謝海祭

作者:藍鳶カナン

●謝海祭
 ――輩(ともがら)よ! 我らが海に感謝を!!
 潮騒と月明かり、そして異国風のオイルランタンの灯りと陽気に流れるフィドルの音色が彩る祭りの夜に出逢ったなら、誰も彼もが今宵のともがら。潮香るハイボールや海色に光を透かすソーダで乾杯し、色とりどりの煉瓦が波模様を描く通りを弾むように歩いて駆けて、月夜の海で誇らしげに聳えるマストを仰いで、この美しい帆船が就航した記念の日に更なる感謝と乾杯を!!
 そんなコンセプトで数年前から催されているこの祭り、謝海祭の会場は、常日頃はただの海浜公園の煉瓦敷きの広場にすぎない。海に面する広場に接岸するのは大航海時代の帆船を模した美しくも勇壮な船だけど、もちろん航行能力など持たないただの大きな模型だ。
 けれどフォトジェニックさは飛びきりのそれは、この海辺の街の町おこしに一役も二役も買った人気者。帆船の完成記念日を祝し、海の杯を掲げ海の幸に舌鼓を打ち、海の恵みに、そして大いなる海そのものへ感謝を捧げる謝海祭は、この海辺の街だけでなく近隣の人々も毎年の開催を待ち遠しく望む祭りになった。
 煉瓦敷きの広場を異国の港町風に演出するのは劇場の舞台装置めく書き割りやハリボテ、要するに簡素な造りのものだけど、夜闇に柔らかに射す月明かり、そしてアンティーク調のオイルランタンの灯りに照らされる様は不思議と奥行きも質感も増して見え、陽気に流れるアイリッシュ・フィドルの音色も相俟って、異国の雰囲気にたっぷり溺れさせてくれる。
 そして今年も準備万端ととのった、祭りの前夜。
 謝海祭の会場へ一足早く訪れたのは客ではなく、デウスエクスという名の災厄。

●幻想謝海祭
「派手に広場が陥没して、祭りの準備も台無し。帆船にも被害が及んだって話でね」
 天堂・遥夏(ブルーヘリオライダー・en0232)は沈痛な面持ちでケルベロス達に語って、続けて何処か悪戯っぽい笑みを覗かせた。ぴんと立つ狼耳。
「ただ、食材の搬入は祭り当日だったから問題無し。昼の間にあなた達がヒールで修復してくれたなら、その夜にも謝海祭が開催できるんだって。もともとが異国の港町風の雰囲気を売りにした祭りだからね、『ヒールで生まれる幻想も絶対祭りの雰囲気を盛り上げてくれるはずだから、ぜひケルベロスさん達も遊んでいってください!』って熱烈コールが」
 来てるんだ、と遥夏が続ければ、
「ああん、それはとっても! た・の・し・そ・う! なの~!!」
 真白・桃花(めざめ・en0142)の尻尾がぴ・ぴ・ぴ・ぴ・ぴ・ぴこーん! と弾む。
 昼の間に破壊の痕を癒しで潤せば、秋の夜長に待つのは潮騒と月明かり、そして異国風のオイルランタンの灯りと陽気に流れるアイリッシュ・フィドルの音色、更にヒールの幻想で彩られた、異国の雰囲気たっぷり極上の謝海祭!!
 色とりどりの煉瓦が波模様を描く通りを弾むように歩きながら舌鼓を打つ海の幸は、全て食べ歩き可能な串刺し仕立て。バターを絡めて炙ったぷりぷりホタテもスモークサーモンとオレンジスライスを重ねたサーモンマリネも、甘辛い香辛料をしっかり効かせた揚げたてのタコフリットも、たっぷりタルタルソースを冠った熱々の鱈フリットも、山葵醤油で楽しむ炙りマグロも、燻製の香りが胃の腑を刺激するスモーク牡蠣も、みんなみんな串刺しの食べ歩きでどうぞ!
 ――輩(ともがら)よ! 我らが海に感謝を!!
 高らかにそう唱和して掲げる杯に揺れるのは、海沿いの蒸留所で造られた潮香るスコッチウイスキーのハイボール、或いは海洋深層水で造られたサイダーにマリンブルーのシロップ落としたマリンソーダと、此方ももちろん大いなる海の恵み。
「この依頼の話を聴いたら、すごく楽しみになったんだよね。そんな謝海祭が……もとい、あなた達のヒールの幻想で彩られた、幻想謝海祭が」
 挑むような笑みに確たる信を乗せて、遥夏が言を継ぐ。
「あなた達なら、飛びきりの幻想謝海祭にして、あなた達自身も飛びきり楽しんでくれる。――そうだよね?」
 さあ、いこうか。破壊の災厄に見舞われた広場へ。
 皆の癒しに潤され、数多の幻想で彩られるだろう、秋月夜の幻想謝海祭へ。


■リプレイ

●出航
 月夜の潮騒に誘われて、幻想と音楽が踊りだす。
 陽気に跳ねて弾むアイリッシュ・フィドルの音色は異国の港町を軽快に駆けぬけるよう、劇場の書き割り同然の町並みも、夜闇に沈んで月とオイルランプのあかりに浮かびあがれば癒しの幻想と相俟って、本当に異世界に迷い込んだかの如き一夜の夢へ迎えてくれる。
 煉瓦が波模様を描く通りを先頭切ってゆくのは幻想の細波、眼差し交わして追いかければ十字路で幻のイルカが跳ね、立ちどまったところで海鮮串を一齧り。景臣の口中でぷりっと弾けたスモーク牡蠣は濃厚な旨味を溢れさせ、瑞々しいオレンジとビネガーの風味が招いたサーモンの脂の甘さにゼレフも舌鼓。海の恵み、遠い浪漫、互いの言葉に笑いあったなら。
 深海へ、敵の懐深くへ潜った先日の戦いさえ、幻のよう。
 気づけば夜風へ壮麗に帆を張る帆船のもと。
 帆船を抱くのは闇色の天鵞絨の如く柔く波打つ海、今夜ばかりは景臣も夜の海への怖れを抱くことはなく、友の様子にゼレフも眦を緩めた。ここが夏の涯の先。
「雲海の続き、僕ら流の進水式といこうかねえ」
「進水式、それは名案です」
 上機嫌で掲げた杯に弾む滴は灯の色に海の色、灯色を一気に乾したゼレフが月を穿たんとカトラス気分で串を突き上げれば景臣も船乗り気分。高らかに揃った唱和は、
 ――いざ出航!
 蕩けるタルタルソースごと頬張れば熱々の鱈フリットからほわりと溢れる白身魚の甘味、軽くなる足取りにつれて煉瓦にきらきら光る幻想の青い煌きは夜光虫を思わせて、へへ、と緩く笑み崩れたシキは帆船と並んで歩むよう、船尾から船首へと。
 ぴたり足をとめ、振り返ってみれば。
 船首には癒しの絵から生まれた女神像のフィギュアヘッド。
 幻想の暁の女神が幻のオーロラを振舞ってくれたから。
「ありがとっすよ、女神様」
 ――輩よ! 我らが海に感謝を!!
 誰も彼もがそう唱和する賑やかな祭で静かな場所を求めるのは、大海の底から金貨一枚を探し出すようなもの。漸く見出した金貨はエヴァンジェリンの翼で舞い上がる帆船の甲板、背を預けたマスト越しなら祭の賑わいも幾らか遠く、クラリスは何処か子守唄めいた潮騒に柔い呼気を重ねた。
 杯を掲げ、お疲れ様と交わす微笑み。夜空に近い処で、星降る廃墟で、形も意味も違えど互いに父への想いを胸に宿敵と対峙して。祈りも願いも託すよう、エヴァンジェリンは夜の海原を見霽かす。
 そんな勝手も、海は許してくれる気がして。
「――だから、海が好き」
「……なんか、わかるな」
 森育ちのクラリスにも海は不思議と慕わしく、繰り返す波が心に触れて、想いをそれぞれ在るべき処へ導いてくれるよう。さて、と傍らの友が気持ちを切り替えれば破顔して、
 いざ、幻想謝海祭へ!
 幻想燈すオイルランタンは幻の真珠を零し、酒場で看板代わりを務める小さな酒樽からは夢幻のラム酒がなみなみ溢れだす。海賊コスプレも楽しかったかもと異国の風景を駆けて、
「桃花りーん! あっタコ食べてる! そしてそれお酒ですかぁ~!?」
「お酒ですともー! リティアちゃんはお酒の代わりにわたしに酔うといいの~♪」
 後半年あればと地団太踏みかけたリティアは桃花にほっぺちゅーされてひゃああと笑う。右手には帆立と牡蠣とサーモンの串が揃い踏み、左手にはマリンソーダの杯を掲げ、
 ――輩よ! 我らが海に感謝を!!
 帆船に幻のオーロラが! と聴こえた声に駆けだす少女と幻の魚が重なり、リティアさん人魚みたい~とふにゃり笑った蜂は夢見心地ほろ酔い心地で見つけた春色に片手ぶんぶん、
「わー、桃花さんだー、帆立ひとくちどうぞー」
「ああん蜂さんってば、す・き・だ・ら・け・なの~♪」
 酒精の熱燈る頬にほっぺちゅーの幸せも燈されて笑み崩れた。蛸と帆立は分けあいっこ、淡い青にほんのり光る海月と蜃気楼めく春色珊瑚の幻に誘われ、幻想でおめかしした帆船を一緒に見上げて、
 ――いつか、船旅とかもしてみたいかも。
 ひときわ幸せな、夢を見る。
 幻想の飾り窓から幻の美女が流し目をくれるけれど、ラハティエルの瞳も心も奪えるのは最愛の妻リリアだけ。遥かな海色映した紺の装いに赤いチーフ、マリンルックに身を包んだ互いに夫婦仲良く惚れ直したなら、
「それでは、祝祭の大海原に――Anchors aweigh!」
「ええ、行きましょう、わたしの酔いどれ天使さん!」
 金色の錨が幻想になって夜空に躍れば、幻のローズマリー咲き零れる酒場の店先で潮香る酒杯を左手で受けとって、リリアは旦那様の分まで夜空の錨に祝杯を! はいどうぞと妻が口許に運んでくれた気泡弾ける酒で喉を潤せば、ラハティエルは右手の串から大粒の牡蠣を咥えて引き抜き、貴女にもと眼差しで伝え、海の恵みを花の唇へ。
 祭がフィナーレを迎えるそのときまでずっと、彼の左腕と彼女の右腕は絡みあったまま。
 癒しを降らせた花は幻想の桜貝になった。
 誰かの幻想の細波と一緒になって足を洗っていく様にムジカは竜の尾を弾ませて、陽気なアイリッシュ・フィドルの音色に市邨が軽く跳ねれば一緒に跳ねた桜貝が蝶みたいに夜風に躍る。故郷とは違う海、違う港町、だけど懐かしくて嬉しい感じ、と恋人が笑うから。
 ――我らが海に、感謝を。
 唱和し帆船に掲げた杯を彼はムジカの口許へ。潮香るハイボールは味わいにも潮を秘め、炭酸の爽快さを連れて喉を躍っていく。彼女の串から一口ぱくりと貰えば熱々で甘辛な蛸が小気味よく弾け、噛めば噛むほど市邨に旨味をくれた。
「次は牡蠣を食べにいきましょ。サーモンの燻製もあるカシラ?」
「マリネがスモークサーモンじゃなかった? 両方とも貰おうか」
 指も眼差しも絡めれば、鳴らす靴音も重なって。
 海に感謝を。日々に感謝を。
 二人で笑い合える、この世界に感謝を。

●帆風
 世界に燈るヒールの幻想は、燈るまで術者自身にも判らない秘密の贈り物。
 絢爛の歌声が人魚姫の愛と希望を綴れば広場は癒しに潤され、書き割りの宿屋には海辺の離宮めいた幻想が重ねられた。まるで小さな童話のお城、その前で行き合った相手にロゼが笑みを咲かせれば、
「はい桃花お姉様、帆立のお裾分け! 写真も撮りましょ撮りましょ!」
「ロゼ……好物をお裾分けとは成長しましたね。写真を撮るならシャッターは私が」
「ああんツーショット撮ってくれるなんて魔王様ってば心が広いの~♪」
 我が姫の隣は私だけ、なんて今は言いませんよ――と微笑んだアレクセイがシャッターを切る瞬間を狙って、桃花がロゼにほっぺちゅー。
 魔王様と呼ばれる彼の自称深海以上な懐の深さが今、試される。
 幻のイルカが跳ねる十字路で竜の娘を見送り、懐の深さを見せた彼の腕にそっと縋れば、ロゼの胸に燈るのは初めてアレクセイが見せてくれた世界、輝く海。人魚姫だっておなかが空くの、と彼のサーモン串をぱくりと食む様が照れ隠しだと解るから、アレクセイは愛しき姫の髪を撫でた。
 ――薔薇の人魚姫が泡になる未来など、来させはしないから。
 幻想で生まれた波止場に積まれた木箱からは、紅茶に珈琲豆に南国の香辛料の幻が零れて来そう。祭の賑わいに浮き立つ蓮華が駆ければ足元の煉瓦に幻想の光が躍り、それを追って白衣の翼猫が羽ばたいて。一人と一匹が仲良くサーモンマリネを分け合う様もまるで洋画のワンシーンみたいで、見守る紗羅沙にも自然と暖かな笑みが燈れば、姉を見つけて破顔した妹が駆け寄ってきた。
「お姉ちゃーん! 珍しいね、今日はお酒? もっと帆船の傍にいって乾杯しようよ!」
「今夜は少しこの幻想と非日常に沈みたいのかも、なんて。ええ、乾杯しましょうね~」
 霧の如きヴェールで覆った憂い、けれどそれを掬った上で蓮華が今日は楽しく過ごそうと屈託なく笑ってくれるから、紗羅沙もアイリッシュ・フィドルの音色に乗って、妹と翼猫と一緒に異国の港町を駆けだした。
 迎えてくれるのは美しき帆船の、麗しき女神の船首像。
 ――空を駆ける風よ、みんなに、癒しと祝福を。
 真昼の青空に翔けたシルの癒しの風、優しく吹き抜けたそれが燈した幻想は、月を迎えた祭の夜空にも小さく煌き舞い踊る。夜風を孕む帆船の帆に遊ぶ幻の妖精達、光の粉の軌跡で祝福を描くようなその光景を仰ぎ、
「本当に幻想的な景色……シルさんと見に来れて、よかった」
「ほんと、わたしも琴ちゃんと一緒に見られて、凄く嬉しい」
 夢見るような声音で鳳琴が心のままを口にすれば、シルの眦も幸福に緩む。面映い心地で笑み交わし、青く透きとおるマリンソーダで乾杯したなら、次なる幸福は海の幸。サーモンマリネを差し出せば炙りマグロを差し出され、そっと食む鳳琴の口中で、炙りの香ばしさとひんやりした赤身の甘さに、じんわり広がる山葵醤油の旨味が奏でるハーモニー。
 ――けれど最高の調味料は、きっと。
 好きに遊んでおいでと放たれた翼猫が、幻の妖精達遊ぶマストへと羽ばたいた。
 月光に映える姿にフィストは瞳を細め、気泡が弾ける酒杯を手にとって。
 ――輩よ! 我らが海に感謝を!!
 彼女と掲げた酒杯を呷れば、芳醇なウイスキーの風味の奥から炭酸が引きだした荒涼たる海の風がヴィクトルの芯を吹き抜けるよう。北欧の山で育ったフィストには海の幸も港町も新鮮で、だからこそ、
「本当は彼とも一緒に来たかったが……なんて言ってても仕方ないな、おかわり!」
「まあ、医者殿も忙しいのだろうよ……って、何だ、ちゃんと解ってるじゃないか」
 傍らに婚約者がいない寂しさが不意に翳りを落とすが、彼女が切り替えればヴィクトルも笑って鱈フリットに良く合うこの酒をもう一杯。
 帆船を仰ぎ見れば、夜空に聳えるマストに月がかかって、
 ――兄貴が生きていたら、きっと。
 懐の詩集に想いを馳せた。
 本来ならば優美な燻香と蜂蜜めいた甘さが先に立つ銘柄のウイスキー、だが炭酸で割ればその奥に秘められた潮の香や風味が際立ち、爽快な辛口風味で吹き抜ける。確かに海鮮にはこっちが合うかと巴は口許綻ばせ、
「遥夏君も腹が減ってるだろう? 俺の財布が寂しくならない程度に海鮮串を奢るよ」
「巴さんが格好いい大人だ……! ちゃりちゃり言う小銭があれば寂しくないよね?」
 大人の余裕を見せれば呼び名と奢り宣言にぴんと立つ遥夏の狼耳、その言葉の後半で酒に咽かけたが、俺の分の牡蠣も頼んでくれ、と応えて大人の面目を保つ。
 幻想燈すオイルランタンに照らされれば、書き割りの仕立て屋も本物の雰囲気たっぷり。幻の硝子窓に覗く絹のドレスも華やかなレースも全部幻だと解っているけれど、気分はもうすっかり旅の途中の冒険者。燻製の濃い飴色に艶めく牡蠣もレカの胸を高鳴らせ、瑞々しいオレンジと華やかなサーモンの色合いがルリの心を躍らせる。
 海の魔法がかかったようなマリンソーダで乾杯し、
「はっ。レカさん、ひとくち交換してみませんか?」
「もちろん乗らせていただきますともっ!」
 海鮮串を食べ合いっこしたなら、まるで海の秘密を分かち合ったような心地。
 ふふ、と悪戯な内緒話の後みたいに笑み交わして、手と手を取り合ったなら。
 いざ、次なる冒険へ旅立ちを!
 幻想の蜂蜜酒が夜風に黄金の煌きを振りまき、アイリッシュ・フィドルは楽しげな音色で心を弾ませるけれど、黄金のバターを纏ってじゅうじゅう歌う炙り帆立こそアイヴォリーが夜の海で出逢ったセイレーン。
 齧りつけば熱いバターと帆立の塩気も甘さも渾然一体。たちまち陥落した翼の人魚姫が、だめです、おかわりなんて……! と煩悶する姿に思わず夜は吹き出し、誘惑に堕ちた姫を奪うよう抱き寄せ、海の青湛えた滴を唇に含ませれば、彼の腕の中で人間に生まれ変わった人魚姫が目を覚ます。
「夜、――夜、最後まで一緒に宝を探して、この海を航ってくれる?」
 勿論と応えるより先に鮮やかに笑み、海賊たる夜から最初に贈る宝物はオレンジの宝石をあしらったサーモンマリネ、だったけど。
「締めの牡蠣まで漕ぎ続けようぞ。だがマグロは……山葵抜きでお願いします……」
 凄腕の海賊が洩らした弱音にこそ満開の笑み咲かせ、蛸もマグロも倒してみせますともと奮起する姫の手を取り離さずに、二人旅立つ幻想の海。
 七つの海の航海も、一天四海の美味も全て我らが手に。
 ――けれど俺の何よりの宝は君自身だと、海の果てで、きっと。

●航海
 大航海時代の浪漫にも癒しの幻想にも胸躍らせずにはいられない。
 帆船を仰げばマストに幻の妖精達が遊び、その舳先では勇壮なるバウスプリットのもとで幻想の女神の船首像が皆を祝福、甲板には海賊の財宝めく幻の黄金やエメラルドさえ見えたけれど、黄金のバターが彩る炙り帆立や木洩れ日色のオリーブオイルでドレスアップされたサーモンマリネのほうが、アラタにとっては価値ある宝物。
 杯に跳ねる青の滴の先に知己を見つけ、
「桃花! ドリズル! アラタはお酒じゃないけど乾杯してくれ!!」
「ああん寧ろ乾杯してくれなきゃわたしが泣きますなの~!」
 二人が杯を掲げたならめいっぱい笑い返して。
 ――輩よ! 我らが海に感謝を!!
 陽気なアイリッシュ・フィドルに尾が揺れそうになるのを堪えれば、我慢はなしなの~と傍らに咲いた声。面映く笑えばスプーキーの酒杯に彼女が映ったけれど、今夜は酒に宿して逃げずに、己の海色の瞳に春色を映した。いつか帆船に乗って、平和になった海原へ。
「桃花と航海へ繰り出せたら、愉しいだろうなって」
 告げれば、伸ばされた指先が彼のこめかみに触れる。春色の尻尾がぴこりと傾げられる。
「……操船の仕方を、教えてくれる?」
 返した言葉は上手く紡げただろうか。
 七つの海を股に掛け、時にアーモンドを植えて、
 ――それらが森になる時まで、君の傍に居たい。
 楽しげに華やぐアイリッシュ・フィドルの音色に誘われて繰り出す幻想に彩られた異国の港町、高さは見上げるほど、けれど張りぼてのはずの教会を覗けば幻想のシャンデリアやら幻想のステンドグラスやらの煌きに満ち、微かに眼を瞠るジエロが招けば、わあとクィルの歓声が咲いた。心も足取りも弾めば鼻先擽っていく海の風、
「僕ね、初めて海を見た時はすごく驚いたんですよ」
「ふふ。海を識らなかったなら、そりゃあとっても驚いただろうね」
 海無き故郷を出て識った世界の鮮やかさ、山葵醤油で味わう炙りマグロもクィルにとってそのひとつで、濃厚なサーモンの旨味にオレンジの甘酸っぱさ弾むマリネを楽しむジエロは当然の流れで互いに一口ずつ。呷る酒杯は大人だけの特権だけれども、
 遠くない未来には――と自然に結ばれる約束は、二人だけの特権にして宝物。
 ゆっくり歩むひとときを。
 初めはそのつもりだったけれども幻想燈る謝海祭は賑やかで、異国の港町めかした広場も幻想に彩られた帆船を仰げる海沿いも楽しげな賑わいと跳ねて躍って夜を翔けぬけるようなアイリッシュ・フィドルの音色に満ちている。片手にマリンソーダ、もう片手にグレッグの手を握れば海鮮串を取る手はなくて、むうと剥れたノルもすぐに上機嫌で靴音を弾ませた。
 彼の耳元で揺れる勿忘草、薄群青の彩にグレッグが瞳を細めれば、
「見てグレッグ、足元!」
「これは……幻想、か?」
 弾むノルの足取りに合わせ、煉瓦の通りに夢見るような青の光が踊る。まるで波打ち際で光の幻想を見せる夜光虫の煌き、彼の手のマリンソーダみたいな美しい青。だけど淡い金の酒を手にするグレッグの歩みにも海の青の光は咲いて。
 空色と陽色の瞳を見交わし、微笑み合った。
 大好きな青と幸福が、またひとつ。
 幻想燈すオイルランタンから零れる幻の真珠は手に取らず、幻想の蜂蜜酒が夜風に描いた黄金の煌きを潜り、選り取りみどりの海鮮串を片手に持てるだけ欲張りに取った。潮の香が弾む酒杯に惹かれはすれども今宵レスターが取るのは美しき海の青、揃いの杯を手に取ったティアンに、じ、と期待を込めて見つめられれば仕方ねえなと苦笑して、
 ――輩よ! 我らが海に感謝を!!
 一緒に唱和してくれた姿が満更でもなく見えたのは、彼の祖国のフィドルの音色ゆえか、己を気遣ってくれているからか。けれど深海から、暴走という名の嵐の海からの彼の帰還を祝いたいティアンの気持ちも心からのもの。うれしい。ほんとうに。
 白銀の漁火、赤橙の炎。
 潮の香が胸に燈す色は違えど互いに何処か似た海への縁深さにレスターが双眸を細め、
「お前もおれもここが始まりだ。凪も荒波も乗り越え足並み揃えて行こうじゃねえか」
 告げた言葉に、ティアンが思わず瞬いた。
 彼とともに行ってもいいだろうか。
「――……うん」
 たとえこの幸福が、あの愛しい彩のひとに無意味であったとしても。
 美しき青が幻想も幸福も透かして見せてくれる。
 海の青に気泡踊るマリンソーダ越し、偶然見かけたレスターの息災な姿もレッドレークの今宵の幸福のひとつ。レプリカントたる身に錆を連想させる海は苦手だったけれど、夕陽の射した沖縄の海も駿河湾での冒険も伊豆諸島沖での邂逅と死闘も、忘れえぬ記憶をくれた。
 クロム・レック。何処か懐かしさを孕む響きで紡ぐ名。
 胸に燈る想像に間違いがないのなら、海に散った嘗ての同胞達を、今だけは、輩と呼んで悼むくらいは許されるだろうか。
 己もこの海で生まれたのなら。
 ――大いなる、母なる海に、感謝を!!

作者:藍鳶カナン 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2018年11月19日
難度:易しい
参加:33人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 13/キャラが大事にされていた 0
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