鈴なりの花は天を希み

作者:秋月諒

●されど君影の草には毒があるという
 取り扱いには気をつけるように、と最後に教えていったひとは、それでもこの白く小さな花を好んだ。花期はとうに過ぎたというのに、花を残すのはーー己の沈みきれぬ恋心と同じなのか。胸の奥しまい込んで、このまま消えてしまえと思うのにそういう時ばかりうまくいかない。
「もうちょっと丈夫になりたいなぁとかは、結局呆れめたりできてるのにね」
 ため息混じりの青年の声が、早朝の庭園に落ちた。拾う声など一つもないままに、日差しだけが強くなる。開園前はまだ涼しかったというのに、過ごしやすさで心を癒してはくれぬらしい。
「鈴蘭の香りを振り掛けると、自分に靡くとか聞いたこともあったけど……君にそれを押し付けちゃぁねぇ……」
 逆に言えば結局、それすら自分はできなかったのだから。
 ため息ひとつ、小さな看板に言葉を添える。鈴蘭の花束を送ることはできなかったけれど、せめて幸せが訪れるなら、君にと。
「やれやれ、さっさと仕事を終わらせるべきだね」
 気の長い鈴蘭もいることだ。さて肥料は、と青年が少しばかり視線を外したその時に異変は起きた。ふわりと舞う謎の花粉。花期を終えても花を咲かす、真っ白な鈴蘭に花粉が触れーー揺れた。
「ーーん?」
 ひとりでに花は揺れ、肥大する。振り返った青年の瞳に映るのは己の背丈とさほど変わらぬ巨大な鈴蘭ーー鈴蘭の攻性植物であった。
「な、動いて……!?」
 息を飲む青年の腕をしゅるりと伸びた葉が掴む。咄嗟に退いた体では間に合わず、叫ぶ声さえ沈めるように絡みついた茎が青年の意識を奪う。そして、鈴蘭の攻性植物は青年が沈めることを選んだ恋心のように、深く、庭師の青年をその身の中に取り込んだ。

●君影草
「花期の終わり、未だ白を保つ鈴蘭に寄生する攻性植物がいるんじゃねーかとは思ったが……」
 くわえ煙草の火が消えていた。
 灰の髪を揺らし、ため息混じりに男は髪を書き上げる。金の瞳は半ば呆れ混じりに暑さばかり残る景色を眺めた。
「まぁ、また何とも言えない時期に来たな」
「花期の終わり、というよりは花期を超えて……という感じがするのは確かですね」
 男のーーアッシュ・ホールデン(無音・e03495)の言葉に、レイリ・フォルティカロ(天藍のヘリオライダー・en0114)は苦笑した。
「アッシュ様の情報通り、鈴蘭の攻性植物の発生が確認されました」
 現場は、関東のとある庭園だ。古くからあるお屋敷の一角、広大な庭が解放されているもので、日中は散歩客で賑わうのだという。
「その一角にある鈴蘭が、何らかの胞子を受けて、攻性植物に変化してしまったようです」
 花期の終わりを超え、未だ白を保つ鈴蘭は庭師の青年を襲って宿主としてしまった。庭師の青年は、屋敷に縁がある人物なのだという。
「今から行けば、まだ散歩の方も庭には入っていません。急ぎ現場に向かい、攻性植物を討伐してください」
 敵は攻性植物が一体。配下はいない。
 鈴蘭は大人ほどの大きさまで肥大しており、深い緑の葉を刃のように扱い、釣鐘形の花を揺らし、甲高い音と共に毒を振りまく。
「その攻撃の多くには、毒を持っています」
 それと、とレイリはケルベロスたちを見た。
「取り込まれた庭師の方は、攻性植物と一体化しています。普通に攻性植物を討伐した場合、一緒に亡くなってしまいます」
 だが、庭師を助ける方法はあるのだとレイリは言った。
「相手にヒールをしながら戦う、という方法です」
 癒しきれないダメージーーヒール不能ダメージというのが存在する。敵にヒールをかけても、ヒール不能ダメージは少しずつ蓄積するのだ。
「粘り強く、攻性植物を攻撃して倒すことができれば、戦闘終了後に取り込まれていた人を救出できる可能性があります」
 長期戦となる以上、こちらのダメージもある。
 戦場となるのは、庭園の一角鈴蘭が咲いていた裏庭だ。屋敷にほど近い場所にあり、束ねた木々や草が置かれている。バケツや、水やり用にホースが置かれたままになっている。花にはそれぞれ小さな看板が添えられており、動き出した攻性植物の所為でいくつかなぎ倒された状態になっているのだ。
「足元には念のため、注意してください」
「攻性植物に寄生されてしまった人を救うのは非常に難しくなります。ですが、もし可能ならば救出をお願い致します」
 長く白を見せつづていた鈴蘭も、こんな終わりを望んではいないはずだ。小さな看板に願いのような一言を書き込んだ庭師の終わりなど。
「アッシュ様より、情報をいただきました。動けます。このままにすることなんて、できませんから」
 一度アッシュを見て、目礼をするとレイリは真っ直ぐ、顔をあげた。
「行きましょう。皆様に幸運を」


参加者
ティアン・バ(しあわせのうた・e00040)
鈴代・瞳李(司獅子・e01586)
アッシュ・ホールデン(無音・e03495)
御堂・蓮(刃風の蔭鬼・e16724)
楪・熾月(想柩・e17223)
レイリア・スカーレット(鮮血の魔女・e24721)
六連・コノエ(黄昏・e36779)
深幸・迅(罪咎遊戯・e39251)

■リプレイ

●鈴なりの花
 早朝の影が、長く伸びていた。屋敷の風見鶏が広げた翼は、中庭へとかかる。金の瞳が捉えたのは、己と然程背丈の変わらぬ鈴蘭の攻性植物だった。釣鐘に似た花は人の顔程に。ほう、とアッシュ・ホールデン(無音・e03495)は息をつく。
(「大は小を兼ねるとは言うが……実際デカけりゃいいってもんじゃねぇわな。どうも、鈴蘭に人傷付けさせんのはなぁ……」)
「鈴蘭は普通サイズだから可愛いのだと実感したな」
 思わず眉を寄せれば、小さく息をついた鈴代・瞳李(司獅子・e01586)の指先が額に触れた。
「アッシュ、娘の事思い出すのは分かるが凄い顔してるぞ」
「って、大丈夫だっての」
 親指で眉間の皺を伸ばす瞳李に、アッシュは苦笑いを見せながらのそのままにしていた。そのままとなれば『娘』と放り込まれた言葉は早朝の現場に漂うわけで。
(「娘って……なんの話だ?」)
 二人を交互に見ながら御堂・蓮(刃風の蔭鬼・e16724)は眉を寄せる。
「そいや、こないだは娘が世話になったらしいな、ありがとな」
 そういう時に限って、放り投げられた言葉に蓮はぱちと小さく瞬いた。
(「待て、あの子か? 二人のとしたら計算が合わない……だとしたら隠し子?」)
 ほんの僅か青年は表情を崩せばオルトロスの空木が首を傾げーーぱ、と顔をあげる。花の香りが強くなったのだ。屋敷の影の中に佇んでいた鈴蘭がずるり、ずるりと動き出す。
(「花の盛りが過ぎても尚咲いて、挙げ句がこれじゃあなァ……」)
 深幸・迅(罪咎遊戯・e39251)は息をつく。朝の日差しを背に受けるケルベロス達の影が、風見鶏の影に収まった攻性植物にーー触れた。
「そう、なら始めようか」
 短く、ティアン・バ(しあわせのうた・e00040)は声を落とす。次の瞬間、むせ返る程の甘い香りと共に、白い花がーー揺れた。

●天国への階段
「リィィイン!」
 高く、鐘が鳴った。甲高い音と共にその身を埋葬形態に変えた鈴蘭が地面を揺らしーー根が、跳ね上がった。
「後ろ、来るぞ!」
 警戒を告げるアッシュの声と、衝撃は同時に来た。ぱたぱたと落ちる血に、は、と息だけを落として六連・コノエ(黄昏・e36779)は顔をあげる。
「大丈夫かな?」
「うん、問題ないよ」
 楪・熾月(想柩・e17223)の言葉に、声だけを返して周りを見る。一撃、後ろを狙って来たのは数を見てか。ピン、と張り詰めた空気にレイリア・スカーレット(鮮血の魔女・e24721)は前に出る。浮いた葉が、刃を構えるように切っ先を下げた。鈍い光を視界にティアンはほっそりとした手を空に掲げた。
「紙兵」
 舞い落ちる紙兵が後衛へと癒しと加護を紡ぐ。指先を染める毒が落ちれば、ふ、と口元に笑みを浮かべた瞳李が猟犬の鎖を展開させる。今は、加護をひとつ。戦場に展開させた鎖で盾を紡ぎあげれば、た、と踏み込む男の姿を見る。
「ちゃんと治すから、我が娘からの一撃と思って存分に皆を庇ってくれよ?」
 声をかけた先、アッシュはひら、と手だけを振った。飛ぶように間合いを詰め、されど忍びの術を持つ男の足音は土の中に消える。
「リ!?」
 振り返るように、鈴蘭がその身を揺らす。捩る体は一撃、避ける為か。だがアッシュの方がーー早い。
 ガウン、と衝撃が鈴蘭を襲った。派手に揺れた葉が螺旋を籠めていた男の手を払うように揺れる。たん、と間合いだけを取り直したアッシュへと鈴蘭の意識が向く。
「届かせませんよ」
 葉は、空に浮いていた。それは蓮による御業。半透明の腕が掴み取れば、軋む音と共にその動きが一瞬、止まる。
「ホールデンさんと鈴代さんは久しぶりの共闘ですね。護りは空木に、後方は俺達に任せてください」
 刃程の鋭さがあっても、捉えて仕舞えば動けはしない。
「相変わらず真面目だねぇ。ま、よろしく頼むわ、蓮少年。空木もな」
「蓮と空木は久し振り。心強いが……背も伸びたが、眉間の皺も増えたか?」
 アッシュと瞳李の言葉に、蓮は眉を寄せる。
「背……は兎も角皺は余計では」
「リィイ!」
 離せとばかりに、鈴蘭の高い音が響き暴れるように葉を振るう。その音よりも強くコノエは告げた。
「助けに来たケルベロスだ」
 ヴァルキュリアの構えた槍は雷光を帯びていた。穿つ一撃、爆ぜた光の白を見ながら、青白い青年の顔を見ながらコノエは告げる。攻性植物を取り除く為に暫く耐えてほしいーーと。
「ぁ」
 声は小さく、だが確かにコノエの耳に届いた。それは応えでは無かったかもしれない。あぁ、けれど。
「元看取りを司る妖精だからって、彼がまだ生きるべき人だということ位は分かっているさ」
 甘い匂いが強くなる。鈴蘭の幹が、太い木のように軋む。
「貴方を救うために頑張るよ」
 助けると、そう決めたのだ。これはその為の戦術。敵を癒しながら戦い、回復不能な傷の蓄積を以って攻性植物を倒す。
 距離を取り直したコノエの前、熾月は己を含めた中衛に耐性を紡ぎあげる。
(「秘めると決めたのなら其れは貴方の選択。けど想いを置いた花に奪われるべきじゃない」)
 奪われて良いものじゃない。
「ロティ、ディフェンダーに」
 熾月の言葉に頷いたロティが、た、と地を蹴り行く。その爪先が届けば、ぱ、と鈴蘭が視線を向ける。次の瞬間、影の中、何かが光った。
「!?」
 それはレイリアの翼が変化した色彩。氷の結晶のように変化した翼は、より鮮やかに紅く輝く強い魔力で周囲の水分を結晶化させる。
「――貴様を、冥府へ送ってやろう」
 翼を広げたレイリアの手から、氷槍が鈴蘭へとーー放たれる。
「リ……リィイ!?」
 響く高音は鈴に似た巨大な花が揺れたからか。一瞬、凍りついた空気は冥府深層の冷気を纏った槍に貫かれたが故。ぐら、と身を揺らした鈴蘭が威嚇するように高い音を零す。
「さて、と」
 その音を耳に、迅は紙兵を舞わせる。前衛へと加護を落とせば、態勢を立て直した鈴蘭の殺意がーー増した。

●君影草
 花の甘い香りと、鋼のぶつかり合う音が中庭を包んでいた。差し込む風見鶏の影は行き先を変え、光と影の中をケルベロス達は行く。
「リィイイ!」
 甲高い音を響かせ、白い花が光を帯びる。弾けるように飛んだ光線が狙う先はーー後衛か。迫る光を、だが切り裂くようにアッシュが踏み込む。
「リ!?」
「っと」
 息を吐いた男の前、受け止め切った光が四散した。ぱた、ぱたと落ちる血に、視界が歪むより先に毒が滲むのが分かる。だがその違和感は、白き花の到来によってーー消える。
「まだ伏してしまうには早い」
 薫る声、香る花。
 凛とした瞳李の声に、視線をあげれば口元笑みを浮かべた相棒が、前だと告げる。
「避けたらどうだ?」
「そいつはどうもっ、と」
 次こそと一撃を狙ってか、身を前に持ち込む鈴蘭にアッシュが身を飛ばす。左に踏み込んだ足で、体を止めたのは踏み込むレイリアと蓮の姿が見えたからだ。
「じゃぁ、ティアンは皆を」
 すぅ、と息を吸った娘の指先から紙兵たちは零れ落ちる。顔をあげ見れば、散る花びらに状況を見取った迅と熾月が鈴蘭へと回復を紡ぐ。
「カワイイのとキレイなのにゃ、毒が付きものとは言うけども……流石にしつこいんじゃねぇのかよ!」
 迅の仕事は鈴蘭の回復だがーー綺麗に染まった指先に、言いたいことだって出てくる。戦場は花と鉄の香りに満ちていた。
 この戦い、ただ勝つだけの勝利では無いのだ。長期戦となれば、どうしてもケルベロス達の怪我は増える。だがーー動ける。敵の攻撃に合わせた細かな回復のお陰だ。鈴蘭の動きも最初ほど、鋭くは無い。
「鈴蘭のこと、君影草ともいうのか。そう」
 覚え聞いた名をティアンは紡ぐ。鋼の一撃を構えた葉で受け止め、ギン、と堅音響く戦場は加速する。
「回復を」
 告げた迅が鈴蘭へと回復を紡ぐ。葉は破れたままに、持ち上がった花を見ながら迅は眉を寄せた。
「少し、ダメージが入りすぎかもしれないな」
 リィ、と溢れた音は威嚇か抗議か。揺れる白い花に、脳裏に親友の姿が過ぎる。
(「黙っていれば儚げなのに、強烈な個性からの言動がまるで毒のようだった」)
 続けるよ、と届く熾月の声に、顔をあげる。共に鈴蘭の回復役である彼が癒しを紡げば、淡い光が幹を回復するのを見ながら蓮は次の一手を選ぶ。
「決定的な一撃は避けていきましょう」
 しかし、と蓮は思う。小さい鈴蘭がああなると最早何なのか。巨大な鐘か。
(「鈴蘭に託す想い、それに後悔はないのか。聞くが早いか」)
 なら、と向けた掌から放たれる光が、巨大な葉を焼く。
「慎重に行きましょう」
「あぁ」
 応じたレイリアの槍が雷光を帯びていた。穿つ一撃に、踏み込む筈の鈴蘭の動きが鈍る。互いに声を掛け合い、ダメージ量を調整していけばーー行ける。その為に受ける傷は、覚悟の上。血に染まった腕を払い、取り直した間合いから青年の白い顔が見えた。
「……」
 あの男も、あまり体が丈夫ではなく、花を愛で、育てるのを好んでいた。
(「人が訊いてもいないのに、花言葉もわざわざ教えて」)
 無意識に指でピアスに触れながら、レイリアは息を零した。小さく、ひとつ。
(「一部の地域で愛する者や花嫁に鈴蘭を贈る風習があるが、女に贈る事が出来なかったのは……告白じみた花言葉もあるからか」)
 今はひとつ、命を救う為に。
 ケルベロス達は早朝の戦場を駆ける。埋葬形態へと変じた鈴蘭をティアンが飛び越え、浅い一撃だけに散らした瞳李が賭ける仲間に回復を紡ぐ。今は加護をひとつ。青年を救い切る為に。
「その為に必要なものを、だな」
「あぁ」
 頷くティアンは前衛へと癒しを送る。甘い香りばかりが届く戦場に、あと少しだと迅は声をあげた。
「あと少しで、倒せる」
 回復役を担う彼の言う『倒せる』は青年をも救い倒せるという言葉。
「ぁ」
「リィイ!」
 青年の声が、浅く落ちる。威嚇を響かせる鈴蘭に、熾月はあたたかな癒しを紡ぐ。
「無様でいい。見苦しくてもいい」
 響いて、届いて、このあたたかさ。
「助けることを諦めたくはないんだ」
「リィイイ!」
 キィィン、と高く音は響いた。う、と呻く青年に、アッシュは声を上げる。
「あんたが惚れ込んだ相手は、今ここであんたが死んでも幸せを甘受出来る様な子なのかよ」
「キィイ!」
 やめろとばかりに葉が振り下ろされる。鋭い一撃を、だが真正面から受け止めてアッシュは言った。
「違うっつーなら、大人しく飲み込まれてる場合じゃねぇだろ」
 落ちる血をそのままに、だが身を飛ばさずまっすぐに見た男の横を蓮が行く。
「鈴蘭お前に罪はないが……返してもらうぞ」
 踏み込みはひとつだけ。伸ばされた指先から光が届きーー葉を、砕く。浅く浮いた鈴蘭にアッシュはその手を伸ばした。触れた一瞬、びくり、と攻性植物は震えーー砕け散った。

●鈴蘭の花
 熾月の治癒のお陰で、青年は早くに意識を取り戻した。中庭の状況には驚いていたが、攻性植物と聞けば納得した様子だった。
「すまないな。折角咲いていた鈴蘭だったのに」
 ティアンの言葉に青年はゆるり、と首を振った。
「状況が状況ですから。それに元々季節外れで花が残っていたものなので」
 ひとつ直された言葉は、青年の微笑に隠された。それは彼の沈めた恋心に由来するのか。
「ヒール自体は可能だ。だが……」
 そのままの形に治る訳では無いのだと説明して、瞳李はどうするかを青年に問うた。
「ありがとうございます。でも、すごい状態ってわけでもないんで自分で直して見ようかと思います」
 皆さんが気を使ってくださったんですね、と青年は言った。ヒールのことも、説明してくれて嬉しかったと。
「皆さんに迷惑をかけてしまった分、ちゃんと直して見せますよ」
「そうか。ならせめて庭の片付けだけでも手伝おう」
 瞳李の言葉に、皆が頷く。驚いた顔をした青年は、ふ、と笑った。
「ありがとうございます」

「ぴよが居たから頑張れた」
 拗ねた様子のファミリアをロティと一緒に撫でながら、熾月は転がっていたバケツを運んで行く。小さなスミレを、シャベルに乗せた青年は、ふと、鈴蘭のあった場所を見ていた。看板は無事だったらしい。ほう、と息をついて蓮は青年を見た。
「どうあってその想いを捨てるのか知らんし、諦めないといけない理由は分からんが。何も言わず、言えず、知る事も出来ずに喪うのは、考える程軽いものじゃない」
「!? 何を……知って」
 それは純粋な驚きか、反発か。眉を上げた青年に、ああ、と蓮は言う。俺が言えた事でもねぇが、と。
「幸せかを決めるのは本人だろ」
「ーーッ」
 息を飲む音がした。それは、と声は震え、俺は続く。未だ屋敷に居続けるこの体は、どれ程、どれだけ先があるのか。
「云わない事を否定はしない。でも花束と気持ちを贈るのは押し付けじゃないと俺は思う」
「あれには、意味が、それに、今更」
 揺れる声にあるのは迷いだった。伝えられる機会が有るなら、熾月は背を押したかった。
「……俺の我儘だよ」
 我儘と青年は言葉をなぞる。
「ティアンの恋はしあわせな恋。君の影を慕って、偲んで、今も。君がティアンを想ってくれたものなら、多分、毒でも喜んだ」
 君と共に在れるなら。ころされてしまったって、かまわなかったんだ。
 静かに落ちた少女の言葉に、青年は息を飲む。
「思いを飲み込んで後悔するんなら、それを誰かのせいにしちまう前にケリはてめぇでつけるんだな」
 青年を視界にアッシュは言った。
「ま、俺が言えた事でもねぇが」
 落ちた息は常と変わらぬ色をして、瞳李は静かに言った。大切な事を告げないまま喪った人がいるから、気持ちは少し分かる気がしていたと。
「私はそこの相棒のお蔭で折り合いはついたが、キミはまだどうなのかな」
「ーー」
「告げろとは言わんが……後悔しないようにな」
「後悔、後悔、は……」
 あぁ、と青年は息を吐く。全くと、ほんとにと二度、三度と重ねて。
「諦めることなんか、最初からできちゃいなかったんですね」
 俺が居なくなることは考えても、その後の事も、彼女を喪う事なんか考えた事も無いまま理由を作ることばっかり上手になってたんだから。
「ありがとうございます、皆さん。少しだけ留守にしていいですか? すぐに戻りますので。あ、屋敷にあるものは自由に使ってください。飲み物とか……!」
 後は、と続く言葉に、大丈夫だからと言ったのは誰だったか。中庭に残った花を選びとって走って行く青年を見ながら、レイリアはふ、と息をついた。
「……まあ、時間をかければ庭も元の姿を取り戻すだろう。幸福の再来という言葉が、偽りでないのなら」
 その背を見送り、ティアンは土に倒れて居た鈴蘭の看板を元に戻す。
「……」
 そこには、鈴蘭の説明と文字があった。君が幸せでありますように、と。もう後一つ、庭で見た看板のどれとも違う文字で『キミも』と寄り添うように。

作者:秋月諒 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2018年8月5日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 7/キャラが大事にされていた 1
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