雪薔薇姫

作者:藍鳶カナン

●雪薔薇姫のねむり
 季節は春から初夏へ向かう。
 この時季の宵から夜にかけては肌寒くも格別な美しさ。風は涼やかながらも艶めかしく、咲く花はひときわ馥郁と香るだろう。ことに、夜に咲く薔薇は。
 深い青に沈む夜にライトアップされた薔薇は雪のように白く、甘やかな、あるいは高雅な香りに溺れそうな心地になれた。美麗なフライヤーに印刷された写真を見ただけでも。
 創作歌劇――『雪薔薇姫』。
 夜に輝くような白薔薇咲くローズガーデンの舞台で、此方も雪のような白が輝くドレスを纏った雪薔薇姫が歌う。そんな場面が特殊加工されたフライヤーの紙面上で煌いて、少女の憧れを煽った。
「小学生のとき通ってた声楽教室やめずに今もレッスン続けてたら……私もプリマドンナになれたのかなー。いいなあ、私もプリマに、プリマドンナになりた~い」
 柔らかなベッドに寝そべったまま雪薔薇姫のフライヤーを眺める少女が憧れを募らすのはプリマ・バレリーナではなく、オペラの主役たるプリマドンナ。
 だが、不穏な音が部屋に響いたのに続き、フライヤーを持つ少女の手がぱたりと落ちた。
 背から心臓を貫かれた少女が息絶えるのを見届けたのは、忽然とこの部屋に現れ、大きな鍵でそれを成したドリームイーターだけ。
『プリマドンナになりたい、か。ふふ。その夢、私がちゃあんと奪っておくわね』
 大きな鍵を持つのとは逆の手が、雪薔薇姫のフライヤーに触れた。

●雪薔薇姫のめざめ
「プリマを夢見る少女の夢が狙われる……そんな予感は、してたんだ。だけど――」
 命を奪われるなんて、と続けたイブ・アンナマリア(原罪のギフトリーベ・e02943)は、淡く葡萄酒色の瞳を伏せた。彼女の表情の変化はそれだけ。なれどその声音は沈痛の響きを深く、深く帯びる。
 事件を予知した天堂・遥夏(ブルーヘリオライダー・en0232)も声音に苦さを滲ませ、
「悔しいけれど、殺された彼女は救えない。でもイブさんが案じてくれてたおかげで、次の被害者、『雪薔薇姫』で主役を演じる女性への襲撃を喰いとめることはできる。あなた達で喰いとめて、殺された彼女になり代わったドリームイーターを倒して欲しいんだ。絶対に」
「勿論。皆で喰いとめて、倒してみせるぜ――絶対に」
 決意を声音に乗せたイブが、まっすぐな眼差しで頷いた。
 このまま放置すれば、少女になり代わったドリームイーターは、近くのローズガーデンの野外ステージで上演される『雪薔薇姫』の舞台を襲撃する。
 だが事件が予知されたからには、当然主催に連絡して上演延期が決定済み。
「勿論それで終わりってわけにはいかないからね。ローズガーデンのステージを借りられる手配も調ったから、あなた達で創作歌劇――『雪薔薇姫』を再現して、ドリームイーターを誘き寄せて欲しいんだ。ケルベロスは一般人より夢の力が大きいみたいだから、誰か一人が舞台で雪薔薇姫っぽく歌うだけでも敵が姿を表す可能性がある」
 だが当然、より歌劇らしい舞台にできるなら、より確実に誘き寄せられるはず。
 歌手を、奏者を、観客を。
 これで『雪薔薇姫』の雰囲気を掴んでもらえると思うと遥夏がタブレットを差し出した。
「事件が解決次第消去する――って条件でね、舞台監督が『雪薔薇姫』のゲネプロを撮った動画を提供してくれた。流石に譜面は無理で、耳コピーしてもらうことになるけど」
「了解だぜ。ケルベロスって音楽の才能ある子も多いし、大丈夫じゃないかな」
 受け取ったイブが皆を見回して眦を緩める。
 雪薔薇姫は、永き時を長き眠りとともに生きる花の姫。
 一年にたった一日、その年最初の春薔薇が咲く日にだけ目覚める眠り姫。
 白薔薇と白葡萄で仕込まれたワインを愛してやまぬ、ずっとずっと若く美しい姿のままの花の姫。彼女と彼女に焦がれるひとびととの一夜の物語が『雪薔薇姫』だ。
 薔薇の庭園での野外ステージであるからだろう、歌劇の楽曲はオーケストラではなくて、ピアノに様々な楽器を合わせた数人規模の楽団によって演奏される。
「首尾よく敵を誘い出せたら、確実に撃破して。強敵ってほどの相手じゃないけれど、状態異常を駆使するジャマーみたいだから油断はしないで」
 遥夏の言葉に勿論と応え、イブが皆へ眼差しを向けた。
「それじゃ行こうぜ、皆。このローズガーデンへ、一夜限りのステージへ」
 ――僕達の『雪薔薇姫』の、舞台へと。


参加者
ティアン・バ(みている・e00040)
霧島・奏多(鍛銀屋・e00122)
呉羽・律(凱歌継承者・e00780)
イブ・アンナマリア(原罪のギフトリーベ・e02943)
ジョゼ・エモニエ(月暈・e03878)
アイヴォリー・ロム(ミケ・e07918)
菊池・アイビス(飼犬・e37994)
ニコ・モートン(イルミネイト・e46175)

■リプレイ

●雪薔薇姫のめざめ
 深い青に沈む夜に、雪のごとき白薔薇が浮かびあがる。
 夜に輝くような白薔薇咲くローズガーデンの舞台袖で、
 ――ああ、幕が開く前からもう、魔法の時間は始まっているんだな。
 遠い日に声帯へと刻んだ魔術回路を魔力とともに手離した喉を己がゆびさきでそっと辿るティアン・バ(みている・e00040)の眼差しの先、騎士の掌上から炎の輝きが吹雪く。
 騎士鎧に身を包んだ菊池・アイビス(飼犬・e37994)がマインドリングに獄炎を燈しての穏やかなブレイズクラッシュで、動画から起こされた台本と楽譜が眩い火の粉の吹雪となり次々と夜風に舞い消えた。本番前の破棄は採譜した呉羽・律(凱歌継承者・e00780)自身の望み。本職の歌劇役者であるからこそ、本来の興行主への敬意と礼節を胸に抱いて。
 観客席へ、亡き少女へ、帽子を取り一礼したニコ・モートン(イルミネイト・e46175)が夜闇に融けるよう艶めくピアノの前に座り、姫の装い齎す魔法で黒の夜会服をふわり翻したジョゼ・エモニエ(月暈・e03878)がリュートを抱けば、律の意識が鮮やかに切り替わる。
 ――さあ。麗しの花に、恋をしよう。

 夜の静寂に音の雫が滴り、波紋を描いた。
 透き通るよう清らに、それでいて深く芳醇に薔薇香る夜風を、鍵盤で緩やかに踊るニコの指先から導かれた旋律が震わせれば、透かし彫の薔薇の上で弦を爪弾くジョゼのリュートの音色と語りが重なっていく。彼女の指が微かに震えていると識るのは評論家然として傍らに座る灰色のウイングキャットだけ。
「薔薇と葡萄に彩られた丘のワイナリーに伝わる白薔薇と白葡萄のワイン。それは――」
 物語とともに伝わり来たもの、と霧島・奏多(鍛銀屋・e00122)の台詞がジョゼの語りを滑らかに継いだ。粋な装い齎す魔法では牧歌的とはいかず、洒落者のワイン醸造家となった奏多は頭に叩き込んだ歌劇映像のままを再現する。舞台に立つのは演劇部に籍を置いていた学生の頃以来、されど危なげなく。
 丘をくりぬいたワインカーヴで樽の微睡みに耳を澄まし、朗と語り、歌へ繋いで。
 眠れるワイン達よ。
「お前達に聴かせよう。秘密の唄を、雪薔薇姫の物語を――」
 微かに掠れを交えつつも豊かな抑揚を響かせる奏多のテノールに、上質な蒸留酒を思わす艶を孕む律のテノールが重なる。独唱から二重唱、次いで独唱へ。醸造家が語る雪薔薇姫の物語が舞台の上で花開く。
 ――春薔薇の園へ迷い込んだ律が歌うのは、若き駆け出し作家の創作意欲。
 迷路のごとき薔薇園を意欲と好奇心のまま進んだ作家の眼前に現れた光景は、雪のような白薔薇の褥で眠る雪薔薇姫と、姫を見守る騎士。そして、
「何をする、御令嬢!」
「邪魔をしないで!!」
 手に星の刃を、心に殺意を握って姫の許へ向かわんとした、貴族の令嬢と見える娘。
 令嬢――アイヴォリー・ロム(ミケ・e07918)が纏う純白に装いを変える魔法はなかったけれど、律の歌声が令嬢の纏う憂いの深紅を皆の心へ映し出した。ああ本当に今夜はなんて豪華キャスト、と弾む心は秘め、令嬢アイヴォリーは愛憎と殺意を歌う。慣れぬ歌声が多少音を外しても、令嬢の激情ゆえとピアノやリュートの音色が彩って。
 君は何故とめないんだ、と鋭く騎士を見遣った瞬間、律が演じる作家は息を呑んだ。
 雪薔薇姫が、イブ・アンナマリア(原罪のギフトリーベ・e02943)が、長き眠りから目を覚ます。白薔薇の褥からゆうるり身を起こせば白薔薇咲く髪に雪のごときティアラが輝き、白絹流れるドレスの腰にも大輪の白薔薇が咲く。
 傅いたアイビスの声が緊張に上擦るけれど、不思議とそれは、ひととせ息を顰めるように姫を見守り続けた騎士が息を吹き返す様を思わせ、
「貴女の目覚めをお待ち申し上げておりました」
「ああ、夢の続きのよう……。けれどこれは現なのね、騎士様」
 蕾が綻ぶような笑みを騎士へ見せた雪薔薇姫に、作家は一目で恋に落ちた。
 ――ああ、なんという運命、運命の夜よ!
 ――そう、これは運命、私に与えられた運命なのです。
 情熱的な律の独唱が迸るような作家の恋情を歌い上げ、夜露を含む白薔薇の花弁のごとく重ねられたイブの歌声が、雪薔薇姫の運命を語る。永き時を長き眠りとともに生き、一年にたった一日だけ目覚める、花の姫。
 彼女が愛してやまぬ白薔薇と白葡萄のワインを『ワイン職人』奏多が運んでくれば、誰が最初の一杯を姫に捧げるかで作家と騎士が歌を競わすけれど、
「さあ、雪薔薇姫。近年稀にみる極上の仕上がりです」
 二人をよそに卒なくワイン職人が最初の一杯の栄誉を担い、ああっと律とアイビスの声が重なれば、作家に腕を取られたままだった令嬢アイヴォリーが思わず吹き出して、星の刃を取り落とした。続くのは光と花と笑みに満ちたワインの宴。
 透明な雫を思わせていたニコの音色が途端に鮮やかな色彩を帯びた。
 教会の礼拝や葬祭でオルガンを弾いていた彼には亡き少女への鎮魂の音色も馴染むもの、けれど即興で音と戯れたい心も胸にはあるから、軽やかなジャズ調で楽曲を躍らせ、場面の楽しさを際立たせる。
 ――さあ、ジョゼさんも!
 ――ええ、頑張るわ……!
 ニコの目配せに頷き返したジョゼにも何時の間にか燈る笑み。演者達の感情を己の音色で彩り広げていくのは想像以上に楽しくて、心も指も弾んでいくばかり。今夜まではぼんやり思い描くだけだったイブの歌声も思っていたのとは違って。
 時に眩く輝き、時に豊かに色づき、時に透徹なまでに透きとおり。
 眩い夏陽に煌く緑の葡萄園を、絢爛の錦に染まる秋の森を、静謐な白銀に凍てる雪の都を雪薔薇姫が歌い上げれば、姫の声だけで聴衆は季節を、世界を旅する心地。
「一年に一日しか目覚めぬ姫が、何故これほどの光景を?」
「これこそ、姫が白薔薇と白葡萄のワインを愛される理由なのです」
 作家に答えるのはワイン職人。
 葡萄園はこのワインの故郷、森と雪の都はワイン樽の故郷。
 森の樹は都で樽に生まれ変わり、葡萄園でワインのゆりかごとなり、ワインが雪薔薇姫に季節と世界を染み渡らせる――と奏多が歌い終えれば、ぽろん、と切なげに落ちるピアノの音ひとつ。それは令嬢が零した涙。
「幼き日のわたくしは、雪薔薇姫と一緒に世界を旅することを夢みていたの」
 だが大人になれば識る。
 叶わぬ夢だと。姫とは隔たれてしまうのだと。
 ――わたくしだけが老いてゆく。
 ――貴女を此処に、置いてゆく。
「ああ、そうなってしまう前に……!」
「ねえ気付いて。きみの心の輝きは朽ちず日毎輝きを増すばかりだということを」
 激情の独唱とともに再び手にした刃を振り翳すアイヴォリーをイブの独唱が押し留める。歳を重ねるほど優しさと温もりを増す本当の令嬢の心が雪薔薇姫には見えているのだ――と心打たれた作家は、不意に騎士を振り返った。姫は眠る。だが眠らず見守る騎士は。
「騎士よ、君は……姫のために世界を捨てたのか」
「捨ててはいない。姫の中にすべてがあるのです」
 迷わず騎士が答えた、そのとき。
 静かに響いていたピアノの音色がやみ、リュートのみが切なくも懐かしい旋律を紡ぐ。
 重なるのは鈴の音と、姫に眠りの刻を報せる妖精の子守唄。
「今日の良き日は終わりだ、雪薔薇姫。此の春は、楽しめた?」
 最後の装いを齎す魔法で最後を告げる妖精となり、ティアンは囁くような、けれど確かな歌声で皆に刻限を知らしめた。一度潰された喉では声量豊かとはいかずとも、それが却って子守唄には相応しく。
 愛するひとと一緒に生きて逝けぬ哀切も慟哭もティアンは誰よりも識るけれど、雪薔薇の妖精にはきっとひとの心は推し量れない。ゆえに皆の様子にただ不思議そうに首を傾げて、長き眠りへ雪薔薇姫を誘う。
 一見それは『デウスエクスマキナ』、だけど――。
「そうか、これが私の運命か……!」
 翅脈が銀に煌く妖精の翅を目に留めた作家の最後の独唱が始まる。
 この日の出逢いを、この日の皆の想いをひとつに織りあげ、脈々と伝え続けていくのだ。物語として。完成の暁にはまず貴女へ捧げようと約束すれば令嬢の涙が歓喜の涙に変わる。震える声が希望を歌う。いつか、姫のめざめにわたくしがいない未来が来ても。
「物語の中で、わたくしは雪薔薇姫と一緒に生きていける……!」
「ええ。いつまでも、ともに」
「――それでは、おやすみ。また次の春に咲いておくれ、我らの雪薔薇」
 微笑む雪薔薇姫が、妖精に導かれるまま褥に身をゆだねる。
 最後に伸ばした手が、指輪の煌きとともに、騎士の頬に触れる。
「お傍を離れはしません、雪薔薇姫」
 一年に一度きりの逢瀬。万感の想いを込めて騎士が姫の手に口づければ、限りなく優しい雪薔薇姫の歌声がとけていく。眩い夏を、絢爛の秋を、凍てる冬を巡っても、貴方の想いは色褪せぬと信じられるから。
「私は安心して、眠り――」
『いいえまだ眠らない! だって私が雪薔薇姫に、プリマドンナになるんだから!』
 突如。
 終幕を迎えんとする舞台に、激しい雪薔薇の花嵐が撃ち込まれた。

●雪薔薇姫のねむり
 雪薔薇姫を、歌劇の主役たるイブを狙った魔法を盾として受けとめ、
「いいや、お前はなれない。お前には、何も渡さない」
「ええ。どうぞお引き取りくださいな、冥府まで!!」
 忘れえぬ感触を抱いたままティアンが伸べたゆびさきから舞う紙兵も雪薔薇の花弁の様。星の刃に菫の煌き閃かせたアイヴォリーが三重に星の聖域を描けば、客席から迫る影。
「物語に戦はつきものですが、あなたの伴奏はごめんですね」
「ああ。早々に――消し去ってやろう」
 だが舞台へ跳び込んできた相手が次撃を放つより速くニコと奏多が七彩の爆風を咲かせて出迎える。仲間達を鼓舞する彩風に髪を煽られた敵は喉がモザイク化した少女の姿。
 命を奪われ成り代わられた少女。その姿で凶事を働かれるなど、
 ――させてたまるか。
 強く奏多の胸に奔った決意を掬うように機を掴んだ律が確かな輝きを引いた流星となってドリームイーターを穿ち、彩風を追い風に得たイブが幸運の星を蹴り込めば護りを破られた敵へ揮われたアイビスの斬撃が氷片の煌きを躍らせ、
 ――おいで、孤高の怪物。骨まで砕いて、呑み込んで。
 明け空の瞳が確と敵を捉えた刹那、夜風に躍り上がった角持つ白鯨が、ジョゼの意のまま巻き起こす海嘯で敵の逃げ場を奪う。
 迸る雪薔薇、響く歌声、顕現した台本から荒ぶ紙吹雪。
 舞台に深き災厄が振り撒かれるが、紙兵や幾重にも輝く星の聖域が、外套はためかせつつ羽ばたき続ける翼猫の力が、災厄を克服する力となる。翼猫とニコ、列での癒ししか持たぬ癒し手達を補うのは、煙とも見ゆる闘気からティアンが凝らす治癒の光。
 銀に華やぐ流体金属の吹雪を更に輝かせ、機関銃が咲かせる無数の光、その奥から跳んだ獅子座の輝きが鮮烈な十字を成して少女の姿のドリームイーターへ落ちれば、喉のモザイク煌かせた彼女の歌声が、痛撃をくれた律を含む後衛陣へ襲いかかった。
 咄嗟に身体を張った奏多に護られ、
「ありがとうございます! 皆さんは大丈夫ですか!?」
 即座に眼差しをめぐらせたニコが傾けた杖を己が裡の道標のままにぐるりと回せば、淡く輝く音符が踊る五線譜の光が災厄を克服する旋律に癒し手の浄化を重ねて仲間を包み込む。
「ええ、敵の歌に惑わされたりしないわ。皆の歌を聴いたばかりだもの!」
「嬉しいことを言ってくれるね、ジョゼ」
 根本的にはミザントロープ、なれど他者と関わる幸福を識りはじめたジョゼが迷わずそう言い切ったなら、彼女の銃口から迸る魔法光線に律が続き、
 ――燃やせ、燃やせ、緋き焔歌よ!
 激しくも華麗に花開いたドラマティコ・テノーレが紡ぐ凱歌が烈火の勢いで追撃すれば、
「じゃあ、アンコールといこうか」
「まあ! なんて粋なはからい!」
 彼の凱歌を己の裡に共鳴させ反響させるようティアンが迸らす力が、ドリームイーターへ緋き焔歌の追想を齎し、重ねた傷も禍も更に深めて、笑みを咲かせたアイヴォリーも魔力を迸らせた。少女の骨肉を挽き刻む勢いで螺旋にめぐり、三重に冷気も渦巻かせたなら艶めくバルサミコで彩って。音痴ゆえなのはひっそり棚にあげ、
 ――最愛の星にも聞かせたことのない貴重なわたくしの歌、それを聴いたのなら。
 お代をいただきますね、と敵へ微笑むショコラの天使に、どうやら令嬢を演じるのが余程楽しかったらしいなと得心しつつ、奏多は銀を掌中に抱いたまま銃把を握り込んだ。
 己は演者でなく模倣者だった。今夜のみならず、過去の日にも。
 奔放さを渇いた凪で抑えるよう、無味乾燥を上書きできた程度には。
 銀を媒介にした魔術が今を手繰る銃に宿る。記憶の中の閃光と轟音を再現するかのごとき銃撃が逃れえぬ苛烈さで少女を氷ごと撃ち抜けば、夜風に盛大にモザイクが散った。
 過半が精鋭という戦力と弛まぬ連携、多重の災厄を齎す敵への確かな備え。
 今夜の舞台にケルベロス達が調えたそれらすべてが、速やかなる終焉を手繰りよせる。
 敵が足掻けたのも僅か数分、宙に躍った台本から迸る鋭い紙吹雪が前衛に殺到したなら、迷わず身を挺したティアンと奏多が矛たる二人を護る。今夜は護りを盾たる二人にゆだねたけれど、姫君の第一の護り手は己で在りたいと望むままにアイビスが馳せる。
 右目の下に奔る傷から棚引く地獄の炎を両腕に纏わせ、
「ワシは薔薇姫を守護する騎士で犬で恋人よ。死ぬまで、いや」
 ――死んでもそれをまっとうする者じゃ!!
「……アイビス」
 きみが。
 きみだけが、僕の従者で恋人で、騎士様だ。
 彼の声音が熱く夜風を貫けば、柔らかな春の光を帯びた葡萄酒色の双眸へ、瞬時に敵との距離を殺したアイビスの拳が鮮烈に決まる様が映る。繋がれた機を掴み、イブが躍り込む。
 雪薔薇姫にも、プリマドンナにも、させてはやらない。
 けれど。
「眠りにつく役だけは、きみに譲ってやるぜ」
 眼を瞠った敵へ贈るのは白薔薇の、否、今宵は雪薔薇の、くちづけ。
 薔薇の香に眩むのにも似た凄艶にして絶大な威の毒が、ドリームイーターの力のすべてを枯らす。彼女にも、彼女に殺された少女にも。
 ――おやすみなさい。

 戦いの終幕に、舞台の終幕が重ねられる。
 偽りの少女にも未来を奪われた少女にも、安らかな眠りを、と願ってニコが弾く旋律に、郎と紡がれた作家の台詞が重なった。叶わぬ想いを真白な頁に秘めんと誓った作家を渾身の演技で律が鮮やかに表現しきる。誰もの胸に迫るほど。
 来年もこの場所で逢おう――!
 余韻を引く声音、最後に舞台はワインカーヴへ戻る。
 何時しか『ワイン醸造家』の手には、書物が携えられていて。
 極上のワインを存分に味わったかのごとく心を満たしてくれる終幕を迎えて、皆で黙祷を捧げた。亡き少女へ黙祷と、今夜限りの舞台を捧ぐ。

作者:藍鳶カナン 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2019年5月4日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 5/キャラが大事にされていた 1
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