細氷に凍る

作者:七凪臣

●氷る朝
 耳が痛くなる程の冷えた大気に、光の欠片がキラキラと無数に踊っている。
 葉を落とした木々が、いっそう深い眠りに落ちたような真冬の朝。
 地面は夜のうちに降った雪に覆われ、さながら色を知らないキャンバスだ。そのくせ、何人にも描かれまいと不可侵の静謐さを湛えている。
 街から離れた山間の、喧騒を忘れた林の中。山の神の気紛れみたいななだらかな斜面は、茂る木々も少なく僅かにひらけており、近くのせせらぎに水を求める野生動物も見かけることがある。
 けれどこの朝、此の静かなる地にそぐわぬ侵入者がひとつあった。
 細氷に少し似た硬質な輝きを放つそれは、コギトエルゴスム戴く小型ダモクレス。小さな足跡を幾つも残し、不意に僅かな雪の隆起の下へ潜り込む。
 そこにあったのは、遠いいつかに置き忘れられた無線機。誰かの声を誰かへ届けていた機械。長く打ち捨てられ、風景に同化するくらいに汚れたそれは、穢れなき白雪の下で新たな目覚めを迎える。
 最初に現れたのは帽子。それから顔、首、胴体、四肢。無線機であったものは、人に姿を模したダモクレスと為り、小型無線機を詰めた鞄を肩からかけて、ゆっくりと立ち上がる。
『コエ、ヲ』
 鞄から取り出した小型無線機を、ダモクレスは一帯へばら撒く。
『……聲ヲ、届ケサセテ』
 雪原に落ちたシンプルな形をした機械は、ジジ、ジジと暫くノイズを立てていたかと思うと、爆発四散し、凍える清らかな朝を乱し始める。
 その真っ白な眸は、乞うるように狂おし気に細められていた。

●声の七色
 声を運ぶ郵便屋さんのようだと、リザベッタ・オーバーロード(ヘリオライダー・en0064)は予知で見た無線機のダモクレスの外見を喩えた。
「元は無線機ですから、さもありなんですね。皆さんには今回、このダモクレス退治をお願いします」
 場所は細氷輝く雪原。
 全ては連城・最中(隠逸花・e01567)が危惧した通り。
「幸い今は近くに人はいないようでしたが、カメラ愛好家などには知られた撮影スポットらしいので、事は急を要します。被害が出ないうちに対処して下さい」
 ケルベロス達が事にあたる間は一般人が近付かない為の対処は、同行を申し出た六片・虹(三翼・en0063)が担うことになっているが、あまり長引くと山道から紛れ込むカメラ小僧がいないとも限らない。
「攻撃方法も分かっています。爆発四散する小型無線機をばら撒くこと、催眠効果のある視線でねめつけてくること、そしてノイズばかりを発生させるマイクを至近距離からつきつけてくることです」
 一通り語り終えたリザベッタは、ふと短く息を吐き、少し困ったように眉尻を下げた。
「いつ誰に置き忘れられたものかは分かりませんが、よほど『声』を届けたいのでしょうね」
 ばら撒かれる小型無線機も、突き付けられるマイクも、声を欲してのことだ。催眠は、声を引き出したいという意図があるのかもしれない――と想像を重ねたリザベッタは、少しくらい声を聴かせるのも良いかもしれませんね、と頬を弛める。
「届け先のない声です。皆さんの胸の裡に閊えたものをノイズや爆音に紛れさせてしまうのも悪くないかもしれません」
 ――もちろん、無理にとは言いません。
 ゆっくりと締め括り、リザベッタはケルベロス達をヘリオンへと促す。
 向かう先は全てが凍てつく真冬の朝。かじかむ唇で紡いだことなど、誰の耳にも届かぬだろう。記憶に残るのは音の輪郭と、美しい細氷の景色だけ。
「あなたならどんな声を誰に届けたいと願いますか――?」


参加者
ティアン・バ(誰そ伽藍・e00040)
連城・最中(隠逸花・e01567)
神宮時・あお(彼岸の白花・e04014)
レスター・ヴェルナッザ(凪ぐ銀濤・e11206)
蓮水・志苑(六出花・e14436)
薊野・鏡花(触れないで・e17695)
ニコ・モートン(イルミネイト・e46175)
ルイーゼ・トマス(迷い鬼・e58503)

■リプレイ

 吐いた息の白さの向こうに、無数の光粒が散りばめられている。
 ――誰も知らない宝箱のようだ。
 日常を忘れさせる幻想的な光景に、連城・最中(隠逸花・e01567)は瞬きを忘れて見入った。
 水蒸気と朝日が織り成す奇跡は、大気が凍える程に冷やされてこそ。その純度の高い真冬の結晶に、人の聴覚に触れぬ高周波に耳を刺されるのにも似た感覚をニコ・モートン(イルミネイト・e46175)に齎す。
 いや、ただの音の波ではない。
(「どこか感情的で……まるでヴァイネントだ」)
 脳裏に浮かんだ音楽用語に、ニコの胸中に細波が起きた。
 泣くように――美しい煌めきの奥に、悲痛の気配がある。深く考え込んでは危うい予感に、ニコは寒さに赤らんだ頬を意識的に和らげる。
「寒さでかじかむ前にしっかりと対応したいですね」
「声の郵便屋さん、でしたね」
 聞いた喩えをなぞり、薊野・鏡花(触れないで・e17695)は鋼の左手に視線を落とす。
「今まできっと、たくさんの声を受け取って、届けて来たんでしょう」
 無線機として生まれ、役割の儘に姿を変えたダモクレス。
(「……聲を、届ける……、郵便屋さん、ですか……。……それは、とても、素敵な、響き、です、ね」)
「居ました」
 斃すべき相手でありながら何処か憎めない雰囲気に、神宮時・あお(彼岸の白花・e04014)の無に等しい表情にも僅かな熱が兆しかけた時、雪原をゆく蓮水・志苑(六出花・e14436)の足が加速する。
 虹が周囲を警戒してくれているとは言え、長引かせるわけにはいかない。
(「今でも役目を全うしようとしているのでしょうが――」)
「申し訳ありません。今のあなたはとても危険なのです」
「声、届くだろうか」
 細氷に冷気の桜を青白く散らす刃を抜いた志苑の傍から、ティアン・バ(誰そ伽藍・e00040)が更に速く踏み出し、郵便鞄を斜めにかける機械人形の間合いへ飛び込む。
「届けてくれるのか」
 乞うるように、ティアンは手を伸ばす。
「何度燃やしても届いていなかった手紙の代わり――お前が」

●切に
「、ッ」
 常の茫洋とした灰の瞳に何をか希求する焦燥じみたものを宿したティアンの、命を鷲掴みにして砕かんばかりの突進に、レスター・ヴェルナッザ(凪ぐ銀濤・e11206)は黒鎖をじゃらりと撓らせた。
「生憎、おれは思いを声にするのは得意じゃないんだ」
 己を人たらしめんとする錨とも呼ぶべき少女に首をへし折られそうになった声の郵便屋が、鞄を漁っているのがレスターには見えている。
(「声――聲。まっすぐ伝えるべきだった言葉は、いつも音になる前に捩じ曲がっちまう」)
「……ま、死んでく奴に聞かせるなら。よっぽど気は楽だがな」
 今からティアンが躱す事も、二人の間にレスターが割り込む事も不可能だろう。ならばと奔らせた黒鎖は、ティアンを軸とした一帯へ守りの加護を宿した。
 直後、爆炎が湧き立つ。だが授けられた盾に守られた志苑は走りを弛めず、ティアンの束縛から逃れたダモクレスを追って、凍てた白刃に月弧の軌跡を描かせる。
 光粒より静謐な剣閃を浴び、ダモクレスの鋼の身体が傾ぐ。そこへ素の瞳で世界を捕らえた最中が、中空より鋭く舞い降りた。
(「……いま、なら」)
 先んじた志苑と最中の強襲に敵の足が完全に止まった刹那、あおも空へと跳び上がる。多くの戒めを与える事を狙いとするあおにとって、郵便屋の機動力の高さは厄介だ。が、図った機に誤りはなく。小柄な少女の可憐な爪先に、ダモクレスは錆びついたような軋み音をあげる。
「――、ニコせんぱい」
 振り返り、自身の名を呼んだルイーゼ・トマス(迷い鬼・e58503)の、長い白髪に半ば隠れた炎色の視線に、ニコは無言の頷きを返す。
 交わした意図は、役割配分。デウスエクスの眼差しの脅威に備え、自浄作用は満遍なく行き渡るに越したことはない。然してルイーゼは、髪を飾る十字にそっと左手を添わせた。
「  」
 響かせた歌声は、口伝の聖句より始まる受難曲。ルイーゼの献身がそのまま旋律になったかの如き音色が、ティアンらを癒し守り。
「大事なおまじないをかけるから、お静かに」
 一節が終わるのを待ったニコは、斜めに持った杖をくるりと回し、後ろに控える者たちを輝く音符が並ぶ五線譜で包み込む。
 交戦からまだほんの少しの時間しか経っていない。だのにケルベロス達の布陣は盤石だ。万が一にもダモクレスに勝ちの目はない。
 けれど声の郵便屋に焦る様子は微塵もなく。むしろ囲まれた事に、歓喜しているようにさえ見えた。
「……最後に、聞いてもらえますかね」
 駄目押しとばかりに跳躍し、仮初めの箒星となった鏡花は、膝をつく着地の姿勢のまま、襲撃を加えたデウスエクスの瞳を仰ぐ。
「僕達の、声を」
『コエ、ヲ――聲を、聞カセテ、クレ、る? 届ケさせテ、くれ、ル?』
 訊ねる形の鏡花の呟きに、声の郵便屋の貌が輝いた気がした。

●こえ
『未ダ、壊レて、ナイ。聲、声、こえ、コエ――』
 帽子のツバを跳ね上げ、声の郵便屋は『こえ』を求める。乞うる余り、その攻撃はがむしゃらで、定まりがない。
『こえ、聲、声、ヲっ』
「、っ」
 鞄をまさぐるダモクレスの仕草に、ルイーゼはまろぶように前へ駆けた。
 放たれた小型機のひとつを、両腕で包み込む。
 ――届かないと分かっているのなら……口にするのも、一興か。
「……わたしの、大切なあなた」
 ルイーゼが抱え込んだ内側で、小型機が爆発する。炸裂する閃光の中に、少女はひとりの人影を見た。
 大切な、人。
 恋する少女がいる人。『少女』はルイーゼではない。だけどルイーゼは、その人に恋をした。
(「あなたが笑顔でいられるのなら」)
 振り向いてはもらえまい。
(「あなたが幸福に生きられるのなら」)
 ルイーゼの一方通行だ。わかっている。それでもルイーゼは、『彼』に恋し続ける事を択んだ。
(「わたしは、己の命だって惜しくはないのです」)
 恋する少女を愛する故に彼が守るなら。ルイーゼこそは、彼を守る。
 細氷を殴りつけるような爆風に、己の持ち得た可能性を恋情のエゴに捧げる少女は攫われる。

 前衛たちの壁をすり抜け飛来する無線機が描く軌跡に、ニコの記憶は十年以上の時を遡る。
 あれはまだ、十を過ぎたばかりの頃だ。
 空には不吉な満月が煌々と、そして白々と輝いていた。
「「――ぁ」」
 過去のニコと、今のニコの声が重なりぶれる。
 あの夜、ニコは暴走していた。正気は狂気に翻弄され、理性は意識の奥底で眠りについていた。
 だが衝撃は――孤児の女の子を己の手で殺めた記憶は、ニコの脳裏にこびり付くように焼き付いた。
(「人生一度の、恋」)
 彼女の最期の姿は、聖歌隊として通っていた教会で祈っても、帰国しても消えなかった。
 むしろ日に日に強く思い出し続けている。二十歳を過ぎた今もなお。
 降ってくる爆ぜる定めの機械を、ニコは真っ直ぐに見つめ――ほんの一時、瞼を落とす。
「――ごめんなさい」
(「此れが今の、精一杯」)
 絞り出した声は、荒々しい炎の音に飲まれる。
 されど再び雪原を視界に収めた時、ニコは傷つく仲間を癒すヒーラーの貌になっていた。
 まるでそう在ることが、義務だとでもいうように。

 案ずる最中の眼差しに鏡花は一つ頷きを送り、美しい景色に不似合いな無機の塊が齎す衝撃に身を晒す。
 細かく砕けた破片が、鏡花に当たって甲高い音を立てた。
 完全な肉の器を持つならば、奏でようのない音だ。つまり鏡花が今もって唯人ならぬ証。
 カチカチと、鋏状の左手が鳴る。切る為の手は、多くの命を傷つけてきた。
 幾度となく厭い恨み、切り落とそうかとも考えた。
 叶うなら、誰も傷つけることのない手を――。
(「なんて甚だしい……僕に許されるのは」)
「ごめんなさい」
 爆風に紛れさせる一言は、誰に届けるでもない『想い』。
 あまりにも多すぎるものへの、せめてもの贖罪。

 あおの胸にあるのは、もう決して伝える事の出来ない言葉だ。
 それでも言葉を唇に乗せても良いのだろうか?
 届かない言葉を抱えた不遇の娘は、声の郵便屋の貫く視線に心の惑いを解かされる。
「……この、せなかの、はねがなければ、かぞくで、いられたの、でしょうか」
 とつり、とつり。
 剣戟の合間に、あおはか細く喉を震わせた。
「……ねえさまと、わらって。かあさまに、あまえて」
「……ととさまに、おねがい、ごとを、して」
 声を失っていた少女が紡ぐ精一杯。
「……また、ぼくが、ぼくとして、うまれる、ことが、あるのなら」
 家族を葬った罪は、永遠の咎。手は伸ばせない、赦されてはいけない。でも、でも、でも。
「こんどは、なまえを、よんで、ほしい、な……」
 最後の生き残りたる少女は、暁光差す真白の園に、夢と知りつつ夢を見て。余韻を振り切るように声に言霊を乗せ、誘う鋼の眼に風の刃を差し向ける。

 触れられそうな光は、しかし指先に遊ぶことさえなく。
 ケルベロスとダモクレスの一挙手一投足に不規則さを増し、冷たい朝に散る。
(「君は否をつきつけた――ティアンが君のものとして死なず、生きて幸福になろうとすることを」)
 幾度も幾度も声の郵便屋と切り結びながら、ティアンの裡は未だ定まらない。
 白でも黒でもない灰色の娘の裡にも、渦巻く想いはある。けれど言葉に、声にするのは存外難しいものなのだ。
 手紙を書く時でさえ、相応しいものの取捨選択に頭を悩ませるのに。声は、正しい選択をする前に勝手に出てきてしまうから。容易くは、引き結んだ唇を解けない。
(「君の言うことに、うんって言えなくてごめんね」)
(「でもティアンは君と、対等になりたいんだ」)
 どう言えば良い?
 どう伝えれば良い?
 亡き人には二度と追いつくことは出来ないけれど。その想いは――。

 突き付けられたマイクを切り捨てる間際、志苑はノイズに心を寄せる。
(「届けたかった――届かなかった声、今なら」)
 誰の耳にも届かぬと分かっている今なら、言えるかもしれない。
 過った熱に、しかし志苑は惑う。
(「此れは届けたかった声……?」)
 分からない。もし言葉にして届けたとしても、あの方は――。
(「長兄様は、よしとされないのでしょう」)
 聴こえた気がした今は亡き人の声に、志苑は長い睫毛の影を白い肌に落とす。
 だが尚も大きくなるノイズに、志苑は意を決す。だって誰にも――当然、死者にも――届かず、聴こえる事のない声だ。
「私はあの時、貴方と一緒にいきたかった」
 ――生きたかった?
 ――逝きたかった?
 孕む二重の意味は、突き詰めず。志苑は溢れ出す想いを音にする。
 一人で逝ってしまった人。生き残った志苑は未だ幼く、けれど何も出来なかった事を皆から責められているように感じていた。
「置いていかれなくなかった……」
 ――長兄様。私は、ただ。それだけだったのです。

 帽子は吹き飛び、鞄の口も壊れ、四肢は骨格を顕わにする箇所も少なくない。
 もうまともに動けない筈だ。されど対峙した時より活き活きとして見える声の郵便屋に、最中は惹かれた。
 無線機が正しく声を届けたかった相手は、もう居ないだろう。
 だが一心に『声』を求める様子に、知らず応えたくなってしまう。
 焦がれる視線が、最中の心を加速させる――いや、躊躇を忘れさせる。
「……あの時、嘘を吐いてすみませんでした」
 白く煙る声が、小さな光に変わる。
 あの日、深淵を覗く問いを躱してしまったのは、決して拒絶ではなかったのだ。
(「そう伝えなければ、拒絶と変わらないのに」)
 口を噤めば、心を隠せば。
 誰も傷付けないと思っていた。
(「思い違いしていたんです」)
 だが、寄せてもらった気持ちは、今も最中の中に暖かく残っている。この寒空にこそ美しい景色が望めるように。
 ――ごめん。
 そして、ありがとう。

 少なからず、吐露したい想いを抱える者もいるだろう。
 しかし終わらせねばならない、必ず。
「そんなに声が欲しけりゃくれてやる」
 これ以上、誰も傷付けさせまいとレスターは気勢を吐いた。
 ――否。もしかしたら、自分こそ。
 『億劫』は建前。煙草さえ、口を塞ぐ道具でしかなかったのではあるまいか。
 思いを交わす事が、身一つで目的を果たさんとする信念と相容れぬ故。或いは、血に飢えた獣が如き裡を悟られるのを怖れる故か。
(「嗚呼、おれにも……ある」)
 かの灰の少女にも、未だ吐き出せない聲。己を試す、聲。獣の、ような。
「お前が欲するのはこの怒りか」
「戦い斃し破壊する歓びか」
 迫る集音機に対し牙を剝くよう、レスターは吼えた。
「お前が突き進むだけの獣なら、また失い繰り返すだけだ」
 獣の咆哮を思わす声を、ノイズが世界から隔絶する。だからこそ、レスターは問いを解き放つ――己が裡への獣性へと。
「違うと証明してみせろ。目的へ至る為の力だと、証してみせろ」
 滾る熱じみた勢いに任せ、レスターはマイクを掴み、引き寄せ、ダモクレスの胸元へ刃を突き立てた。
 流れ込んでくる仮初めの命の奔流は、充足感をレスターへ伝えている。
「――そうか」
 満足したか、とは敢えて言わず。レスターは極限までダモクレスの生命力を吸い上げる。
 ――あの世にもっていくのは、他の聲だけでいい。
「おれのは雪の下にでも沈めてけ」
 ――死にゆくお前に届いたのなら、それで十分だ。

●出立
 それだけか、と。ダモクレスの最後の抗いさえも喰らい尽くしたレスターは、獄炎の気迫でケルベロス達に終焉の近さを知らしめる。
「凍れる白雪、散らすは命の花」
 真っ先に駆けたのは志苑だった。春連れる靴で雪を蹴り、命の花を散らす剣閃を踊るように繰り出し。軸を失い頽れかけた敵へ、あおがグラビティ光線を撃つ。
「受け止めてくれた君に感謝を」
 届け先のない言葉に価値を見出してくれた声の郵便屋へ、最中は謝辞に換えて渾身を見舞う。
「――咲き誇れ、紫電の花よ」
 志苑と入れ替わるようにしてダモクレスに刃を突き立てるまでは一瞬。右手で握った柄に左手を添えると、そこから宵闇の稲光を思わす電撃を叩き込んだ。
(「想いを連れて、細氷輝く世界へ……良い、旅を」)
 最中の密かな願いを成就させようとするかのように、鏡花も雷杖より閃光を放つ。
「さよなら、だ」
 背を覆う白い髪の間から無数に生やした角を、デウスエクス目掛けて伸ばしたルイーゼは、未だ残る言葉の余韻を振り切る。
 守る為に、帰るのだ。帰る為には、還すのだ。
「みんな、もう大丈夫だね」
 やや危うげに感じるルイーゼの事を気に留めつつも、癒すほどの傷を負う者はいないことを確認したニコは、エクトプラズムで構成された霊弾で攻勢に加わる。
『ア゛、ぁ』
 畳みかけられた声の郵便屋の肩から、鞄がずり落ちた。それを拾い上げるでなく、ダモクレスは静謐に煌めく朝の空を見上げた。
 輪郭が、砂塵の如く崩れ始めている。
 尽きるまで、あと一手。
(「死のうとした嘗て、と。生き続けた今が、これだけ違う」)
 片を付ける段になって、ティアンの言葉はようやく形に成った。
(「どんどん変わっていくティアンを、ティアンは後悔していない。でも、もし。死者の行先があるなら」)
「お前が死んだら彼に伝えてくれ」
 初めて遭遇した時と同じく、ティアンはダモクレスに手を伸ばす。ただし今度は首を鷲掴むのではなく、全身で抱き締めるように。
「――ティアンは今も、君が自分のにしようとしてくれたティアンだろうか」
 耳元へ忍ばせた囁きは、無線機が命と役目を終える崩壊の渦に飲まれて、消える。
 消失間際の鋼の貌が、笑みを象っていたのは見間違いではないはずだ。

●細氷の朝
 カメラを手にした人が折れた枝に肌を掻くといけない。
 出来た隆起に小動物が足を取られるのも可哀想だ。
 始まる一日を案じたニコと志苑が、周囲にヒールを施してゆく。その様子を遠目に眺めていたあおは、冷たさで自身の頬を涙が伝っているのに気付く。
 それはきっと、零れた想いの結晶。
 有り得ぬ日々に想いを寄せ、白花の娘はまだ見ぬ明日を静かに祈る。

「レスター、あのね」
 あれほど言葉に迷ったのに。背伸びして耳打つ謝辞は、するりとティアンの口から転げ出る。
「隣を歩いてくれて、ありがとう」
 ――伝えたい言葉が、いつか伝えられなくなる日が来ても。
 潜ませた別れの不安が現実となるかは知れぬこと。無骨な男が器用に応えを選び出せたかもまた、互いを錨とする二人しか知らぬ未来。

「薊野さんも、六片さんも。お疲れさまでした」
 傍に行く事を許されるだろうか――鏡花の不安は、眼鏡をかけ直す最中の出迎えで払拭された。
 穏やかな笑顔は、鏡花がよく知る通り。
 最中が声の郵便屋へどんな言葉を託したかは知らないが、辛いものではなかったのだろう。
 薄い硝子で隔てた世界を、最中はまっすぐに見ていた。
 その瞳は雪白の朝に消えた命の名残を終いまで見届けさせ、嘘を詫びた男から身構えぬ素直さを引き出す。
「……綺麗ですね」
 それが細氷のことなのか、それとも人知れぬ想いの純粋さのことなのか、両方を含んだものかは鏡花には分からなかったけれど。
「……連城さん。ありがとうございます」
 主語の抜けた感謝は、上がりゆく気温に消える耀きよりも曖昧なもの。
 しかし鏡花の想いは最中へ正しく伝わる――おそらく。

 細氷が輝く程に凍る朝は、やがて冬晴れの一日になる。

作者:七凪臣 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2020年1月25日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 3/キャラが大事にされていた 3
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