妖のエンジュ

作者:麻人

 その槐は老婦人の母が屋敷に嫁いでくるよりずっと前から庭に在った。真っ白な花を房のようにつけ、散り際には雨のように花弁が降り注ぐ。
「もう、私たちだけになってしまったわねえ……」
 連れ合いを亡くし、子供たちも巣立ってしまった古い屋敷に取り残された老婦人はしみじみと呟いた。
「でもあなたがいるから寂しくはないわね。今年も綺麗に花が咲いたこと」
 縁側に腰かけ、いつものように槐の木へと語りかける。
 ――と、ざわりと枝が不気味に揺れた。
 老婦人からは見えないところで、見た目は普通の花粉に過ぎないものが槐に向かって降りかかったのだ。突如として凶悪な攻性植物と化した槐の大木は、のどかな時間を過ごしていた家主の老婦人へとひと思いに襲いかかった。

 セリカ・リュミエール(シャドウエルフのヘリオライダー・en0002)は丁寧なお辞儀をしてから、依頼の概要を伝えるために薄く色づいた唇を開いた。
「岐阜県にある古民家で、攻性植物と化した槐の木が年老いた女性を襲うという事件が起こりました。花粉のような胞子に憑りつかれたのが原因のようですね」

 古民家は隣家と離れた広い生垣のある庭に囲まれており、今のところ他の人間は巻き込まれていない。
 ただ、襲われた老婦人は攻性植物に取り込まれるように一体化してしまっており、普通に戦って倒すのでは共に命を落としてしまうだろう。
「ただ、ヒールをかけながら回復不能ダメージの蓄積によって倒す、という方法なら取り込まれた女性を救出できる可能性があります。もちろん、敵を癒しながらの戦いですから通常の戦闘よりも難しくはありますが……皆さん、お願いできますか?」
 攻性植物はこの槐1体のみで配下はおらず、鞭のような枝をしならせて敵を捕らえ、牙の生えた花で噛みちぎり、周囲の敵を大地と融合させた根によって侵食していく。
 元から大きな木だったが、攻性植物と化した今は更に巨大化して生い茂る枝と根が古民家を半ば飲み込むほどだ。

「すぐに向かえば、女性が取り込まれた直後の現場に駆け付けられるはずです。そこは鄙びた古民家に白い槐の花が舞い散る、攻性植物の縄張り――皆さん、お気をつけて。ご武運をお祈りします」


参加者
メリルディ・ファーレン(陽だまりのふわふわ綿菓子・e00015)
燈家・陽葉(光響射て・e02459)
リィンハルト・アデナウアー(燦雨の一雫・e04723)
彼方・悠乃(永遠のひとかけら・e07456)
火倶利・ひなみく(スウィート・e10573)
楪・熾月(想柩・e17223)
アスカロン・シュミット(竜爪の護り刀・e24977)
御門・美波(断罪の少女・e34803)

■リプレイ

●思い出の庭で
(「まだ、こういう攻性植物もなくならないんだ……」)
 それを目の前にした時、メリルディ・ファーレン(陽だまりのふわふわ綿菓子・e00015)の心中に浮かんだのはそんな感情だった。
 広い庭だ。
 おそらく、定期的に業者を呼んで手入れをしていたのだろう。それが今や醜く変異した攻性植物の枝という枝、根という根によって蹂躙され、見る影もなくなっている。
「おばあちゃん、どこ!?」
 リィンハルト・アデナウアー(燦雨の一雫・e04723)は必死に呼びかけ、槐の中心部を探す。
(「ひとりぼっちになっちゃったおばあちゃんをずっと見守ってきた槐。その結末がこれなんて、ぜったい、だめ」)
 リィンハルトの声が届いたかのように、槐の幹に埋め込まれるようにして気を失っている老婦人の姿が僅かに見えた。
「あそこ!」
「ええ、必ず助けましょう」
 彼方・悠乃(永遠のひとかけら・e07456)は頷き、普段は仕舞い込んでいる背の翼を広げた。
(「被害者女性は一般人……戦闘能力で言えば守るべき弱者といえるかもしれない。けれど、私は……私たちを支えてくれる人々は共に戦ってくれる仲間だと思うから」)
 神聖なまでの白光が悠乃の翼から放たれて、攻性植物化した槐を包み込むように降り注いだ。
「おばあさんの家族を殴るのは気が引けるけど……そういう事を言ってる場合じゃないよね!」
 火倶利・ひなみく(スウィート・e10573)は覚悟を決めたように、その両目に輝きを浮かべた――まるで、約束された人を見つけた令嬢のように、双眸は美しく煌めいて――その眼差しに加護を得ながら、燈家・陽葉(光響射て・e02459)は確かに頷いた。
「もちろんだよ。あの樹はずっとお婆さんと一緒に過ごしてきたのに、こんな哀しいのはだめだよね」
 狙い澄まされていく心のままに、陽菜は祝福の矢を紡いだ。
「絶対に助けようね」
「うん。おばあちゃんを狙うだなんて許せない」
 矢の援護を受けた御門・美波(断罪の少女・e34803)は、真っ先に槐の樹へと飛びついた。脚を使って枝に絡みつき、迫る蔓を光剣で薙ぎ払いながら尾や翼を武器代わりにして確実に傷を抉っていく。
「悪いけど、美波たちに付き合ってもらうよ?」
 槐の蔓も花も、後衛である美波には届かない。しびれを切らしたのか、その根が地面を揺るがして戦場のほぼ半分を土の中に飲み込もうとする。
「おっと」
 危うい所で体勢を立て直したアスカロン・シュミット(竜爪の護り刀・e24977)は、そのまま大地を蹴ると、前に回転した勢いを利用して鋭い踵落としを浴びせた。
 急所に入ったのか、ザザッ、と槐の樹が大きく揺れる。
「今のうちに」
 メリルディの手元で儀礼的な装飾の施されたソードブレイカーが輝きを帯びた。生み出された星座の加護が大地を割り、巻き込まれた美波らを救い出す。
「…………」
 後衛は彼女たちに任せ、自らは敵の攻撃に先んじて中衛にエクトプラズムでの耐性を与えながら。楪・熾月(想柩・e17223)は唇を引き結び、変わり果てた槐の樹を見上げた。
(「穢されていい筈、無いんだ。見逃していい筈、無いんだよ」)
 祈るように杖を握りしめ、柔らかでたおやかな光が槐の樹を包み込んでいく。結びの治癒――ラソ・クラル。
「できるだけ、周りのおうちとかは傷つけたくないよね、しーちゃん?」
「そうだね、リィン」
 リィンハルトは周囲までの距離を伺いながら、前衛目がけて紙で出来た形代をばら撒いた。
(「しーちゃんも一緒だし、いつもよりもっと頑張れちゃう気がするな」)
 槐の花びらと混ざり合った紙片がひらひらと戦場を舞い落ちる。
「タカラバコちゃん、絶対愚者の黄金は使っちゃ駄目だよ! わたしとの約束だ!」
 ひなみくのミミック・タカラバコは蓋をパクパクと動かして――おそらくは頷いて――思いきり槐の幹へと噛みついた。
 攻性植物はそれを振り切るように蔓を伸ばすが、タカラバコに届くより前に熾月のシャーマンズゴースト・ロティが非物質化した爪でその蔓を薙いだ。
 敵が怯んだ隙をついて、攻撃手である悠乃が優美な太刀筋で核心部へと斬り込んでいく。普通に討伐するのであれば、続けて攻撃が畳み掛けられるところだろう。
「でも、助けたいから」
「絶対にたすけるよ! きっと槐の木もそう望んでくれてると思うから……!」
 陽葉とリィンハルトは互いに頷き合い、いつもなら味方に向けて放つはずのグラビティを惜しみなく敵へと差し向けた。
「大丈夫。何度だって癒してあげる」
「響くは癒しの雨音、その一雫、ここに」
 風に乗って無数の葉が槐を包み、その上から癒しの雨音を集めた雫がしたたり落ちる。槐の千切れた枝が再生し、幹に刻まれた傷が消えていく――蓄積していく殺傷の負荷だけはそのままに。

●別れの時
 もしもこの戦いを傍から見る者がいれば、とても不思議か奇妙な思いを抱いたに違いない。
 攻撃し、回復する。
 傷つけられたばかりの攻性植物はすぐさま癒され、またしても苛烈な猛威を振るうのだ。
「もう少し耐えてくれ……」
 戦いの最中、巻き込まれた老婦人の身を心配したアスカロンが囁いた。右籠手家守から念じ生み出された形代。それがアスカロンの操る呪術の源となる。
 大元となる幹の中央へとその形代を張り付けられた槐は、大樹を揺さぶるようにして魂の探査から逃れようと足掻いた。
「――見えた」
 それは『核』の周囲に塗れた穢れ。
 アスカロンは神経を研ぎ澄まし、その穢れだけを左手の短刀で居抜いた。よし、と心中にて頷く。
「回復は効いているようだ。攻撃を続けてくれ」
「了解」
 短く俯くように同意して、熾月は杖を雛に変え、突撃を命じた。
「ぴよ、頼んだよ」
 ピチチッ、と雛が鳴いて滑空する。
「ここだよ!」
 最前線で槐に取り付き、足止めを与え続けた美波の抉る傷跡を、熾月のファミリアによる突撃が更に押し広げていった。
 槐が体をくねらせれば、一体化した大地が地響きを起こす。
「させないって言ってるんだよ!」
 ひなみくは力いっぱい叫んで、両手を挙げた。
「おばあさんが生きる事が一番大事なんだから! ごめんね、エンジュ。君もこんなの本意じゃないはずだよ!」
 両手を振り下ろすと同時に迸るオラトリオヴェールの光幕――!
「わたしだけじゃ足りない、皆もお願い!」
 ひなみくに頷き、メリルディと熾月が連携して動いた。
「ケルス、お願い」
「風よ――」
 それらの援護によって、眠りに陥りかけた前衛たちは次々と体勢を立て直した。メリルディがケルスと呼ぶ植物が足元から包み込み、熾月の祈りが清涼な風を呼び場を清めていく。
「いける!」
 ひなみくはすぐさま跳躍して、美波が身を翻して空けた場所へと削ぐような蹴りを叩き込んだ。
「ふぅ、やっと目が冴えてきた……ここからが本番だよ?」
 枝に手をかけ、蹴り上げるようにしてその上に飛び乗った美波は眼鏡を外して髪をかき上げながら微笑んだ。体勢を立て直す一瞬でバレットタイムを発動。仲間の様子を見渡して回復の足りない者がいないのを確かめると、そろそろかな、と呟いた。
「回復と攻撃のバランスは大丈夫そうかな」
 慎重に敵の様子を伺っていた陽葉は、同じく動きを注視していたリィンハルトと目配せし合った。
「うん。間違って倒しちゃったりしないように、僕はヒールの方を手厚めにいくね!」
「わかった」
 陽葉もまた敵の状態を見定め、回復に寄り過ぎた際には自らも攻撃に加わり、槐を急襲して貫くような蹴りを与えた。
 例え見た目の傷は癒えたとしても蓄積する負荷に耐えられなくなってきたのか、槐は蔓を重たげな動きで繰り出す。
「ッ!」
 とっさに滑り込んだひなみくの体に絡みつく蔓の締め付け――!
「大丈夫?」
 メリルディの気力をもらって、ひなみくが答える。
「ん、ありがと!」
 言葉を交わす間にも、アスカロンは呪塊【幽明】を砲台と代えて龍の咆哮とも言うべき砲弾を撃ち込んだ。
 ざっくりと幹に亀裂が入り、槐の動きが更に衰える。
「待った。その人を『連れて』行くな」
 留め、と遠隔爆破のための形代を紡ぎながらアスカロンが告げた。急速にしなびていく槐はまるで、老婦人を道連れにしようとしているかのように見えたのだ。
「せめて、一撃で終わらせてあげる……さよなら」
 美波の手元でナイフ形の光剣が閃いた。
 もし、老婦人を助け出すことができてもこの槐を救うことは決してできない。それでも、やるしかないのだ。
「バラバラにしてアゲル」
 逆手に持った刃が根本から槐の幹に深々と突き刺さり、駆け上るようにして一文字の傷を穿いた瞬間、メリルディの召喚する神々しいまでの光臨が槐を天上から貫いた。
「果敢に闘う勇者の血筋、患者を案じる優しき心、偉大な医師の歩みを辿り、私は癒しを支配する」
 味方の猛攻を支え、老婦人の命を守るために悠乃は敢えて冷徹さを求めた。活殺自在。続けてリィンハルトの雫が、陽葉の葉風が、ひなみくのウインクが――万が一にも老婦人を失うことのないように、全力で味方の攻撃以上の回復を与え続けた。
(「守りたい」)
 熾月に強い意志をもたらすのは、医者の矜持。過去の記憶。
「――守らせて」
 結びの治癒。
 あらゆるグラビティに守られながら、槐は急激にその身を枯らせていった。後には幹の中から解放された老婦人が眠るように横たわっている。彼らは彼女の元に駆け付けて、すぐさまその身をヒールで癒した。

●未来を託す種子
「おばあちゃん平気? 痛いとこない?」
 リィンハルトが背を起こしてあげると、老婦人はやや頼りなげに頷いた。
「ええ……」
 意識を取り戻した老婦人の様子を見て、メリルディはほっと胸を撫で下ろした。どうやら救急車を呼ぶ必要はなさそうだ。
「あ、ああッ……槐が、槐が……!」
 だが、老婦人を打ちのめしたのは枯れ果てた槐の姿だった。庭や建物はできるだけ手で片付け、どうしても直しきれない部分はヒールで修復することでほとんど元通りになったといっていい。
 唯一、槐だけが元通りにはならない。
「すまない。命を救う為とはいえ大事な樹を……せめて弔いはさせて欲しい」
「おばあちゃん、元気出して。僕たちも弔うのを手伝うから」
「うん、俺にも手伝わせてほしい」
 そう言って、アスカロンとリィンハルト、熾月たちは老婦人と一緒に槐の亡骸を拾い集め、時間をかけて燃やした。
「主よ、永遠の安息を――せめて、これからは安らかに」
 美波は両手を組み、祈りを捧げる。
「そうだ! お花とか植えようなんだよ!」
 槐がなくなってぽっかりと空いた場所の前で考えていたひなみくは、買ってきた種を出しながら提案する。
「何もないのは寂しいよね!」
「え、ええ……」
 最初、老婦人はびっくりしていたが、やがてゆっくりと微笑んで「そうね」と頷いた。
「あの子のように、綺麗なお花を咲かせてくれると嬉しいわね……」
 涙をぬぐい、ケルベロス達と共に土を耕し始める老婦人の姿を悠乃は空の上から見下ろしていた。
(「槐を攻性植物化した花粉状胞子がどこからきたのか分かればよいのですが……」)
 今できるのは、周囲の状況を確認してその解明のスタートを切ること。悠乃はひたむきな瞳で手がかりを探し続ける。今を守るためだけではなく、未来をも守りたいという想いを胸に。

作者:麻人 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2018年9月13日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 1/素敵だった 1/キャラが大事にされていた 7
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