エインヘリアルの獣

作者:東公彦

 廃ビルの窓にはテナントが撤退した後も企業の名残が残っていた。夜逃げ同然で立ち去ったのだろうか、部屋の隅には運び出す価値と手間を計りにかけて敗れた物達が肩を寄せ合わせていた。
 多額の費用をかけても解体を意気込む変わり者がいない限り、都市のなかで忘れ去られた廃ビルはゆっくりと死んでゆく。だがこの廃ビルのワンフロアは違った。住人がいるからだ。不法に占拠しているとはいえ二人の住民が、いた。
 いまそのうちの一人は床に肢体を投げて光のない瞳を天井に投げていた。得体の知れない獣の腹の下で散々玩具にされた女は、連れ込まれたこの場所がどこかも知らないうちに、命を失った。
 糞尿や吐瀉物がお構いなしに撒き散らされた部屋のなかを獣はさ歩いた。腹も減っていたし、新しい玩具が欲しかった。不意にその瞳が床に横たわる白い肌をとらえる。途端、獣の食指が動いた。こうなると、この『女だったもの』が排泄されるのは時間の問題だろう。
「げはっ――きひひひ……」
 獣は食事を終えると廃ビルの窓を突き破って街へ飛び出した。その欲望が満たされるまで人間を嬲り続けるために。


「アスガルドで虜囚の身とされていた罪人エインヘリアルが地球に解き放たれたみたいなんだ。どうも廃ビルを根城にしているみたいで……あまり思い出したくないけど、中は酷い様子だったよ。少なくとも知性があるようには見えなかったかな」
 顔を真っ青にして正太郎が言った。そのまま、足の震えを隠すかのように、ヘリオンの搭乗口に腰をかけた。
「この個体を放置した時のことは……考えたくないね。皆にはヘリオンでの廃ビル突入か、個体が現れる街での待機、どちらかを選んでほしいんだ。それによって僕も気を引き締めないといけないからね」
 あくまで廃ビルへの接近だが、戦闘に慣れていないヘリオライダーからすれば命懸けの行為なのかもしれない。彼は落ち着かない様子で煙草を噛んだ。
「この個体は武器を持たない――ううん、今まで使う必要がなかったのかもしれないね。巨躯から繰り出される攻撃はそれだけで強力そうだよ。強いていうならバトルオーラに近いのかな、闘気のようなもので肉体を強化している可能性は十分にあるよ」
 あくまで推測ではあるが。思いつつ、今度は戦闘予定地の図面を取り出す。
「廃ビルが建っているのは大通りから一本道を折れた裏通りだね、廃ビルの中で戦う場合は少し窮屈かもしれない。とはいえ大通りで戦う時には避難が必要だし……いや仮に廃ビルの中で戦っても戦いの最中に移動する可能性は十分にあるし。まぁ、そこは対デウスエクスのエキスパート、ケルベロスとしての慧眼に期待するよ」
 ちょっとズルイ言い方かな。正太郎の強張った顔に、ようやく笑顔がのぞいた。
「そういえば個体は『獣』と呼ばれているみたいだよ。ケルベロスは地獄の番犬なわけで……獣を倒すには獣ってことかな」
 正体不明の苦笑を浮かべ、正太郎はヘリオンに乗り込んだ。


参加者
神崎・晟(熱烈峻厳・e02896)
玉榮・陣内(双頭の豹・e05753)
御手塚・秋子(夏白菊・e33779)
人首・ツグミ(絶対正義・e37943)
牙国・蒼志(蒼穹の龍・e44940)
狼炎・ジグ(恨み貪る者・e83604)
柄倉・清春(大菩薩峠・e85251)

■リプレイ

 正午過ぎに空を泳いでいた雨雲は、やがて厚い鉛のカーテンになって空にたれこめていた。パラパラと細かな水滴が額を打つ。と、廃ビルの窓に獣の姿を見止め、神崎・晟(熱烈峻厳・e02896)は弾丸のように飛び出した。
 ビルの外壁を薄い被膜同然に突き破り、獣の首を掴む。雨に打たれても心は気炎万丈燃えさかっていた。
「私の言葉はこの四肢にのせるとしよう!」
 晟は獣の首を引き寄せて、体の正中に蹴りを叩きこんだ。水を含んだ半長靴の重い手応えに獣が後ずさる。その隙にケルベロス達は次々と廃ビルの大穴を通り抜けた。
 鼻に突き刺さる異臭に狼炎・ジグ(恨み貪る者・e83604)は足をとめた「酷ぇ臭いだ。血と内臓と糞尿の臭い……昔を思い出す、反吐がでるぜ!」
 脳裏に悪夢のような現実が甦り、右腕から地獄の炎が噴き出した。
 牙国・蒼志(蒼穹の龍・e44940)は諸刃の剣を両手に下げて腰だめに構えながら「なるほど、鼻にさわる嫌な臭いだ。だが、気にする必要も余裕もなさそうだな」刺すような眼差しで獣を見た。

「ククク、潰れろよカスが!」
 柄倉・清春(大菩薩峠・e85251)は唇を舐めて、未だ状況を理解できていない獣へとバールを振り下ろした。熟した果実を潰すような手応えを期待して……強烈な痺れだけが腕に伝わる。獣が首を傾げた次の瞬間、清春は宙に舞った。土管のような太腕に吹き飛ばされながら「ぶっ殺す……」うわ言じみたうめき声がした。
「頑丈だな」
「そうみたいですねーぇ」
 玉榮・陣内(双頭の豹・e05753)が誰をして頑丈と言わしめたかは判然としなかったが、人首・ツグミ(絶対正義・e37943)は頷いた。
「じゃ、私はここで。いってらっしゃ~い」並走していた御手塚・秋子(夏白菊・e33779)は中距離に獣をおさめ、おもむろに掌を中空に振りあげた。
 突如として空間に出現した赤尖の剣が獣の足を地面に縫い付ける。正直なところ近寄りたい相手ではない。臭くてスケベなデカブツ、秋子にとって生理的に受け付けない相手である。しかし遠慮や配慮いっさいなく心の底から楽しんで叩き潰せるという点だけは気に入ってもいた。
 こんなの想定した訓練してもらってないし。ふふふふ、そこだけは期待だね。
 秋子は自分の血が騒ぐのをどこか他人事のように感じていた。
 一方後方ではレフィナード・ルナティーク(黒翼・e39365)が額に手をやって首を振っていた。早速仕事が舞い込んできた、おそらくはこれから更に忙しくなるだろう。レフィナードは素早く視線を這わせて、仲間や敵の位置を把握した。これから誰が傷つき、敵がどう動くか、少しも見逃さぬように。
 獣はより強き獣に殺されるが自然の摂理。しかしヒトは知恵を持ち獣を制する術を身につけた……さて、狩りを始めましょうか。
 獣の溢れる戦場で彼は唯一叡智を武器とした狩人であったかもしれない。


 んー、二の舞は御免ですねーぇ。身を沈めて巨腕をやりすごすとツグミは跳躍した。背後から駆けてくる陣内と息を合わせて同時に獣を蹴り飛ばす。
 軍靴が首元を打ち、陣内の靴底が下腹部に突き立つ。だが攻撃はそれぞれの脚に等しく痛みを返して、獣の肉体がいかに堅固であるか改めて知らしめただけであった。
 何故か脳裏に浮かんだ白い華が散る不可思議な心象。獣は不可解な嫌悪を感じて体を回転させた。遅れて腕が風をきる。
 飛び退いて陣内は顔をしかめた。鼻が利く彼にとって獣の体臭は暴力的である。馴染ませてきたグッチ・プールオムの匂いも強烈な悪臭の前では用をなさなかった。
 しかし……獣だって? こんなのと一緒にしないでもらいたいね。
 ひとりごちて後退する陣内と入れ代わるようにして今度はジグが飛び込んだ。
「てかまじでくせぇな! このゴミ犬野郎はよっ」
 跳ねあげた爪先が獣の顎先を強かに打ちつける。ギョロリ。獣が目を剥いた。
「っと――」おぞましい気配に体を捻ると、轟っと音を立てて脚が通り過ぎた。ジグは軽業師のように再び跳躍して獣の眉間を右腕で殴りつけた。
「おらぁ!」
 すかさず『猫』の光輪が獣の目に炸裂した。獣が大声で喚きだす。
 そこへ一つの影が躍り出た。
「思った以上に硬い、か。だが、斬れぬほどではない!」
 獣の胸から鮮血が散った。傷は浅いが、蒼志の一太刀は初めて獣に傷らしい傷をつくったといえる。
 突如として現れた生物達に戸惑いを覚えていた獣は、ここにおいてようやく理解した。このちっぽけな連中はジャレついているのではない、戦いに来たのだと。
 獣は吼えた。耳をつんざく声に廃ビルが泣き震える。そして次の瞬間、獣の姿が消えた。
「な――」
 後頭と脇腹に鈍痛を感じながらツグミは咄嗟に首を背けた。獣の口がモルタルの床を噛み砕いた。殺気を含んだ鈍色の瞳と目があう。ツグミは怯えて双眸に涙を湛える――ような女ではなかった。
「く……クハハハッ! 獣狩りはこうでなくちゃですねーぇ!」
 ツグミは嗤った。楽しげに、狂ったように。背に力を込めて弾みをつけると、胸の裂傷めがけで抉るように膝を突きだした。
「人首君!」
 巨体を躍動させながら晟は身の丈ほどもある剛鎚を振りかぶった。獣は歯を剥きだしにして剛鎚に拳をぶつけた。
 知恵も技術も関係のない力の衝突に、互いの体が弾かれて大きく仰け反る。だが軍配は数に勝る番犬たちにあがった。
「そっちも本気ならこっちだって!」「潰れろやっ!」
 体勢を崩した獣に秋子の拳と清春のバールを受け止めることは出来なかった。
 レフィナードは戦場の隅々に銀鎖を這わせながら、氷のような眼差しで鞠のように転がってゆく獣を凝視めた。
「これからが本番のようですね」
 その言葉を誰もが本能的に理解した。


「Come on!Let's get down,passionately!」
 吐き捨てて秋子は後方に跳躍した。避けたつもりだったが鈍い痛みがあった。どうも完全に避けきれたわけではないらしい。だが目測が狂った獣の横合いから晟が突っ込んだ。
「おおお!!」
 蒼竜は雄叫び、踏み込んだ一歩に全重心をかけるようにしてひじ打ちを叩きつけた。獣は声にならぬ悲鳴をあげ、晟の後頭に拳を打ち込む。巌のような拳が頭を割る。鮮血がとめどなく溢れ、膝が折れかかる。だが切れかかった意識の糸を晟は力づく繋ぎ止めた。
 獣が腰をおとし殴りかかった。晟は逃げず、むしろ向かっていって腕を担ぐようにして獣の腰を払った。
「ふんっ!」
 慣性を殺さず渾身の力で持ち上げる。ふわり。獣の巨体が宙に浮いた。
 見本のような背負い投げに巨体が放物線を描いて落ちる様は一種爽快ですらあった。ズズン! 床材が悲鳴をあげた。間髪おかず晟は翼をはためかせて中空に飛びあがった。
 途端、獣を中心として爆風と熱波が吹き荒れた。
「地獄の釜に放り込んであげるよ。Beast scum(獣の糞野郎)!」
 秋子に容赦はなかった。味方も敵も気にかけることなどしない。沸騰した衝動が頭を支配し、怡楽が押し寄せて情理を塵にする。顔を伝う血を愉快そうに舐めとって、秘める狂気の顔、精神そのものを叩きつけるように、何度も何度も爆炎を顕現させた。その燃える赤銅が晟の蒼い瞳を淡い紫に染めた。
「御手塚君は大火力をお求めらしい。ラグナル、私達はどうする?」
 鳴き声ではなく胸一杯に吸い込んだ息によって『ラグナル』は問いの答えとした。
「ではゆくぞ!」
 双竜が吐きだした『旋焔』は熱波だけで空気を歪ませた。触れれば全てを灰塵に戻す蒼い炎は生き物のようにのたうちまわってフロアの中を蹂躙する。喉を焼かれながらも秋子は叫び、心のまま足を踏み鳴らした。
「hooo! Piu piu!Giochiamo di piu insieme(もっと一緒に遊ぼうよ)!」
 地獄の釜の縁で踊るように、秋子は身をはずませた。渦を巻く蒼炎のなかへ真紅の剣が突き刺さる。髪を振り乱して血の匂いに悶える様は、まるで魔人であった。
「あー! あーーー!!」
 灼けつく痛みに体中を突き刺された獣は、わけもわからず駄々をこねるように滅茶苦茶になって両手を叩きつけた。盲目的に暴れ回る獣に近づくのは自殺行為と思われた。だがジグは怯むことなく突撃し、蒼炎と黒煙にまかれる獣ごと骸音【死神熱破】で挽き裂いた。
「結構痛えぞ? 耐えてみな。耐えられるもんならなぁ!」
 鋸刃が肉を噛み千切り肉片を散らす。エインヘリアルへの復讐心が腹の底から噴きあがり喉に至って哄笑を鳴らした。鮮血を糧として骸音は燃え上がり、獄炎が肉を焼く嫌な臭いが鼻孔をついた。
「んんん~がァァァァ!」
 獣が咆える。振り回した拳は虚しく空を切り、血肉が骸音の餌食となって散った。だが飛び散った血が偶然にジグの目に飛び込んだ。
「――っ!?」
 目を閉じた一瞬、無防備な獣の拳が襲いかかった。
 だが、想像していた痛みは一向に訪れない。血を拭って目を開くと、ジグの目の前で晟が膝をついていた。次の瞬間、獣が晟の胸を蹴り飛ばした。
「ぐぁ……」一瞬だけ小さな声を漏らし、力なく壁に倒れ込む。ごぽりと血の塊が流れ出た。臓器がイカれたらしいな、ひどく冷静にそんなことを考えた。
「てめぇ!」
 ジグは怒りに任せて獣の脚を切り裂いた。「手伝おう!」片脚を引きずりながらも、蒼志は驚くほどの速さで獣に肉薄した。その姿は餓狼さながら、牙は上下に繋げた長大な両刃剣か。
「おおっ!」
 餓狼が唸り声をあげた。体を大きく回しながら獣の足元を薙ぎ払うと、回転の力を削ぐことなく、今度は背の後ろから背負い下ろす形で唐竹に一閃させた。
 踏ん張る度にあらぬ方向へ折れた脚から、全身に鋭い痛みが広がった。だが蒼志は瞳の光を強くした。居合の要領で腰だめに刃を振るう。獣の拳を銀色の光が切り裂いた。
 余計な小細工など必要ない、私が使えるものはこの肉体と剣のみ。であればこの刃にのみ全ての力を載せて――、
「断ち切らせてもらう!」
 両刃剣を再び双刀に戻し蒼志は獣を十文字に斬り捨てた。

「まったく、無茶をする……」レフィナードは詰とした調子で言いながら、胸に手を添えた。晟が小さくうめいた。
「これが私の役割だろう?」
「だからこそ、あなたに倒れられては困りますよ」
 冷たい言いざまだが多分に真実が含まれていた。後のことを考えれば、ここで彼を失うわけにはいかない。冷酷と揶揄されようがレフィナードは自分の成すことに迷いはなかった。
「大丈夫か?」
 不意に声が落ちてきて晟は首を巡らせた。そこには陣内が立っていた。
「聞くまでもないだろう、陣内君」
 無理して笑ってみせた。すると陣内は黙って立ち去った。言葉のいらぬ関係というものをレフィナードは少しばかり羨ましく思った。
「今は休むことです。あなたにはまだ働いてもらわねばならないのですから」
「わかった」晟は目をつむった。不意に「にゃぅ~」と猫が懇願するような声をあげた。助けてあげてと頼まれたような気がしてレフィナードは頭を撫でつつ請け負った。
 犠牲は出しません。絶対にね。
 そしてガネーシャパズルを諸手で包みこんだ。暖められた蛹から孵化するように、パズルの中から数羽の蝶が羽ばたいた。光の後塵を散らしながら蝶は傷口に吸い込まれては消えてゆく。荒く上下していた胸が落ち着きを取り戻しすとレフィナードはふっと息を吐いた。


 獣は許せなかった。己に疵をつけたちっぽけな生き物を。本能のままどこまでも執拗に攻撃を重ねる様は、虫に噛まれたことに激昂する子供さながら幼稚であった。それは獣に生まれた自尊心のなせる行動であったのかもしれない。
 ジグと蒼志は適度に間合いを保ちつつ、その攻撃をどうにかいなした。そんななか突如として獣の首が跳ね上がった。それは獣の矮小な自尊心を刺激するに十分な攻撃であった。
 血走った眼が陣内に注がれる。すると彼はひとさし指をくいと折った。その仕草一つに獣は堪えきれぬ怒りを覚えた。
「ぎ。いい。ぎが。あああ!」
 獣は口から泡を吐きながら陣内を蹴り飛ばした。血を吐く彼になお追いすがり、体をのせて肩口を噛みちぎる。
 ブツリ。陣内の頭の裏側で嫌な音が響いた。悪寒が背をのぼり総毛立つ。痛みに眉をひそめ、鉄錆の苦渋が口内を満たす。だが陣内は、悲劇と共に持ち主を変えてゆく妖しい宝石のような蠱惑的な眼差しで獣を見据えた。
「もう我慢できないのか。歯をたてるには早すぎるだろ?」
 誘うように呟いた。腕に潜ませていたブラックスライム『ディオニューソスの獣』を鋭く変形させ、恋人をいざなうように獣の頭を抱き、槍の切っ先を毛むくじゃらの胸に突き刺した。
「おおおおおお」
 獣が慟哭する。肉を食むことすら忘れ胸を掻きむしるように抱いて暴れ回った。ケルベロスがひたすらに重ねてきた攻撃が、この時遂に獣の表皮を抜けて内部に達した。理解できぬ未知の痛みが獣を苛み続ける。
「なあ、猛獣はどっちだと思う?」
 陣内は朦朧とした意識のなか、戦いを忘れて誰ともなしに問いかけていた。本能を抑えられず荒れ狂う『獣』と、情動をひた隠しにして命を攫う『豹』。どちらが悪辣で、どちらが欲深いだろうかと。
 獣の耳にはそんな声は届かなかった。頭から溢れかえるようであった怒りも、もはや萎縮してしつつある。
「もぉ、終わりみたいですねーぇ」
 ツグミは容赦なく右腕を突きだした。悪を殺す、それだけが彼女の使命であり。自らの正義の他に何も必要としなかった。獣が仮にもっと人間らしい姿であってもデウスエクスは存在自体が悪である。少なくともツグミの頭はそう規定しており、改訂の余地は微塵もなかった。
 獣が本能的に振り上げた腕にツグミの右腕が突き立った。収縮した筋肉に指先が抜けない。咄嗟、ツグミは手甲として装着していた『TYPE : L』を外して上体を逸らした。だが間に合わない。獣の拳が彼女の頭を潰した。
「ククク、頭のネジが何本か飛んでるんじゃねぇの?」
 かに見えたが、実際に獣が潰したのはツグミを庇った清春の腕であった。
「美人でイカれてるなんて最高じゃねえか」
 痛みを堪え、額から脂汗を流しつつ、なお清春は笑みをつくった。無造作にバールを振るい、獣の腕に突き立つ手甲を打ち込んだ。
 金属が強打され、獣が泣き声をあげた。がむしゃらに清春を殴りつける。骨が砕ける音を耳にしながら、清春は愉悦を感じていた。
 自分と同じ狂った存在。なまじ理性や常識がある分、狂気のふり幅が大きくなってしまった化け物。清春にとって獣など、もはやどうでもよかった。ただし腕の落とし前だけはつけてもらう。
 壊れた機械のようにただただ手甲を殴り続ける。一撃々の重みが徐々に手甲を沈めるたび、筋肉の千切れる音が生々しく響いた。
「すり潰してぶん殴って締めあげてよぉ。楽しくてたまんねぇよ、なぁ?」
 清春は隻腕でバールを振るい、獣を滅多打ちに打ち据えた。悲鳴が彼を力強く鼓舞し、痛みを遠のかせる。そして幾度目かのバールが降り落ちた時、毛に覆われた丸太のような腕が地面に落ちた。心地いい悲鳴を味わいながら、清春は拾い上げたTYPE : Lをツグミに投げた。
「あらぁ、困りましたねーぇ。これ自分の大事なものなんですよーぉ」
 長靴を鳴らしてツグミは挑むように清春を見上げた。「柄倉さん、でしたっけ。お名前、覚えておきますよーぉ」
 ツグミは死の宣告に等しい言葉を放った。理性で悪事を行なう純然な悪たる清春は嬉しそうに相貌を歪めた。

 獣は二人に背を向けて密かに這いだした。逃げ出そうと壁に手をかけたところまで来て……しかし体は一歩も動かない。
「あー、あー!」
 もがくたびに銀鎖は体に絡みつく「逃げられんよ」落ち着いた声が言った。二の腕に巌のような力瘤を隆起させ、晟は銀鎖を引いた。足元に血だまりを作りながらも、手抜かりなく鎖を手繰る。ずるり、少しずつ獣は引き戻された。死という名の檻のなかへと。
「ええ、その通り。逃げられると思っているのですか?」
 微笑をたたえたレフィナードの声に感情の色は窺えなかった。床に投げ出された女の死体。虚空を恨めしそうに見つめるその瞳を閉ざしてやり、地獄の炎で死体を包んだ。
「無念でしたでしょう?」女に語り掛けた。
「あなたの命を取り戻すことは出来ませんが……せめて獣を墓標に捧げることを誓います」
 レフィナードはその場にいる全ての者に宣告した。
「愉しかったぞ」
 呟いて、蒼志も両刃剣の血を払った。
 言葉の意味を獣だけが理解できなかった。跪き、爪を床に突きたてて銀鎖に抗う。その姿は処刑台に曳かれる罪人を連想させた。そして処刑台には必ず処刑人が存在する。
「欲と本能だけに任せて全てを捨てた獣は最早生物とすら言わねぇ」
 自らの怨念をグラビティに投影させ具現化した怪物達を引きつれて、異形の隻腕をもつ処刑人は獣の前に立った。燃える眼差しが四つん這いの獣を見下ろした。
「獣を殺せるのが獣だけって言うなら……怪物を葬れるのもまた怪物だけだろ?」
 ジグは逆手に親指を突きだして首を掻き切るように引いた。怪物達は獣に一斉に飛び掛かった。生きながらにして身を食われる断末魔の叫喚が廃ビルの中に長く長く続いた。
 やがて、それも聞こえなくなった。

作者:東公彦 重傷:神崎・晟(熱烈峻厳・e02896) 牙国・蒼志(蒼穹の龍・e44940) 柄倉・清春(ポインセチアの夜に祝福を・e85251) 
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2020年1月17日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 8/感動した 0/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 0
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