禁断

作者:藍鳶カナン

●禁断
 一度その店を訪れてしまったなら、一度その味を識ってしまったなら。
 もう二度と、識らなかった頃には戻れない。
 禁断の味――とSNS上で囁かれているその店は、秋冬の夜にだけOPENの札がかかる何処か幻想的な佇まいのカフェ&バー。深く澄む夜闇に街灯のあかりで紅葉が浮かびあがる様が美しい遊歩道へ入り、中ほどを越えた辺りで小路に逸れたなら、十九世紀のウィーンに迷い込んだかと思ってしまいそうな、小さくも麗しい館に迎えられるという。
 扉にはブロンズの枝葉に黄金の林檎を実らせたオーナメント。
 その奥で饗されるのは、極上の林檎酒に林檎火酒、林檎菓子に林檎料理だとか。
 夜闇にぽうと輝きを燈すスマートフォンで店のメニューを確かめて、禁断の味への期待に早まる足取りで、若い女性が遊歩道へ入っていく。彼女が通りすぎた、その直後。
 街灯のあかりにきらりと煌いた、何かの胞子か花粉のようなものが、遊歩道の入口付近に植樹されていた姫林檎の若木に舞い降りた。
 葉擦れの音がざわりと不穏な響きを帯びて、動き始めた三つの木の影が遊歩道に落ちる。
 姫林檎の木々はその根元に飾られていた『三周年御礼 記念植樹』と綴られたプレートを踏み潰し、先程彼らの傍を通りすぎた女性の後を追う。
 攻性植物に変化してしまった姫林檎達は、寄生ではなく、殺戮を求めた。

●禁断の林檎
 大阪市にはネオルネッサンス様式の中央公会堂を始め、明治から昭和初期に生み出された麗しきレトロ建築がいくつも存在している。
 件のカフェ&バーもスケールは小振りながらその流れを汲む佇まいで、
「それらのひとつなのか、或いはそれらを模して建てられたのか……何れにせよ佳さそうな店だと思っていたのだけれど、所在地が大阪市内というのと、開店三周年の感謝と記念に、遊歩道へ姫林檎の木を寄贈したという話が気にかかってね」
 情報の精査をお願いした、と藍染・夜(蒼風聲・e20064)は語る。
 何しろ先日も彼は大阪で攻性植物と化したフューシャの花々を葬送したところ。
 大阪市内への攻性植物勢の侵攻は今もなお続いているのだ。
「――で、僕のところで予知に引っかかったってわけ。避難勧告は手配済みだから、現場の付近一帯は無人。こっちの現場到着は姫林檎達が攻性植物に変化した直後だから、そのまま彼らの撃破を、あなた達にお願いしたいんだ」
 天堂・遥夏(ブルーヘリオライダー・en0232)がケルベロス達へそう望めば、
「勿論。望まぬ変貌、不可逆のそれを遂げてしまったのなら、その姫林檎達へも、葬送を」
 集う顔ぶれを見渡し、頼もしげに微笑した夜が頷いた。
 空翔けるヘリオンから降下する先は、遊歩道の入口前の広場。
 姫林檎は即座に此方の気配を察して襲いかかってくるはずだから、広場での戦闘になると遥夏が告げる。
「攻性植物化した彼らが得た能力は、『黄金の果実』林檎バージョンって感じのヒールと、麻痺を齎す花吹雪に、相手の勢いを鈍らす果実。両方とも範囲魔法だからね、ダメージには対処しやすいと思うけど、三体そろってジャマーだから、術の効果のほうに気をつけて」
「了解。姫林檎達は連携も確りしてるだろうしね、此方も万全の態勢で臨もうか」
 語られた情報に夜がそう応じれば、流石、話が早いね、と狼尻尾をぱたり揺らした遥夏が『全て終えられたなら、どうぞ当店にお立ち寄りください』というカフェ&バー店主からの招待を皆へ伝えて、話を結んだ。
 林檎の香りは瑞々しく爽やかに甘酸っぱくて、そのくせ時に官能的なほどに蠱惑的。
 禁断の味――と囁かれる件の店に満ちる香りがどちらであるのかは想像に難くない。
 極上の美味に逢いにいこう。
 濃厚なクレームブリュレはその中にコアントローの爽やかさを纏った林檎を秘め、石窯で焼き上げられたブルーチーズと林檎のピッツァには蜂蜜が蠱惑の煌きを落とす。赤ワインでこっくり煮込まれた鹿肉は檸檬と白ワインコンポートの林檎とマリアージュ。
 これらは火の熱がアルコールを飛ばしているけれど、
「林檎の酒……シードルやカルヴァドスは大人だけの禁断の味になるのかな?」
「なりますとも~♪ でもでも、お酒がダメなひとにはこの、薔薇と林檎のコーディアルを推したいところなの。こういうお店のなら間違いなし! なの~!」
 竜尻尾を自信満々でぴこーん! とさせた真白・桃花(めざめ・en0142)曰く、この手の店で扱われるコーディアルの水割りやソーダ割りなら、アルコール分ゼロであるのにまるで良質なワインを味わったかのような充実感と満足感をくれるのだとか。
 それは素敵だ、と夜は星の双眸を細め、それじゃ出発しようか、と皆を促した。
 ――さあ、禁断の果実達に、逢いにいこう。


参加者
八千草・保(天心望花・e01190)
スプーキー・ドリズル(レインドロップ・e01608)
エリヤ・シャルトリュー(影は微睡む・e01913)
熊谷・まりる(地獄の墓守・e04843)
楪・熾月(想柩・e17223)
藍染・夜(蒼風聲・e20064)
鮫洲・紗羅沙(ふわふわ銀狐巫女さん・e40779)
智咲・御影(三日月・e61353)

■リプレイ

●禁断の林檎
 誰かの宝石箱へ斬り込む心地がした。
 凍てる冬も間近な夜空から高風裂いて降下するのは宝石の煌きを鏤めたような夜景の底、闇がぽっかり口を開けたかの如き遊歩道の入口前広場。だが降り立てば十九世紀のガス灯を思わすレトロ風の街灯が闇を照らしてくれると識れる。けれど街灯のあかりに落ちる樹々の影、葉擦れのざわめきに殺気を感じ、咄嗟に藍染・夜(蒼風聲・e20064)は声を張った。
「先手を取られたか。手近な前衛狙いだろう、恐らくはね!」
「ええ、間違いありませんね~。お守りします!」
 だが此方の手落ちでなく、個体能力で勝る相手が順当に主導権を取っただけ。意識も声も瞬時に凛と澄ませた鮫洲・紗羅沙(ふわふわ銀狐巫女さん・e40779)が盾として前へ跳んだ刹那、空恐ろしいほど美しい花吹雪が世界を染める。薔薇色に艶めく林檎の果実が躍る。
 開花と結実の競演を斬り裂く流星は後方から狙い澄ました夜の蹴撃。
 一足早いクリスマスの飾りめく銀星の煌きに彩られたのは、ブロンズ色の紅葉と薔薇色の果実を湛えた姫林檎の若木だった。
「お祭りの林檎飴に欠かせない姫林檎が攻性植物になっちゃうなんて……!」
「とても良く解るよ、熊谷の気持ち。せめてもの手向けに甘き死化粧を贈らせてもらおう」
 紗羅沙達の盾に護られた熊谷・まりる(地獄の墓守・e04843)が星の楔を穿たれた標的へ流るる銀を纏う拳で真っ向から襲いかかったなら、姫林檎達を包囲すべく後背へ滑り込んだスプーキー・ドリズル(レインドロップ・e01608)の双頭銃口が翻った。唇には飴玉職人の心を、双眸には軍人の鋭さを乗せ、正確無比な狙撃を決めた瞬間、まさしく林檎飴のごとき鮮やかな深紅の石化が姫林檎を染めあげる。
 ――《我が邪眼》《羽搏く蜉蝣》《其等のゆらぎで力を奪え》。
 銃声の余韻へ秘めやかに添うはエリヤ・シャルトリュー(影は微睡む・e01913)の詠唱、緑瞳に重なるレンズに光る蝶の術式が羽ばたいた刹那、彼の影から陽炎めいた翅持つ巨大な蝶がふわり舞い上がって揺らぎの翅で敵陣を覆った。
 三重の幻惑で敵の挙動を封じる蝶の抱擁、
「ボクは右から前衛を! 熾月はんはあっちから頼んますえ!」
「左だね、了解だよ。後衛への付与は任せて!」
 夜の陽炎に呑まれた姫林檎達を挟んで左右に展開し、八千草・保(天心望花・e01190)と楪・熾月(想柩・e17223)の癒し手二人が流体金属から銀の吹雪を溢れさせれば、煌きから躍り出た蒼きシャーマンズゴーストが存在そのものを透かした爪を揮う。まるで姫君が纏う紗を裂くかのよう、
「だけど、夜君が言ったとおり、姫林檎達の変化は不可逆のものだから……」
 重力を操るらしい魔法の林檎、まりるの分まで引き受けた不可視の枷から保の浄化で解き放たれると同時、智咲・御影(三日月・e61353)は己が胸の痛みも断ち切る心地で天空から数多の剣を降らしめた。武威を削ぐ刃の驟雨に抗うよう湧きあがる林檎の花々。
 甘い薄桃から輝く純白に咲き溢れて乱舞する花吹雪、その魔法に初手を奪われた紗羅沙も此度は堪えて腕を踊らせる。雹の如く降る果実も受けとめながら、彼女もまた黄金の果実を実らせれば、続け様に保の雷杖が地を打ち雷光の壁を噴き上げて、陽炎の蝶が姫林檎一体の次手を奪った隙に、双子蝶宿るエリヤの星剣が幾重にも輝く星の聖域を描き出す。
 夜景の底に数多の自浄の輝きが燈れば、深く広く魔法効果を浸潤させる敵の術と拮抗し、戦いは麻痺に冒され重力に抑えられては克服して猛攻をかける攻防の展開へ。
「この子を受け取ってください、ロティさん!」
「わ、可愛い加護をもらったな。ありがとね、紗羅沙!」
 護摩符から顕現した癒しの式神は紗羅沙からの贈り物、自浄の加護宿すゴマフアザラシの赤ちゃんが蒼き神霊の頭にぽふりと乗る様に熾月が笑みを綻ばせ、花水木の花踊らす木杖の軌跡から二重の浄化を孕む癒しの風を送り出せば、それに乗せるよう神霊が迸らせた原始の炎が敵陣を薙いだ。
 燃ゆる炎が齎した暁色に薄明かりの羽根が舞う。夜が差し向けた暁惺烏の強襲に姫林檎が堪らず癒しを実らせればもう一体が続き、次々実る黄金の林檎から癒しの力と自浄の加護が溢れ、姫林檎達に金貨が鈴生りになる様を思わす無数の輝きが燈る。
 宛ら、樹々が星空を宿したよう。
「これは……此方も派手なブレイクが必要なようだね」
「うん。葉擦れの音まで何だかすごくいきいきしてるし、ね」
 感嘆しながらも迷わず敵陣へ躍り込んだのはスプーキー、歴戦を物語る海色の裾と純黒の靴を翻して巻き起こす破魔の嵐に重ね、エリヤの召喚に応えた水晶剣が三重の破魔を乗せて乱舞した。嵐に水晶の煌きが踊り、金の星めく輝きが散らされていく様は。
「ああん、とっても綺麗なの~!」
「ほんとだねー。よし、もういっちょ煌きを追加しちゃうよー!」
 真白・桃花(めざめ・en0142)の銃撃も無数の小さな煌きとなって爆ぜたなら、続け様にまりるが姫林檎へ魔法を叩き込む。それは鈴懸の並木道に揺れる夏の木洩れ日に何処か似た切なさを、永遠のような一瞬のうちに何度も繰り返す術。
 胸が詰まりそうな煌きのなかで、姫林檎も光になって世界へ還ったなら、紗羅沙の胸にはひときわ遣る瀬無さが募った。
「聴いてはいましたけど……やっぱり倒せば消えちゃうんですね」
「消えてまうんやね。可哀想やけど、それでも戦わなな、ね」
 胸元で拳をきゅっと握って、歌い上げる幻影のリコレクション。追憶に囚われぬ紗羅沙の歌声が姫林檎達の力を抑えにかかる様を聴きつつ、保は癒しを織り上げた。
 麗しき赤煉瓦の中央公会堂に、荘厳な石造りの中之島図書館、そんなレトロ建築の浪漫が連なるこの界隈は、上方育ちの保にとってお気に入りの地のひとつ。ただ不運だっただけの姫林檎達を可哀想だとは思うけれど、この地の安寧のため、仲間を、戦線を支えぬく。
 前衛陣を抱擁する蔓草の揺り籠、プリズムの煌きめく花々の結晶が癒しの共鳴を呼べば、
「癒しは充分だね。それなら――ほら、ぴよ。姫達に君のゆめを見せてあげて」
「夢、か。おれも、姫林檎達に夢を見せながら送ってあげられれば良かったんだけど……」
 陽だまり色のひよこが熾月の掌上から夜風に舞った。ぴりぴり奔る静電気の悪戯が金色の煌きを躍らせ姫林檎達に痺れと癒し手の破魔を齎せば、御影の斬霊刀が夜風を薙ぐ。黒兎の獣人の刃の軌跡から溢るるのは流水を思わす霊の群れ、樹々が纏う星空の如き加護を雪いで奪って駆け抜けて。敵の反撃から仲間を護るべく跳び込めば、彼は一気に花々に包まれた。
 ――ああ、おれのほうが、夢を見せてもらっているみたいだ。
 敵陣への牽制は十二分、神霊以外は全員が魔法耐性を備え、二人の癒し手達による援護で護りも盤石。前衛で攻撃の要となるのがまりる一人では決定的な火力に欠けるとも見えたがそれも、神霊撃の影響と敵の連携で前衛に攻撃が集中すると見越した編成だ。
「俺達スナイパーで積極的に痛打を狙っていきたいところだね」
「勿論。君なら造作もないだろう? 藍――いや、夜」
 見交わせば互いに宿る不敵な笑み。スプーキーこそと応えて翻す夜の眼差しは熾月からの銀の吹雪で冴え渡り、天つ風を纏わす勢いで奔らせた如意棒が敵の芯を完璧に捉えて痛烈に貫いて。彼の風を大切羽の水葵に透かしたスプーキーは桃花の制圧射撃の弾痕を見て笑みを深め、己が軍刀で何より冴ゆる月を姫林檎に刻み込む。
 音も無き猫の跳躍で、息つく間もなく仕掛けたのはまりる。
「あと一押し! お願いします!」
「任せて。僕がこの子を送る、ね」
 獣のそれへと変じた拳、強烈な三毛猫の一撃で姫林檎を打ち倒せば、誰よりも速く彼女の声に応えたエリヤが瞬時に虚無の魔法を紡ぎあげた。この姫林檎が誰かに恐怖を与える前に――そう願いを込めて解き放った虚無が、若木のすべてを逃さず呑み込み、世界へ還す。
 悲しい夜がもうすぐ終わる。
 救えないのならせめて姫君達に慈悲を、と祈るような想いを乗せ、熾月は最後の姫林檎へ挑む仲間達へエクトプラズムの護りを贈る。広場をエクトプラズムの輝きが駆ければ夜風を貫いたのは流星を宿したスプーキー、流れ星を追う心地で跳び込み、御影は存在そのものを透きとおらせた斬霊刀を一閃した。
 幾度目かの舞を見せたエリヤの蝶、その抱擁が実りかけた姫林檎の癒しを封じれば、
「姫林檎はん、堪忍え……!!」
 攻勢に転じた保が招来した氷河期の精霊が吹雪となって襲いかかり、鋼の鬼宿すまりるの拳が、紗羅沙が蹴り込む幸運の星が、護りを砕いて氷片を抉り込む。御影がその手の刃へと瞬時に凝らせたのは空の霊力、皆が刻んだ傷も護りの裂け目も迷わず斬り広げ、黒兎の耳を翻して声を張った。
「終わらせてあげてくれ、夜君!!」
「承知したよ。ひとを地へと導いた禁断の果実を、天へ還そう」
 言祝ぎを抱いて植樹された若木達。未来を断つ罪は己が胸に刻み込み、一斉に羽ばたかす夜明け鴉の群れ。薄明かりの羽根に包まれ鳥聲に抱かれた最後の姫林檎との、永久の別離が成れば――光の粒子を浚う風に甘く林檎が香り、柔い微笑を燈した。

●禁断の果実
 皆の癒しで広場を潤せば、レトロ風の街灯にガスにも電気にも拠らぬ幻想の光が燈る。
 幻想に見送られて辿りついたのは、壮麗なバロック様式の館をそのまま小さくしたような夢の店。ブロンズの枝葉に黄金の林檎に迎えられ扉を潜れば、甘やかな光と蠱惑的な林檎の香りに抱きすくめられた。壁ではアンティークの柱時計が、ゆうるり逆回りで時と戯れる。
「成程、これも店主の隠れ家風な演出のひとつかな」
「確かに。人生とことん楽しんでそうなひとだよね」
 春夏は南紀でオーベルジュを営んでいる店主が、秋冬をすごす隠れ家ついでに始めたのがこのカフェ&バーだと聴いたのは、彼に事件解決の報告と招待への礼を述べたスプーキーと夜の二人だけ。桃花がアイヴォリーを手招く様に微笑み、改めて見渡せば、今宵の戦友達とその大切なひと達がつどう。保とルヴィルに挟まれたダリアの笑顔も、黒兎耳の青年の姿になった御影が背伸びなエトワールに撫でられる様も、熾月の狐尾とグレインの狼尾が揃って揺れる様も微笑ましくて。
 エリヤの傍らで手を振るエリオットやロストークに笑み返し、皆へと片目を瞑ってみせた夜は酒杯を掲げ、
「それじゃ皆、魅惑的な禁断のひとときを」
 ――乾杯!!
 硝子が鳴る音も、薔薇色や淡金色のシードル、薔薇と林檎のコーディアルを割るソーダの気泡が弾ける様も、まるで星の瞬きのよう。深く華やかな薔薇と林檎の風味に紗羅沙が眼を瞠り、擽るように優しく弾ける気泡にまりるが瞬けば、ピッツァが焼けたよーとタイミング良く掛かる声。
「桃花さん皆さん、ピッツァをシェアしませんかー?」
「ああん合点承知! なの~!」
「いいね、僕も乗らせてもらおうかな」
 林檎の木のピザパドルを掲げたまりるに応える桃花やスプーキーの声に笑み、
「ローシャくんとにいさんには僕が切り分けるね……って、あれ? この香り――」
 友と兄を手招いたエリヤは思わず目を瞬いた。ゴーダやモッツァレラあたりのチーズかと思い込んでいたが、林檎のピッツァを彩るこのチーズは。
 世に隠れなきブルーチーズの名品、ゴルゴンゾーラ・ドルチェだ。
 濃厚に蕩けるチーズに華やかに咲いた青カビの刺激、こくのある蜂蜜の甘味が絡めば虜になるような美味が生まれ、熱く甘酸っぱい林檎の果肉が弾けて混じれば、エリオットもつい林檎火酒の杯が進む。
「ちょっとふわふわしてきたかなぁ。ローシャは全然平気そうだけど」
「リョーシャは若いのより十五年ものくらいがいいんじゃないか? そっちのほうが」
 ゆっくり味わうだろうから、とロストークは微笑しつつ杯を傾けて、カウンター奥に並ぶ薔薇色がかった深い琥珀色の酒に瞳を細めた。
 繊細に弾ける気泡に導かれ、薔薇と林檎が咲き誇る。
 深く濃厚な薔薇と林檎の香り、芳醇な甘酸っぱさに満ちた滴が喉奥へ落ちたなら、今度は保自身の芯から薔薇と林檎が咲く心地。蕩けるみたいやねと綻ぶ彼と笑い合いつつダリアは甘やかな酒香にも興味深々で、
「ヴィルのそれ、ヴィルの姓に似た名前だよね」
「ほんとだ似てる~。でもそっちのはもっと似てるかなぁ~」
「ルヴィル・コールディ……カルヴァドス……コーディアル……あ、ほんまやね!」
 琥珀色の酒に氷河のかけらめく氷を揺らすルヴィルの上機嫌な声に保も破顔した。美しい青緑が散るブルーチーズを彩る蜂蜜、焦げ色ブラウンダイヤを敷きつめたようなブリュレのキャラメリゼ、心躍らす煌きが秘めた甘美な林檎の味わいに、三人揃って歓声を咲かす。
 硝子よりはギヤマンと呼びたいアンティークのシャンデリア。
 蜂蜜めくその煌きのもとで見るエトワールはいつもより大人びて見え、フルートグラスで明るい薔薇色に透きとおるコーディアルも、御影の手のスイートシードルと同じ杯のよう。
「ね、ミカお兄さん、ちょっと大人の気分になれてボク嬉しいな」
「じゃあ、いい子が禁断を楽しめるようになったら、もう一度ここへ来よう。約束だ」
 ――乾杯。
 澄んだ硝子の音色が約束を結んだ証。鹿肉に添えられた純白のサワークリームに赤ワイン煮込みの彩を滲ませていくのも、深い焦げ色煌くブリュレのキャラメリゼを割るのも、二人一緒に禁断の林檎を探して分かち合うみたいで。
 秋桜の栞を挿んだ手帳に綴る想い出が、またひとつ。
 瑞々しく香る淡い金色がグラスに躍った。
 改めて二人で杯を鳴らせば、思い出すのは蜂蜜酒とレモネードで乾杯した二年前の初夏。けれどこの秋の宵には、熾月の手にもグレインの手にも飛びきり林檎がフルーティーに香る新酒のドライシードルが煌いて、
「今日はとことん贅沢にいこうか。大人になった君のお祝いは盛大に、だよ」
「勿論。同じもので乾杯できるのを楽しみにしてたんだぜ、とことん楽しもうな」
 如何な料理にも合う林檎酒で禁断の味に舌鼓。グレインの肩で御機嫌なひよこには鹿肉に合わせる林檎入りカンパーニュを、行儀よく席についた神霊には熱いブルーチーズも蜂蜜も林檎の果汁も滴りそうなピッツァをお裾分けして。
 皆で禁断の、贅沢を。
 銀のナイフは必要なかった。
 匙だけでもほろりと崩れる鹿肉の赤ワイン煮込みに、檸檬と白ワイン煮でほのかな金色に透きとおった林檎を重ねてまりるが頬張れば、こっくり豊かな風味と滋味をたっぷり含んだ鹿肉に上品ながらも爽やかな林檎の甘酸っぱさが弾んで蕩けて融けあった。
 大阪市内ではないけれど、北摂で獲れた鹿だというから、充分地場ジビエの範疇で。
「ああ……麗しき秋の恵みだー!!」
「ほんとですね~。薔薇が秋薔薇ならこのコーディアルも秋の恵みでしょうか~」
 心底幸せそうなまりるの歓声に紗羅沙の銀狐の尾がふんわり揺れた。
 明るいルビーを思わせる薔薇色は一目で紗羅沙を魅了して、濃厚ながらも華やかな薔薇と林檎の香りと味わいの奥深さに心が眩めばもう、識らなかった頃には戻れない。
 水無瀬神宮の水で割ったコーディアルは巫女たる紗羅沙の心にも体にもひときわ慕わしく染みて咲き綻ぶけれど、
「ふふふ~。紗羅沙さんの二杯目はシードル割りなんてどうかしら~?」
「シードル割り……! いいんでしょうか、そんな禁断の味~」
 桃花が誘うシードル割りにも惹かれてしまう。大人の紗羅沙なら勿論禁断も許される。
 次いで運ばれてきたボトルに皆の歓声が咲いた。
 魔法みたいだろう? とスプーキーが披露したのは、林檎の果実まるごと瓶に閉じ込めたカルヴァドス。林檎は封じたままカルヴァドスを継ぎ足して楽しめる銘柄と聴いて、今夜の記念に持ち帰るべく買い取った逸品だ。
「君も魔法の一杯を呑んでみるかい、桃花?」
「ああん、こんな可愛いの見せられたらいらないなんてとても言えませんなの~!」
 杯に注ぎ分ければ禁断の果実を分け合う心地。望まれる侭ブリュレにも一垂らしすれば、魔法の一匙をどうぞなの~と桃花がブリュレを掬って差し出した。禁断の滴に濡れたそれを含めば、甘い戦慄とも昂揚ともつかぬ何かにぞくりと背筋を撫であげられて、スプーキーは唐突に理解する。
 この国ではこの心地を、背徳的と呼ぶのだ。
 恋人達が店主に招かれたのは鉤型になったカウンターの角、皆の様子を一望できて、その気になれば独り占めしたい相手を誰の目からも隠してしまえる席。シェリー樽の揺り籠から目覚めたカルヴァドスは、ひときわ林檎の香りも芳醇で、その酒精で夜の舌も喉も甘やかに灼いていくけれど、傍らで美味なる林檎の甘美さに陶然と綻ぶアイヴォリーの艶容が何より甘い熱を彼に燈す。
 熱く華やぐブルーチーズにも豊麗な味わいの鹿肉にも甘く濃厚なブリュレにも。
 林檎は爽やかさを添えるのに、官能的なほどに甘美で。
 不思議な果実ですねと囁いて呑むコーディアルは、唇を彩る滴を彼に掬われればいっそう甘い。軽く指を舐めた彼の双眸が蕩けて。
「……もっと味わわせて」
「……ん……」
 誰からも隠された秘密の口づけに、アイヴォリーの天使の翼が震えた。
 何もかも壊すと解っていて、なのに焦がれてとめられなくて。
 君は俺の、あなたはわたくしの、禁断の果実。
 ――識る前に、二度と戻れるはずもない。

作者:藍鳶カナン 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2018年11月25日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 4/キャラが大事にされていた 3
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