宵の錦と秋あかり

作者:小鳥遊彩羽

 ――とある秋の宵。
 郊外の神社では、見頃を迎えた紅葉のライトアップが行われていた。
 本殿へと続く長い石階段の左右に並ぶ灯籠が、あたたかな光で色づいた葉を優しく照らし出している。
 同じように、境内では至る所に灯籠が並び、その光によって夜の景色の中に浮かび上がる紅や黃色、黄緑の鮮やかなコントラストは息を呑むほどだ。
 年に一度のこの時期だけ楽しめる風景を求め、神社には今宵も多くの人が訪れていた。
 ――しかし。
「血のように紅い葉が茂ってるじゃねぇか」
 突如として現れたのは、ルーンアックスを携えた一人のエインヘリアル。
「だが、物足りねぇなあ……テメェ等の血で全部ぜーんぶ赤くしてやるよ!」
 下卑た笑い声を上げながら、エインヘリアルの男は手当たり次第に斧を振り回す。
 成すすべもなく命を奪われてゆく人々の血で、辺りは紅く染め上げられてゆく――。

●宵の錦と秋あかり
「寒くなってきたけれど、ちょうど紅葉も見頃だね。……でも」
 トキサ・ツキシロ(蒼昊のヘリオライダー・en0055)はそう言って、紅葉を楽しむ人々を襲うエインヘリアルの予知について語り出す。
「美しい紅葉を罪なき方達の血で穢すなんて……」
 許せることではありません、と唇を引き結ぶ蓮水・志苑(六出花・e14436)に、トキサもうん、と頷いてみせる。
 敵は過去にアスガルドで重罪を犯した凶悪犯罪者。ゆえに命を奪うことに何の躊躇いも持たず、放置すれば多くの命が無残に奪われるだけでなく、人々に恐怖と憎悪を齎し、地球で活動するエインヘリアルの定命化を遅らせることも考えられるだろう。
 急ぎ現場に向かい、このエインヘリアルを撃破してほしい。そう、トキサは言った。
 エインヘリアルは一体で、配下はいない。ルーンアックスを得物としており、破壊することにしか興味がない粗暴者だ。
 だが凶悪犯罪者という立場から使い捨ての戦力として送り込まれているため、戦闘で不利な状況になっても撤退することはないだろうとトキサは続ける。
「現れるのは神社の駐車場だ。一般の人達の姿もあるけれど、避難は警察にお願いしておくから、皆は素早く戦いに持ち込んでエインヘリアルの意識を引きつけてほしい」
 そうすればエインヘリアルはケルベロス達との戦いを最優先にし、人々を襲うことはなくなるだろう。
「エインヘリアルは攻撃力が高いけれど、皆が力を合わせれば倒せない相手じゃない。……無事に戦いが終わったら、せっかくだから、紅葉のライトアップを楽しんでおいで」
 長い石階段から続く神社の境内にはたくさんの灯籠が並び立ち、その一つ一つに明かりが灯されている。優しい光によってやわらかく照らし出される紅葉は、昼間とは違う幽玄な風景を見せてくれる。
 静かな境内をのんびりとそぞろ歩くのもいいが、歩き疲れたら随所にある休憩所で一服するのも悪くはない。あたたかなお茶や甘味と共に、紅葉を楽しむのも一興だろう。
「そうだ。夜は冷えるから、暖かい格好をしていくといいかもしれないね」
 トキサはそう言って説明を終え、ヘリオンを発進させるための準備に入る。
「憂いなく美しい紅葉を楽しむためにも、皆様、参りましょう」
 志苑は凛とそう告げると、同胞達に深く一礼した。


参加者
君影・リリィ(すずらんの君・e00891)
ウィッカ・アルマンダイン(魔導の探究者・e02707)
蓮水・志苑(六出花・e14436)
アトリ・セトリ(深碧の仄暗き棘・e21602)
ティニア・フォリウム(タイタニアのブラックウィザード・e84652)
アルケイア・ナトラ(セントールのワイルドブリンガー・e85437)

■リプレイ

 訪れる者達を迎え入れる華やかな紅色の天蓋は、まさに絢爛の一言だった。
 だが、そこに現れた招かれざる客――エインヘリアルは、無骨な斧を持ち上げながら野蛮な笑みを覗かせる。
「血のように紅い葉が茂ってるじゃねぇか。だが、物足りねぇなあ……」
 その凶刃が力なき人々へ向けられようとした、その時。
「美しい紅葉を汚す無粋な輩はお引き取り願おう!」
「――ッ!?」
 死角から飛来した物質の時間を凍結する弾丸が、振り上げられた斧へ突き刺さった。
 一瞬気を取られたエインヘリアルへ背後から振り下ろされたのは、『虚』の力を纏う鎌。
「紅葉狩りを思いきり楽しめないのは頂けないね。風情を乱すような輩にはお帰り願おうか」
 アトリ・セトリ(深碧の仄暗き棘・e21602)の牽制代わりの一撃を弾いたエインヘリアルの瞳に、次々に駆けてくる者達の姿が映る。
「力無き者にしかその斧を振るえないわけではないだろう? 私達ケルベロスがお相手しよう。かかってきたまえよ」
 時空凍結弾を放ったアンゼリカ・アーベントロート(黄金騎使・e09974)が、わざと挑発するように続ける。
「ケルベロスか!」
「その問いに答える必要がありますか?」
 凛と声を上げ、力強く地を蹴ったアルケイア・ナトラ(セントールのワイルドブリンガー・e85437)は、レイピアの先端から美しき花の嵐を解き放つ。
「こんなにも美しい世界をエインヘリアルのゴミ捨て場にするなどとんでもない。ましてや、罪のない人々の血で汚すなど言語道断!」
 すると、横合いから踏み込んだ君影・リリィ(すずらんの君・e00891)が、音速を超える拳の一撃で巨躯を吹き飛ばした。
「あなたの刃、力なき人々に届かせはしないわ」
「ここは俺達ケルベロスが引き受けるよ。皆、焦らずにこの場を離れて」
 人々に呼び掛けながら、ラウル・フェルディナンド(缺星・e01243)も斜線を塞ぐように割って入り、銃口を突きつける。
「――存分に哭け」
 象牙の銃把に刻まれしは、月彩が如き誓いの花。引き金を引けば魔力で生成された無数の銃弾が踊るような軌道を描いて舞い上がり、エインヘリアルの頭上から流星雨となって降り注ぐ。
「チッ、とんだ邪魔が入りやがった」
 だが、男は動じることなく呪力を纏わせた斧を振るう。
「血の赤と紅葉の赤を一緒にしちゃうあたり、美的センスの欠片もないなー……」
 ティニア・フォリウム(タイタニアのブラックウィザード・e84652)はふわりと黒い蝶翅を羽ばたかせ一歩下がってから、如意棒の一撃を叩き込んだ。
 刹那、はらりと舞い落ちたのは、頭上を染めるひとひらの紅。
「私はこっちの赤の方が好みなの。紅葉もみんなも犠牲になんかさせないよ」
 そこに重なるように舞う紙兵の霊力が、同胞達に守護の力を授けてゆく。
「この素敵な紅葉を汚そうなんて……何より、そのために虐殺を行おうなどと。絶対に阻止してみせます」
 ウィッカ・アルマンダイン(魔導の探究者・e02707)は淡々と告げ、傍らに立つフィエルテ・プリエール(祈りの花・en0046)にちらりと目配せを。
「同じメディックとして、戦線を支えましょう」
「はい、頑張りましょうっ」
 フィエルテもしっかりと頷き、雷の壁を張り巡らせて更に守りの力を重ねた。
「紅葉も、其れを楽しむ人も、傷つけさせはしません」
 この季節、染まる樹々はとても美しく、それはまるで冬を迎える前の僅かな時の合間に見せてくれる晴れ姿のよう。
 それを楽しむ人々は何人たりとも傷つけさせはしまいと、蓮水・志苑(六出花・e14436)は人々を背に庇うよう立って刀を振るい、緩やかな弧を描く斬撃を刻みつけた。

 高々と跳躍した巨躯の重さを乗せた斧の一撃を、盾たるリリィが受け止める。
 すぐにリリィは光の蝶を自らに纏わせ、第六感を呼び覚ますと同時に削られた力を回復させた。
 残酷な咎人、その純粋な殺意を前にすれば、リリィは己の心が強張ってしまいそうな感覚に陥るけれど。
(「……師匠の前で、腑甲斐ない姿は見せられないわ」)
 緊張を解すように深呼吸を一つ。桜色の瞳に倒すべき敵の姿を映す。
 翼猫のレオナールも、アトリの翼猫のキヌサヤと共に翼を羽ばたかせて邪気を祓う風を生み、背を押してくれている。
 力なき人々の驚異たるエインヘリアル。破壊することにのみ振り切れたその力を削ぎ落としながら、ケルベロス達は息を合わせ攻撃を繋いでゆく。
 繰り出される斧の痛烈な一打は、リリィとアトリ、そしてレオナールとキヌサヤが代わる代わる引き受け、ウィッカとフィエルテがそれぞれを癒す。
 状態異常に対する守りは十全。それに加え、ウィッカが具現化させた浮遊する光の盾は、容易には砕けぬ強固な守りを齎した。
「さぁ、黄金輝使がお相手するよ!」
 旋風のように空を駆って懐へ踏み込んだアンゼリカが急所を穿つ蹴撃を見舞うと同時、アルケイアの背に広がる曼荼羅型の後光――阿頼耶識から放たれた光線がエインヘリアルを灼いた。
「緋色に橙、琥珀……紅葉は、澄んだ秋風の冷たさに優しく彩られるから美しいんだよ」
 そう落とし、地を蹴ったラウルの視界を染める美しき紅。この地に息づく、いのちの色。
「それを血の赤で塗り潰そうだなんて、風流の欠片もないな」
 重力宿すラウルの蹴りは煌めく流星の尾を引いて炸裂し、続け様に馳せた志苑が繰り出した神速の突き、その衝撃で刀が帯びた雷光が瞬く。
「……ああ、やっぱり少し重いね。でも、どうということはないさ」
 すると、ティニアが翅を震わせながら、身の丈くらいの大きさのガトリングガンを少し重そうに構える。
「何だ、チ――」
「その先は禁忌だよ」
 たとえ得物が重くとも、一度定めた狙いを外すことはなく。
 二の句を継がせず、ティニアは爆炎の魔力を込めた大量の弾丸をエインヘリアル目掛けて連射した。
「……ッ、糞が――!」
 エインヘリアルの斧がルーンの光を帯びる。呪力の輝きと共に振り下ろされたそれを、暗がりから躍り出たアトリが受け流す。
 まるで影から現れたかのようなアトリの姿。完全に想定外の手応えに、男の目が驚愕に見開かれた。
「別に驚くことでもないだろう?」
 アトリはさらりと告げると影の如き斬撃でエインヘリアルの急所を掻き斬り、その身に刻みつけられた呪詛の数々を更に広げた。

 やがて、エインヘリアルの重い一撃が驚異ではなくなってきた頃合いを見計らい、ケルベロス達は一気に畳み掛けてゆく。
「あぁ、糞がッ!」
 追い詰められてもなお、エインヘリアルに逃走の素振りはない。
 元より使い捨てられた命、戻る場所がないと男自身も理解しているのだろう。
 尤も、ここでケルベロスに倒されることは、想定外だっただろうが。
「汝、動くこと能わず、不動陣」
 戦いの終わりが近いことを感じ、攻撃に移るウィッカ。
 描き出された五芒星の魔方陣は結界となり、エインヘリアルの身体を縫い止める。
 好機を逃さず踏み込んだラウルは好戦的な笑みを浮かべ、呪詛を載せた斬撃を放った。
 刻まれる美しい軌跡をなぞるように、アルケイアが一足飛びに距離を詰める。
「跡形もなく消し去ってやります。――覚悟!」
 凄まじい勢いの突進に守りを突き崩されたエインヘリアルの眼前、リリィは心鎮めながら瞑目し、剣を抱えて居合腰に座した。
「テメェ、巫山戯てんのか!?」
 あまりにも無防備なその姿に怒りを顕にしながら、エインヘリアルが斧を振り下ろす。
「軒しろき 月の光に 山かげの 闇をしたひて ゆく蛍かな――」
 全身の感覚を研ぎ澄ましたリリィは瞬時にして回転しながら受け身を取り回避すると、無明の闇に見た一筋の光をなぞるが如く、抜刀から地擦りの抜附を見舞った。
「只の早業じゃないよ。今に分かる」
 その間に背後に回り込んでいたアトリが影を纏わせた得物を紫黒の刃に変えて、息をも付かせぬ早業で斬りつける。
「ぐ、ぁッ……!」
 深く肉を裂いた影の刃が、裂傷部を緩やかに侵食してゆく――その感覚に苦悶の声を漏らすエインヘリアルへ、翼猫達が鋭い爪を閃かせながら踊りかかった。
 そして、アンゼリカは愛用の騎士剣に地水火風の魔力を籠めて巨大な光の剣を構築すると、白き翼を広げ舞い上がった。
「月はけして太陽にはなれず――それでも私は君たちのような闇を切り裂き、人々を守ってみせるさ!」
 そのままエインヘリアルへ接近し、防御を許さぬ斬撃の乱舞を繰り出すアンゼリカ。彼女の放つ輝きに圧倒されながらも踏み止まるエインヘリアルを、軽やかに地に足をつけたティニアがすっと指差した。
「咲き誇れ、オダマキ。愚か者を捕らえあげよ!」
 蝶の翅を彩る宝石飾りが、周囲の明かりを反射して煌めく。
 次の瞬間、エインヘリアルの周囲に無数のオダマキの花が咲き綻び、絡みつくようにその茎を伸ばして獲物を絡め取った。
 人理を超えて成長したことで強度を増した花は、食らいつかんばかりの勢いで皮膚に食い込みその身を裂こうとする。
「あ……、ぐ、ッ……」
「――終わりです」
 清浄なる氷の霊力を纏う、青白い雪月華の刀を手に、志苑が一歩踏み込んだ。
「散り行く命の花、刹那の終焉へお連れします。――逝く先は安らかであれ」
 はらり、虚空より舞い落ちる雪花。清浄なる白き世界に、氷雪の花が咲き誇る。
 そして、一閃。
 真白の雪花が朱に染まり、静謐なる終焉が訪れる。
 刀に添うように舞う冷気の桜が紅葉の紅と混ざり合い、招かれざる来訪者の命と共に溶け消えた。

 戦いの爪痕をヒールで癒したケルベロス達は、避難から戻った人々の波に緩やかに混ざりつつ境内へ。
 アンゼリカは静かな境内をゆるりと巡って紅葉を楽しみ、それから休憩所へ足を向けた。
 ドーナツを好むアンゼリカではあるが、お団子の甘さも良いと感じるし、冷えた身体には温かなお茶が沁み渡る。
 ふと見上げれば、頭上を覆う紅葉の天蓋も、並ぶ灯籠から溢れる明かりで優しく照らし出されていて。
「……紅葉が美しいと感じられるのも、私が満たされているからだね」
 浮かぶのはいつだって最愛の人。自然と頬を緩ませながらも不意に瞬いたアンゼリカは、静かに立ち上がる。
 お土産にお菓子を買って帰って、今日のことを話して聞かせよう。
 その前にはまず、帰りを待つ彼女の分までこの美しい光景を目に焼き付けなければ――そんなことを思いながら、アンゼリカは再び歩き出した。

(「これが地球の紅葉……なんて綺麗……」)
 戦いの時には心落ち着けて見る間もなかったけれど、平穏を取り戻した世界で改めて見やれば、その美しさにアルケイアは忽ちの内に魅入られていた。
 休む間も惜しいとばかりにアルケイアはとにかく歩き回って紅葉を楽しみ、扱い慣れぬスマートフォンやカメラに収められない代わりに、色鮮やかで幻想的な光景を一生懸命目に焼き付ける。
 身体を冷やさぬよう、しっかりとコートも着込んだアトリは、あちらこちらにカメラを向けていた。
 楓が敷かれた小さな池、並ぶ石灯篭の明かり。勿論、鳥居を彩る紅葉群も忘れない。
 葉っぱが大好きなキヌサヤは、落ちてくる紅葉を前にうずうずと。アトリはそんなキヌサヤを好きなように遊ばせてやりつつ、楽しげに紅葉と戯れたり好奇心いっぱいの瞳で池を覗き込むその姿をレンズに収めるのも忘れない。
「なるほど、これが写真映え……」
 異世界のような幽玄な風景に、アトリは思わずそう零す。
「色鮮やかな紅葉は素敵ですが、それがライトアップで引き立てられていますね」
 今宵のウィッカが纏うのは、魔力を込めた糸で織られた、様々な花の柄が描かれた着物。寒冷適応も施されており、寒さは平気ですと微笑みながら、ウィッカも皆と散策を楽しんでいた。
「灯籠など、和風のものとの調和も良いですね」
「あっ、ウィッカさん。ウィッカさんの髪のお色に似た紅葉がありますよ」
 なんて楽しげな様子のフィエルテが指差した先には、確かにウィッカの髪の色に似た、深い赤に染まった紅葉が広がっている。
 ウィッカと並び紅色を見上げるティニアは、ほう、と感嘆の息を。
「あるがままも素敵だけど、こんな風に演出された魅力も素敵なんだね」
 自身も花を身に着けていることもあって、植物を好むティニアにとっては、紅葉も同じように好きなもののひとつ。
「ライトアップの演出は初めてなんだけど、見どころってあるのかな。フィエルテさん、知ってる?」
 ティニアが何気なく尋ねれば、はいと返る声と笑み。
「向こうにある大きなお池などは、いわゆる逆さ紅葉が見られるのだとか」
「ああ、逆さ紅葉は綺麗だったよ。折角だから今度は皆で見に行こうか」
 そこにキヌサヤを連れて通りかかったアトリがやって来る。見せてくれたスマートフォンの画面には、夜の世界の中照らされた紅葉が、まるで磨き上げられた鏡のような水面にくっきりと映し出されていた。
「あれは逆さ紅葉というのですね。ふふ、まだまだ知らない言葉が一杯です」
 更に通りかかったアルケイアも合流し、皆で他愛ない話に花を咲かせながら、さながら女子会めいた雰囲気で散策と紅葉の数々を楽しむのだった。

「お待たせしました、師匠」
 弟子として恥ずかしくない行動が取れただろうかと、リリィは遠慮がちにはにかみつつ待ち人との合流を果たす。
「良い働きだったな」
 巽・清士朗は穏やかな笑みと共に労いを。その姿を見るなりレオナールは嬉しそうに尻尾を立てながら身を寄せた。
「……雉も鳴かずば撃たれまいに、か」
 遠い残光に焼かれるような紅葉の赤に、清士朗はふとそう零した。
 過去は取り戻せない。だが、選択に後悔もない。
 ――けれど。
「なあ、リリィ。俺は本当は、翼なんて欲しくなかったんだ」
 我知らず、清士朗は零していた。
「師匠……」
 種が違えども、翼があれば共に空を飛べる。リリィにとってそれは嬉しいことだが、彼がそれを拒む理由がわからず、リリィはただ素直な想いだけを口にした。
「私は……師匠に翼があると知って……嬉しかった、です」
 そうすることしか、出来なかった。
 只真っ直ぐに己だけを見ている彼女が真意に気づくはずはないと、清士朗は知っていた。だからこそ、本音を零せたのだとも。
「さて、今度はあちらへ行ってみるか」
 清士朗はそれ以上何も言わずに歩き出し、リリィは困惑を押し込めることが出来ぬまま、その背を追って紅葉の中を行く。
 ――それでも。
「……貴方と共に」
 ありたしと、ぽつり零した音は闇に染まりゆく空へ溶けていった。

「思ってたより寒いなあ」
 白い息を吐き出しながらふるりと震える燈・シズネに微笑みつつ、ラウルは改めて眼前に広がる光景を薄縹の双眸に映す。
 夜風に揺れる紅葉の天蓋、その隙間から溢れる星の瞬きと月の光。
 幻想の世界に足を踏み入れたような心地になりつつ視線を巡らせれば、灯籠の燈りに浮かぶ赤。
 不意に手のひらに触れた温もりに、傍らを見やれば満面の笑み。
 手を繋げば寒さなんてあっという間にどこかへ行ってしまって、心まで温まるのを感じながら――ラウルもまた笑みを返し、灯篭に照らされ橙に染まる紅葉にそっと指先を伸ばした。
「シズネと一緒だからあたたかいね。それに、紅葉の彩りは心をあたためてくれる様な気がする。……夕色の紅葉が君の色だからかな?」
 届いた言葉と幸せそうな笑顔。
 吸い込まれそうな薄縹にシズネは思わず一瞬見惚れてしまう。
 それは一枚の紅葉が風に舞って落ちるほどの僅かな間。
 はたして、彼は気づいただろうか。
 視線が交われば、ラウルはいつものように一層笑みを深めて紡いだ。
「……あたたかくて、幸せだね」
 まるで紅葉のように鮮やかな色で心が満たされてゆくのは、『君』が傍に居てくれるから。
(「――今は、まだ」)
 シズネは今ここにある幸せを噛みしめる。
 その笑顔と視線を独り占めできる――今はまだ、それだけでいい。

 移ろう季節の中、赤や黄の色を纏う木々の葉。
 淡い光に照らされた幽玄な景観に魅入っていた志苑はふと、傍らの視線を感じて振り向いた。
「……寒くはないか」
 御堂・蓮の問う声に、志苑は柔らかく微笑んでみせる。
 寒さを凌ぐ装いをしても温かな茶があっても、秋の夜は冷えるもの。
 それでも寒いと感じないのは、きっと隣に彼が――蓮がいるからだ。
 進むべき道が定められた己には有り得ないことだと思っていた。けれど少しずつ、志苑の中で何かが変わりつつある。
 だから、向き合わなければと志苑は思っていた。己の心にも、そして、彼自身にも。
(「……気のせいか?」)
 微笑んだのは平気という意味だと思ったが、その微笑みがいつもと違うような気がして、蓮は途端に己の鼓動が高まるのを感じていた。
 彼女が答えを出すまで待つと決めていた。
 だからと言って、この気持ちを抑えられる訳ではない。
 許されるなら今すぐにでも――そんな葛藤を知ってか知らずか、志苑はそっと蓮の手に触れ笑みを深めてから、再び鮮やかに色づいた木々へ視線を移す。
 触れた手に更に弾む鼓動。堪らず見やった彼女の横顔は、仄かな明かりと紅葉で紅く照らし出されていて。
(「なあ、俺の気も知らずに、あんたは今何を思っているんだ……?」)
 蓮は志苑の髪に、そこに飾られた藤の花簪に指先を伸ばす。
 ――恋う、いとしき華へ。
 しゃらりと、藤の花がささやかな音を奏でた。

作者:小鳥遊彩羽 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2019年11月27日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 2/キャラが大事にされていた 7
 あなたが購入した「複数ピンナップ(複数バトルピンナップ)」を、このシナリオの挿絵にして貰うよう、担当マスターに申請できます。
 シナリオの通常参加者は、掲載されている「自分の顔アイコン」を変更できます。