コマンダリア

作者:藍鳶カナン

●コマンダリア
 華やかな夕暮れだった。
 海の彼方に沈まんとする夕陽、それを望むこの海辺の地が冬のさなかにも明るく華やいで見えるのは、夕陽が波を輝かせるからばかりでなく、この海辺の地のショッピングモールが地中海沿岸の街並みを模してつくられているから。
 美しい白漆喰や明るい色合いの石積みの壁に柔い夕陽色を映した店々、暖かな影が落ちる石畳の路、多くのひとびとが行き交うなかで、この時間に賑わいを増していくのは、夕食を楽しめる料理店がつどう広場のあたり。
 創作地中海料理の看板を掲げた店の前で歓声があがった。
 扉脇のボードには、お食事のお客様には食前酒か食後酒を一杯サービス、
 ――キプロスの至宝・コマンダリアをどうぞ!
 なんて文字が躍って、
「コマンダリア! 可愛い名前だね……!」
「響きは可愛いのにお堅い意味なんだよな、騎士団領とかだっけ?」
 恋人同士と思しき二人連れが声を弾ませる。
 地中海の真珠とも称されるキプロス、その至宝と謳われるのが、天日干しで糖度を高めた葡萄から作られる極上の甘味を持つワイン、コマンダリアだ。
 それは銘柄名ではなくて、ある地域特産の甘口ワインの総称。シャンパーニュ地方特産のスパークリングワインがそのままシャンパン、シャンパーニュと呼ばれているのと同様に、コマンダリアの名も産地に由来する。
 かつてキプロス全土を有していたテンプル騎士団からフランス王へキプロスが売却された際、彼らは良質な葡萄の産地だけは手放さずに、騎士団領――『コマンド・エリア』のまま領有を続けたという。ゆえにこの地域特産の極上スイートワインがコマンド・エリア、即ち『コマンダリア』の名で呼ばれているという話。
 恋人達がそんな話で盛り上がっていた時、頭上から不意に誰かの声と影が落ちた。
『成程、騎士の酒というわけか』
 振り返った二人は一瞬『騎士』が現れたのかと思った。
 だが、見上げるほどの背丈を、両手に長剣を持つその男が纏っているのは騎士鎧ではなく星霊甲冑(ステラクロス)。そして男が持つ心根は騎士道精神とは程遠く、
『さて。その酒と貴様らの血と、我をより酔わせてくれるのは果たしてどちらだろうな?』
 携えた剣は、残虐な愉悦を味わうために揮われる。

●コマンドエリア
 コマンドエリア、あるいはコマンダリー。
 騎士団領を意味する名を冠されたワイン、コマンダリアは古来より多くの者に愛され、
「ああん解る解りますとも、騎士団が手放せなくなっちゃうその気持ち……!」
 真白・桃花(めざめ・en0142)の尻尾も愛ゆえにぴるんぴるん揺れる。
「もっと直截的に、騎士そのもの……つまり『コマンダー』からコマンダリアという名前が派生したという説もあるそうですね。いずれにせよ、騎士らしいのは見た目ばかりの罪人にコマンダリアに惹かれた方々を始め、大勢のひとの血を流させるわけにはいきません」
 セリカ・リュミエール(シャドウエルフのヘリオライダー・en0002)がケルベロスたちを見渡して、皆さんにこのエインヘリアルの撃破をお願いします、と言を継いだ。
 件のエインヘリアルも永久コギトエルゴスム化の刑罰を受けていた凶悪犯罪者。
 重罪を犯した彼が刑から解き放たれたのは、その凶暴性を地球のひとびとの虐殺で存分に発揮し恐怖と憎悪をもたらして、他のエインヘリアルの定命化を遅らせるのを期待されてのことだろう。
 だが、事前に予知は叶ったものの、事前の避難勧告は行えない。
 事前にひとびとを避難させれば敵の出現場所が変わり、事件阻止が叶わなくなるためだ。
「皆さんには、敵の出現とほぼ同時に現場に着地できるタイミングでヘリオンから降下していただきます。警察による避難誘導が開始されるのもそのタイミングです」
「合点承知! それならわたしも避難誘導のお手伝いに回りますなの~!」
 桃花が手と尻尾でぴこんと挙手したなら、お願いしますね、と頷いたセリカは、皆さんは速攻で敵に戦いを仕掛けてください、とケルベロス達に願う。
「護りに長けた敵で、武器は長剣。グラビティの性能で言うならバスタードソードですね。攻撃力を高めるヒールがありますから、無策で臨めば押し負けると思います」
 侮れぬ敵。だが、確り策と連携を調えて臨めば勝てるはずです、とセリカは告げた。
「それでね、無事に終われたらみんなで例の創作地中海料理店で夕食をどうかしら~?」
 桃花がいそいそと検索したところによれば、その店で饗されるのはギリシャ料理やそれに強い影響を受けたキプロス料理――を基調にした創作料理。
 優しいエッグレモンスープは伝統的な味、瑞々しい野菜をオレンジ果肉とフェタチーズで彩るサラダは華やかで滋味豊か、定番の茄子と挽肉のムサカも季節毎のオリジナルムサカも人気で、赤ワインとコリアンダーシードで一晩マリネし炭火でグリルした豚スペアリブは、シンプルに塩を振るだけでもアプリコットソースを添えても絶品だとか。
 キプロスの国宝と謳われるチーズ、ハルーミも忘れずに。
 料理にはスパークリングウォーターを合わせ、コマンダリアは食前酒か食後酒にどうぞ。酒を嗜めない者はコマンダリアと同じ葡萄から作られた極上のシロップをとろり落とした、胡桃のアイスをお楽しみに。
 天日干しで糖度を高められた葡萄の甘味は、言わば地中海の太陽の恵み。
 今も騎士の名を残す、地中海の太陽の恵みに逢いにいこう。
 そうしてまた一歩進むのだ。
 この世界を、デウスエクスの脅威より解き放たれた――真に自由な楽園にするために。


参加者
楡金・澄華(氷刃・e01056)
四辻・樒(黒の背反・e03880)
月篠・灯音(緋ノ宵・e04557)
ルピナス・ミラ(黒星と闇花・e07184)
ミリム・ウィアテスト(リベレーショントルーパー・e07815)
藍染・夜(蒼風聲・e20064)
香月・渚(群青聖女・e35380)
金剛・小唄(ごく普通の女子大学生・e40197)

■リプレイ

●コマンドエリア
 華やかな夕暮れに礼砲のごとく響き渡った轟竜砲。
 地中海沿岸の街並みを模す海辺で壮麗な幕開けを迎えた戦いは、幾度もの攻防で夕暮れの陽射しに数多の血飛沫を煌かせた。然れどそのすべてが戦う力を持つ者達のもの、護るべきひとびとの血は一滴たりとも流れていない。
 敵は残虐な愉悦を味わうために剣を揮うエインヘリアル、戦況は芳しくなかったが、
「私達の血だけでなく桜にも酔わせてあげるから、早々に御退場願うのだ!!」
 凶悪さと重い威を備えた攻撃に抗い戦線を支えるのは、月篠・灯音(緋ノ宵・e04557)が駆使する強大な癒し。夕陽の輝きと共鳴するかのごとき緋の桜吹雪が前衛の痛手を鮮やかに拭い去れば、確かにワインは血に譬えられるがと四辻・樒(黒の背反・e03880)が口の端を擡げたが、
「血に酔いたいなら、無力な相手より歯応えのある相手の血の方がいいだろう?」
『そう嘯くなら、我にもっと貴様の歯応えとやらを見せてみるんだな』
 彼女が撃ち込んだ氷結の螺旋は敵の剣で完全に弾き飛ばされた。
 策と連携を調えて臨めば勝てると言われたが、灯音ともうひとりにしか心を繋いでいない身では皆との柔軟な連携は難しい。それに、樒を始め、敵が弱って来れば大技で畳みかける心積もりの者は多いが、肝心なのは敵をそこまで弱らせるための戦術のほう。
 個々の戦術は微妙に噛み合わず、懸念していたとおり足並みも揃わないが、ならば今から揃えようと藍染・夜(蒼風聲・e20064)が星の双眸を細めた。
「もう少し早回しで足止めを積むべきだろうな。出来れば渚も、足止めを主軸に!」
「うん、やってみるね! 夜さん!」
 全体の戦況把握と皆との連携を常に意識する夜が瞬時に選びとったのは轟竜砲に影法師を織り交ぜる戦術、世界で唯ひとり彼だけが揮える常夜の闇が確実に標的へと迫れば、常夜を翔ける流星となった香月・渚(群青聖女・e35380)の蹴撃が追随する。
 敵の回避力を削げるのは夜の轟竜砲と渚のスターゲイザーのみ。しかもボクスドラゴンと力を分け合う渚の足止めは確実性に欠けるが、
「わたくしのナイフで早々に増やせれば……!!」
 妨害手たるルピナス・ミラ(黒星と闇花・e07184)の手持ちの中で最も命中率の高い技がジグザグスラッシュであるのが幸いだった。夕星めいて煌くナイフが罪人の縛めをいっそう強めるべく舞い踊る。
 私も足止めか捕縛を用意できれば良かったのですが、と思いながらミリム・ウィアテスト(リベレーショントルーパー・e07815)は黒き斧を手に敵の背を取り、夕陽を逆光に高々と跳躍した。が、
「血に酔いしれるのは騎士ではなく、野蛮人です!」
 初手に屠竜の構えで力を高め、正確な狙いで攻め込んでくる彼女は同様の技を持つ相手に存分に警戒されている。頭蓋を割るはずの一撃は振り返った男の剣を噛まされ肩に逸れ、
『この星では、仲間に護られる位置を取り敵を背後から襲うのが騎士道なのか?』
 相手の肩を強打した反動を活かして跳び退る娘に、野蛮人呼ばわりされた男が鼻白んだ。
 ヒットアンドアウェイがミリムの信条だが、今それが叶うのは前衛と中衛の仲間の存在が後衛の狙撃手たる彼女を敵の射程外に置いてくれるがゆえ。相手は己の倍近い背丈と格上の戦闘能力を持つ敵だ。一騎打ちならあっさり距離を詰められ、斬り伏せられていただろう。
 独りでは勝てない。
 必要なのは独りで戦うための戦術でなく、仲間と共闘するための戦術だ。
 ――詰めが甘かったのは認めざるを得ないな。
 鶸萌黄の春と同様に、仲間へと心を繋がぬ楡金・澄華(氷刃・e01056)も隙の無い連携は叶わぬ身。なれど警察と真白・桃花(めざめ・en0142)が護るべきひとびと皆を避難させる時間を稼げたのは重畳と笑み、思うさま大太刀を揮う。
 蒼の輝きが閃いたのは一瞬のこと、
「貴様に酔ってもらうのは我らの血でも上質のワインでもない。貴様自身の悪夢だ」
『おのれ、よくもこんな、忌々しいものを……!』
 星霊甲冑ごと腿を貫いた刀身から沁みる呪詛で如何なる悪夢を見たのか、激昂した罪人が巨大な長剣を叩き込むが、澄華の肩も腹も割らんとする凶悪な斬撃を強引に跳び込んできた金剛・小唄(ごく普通の女子大学生・e40197)が引き受け、
「かなり厳しいけど……退くわけにはいかないよね、点心!」
 相棒のウイングキャットが中衛から贈ってくれる清らな羽ばたきを背に、ゴリラの剛腕を活かした獣撃拳で反撃に出る。なれど敵の揮う破壊にも斬撃にも耐性を持たず、翼猫と命を分け合う小唄には、序盤からの攻防で既に軽視できぬ傷が嵩んでいた。
 間髪を容れぬ魔術切開とショック打撃で完璧な手術を施す灯音だが、優れた癒し手なればこそ、どれほど手厚い癒しでもヒールの効かぬ傷は如何ともしがたいことも熟知している。ゆえに銀の槍めく雷杖を強く握り込んだ。
 ――いざという時は、私が。
 護りに長けた敵相手となれば戦いが長引くのは必至。
 攻防を重ねるたびに刻まれるヒールの効かぬ傷は常よりも重く響くが、命中が確実化し、夜の尽力で連携も調っていくにつれ、此方から敵へ刻む痛手も加速度的に跳ね上がる。
 巨大な刃がルピナスの腕や刃を潰さんと打ち下ろされた刹那、
「ボクが止めるよ! サポート頼むね、ドラちゃん!!」
「ありがとうございます! さあ罪人よ、この刃を御覧なさい!!」
 翠玉の瞳に映るのは花の妖精めく渚の姿。盾となってくれた少女が癒し手として奮戦する箱竜から雷の癒しを受けて放つは炎の軌跡を引く蹴撃、右肘を燃え上がらせた罪人めがけてルピナスが振り翳すナイフは惨劇を映し、相手の命を苛む心の傷を三重に具現化する。
『……!!』
 思わず息を呑んだ敵を強襲したのは澄華の斬撃、凛然と煌く刀身に無数の霊体を宿らせ、月めく刀傷から罪人の巨躯を汚染する毒で着実に痛手を重ねていけば、攻撃一辺倒だった相手もやがて遂に己を癒しにかかった。
 ――然れど、
 夜の影法師に蝕まれた癒しはその威を減じ、
「あの構え、ぶっ潰してやるのだ! 樒!!」
「任せろ灯、あのまま突っ込んで来られては厄介だしな」
 徹底的に仲間を癒すために灯音が顕現させた、彼女の髪をも思わせる緋の桜吹雪、愛しい彩に乗るよう跳んだ樒が叩き込む星剣が、敵の武威を高める構えを打ち崩す。
「ついでに、あなたの剣もなまくらにして差し上げます!」
「出来れば、あなたの腕まで潰したいところですけどね!」
 続けざまに閃いたのは夕暮れを蒼穹の輝きで彩るミリムの刃、勇者の大剣が罪人の長剣を痛烈に打ち据えれば、その勢いで下がったエインヘリアルの腕を聖なる左手で掴んだ小唄が闇の右手で強打した。堪らず敵が間合いを取り直した――と見えた瞬間。
「小唄! 交差斬りが来る!!」
「――!!」
 鋭く通った夜の声とほぼ同時に巨大な二振りの剣が襲い来る。
 凄絶な勢いで揮われたのは消耗が嵩む小唄を落とすに足る痛撃だったが、
「誰も倒させはしません。だって今のわたくし達は、コマンダリアを護る騎士団ですもの」
 天使の翼を広げて躍り込んだアイヴォリー・ロム(ミケ・e07918)が盾となってそれらを受けきった。
「危なかったのだ、ナイスディフェンスなのだ!」
「流石は俺の天使――いや、今日は姫騎士かな?」
 護り手達が倒れれば一手潰して前に出る覚悟でいた灯音が笑み咲かせ、彼女の神業めいた魔法手術が瞬く間にアイヴォリーを癒す様に夜も笑みを燈す。姫騎士ですともと笑み返した恋人から木苺艶めく魔法を受け、二人の契りを証す指輪から光の剣を顕した。
 地球は此の星のひとびとの気高き『コマンダリア』。
 蛮勇の徒に命も甘露も渡しはしないよと敵を見据えれば、魔法で威を高められた彼の光の剣が真紅に輝く。完璧な狙撃点と爆発的な瞬間火力を得て夜が揮う一閃がエインヘリアルを抗いようもなく圧倒すれば、
「そんなわけだからね! この星から、この世から、とっとと出てってもらうよ!」
 溌剌たる渚そのもののごとき輝きを凝らせて打ち込んだ少女の超音速の拳が、敵の巨躯を吹き飛ばした。
 痛手を癒そうにもその力は影法師に喰われ、攻撃の威を強めんとしても半数が破魔の技を備えたケルベロス達が即座にエインヘリアルの構えを崩しにかかる。その間にも刻まれゆく縛めは深まる一方で、勢いを圧殺された罪人の剣が虚しく空を切れば、
「騎士も武者も、尊大なヤツはいつも裏をかかれるものだ」
 こんな風にな、と密やかに笑んだ澄華は巨大な剣を掻い潜った瞬間に相手の背後を獲り、雪めく刃紋が煌く大太刀の力を解放。峻烈な斬撃を喰らわせたなら、敵の体勢が崩れた隙に樒が彼我の距離を殺した。
 星霊甲冑の継ぎ目や関節を狙いたいが、部位狙いが叶うのは狙撃手のみ。得物砕きなどの技自体が特定部位を狙うグラビティ以外では、攻撃手たる己が精密に狙いを定めんとしても空振りに終わるだけだ。ならば、
「ただ、全てを切り裂くのみ。――だな」
 樒は無二の域まで極めた斬撃を真っ向から揮う。
 途端、夕暮れに輝いたのは中空に描かれたミリムの紋章。
「罪人は罪人らしく、磔になっていただきます!」
「ええ、そろそろ終わりの刻限です!!」
 光が綴る紋章から放たれた女王騎士の風槍が罪人の四肢と胸を次々と貫けば、ルピナスが創りだした無限の暗黒が刃の嵐となって襲いかかる。皆の攻勢が強撃となって敵へ通るのは彼女達の斧や幸運の星が星霊甲冑の護りを穿っていたがゆえ。
 冬の夕暮れに秋色の外套が翻れば、夜の意のまま潮が満ちるよう寄せた常夜の闇が、涯て無く延びる影法師のごとく敵の巨躯を昇り、最後の一滴までその命を蝕んで。
「俺達の一閃もまた、君を酔わせるに足りただろうか?」
『そうだな、貴様の砲撃や影やらは煩わしかったが……』
 ――あの光の剣は、なかなか気に入った。
 自分でも意外そうに笑い、エインヘリアルは黄昏を迎える世界の光に融け、消え果てた。

●コマンダリア
 空と海の境界、水平線の彼方に陽が沈む。
 窓越しに観る残照へと硝子杯を翳せば、黄昏の艶めかしさを凝らせたような深い琥珀色のコマンダリアが煌いた。豊穣の彩に甲冑騎士は双眸を細め、
「これが騎士団に所縁のワイン……!」
 押し戴く心地で一口含めば、濃厚な葡萄蜜めく甘さと強めの酒香が花開く。
「桃花もお疲れ様。君の避難誘導があればこそ、振り向かずに戦えた」
「ふふふ~。被害ゼロでいけたのは夜さん達ががつんとかましてくれたからですともー!」
「ほんと、犠牲者が出なくてよかったです……!」
 二人のやりとりにミリムは改めて安堵の息を洩らした。今思えば屠竜の構えを取って敵を観察するという自分の初動は相手の好き勝手を許すのも同義、最も危険なときに一般人達を護ったのは、事前に要請されたとおり『速攻で敵に戦いを仕掛けた』仲間達だ。
 ここからは食いしん坊騎士団ですと意気込むアイヴォリーと笑み交わせば、運ばれてきた陽だまり色のスープから昇る檸檬の香りに夜の目許はいっそう和らいで、
「ところで小唄、点心には気づかれなかった?」
「その御方、小唄さんだったんですか……!!」
「実は小唄でした。点心には『冷蔵庫のケーキ食べちゃダメだよ』って言っておいたから」
 先日の花水木との戦いの折に見た気がする彼は動じなかったが、何時の間にやらゴリラの姿から人型の美女になっていた仲間にルピナスが眼を円くし、朗らかに笑んだ女子大生が、食いしん坊な翼猫は『こっそりケーキ食べちゃうにゃ!』的な顔で飛んで帰ったと語る。
「そんな手が! ボクもドラちゃんに何か用意すればよかった……!」
「策士だな。そしてこのエッグレモンスープは米が策士といったところか。美味だ」
 思わずスープを掬う匙が止まった渚と小唄で相棒へのお土産相談が始まれば、お先に早速賞味した澄華の瞳に興味深げな光が宿った。優しいチキンベースのスープにクリーミィ感を与えるのはふんわり泡立てられた卵、檸檬の爽やかさの奥から更なるまろやかさと温かさで楽しませてくれるのは、スープとともに煮込まれた米だ。
 柔らかな葉先のエンダイブに瑞々しいチコリ、緑鮮やかなルッコラを取り混ぜたサラダに樒が振るのは海塩が綺麗に結晶したピラミッドソルトを崩した煌き。更には木洩れ日色したオリーブオイルとワインビネガーで彩って、こうして自分好みの味にできるのが楽しいなと皆に笑いかけながら、
「創作料理店としては旬の野菜を使いたいところだろうな。ほら灯、トマトの代わりに」
 ギリシャやキプロスのサラダといえばトマトやきゅうり――と期待していたらしい灯音に美しい赤紫に艶めくビーツの薄切りと真白なフェタチーズを取り分けてやれば、
「……! ビーツの甘さにフェタの塩気と酸味が絶妙なのだ! ほら、樒も皆も!」
「まさに宝箱だと思わない? この彩り豊かなサラダ」
「ええ、オレンジも魅惑の味わいです! ああ、なんてエキゾチック……!」
 予想外の美味に灯音が笑みを輝かせ、夜におねだりした柑橘を味わったアイヴォリーは、夕陽めく果実を仄かに彩るクミンとの取り合わせの妙に眼を瞠る。次から次へとテーブルを彩る料理は次から次へと笑顔を咲かせ、皆で囲む夕餉のひとときは楽しさを増すばかり。
 キプロスの国宝と謳われるハルーミは、加熱しても融けないチーズで、焼いて食べるのが御約束。綺麗な焦げ目に彩られた熱々のそれを頬張れば溢れくる山羊や羊乳の濃厚な旨味と強めの塩気、そして、
「キュッキュッて鳴る気がする! 面白いね!」
 弾力感たっぷりの歯応えがクセになりそうな美食を渚に楽しませてくれる。けれどそこでふっふっふとドヤ顔を見せたのはミリム。ハルーミと言えば焼きだが、
「私は揚げたハルーミを蜂蜜でいただきますよ! 真白さんもどうですか?」
「ああんミリムちゃんが罪な食べ方を! 勿論おともしますともー!」
 満を持してミリムの前に饗されたのはオリーブオイルで狐色に揚げられたハルーミ!
 揚げたて熱々ぱりぱりに閉じ込められた塩気と旨味、そこに蜂蜜がとろり垂らされれば、熱い油の香りとともに弾力たっぷりに弾ける塩気強めのチーズと甘い蜂蜜のマリアージュ!
「これは、本当に、罪深い美味しさです……!!」
 食べ過ぎちゃダメだと解っているのに逃れられない罪な美味に、一緒に試させてもらったルピナスもふるふると身を震わせて、罪に耽溺するようにたっぷり堪能したミリムは続けて季節の創作ムサカを切り分けた。
 薄切りの長芋と蟹の解し身をそれぞれたっぷり重ねて焼き上げたそれはほっこり優しく、
「このオリジナルムサカ、何だか和風っぽい味わいですよ!」
「む。これは白味噌とギリシャヨーグルトベースのソースか」
「そっちも素敵なのだ、こっちの定番ムサカと分けっこして欲しいのだ!」
 料理は食べるのも作るのも好きという澄華が蟹を彩る滋味豊かな味わいの源を看破して、期待していたトマトの味わいにミートソースで出逢い、茄子と挽肉のムサカを甲斐甲斐しく樒にあーんしていた灯音が勇んで自身のムサカを切り分けたなら、やがて皆の手許に両方のムサカが行き渡る。甲乙つけがたい美味に誰もが相好を崩したところへ熱い脂が音を立てて弾ける豚スペアリブがやって来たなら、澄華と小唄の瞳がひときわ強く煌いた。
「来たな」
「真打ち登場ですね!」
 柑橘めく香りのコリアンダーシードを加えた赤ワインはサングリアを思わす香り、それで一晩マリネした豚肉を、
「本来は煮込み料理にすると店の方に聴いたが……」
「こうやって香ばしくグリルしたのも美味しいです……!」
 こんがり焼いたところへ軽くピラミッドソルトを崩して頬張れば、柔らかくも確り弾ける肉から熱い肉汁と旨味が溢れ、マリネが膨らませ塩が際立たせた豚そのものの旨味を存分に満喫したところで、次は甘酸っぱいアプリコットソースが豚肉もマリネの風味も華やがせる美味とも御対面!
 数々の料理はまるで宝石箱を覗いたような煌きと幸福感で皆を満たし、余韻に浸りながら胡桃アイスを含めば、ひんやりした胡桃の香ばしさを濃厚な葡萄蜜が彩る美味がルピナスと渚に更なる幸せをくれたけれど、
 ――きっと、大人達が手にする琥珀の煌きが今宵一番の宝物。
 極上の葡萄の甘味を地中海の太陽が凝らせた美酒を堪能すれば、遥か古にクレオパトラへ求愛したアントニウスの気分だと樒が語る。
「まるでキプロスの葡萄酒のように甘く優雅なそなたよ」
「クレオパトラはエジプトじゃないのだ?」
 勇将の台詞を借りた求愛に灯音がくすくすと笑みを零し、
「彼は求愛とともにキプロスそのものを彼女へ贈ったって話だしね」
「ふふ。コマンダリアは女神アフロディーテのキスより甘いと言いますけれど」
 楽しげに笑み深めた夜の言葉に、クレオパトラの勝ちかしらとアイヴォリーが続ければ、
「「いや、何より甘いのは――」」
 綺麗に重なった互いの言葉に樒と夜が弾けるように笑い合う。
 何より甘いのは誰より愛しい君だと星の瞳でショコラの瞳へ雄弁に語りかけながら、夜は一緒に心ゆくまで美味を探求した愛しいひとと、戦いと夕餉をともにした皆へ杯を掲げた。
 美しく今日を彩ってくれた太陽の恵みへ。
 極上の甘露を護り抜いた騎士達の誇りへ。
 星抱く夜を越えて廻り来る眩いあしたへ。
 ――乾杯!!

作者:藍鳶カナン 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2019年12月31日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 5/キャラが大事にされていた 0
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