物……近くにあり。願望……時来れば叶う信神せよ。とのことである。
 大吉なのに言い回しがやけに曖昧だと思いつつも、人生はポジティブに考えたもん勝ちと思うことにする。
 果たして、バジルも梢子もおみくじに書かれている他の言葉も確りと読み込む。そして丁寧にたたむと結び所に納めるのだった。

 お昼が近くともなると、雲はいつの間にかに消えて失せ、陽射しが強くなる。
 梅の樹の枝先に残っていた雪はすぐに融けて、地面に積もっていた雪も急速に薄くなって行く。
 比較的人の多い本殿の方はそこそこに、カームは梅園の散策を堪能していた。
「朝は寒かったのに、急に暖かくなってきたようね」
 紅、白、桃……の濃淡、少し前に見たときは引き締まっていた花が、今はふわりと膨らんでいっそう鮮やかに、目や心に温かさを灯す存在となる。それに導かれたようにすれ違う人も増えてきた。
「まるで花灯りね」
 新緑が芽吹くのはまだ先なのに、こんなに華やかで良いのだろうかと不安になってしまう。
 気温が低いときには沢山の点の集まりのようだった枝垂れ梅も、今は流れ落ちる滝飛沫のように見える。
「1時間ほどでこれほど変化するとは、たいしたものだ」
「ケンジさんも、そう思われるのね」
 特別な名前がついた樹でもなく、梅園の中では珍しくない枝垂れ梅の一株だったが、光に向かって花膨らませる様も、凜と香り立つ気配も、たいへんに美しく雅であった。
 永遠に続くかと錯覚してしまいそうな強い生命の輝きは今が冬であったことを忘れそうになる程。
 カームとケンジはしばらく時間を忘れて、枝垂れ梅を眺めていた。

 正午を告げるサイレンが鳴り響く。
「そうそう、お誕生日おめでとう」
 そう言って、カームが取り出したのは、航空安全御守。
 濃い青の生地に金色の梅花の刺繍が施されている。『飛梅』に由来するらしい。
「本当にありがとう。これからも、安全運行を心がけるよ」
「はい。頼りにしているので、これからもよろしくね」
 何度も来ているのに気づかなかった航空安全御守、いつの間にかに好奇心が弱くなって来ていたと、ケンジは自身に忍び寄る老いに気づく。
「ふつつかものですが、こちらこそ」
「ケンジさん、それなんか違わないかしら?」
 どうも受け答えがオッサンのようになってしまうケンジだった。

●博物館
 梅園の緩やかな傾斜を下れば朝に来た道を戻ることになるが、今度はその反対側、斜面に設置された大きなエスカレーターに乗って山の上を目指す。
 そこには銀色に窓面に青空を映す博物館の建物がある。
「やあ、これも立派なものですなあ」
 4階まで吹き抜けのエントランスホールに入ると、先に到着していたイッパイアッテナが地球博物図鑑を片手に巨大な窓面を見上げていた。
「ケンジさんのお目当ては3階の企画展でございますな」
「そうだよ。同じ会場で観られるのは奇蹟としか言えない、豪華ラインナップだと思う」
 ポスターを見れば長谷川等伯に尾形光琳に俵屋宗達、誰もが耳にしたことがありそうな名前ばかりだ。
 実際に足を運んで見たものもあるが、本に載っている図版と実物の存在感は異なる。
 写真の片隅に150×360cmなどと書かれた寸法から想像するしか無かった現物が、この会場にある。
 ケルベロスご優待割引など無いことを確認しつつ、一般大人のチケットを購入する。
「それにしても、またしても大きなエスカレーターですな」
 イッパイアッテナが肩を竦める。
 梅園から先のデザインが、高い天井とエスカレーターが好き過ぎる感じだ。
 会場に入ると、外の明るさとは違った薄暗さを感じる照明になっていた。
「金箔って薄暗いところで見ると太陽の光みたいな感じね」
 400年前は電灯など無かった。
 基本的に暗くなれば寝るのが普通であったし、照明と言えば行灯で、灯明油や蝋燭の炎の灯りであった。
 絵の材料としての金は古代より使われている。金は黄味を帯びた炎の光を増幅する効果がある。
「金が光なら、墨の濃淡は風――空気だね」
 等伯の描く墨の湿潤とした気配がじわじわと動いているように見えるのは気のせいだろうか。
「風。人が歩けば風が吹くし、画風なんて言葉もあるね」
 西洋絵画では白黒のトーンで影と光を描写して対象を表現するが、等伯は隙間の形の空気感を描く。
「絵を描くときに、対象だけ描く人と背景まで描く人がいるけれど、これも画風だよね。同じ様にものを見ているようで、解釈の仕方がそれぞれ違う」
 長い時の重みに耐えて来た作品群である。ひと目見てすべてが分かるほど単純では無い。
 違った見方、感想を知れば、また作品への理解が深まる。
「これはかなり曲がった檜ですな。曲がっているが故に伐られなかったのでしょうか?」
「真っ直ぐなら材木にされてしまうからね。どうしてだろう?」
 役に立たないから生き延びることもあれば、役に立たないから無残に破壊されてしまうこともある。
 イッパイアッテナの疑問にどうしてだろうとしか言えないのは、そう言うことだ。
 果たして、次の400年後の時代にこれらの作品が引き継がれているか?
 その頃にはカームもイッパイアッテナも、ケンジもきっと生きてはいない。
 それでも、太陽は東から昇って、西に沈む。今と変わらないはず。
 恐らくは、太宰府の梅の樹もこの土地に人間が暮らしている限り、受け継がれているだろう。
 展覧会場の外のラウンジに座って、語り合う。
 外から空を映す巨大な銀色の壁だったが、内側からは太宰府市街の先、南の筑紫野や背振山系の山並みまでが見渡せる。
 展覧会の観客はあまり増えないまま、時間は過ぎて行く。
 今日は、ずっと後になっても、梅の花の香りや明るい陽の光と共に思い出せる、宝物のような思い出になった。

作者:ほむらもやし 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2020年2月29日
難度:易しい
参加:4人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 2/キャラが大事にされていた 0
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