光の降る朝

作者:七凪臣

●金色の輩
 重い鉄の扉を押し開き、瑞葉は感嘆の息を白く吐いた。
 真新しい朝日を浴びて金色の葉が降ってくる。
 まるで光そのものが質量を持ったようだ。
 綿入れの袖を抑えて掲げた手に一枚、イチョウの葉を捕まえ、瑞葉は口元を綻ばせる。
 高く澄み切った青空へ真っ直ぐに伸びる大イチョウは、築年数が百を超える瑞葉の住処と、瑞葉の家族たちの歴史の生き証人。
 長く共に歩んできた友のような存在。
 愛おしく思わぬ日など一日とてないが、この時期はさらに格別。
 周囲に植えたアカンサスの濃い緑と相まって、変わりゆく季節を美しく教えてくれるもの。
 夕焼けに茜に燃える姿も勇壮だが、瑞葉は早朝の眩い耀きが好きだった。
 この日もかじかみそうになる両手をすり合わせながら外へ出た。
 住宅街から少し離れた、多くの木々に囲われた閑静な土地。
 屋敷に住まうのも、今となっては老いた瑞葉一人。
 突然の変事がこの地で起きたなら、気付いてすぐさま駆け付ける者はいないだろう。
 そして、運命は巡る。
「今年も綺麗ね」
 また一片、降って来た光に手を伸ばす瑞葉は気付いていない。
 イチョウの足元に群生するアカンサスの一株が異形へと転じ、瑞葉へ襲い掛かろうとしていることに――。

●変事、色づく
「皆さんへは急ぎ、鈴野邸へ赴いて頂きます」
 リザベッタ・オーバーロード(ヘリオライダー・en0064)が語り始めたのは、イチョウの紅葉を際立たせるアカンサスが何らかの胞子を受け入れ攻性植物と化してしまった事件。
 場所は鈴野瑞葉という高齢の女性が一人で住む邸宅の庭先。襲われて宿主にされてしまったのも、瑞葉その人。
「早朝ということもありますし、多少の物音がたったとしても早々余人が近付いて来る心配はありません。敵の攻性植物には配下もいないことから、戦いやすい現場といえるかと思います――が」
 逆接の接続詞をリザベッタが選んだ理由は、ただ一つ。
 攻性植物をただ倒しただけでは、取り込まれている瑞葉の命も失われてしまうという厳しい現実。
 無論、悲劇を回避する手立てがないではない。
 戦闘中、攻性植物へヒールをかけ続ければ、戦いが終わった後に瑞葉を救出できる可能性もあるのだ。
「与えるダメージと、ダメージの回復量。繊細な調整が必要になりますし、その分だけ戦闘も長引くでしょう。皆さんへかかる負担は決して軽くはありません」
 それでも、叶うなら。
 瑞葉を助けて欲しいとリザベッタはケルベロス達に希う。
「攻性植物化したアカンサスは巨大化し、大きな葉で瑞葉さんを包み込んでしまっています。なので現在、瑞葉さんの意識があるかないかはわかりません」
 否応なく戦いに巻き込まれるのだ。いっそ意識を失ってくれていた方が良いとリザベッタは小さく吐露し、諸悪の根源の補足にかかった。
 曰く、攻撃方法は3パターン。冬でも枯れない緑の葉を捕食形態へ転じるものと、根を地中から這い伸ばし足元から襲ってくるもの。そして今の時期には珍しい花を突如咲かせ、そこから破壊光線を放つというもの。
「すぐ近くに立派なイチョウの木が植わっています。瑞葉さんにとってとても大切なものなようでしたので、出来れば類が及ばないようにして頂ければ……いえ、もちろん皆さんの無事が優先ですが」
「任せて下さい」
 囚われの老女と眼前の頼もしき仲間の狭間で揺れた少年の憂いを、ラクシュミ・プラブータ(オウガの光輪拳士・en0283)が拭い払う。
「美しい金色の風景は、わたしも守りたく思うもの。大丈夫です。瑞葉さんも、瑞葉さんの大事なものも。必ず守ってみせます」
 ――そうですよね、皆さん。
 そう微笑むオウガの女の笑顔も、金色に輝いていた。


参加者
アリス・ヒエラクス(未だ小さな羽ばたき・e00143)
エニーケ・スコルーク(黒馬の騎婦人・e00486)
ミルフィ・ホワイトラヴィット(ナイトオブホワイトラビット・e01584)
市松・重臣(爺児・e03058)
陸堂・煉司(冥獄縛鎖・e44483)
ウリル・ウルヴェーラ(ドラゴニアンのブラックウィザード・e61399)
エトワール・ネフリティス(翡翠の星・e62953)

■リプレイ

●参
 目覚めたばかりの朝日に黒い毛並を耀かせ、馬の獣人――エニーケ・スコルーク(黒馬の騎婦人・e00486)は十字に組んだ腕より必殺の光線を放つ。
 弾け飛んだ幾枚かの葉に、異形と化したアカンサスの芯がぐらついた。根を地中へ深く埋めたのは、踏ん張る為と攻勢へ転じる為。
「お察しじゃよ!」
 足元の大地を突き破り襲い来た根に対し、いの一番で立ちふさがった柴犬によく似たオルトロスの八雲に庇われた市松・重臣(爺児・e03058)は、紙兵を舞わせてダメージの回復と自浄の加護を振りまく。
 アリス・ヒエラクス(未だ小さな羽ばたき・e00143)の鷹の如き鋭い跳躍から繰り出された蹴撃に鑪を踏んだデウスエクスを、アンゼリカ・アーベントロート(黄金騎使・e09974)が背の白翼を震わせて笑う。
「何だ、この程度か?」
 否、笑ったのではない。挑発したのだ。証拠に釣られたアカンサスはアンゼリカへ這いずり、数メートルを移動した処でアンゼリカの踵に叩きのめされる。そこへミルフィ・ホワイトラヴィット(ナイトオブホワイトラビット・e01584)が甘く待ち受けた。
「目を閉じて――わたくしの愛で、貴方様の心と身体の傷を、癒して差し上げますわ……」
 十一歳とは思えぬ妖艶な仕草でミルフィは常緑の葉に口づけを一つ落とす。直後、齎された回復に、デウスエクスはとろりと桃色の霧と消えたミルフィを探し、また蠢く。
「キミはもう籠の鳥。眼が合ったらね、逸らせないんだよ」
 エトワール・ネフリティス(翡翠の星・e62953)が翡翠の杖をしゃらりと鳴らした。呼び込まれた陽の微笑に攻性植物は囚われ、そぞろ歩く。
 擦れ合う葉の歌は、まるで不本意に堕とされた抗議。
「アカンサス……トゲの意味を持つキミも、攻性植物になんてなりたくなかった……よね」
(「……そうだろうな」)
 エトワールがぽつりと零した呟きを耳に、澄んだ空へ跳ねた陸堂・煉司(冥獄縛鎖・e44483)は湧き上がる憐れみを噛み殺す。
 攻性植物は敵性存在。されどアカンサスそのものには罪はない。
(「こうなる為に生まれた訳じゃねぇんだろうが」)
 ――今はやるしかない。
「秋空にゃ似合わねぇな。放して貰おうか、テメェのご主人様をよ」
 重力を味方につけた煉司の一撃が炸裂し、アカンサスの足が止まった。そこは大イチョウを巻き込まぬに十分な位置。
(「イチョウの木も、きっと心配しているだろうな」)
 変わらず光を降らせる大イチョウを一瞬だけ見やり、アスガルド神に創造された槍を手に人型をとる竜族の男――ウリル・ウルヴェーラ(ドラゴニアンのブラックウィザード・e61399)が包囲の網を解かぬよう駆け出す。
「早朝の、清々しい空気は俺も好きだ」
 ――大イチョウも、その主も。どちらも必ず、護る。
「今日という一日の始まりに、影を落としたくないからね」
「――」
 雷帯びる矛先を緑に埋めながらウリルが口にした好意の言葉に、幾枚もの葉に覆われた奥で、微かな歓喜が身じろいだ。

●極致
 無数の小花が一斉に開いて放たれた光は、ミルフィを目掛けて飛ぶ。
「なんのこれしき! 八雲、出番じゃ」
 しかし重臣の命に八雲が反応する方が早い。スリップダメージを懸念し構えるに徹する忠犬は疾く駆け、呻きさえ上げずに痛みを飲み込む。
「ラクシュミお姉ちゃん」
「はい、エトワールさん」
 仲間の回復を担う女たちが素早く意を交わす。どうやら手助けは不要らしい。状況をそう見てとった重臣は、アカンサスの怪と向かい合いニヤリと笑う。
「なぁに、大丈夫じゃよ」
 安堵を促す先には、老いた女の顔があった。デウスエクスと対峙して暫し、多くの常緑が剥がれ落ち、瑞葉の存在を明らかにしたのだ。
「御身も、穏やかな日々も。必ずや此処に取り戻すと誓おう。なればどうか心を強く、少しばかりの辛抱を頼む、瑞葉殿」
「……まぁ。なんて、ご丁寧、に。で、も」
「ご案じ召されるな。銀杏と朝陽の下、その笑顔が再び輝く時を信じて、儂等も耐え抜いてみせよう」
 意識を保つ強靭さを持ち得た老女の懸念を呵呵と制し、重臣は武術棍で瑞葉ごと緑の魔を叩きのめす。
 ぐっと、血の気の引いた唇が引き絞られる。だが彼女の苦痛も、攻性植物からの攻撃にもケルベロスは心を折らない。成すべき事は、過たず成す。真摯な姿勢こそ、瑞葉を勇気づけるからだ。
 同時に、大イチョウが保つ穏やかさが瑞葉の心を奮い立たせる。
「彼の木は永く永く、人と共に在ったのでしょう」
 森の民としてアリスは大イチョウと瑞葉、延いては連綿たる血脈を思う。この地に芽吹き育った命は、きっと多くの営みを見守った筈だ。そのような木の前で――。
「むざむざと友を失わせる訳にはいかない……そう、私は思うのだわ」
 固めた決意を胸に凛然と掲げ、アリスは攻性植物へ癒しを施す。力と力を呼応させた施術は圧倒的な効果を発揮し、デウスエクスに負わせたダメージの多くを回復せしめた。
 と、なれば。遠慮は不要。
「今が見頃な、朝の黄金の秋模様。瑞葉も、彼女の大事なものも。守ってみせるとしよう。月光は夜を照らす輝き――そして闇と共に在る光。夜闇を抱く光の前に、魂を凍らせるといいさ!」
 朗々と唱えたアンゼリカが、全身から畏怖を覚える光を放つ。徐々に鮮やかさを増す陽光と相まったアンゼリカの姿は、まさに燦然。
「綺麗、ね……」
 現状をふと忘れた瑞葉の唇が紡いだ感嘆にあてられ、煉司は瞬時に混沌の水で補う右腕を巨大刀へ転じさせた。
 瑞葉の純朴さは、絶対的に守り果たさねばならぬもの。
 既にミルフィの準備は万端。さすれば自分は思いの丈を存分に叩き込むのみと、煉司は薙ぎ払った刃で数え切れぬアカンサスの葉を地に散らす。そこへひらり、金色の葉が一枚。
(「重ねた年月の『思い出』も。この光景も、素晴らしき物。……護らねばなりませんわね」)
 足元さえ華やげる彩にミルフィは刹那、視線を奪われ。ラクシュミや助力にかけつけてくれた主である少女に、心の裡で契る。そして察したのだろうアリス・ティアラハートに花咲く笑顔で背を押され、ミルフィは幻ではなく生身の己でデウスエクスへ口付け、
「美しき金色の光景のみならず……人の大切な思い出さえも侵食しようなど……させませんわ!」
 与えた癒しとは裏腹な苛烈さを、言葉で攻性植物へ注ぎ入れた。
 割く労の全ては、瑞葉を救う為のもの。
 果たしてその瑞葉の状況はどうなのか。命の引き算と足し算の経過と共にウリルは老女を注視し、選ぶ技を丁寧に使い分ける。
「もう少しだけ頑張ってほしい」
 人の我から編んだ無数の黒鎖でアカンサスごと瑞葉を縛り上げ、ウリルが瑞葉に伝えるのは気遣い。酌んだ老女は、また健気に笑った。
「ありがとう。私、幾らでも頑張るわ。若い人たちにこんなに心配させて、私ったらダメなおばあちゃんね?」
「こりゃまた肝の据わったご婦人じゃ!」
 添えられた茶目っ気を瑞葉に次いで老成した重臣が磊落に評すのを、瑞々しい年頃のエトワールは頼もしく聞き、若きも老いに負けじと魔導金属片を含んだ蒸気で八雲の傷を癒して守りを固める。ラクシュミもエトワールに倣い、小さき同胞を黄金の拳で癒した。
 過不足なく、整った戦場だった。戦力バランスだけでなく、人心までも。
(「必死で抗いなさい、なんて。はっぱをかける必要はありませんでしたわね」)
 もし瑞葉が弱い人であったなら、大イチョウへの愛を力に変える叱咤を送ろうと思っていたエニーケは、懸念が徒労に終わったのに密やかに安堵する。
 ここに弱い者などいない。皆が一丸となって、勝利を――瑞葉の生還を勝ち取ろうとしている。負ける要素など、どこにもない。
「そろそろ冬の時期に入りましたから、これが最後の秋模様。ならば存分に楽しむ為に、悲劇はしっかり叩き壊すと致しましょう」
 ――空想と妄想の力、お借りします!!
 邪を打倒する力に変えるのは、自身の抱く空想への憧憬と妄想への依存。それらを交差させた両腕を起点に光と放ち、エニーケはアカンサスから命の葉をもいでゆく。

●光迎
「ラクシュミ様、アリス姫様。エトワール様も、回復を感謝致しますわ……☆」
 きっとこれが今日の仕事納めになると信じたミルフィは、輩への感謝を添えて瑞葉へ回復を施す。
 頬に光を受けるウリルの足取りも迷いない。
「もう、終わる」
 勇ましく、頼もしく瑞葉にウリルは告げ、駆動音を掻き鳴らす刃で攻性植物を千々に引き裂く。
「――キミもやさしい光の元へいけますように」
 誰も倒れる心配はないとエトワールは瞳を捉えた初手と同じに杖を振るい、アカンサスへ微笑を手向け、ラクシュミも阿頼耶識が発する光でデウスエクスを貫いた。
 運命が決するまで、あと僅か。命の推移を具に観察したエニーケは攻める手を休め、巨大な牙にも似る戦斧からデウスエクスへ癒しを導く。
「全く、言語道断な輩もおったものじゃ」
 安らぎの場である住処――思い出深き地に入り込んだどころか、荒らし回ろうとした邪を重臣は糾弾し、ぐっと拳を固めると、
「命は無論、大切なものは何一つ奪わせまい。さぁ、儂の本気を見せてしんぜよう」
 そのまま直進。問答無用の一撃を攻性植物の頭上から呉れてやる。衝撃に地に伏した敵へは、辛抱から解き放たれた八雲も牙を剥く。
 アンゼリカも流星と翔けた。
「あとは任せたのだわ」
 きっと次がとどめになる。確信したアリスは心地よい早朝の空気を胸一杯に吸い込むと、息を白くけぶらせ仕舞いのオペをデウスエクスへ――瑞葉へ施す。
 決着を託されたのは、煉司だった。
「じっくりやらなきゃならねぇってのは、楽じゃあなかったが」
 右腕と共にワイルドで補う右目の青い軌跡を遺し、煉司は一陣の風と化す。
「喉元過ぎれば何とやら、ってな。――婆さん、耐えてくれよ」
 振り払う仕草で、煉司の右腕が巨大な刀身へと変異する。敵は斬って捨てる――それだけだ、と言い切る男はそのまま、肉薄した『デウスエクス』目掛けて刃を薙ぐ。
「……瘴霧一閃」
 ――――呪縛、解放。
 溜めは、深く静かに。けれど一気に解き放たれた疑似妖刀は瘴気を纏い、斬り払い呪詛で蝕み、悠久の命に終焉を齎す。
 斯くして煉司はまろび出てきた瑞葉を受け止め、その肩に最後に残った常緑の葉を労う手つきでそっと払い落とした。

●和
 はらはらと、穏やかな光が降ってくる。
「ミルフィ……凄いです」
 指先で触れた途端、金色の葉に変わって掌に落ちたそれに小さなアリスが頬を染めれば、彼女の傍らに仕えるミルフィも口元を綻ばせた。
「えぇ、えぇ……本当に素晴らしい光景ですわね、アリス姫様……」
 外界は、そろそろ朝の慌ただしさを迎える頃。だのに此処は取り戻した静寂にとろとろとまどろんでいる。
「私の年では……語れる様な思い出話もまだありませんけど。この光景……とっても素敵って、思います……」
 十に満たぬアリスの感動に、瑞葉が目を細めた。救出された老女は無事だった。少しの休息ですっかり元気を取り戻し、竹の縁台を大イチョウの周囲に並べると、ケルベロスらと肩を並べて降り来る光を見上げている。
 その和やかな横顔にアリスとミルフィは顔を見合わせ、
「ラクシュミさん……私達…瑞葉さんの『思い出』……護れたんですね……」
 何よりの歓喜を呟くと、ラクシュミも頷く。そんなラクシュミへ、エニーケは思い出したように改まる。
「ちゃんとしたご挨拶がまだでしたわね。お初にお目にかかります……のかしら? 貴女の力強さは――」
「そんなに畏まらないで下さい。わたしはただのラクシュミです。これからもケルベロスとして、宜しくお願いしますね」
 ラクシュミ『様』と評された敬意にオウガの女は緩く首を振り、エニーケが続けるつもりの言葉を先取り、微笑んだ。

 思い出話。
 語れる事は、多少なりと。
「息が白いよ」
 寒くなってくるこの時期は朝が素敵と、息をふぅと吐き出したアンゼリカに、温もりを分け与えるよう天紅はぴたりと身を寄せる。その時、悪戯に舞い降りてきた光は、金色。捕まえ掲げた天紅の心は、アンゼリカの髪と同じ色に弾んで踊る。
「雲上祭で空を飛んだのも、食事をいつも一緒にするのも、大切な、思い出」
 天紅が振り返る日々は、特別も日常も、二人で過ごすだけで等しく大切な宝物。その一つ一つをアンゼリカは瑞葉へ聞かせ乍ら、光に浸る。
「濃厚な数年なのは、天紅のおかげ。この大イチョウのように私に降った光だから……」
「私こそ。いつも宝物をありがとう。あなたがいてくれるから、私は、幸せだよ」
 ――この輝く景色が、また二人の新たな出発点。
「まだ小さいのに。運命の人に出会えるって素敵ね」
 想い繋ぐよう手を握り合うアンゼリカと天紅こそ眩しいもののように瑞葉は目を細め、ここらで一杯温かい茶でもどうじゃ、と湯気立つ湯呑を運んできた重臣に破顔した。
「茶菓子も持参じゃぞ」
「気の利く殿方も素敵ね」
 ありがとう、と笑み崩れる老女の膝にはブランケット代わりに八雲がぺたり。まだ息が白むほどの寒さはあると言うのに、大イチョウの周りだけ麗らかな陽だまりにも似て。煉司はふと、瑞葉自身へ問うてみる。
「……この樹。結構な昔からあんのかい?」
 ――こんなのは中々見ねぇ。
 無骨な男の素朴な尋ねに、老女は少女のように瞳を煌めかせた。
「そうなのよ。わたしのおばあちゃんがまだ若い頃にも、こうだったそうだから」
 きっと誰かと語らうのが好きな人なのだろう。そこへ自分の思い出話まで出来るなんて、とても幸せ。
「……そうか。こいつもまた生き証人って事だな。今も昔も、これからも、ずっと一緒ってやつかい」
「きっと天国まで一緒よ。こんなに大きいのだもの」
 煉司に引き出された瑞葉の大イチョウへの限りない慈しみ。それは森エルフたるアリスにとってシンパシーを感じるもの。
 言の葉は紡げずとも、人に寄り添い過ごす者も世界には在る。
(「其れはきっと、大切に思う人と同じ様に――時として其れ以上に。誰かにとって掛け替えのないものなのだわ」)
 喧騒を遠ざける緑にアリスは声なき心を視て、瑞葉の隣に腰を下ろす。
「私はここよりもっと深い、人の手が届かない森に住んでいたの」
「人の手の届かない? 凄いわ!」
「イチョウの木はなかったけれど、美しい紅葉はあったの。そこはこの国と同じね」
「素敵、とても素敵。私も行ってみたいわ」
 祖母と孫娘にも近しい女二人の会話は弾みに弾み。煉司やラクシュミは合槌をうち、重臣は機を見て茶を薦め。
(「……こんな時間を多く過ごせているのなら」)
 過ごす柔らかな時間に、アリスは大イチョウや周囲の木々の幸福を感じ取っていた。

●贈り物
 ――うりるさん! お疲れさまでした。お怪我ない?
 甘いローズ・ブラウンの巻いたツインテールを揺らし駆け寄ってきたリュシエンヌは、無事を確かめるようにウリルのあちこちを撫でた。
 愛しい人の強さは、リュシエンヌが一番知っている。でも、心配なものは心配。だから怪我がないと知り人心地。今度は戦いに汗ばんだ体が冷えぬよう、温かい茶を差し出し、己が羽織っていたショールを、彼の肩へと。
「ありがとう、でも」
 ――ルルが寒くなるよ。
 リュシエンヌの出迎えも、気遣いも。全てをウリルは嬉しく思えども。与えられるばかりより分かち合う方がより幸せだから。男は女をそっと抱き寄せた。
「うりるさん達が護った銀杏の樹……想い出も、いっしょに護れたのね」
「本当に……護れて良かったよ、とても大切な木だと聞いたから」
 皆の輪から外れ、冬の訪れを感じさせる寒さからも遠く。二人は庭の片隅から大イチョウを見上げる。
「ここまで立派になるには、長い年月が掛かったんだろうな」
 美しき絵画が如き一時。リュシエンヌはウリルの呟きを耳に、一枚、また一枚と降ってくる光を集め、小さなブーケを作りあげた。
「これは?」
「勲章なの」
 己が胸に飾られたブーケに、男が問えば。大イチョウの未来の歴史を護った証だと、リュシエンヌは誇らしさと愛に語尾を蕩かすから。ウリルはまた幸福に微笑んだ。
 そして出迎えの御影にぱたぱた駆け寄ったエトワールも、二人だけの時間に浸る。
 けれど、おかしいのだ。お互いいつでも隣を歩んでいきたいと思える距離間だったのに、最近、ふとした瞬間、鼓動がどきりと弾んでしまう。
 例えば、今日なら。
 ――エト嬢。前にした、約束の……お隣さん、する?
 少し冷えるからと、提案は御影から。
 ――する!
 エトワールは無邪気に是を頷き。今は御影のコートの内側。
 理解不能なドキドキは二人とも。御影など、慣れて来たはずだったのに、近ごろ違う意味でエトワールに触れるのを躊躇う事があると分かっていたのに、だ。
 それでも、二人分の熱はぬくぬく。御影に頭を撫でられエトワールはご機嫌だし、そんなエトワールの様子に御影の頭上の兎耳もゆらゆら。
 そんな彼の耳の狭間に落ちて来た光をエトワールは両手でそっと捉え、開いた掌に貌を耀かす。
「ね、ミカお兄さん見て! 月や星の色にとても似てるね」
「……ああ、本当だ」
 朝なのに、星と月と色と、同じ色。
 これまた不思議なのに、とても素敵で素晴らしい事のような出逢いに二人は顔を見合わせ、目を細める。
 きっとこれは、今日の一番星。二人でお揃いの、季節がくれたとっておき。

作者:七凪臣 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2018年11月26日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 4/キャラが大事にされていた 6
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