百万一身

作者:東公彦

 一体何がいけなかったというのか。荒れ果てた体に酒の川を流し込んだまでは良かった。しかし如何せん、川の流れに意識をとられて自我喪失の洞穴にまで運ばれてしまったのは浅慮だったか。目が覚めた時には見覚えのない天井を眺めるはめになり、あろうことか腕輪に鎖つきで自由に身動きがとれない。
「くふ、くふふふ」
 伏見・万(万獣の檻・e02075)は顔をしかめた。耳元で何度となく聞こえるその笑い声には深海で纏まりつく不快感があった。女の指が剥きだしになった万の腹を骨や筋肉に沿ってなぞった。笑い声が強くなる。
「言ったって無駄だろうがよ。こいつを解いてくれねぇか?」
「ここにイツ様が……」
 耳に届きすらしなかった。頬ずりする女の肌は血の通わないように冷たい、人間に見えて人間でないことは一目瞭然であった。
 ブツブツと独り言を続けながら女は手にメスを取った。ざわり、首筋がうすら寒くなる。
 おいおい、ざけんじゃねェぞ。
 切り開かれる自分の腹から目を逸らし、万は心中でひとりごちた。傷だらけの体を見ればわかるが、彼は体を切り貼りされることに慣れてはいる。痛みも耐えうるだろう。だが、
「っ―――!!?」
 体に異物が入ってくるおぞましい不快感だけは拭えなかった。女は無遠慮に手を掻きまわした。白い肌が血に染まり、頬に朱がさした。
「っそ野郎……」
「イツ様を救い出したら。くふふ、できるだけ苦しませて壊してあげる」
 喉にせりあがってきた胃液と嗚咽を呑みこみ、万は密かに爪先を背に回した。足の指でナイフを挟みながら女を盗み見る。気づいてはいない。だが機会が訪れていない。
 なにか、なにか少しでも女の注意を引くことが出来れば……。
 万は獣のような眼光で虚空を睨み付けた。


「マズイよ、マズイよ」
 太鼓のような腹を揺らして、正太郎は言った。血色の悪い顔をフランケンシュタインのように強張らせ、革靴で神経質に地面を叩いた。
「伏見万さんがデウスエクスに捕まったみたいなんだ。予知で場所はわかってるんだけど……問題は敵の根城に招かれる形になることだね。罠があるかもしれないし、十分注意しなきゃいけないよ」
 言いつつ、卓上に広げられた図面を指さした。
「万さんが捕まっているのは廃工場だよ。閉鎖されてから人の立ち入りはないみたいなんだ。けど予知の光景はとても工場とは思えない、もっと狭い場所だったんだよね。ってことで調べたら」
 正太郎は新しい図面をバシンと卓上に叩きつけた。
「ほらここ、地下室があるみたいなんだ。予知の室内は天上が低かったから、まず万さんが囚われているのは間違いないと思う」
 確信を以て告げてから、顎に手をやった。
「ここじゃあ広さはあるけれど、高さはないから飛行は無理だね。飛び跳ねたりも難しいかもしれないなぁ。万さんを救出したら階上の広い空間に引きずり出すのもありかもね。百々の攻撃は基本的に彼女の周囲を漂っている靄だよ。どうも肉体をつかった戦闘には慣れていないみたいだね、まぁ、近づくだけで一苦労かもしれないけれど覚えておくといいかもしれない」
 早口で説明をして顧みる。彼がひどく慌てふためいているお蔭で、ケルベロス達は幾らか冷静さを取り戻した。
「さっ、乗って。僕らの成すべきことをしに行こう!」
 ケルベロス達が乗り込むと、ヘリオンは唸りをあげて重く垂れこめた鉛の空を切り裂くようにプロペラを回した。


参加者
セレスティン・ウィンディア(墓場のヘカテ・e00184)
伏見・万(万獣の檻・e02075)
レヴィン・ペイルライダー(秘宝を求めて・e25278)
田津原・マリア(ドクターよ真摯を抱け・e40514)
グラハ・ラジャシック(我濁濫悪・e50382)
村崎・優(黄昏色の妖刀使い・e61387)
ブレア・ルナメール(軍師見習い・e67443)

■リプレイ

「俺の腹を探ったってなぁ……」
 含みありげな伏見・万(万獣の檻・e02075)の声に百々は腕を引き抜いた。噛み殺した声がもれて、万が薄く笑う。
「ゲロぐれェしか出てこねェっつの」
 黙ってメスを手にとる。腹でないなら胸が頭か、考えて振り下ろそうとしたその時、地下室に通じる唯一の扉が弾け飛んだ。
 赤錆びた鉄扉が壁にぶつかって空しく音をたてる。同時に躍りこんできた幾つかの影を百々は見逃さなかった。
 ぱきん。小さな音が耳元で鳴った。それが手枷を外した音だと気づいた瞬間、百々は飛びずさった。一寸遅れて掌が黒衣を掴めず空をきる。
「どうした、さっきみてェにすり寄って来ねェのかよ」
 カッと頭に血が昇った。形成された靄の腕が万に襲いかかる。人の体ほどもある巨大な拳だ。だが万はゆっくりと身構えた。呼応して風のように舞い込んだレフィナード・ルナティーク(黒翼・e39365)も半身で構える。
「酔い覚まし、には少々過激すぎるでしょう。手伝いますよ万殿」
「けっ、勝手にしやがれ。いくぜェ!」
 迫る靄の下に身を沈めたかと思うと、二人はバネのように脚を跳ね上げた。
「なっ――」
 天井に弾かれて突き立った靄を見て、百々は言葉を失った。ぱらぱらと粉塵が落ちてくる。だが呆けている暇はなかった。紫炎を揺らす影は跳躍するやすぐさま天井を蹴って急降下する。
「くぅだぁけろおおっ!」
 地下室に叫び声が反響した。猛禽じみた動きで村崎・優(黄昏色の妖刀使い・e61387)は二刀を振り下ろした。どうにか上体をのけぞらせるも、切っ先は黒衣を切り裂く。稲妻のような光が明滅して百々の姿を浮かび上がらせた。
「貴様の好きにさせるものか」
 裸電球の仄かな灯のなかで視線がぶつかり合う。おもむろに噴出した赤い靄を、優が飛び退きながら斬り捨てた。と、カッと眩いばかりの光が地下室に満ちた。


 地下室に入るや駆けだした幾つかの影を見送って、ブレア・ルナメール(軍師見習い・e67443)はふと隣に目をむけた。
「ウィンディア様、どうかなさったのですか?」
 ブレアが声をかけると、何かを考える風に頬へ手をやっていたセレスティン・ウィンディア(墓場のヘカテ・e00184)は「――血が勿体ないと思って、ね」と凄みのある笑みを浮かべた。
「そ、そうですか」
 背筋がぞくりとするような言葉にブレアは苦笑した。『枯骨の夢の鍵』を携えたセレスティンが歩を進めると、暗闇が生き物のように足を登りだした。
 命の赤は生命の輝きそのものね。けれど、血の対価にはもっと見合った価値を求めないと。
「今宵の血は骨の橋に伝わせて、ナイトメアに捧げるとしましょう」
 そして言葉だけが残った。一瞬で立ち消えたその姿に何度か目をしばたたせていたブレアは、しかし首を振って現状の認識に務めた。とっ、とにかく、僕は僕の仕事をしなければ……。
「田津原様、レヴィン様……お願いします」
 小さく指を鳴らすと地面から光が立ちのぼって地下室を煌々と照らし出した。


「おっと、いきなり強火か。俺も負けてられないな!」
 歯切れのよい声と共にレヴィン・ペイルライダー(秘宝を求めて・e25278)は額のゴーグルを下げた。眩いばかりの光から目を守るだけではない、気が引き締まるというか、自分を戦闘モードに切り替えるためでもあった。レヴィンの眦がすっと鋭くなる。
 素早く轟竜砲の照準を合わせて引金を引く。砲撃は着弾する度に空気を震わせたが、百々をまとう靄は外殻のようになって衝撃も熱も通さない。ならばとばかりレヴィンと並んだ田津原・マリア(ドクターよ真摯を抱け・e40514)も「うちもそう思いますけど……まずは落ち着いて手堅くいきましょ、レヴィンさん」両手で抱えるようにした轟竜砲を浴びせかけた。
 それは自分に言い聞かせた言葉であったかもしれない。
 いつか見たあの力、あないなもん引きずり出させるわけにはいきません。つい意気込み、不意に引金にかかる指先がうっ血しているのを見て、マリアは深く呼吸をした。
 ううん、あかん。焦りは禁物、落ち着いて。何度も心中で繰り返すと強張っていた指の力が少しだけ抜けた。反動にずり落ちてきた眼鏡をかけ直し、マリアは赤い靄に精確に狙いを定めた。
 いかに硬化させた靄であっても、二重の砲撃には耐えられず百々は衝撃に圧されながらじりじりと後退してゆく。その背が壁に掴まるのを見据えて、グラハ・ラジャシック(我濁濫悪・e50382)は大地を蹴った。
「潰れちまいなァ!」
 グラハは吼えかかり、頭の後ろまで大きく振りかぶった鎚矛を叩きつけた。数多の鮮血を吸って赤黒く染まる鎚頭は弱った靄を容易に突き破り、新たな血を美味そうに啜った。しかしグラハは舌打ちをならす。急所から僅かに逸れた。
「――あっ、あぁぁぁ!! 私の血が肉が、イツ様のものなのにぃ」
 黒衣の袖口から流れ出る血を止めようと百々は失せた腕の先を抱くようにして座り込んだ。掬うそばから指の隙間を滑り落ちる。その血溜まりから更に赤い靄が生みだされてゆく。
「伏見様。今のうちに傷を」
 切り開かれた腹部にブレアが手をかざすと「おぉ、手早く頼むぜ。呑んだそばから出ちまったんじゃもったいねェからな」万はスキットルの蓋を緩めた。
「……あまり無茶なさらないように」
 若妻よろしく口を尖らせる美少年に「ん」と曖昧な返事をして万は酒をあおった。確かなことはただ一つ。
「売られた喧嘩は買わねェとな」


 地面に投げ出した体を素早く起こし、手刀で靄を切り裂く。どうにもならない攻撃は致命傷のみを避けて受け止め、地下室に長靴の音を響かせながらレフィナードは走った。先に飛び込んで行ったレヴィンの一蹴に合わせる形で気咬弾を撃ち放つも、靄が散るばかりだ。百々が手傷を負ったのは最初の奇襲に限り、戦いは膠着の様相を見せていた。
「こう逃げ回られるとキツイな」
 口調こそ痛苦を感じさせないレヴィンであったが、額の血がべったりと頬を濡らしていた。拭うたび手が滑ってしょうがない。こくり、同意するように頷いてレフィナードはたおやかな微笑ながら百々へと鋭い眼光を投げつけた。
「万殿は煮ても焼いても食えない御方ですよ。活け造りなどもってのほかでは?」
 天秤の均衡はほんの少しの加減で崩れる。その危うい気配を地下室にいる誰もが感じていた。
「ちっ、いい加減にしやがれ。うざってえんだよ!」
 グラハが叫びながら躍りかかった。犬歯を剥きだしに襲いかかる姿は鬼の面目躍如と言えたが、先の一撃のためとりわけ敵からの警戒は強い。
 黒靄を纏った腕が赤靄をバター同然に掻き裂く。『悪霊化』と呼ばれる精神の物質化、過剰増悪によって生みだされた黒靄は周囲の靄を喰い尽くして消える。一方でグラハは既に倦怠感すら覚えるほど食傷気味であった。
「ったく、きりがねえな」
 当初こそ感じていた赤い靄への希求心は完全に失せている。鎚矛を左手に、黒靄を右腕に纏わせ、グラハはつまらなそうな顔で靄を潰した。
 それだけ赤靄は地下室に充満していた。
 ならば天井を。思い立って優が双刀を手に跳躍すれば、身動きのとれない中空を狙って靄の腕が襲いかかってくる。
「くそっ――」
 中空で体を回転させて靄を薙ぎ切るも連続した攻撃まではどうにもならない。自らの骨が軋む音を聞きつつ、剥きだしコンクリートに叩きつけられた。地面から体を跳ね起こす優。と、そこへ万が駆け寄り素早く体を入れ替えた。迫る靄を厳めしい拳が打ち砕く。
「気ィつけろよ」
「……そっちこそね」
 万の背を追ってきた靄を十字に切り裂いて優が答えた。背中越しに不敵な微笑みを交わし二人はそれぞれ別方へと跳ぶ。靄は浮遊しながら、執拗にそれを追った。

 赤い靄を自在に手繰る百々の俊敏な動きは狭い地下室内であっても驚異的であった。いざとなれば靄を盾として器用に間合いの外へすり抜けてしまう。
 接近戦に熱情を注がぬ百々の思考、行動の予測。闇に紛れて仲間を援護していたセレスティンはしばし考えあぐねた。仲間の流血を厭い哀れむことは後でも出来る。臆することなく一人の死霊術師として敵を見極めてみせよう。そんな一念が、不意に閃きを生んだ。
 一つの考えに基づいてセレスティンは黒鳥の羽を投擲した。先端をナイフの切っ先のように尖らせた羽は風を切って飛来し……、
「くふふ、はずれ」
 地面に突き立った。
 居所は知れた。闇に潜む朧気な気配に靄が突き刺さる。盾のように掲げた白骨の王笏ごとセレスティンは激しい衝撃で壁に叩きつけられた。背を強かに打ち、肺が空気を求め喘ぐ。
 だが茫然としてはいられない。壁を掌で叩くと、呼び出された影の腕が赤靄と融けて消えた。
「やはり、ね」百々が言った。類を同じくする者は気配でわかる。
「そうね。同門ではないにしろ……同類、とは呼べるかしら」
 口にしながらセレスティンはマリアに横目を這わせた。
 マリアは一切の齟齬なくその意図を理解した。理に聡明な彼女は、俯瞰した戦場から得た情報で最良のシナリオを頭に描きだす。
 襲いくる靄を危ういさまでくぐりぬけ、脇に抱えた長大な銃身の銃口を靄に突きつけて引金を引いた。エネルギーの余波と熱が自身をも襲う。爆風に目を細めながら、髪が焦げる匂い、ヒリヒリと灼けつく熱を感じながらも、マリアはなお引金を引き続けた。
「くふふ、無駄」
 対して靄を盾とした百々は涼しい声である。靄の腕がマリアの頬に爪痕を残し、肩に突き立って血を吸う。
 食いしばった歯の間から荒く呼吸をして、マリアは最後の一撃を放った。だが――、
「足りひんっ……」
 そして膝をついた。獣の腕がか細い首をへし折ろうとする寸前、体当たりするようにブレアが飛びついた。
 靄が二人の頭上を過ぎてゆく。同時に一つの影が二人の隣をすり抜けて疾走した。
「なんだかわからねェが、とにかくもう一発ありゃいいんだな!?」
 万に迷いはなかった。そして状況を理解もしていない。だが直感的に判断を下す。あいつが言うなら、そうなんだろう。と。
 十分に助走をつけて拳に纏った炎弾を撃ち放った。炎は靄に当たった瞬間膨れ上がり大爆発を引き起こして百々を靄ごと更に押しやった。

 一方でブレアはすぐさま傷の治療にあたっていた。魔方陣をマリアの傷口に描きあげ、
「痛みますよ。……イエロ、押さえていてください」
 眉ねを寄せて囁いた。
「命の炎の輝きよ……再び」魔方陣に沿って火が灯り、押し殺した悲鳴があがった。
 禁術とされる『Revive the Reincarnation』は対象者の傷口に命の炎を灯す。炎は代謝・再生能力を亢進させ、強制的に細胞をサイクルさせ、結果、体細胞の損壊やショックを引き起こすような痛みが生じさせる。だが瞬時に細胞レベルで損失部を復元できるの利便性からブレアはケルベロスの看過できぬ致命傷に対してのみこの術をつかっていた。
 きつく閉じていた瞼がうっすらと開く。ブレアはほっと息をついたがマリアはうわ言のように言った「あかん、押し込みすぎです」
「無意味無駄無価値……くふふ、くふふふふ!」
 百々が湿っぽく耳にへばりつく哄笑をあげた。が、
「あなたの思慕こそ、そうではありませんか? イツ様についてご執心のようですが、果たしてあなたが思う一分でもイツ様とやらはあなたを認識しているのでしょうかね」
 ブレアが口火を切ると哄笑はすっと失せて冷気が漂った。頭の良い子やなぁ、マリアは感心しながらも震える唇で「うちはイツを見たことも触れたこともありますよ?」勝ち誇ったような嘲笑を浮かべる。
 途端、百々の瞳に憎悪が宿った。殺す、そう決めて一歩踏み出す。靄を実質的な戦闘の全てとする百々にとって不要な一歩、致命的な過ちの一歩、ブレアの智謀が引き出した一歩。
 コォーン。白骨の王笏、その石突が地面をつく。死霊術師の声が重なった。
「ようこそ。あなたに呪いの祝福を」
 百々の直下、黒鳥の羽が描いた三角方陣が口を開けた。虚無しか覗かぬ空間の裂け目から呪詛食らう烏達が羽ばたき来る。黒い波は百々を呑みこみ、なお止まらず天蓋を突き抜けて飛翔した。鋭い嘴と鉤爪が体を千々に引き裂く。
 上階から差す光の柱めがけ、レヴィンが飛びこんだ。途端、光の奔流に包まれる。地下室での戦いは宵闇のように感じられたが、未だ太陽は天高くに座して沈む気配はない。
「宜しく頼むよ、太陽さん!」
 その一種神々しい姿にレヴィンは祈った。願わくば不吉な闇を払い幸運を……。腰に差した銀装飾の銃が、太陽の光をうけて願いに呼応するように光った。あの子も力を貸してくれるのだろうか、ならば――。
「少しだけ強くいくぜ!」
 右眼に蒼い炎が宿る。レヴィンは体全体を振って生み出した膂力を余すことなく大槌に伝えると、中空の百々に叩きつけた。途方もない力に体がくの字に折れる。血の塊を吐きだしながら力なく落下するも、
「ぐっ――ふふ、くふふふ!」
 百々は纏った靄を集めて特大の獣の咢に変えた。咢は地下から飛び出してきたばかりの万を襲うべく駆け抜ける。そして立ちはだかった影に牙を突きたてて止まった。
「やらせはしませんよ。万殿には、まだ役目がありますからね」
 コバルトブルーの瞳が赤い獣を見据えた。口の端を伝う血を舌で舐めとって、レフィナードは竜人の獰猛な笑みを獣にだけ見せた。腕を矛のように備え、獣の首元から突き通し頭を握り潰す。
 なお往生際悪く立ち向かおうとする新たな靄の腕は鎚矛の一薙ぎで消え失せる。グラハは鎚矛を肩に担ぎ、嗤った。
「だとよ伏見。合縁奇縁も悪縁鬼縁も、断つなら己の手の方がスカッとすんだろ。やっちまえよ」
「――ったく、しょうがねェな」
 大儀そうに首をひとつ回して、おもむろに万は駆けだした。迎え撃つ靄の数々を蹴散らして一直線に突撃する。ようやく立ち上がった百々と一瞬、視線が交わった。何故かしら愉悦に満ちたその表情に終わりをもたらすため『かの獣』の姿を映しとった『Imitation beast』の爪先を違うことなく心臓に突き立てた。
 一つ大きな痙攣をし、百々はもつれるように体を預けてきた。胸から腕を引き抜こうとしたその瞬間、百々は突然に目を剥いて首筋にかぶりついた。
「なっ――てめェ!?」
 真紅の目が燃えている。ミチリ、ミチリ。耳の奥で何かが切れるような、潰れるような音がする。声が遠くに聞こえ、視界が暗転し、激痛が体中を駆け抜ける。
「っ上等だ!」
 だが万は百々の体を抱えこんだ。てめぇがその気ならどうなっても知らねェぞ!!
 ぐっと万の腹が奇妙に隆起して黒い獣が頭を出した。鋸のような歯を並ばせた大顎を開くと柔い百々の足に喰らいつく。
「あぁ、イツ様」百々が頬を淫靡に歪ませた。
「百々を求めてくださいませ、望むように喰らって、一つに……」
 貪欲な獣は言葉など求めず、ただ女を貪った。血の一滴、肉の一片も残さず美味そうに喉を鳴らす。
「あかん……!」
 震える声でマリアが呟いた。あれを出してはいけない!
 暴走の予兆。最悪の展開に誰もが動きを止めた。そのなかで優だけが足を止めなかったのは、今と同じような状況をその身で味わったからかもしれない。まだ救える。確信があった。
 『暗牙』を諸手で握り、さざ波ひとつ立てぬ水面の心境で振るった。刃に秘められた黒龍の気配に黒獣が僅かばかり逡巡した、その時、すかさず万は黒獣の頭を殴りつけて己の腹の中に押し戻した。
 夢と見紛うほどに、全ては一瞬の出来事であった。
「体に閉じ込められた黒獣か。あなたも色々と大変そうだよね」
 緊張の糸が切れて座り込んだ優が口にすると、
「まぁな。また変なもんも混ざっちまったしよ……」
 万は唸る獣のような声で返し、脂汗にぬれた体を横たえた。


「妄信的な情愛というか、そういう純な感情にはどうしてか惹かれてしまうんですよね」
 ヒールの最中、なんとなし話の流れでブレアが呟いた。信じられないという目で万が見つめる。
「お前、ガキの頃からそんなんじゃ大人になってから心配だぜ」
「あら、素敵じゃないかしら。殺して欲しいほどの愛というのも……」セレスティンが薄っすらと笑みを見せて続けた。
「真肉親類の骨喰い。血肉を取り込むことで一つになるという思想もあるもの」
「おえ」
 声にして万は諸手をあげた。降参と制止を掛け合わせたポーズだ。話しを聞いていると腹の具合が悪くなってくる、こんな時は……。
「ふふ、かけつけ一杯ですか?」
 マリアが空のスキットルを振って万の顔を覗きこむようにしてかがんだ。どこから持ってきたのか箒を携えた温顔は大晦日を思い出させた。
「皆さんもお疲れのことやし。景気付けに料理もお酒も美味しいお店に繰り出すのはどないでしょうか?」
「……それで今度はどこで監禁されるつもりですか? 飲みに行くのであれば酒に飲まれない様に」
 すかさずレフィナードが釘をさすと、
「大丈夫だって、俺達が目を離さなければいいんだろ」
 レヴィンがにっと歯を見せて爽やかな笑みをつくった。ガデッサと共に後方支援として同行したディ・ロックも相伴にあずかることを決めると、一同はヒールの手を早める。
 万は立ち上がり「しょうがねぇ。騒がしそうだが行くとすっか」芝居がかった仕草でぼさぼさの髪を掻くと、どこか嬉しげに苦笑を浮かべた。

作者:東公彦 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2020年1月14日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 6/感動した 1/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 0
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