ファイティング・ヒート

作者:東公彦

「こいつ、おかしいって」
 ノブが言った。アキラは小突いたり蹴ったりすれば大袈裟に痛がって卑屈に笑うか、背中に恨みがましい眼を向けてくるか。典型的なイジラレキャラだ。
 それがいま、ノブが蹴ってもカンが殴っても、アキラは楽しそうに顔をほころばせて立ち上がってくる。
「おまえ、おかしいよ」
 ヒロシはごくり唾を呑んだ。
 壮絶な戦いの爪痕のこる棄てられた街は、少年達にとって格好の遊び場であった。好んで人が訪れるような場所ではないから人目を気にする必要はない。同時にそれは年頃の少年達にとって小さな不満でもあったが、勝手気ままな自由を満喫できる空間としては取るに足らない欠点であった。
 だが今、少年達は後悔していた。この街に足を踏み入れたことを。
「わかってるんだ、キミたちはボクより強い」
 アキラが言った。暗くてパッとしない置物のような存在。それが今は短いスカートで歩くティーンの少女よりも少年達の目を引いた。
「キミたちに殴られてきたボクが一番わかってるんだ」
 か細い声も覇気のない体も記憶のまま。その中で骨ばった拳だけをモザイクが覆い隠している。
「気持ち悪ぃんだよ!」
 ノブが面長の青白い顔を殴りつけた。するとアキラの拳を包むモザイクがゆっくりと姿を変えて、少年の拳そっくりに形作られた。
「ほら、見てよ。もうボクの拳だ! これはボクのだ!」
 叫びながらアキラは腕を振り上げた。


「集まってくれてありがとね。ドリームイーターが廃墟の街で少年達を襲うみたいなんだ。なり代わられたのは大庭アキラっていう少年で……もう死んでる」
 正太郎は一度言葉を切り、同意を得るような目つきでケルベロス達を見回した。
「だからみんなの仕事はドリームイーターの排除、それと可能なら少年達の保護だね。後者は比較的楽かもしれない。『アキラ』の夢は少し曖昧だけれど『強さ』なんだ。自分を力で抑圧してきた少年達に『力』を見たのかもね。だからより大きな『力や強さ』を持つケルベロスに惹かれるといって過言じゃないと思う。特に――」
 と言いかけたところで「俺のような人間に執着しているようだ」ヒエル・ホノラルム(不器用な守りの拳・e27518)が数枚の切り抜きを卓上に広げた。
 それは週刊誌の特集記事で『戦う番犬達』と銘うたれたものであった。戦っているケルベロス達の姿が、とりわけヒエルが大きく写っている。
「どうもね、戦うケルベロスの姿と戦い方なんかを載せているみたいで、アキラくんの部屋にはこの切り抜きが大事そうに貼ってあったみたいだよ。憧れ、だったみたいだね」
「憧れか……」
 ヒエルが呟いた。正太郎は頭を掻きながら続けた。
「この個体はアキラくんの感情や思念の悪い面を濃く継いでいるみたいだ。どうも、受けた攻撃を『模造』する能力があるみたいなんだよね。僕は戦いのことはわからないけど、これって厄介な能力じゃないかなぁ」
「だが、俺達のやることは一つだろう」
 指を抜いた革手袋をぐっと手に馴染ませるように引っ張って、ヒエルは踵を返した。
「そうだね。僕たちのやることは一つ、そして、やり方は無限にある」
 ひとりごちた正太郎の声を背に受けてヒエルは拳を握った。


参加者
セレスティン・ウィンディア(墓場のヘカテ・e00184)
エニーケ・スコルーク(黒馬の騎婦人・e00486)
ウォリア・トゥバーン(獄界の双焔竜・e12736)
清水・湖満(ペル竜おめでとう・e25983)
ヒエル・ホノラルム(不器用な守りの拳・e27518)
ベルベット・フロー(紅蓮嬢・e29652)
エリザベス・ナイツ(焔姫・e45135)
嵯峨野・槐(目隠し鬼・e84290)

■リプレイ

 豊かな灰色の髪のなかを白い指が流れて落ちる。幾度となくエニーケ・スコルーク(黒馬の騎婦人・e00486)は髪を梳いた。果たして被害者はどちらなのだろう? 絡まった疑問は簡単にほつれてはくれない。
 少年達の楽しげな声が聞こえてくる。それが朗らかであるほど失われた一つの命の、声にならぬ悲鳴が聞こえてくるようで沈痛に胸が重くなった。
 不意に少年達の声が小さくなり、エニーケは顔をあげた。視界のうちにとらえた『アキラ』がゆっくりと少年達に近づく……と黒い塊が一直線に飛び出した。
 黒い塊は素早くアキラの懐に入り込み、体ごとぶちかますように斧の柄で胸を突き砕いた。巨体が紙屑のようにアキラを吹き飛ばす。少年達がひきつった悲鳴をあげたが、ウォリア・トゥバーン(獄界の双焔竜・e12736)は目もくれなかった。
「さぁ、オレ/我に見せろ……」
 お前が求める『強さ』とやらを――。
 戦斧を担ぎ上げ、ウォリアは駆けだした。闘争に関わらぬ僅かな時間も惜しいといわんばかりに。
 唖然とする少年達の前には、すかさずエニーケが体を滑りこませる。
「事が終われば呼ぶのでちゃんと隠れるように。いいですか?」
 少年達はうんともすんとも言わない。もう一度、強い口調で声にしても黙ったままである。肩を掴もうと手を伸ばしたとき、ベルベット・フロー(紅蓮嬢・e29652)が横から顔を出して、少しばかり背伸びをし、少年達の額を指ではじいた。
「聞こえてる? 聞こえてるなら返事して」
 目線を合わせて一人々に噛んで聞かせるように声にする。と、少年達はようやく首を縦に振るった。
「よし!」と頷き腕を組んで、ベルベットはにこりとして告げた。
「あの子の事はアタシ達が引き受けた。でも忘れないで。心無い暴力が振るわれる限り、この悲劇は何度でも起こるって。君達はもう誰も傷つけちゃだめよ」
 鹿威しよろしく少年達が何度も頷く。彼女が背を叩くと、一斉に駆けだして瓦礫の隅に身を隠した。
「暴力を真似ちゃったか。あの子にとって求める強さはそれだったのかなぁ」ベルベットが仲間達と戦うアキラを見やってひとりごちた「強さってそんな分かりやすいものじゃないのにさ」
「ええ、複雑で……一口には言えませんわね」
 エニーケも感慨ふかげに頷いた。息を整え、二人は計ったように走りだした。


「あーっ、知ってるよ!」
 頬を紅潮させてアキラは言った。潰された体が粘土細工のように再び形を成してゆく。異様に大きく作り変えられた拳をでたらめに振り回すと、腕が鞭のように伸びて不自然にしなった。
 迫る拳をエリザベス・ナイツ(焔姫・e45135)が『白王』で打ち返した。ずるり、踵が滑る。見た目よりも遥かに重い一撃だ。
「闘技場で有名な人達だぁ。あはは、会っちゃった、会っちゃった!」
 歓声のたび鉄球のような拳が風を巻いて襲いかかる。楕円を描く腕の軌道は読みやすいが点である拳を捉えるのは難しい。とはいえ腕に刃を合わせると、拳の振り子のベクトルが変わる。背や後頭を打たれぬためにエリザベスは拳をのみに狙いを定めて剣を振るった。
「――っと、えらい興奮のしようやね」
 言葉と共に飛びずさった清水・湖満(ペル竜おめでとう・e25983)の鼻先を拳が通り過ぎた。そうやった、今日は大人しくいかんとね。
 そんな自戒の念を汲み取ったように、鮮やかな牡丹の咲く丸袖から白布が独りでに顔を出した。湖満の指が『希護』を折り、一羽の白鷺に見立てる。ふっと息を吹きかけると白鷺はぶるりと震えて数羽にわかれて空に羽ばたいた。
「なんだよぉ、邪魔なんだよぉ!」
 紙兵が飛び回りアキラの視界を遮る。振り払おうと振ったところへ、けたたましく轍をきしませながらライドキャリバー『魂現拳』と『蒐』が銃弾を浴びせかけた。抉られて飛び散った肉片が本体を求め地面で蠢く。
 ヒエル・ホノラルム(不器用な守りの拳・e27518)は瞬時に理解した。
 憧れる対象の雑誌を時を忘れて読み耽り、夢を壁に貼り付けて眠るような少年は、やはりもういないのだ。あの肉体に残っている人間らしさは生前の少年の僅かな遺志だけであろうと。
 生きているうちに……いや死んだとしてもなお、この少年に自分が教えられるものは何かないのだろうか。
 ヒエルは大地を蹴ると同時に身を沈めた。頭上を鉄球のような拳が通り過ぎてゆく。
 懐に入り込む。アキラと目があった。憧憬の眼差しに痛みを覚えつつ、ヒエルの腕が胸を打ち抜いた。
「ヒエルさん、どーして……どーして……」
 話したいことはあった。だが、拳士は拳で言葉を語る。俺の言葉は伝わったか? ヒエルは構えをとかず、少年に刺すような視線を投げた。その真っすぐな視線から少年は目を逸らした。
「憧れてたのにぃ!!」
 青白い腕が膨れ上がり、拳が角ばって戦う者のそれになる。細身ながらも洗練された鎧のような……見紛うはずがない自らの両の腕。
 雷鳴のように一瞬で拳が眼前に迫った。ヒエルは氣を纏わせた双腕で円を描き、寸前で一撃をいなす。だが拳は雹さながらに降り落ちてきた、少年の痛々しい悲鳴と共に。
「どーしてっ! なんでだよぉぉーー」
 目を閉じていれば余計に耳をつく叫びに嵯峨野・槐(目隠し鬼・e84290)は顔をしかめた。しかし耳まで塞いでしまえば自分にもアキラにも背を向けしまう気がして、槐は心を強く保つ。ガネーシャパズルのピースをぴんと弾くと、開いた穴から蝶が飛び立った。光の鱗粉を撒きながら蝶はゆらりと空を回遊する。
 新しい世界を見つけることが出来た私。今いる世界を亡くしたアキラ。しかし私達は何が違うのだろうか……。考え出せばキリなどないが考えることを止めてはいけない気がして、槐の頭にはそんな考えが居座っていた。
 懊悩する少女を横目にしながらセレスティン・ウィンディア(墓場のヘカテ・e00184)は駆けだした。光の蝶が標となって一本の道をつくる。その身に不釣り合いなほど巨大なライフルを取りまわし、横合いから銃口をアキラの心窩に突きつけた。接着面に魔方陣が浮かび上がる。
 濡れた空色の瞳が揺れて「……簡単な話じゃないのよ?」直後、雷鳴のような轟音が耳をつんざいた。雑居ビルの壁を突き破ってアキラが吹き飛ばされる。
「特別な力を持った悪者を倒す正義の存在」
 言葉にすれば単純だ、だが本質はどうだろう? 全てを救うことは出来ない。時に生木を裂かれるような痛みを伴った別離を味わうことになる。魂の薄皮を一枚ずつ剥がされてゆくような深い疼き。闇を纏うに十分すぎる心の死。
「自惚れないでちょうだい……」
 それでもなお戦える覚悟と強さをあなたは持っているの? セレスティンは目を伏せて息を吐いた。少なくとも私は、少しだけ足を止めてしまったわ。
 がらり。瓦礫と粉塵のなかアキラが立ち上がった。胸に空いた風穴を見て顔を歪めている。
「とっ、飛び道具なんてずるいじゃないか!」
 アキラが駄々をこねるように腕を振り回す。が、拳はケルベロス達に届く遥か手前で両断された。
「では模倣をなさいますか? 他人の力をマネしているだけでは成長なんてありませんわよ」
 腕を斬り払って後、エニーケは更に一歩踏み込んだ。雪空色の髪を風が包む、光剣が残像を引き連れて煌めくたび鋭くアキラを切り刻んだ。
 躍るように身を翻して拳を避け、這うように身を沈めて刃を跳ね上げる。間髪入れず手首を返して一閃、傷口を更に深く斬り裂いた。
 旋風のような刃にアキラは目を白黒とさせ、膝を抱えるように縮こまった。無抵抗な姿にエニーケの矛先が僅かながら鈍る。
 その時、ぐらり、視界が傾いた。足場の石塊が崩れて光剣が空を切った。アキラの拳が風船のように膨れ上がり、ぱんっと弾けた。『射撃』の模倣だと気づいた時には遅かった。弾丸のように射出されたモザイクが一直線にエニーケの眼前いっぱいに広がった。
 そして、熱い風が吹いた。
「――っ仲間も地球も守ってみせる、戦うお義母さんは不死身だからね!」
 胸を抉ったモザイクを抜き捨てて、ベルベットは不敵に微笑んだ。すらりと伸びた四肢を躍動させて小さく跳躍すると、腰を起点に体を回す。
「そんでもって絶対に倒れない、それがアタシの目指す強さよ」
 鋭い声が空気を裂くと、炎を纏った回し蹴りがアキラの頭を打ち据えた。がくん、アキラの膝が折れる。
「真似っこは得意なんでしょ? だったら一つ覚えておいて。強い奴ほど笑顔は優しい、だって強さは愛だもの!」
「そんなの嘘だ!」
 アキラの腹がぼこりと膨れ上がった。射撃の予兆を視止めてエリザベスは大地を蹴った。
「ベルさん!」叫びながらアキラに体当たりをしかける「嘘なんかじゃ、ない!」
 砂埃をあげてまろび転がり、突如空気が爆発した。破裂した腹から飛来した細かいモザイク片が体中に突き刺さる。強い衝撃が体に押し寄せ視界が目まぐるしく回転する。
「~~~っ!!?」
 だが寝ている暇はない。エリザベスは歯を食いしばって起き上がった。迫りくるアキラの拳を白王で打ち返す。
「っどんなに……」傷だらけでも瞳だけは炯々と光を湛えていた。
「どんな恵まれた能力や才能があってもっ。他人を傷つけるために使うだけの力は、ただの暴力だよ。本当に強い人はね、自分と他人の命や誇りを守るために力を使うの」
 その眼光にアキラは怯んだ。
 刺すような視線、哀れみの眼差し、意志の光。自分が直視できなかったものに再び体を貫かれ、棒のように固まってしまう。
 瞬間、エリザベスの足元が爆ぜた。瞬く間に煙幕が広がり、その姿を覆い隠す。すかさずヒエルは傷だらけの彼女を抱き起して飛び退いた。
「ちょっと無理しちゃったかも……」努めて笑顔を作ろうとする口元に指を立てて、ヒエルはゆっくりとその背を撫でた。経穴を通る氣の道筋を正し、正常に体内を循環させる。少しばかり時間はかかるが効果的かつ反作用なく傷を癒すことができる。
「少し経てば」と言いかけて首を振る。いや、その時にはもう終わっているかもしれない。
 煙幕の中から姿を現したものに、最初アキラは気が付かなかった。それは音もなく闇のように近づき耳元で囁いた。
「バカな子ね」
 少なくともアキラは拳を強さの象徴のように捉え、執着を持っていたはずだ。それを自分で捨ててしまえば本当の怪物になってしまうのに。
 振り向いたアキラの鼻面を拳が叩いた。肉を打つ久しい感触にセレスティンは戸惑いを覚えた。とても心地よいとは感じられない。
 と、不意に喪服を引っ張られてセレスティンはのけぞった。目と鼻の先を拳が過ぎてゆく「考えに耽っとると危ないよ」湖満は喪服の袖口から手をはなし、跳躍するとアキラの背後をとった。
「ちょっと、はしゃぎすぎやない?」
 湖満は呟いて、一歩間合いを詰めた。常ならば手に携えている刀は、いまは持ち合わせていない。急場しのぎとしてオウガメタルの形状を変化させ刃さながらに研ぎ澄ましたが、実際に斬れるかどうかは賭けのようにも思えた。
 体ごとうちだすように前へのめり、肩と肘を押し出しながら腕を抜く。刹那、一条の光が奔った痕がアキラに刻まれた。
「今日は大人しうしとこうかなーて、思っとったんやけどね」
「似合わんことはやめておけ」
 続けざま、声が暴風さながらにアキラを攫った。体当たりを仕掛けたウォリアは、翼をひらいて天を仰ぎ吼えた。
 少年達やアキラに対する戸惑い、嫌悪、同情など微塵もなかった。だが粗野であっても仲間を邪魔するほど粗忽ではなかった。もはや言葉は尽くした。ならば、ここまで抑えてきた戦いの業火を存分に燃え上がらせるだけである。
「来たれ星の思念、我が意、異界より呼び寄せられし竜の影法師よ」
 紅蓮と蒼炎がウォリアの体から噴きだし、交わって地面を這いまわる。四方に散った炎がそれぞれ火柱をあげて空を焼く。灼熱の熱波が心地よく肌を焦がした。
「神魔霊獣、聖邪主眷!!!総て纏めて――いざ尽く絶滅するが好いッ!!」
 咆哮が火柱を噴き消した。最初、それは熱が生みだした蜃気楼に思われた。しかし火柱の中には異種異形の武具に身を纏った双焔竜が――ウォリアが立っていた。
「ゆくぞ」
 一つの言葉を皮切りに全てが動き出した。唸りくる太刀を転げるようにかわすも、槍の穂に背を打たれアキラは膝をついた。直後、振りかぶられた大槌が炸裂し、強烈な衝撃が体を襲った。
 咄嗟、反撃しようとしたアキラの腕が動いたが、遅いと言わんばかり火矢が掌を貫く。地面に体を縫い付けられてアキラはあがく。太陽を背にしてウォリアは大斧を掲げた。
「力を渇望するオマエの夢の残滓、その意味を、我が焔にくべよう!」
 双焔竜の顔が炎に包まれる。炎は諸手から戦斧へと禍々しく絡みついた。ずぶり、肉を斬るあっけない感触が伝わった。
「ああぁっ!!?」
 灼ける痛みに悲鳴をあげながら、アキラは半身を犠牲にして背を向けた。強いてウォリアは追わなかった。もう戦いは終わった、背を向ける類の弱者には興味の一欠けらすらわかない。
 アキラは懸命に足を動かした。限界を迎えようとしている肉体が崩れ出して砂のように落ちてゆく。追ってくる足音に振り向き、瞳が恐怖の色に染まる。
 そこにはヒエルがいた。憧れの人が自分を殺しにくる。アキラは怪異の力を手にしてなお恐ろしかった。
 アキラは闇雲に拳を突きだした。拳はヒエルが僅かに体を逸らすだけで空をきる。最後の瞬間を直視する恐怖に耐えきれずまぶたを閉じた。
 だが突然にアキラの拳は暖かな感触に包まれた。うっすらと目をあけるとヒエルが真剣な顔でアキラの拳をほどいていた。
「その握り方では拳を壊す。それと力を出すならば体全体をつかうことだ」
 丹田と腰回りを視線で示してヒエルはそっと手を放した。梢が春風に揺れたような穏やかな微笑をうかべて。
 アキラは自分の拳をまじまじと見つめて、ヒエルの瞳を正面から見返すと、手放しの笑顔をこぼした。そしてゆっくりと灰のようになって消えていった。
 その大輪の笑顔がベルベットの胸に灯をともした。孤児院の子供達が見せるあの純真さ、きっと誰もがそれを失わず心の片隅に秘めているのだろう。ベルベットの想いに同意するように『ビースト』が溌剌と鳴いた。
「それを忘れない限り、あなたはどこでだって絶対に強くなれる」
 強い奴ほど笑顔は優しい。だって強さは――。


「きっと、本当に辛かったよね」
 エリザベスはひとりごちた。冬の風がそっけなく言葉と灰を運んでいく。
 アキラの命は救えなかった、けれどアキラを救うことは出来た。都合のよい感傷であってもエリザベスはそう信じた。
「せめて、同じような犠牲者が二度と生み出されないように」
 灰の前に祈るエリザベス、そこへ槐がやってきて膝を折ると両手で灰をすくいあげた。声をかけるの躊躇われて、エリザベスは黙りこんだ。
 槐は何も言わず、ゆっくりと瞳を開いた。手中のアキラであったものが指の隙間からこぼれて散ってゆく。
 力に縋らなければ自分を保てなかった。それは愚かなことだろうか。
 槐は思った。私もアキラも境遇や願いは変わらない。定命ゆえに彼は死に、不死を捨てて私は生きている。モザイクが異形ならば混沌を通してしか世界を『視る』ことが出来ない私もまた異形だろう。少し歯車が狂えばこの灰は私だったかもしれない。
「私は……」と言いかけたところでセレスティンが少女の唇に指を立てた。
「生命の喪失は悲劇であっても、無意味ではなかったはずよ。あなたにとっても、あの子にとってもね。死が生みだした価値が……きっとあるわ」
 槐はぐっと唇を結んだ。弱い言葉が漏れぬように。
 もしもアキラがその意味を理解していたならば。いつか、そちらで会った時には語り合おう。私があなたの悲しみに涙を流すから、あなたには私の話で笑ってほしい。
 槐はゆっくりと瞳を閉じて一人の少年の魂に別れを告げた。


「アキラ、死んだのかよ」
「嘘だろ。ジョーダンだって」
 少年達は真っ青な顔に少しでも現実感を取り戻そうと薄い笑みを浮かべていた。瞬間、凍るような怒りが押し寄せてきてエニーケは拳を握った。そのまま――ゆっくりと指の力をぬいた。
「違うよ。これはほんとの事なんだ。俺達が、俺達がさ……」
 ヒロシが唇を震わせた。少年達の顔から血の気が失せた。少し酷だろうかとも思ったが、エニーケは出来るかぎり優しく少年達に言葉を投げた。
「力の使い方を誤ったこと、あなた方の犯した過ちを決して忘れませんように」
 うなだれた少年達の背を眺めながら、湖満はゆったり声を出した。
「私ね。あの子らがぐちぐち言うようなら、ちょっと泣かせるくらいしよかなって思ってたんよ」
「……実は私もです」エニーケが気恥ずかしげに頬をかいた。
「ですが、今はそうならなくて良かったと思っていますわ」
「そーね。どんな最悪な奴でも命は平等、助けない義理はあらへん。あの子らはまだ小さいし、これからやろ」
 あけすけな湖満の言い様には好感がもてて、エニーケは素直に頷いた。
「禍福は糾える縄の如し。彼らには引き返すことが出来なかったアキラの分まで正しく力を使って欲しいものだ」
 ヒエルが誰ともなし呟く。湖満は目を閉じて手を合わせた。
 そうね、それが一番の供養かもしれへんね。……今は安らかに、おやすみ。

作者:東公彦 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2020年1月30日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 4/感動した 3/素敵だった 1/キャラが大事にされていた 0
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